2011年12月30日金曜日

年の暮れにキレた出来事

今年の汚れ今年の内に。昨日風呂の天井から排水溝まで掃除したIyokiyehaです。
掃除嫌いな人種ですが、たまにはいいですね。

さて、昨日の出来事。
午前中に電話がかかってきて、30分程拘束されて、最後にIyokiyehaがキレたというお話。

フレッツ光ライト
http://flets.com/light/
なる商品がNTTから出されています。
そのプランへの切り替え申し込みらしいのですが、電話先の人の説明があまりに稚拙でへたくそ。
それでも「これまでの料金がインターネットと電話代込みで6000円以上かかっていたものが、4000円くらいでおさまるキャンペーン」「アナログ回線からデジタル回線への移行のため、いずれは必要な工事」ということだったので話でもと思い、聞き始めたのが事の発端でした。
私の大好きなマリナーズのイチロー選手がCMやっていることも話を聞いてしまう一因だったのかもしれません。

結局、キャンペーン中だということで切り替えたら得するというものだったんですが、「○○の場合は上限7000円くらいに・・・」とか「2年間以内の解約には違約金が発生して・・・」とか次から次へと付則のようなものが出てきて、挙句の果てに「メモしてください」とか言われて、さすがの私もキレました。
「あなたの説明はわからないから、内容を書面で送ってください」と言えば、「今の説明と後日送付する書面の内容が合っているかどうかの確認をしてほしい」と言われるし、「この電話でお申し込みとさせていただきます」なんて言われるから「分からん説明で同意はできないので、案内と一緒に申込書を送ってくれ」と言ったら「電話でのみのお申し込みとなります」とか返ってくる始末。
改めて「あなたの説明はわからないですね」と言ったら「どのあたりがわかりにくかったでしょうか?」としゃあしゃあと言ってのけるので、「結局月いくらかかるのかわからん」と言ってやりました。おそらく電話しているのは派遣さんだと思うので、この人に怒ってもしょうがないと思ったのですが、私よりもインターネットの知識がなく何度も何度も確認のために保留にされて、さすがの私も堪忍袋の尾が切れたというか何というか。。。
「この電話で申し込みはしません。あなたの説明したことを全て書面にして送ってください。申込書と質問書を同封して、年明け10日までに郵送してください、以上!」「ちょっとお待ち・・・」で電話切りました。その後かかってこないのですが、書面が届くのかどうか楽しみです。こなかったらクレームであげてやろうかな、当人じゃなくて担当部署に、ふふふん。

みなさんのところにも電話連絡あるかもしれませんね。どうかお気をつけて。
だいたい、インターネット関連の宣伝と申し込みに「電話のみ」なんてのは時代錯誤もいいところです。あー、頭にきた。こんなことに頭にきた自分にもストレスな出来事でした。
というか、資格取得や通販などの電話でも割とキレずにとつとつと要らないことを伝えるのが普段のIyokiyehaなんですが、あんなに声を荒げたのは久々で、カミさんにも驚かれた出来事でした。

今年の嫌なことは、今年の内に吐き出しておきましょう。よいお年を~

2011年12月11日日曜日

家事・育児は男にとってのリスクマネジメント

昨日、忘年会(バカ)で昼間から飲んだくれていたこともあり、今日はカミさんがおでかけ。一日子守をしていました。
まぁ、長男と気が合わないので(苦笑)イライラして、一回ゲンコくれてやりましたが(ごめんなさい)ドタバタと平和な一日でした。

昨今、育児や家事をやるパパのことを「イクメン」と呼ぶことが身近になり、私もよく言われるのですが「イクメン」が何なのかはさておき、私は自分がどう言われるかとか言葉の定義がどうだとかいうことにはあまり興味がなく、もっぱら「選択肢のある生活」を確保したいと思っているだけなのかなと思っています。

まだまだ、母親がいる家庭ほどの落ち着きはない一日でしたが、まぁカミさんに何かあってもだいじょうぶかな~とか、カミさんが「出て行く!」と行ってきたらとりあえず「はい、どうぞ」と言えるかな~とか思いながら、子ども二人一緒に風呂に入れられるし、子ども二人連れてクリーニングとって弁当買って帰れるし、なんとかなるもんです。
リスクマネジメントの観点からも、家事・育児はやっておくと損しないですよ、きっと。

2011年11月30日水曜日

Destination anywhere

ロックといえばU2かBon Joviなんですが、後者のボーカルJohnのソロアルバムに、Destination anywhereという曲があります。もう10年くらい前のアルバムタイトルにもなっていたかと記憶しています。
Destination anywhere.
Left or Right, I don't care.
目の前の仕事にへらへら取り組むスタンスの私としてはなかなか聴かせる曲なんですが、そんな記憶を呼び起こす出来事一つ。

昨日、仕事で渋谷直行だったので東武東上線の中でも、副都心線直通の電車をチョイスしました。車両点検のためということで、ダイヤに少し乱れがあったのですが、それが影響したのか、ある各駅停車の駅のアナウンス。
只今一番線に到着の電車は当駅から新木場行きとなります。
レアですよね。
渋谷行きが新木場行きになってしまう。直通先が、副都心線から有楽町線へ。こんなこともあるんですね〜



2011年11月27日日曜日

出汁こそが日本の食文化

娘の誕生日に買ってあげた「子どもとお母さんのためのお話 日本のお話」を寝る前に読むようになったのですが、娘の好きな「ももたろう」はただの海賊の話じゃないかと思い始めたIyokiyehaです。
ももから生まれたももたろうがある日唐突に「おら、鬼が島へ鬼退治に行く」といって、いぬ・さる・きじを連れて突然鬼が島を襲撃し、宝物を船に積んで帰っていくお話です。みなさん知ってますよね?

それはさておき。
日本のことと言うと「ももたろう」のようなお話だけでなく、いろいろな文化があるわけですが、最近すごいなぁと思うのが「出汁(だし)」です。
辰巳芳子さんという料理研究家がおられるのですが、この人の本とレシピを買ってから休日の午後に台所に立つことが増えました。
にぼしと昆布としいたけの出汁をとってけんちん汁はこの時期沁みるような味がします。
先日、妻が「ためしてガッテン」で昆布出汁をやっていたということで、ガッテンのWebをみながら昆布をあぶって出汁をとってみると少しいつもと違う味わいが。
http://www9.nhk.or.jp/gatten/recipes/R20111012_01.html
(ガッテン流 幻の昆布の作り方)

この出汁の味わいって、自分で出汁を作るようになって初めて知った(というか感じた)ことなんですが、微量の成分が織り成しているような繊細で複雑な味なんですよね。それでいて確かに「うまい」と感じるわけで、出汁のない汁物なんておいしくない(注:Iyokiyehaは新婚旅行のニュージーランドの朝食でひどい目にあいました)と思えてしまう代物。味付けのベースになっているようでいて自己主張しないのに確かな味わいがあるという、言葉では言い表しきれないものが確かに存在しているようです。

出汁のことを科学の目で見ている人もたくさんおられるのでしょうけれども、古きよき文化は忘れ去るのではなく、次の時代への飛躍の土台になるもの。豊かな食文化の一つといえる出汁のことをもっとよく知りたいと思う。

2011年11月26日土曜日

仕事で一杯いっぱいにならないように

島耕作シリーズをPDF化したので、ちょっとした時間で課長から読み返しているIyokiyehaです。耕作の課長時代の持ち家は鶴瀬にあったことを知り、午前様で帰っても飲み屋の呼び込みをやっているこの町も以前からベッドタウンだったのだと知りました。
それはさておき、育児休業から1年経ちました。ふりかえってみると、怒濤の一年だったということと、やはり自分の中でも考え方が大きく変わった一年でした。
もともと長いものに巻かれて自分の考えを押し殺すことに大きなストレスを感じるため、集団行動に向かない人種であることは自覚していましたが、今ではそこからさらに一段上ったというか下ったというか、そんなことはどちらでもいいけれど、私の人生に占める仕事のプライオリティが相対的に下がったのだと思います。
別にやる気がないとか、適当に仕事するとかそういうことではなくて、単位時間あたりの効率を最大化して、他の人と同等かそれ以上のアウトプットを出しつつも、仕事に就いている総時間は減じていくことです。空いた時間で仕事以外の価値観を磨いていく、そんな生き方にシフトしたいと思うようになりました。なっちゃいました、といった方がいいのか。
冒頭のマンガの中で、課長時代の耕作が派閥抗争に巻き込まれそうになった時に「私は誰にもつかずヘラヘラ仕事するのが好きなので」といってクビにされそうになったエピソードがありますが、そんなスタンスで「ヘラヘラ」仕事したいと思うこの頃です。

2011年11月23日水曜日

111123休日の出来事

気を抜いて部屋を歩いていると、カメのおもちゃにつまづくIyokiyehaです。
家の中でも気は抜けません。

週の真ん中の休日、ごほうびみたいなものですね。
週末にくっついて連休となるとまた雰囲気は違うのでしょうが。
そんな休日に、散髪へ行きそのまま公園へ。
スーパーのフードコートであさましい家族に辟易しながらも昼食をとり、眠そうな顔をして「眠くない!」と言う娘を公園に連れて行くと、帰りの車内が臭い。原因をあれこれさぐったところ、娘が何者かの落し物を踏んづけていることが発覚。

たまりませんな。

息子も寝ているか動いているかに成長し、目が離せません。
おもちゃ箱をひっくりかえして、その中に入ってぼーっとしていたり、サルより賢くテレビ台に上ってみたりとやりたい放題なバ○息子。
でも、そんなこともふりかえればほほえましい休日です。

2011年11月22日火曜日

111122健康モード

週末の胃痛からは脱し、まずまずの健康体です。CT一発8000円は痛かった。家族の中でぶっちぎりの医療費最高額を保っております。
週末に検査の結果を聞いてきますが、まぁ十中八九異常なしで胃カメラを勧められるのでしょうが、私は胃カメラは死ぬか生きるかのチョイスに近いところにあるものなので、基本的には拒否します。異動して近所で健康診断が受けられるようになったらバリウムだけでもやっておこうと思います。
ドライ(酒断ち)、コーヒー禁止を宣言したのが土曜日。その後これらは口にしていません。行きつけの鶯谷マックでは「ホットティーください」というと「今日はティーですか?」と聞かれてしまう程。それだけ関係が良好だということだと解釈しておきます。
コーヒーって刺激物みたいですね。なるべく刺激物を避けることで身体が楽になることを実感しているところです。

2011年11月20日日曜日

リーフレット『放射線被爆から子供を守るために』

放射線被爆については、個人的にあれこれと追っていますが、nanohanaというサイト(http://nanohana.me/)にこんなリーフレットがありました。

『放射線被爆から子供を守るために』
http://nanohana.me/?page_id=146


先日、FJのセミナーで聞いた内容が紹介されていました。私もこれから読んでみるところですが、みなさまにも情報提供まで。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2011/10/blog-post_19.html

2011年11月14日月曜日

2011年11月14日

11月14日。
長男セイの誕生日です。

ちょうど一年前の今日セイが生まれたのだと思うと、あっという間の一年だったのだと思う。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2010/11/blog-post_14.html

確か週末でした。
日曜日の朝、カミさんの陣痛が始まり、そのまま病院へ。
まだしばらくかかるということで、陣痛室兼分娩室の部屋にカミさんが入る。
私は娘と半日待合室みたいなところで何度も同じ遊びをして過ごしていたかと。
強烈な眠気に負けつつ(笑)、娘の「タイコ、タイコ、ドンドーン、ドコドン(いないいないばぁの歌だと思われる)」をエンドレスで付き合っていたように記憶しています。
昼食はサイゼリア。確か娘が駐車場でころんでキズ作ったっけ。
お子様ランチを食べなかったことが思い出されます。
カミさんのお母さんが到着し、Iyokiyehaがカミさんのいる部屋に入ったら、30分くらいで出産。
元気そうにしていたかと思ったら、バタバタと分娩が始まり、あっという間にセイはカミさんからでてきました。
夕食は病院前の吉野家。遊び疲れた娘はデザートのプリンを食べながら寝てしまったことが、何だか先月くらいのことのように思い出されます。
当時「やいや」と呼ばれていた私も、今では「おとーさん」と呼ばれるようになりました。

あれだけ準備してもバタバタした育児休業ももう一年前。
宿舎の落ち葉も落ち始めた頃でした。今日はお出かけ前に宿舎の掃除をして、そんなことにも懐かしさを覚えました。

私にとって11月14日は、いろいろと思い出させる日です。
そんな日に、GreenDropのイナさんのところにも次女が誕生したとのお知らせ。
新しい命の誕生を祝福しましょう。おめでとう、そしてありがとう。そんで「俺らも結構がんばってるぜ~」。

2011年11月12日土曜日

なんだかなぁ、という話

今週は超過勤務が多かったのと、研修講師が2件入っていたのとですっかり枯渇した感じがしたIyokiyehaです。本日、起床は10時。子どもが騒いでいてもがんばって二度寝しました。

カミさんの調子が悪いと思って、家事やら食事の準備やらいろいろ手を出したのですが、疲れも手伝って何もかも裏目に出た結果、カミさんと険悪なムードになるという、これまた笑うに笑えない状況に陥っておりました。

私が生涯でインフルエンザに通算5回かかっていることもあり、家族総出で予防接種にいったのですが、待ち時間に入った喫茶店でコーヒーとりんごジュースに10数分待たされるということもありました。私は気長なのでいいけれども、子どもは待てませんぜって話。

娘は排泄がうまくいっておらず、おそらく腹痛があると思われ非常に不機嫌。ちょっとしたことで大きな声を出すので「コラ」といわざるを得ず、悪循環。

何か悪いことでもしたのかなぁ、と思えるような裏目に出る一日。
何もするなと言われているのでしょうか???

2011年11月7日月曜日

居付く感覚

Blogを書こうと思っていると、ネタは舞い降りてくるもので、今日は嫌な汗をかいた経験を。
都内の某JR線で出張先から戻る時の出来事。一緒に出張に出ていた人となんということもない雑談をしていると、お隣でブツブツ言う男性。
仕事柄独語には慣れているので気にしてなかったのですが、だんだん声が大きくなってくるんですね。
…お前らよく見ておけよ、
…仕事と称して付きまとってるんだ、
…目の前にきたら殺してやる、
などなど、まぁ物騒でした。
で、並々ならぬ殺気というか、ゾクっとなるような感じがして、その男性の方を見ると、まぁこちらを見ているわけで…
席を立ちたかったのですが正直なところ混乱してしまっていて、席を立つことそれ自体が不自然になって相手を刺激しそうだなとか、同行していた方を置いて行くわけにもいかんなぁとかいろいろ考えてしまい、結果動けず、でした。
目がイってしまっていたのと、支離滅裂な独語だったこと、一瞬でもこちらに矛先が向いたことから、少なくとも彼の間合いからは外れておくのが正解だったんでしょうが、結果無策にその場にいてしまったその状態が正に「居付いた」状態だったのでしょう。
都内にいると、電車で少し怖い思いをしたり、思わず苦笑いしてしまうことは結構あるんですが、いざ怖さが自分に降ってくると、何もできないものです。次は、身の危険を感じたらまず安全を確保することで動きたいものです。



2011年11月6日日曜日

昼間から都内で

昨日、12:50東京駅集合で日付が変わる直前まで男三匹でアルコールを摂取していました。
Hさん、Kさんお疲れ様でした、ありがとう。
んで、ついでにKさんは出産おめでとうございます。

一件目は背伸びしてワインなんぞに手を伸ばしてみましたが、澱とかタンニンとか言われてもピンとこない私。「うまい、イマイチ」の二者択一方式でいけば確かに「おいしい」ワインでした。
二件目は背丈にあった焼き鳥屋。そういや焼き鳥食べませんでしたね。豚肉がおいしかった。

などとどうでもいい話題ですが、立場が少しずつ違う三人で酒を酌み交わすのはなんとも充実した時間になるものですね。AKB48の名前を7人言えない3人ですが(私はフルネームだと全滅です)一夜明けて二日酔いがキツい状態で子守りをしていると、断片的な記憶が少しだけつながって、「もうちょっとがんばってみっか」という気分になります。不思議なものです。

とりあえず、このメンツで飲むと私は小説が読みたくなる。
普段小説あんまり読まないので。
そして、ブログの更新がしたくなります。

文脈めちゃくちゃで、中身のなんにもない投稿であることは百も承知していますが、なんとなく書いておきたかったので、とりあえず記録。次はもう少し真面目に書きます。
とりあえず、生存確認っちゅうことで。

この頃の子どもたち

ウチの子ども達、娘は先日3歳に、息子もまもなく1歳になります。
二人とも毎日見ていて飽きないことをやってくれるのですが、本当に面白い。

■大きい方
3歳になった頃から、娘はトイレで大きな方ができるようになりました。
「始め」が痛いらしく、あまりやりたがらないのですが、一旦催すと一大イベントです。

■おかあさんと一緒のエンディング
普通「アーチを誰かに作ってもらって、そこをくぐる」ことをしたがるのだと思うのですが、ウチの娘はとかくアーチになりたがります。誰がそこをくぐるのか?誰もくぐらずリズムをとっているだけです。アーチの相手は私。

■優秀なランニングバック
息子は常にマイペース。誰の血をひいたんだ?ってくらい人のことを気にしません。
今日もイオンの遊び場で、小学生の子どもたちが暴れまわる中をヨチヨチと横断。
戦場を単身突っ走るランボーさながらな光景でした。男の子がぶつかったくらいではへこたれません。

そんな子どもたちと一緒にいられる時間のある週末が、今は何よりの癒しの時間だったりします。
・・・実際に一緒にいると、疲れてしまうのですがね(笑)。

2011年10月19日水曜日

久保憂希也『すべての日本人のための日本一やさしくて使える税金の本』ディスカヴァー21、2011。

国税庁を経て経営全般に関するコンサルティング会社を設立した著者による、税金の入門書。身近な消費税の本当の意味や所得税の仕組み、年末調整や確定申告はなぜ行うのか、といったことについて物語風にまとめられており、非常に読みやすい内容となっている。

自分がどのくらい税金を払っているのか、ということについて、実はよく知らないというのが読んでみるきっかけになりました。多分知らない税金払っているし、そもそもそんな中途半端な知識だから、報道で税金の増減に関するものを見ても自分の意見は無根拠になってしまう感覚から、もう少し勉強しないと、と思った次第です。

諸外国と比較して日本の税金は安いのか高いのか。そもそも税制の決定はどのようになされるのか。所得への課税と消費への課税とではどんな特徴があり、税制改革の論点はどのように整理されるのか。税金を通して考える「公平」の概念等、税金を知ることにより政策を読み解き、一人の日本人として正しい選択をするための基盤となる知識について簡潔にまとめられています。
所得税ならば、サラリーマンの経費として認められている「103万円」の給与所得控除であるとか、基礎控除の38万円など、課税所得を産出する計算式についても詳細に触れています。パート労働者の「130万円」の壁は社会保険の扶養に入るかどうかの線であるなど、関連する周辺部分に関しても生活に根ざした説明がされています。
消費税ならば、納税義務者は消費者ではなく事業者であるという大前提から、その算出方法、増税論議の中で取り上げられる「逆進性の問題」の内容など、具体例をあげながら紹介しています。

本当は中学校の社会科でやる内容なんだよなぁ、と思いつつ、でもほとんど覚えていないし、なるほど納得してしまう自分に少し情けなさを感じながらですが、面白く勉強させてもらいました。

緊急フォーラム パパが発信する“子どもの被ばく問題”

緊急フォーラム
パパが発信する“子どもの被ばく問題”
~パパ・ママ・家族は放射能とどう向き合えばいいのか?~
http://www.fathering.jp/activity/04.html

2011/10/11に参加してきました。
レポートもそろそろアップされるかと思いますが、内容をTwitter風にご紹介。

○開会挨拶
安藤氏
・放射能問題は母親視点で語られがち
・子育てに参加する父親から発信することを目的に開催するフォーラム

○基調講演1
瀬川氏
・高木学校:高木仁三郎の意志を継ぐ取り組みを展開
・その根底にあるのは、科学技術は本来一般市民がわかるものであるはずという「当たり前」のこと
・科学を市民の目で見る、「科学を市民が取り戻す」ための活動をしている
・本来そうあるべき、当たり前のものが、そうなっていない現状。
・原子力発電の問題は、
1大きすぎる熱量
2核分裂が止まっても熱を発し続ける
3放射性物質
・全部合わせると、原爆の10,000倍くらいの熱量になる
・見えない放射性物質が最も大きな問題
・200キロ以上はなれた首都圏でも確認される
・放射能をもった放射性物質がある/でる
・光源と光の関係=放射性物質と放射線
・光は人の表面で反射するが、放射線は通り抜ける
・放射性物質の量=ベクレル
・浴びる量=シーベルト
・100ミリシーベルト以下が基準
・250ミリシーベルト以上で急性症状が現れることもある(福島原発の作業者)。
・怖いのは急性症状だけでなく、晩発生障害(何年も後に症状があらわれる)
・CT検査で10ミリシーベルト
・放射線を浴びても痛くも熱くもないのに、なぜ内部被爆が起こるのか?
・人間の細胞は約60兆個
・細胞の核に含まれるDNAには初めの受精卵から受け継いでいる遺伝情報が含まれる。
・DNAは基本的にコピーされる。よって、60兆個ともDNAは同じ
・放射線は細胞核を貫き、DNAを切断してしまう。
・急性症状は一気にDNAが切断された状態
・DNAは修復するものの、コピーのエラーが起こってしまう
・放射線量が多ければ多いほど、破戒されるDNA量が増える=エラーが増える
・変異が増えていく、貯まっていく=ガンのメカニズムと同じ
・子どもの場合は、その影響が大きい
・放射線は「量に応じた影響がある。量に応じた対策が必要。どんなに少なくて
も影響は現れる」
・変異は細胞分裂が盛んなほど影響が大きい。
・よって、若ければ若いほど、細胞分裂があ盛んであればあるほど影響が大きい。
・チェルノブイリでは、子どもの高血圧や内分泌系が発生した追跡調査がある。
・原因不明のがん、体調不良が起こっている。
・被爆量を知ることが重要
・シーベルトの年間量は?
量×8760時間
・放射線量の減少は「半減期」を参考に
・1年間1ミリシーベルト以下に抑える
・対策は原発立地等の特別会計から捻出されている??


基調講演2
天笠氏(ジャーナリスト)
・今回ジャーナリズムのひどさが露呈された
・もう一つ残念なのは、忘れてしまうこと
・放射線問題を追い続けてきた。80年代から取り組んでいる。編集していた雑誌はなくなった
が、追い続けている。
・原爆と原発の仕組みは同じ
・核分裂の時に大量の熱と死の灰、中性子が2,3個飛び出す。
・中性子が次の核分裂を誘発する。
・核分裂連鎖反応=1000分の1秒単位の管理が必要
・チェルノブイリはこの(核分裂連鎖反応)コントロールミスによるもの
・よってコンピューター管理が必要で、電気がなければ話にならない
・以前原発で火災が起こったときに、原子炉を止めずに消火活動を行ったことがあった
・日本の原発は経済性を優先する傾向がある(再起動に時間がかかるため、運転停止に至らないことが多い)
・燃料棒2m×2cm径くらい
・燃料棒の中心部は2600度
・さやの融点は1900度(ジルカロイ)。燃料棒の温度に耐えられる物質がない。
・水蒸気により原子炉内の圧力が高まるため、それを抜く(ベント)必要がある。
・蒸発により燃料棒が露出し融解してしまう。溶けて原子炉下部に溜まる。
・ジルカロイが触媒の役割をしてしまい、水を酸素と水素に分けてしまう。
・その影響で水素爆発が起こる
・晩発性放射線障害=しきい値がないとされている
・被爆に応じてリスクは高まる(が、たばこの害と同じで、リスクは個人差があ
る)集団被爆線量という考え方。
・人・シーベルト、という単位
・1万人シーベルト=1万人が1ミリシーベルトを浴びた時のガンの死者数は、
最低値で100人
最高値で4255人 と推定されている
・DNAの中で働いている部分が「遺伝子」
・10ミリシーベルトの場合には、2%前後でガン患者が増加する試算がある
・自然状態でガン発生が2倍になる放射線量=倍加線量
胎児期は20ミリシーベルト
小児期でも200ミリシーベルト
成人期でも500ミリシーベルト
・暫定基準決定の不明瞭さ
食物の暫定基準値を引き上げると、出荷停止量を減らすことができる
・公的補償との兼ね合いか?
・暫定基準値(ヨウ素)の国際基準は100のところ日本では2000。
・輸入食品と食の安全。日本の消費者は、米の2倍もトウモロコシを消費している
・残留農薬、遺伝子組み替え、食品添加物の問題は輸入食品が引き起こしている
・食品添加物に含まれる不純物はチェックされていない
・添加物もカクテル化されている。添加物同士の化学反応は見過ごされている。
発ガン性物質が生成されている可能性あり
・電磁波と電離放射線(携帯電話と送電線など)は遺伝子を傷つけ、修復を阻害
する可能性がある。
・放射線障害は遺伝子を傷つける
・遺伝子が原因で起きる病気は1万種以上あるため、何が起こっているかわからない
・放射線被曝に特有な病気はない(老化のようなもの)


○パネルディスカッション

吉田:埼玉県でも状況がかなり異なる。三郷などはホットスポットとされている。
田嶋(欠席):ビデオメッセージ
6月~8月対策本部長として福島に駐在。心配なのは子どもと妊婦さん。不安
な状況は続いている。それぞれの家庭で納得のいく解決が必要。政府の対策とし
て引っ越せない人には、何らかの経済的補償が必要となる。安心して教育が受け
られるプログラムに関して予算化できたが、これで充分と思っていない。現在
チェルノブイリに出張。
上田:(江戸川区)
・母親からのメッセージ
・働きながら子育てするママ達の応援団
・勝間和代氏の「麦畑」の初期メンバー
・2007年から江戸川区議員
・3/12水素爆発のニュースを受け、子どもの屋外行事中止を申し入れるも、対応
はまちまち。
・江戸川子どもを守る会の立ち上げ、江戸川ママラボの活動
・母親としては「風評被害によるヒステリー」という見られ方に直面するが、学
習会を企画
・中部大学武田教授「こどもたちの未来のために」9/11
・母親としては、行政の温度差、夫の態度が感じられた。
・放射能の話をすると、夫婦喧嘩になる
・夫が自分勝手で妻が精神不安定に、という構図。
・「100ミリシーベルト以下は、政治哲学だ」との行政の姿勢
・父親としてできること、妻に向き合う
・除染とまでいかずとも、放射能問題にできることに取り組むこと
・インターネットがつなぐ新しい絆

安藤:
・福島の原発問題が引き金となり、夫婦仲が悪くなった知り合いもいる
・とんだ二次被害

上田:
・悪いのは旦那でも母親でもなく、東電
・できることは家の掃除
・男性は任務を与えると働く。ガイガーカウンターは顕著
・9/11参加者の男性構成は、現役よりもイクジイ世代

安藤:
・夫婦の温度差を埋めたいという思いもある

岩松:
・食品に含まれる放射性物質の表示がないので、安心して買えない。子どもに食
べさせられない。
・専門家としてではなく、父親としての悩み。
・カロリー表示はあるのに、ベクレル表示はない。なんで?
・選べない
・現在の日本の基準値乳児100は、国際基準の原発排水基準の90より高い。なんで?
・わからないならわからないと言って欲しいよね?
・右肩上がりは「わからないから」という説もある
・持論を語るのはいいけど、「基準はこうですよ」と言ってもらわないと困る。
・何が困るかというと、今日本がそれをやっている。
・基準値が様々な中で、どちらが正しいというつもりはないが、子どもにはより
安全なものを食べさせたい
・「わからないもの」は「わからない」と言ってください。事実がわからないなら。
・ベクレル表示してよという希望
・疑心暗鬼。数字の操作、グラフの操作、図りかた。
・学校、幼稚園、保育園で使う食材は、ベクレル表示のないものは使わないでほ
しい。

安藤:
・男性はデーターに反応するから、わかりやすい

吉田:
・ふつうに生活すると、感受性は弱くなってしまう
・生活者視点を如何に取り込むか

瀬川:
・岩松氏のプレゼンに間違ったところというのはないと思う。
・市民科学者を名乗る必要はないと思う
・市民は専門家と違っていい。自分にとって必要なことを知れればいい

天笠:
・食べ物を扱う団体に知り合いが多い
・自分の取り組みも、そういったところからの情報によるところが多い
・食品検査の依頼が多い。生協や産直など、食べ物にこだわってきた団体には検
査体制が整ってきている
・ただし、基準は難しい
・国の基準は仕方がないというのは共通している
・検査して数値を出す、というのは基本だと思う。
・子ども、子育て世代も大変だが、福島で農業をやっている人が大変。
・その支援になるかわからないが、数値を出すことは必要。
・農家は農業をやりたい。既に米作りは再開している。
・どうしたらいいか悩ましいところはある。

石川:
・FJ会員。福島から北海道に移住。一級建築士。
・事実を突きつけられた気分
・パパはITリテラシーを身につけて家族を守れ
・家を建てた家族の笑顔と、家を手放す家族の涙を見てきた。
・家を作るときには、予算面・金銭面もケアしないといけないという思いから、
6年前から活動を始めた。
・被災地から避難できる人とできない人とで分かれる
・住宅ローン支払い中でも貯蓄は大切ということを伝えてきた
・自分のクライアントはほとんど移住している。
・貯蓄があるから移住できる。
・7ヶ月たってわかってきたこと
・国内の情報はバイアスがかかっている
・リスク軽減は情報収集による
・1日に2時間くらいは情報収集にあてている。
・海外の情報と国内の情報は全く違う
・緊張感を保つために情報収集に時間を割いている
・関東、関西の方は無防備
・関西では、福島産の野菜を入荷するキャンペーンが行われている
・善意が健康被害となって現れる可能性がある
・「福島は安全」キャンペーンが張られている
・本当の情報を見抜くためには、見比べる必要がある
・東電や政府はパニックをおそれて情報隠蔽しているように思っているが、実は
政府や東電も「何が起こっているかわからない」のではないか?
・冷温停止のニュース映像は間違い
・意識的な汚染範囲(Googleより)東北の人は被災地のみ、関東では関東を除く
東日本、関西では関東以東、北海道は北海道を除く関東まで、東電は汚染地域な
し、政府は30キロ以内、海外は日本全部。
・汚染地域は日本全国のように思われる
・汚染や内部被爆に対し、なぜのんびりしているのか、というのが海外メディア
の大半を占めている
・今回の事故を経て、子どもに申し訳ない気持ちがある
・自分は逃げ切れても、子どもの世代にツケを残してしまった。健康被害だけで
なく、解決に向けた手だてを課題として残した。
・アスファルトにのこった放射性物質は、除染作業で高圧洗浄を10回やっても
30%しか減少しなかった

安藤:
・情報が如何に分断されている様子がよくわかる

Q1(フォロワー)
・小出氏の論は年齢別に基準値を定めて欲しいというもの
・年齢別に食べるものを選んでいくということについてどう考えるか

瀬川:
・ベクレルと産地を両方表示してほしいという意見が大半だと思う
・トレーサビリティが前提になるように思う。表示を詳細にして、選ぶのは個々
人の責任で。

天笠:
・年齢別の話題は危ういところがある。老人の施設に汚染食品をまわすという考
え方になりかねない
・単に年齢別に設定するという話にはなりにくい
・加工食品に関して、消費者庁が食品表示を一括する庁としてできた。食品表示
(JASや保健特定など)が一元化されることにより、新しい法律ができるとこ
ろ。加工食品の原料原産地表示が一つトピックになっている。

石川:
・ガレキ処理を分散するという発想は日本的。一カ所に閉じこめるしかない

岩松:
・横浜市は海に捨てようとした。市民がくい止めた経緯がある。耳を傾けること。

上田:
・政治が動かしていくことになってしまう。選挙で変えていくしかない。数です。

天笠:
・原発事故は必ず起きる。小さい事故は頻発している。ハインリッヒの法則。無
理なもの。原発は止めなければいけない。

瀬川:
・汚染地域から汚染物質を動かさないという論調もある。福島から東京に汚染物
質を持ってきて東京の人が避難するのがいいんじゃないか?東京のゴミが福島へ
行っている、東京が電気を使っている。福島の人に移住しろという前に東京の方
がいいんじゃないかと思うけれども、非現実的ですね。

安藤:
・わからないことはわからないという
・自分で判断できるための情報収集が求められる
・こういった中でも子育てをしなければならない
・子どもの笑顔、家族の笑顔のために。

2011年10月10日月曜日

小室叔恵『人生と仕事の段取り術』PHPビジネス新書、2010。

ワークライフバランスでおなじみ、小室氏のWLB入門書。目新しいアイデアが満載というわけではないけれども、具体的にワークライフバランスを考えて行動に移すときの手順や注意点の概要と、その効果が述べられている。
WLBの取り組みは具体的な行動が大切ではあるのだけれども、継続のためには本書で述べられているような哲学が必要になってくるように思います。
単に仕事を減らして楽して面白がる、ということではなくて、限られたパイ(時間)を可能な限り効率化して、アウトプットの質を落とさない、もしくはレバレッジを効かせて今まで以上の成果を生み出す。
こういった考えが根底にあって、はじめてWBLの取り組みは根付くのだと思う。この成果の部分を誰の目にも明らかなように示せるといいのになと思う。
WLBの取り組みに必要なのは、成果を誰の目にも明らかなように示すデータの提示と、働く人一人一人の意識改革(OS更新)になるのだと思う。小室氏の取り組みや、その周辺領域での取り組み(FJ含む)によって、明確なデータが示されることを真に願う。

2011年10月9日日曜日

自分を振り返って思うこと

この一年で、子どもが生まれ、震災が起こり、東京勤務も3年目になった。
埼玉に引っ越してきた頃に背負っていた様々な期待と不安。
今ではとてもシンプルになったように思う。

家族あっての人生、そして職業生活。
もともとネジが緩んでいたような出世欲は、完全にネジが外れてしまったように「どうでもよく」なってきた。
自分のキャリア形成を考えろと、人からは言われ続け、読む本には書いてある。
目指す自分から逆算して物事考えろとシャワーのように浴びせられるが、別にいいじゃないそんなもの。勤め人なんだからと、(自分にとっては)良くも(一般的には、人からみたら)悪くも開き直って重荷を置くことができたように思います。

偶然にも震災の難を逃れ、先日の台風もなんとなくかわし、休日には子守りをしている自分を振り返ると、別に目の前のことに全力で取り組む人生だっていいじゃない、2~3年スパンで物事考えて、積み重なったもので勝負すればいいじゃない、といった考えに至ることができたように思います。

「そんな行き当たりばったりでどうする?」と問われ、当時は本気で悩んだけど、今なら即答です。「別にそれでもいいじゃないですか」。
30過ぎたばかりで不惑に限りなく近づいてしまいました。
それも別に、悪くないんじゃないですか?

2011年9月26日月曜日

姫野友美『成功する人は缶コーヒを飲まない』講談社新書、2011年。

医学博士で心療内科医の姫野氏による、頭の働きと血糖値の変化、タンパク質との関係について論じた新書。
血糖値が下降するときに眠気を感じることであるとか、眠気を感じさせるほどの下降を生み出す糖分接種は身近にあふれていることなどをデータにより説明した上で、仕事の効率をあげるための昼食としてタンパク質中心の食事を提案しています。
個人的には、題名がもったいないと思いますが、それはさておき。
東京勤務になってから、昼食後の眠気がずっとネックになっていて、蕎麦食にしてみたりしているのですが、この本によるとかえって逆効果だったようです。もっと栄養価の高いものを効率よく接種した方が、仕事の効率もあがるかもしれない、と思った一冊でした。
早速今日からランチは工夫してみます。結果はまたこのブログで報告します。

2011年9月20日火曜日

正しい言葉遣い

男だから、女だからというわけではないのだけれども、某所で見知らぬ女性が同じテーブルについている男女を罵倒している場面に出くわした。この罵倒が、何かを叱り飛ばしているのであればまだ仕方がないのだろうけれども、どうもその女性は場を盛り上げようとしている様子も垣間見えて、少し見苦しかった。
場を盛り上げるのであれば、その集団が欲している情報を面白くアレンジして伝えるべきであって、 ただひたすら人を罵倒し続けることに、場を盛り上げる効果はないと思う。
人と話すことが多い今の職場ですが、自分の言葉遣いをいつも気にしながら、クライアントの言葉遣いというのは気になる。どんなにいいこと言っていても、やはり言葉遣いが間違っていたり、場にそぐわない使い方をされてしまうと、それが気になって真のメッセージが伝わりきらないと思う。
もったいないですね。
人の振り見て、我が振りなおせ。
私自身の言葉遣いは、常に見直し、時々棚卸ししないといけませんね。


2011年8月30日火曜日

ESET Internet Security

先日の投稿で、自宅のインターネット環境を変更したことをお知らせしました。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2011/08/blog-post.html
(2011年8月17日投稿)

これまでセキュリティソフトは、@niftyさんが提供していた「セキュリティ24」を利用していたのですが、プロバイダも変更(というか、ホワイトBBはプロバイダ契約がありません)になるのに伴い、「セキュリティ24」が利用できなくなるため、新しいセキュリティソフトの導入を検討していました。

プレインストールされていたMcAfeeを使うか、これまでずっとお世話になっていたNortonのソフトを使うか。
と、考えていたところ情報が入ってきたのがESET Internet Securityというソフト。
他の著名なソフトと比べて安価なのと、評判がいいことで試してみようと思い、購入。
現在使っていて、詳しい違いはわかりません。ただ、守られていない感がなく(スキャンできるし、時々ブロックがかかるサイトもある)、何よりも起動が早い。「セキュリティ24」もその前に使っていたNortonと比べて随分早いと思っていましたが、この軽さはネットブックユーザーにはかなり魅力的です。

パソコンそんなに詳しくないですが、軽いセキュリティソフトを探している方おられれば、一度試してみてはいかがでしょうか。




社会教育推進全国協議会に参加して考えたこと(1)


2011年8月28日に、社会教育推進全国協議会に参加してきました。
先の投稿で、私的なメモはアップしましたが、話の流れがつかめるようなメモではないので、先にお断りしておきます。公的なものへの引用も避けてください(発言の意図がどこまでつかめているか、自信がないので)。

今回の大会へ一部参加して感じたことはいくつかあります。
・市民が行政との協働など、「市民活動」を展開していくために身に付けるべきスキル
・一方で、行政の立場から市民との協働を事業化するために必要(と思われる)なこと
・「学習を保障する」ことがもたらす「よりよい生活を手に入れる」とは
いままでいろんなところで考えてきて、ようやく言葉にできそうなことです。

(1)協働事業の展開に関する考察
N-Pocket時代にも、私の本業の分野でも、その他様々な報告の場においても「協働(コラボレーション)」があたりまえのように語られるようになりました。私が学生の頃は「協働」と書くと古い方から赤ペンが入る時代だったのに。時代は変わるものです。
行政の事業は、何かのデーターに基づき、予算要求し予算化されて、人が配置され、事業としての活動が展開されます。例えば、○○センターが設置されるには、○○センターで行う活動があらかじめ決められており、そこに必要(と考えられる)なお金と人員が配置されて事業が行われるというものです。○○センターが実施することには、(信憑性はどうあれ)それが予算化される根拠があり、予算化のためのデーターが何らかの形(調査によるものであったり、研究による考察だったり)で示されていることになります。
話をわかりやすくするために、かなり単純化して説明しましたが、これが「行政事業の常識」です。
では、ここに市民が入り込んでいくために必要なことは何か、もう少し突っ込んだ話をすれば、市民活動が行政と協働していくために必要なことは何かということです。今回社全協に参加して痛感したのは、「行政の常識に沿いながら、自己主張する」スキルが必要だということです。
「□□チルドレン」と呼ばれる1年生議員さんがインタビューに答える場面で「素人ならではの新しい視点で意見していこうと思います」という回答を耳にすることがありました。賛否両論ある回答ですが、ここで問われていることと同じで、要は「意見を組み立てるスキル、すなわち官僚に『理解される』形で論を展開するスキル」がその人にあるかどうかで、この回答の賛否は問われるのだと思います。
思ったことを場に出す、言いたいことを言うだけでは「意見する」ことの半分しか満たせていません。相手の納得を引き出すためのデータをどう作り、どのように表現し、どんな場でどのタイミングで発するか、ということが問われているのではないでしょうか?
この議員と官僚の関係は、ほとんどそのまま市民と行政の協働関係の成否に置き換えられるものと思います。事業を受託するだけならここまで考えなくてもいいのですが、協働して新しい価値を生み出していく、新しい事業を展開して課題解決を図るという点においては、市民が身に付けるべきスキルを以下のように考えることができます。「行政の事業展開の根拠を知っている(知る情報源・収集手段を持っている)」「納得の得られるデータを作ることができる。または調査によって創ることができる」「具体的な現場を持っていることが望ましい」。
ここまで市民の側からの視点で考えてきた。では協働事業は市民の手によってのみ作られるのかというとそうではなく、主体は市民と行政双方にあるといえます。その際、行政の立場から協働事業に必要となるスキルは何なのか考えてみると、こんなことが思い浮かびました。「市民からの訴えのポイントをつかむ感受性」「市民に課題を語らせる・引き出すスキル(相談やデータの提出など)」といったところでしょう。まだあると思いますが、窓口レベルではこのあたりになるかと思います。
これらの土台があって、初めて市民-行政のコミュニケーションが噛み合い、お互いの強みを活かした協働事業が展開されるのではないでしょうか?協働事業を「行政が金を出し、市民が活動する」なんて乱暴な表現される方がいますが、この言葉はひょっとすると行政のことを理解しない市民からの一方的な行政批判にも聞こえてしまいます。そんな意識で信頼関係が構築されるとは思えませんし、信頼関係のない「協働」は成立しません。
コミュニケーションの重要性はよく指摘されますが、そのコミュニケーションが成立しているかどうかをクリアに指摘する言論にはあまり出会いません。具体的な活動をされている方にはきっと「あたりまえ」のことなのだろうと察しますが、近年行政機関に所属する立場となった私には、市民活動と行政との「常識の違い」が感じられて仕方がなくその理由が何なのか考え続けていました。今回の考察が、一つの着地点となり次のステップに上がる土台になると思ったので、文書でまとめてみました。
ご意見・ご感想などあれば、コメントやメールでお知らせください。

思いの他、長文になってしまったので、学習保障に関する考察は次回の投稿にします。

社会教育推進全国協議会 第5分科会 報告2


社会教育推進全国協議会
第5分科会
多文化共生・人権尊重をめざす

○CSN静岡 活動報告
・家庭訪問型の活動
・無償の活動(交通費等は、助成金、フリマなどから)
・支援報告
・(課題)支援先の減少。地震などにより母国へ帰ってしまう。新しい支援先を見つけられない。
・支援場所の考慮:家庭訪問だけではなく、学校や地域を「地域の居場所」として使っていく
・外国人学校への広報

Q:静岡に夜間中学校はあるか?
A:ない
 東京では夜間中学などが活動の場となっている。日本で35校しかない(自主夜間中学は20数校ある)。東京・大阪・広島が中心となっており、静岡にはない。

社会教育推進全国協議会 第5分科会 報告3


社会教育推進全国協議会
第5分科会
多文化共生・人権尊重をめざす

○「静岡女性史研究会」34年間のあゆみ(大塚佐枝美)
・様々な講師から、女性の歴史を学ぶ
・『しずおかの女たち』編集
・前期古墳時代には男女同権(発言力など)
・平安時代に私有財産の概念が生まれ、男性が武力・経済・政治を独占するようになった
・男女同姓になったのは、明治民法以降
・歴史を学び、歴史を変えることができることを知る
・「聞き書き」集が主な活動
・語る人の人生を、双方向で作り上げていく
・お互いの信頼感が必要。
・他人の人生に触れることで、自分の人生を豊かにする
・女性たちがどんな時代にどんなことをやってきたかを知る

Q:駅前の女性裸像が撤去されたが、現在の活動と関係があるのか?
A:駅前再開発の影響と思われる。活動の結果とは言いにくい。

社会教育推進全国協議会 第5分科会 報告4


社会教育推進全国協議会
第5分科会
多文化共生・人権尊重をめざす

○「あざれあ」誕生物語(林のぶ)
・「あざれあ」は3館目
・1館目は全国に先駆け、婦人会と行政が折半(2,500万円ずつ)
・第2館目は福祉会館の一部
・全面化粧(行政機関は基本全面のみ)を要求して
・林氏は元教員
・設立当時静岡駅周辺の土地を探すが、初めは不許可(県民の半分が使うようではだめ)
・これらの実現には、林氏が当セクションに籍をおいていたことが大きい
・立場を得ること、女性がポストを得ていくことが活動推進の原動力になる
・女性が社会参画していくには、家庭生活が安定していること
・研修室には、ハンガーと棚完備(柱が太い影響)女性が利用するときの荷物を奥場所を完備
・図書室は専門性の高いものを置いている。県内であれば、郵送対応をしている
・子ども室もガラス貼り。入ったら「帰りたくない」場所を作る(押入、カーテン貼り、暗いところ)ハシゴは垂直、など
・「あざれあ」は官立官営。現在は官立民営にしたかった。NPOあざれあ会議が運営。もともと思いのある女性が創ってきたものだから、思いを形にしたい。
・新たな担い手、活動の担い手が望まれる。場所は勝ち取った、今後は活動を新たなステージへ発展させていく
・女性リーダーの要請
・市町の支援

Q:ホールの車いす席は?
A:あるはず。確認。

Q:形が特殊。島根の施設に似ている、参考か?
A:静岡のSです。

社会教育推進全国協議会 第5分科会 話題提供


社会教育推進全国協議会
第5分科会
多文化共生・人権尊重をめざす

○障害者への差別を克服し、共生社会づくりを(W氏)
・「アイネットさがみはら」に月刊でコラム連載
・社会教育主事の資格所持
・総合的な学習の時間の開始時に、学校をサポートしたいということで活動を開始
・教員免許、福祉の免許を取得
・ガイドヘルパーの教科書、「障害者の心理」を中心に講義することもある
・神奈川県の教員採用試験に合格した
・2007年に国連の障害者権利条約署名。批准はまだしていない。2008年に発行しているが、日本はまだ加わっていない。
・神奈川県(教育委員会)も障害者雇用を進めることとなり、採用された。
・教育委員会は2%の法廷雇用率。10県あるかないか。
・ホーム転落事故の経験(肩幅程度のホーム幅)
・点字ブロックが敷けない
・なぜ事故が続くのか?これは人権問題ではないのか?死活問題だと思う
・講演の際には必ず入れるエピソード
・採用されたが、条件付き採用が現在は1年。
・3/11以降、免職になった。理由は「優秀ではない?」。7ヶ月もったが(往復4時間半かかる)過労と心労で倒れたことによる。

Q:目黒で自転車専用レーンを作る動きあり。白杖を折られる事故が多いと聞いている。人道を走る自転車をどう思うか。
A:怖いと思う。でも、乗ってみたいと思う。点字ブロックの上に自転車や看板が乗っていることがある。待ち合わせ場所になっていることも駅内である。都心部では多い。歩行する上でのバリアが多い。
ブロックの点と線、そもそもブロックの意味をもっと伝えていかなければならない。

社会教育推進全国協議会 第5分科会 分散会A


社会教育推進全国協議会
第5分科会
多文化共生・人権尊重をめざす
分散会A

司会:添田
・奈良県の特異性
・落ちこぼれた人から受け止める感受性
・浜松市の社会教育の基盤?相変わらず
・多文化子どもミュージカル
・多文化が接する場所、場面をプロデュースする プロデューサーの存在・ディレクターがいなければできない。
・プロデューサーをどう育てるかが、社会教育の使命
○藤田氏の説明
・(山口)日本語教育(識字教育)はどうなっているのか?教科書もない。
・(藤田)社会教育部局と文科省の所管が地域によって違う
・(山口)どこをどうしたら複雑怪奇なしくみを解決できるのか?
・(添田)厚労省は?
・(藤田)リーマン以降日系人のくくりで雇用対策に予算がついた。でも日本にいる外国人は日系人だけではない。中国帰国者はサポートがあるが。
・(渡邉)多文化共生教育について?
・(藤田)日本どドイツのしくみはよく似ている。日本で言う中国帰国者はドイツではロシアからの帰還者として制度の対象になっているなど。総合的な学習の時間には国際理解教育という名前で3F(food,fashion,festival)をやってきたが、現物に触れていないという意見もあった。海外で多文化教育といったときに、Special needs Educationの範疇の捉え方がポイントになる。障害は対象になるが、外国人は対象になりにくい。
・(山口)秋田県ではSpecial needs(特別支援)の枠で予算が使えていた。
・(藤田)「住民の幸せ」という考え方で括られていた。1人だと「我慢しなさい」になる。集住地域と過疎地域とではまた状況が違う
・(山口)例えば来日3ヶ月間、集中して集めて日本語を指導する。そうすれば学校の先生は悩まない。それでもやらない、この感覚がわからない。その子どもの発達段階、学習段階に応じた教育が受けられるしくみにした方がいいとみんなわかっているのにやらない。優れた経験を学ばないという感覚がある。韓国では大統領制だからトップダウンでしくみが代わりやすい。いい悪いはわからないけど。
・(チョン)大統領に権限があるため、社会のしくみが代わりやすい。多文化だけでない。農村で少子化が進んでいる。日本と同じ。労働者の政策は厳しいが、農村花嫁の部分は手厚い。ソウルの出生率は1を切っている。
・(藤田)韓国語話者を増やすということも言われている。一部では同化政策だと言われていることもある
・(山口)日本では来日者の言語能力は問わない。制限がない。ネパールでは、言語のテストをして健康診断して総数制限をかけているとのこと。不法就労者の支援で知ったこと。日本はどういう意図で外国人を入国させるのか?おそらく考えがない。どんな目的をどういうしくみで達成するのかを考えていかないと、このまま衰退してしまう。ドイツはドイツ語ができないと公立学校に入れない。
・(チョン)支援先がなくなった、有償化によるボランティアの衰退についてどうか。
・(高柳)集住でないので支援先のめどがない。今はサークル内でも支援に出ていないメンバーもいる
・(小出)先輩が市役所や小学校で宣伝したが、個人情報の問題が楯になってしまった。
・(添田)ボランティアはニーズがなくなれば、存在意義がなくなってしまう。行政事業なら切り捨ての対象。人脈を張り巡らせるのは、見えないニーズを掘り起こす共通した手段。

・communicationが足りない。受け止める感覚。
・意図をもってやるのは論外、わからないことによる不足(放っておかれてしまう)
・知らない間に失われていく人権
・聞こえない声を聞く?
・サラマンカ宣言Special needs
・ニーズを受け止めるしくみがあいまいになっている。カウンセリングのシステムが機能していない。
・市民の意見の仕方(いつまでに、誰に、理由を明確に)

社会教育推進全国協議会 第5分科会 全体会


社会教育推進全国協議会
第5分科会
多文化共生・人権尊重をめざす
全体会

報告
A:略
・いい実践はあるのに、政策・制度が足りないのではないかという指摘
・対策ないまま多文化共生を進めている
B:
・なぜ「あざれあ」なのか?
・知事の問題(いなかった?)
・静岡婦人文化新聞。中央の情報が伝わるしくみ
・全国レベルでの女性センターの展開
・指定管理者の問題。NPOが運営しているが、体制についても「私物化」。理事も幹部が決めてしまう。NPOとは何なのか、役割を意識できるトップが必要。
・指定管理者はそもそも行政の経費削減の議論から出てきたこと
・公がやることは、責任をもってやるべき
・福島の実態はつかみきれていないが、性差による役割分担が残る地域
・今こそ地域における学習活動の成果が活かされる時。
・稲取の学習をしてきたことが基盤?

○渡邉氏
・点字ブロックの点と線
・点は止まれ
・線は進め
・デザイン・景観の観点から黄色以外のものもある
・有人改札の側で「キンコン」
・鳴りっぱなしの場合もあるが、視覚障害者にとっては待ち合わせにうってつけだが、晴眼者が立っているのは問題
・ユニバーサルトイレの利用にも同じ

・当事者の意見を聞く=人権を担保する
・どういう努力をすべきか?
・バリアフリーの設備が浸透し過ぎて、身体が弱くなってしまっている?
・バリアを作って訓練する
・ユニバーサルデザインの根底にあるのは「人権」である。(UD国際会議@浜松)
・人権擁護委員会の選び方は各自治体でも安易。既にある制度をどう活かして、日本人の人権感覚を養っていくか。
・不安定な多文化共生では女性の人権が侵害されている
・何事にも「基本に返る」。ジェンダーも基本に座る問題

・有償化がボランティアを駆逐する
・公的な政策として出てきた場合には、事業ができる組織を育てている
・日本は市民社会を作ろうと思っていない
・お上が分配するしくみになっている。それに対抗する市民セクターをどう作るか、どう育てるか
・継続事業として立ち上げて、実績になってから行政が予算をつける
・ソーシャルビジネスの形で、少しでもお金を稼げる仕組みを作って立ち上げる必要がある
・日本では、市民活動を社会のどこに据えるのか 。ビジョンがない。
・政治的な感覚を戻していく教育が必要では?適切に怒る教育のような。すばらしい活動の中に怒る(批判する?)必要あり。

2011年8月29日月曜日

面倒なこと 夏休み編


FaceBookご利用のみなさまは、スポットの書き込みからIyokiyehaが実家に帰省していることを知っているかと思いますが、今週は帰省しているIyokiyehaです。

土曜日に、
埼玉→浜松→静岡
と移動し、友人の結婚式二次会(のんびりした、いい集まりでした)、夜遊び(友人とバー、一人でバー)、静岡泊。
日曜日は、静岡にて
社会教育推進全国協議会
http://japse.style.coocan.jp/info/
の全国大会の分科会部分だけ参加し、夕方から恩師、友人と一献。
浜松に帰り、ラーメン食べて帰宅。
月曜日は実家にて、元実家の片付け(ようやくメドがついた)、子守(上の娘担当)をしていました。
下の息子が熱出しているようなので、少し落ち着かないのですが、こちらはこちらで環境変わって落ち着かない&疲れている娘を何とかなだめすかすのに必死です(苦笑)。

週末はいろんな情報と刺激を受けてきたので、少しずつアウトプットしていきます。
ただ、まぁ子守付きなので、計画通りにはいかないと思っていてください。
齢32にもなると、いろいろ考えますな。

題名はここから。
実家に帰ってきて、甥っ子から「無線使えるよ」と聞いたので、早速設定。
自宅はADSLにしたので、やっぱり光回線は速い!と思っていたところですが、iTunesがインターネット接続できないことが発覚。ファイアーウォールに異常がないので、おそらくプロバイダのセキュリティだと思うのですが・・・
自分の理解の範疇超えたセキュリティってのも面倒ですね。

そんなことを考えた夜でした。
さて、夏休みだから早寝することにします。

2011年8月28日日曜日

One shot Ber Blue Label

昨日、友人に連れて行ってもらったお店。
ウィスキーの数がとにかく凄い。
正統派のウイスキーバー。

詳しいことは正直よくわかりませんが、出してもらったLaphroaigの味と香りの広がり方は、これまで飲んだウィスキーの比じゃなかったです。
私のようなシロウトには、シロウトなりの楽しみ方。
ウィスキーに詳しい玄人には、玄人の楽しみ方ができるお店かと思います。

少しお値段張るお店ですが、落ち着いて楽しめるバーでした。


DATA
○本店:
静岡市葵区昭和町3-2 アーバンビル6F
(隣接する2号店は、カジュアルな雰囲気とのこと)
TEL:054-273-5689
○銀座店:
東京都中央区銀座7-6-10 銀座花椿通りビル4F


JAZZ Bar DOTCOOL

このブログで紹介したと思っていたら、実は紹介していなかったお店。
「行きつけ」なんて言ってしまうとおこがましいですが、学生の頃毎週のように通い詰めて、大人になってからも静岡へ行くたびに寄るようになったお店。

昨日、友人の結婚式二次会の後、流れ流れて一人で飲みに行ってきました。
相変わらずの店内とマスター。
この人には頭が全く上がらないのですが、楽しい時間とごきげんな音楽を楽しんできました。

JAZZ Berというと、何か小難しい感じがする(らしい)のですが、いい音楽聴いて、おいしいお酒が飲みたい!という人にぴったりのお店です。
マスターの林さんは、ラジオのDJもされているとのこと。
バカっぱなしから、政治の話題まで、非常に幅広い話題で楽しめます。

料金は、チャージ1,300円、ドリンクは1杯500円くらいで、フードもいくつかあります。
ドリンクがリーズナブルなので、カクテルやウィスキーを3杯くらい飲める人なら、ごきげんな音楽代で十分おつりがきます。

静岡市にお住まいの方、是非おためしあれ。


DATA
〒420-0034
静岡市葵区常磐町1-5-4 パレスビル6F(玄南通り沿い)
TEL:054-273-3466


http://www2.tokai.or.jp/DOTCOOL/index.html

2011年8月21日日曜日

第3の道

何も難しいことではなく、要は「結論が出せない、という結論をとりあえず出しておくこと」と「善悪で測れないことを『自分の問題』として結論付ける」ということである。

数年前は「遺伝子組み換え食物」を食べるかどうか、今は「原発」を稼動させるべきかどうかである。
どちらも、私が声をあげたら何か国の方針に影響するかというと、何ともいえない。
ただ、「自分がどうしたいか」ということは自分の意見として人に伝えることができる。
その伝える場面でどうするか、ということである。

遺伝子組み換え食物は、積極的ではないけれども食べる。
原発は、まだわからない、です。

「しかたがない」という選択肢は、生活者にとっては多くの場面で使いがちなもの。
でも、その実がどうかということを、最近あまり考えてないなぁという実感が湧いてきました。

自分のこと、家族のこと、大切にするための知恵、いろんなことにもっと興味をもっていかないといけませんね。
自戒をこめて。


追記:メール投稿用のアドレスが変更になったらしく、ここ数回の更新が反映されていませんでした。マメにチェック入れていただいた奇特なみなさま(笑)、失礼しました。

2011年8月17日水曜日

インターネット環境

やっぱり今日は140円。昨日はなぜか100円でした。いやー、サービスかしらん?
自宅のインターネット環境を変えました。
SoftBankが展開している「ホワイトBB」に乗り換えです。
理由は、料金の安さが一番、NTTのフレッツは手続きがとにかく煩雑なのが二番。光からADSLに格下げですが、通信速度はそれほど変わらず。まぁ田舎ですから。
となると、料金の安さと手軽さで3ヶ月で元がとれるという試算の下切り替えです。
10年以上お世話になった@niftyさんも解約予定なので、昔からの私のアドレスを知っている方はGmailに切り替えてください。
それにともなって、セキュリティソフトも一新したのですが、その話題はまた後日。
http://post.ly/2txnq

2011年7月19日火曜日

こどもの語彙と伝えたい欲求

クールビズ対応とのことで、ステテコなるものを使い始めたIyokiyehaです。
ステテコといえば、トルネコ!
といって、通用するのは20代後半から、30代の男子ですね。
レベル37くらいでクリア!なんてのも通じるのでしょうか。

それはさておき。
久々のブログ単体での更新です。

最近気になること。
娘の言葉が達者になるのと比例して、かんしゃく起こすことも多くなりました。
人間の発達については、教育学の観点から専門家だったはずですが、身内となると学問的に深めようとしたくならないのが親としての性。
まぁ、察するに「伝えたいことが、うまく伝わっていない感じを受けてしまう」ことによるもどかしさが「イヤ!」という言葉には含まれているのではないかと思うところです。
きっと、もっともっと伝えたいことがあるんだろうなと感じるところはあれど、Iyokiyehaもやはり理屈で考えてしまう「大人」ですので、全て受け止められていないのだろうなと思うところです。

以上。
最近気になること、でした。

2011年7月18日月曜日

さよならSL

思い立ったので、愛車を下取りに出しました。購入は学生時代に遡り2000年だったから、カミさんよりも付き合いの長い単車でした。
静岡から浜松、岡山、甲府、富士見と転々としてきましたが、家族ができて通勤に使わないと、ここまで乗らないのだなと実感。かれこれ1年くらいエンジンかけていませんでした。

昨晩インターネットで、一括見積もりを出して、先程下取りの手続きが済んだので、どの業者さんも素早い対応です。
知らずに乗ってましたが、結構な人気車種だったようで、17万円ちょっとの値が付き正直びびりました。もうちょっと交渉すればもう少し高くなったのかもしれませんが、そういうことが嫌いですので2社さんの同時見積りで決めました。

車体をチェックして、なにやら端末に入力したと思ったら、二人とも携帯とにらめっこ。なんだか不思議な雰囲気でした。「この二人が携帯でやり取りしてて、談合されていたら面白いかも」なんてふとよぎりつつも、まぁそれならそれでしゃあないとも思いつつ。
値段の決め方は、この一発方式とセリ方式とあるらしく、セリの方は値段が段々上がっていくもの。個人的に、空気の読み方とか、そもそもの相場がわからない以上、私にとってセリに旨味はなく一発方式を採用。
いろいろ考えさせられたバイク下取りの舞台裏でした。

にしても、10年も愛用してきたものを手放すことには一抹の寂しさもあり。次のオーナーさんがいい人だといいなぁなんて思った一連のやりとりでした。私の20代の隣にいた相棒でした。いままでありがとうございました。

2011年7月13日水曜日

やっぱり私はSサイズ

マクドナルドで炭酸飲料が全サイズ100円になっている。
コーヒーを値上げしたからか?節電の影響か?どーせ飲料の値段なんてあってないようなものなのだろう?と、推測すればキリがないけれども、普段それ以上の値段がついているMサイズ、Lサイズはお得なのだろう。
私も、その恩恵を受けたいと思い、出張の合間や朝一番に意気込んでマックに入るのだけれども、最近は、
「Sサイズお願いします」
「かしこまりました。全サイズ100円ですが、よろしいですか?」
「Sでお願いします」
のやりとりが続いています。面の割れている鶯谷では、こちらの意図を汲んでか、このやりとりはなくなりました。

っていうか、量多くないですか?
意気込んでMサイズに挑戦したのですが、残念ながら撃沈で飲み残しです。あんなにのど渇いていたのに。
そんな私はSサイズ。100円マックと同じじゃん!と思いながらも、やっぱりおいしく飲んで、ちょうどいいところで満足したいものです。

2011年7月12日火曜日

節電とサービスのせめぎ合い?

東京都内はどこへ行っても節電に取り組んでいることのお知らせが貼ってある。私の職場も例外ない。
3月〜4月の計画停電の時期には「この夏は一体どうなってしまうのだろう」と心配していたものだが、慣れてしまえばこんなものかと思うようになった。ただ、それも「今」もしくはもう少し節電するようになる程度が維持されたら、という条件付きになってしまうあたり、東京で働く人間になったなぁと、考えさせられる。
野外活動やっていた頃は、昼間は汗かいて当たり前、シャワー浴びてさっぱりすればいいと思っていたのだけれども、スーツ着て働くようになったら、そうもいかず。ただ、汗かきな体質は変わらないので、いつも汗びっしょりです。室内でも同じ。あまり快適ではない。
15%の削減、が一般的になっている。今この書き込みをしている鶯谷マックにみお「15%削減」のお知らせがあって、頑張ってるんだなぁと。ざっくり計算すると、7日間の内、丸1日がゼロにできれば達成できるくらいの目標。24時間営業のお店では、削減するポイントはたくさんあるのだろうが、どの企業、建物も工夫している。

電車で体調不良者による遅れが気になるようになってきた。やっぱり通勤電車は環境的にイマイチなのだろう。身体のメンテナンスだけは欠かさないように、暑い時期を乗り切っていきたいものです。

2011年7月11日月曜日

どうでもいいことですが

意外とおいしいのですが、俺は食べちゃいかんのかなぁ。

2011年7月9日土曜日

発熱ラッシュ!

昨日、仕事中に飛び込んできたメール。
「S(息子)が39度の熱あるので、早く帰れる?」
おっけー、今晩は浦和にてさいパパ(埼玉県での子育て団体みたいなものです)の集まりがあったのだけれども、そういうことなら仕方ない、ということで浦和行きはキャンセル。残業もそこそこに仕事は持ち帰り、さっさと岐路に着きました。

ぐったりした息子。
いつもなら、私の顔を見るなり調子のいい笑顔を見せて、風呂に入るくらいから大泣きして、挙げ句の果てには私が抱っこすると、この世の終わりのような泣き方をするくせに、昨日はぐったり。何だか張り合いのない晩でしたよ。不思議なものです。

夜中、娘が急にぐずりだし「おとーさん、いやー!」と言い出す。
そりゃねぇだろう、と心中穏やかではなかったのだけれども、急な嘔吐もあってばたばたと。時々咳き込んで吐くことがある子なので、それほど心配はせず。
ただ、吐いた場所が、娘の布団と私の布団の境で、私が寝るときに使っているムートンマットが汚染されてしまいました。クリーニング代が高く、あまりクリーニングに出せなかったのですが、強制的にクリーニング行きとなり、まぁどっこいな結果に。

と思いきや、娘は今朝から機嫌が悪くかつあまり元気がない。昼食はおいしいうどん屋でテンションも上がったのだけれども、帰宅後ぐったりして元気がない。熱を測ると39度を超える。
すぐに病院へ連れて行く。まぁ、原因はわからなけれども、抗生剤と熱冷ましをもらい、今に至ります。
夕食時はもう、ぐったりした娘。
ヨーグルトと、妻の作った野菜スープを少し口にし、薬はリンゴジュースに混ぜて飲ませました。清拭時には暴れましたが、まぁ致し方なし。

妻も私もちょっと疲れた週末です。おまけにきっかけだった息子は、構ってもらえずに不機嫌。今日は父親といつものようにバトってます(笑)。
持ち帰りの仕事?なんだそれ、って感じです。まぁ、後は野となれ山となれ。

2011年7月4日月曜日

言葉ではない、ちょっとしたやりとり

山手線駒込駅で駅員している若い男性(私よりも若いかと)のキビキビした動きに、感心する。職業人として鏡ですな。
行きつけのマクドナルド(内容により、店舗は伏せます)にて、コーヒーの割引券を出して、朝のコーヒーを100円で買うのですが、ローテーションで時々接客してくれる、…どこの国の人かな?アジア系の若い店員さんが「次もまた使ってください」とクーポンを差し戻す。一瞬、よくわからなくなるのだけれども、「いいんですか?」みたいな顔をすると、ウインクが返ってきました。
いやぁ、素敵ですね。クーポンの取り扱いがどうなっているのか、私にはさっぱりわかりませんが、ちょっとしたこういうやりとりって癒されますね。

2011年6月27日月曜日

ドラマ「仁」

昨日はTBSのドラマ「仁 ーJIN」の最終回でした。とても面白いドラマでしたね。現代に生きる医師が、江戸時代にタイムスリップして歴史上の人物と出会い、その生き方に触れ、歴史を変えてしまうことへの恐怖と脳腫瘍の痛みに苦しみつつ、医師として生きること、人のために生きることに気づき、歴史に足跡を築いていくお話です(ここまででは、ネタバレではないですね)。

タイムスリップという、現実離れした背景がありながらも、シナリオそのものに「まぁドラマだからね」で済まされてしまうような雑さがなく、歴史に触れることに対して論理的にも大きな矛盾ない、見応えのあるお話でした。
物語の随所に幾重にも張り巡らされた複線についても、最終回まで見破ることができないものもあり、それも「続きが見たい!」と強く思えてしまうしかけだったように思います。結構視聴率もよかったのではないでしょうか?

セブン−イレブンがコラボ商品をいくつか出しています。アンドーナツは試しましたが、ドラマに出てきたアイテムがこういった商品になってしまうことについても、従来のドラマとは少し違うのかなと思わせられました。

まだ見ていない方にはおすすめのドラマです。DVDも早々と発売されるようです。これからの方は、是非第1章からご覧ください。おすすめです。

2011年6月19日日曜日

トリカゴの中で、降りかかる火の粉を払えるようになる

当面の目標かな。

ひょんなことで、退職された方とメールのやりとりをしていて浮かんできたこと。
窮屈と感じるのであれば、窮屈を感じる仕組みと、その論理を身につけて、その上で取り組みを解放していかないと、外野で大声出している人と何も変わらないなと感じています。
今、ここで飛び出しても、経験は何も活きてこないだろうと、踏みとどまる。
降りかかる火の粉を払うためには、払えるだけの技術が必要なわけで、それがなければいざというときの隠し玉も、大したものではなくなってしまいます。スキルがあって初めて自分の考えを環境に反映させることができるという単純なことを改めて感じています。

読書は再開する。限られた時間の中でいろんなことに挑戦するなど、準備はしつつ、適切なスキルを学び、来るべき時に備える。私のキャリアもまだまだ可能性に満ちているわけですから。
腐らず、前向きに。さて、32歳はまた楽しくなってきました。

佐々木常夫『働く君に贈る25の言葉』WAVE出版、2010年。

東レ経営研究所特別顧問佐々木常夫氏による、先輩サラリーマンから後輩サラリーマンへ贈るメッセージ集。

困ったときには、原点に返れ。
困ったときには、歴史に学べ。
困ったときが、自分を磨きなすチャンス
いろんなことをいろんな人が語るわけだけれども、サラリーマンとして勤め上げた人の言葉ゆえに、組織人として働く私にも響く内容が多かった。

障害のある子と精神疾患に苦しむ妻を支えながら、職場では成果を出し続けた佐々木氏の言葉に一貫していると感じたのは、生活者としての自分と職業人としての自分は切り離せないものであるということと、 物事の本質に近づく取り組みをすること、そして(自分自身を含めた)人を大切にする・愛すること。サラリーマンとして大切なことは、そのほとんどが人として、社会人として大切なことであり、限りあるコト・モノ・ジカンを如何に「幸せになる」ために使うかということだと感じた。

明快な言葉の中に、大切なメッセージがいくつも織り込まれている読み物でした。しばらくしたら、もう一度読み返したい本です。

2011年6月9日木曜日

ストレスサインかいな?

山梨勤務時代は、出勤前のジョギングと木刀振りで、その日の体調が結構わかっていたのですが、毎日の運動習慣がなくなってしまった今では、家を出て電車に乗らないとわからなくなってしまうものです。
電車で、いいポジションがとれた時にはPODCASTの内容もよくわかりますし、英語の勉強もまぁそこそこ進むのですが、そうでないときはひどい。痴漢の容疑者だけにはならまいと、つり革をもった手に頭を預けて、結構アクロバティックな格好で意識が飛んでいることもしばしば。以前、油断して前の人に頭突きかましてしまった苦い思い出があるので(あの時のサラリーマンはやさしい方でよかった・・・)。

今週に入ってから、子ども達が「勝手にサマータイム」やり始めたというのは、先日の投稿内容ですが、昨日・今日は少しマシですね。
とはいえ、夜中の3時頃に目が覚めるというか、朝一番の工程(窓開けて、水飲んで)をやりはじめてしまうのは、今日もありました。気づくと、シャワー浴びようとしてるの。いやいやいやいや、まだ2時間寝れますから!私はまだ寝たいから!と心の中で叫びつつ、再度床に着きます。何か、このパターンはもう1週間くらいだな。寝苦しいのか、それともストレスなのか?
まぁ、前者であることを祈ります。

2011年6月7日火曜日

サマータイム導入?

東京勤務になってから、私は(大体)5:30に起床するのだけれども、最近子どもたちが政府の要請に応じたのか、6:00頃起床するようになった。
これまで7時とか遅いときには8時に起きていたようで、朝に弱いカミさんのリズムに合っていたのだけれども、それが変わってしまったようです。

おそらく、暑くなってきたことから、寝苦しくなって早起きになってしまったと考えるところだけれども、6月になってちょうどくらいだから、面白いものですね。私は出勤前に子どもの顔が見れていいですが、カミさん大丈夫だろうか。。

2011年6月1日水曜日

110531近況

仕事のモチベーションが下がっているから体調が悪いのか、体調があまりよくないのでモチベーションが下がっているのか、天気が悪いからイマイチな気分なのか、原因は特定できていないのだけれども、いろんなことにあまりやる気がない。

週末になるとホッとしてしまうあたり、精神状態はあまり良好じゃないのだろうなと思う。何だか窮屈だ。

32歳を迎えて、目標の見直しもなかなかできていないままずるずる来ているけれども、年初とはやはり違う気持ちになっているようにも思う。実感を伴ったキャリアの棚卸しがようやくできてきたことと、肩書きと本音のギャップなんかが、きっとやる気がないという形で表面化しているのだろうと思う。

本業以外のところでの活動は、少し積極的になってきているのだけれども、こっちは動きながら考えるしかないかな。少なくともみんなに迷惑かけないようにしなきゃ、という最低限のモチベーションは維持できている。

自身のキャリアはさておき、身体のこと、家族のことをよく考えたときに、選択すべき優先順位とは一体何か。
答えは出てるんだよね。後は一歩踏み出すためのちょっとした勇気だけです。

2011年5月31日火曜日

いつものように

最寄り駅の改札を出て、左へ。
駅を出て線路沿いを歩くと駐輪場がある。二階へ登って、63番。

…ない。
自転車がないんです。

二度見ってこういう時にするんですね。
それで、ふと思い出す。今朝はバスだった。

習慣って、 自動的に動いてしまうのですね。気をつけようっと。

2011年5月29日日曜日

片頭痛の検査

Iyokiyehaと接点のある方の多くは、私の片頭痛のことをご存知の方もおられると思いますが、昨年、今年と症状がひどくなってきているように思ったので、頭痛外来にかかってみました。

結論は、脳に異常なし。おそらく水分の圧が影響しているのでしょう、ということで漢方を処方されました。

検査は問診とMRIでした。
物々しい機械に横たわって、断面図を撮ること約30分。
土曜日の午前中だったこともあり、すっかり寝てしまいました。

再度の問診時、MRI画像を見ながら説明してくれたのですが、立体に血管が映し出され、腫瘍や梗塞もなく非常にきれいらしいです。

そんなこともあった週末でした。
MRIは初体験だったので、メモを兼ねての投稿でした。
オチはありません。

2011年5月26日木曜日

ふりかえり。ロジカルに考えること。

いろんな勉強をしているつもりで、意外と身になっていなかったなと反省する出来事が、ここ最近続いていてストレスフルになっていたようです。確実に体力は落ちている実感があるのに、身体症状に関してはやはり敏感で、今週に入ってからは、口内炎と肩こりに悩まされていました。
っていうか、(今更ですが)日本語下手ですね、私。
Blogを始めてから、書くことのトレーニングを兼ねて、なるべく日常の出来事や日々考えることを文章化してきたところですが、文章を構成する間もなくガッと書いてそのままアップしていたので、自分の書いたものを振り返る間もありませんでした。
結果、やはりここ1年くらいの文章は、改めて読むには耐えかねる構成になっているなぁと思うところです。
その上、英語なんか書き始めたから、どうしようもないですね。
学生の頃も、そんなに書けたわけではないと自覚しています。そもそも、文章を書くことそのものについてのトレーニングを受けてきたと思っていたのですが、残念ながら私自身の中で整理しきれていなかったようです。最近では、自分の書いた文章の校正をうまく入れられなくなってきました。
この状況については、冒頭のストレスフルな生活からくる慢性疲労とも関連していそうなので、睡眠時間が確保されるようになれば、もう少しマシになるのかもしれないですが、文章やコミュニケーションの構成力、経験を表現する、思いをロジカルに描く、相手に期待する反応を構成する、といった場合の「スキル」については、目下課題になっています。
相手の言ったことを、バカ正直になぞるだけじゃ、いい仕事はできないんですね。
当たり前のことで、言葉の上では十分に理解していたつもりですが、ここのところ現行不一致となっていることに薄々気づきながら、人から強烈に指摘されてしまったので、嫌がおうでも向き合わざるを得なくなりました。
勉強の成果が、3ヶ月以内にでることを目標とします。「おっ、少し変わったな」とコメントいただけなくても思ってもらえるよう、必死になってみます。

2011年5月17日火曜日

ハッピーバースデートゥミー

寂しげな題名ですが、別に寂しくないです。

32歳になりました。
毎年言っているような気もしますが、今までお世話になった方、ありがとうございます。これから出会う方、よろしくお願いします。

いつも、誕生日の時期になると、年始の目標を見直すのですが、今日は平日なので、週末の作業にします。仕事の面で、目下大きな課題が出てきていることもあるし、ちょうどいい見直しになりそうです。

まぁ、月並みですが、家族がいて、みんな元気で、ご飯がおいしい生活っていうのは、ふりかえるとすごく贅沢な時間なのだと、あらためて感じたところです。目の前のことに、つい目一杯になってしまいがちですが、こんな機会にでも自分の生活を見直すことって有意義なんですね。足元の幸せに気づけるというか。

ほのぼのした32歳です。
ひとつおっさんになりましたが、ひとつどうぞよろしくお願いします。

ちょっとしたサービス

ご存知の方も多いかもしれませんが、東京ディズニーリゾートのホテルのベルマンの方でしょうか、電車に向かって手を振ってくれるのですね。
仕事で京葉線を使う機会があり、何気なく外を見ていたら見かけた光景なのですが、何だかほのぼのとしていいなぁと思った出来事でした。

こういうことって、本当にちょっとしたことだし、うがった見方をすればマニュアルに記載されているからやっているのかもしれないけれども、とはいってもあの場でだらしのない姿勢で漫然と仕事をしているのを電車から見かけたら、いざ利用したときに素敵なサービスを受けたとしても、やはり見え方が違ってしまうのでしょう。

本当にちょっとしたことですが、そのちょっとしたことがある人の気持ちを穏やかにする、ということがあるならば、まさにこのベルさんのちょっとしたサービスがそういうことになるのでしょう。
私自身の勤務中の態度や身だしなみも、気を配らないといけませんね。

2011年5月16日月曜日

What is "good service".

There is this idea that business continuity is the best way of good service.
I want to say "This is correct!", but on the other hand "I don't understand".
英語で書くことが難しく、問いを発したところで頭から煙が出てきました(ぷしゅー)。
最近よく考えて行き詰まっていることに、自分の仕事のベクトルをどういった方向に向けていったらいいのかということがあります。
平たく言えば「いいサービスってなんだろな」ってことです。
目の前の案件、目の前にいる人に対して、丁寧にニーズを確認して、ニーズに沿ったサービスを組み立てて提供し、その上で効果測定、次のアセスメントへと好循環を作っていくことが、見た目もわかりやすい「質のいいサービス」なのでしょう。
一方で、上記サービスを継続して実施するための基盤を守ることも、間接的に「いいサービス」を生み出す基になっていることも事実です。
私が所属する法人は、独立行政法人の形をとっている以上、事業継続を視野に入れた事業展開をしていかなければならないわけです。
その意義はわかっているつもりです。そして、入社して7年目で、第一線を離れたことがない(事務系の経験がなく、常に現場にいる)ので、少し考えが偏っているのかもしれないです。
ただ、第一線でクライアントから求められることと、事業継続のための取り組みに差があるような気がしていて、この点が私自身の業務の方向性をわかりにくくしているのではないかと最近思っています。
業務のやり方も、もう少し工夫の余地があると思うし、組織の全体が見えていないからこそ、内側から何を求められているのかよくわからない、といった場面に最近よく出くわします。
こういった状況に対応していかなければならないのだろうなと思う反面、ここにきて「全く見えない敵」と戦っているような気もしていて、ちょっと参っています。
考えているメモでした。
リハビリは順調ですので大丈夫です。
私の職業生活上のターニングポイントかもしれませんね。
まぁ、焦らず、気張らず。

2011年5月15日日曜日

リハビリ

うつっぽい状態に片足踏み入れていた時期だったのでしょう。
私にしては、珍しく後ろ向きな考え方が取り付いて、転職するための取り組みを少し初めていたのが連休明けてすぐの状態でした。
そこに、コンコンとミスが続き、すっかり意気消沈してしまっていました。
はい、もう大丈夫です。
昨日、子どもをカミさんに任せて2時間程寝室でゴロゴロ。
いろんなことをぐだぐだ考えながら、やっぱり後ろ向きになってしまって、もやもやと考えが四散していることに気づいてしまったので、浮かぶことに全て○をつけて、前向きに捉えなおしたところでした。
新しくマインドセットしたので、まぁしばらくいろいろ残務処理があるでしょうが、多分大丈夫でしょう。二週間くらい乗り切れば、おそらく今までよりも図太い自分に出会えると思うと、ちょっとだけ楽しみです。
安易に外罰化せず、やるべきことはやる。
人より遅くても前進する。
ふりむいてへこむくらいなら、足りない頭で考える。
まぁありきたりですが、とりあえず次の目標は4年後。
上の娘が小学校に入学する時かなと思っています。
後は、自分の親の健康状態ですね。
仕事は、もう少しだけ置かれた立場にプライドをもってやってみるとします。

110512心のケア・PTSDフォーラム2

@日本財団

4.PTSDサバイバーから支援へ(百世氏)
・PTSDの実際
・よく聞くけど、よく知られていない
・自身の経験(詳細は資料)
・自分のPTSDと娘のPTSDのケアをしなければならない経験
・経験を伝えることで、震災支援をする
・PTSDの3大徴候
・(1)フラッシュバック:思い出したくないのに、心に張り付いてしまい、嫌でも思い出す。思い出すきっかけ・モノを「トリガー」という
・(2)過覚醒:非常ベルが鳴り続けているような状態。常に防御・臨戦モード
・(3)回避・麻痺:脳が自分を守るために、記憶を閉じこめてしまったり、感覚を閉じこめてしまう。感覚が鈍くなる。自分を守ることに、エネルギーを使ってしまうため、感覚を動かすことに回らなくなる
・上記は自分を守る「本能的な反応」
・詳しくは「パパスイッチ」へ
・症状は資料へ
・近年の研究では、PTSD患者の脳に傷や穴があく事例が報告されている
・原因を取り除くことが大切
・欠損が生じても、運動や栄養管理で回復する報告もある
・外部からの大きな力によって引き起こされる
・(その人にとって)大きな被害体験「無力感」「喪失感」「孤独感」
・表面上は明るく見えていても、根底には上記感情が渦巻いている
・「心の変化」が起こる
・怒りは恐怖のフタがとれてから
・危機状態では、自分の身を守ることにエネルギーが費やされる
・時差がある(数ヶ月単位でも)
・6ヶ月くらい後になって怒りが現れることもある
・「怒り」といっても、何だかわからない感情
・細胞が怒っている感じ
・怒ったり、泣いたりすることができないためにため込んでしまったもの
・単純性、複雑性の2つのPTSD
・二次被害への対応。ひどい目にあったのに、更に責められてしまう
・PTSDは本人も何がなんだかわからない状態、身体症状
・本人も周囲も何が起こっているかわからない
・快復へのステップ:安全な場所の確保とトリガーへの配慮が重要
(周囲の人の配慮)
・怖がっていいんですよ、という受け止め方。子どもには「いいよ」という許可
・吐き出し。一般的な大人には「話を聞く」こと
・子どもの津波ごっこは、自分に起こったことを確認していることも
・明日を感じられることが大切
・身体と心は結びついている。梅干しはすっぱい
・記憶を消すのではなく、塗り替えていくワークショップ
・視野狭窄の状態から、前向きに

5.体験談(西村氏)
・音楽活動
・人の期待に生きていた
・自分らしく生きていないというストレスからうつになった
・大好きだったアースウィンド。腰を振って踊っていたが、うつの時には感動しなかった
・屍のような状態に
・何かで埋めないともたない
・上記はふりかえってみて気づいたこと
・土日には、子どもに対して歌う活動をしていた
・宮地氏の治療で快復へ
・患者さんが「自分で治すんです」自分で治せる力があるんです
・病院へ行くと、マッサージしてくれる
・入浴指導
・枕の指導
・心の問題を、身体をほぐすことで治していく
・身体がよくなってくると、「導き」があった
・選択肢を広げる相談
・「今週どんないいことがありますか」
・いろんなことを、いい方向に向けていくような取り組み
・「仕事を辞めたいけど、妻にどう言ったらいいかわからない」に対して「奥さんに言う必要あるんですか?」と軽く
・翌週「先生、辞めてきました」「奥さんは知ってるんですか?」(驚)
・あなたの人生、を強調してくれた
・「バラの花が咲いたよ」
・自分のミッションに生きることが、うつの快復になる
・自己肯定感が、快復につながっていく

6.QA
Q1静岡の方。子どもをなくすこと=母親のつらいこと。子どもをなくした母親に対してできることは?
A1−1(百世)グリーフケアの範疇。傷つける、避けた方がいい言葉「もうかえってこない」「しっかりしなきゃ」「忘れて」は言わない方がいい。「やるべきことはやっている」認めることや、「あなたのせいではない」自責感情を取り除いていく、「その方はあなたの中に生きていますよ」
A1−2(宮地)死生観の話(講演の中)と関連する。何かをしてあげようとすると、その人のペースでなくなってしまう。いいか悪いかではなく、自分が・その人が笑顔になる関わり方を考える。まずは自分の笑顔から。

Q2歯科技工士。被災地で入れ歯の洗浄をしてきた。3日間で70人くらい。方言がキツく、作業しながらだと聞き取れず、わからないという感情が伝わってしまい、話をやめてしまう。感情が高ぶって泣いたりふるえたりした方に対して。興味のある人が遠巻きに見ているが、声をかけると「大丈夫だから、きれいだから」といわれてしまう。
A2-11点目のみ。現地コーディネーターに来てもらって通訳してもらった(わからないから)。
「所詮・・・」と思わせてしまった。
避難所の方にフィードバックしていく。
A2-2泣くことはいいこと。泣く手伝いができたと思う。「大変でしたね」といった声かけ。
A2-3言葉のコミュニケーションについては、自分の笑顔が大事。
泣いたり、怒ったりは、その手伝いができたということ。感情を決めるのは相手。怒らせてしまったら、自分を責めずにごめんなさい。
自分の得意技をプレゼントする。そこで満たされていく。それ以外のところは無理せず。
Q3接骨院をしている。整体でボランティアを考えている。フォーラム内で自分の気持ちが高ぶってしまっている。自分の感情がコントロールできるのか心配。
A3-1一緒に泣くのもいいんじゃないか。外部の人が来て泣くことで、泣くきっかけになるかもしれない。
A3-2行くまでに、自分の傷を埋めておく。
A3-3案外普通だったりもする。悲惨な場所に行く、と構えない方がいいかもしれない。
東北の子はのびやか。毎日が夏休みみたいな感じで、群れ遊びをしている。
ミッションが終わったら、仲間と盛り上がりながら、楽しくできるしかけがあった方がいい。

Q4現地が割とさばさばしているとの話を聞いた。ニュースを見て・聞いて泣いてしまう自分がいる。感情をどう処理したらいいのか?
A4-1泣いていいんじゃないですか?共感能力のある人が泣ける。
A4-2情報が足りないからそうなるのかもしれない。行くと中和されるかもしれない。ミッションに生きることで快復する。

Q5Webで支援しているが、 現場で現状をWebにあげられるのか。Tweeterは使えるのか。
A5-1避難所にインターネット無料コーナーがある。重要な情報は発信した方がいい。#PTSD_jp

Q6ボランティアのフォローでボランティアに行く。初めてのボランティアで、初めての人と接する活動になる。衝撃もあるだろうが、笑顔で活動するための支援策はあるか?
A6-1顔見知りでない人がチームを組む時に重要なのは、ミッションステートメント。安藤氏がやったことは、Tシャツづくり(キャラバン隊)。チームとしての一体感を保つ上で有効だったように思う。船頭がどう旗を振るか、いかに無理をさせないようにするか。現場に行くと「やりたがる」が抑えること(マネジメント)も必要。
A6-2アンカーとしてもTシャツは有効だった。

110512心のケア・PTSDフォーラム1

@日本財団

代表挨拶
・沢登(さわと)うつ専門カウンセラー
・百世(ももせ)PTSDケアワーカー
・宮島(みやじま)精神科医・湯島
・西村(にしむら)音楽療法士

1.被災地支援プロジェクト報告
 被災地の現状と子どもたち。求められるボランティアスキル(安藤氏)

・被災地に4回、12避難所での活動を実施
・どこも一様ではない。様子、規模、状態
・様々な活動(歌、バルーンアート、読み聞かせ)を実施
・写真に写っているのは、活動に参加できる子。カメラを向けられない子も少なくない
・バルーンアートは、お父さんに教える。続けて楽しめる。
・避難所で花見の大宴会も見られた(5月初)
・思い詰めた母親。ママメンバーがマッサージしながら話をきいた。(子どもはパパメンバーがあやしていた)
・人形劇、マジック。まとわりついてくる子どもたち。ピアノ演奏。
・震災により父子家庭になってしまった父親。同じ様な境遇の父親をサポートするサークル立ち上げたとの報道。
・フレンチトースト基金の流れ。FJとして会いに行った
・どんな課題がでてくるのかわからないとのこと
・仮設住宅に入ってから出てくるものもある
・「頑張ろう!」ではなく、「顔晴(がんば)ろう!」
・立脚点がない状態では頑張れない
・笑顔で
・「いまの大変」だけでなく、「ずっと先の大変」も一緒に考える
・末永い「大変」
・例えば、絵本は送られてくるが、読まれていない。被災地ボランティアでやったことは絵本の整理(安藤氏は元書店員)
・友達になる(一生の)
(求められるボランティアスキル)
・自分で行く(ラテン語=bolo=志願者)
・健康である
・指示待ちせず自分で動く
・コミュニケーションが上手
・フレキシビリティがある
・視野が広い(目の前にいる子だけじゃない)
・無理しない
・与えるではなく、寄り添う
・約束を守る
・自分らしく
・笑顔がいい

・子どもの笑顔は親の希望=生き甲斐
・10代の若者へのアプローチ

2.宮島Dr.
・自分の回復方法、周りの人の関わり方
・PTSDの3徴候(百世氏資料へ)
・震災から1ヶ月くらいは「急性ストレス反応」と呼ばれる
・異常な事態への正常な反応(異常な反応ではない)
・医師の処方は、自分に必要なものか、求めているものか考える
・1ヶ月経った時点で3徴候があれば、診断となる
・一部の反応でも診断は出せてしまうので、診断名にこだわらないことが大切
・半数程度は症状が続いていく
・長い人は何年、何十年も続く
・PTSD患者は心拍数が高い
・アルコール依存などの合併もある
・上記状況はヒント。その人の生き方に過度なストレスはないか
・症状に対して、服薬に頼ると、交感神経に対する耐性を作ってしまうこともある
・まず呼吸を整えてみてください
・アルコール依存など、なぜ起こるか?
・外部に依存する(アルコール、恋人、子ども、薬物、他者)のではなく、自分自身を大切にする
・亡くなった人に対してどう思うか
・死=人生の終わりと考えてしまうと苦しい
・被災者に押しつけるつもりはない
・同じ考えを持ち続けるかどうか尋ねる
・亡くなった方がどうしているか、ということについて修正を図ることも
・新しい生き方を見いだしていくことと、その支えになること
・今の状況を変えていく力は誰が持っているのか?周囲の人がする、のではなく、自身に回復する力があることを認め、見守っていく
・将来が見いだせない時に回復する力が出せるのか
・「どうしたらいいですか?」「あなたはどうしたいですか?」
・自分の気持ちに従うこと
・柔軟に
・頭で動くのではなく、ハートで感じながら、安心や希望を意識しながら応援する

3.うつの人への接し方(澤登氏)
・気持ちがベースにあって、スキルを身につける
・被災地には行けない身体なので、自分にできること
・年間100人ほどのカウンセリングを実施
・うつゼロではなく、うつをみんなで受け止める社会=うつユニバーサル社会
(大切な人にできる5つのこと)
・(1)一緒に
・いる:物理的、精神的
・居場所、味方、存在価値がほしい(=これらがないのがうつの苦しみ)
・考える:
・がんばる:
・Togetherしようぜ(ルー大柴)
・(2)教えてもらう
・安易な「わかるよ」は、相手に届くか?
・「おまえにわかるか」本人にしかわからない
・「あなたの気持ち、わからないから教えて」わかろうとする気持ちが、相手にも伝わる
・俺はうつになったことがないからわからない。教えてくれ。(上司の言葉)
・(3)ほめる
・「ありがとう」の気持ちで「ありがとう」を伝える
・被災地では、「来てくれてありがとう」と言われる
・(4)手当・スキンシップ
・肌と肌の触れ合いは、こころも身体もあったかい
・(5)自分自身が元気でいる
・元気でいるだけで、(周りの)人の力になっている
・別の場所でエネルギーを蓄えつつ、元気になっていくのも手
・ひきずられても、ニュートラルに戻る
・どこにいても「ここにいるよ」が力になる
・格言:ちょこっとんずつ、ちょこっとんずつ

心のケア・PTSDフォーラム@Fathering Japanに参加してきました。

5月12日の仕事帰りに、件名のフォーラムに参加してきました。次とその次の投稿で、内容のメモ(Tweeter風)を投稿します。
開催の詳細は以下のURLにて。
http://www.fathering.jp/ptsd/

2011年5月11日水曜日

Think about my career a lot.

I recently think about my career a lot.
I wonder if I should just keep my job or not.

これまでの人生の中で、自分の職業生活が思い通りになった試しがないし、そもそも目の前にあるものにがむしゃらになって今の自分があるので、このことに関して自分の予感ほどアテにならないものはないのだけれども、「もし違う仕事に就いたらどうなるのかな」と思うことがある。
ある程度長期の休みになると、こんなことが芽を出して、私をもやもやさせるのだけれども、まぁ活動らしい活動はせず、ボチボチ。
なにせ、思い通りになった試しがないから、本気になるのもアホらしいと思ってしまう。

そういえば、連休中にあまり外出せずにやっていたことの一つに、カミさんが大人借りしてきた「JIN」というドラマの第1部(現在第2部がドラマで放送されている)を全部見たことがある。
幕末にタイムスリップした医師の活躍を描く、なかなか重厚なドラマなのですが、その中に出てくる勝と坂本のやりとりがなかなか響く。

天命、どちらを選んでも後悔するのなら、運を天に任せるのもいいんじゃねぇか。

迷うくらいなら、えいやって選ばないことを選ぶのも選択肢。
まぁ、性に合わないことをやっても後悔しそうなので、それならいっそほーいって気楽にやろうかなと思ったところでもあります。

2011年5月10日火曜日

宣伝【 心のケア・PTSDフォーラム 】

日程タイトですが、宣伝です。
私は参加予定です。

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FJメンタルケアプロジェクトが始動!5/12(木)緊急フォーラム
「心のケア・PTSDフォーラム〜子どもたちと被災者をサポート
しよう」を開催します。5人の専門家がさまざまな角度からト
ークライブ!http://an.to/PTSD-FJ #menhel #cocoro #jishin
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百世からリツイートしてもらってもOKです。
http://twitter.com/#!/momose1000


↓ブログ、メルマガ用 WEbページと申込みフォーム入り

<転送歓迎>----------------------------

   【 心のケア・PTSDフォーラム 】
 〜子どもたちと被災者をサポートしよう〜

■日時:5月12日(木) 18:30〜20:30

あなたの街で、できる支援があります。
この震災で都内に避難・移転されてきた方も多く、
受け入れボランティアも多数集まりました。

被災と避難生活によって心にどんな症状が起こるかなど、
PTSDや心の問題にくわしい医師や専門家が集まり、
心のケアに必要な情報やスキルを提供いたします。

■場所:日本財団ビル 2階大会議室(港区赤坂1丁目2番2号)
http://www.nippon-foundation.or.jp/org/profile/address.html

■参加費:当日受付 1,000円
(パパエイド募金への寄付+資料代他)

■対象:被災者へのボランティアやサポートをしたい方
    被災者に接する機会のある方
    PTSDや心のケアに興味のある方(先着180名)

■くわしくは↓こちら
http://www.fathering.jp/ptsd/index.html

■参加お申し込みは↓こちら
http://don.jp/ezform108/14346/form.cgi

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2011年5月6日金曜日

結論!大型連休の過ごし方

のっけから結論ですが、我が家の大型連休の過ごし方は「遠出しない」ことで落ち着きました。
公共交通機関も混み合う、観光地はどうしようもない、親はイライラして子どもはぐずる(笑)。

初日はカミさんの友人宅を訪問するために大宮へ、翌日は私の勤務地上野で有名な動物園に行ってきました。
個人宅の場合は、平穏無事に行って帰ってきたのですが、上野はひどいものでした。それなりに楽しんできたので、まぁ結果オーライだったのですが、意図したことは全く遂行できずに岐路につきました(入場できなかったということです)。

子どもが学校に通うようになったら、みんなで休みを合わせるとなると連休にどこかへいかざるを得ないのでしょうが、それまではわざわざ混む時に人ごみへ突っ込んでいかなくてもいいんじゃないかなと。

そんなことを思った、連休前半でした。後半は近所の公園巡りをしたり、ショッピングセンターで買い物を満喫する程度の外出にしておきました。子どもが寝た後は、「JINー仁」のドラマDVDを観たりして、とにかくのんびりできた連休でした。
勉強も少しペースダウンして、ちまちまと専門書と一般書を併読しています。

今日は連休の合間の出勤です。たまった仕事を一気に片付けて週末に逃げ込むとします。

2011年5月5日木曜日

出発点

自分の状況を客観視する時間って、やはり必要だと思うゴールデンウィークでした。
明日出勤して、また週末となるので、スロースタートになってくるわけですが、この連休は特にやることを定めず、家族サービスに徹してみました。

連休前にいろいろと考えることと、持ち帰りの仕事が少しあったことで、何だか現職に対してもごちゃごちゃ考えていたわけですが、現時点でかなりすっきりと整理できました。


何てことはなく、自分が悩んでしまっていた原因は、
・人からどう見られている(評価されている)かを気にしすぎていた
=意外にも「高評価」を求めていた
・個人的な意見と組織の立場との間にあると思っていたギャップに違和感があった
=自分の考えを表出するスキル、あるいは組織の理屈を読み解くスキルに欠けていた
・この組織でやっていけるのかという不安があった
=組織依存な部分があった

というあたりで、大体網羅できるのだなと。

それで、別に自暴自棄になるとか、仕事に対する情熱が冷めるとかいうことではないのだけれども、一旦リセットして勉強しなおしてみることと、あらゆる可能性を否定しない(おぉ、民○党っぽい!)ことで、自分の職業生活を考えていこうという地点に立ってみようと。
尊敬するある人の言葉を借りれば「俺じゃなくてもいいんだし」って感じですね。
2011年の初めに立てた目標をあらためて見直してみて、もっとlogicalに組み立てるんだけど、もっとradicalに考え、行動していってもいいんじゃないかなと思ったところです。
家族のことを考えたら、今の仕事だって見直していく必要があるだろうし。

子どもと一緒に生活しながら、今一度キャリアの棚卸ができた連休でした。
明日から、来週からはゆらゆらやっていこうと思います。なはは~

職場定着に至る段階

仕事と関連させて、考えたこと。
「うまく仕事をする」ことを分解して段階に分類したときに、こんな分類もあるのではないか。
1.特定の場所(職場)に行って、居ることができる
2.特定の場所(職場)で、何かすることができる
3.自分以外の他の人からの指示通りに動くことができる
4.(会社、部署の)要求水準を満たすことができる
5.周囲の状況に併せた仕事をすることができる
6.周りの人にも有用となる仕事ができる

1.2.3.は、いわゆる「職業準備性」にあたる部分で、この部分が欠けてしまうと契約そのものに影響してくる。
この部分については、職場の調整うんぬんというよりも、その対象となる人の経験や能力によるところが大きいため、訓練や準備が必要となる。
4.が、就労支援の主戦場になりやすいところ。職場のニーズに対し、働く人の能力がそれを満たすことができるか否かというところである。
対象となる人の能力を発揮できる指導や環境調整と並行して、職場が持つニーズの把握と調整が、同等に必要となってくる。
5.6.は、定着後の発展で、時に職場のニーズがこのことに触れてくる可能性がある。

思いつきのメモです。

山田真哉『世界一やさしい会計の本です<女子大生会計士の事件簿>』日本実業出版社、2004年。

『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』(光文社新書)で知られる山田氏による会計の入門書。
「会計的センスを身に付ける」ことに特化してまとめられており、
(1)「割り算」を使う
(2)「大きな数字」に着目する
(3)「お金の回転」をイメージする
ことを、「4つの箱」をキーワードに会計の基礎を説明しており、その内容の合間にトピックに関連する短編小説を挿入しまとめている。

財務諸表を見る機会はあるものの、どこをどう見たらいいのか、あるいは似たような言葉の意味がわからずに、結局全体像がつかめないのがこれまでの自分の状況だった。
大学院生からNPOスタッフ、独法職員と歩んできた自分にとって、組織のお金の動きを学ぶ機会がなかった(学ぼうとしてこなかった)ため、結局どんな数字を見ても理解できず、ピンとこなかった。
組織のお金を「資金源」「資産、財産」「費用、出費」「収益、売り上げ」の4つに分類して「利益」を付け加えることによって、財務諸表の内容(項目)と根本的なお金の流れというものが少しイメージできるようになり、今後、お金のことを考えるきっかけができたように思う。

とにかく書き口が柔らかく、わかりやすい表現と事例でまとめられているため、私でも最後まで読みきることができた。
会計の基礎知識のある人には必要ないけれども、まず一歩、と考えている方には有益な書籍だと思う。


おすすめ度:★★★★☆(組織のお金の動きについて知りたい人におすすめ)

2011年5月3日火曜日

思わぬ出来事

ホントどうでもいいことだけど。
先日、仕事量が膨大になって、出張時電車での移動中にREUDOのキーボードを使って、仕事していたんです。
すると、隣に座った見知らぬ女性から声をかけられます。
「あのー、そのキーボード、私も買いたいですけど、どうですか?」

一瞬、びっくりしてしまいましたが、まぁそんなこんなで3駅くらいの間、キーボードの話題を中心に雑談して移動していました。
特に何ってわけじゃないのですが、そんなこともあるのだなと。

どうでもいい話でした。

線引きと言葉にこだわること

ふと学生時代のことを思い出す。
卒業論文の口頭試問を前に、ある先生からの一言。
「あなたの言う『環境』って何を指すの?」

当時は、適当なことを言ってその場を切り抜けた記憶がおぼろげにあるのだけれども、ものを書く、それも何かを論じるというのは、こういうことなんだろうなと、ある本を読んでいて感じました(書籍の紹介は後日。もう少しで読み終わります)。

確かに「環境」と一言で言ったときに、広義には「自分自身とそれ以外のもの」という定義の仕方もあるし、狭義には「人以外」と見るところもあれば、「自然物」を指して使うこともあります。自分とそれ以外のものとの間に境界線を引くか、人間だけで括ってその外に境界線を引くか、人工物と自然物の間に線を引くか。最後の場合「人」を自然物の中に入れるか独立させるかで、二本目の線を引くとか、様々な意味が考えられます。

ある先生が言っていたのは、この「線引き」がどこにされているのかということの確認だったのだろうけれども、そもそも自分の文書を読んでくれた方がそういう質問を発すること自体、定義が明確でなかったのだろうと察します(でなければ、ただのお試し質問だ)。

当たり前のことで、何をいまさらと思われてしまいそうですが、あらためて大切なことが言語化できたように思います。
どこに線を引くかということは、言葉にどういった意味を持たせるか明確に示すこと。
このことが「言葉にこだわる」ことの真意なのでしょう。

2011年5月1日日曜日

常識と感情のズレ

物事の道理を知れば、納得はできるものだと感じたことがありました。
ただ、理屈では完璧に納得できても、感情面でどうにもズレを感じたこともあり、ここのところ内向きになっています。
ちょうどいいタイミングで連休になったので、いろいろ考えて、ようやく落ち着いてきたところです。

個人的には、「理屈と感情」とで土俵が違うわけで、それを一緒くたにしてしまったら、相手の思いに応えられないように思っていました。
ただ、一連の行動を振り返ってみた時に横たわっているのは、はっきり言ってしまえばええカッコしいなIyokiyehaの私的な感情だったり、周囲からは賛同を得られるだろうという思い上がった私自身の勝手な思いこみであったように思います。

Vulnerableであることを信条としてきたつもりでしたが、意外にもすごく身近な自分の行動がすごく凝り固まって守りに入っていたことに気づきました。
Iyokiyehaにとっては、ちょっと大きな気づきでした。おそらく誰が読んでも事情はわからないと思いますが、あくまで私的なメモということで、ご了承ください。

2011年4月28日木曜日

Windy day.

Yesterday, it was windy day.
Very windy.
My wife hung a futon to dry, then the futon flew away.

ふとんがふっとんだ、ではないですが、昨日は風が強かったですね。
私は、花粉と埃でどうしようもないくらいに悩まされたのですが、自宅ではカミさんが飛んでいった布団を拾いに行ったとかで、大変な思いをしたらしいです。

何か、極端ですね。
この時期の風は強くて感想しているわけですが、ちょっと強めの日差しに強い風が吹くと、外出時の体力消耗が半端じゃない。

これから暑くなるのも大変ですが。
さて、私はこれからが花粉症本番です。マスクをしていても、風邪ではないのであしからず。イネ科の方々と勝負します。

2011年4月27日水曜日

先輩からのメッセージ

「先輩」というと、つい歳の近い年長者をイメージしてしまうのは、年代でしょうか。広い意味で、本来の意味で、いろんな「先輩」をイメージしていただいた方が、今回書きたい内容の本質に近づけるかと思います。

さて、本題。
日々、いろんな立場の多くの人と接しているわけですが、私自身将来のことを考え直す時期にあったこともあり、御縁のあるいろんな方と改めて会ってみる、ということを意識しているここ2年くらいです。
勤務地が東京ということもあり、「えいや!」とちょっと声をかけたら、いろんな人と会うことができる、知り合えるのだと実感するこのごろです。

私が今所属しているのは、日本経済の全体、あるいは福祉社会の全体、日常生活の全体、それぞれどこからみても「ちょっと」見えるくらいの分野、言ってしまえば「スキマ、ニッチ」な小さな分野です。
それでもプライドをもって仕事できるのは、やっぱり大切なことだから、そして共生社会とか多様性とかいう、現代社会のキーワードを具現化するひとつのフィールドだと確信できるからなのだろうなと、自らを振り返って思うところです。

そして、この分野を切り開いてきた人たちがいて、今の自分があるのだということも実感を伴って考えさせられるところです。
いろんな立場から、いろんな見方をされている。同じ方向を向いているからこそ見える私の姿を、いろんな表現で伝えてくださる方々の存在は、自分にとってとても有益で、とても安心できるものなのだと思います。

先日、ある方からメッセージをいただきました。
一緒に仕事をしているときから、厳しく指導してくださっていたのですが、そこには必ず真剣なまなざしがあり、だから何を言われても食らいついていこうと思ったものです。
一線を退かれて、改めてメッセージをいただいたのですが、私の見え方も間違っていなかったことがわかり、かつ、やはり真剣に接してくださっていたということについて、改めて感謝しているところです。

いろんな先輩がいますが、衝突することや嫌だと思ってしまうことがあっても、まずは向き合うことって大切なんだと思った出来事でした。
最近、こういうことが続いているんですね。打ってでることも大切だけど、謙虚でいること、弱みはさらけだしていくことって自分を成長させる上で大切なことなのだと、改めて実感させられた出来事でした。

それだけです。オチはありません。

2011年4月26日火曜日

勤務は頭を使い、休日は身体を使う

自宅からは少し離れたところになるのですが、長めのローラースライダーのある公園があるんです。
ウチの2歳と半年になる娘が、最近すべりだいをやりたがるのですが、人見知りが激しく(私の娘なのに・笑)普段、他の子どもがいると緊張して全然ダメなんです。
昨日は平日。私は、息子(5ヶ月)の検診のために年休とってました。午前中は運転免許の切り替えにいったのですが、カミさんの講習中に公園へ。
平日の午前中の公園は貸切状態!ということで、娘もテンションアゲアゲで、すべりだいに挑戦。

基本ビビりですから、「おとーしゃんも!」と滑ることを促され、私もまんざらではなく(←重要)十数年ぶりのローラースライダーへ。
結局、楽しくなった娘に連れられ、4度程ガラガラと滑った(息子を抱っこしたまま。ずっと寝ていましたが、これはこれでどうなんだろう)のですが、結構な振動で、さすがにおしりに応えました。
今日は歩いても筋肉痛、座っても筋肉痛で、ちょっとしんどいです。

さて、そろそろ出勤しますか。
こんな今日に限って、世田谷方面への出張です(泣)。おしりが痛い・・・

2011年4月13日水曜日

It's not my business.

The train that I'll take is coming.
I and people around me form line at platform.
But the man break line.He is queue jumper.
I am appalied at him.

昨晩は、月イチの助成金申請書類処理の日。一昨年度担当していた業務で、昨年度一度引き継いだのだけれども彼の異動に伴い再度担当することに。
処理のためのファイルなど、改善したこもあり仕事はしやすくなっているのだけれども、慣れていないので時間がかかり、昨晩は日付が変わっての帰宅でした。

そんな状態なので、今日は朝から眠いです。眠いと、何か人のことなんかどうでもよくなってしまいますね。
池袋の山手線ホームで割り込んできた男性。後ろからやたら押されたけれども、一瞥して無視。起こる気にもなれません。どうでもいいよ、あんなやつ。どこでも人に迷惑かけてたらいい。着ているものはいいものっぽかったから、そこそこの稼ぎがあって、きっと部下もいるんだろうにね、と、いらぬことまで考える。それじゃ、人はついてこないよ。

眠いのはいかんね。
調子を切り替えようと、今日の朝マックはグリドルなるものに挑戦。パンケーキみたいなのかしら?ほんのり甘いパンでソーセージパティをサンドしたもの。結構おいしかったです。
さて、今日もがんばりましょー。

2011年4月11日月曜日

また地震か、原発か。

普段、神様なんていてもいなくてもいいと思っている私ですが、もしも神様がいるのなら、そろそろこの状況を何とかしてくださいと、柄にもなくお願いしたくなったりもします。
こういう時に、人一人の力ってホントに微々たるものだと思う。今の私にできることは、現地に飛んで瓦礫の一つでもどかすことではなく、わずかばかりの義援金を送り続けることと、宿舎の空き部屋にまだ人は入らないのかと組合に問い合わせるくらい。
義援金だって、分配でもめていたりするのを見聞きすると「次は直接小回りの利く団体に送るかな」と思ってしまうし、空き部屋の件はおそらく埼玉県への避難世帯分の部屋が確保できない限りは動かない話なんだろうなと思ってしまいます。
おいおいしっかりしろよ、と思い通りにならないことを外罰化してしまう。そんな自分にもちょいと嫌気がさしてしまいます。

こんな時に行政サービスの悪口言ってもしょうがないし、自分の首を締めるようでなんだけども、なんでこんな時に「平等」にこだわるのか、疑問に思う。
いや、誰も不公平感がないっていうことは、本当に大切なことなんだろうけど、当たり前になっている「平等」の意味と、被災者が思っている「平等」とは、やっぱり違うんじゃないかなと思ってしまうのです。

そういえば、今日は11日。東日本大震災の復旧に関するグランドデザインみたいなものの発表がある予定でしたが、完全に出鼻をくじかれてしまっていますね、K総理。
だめですね、今日は頭痛がひどくて、私の考えもかなり後ろ向きです。

2011年4月8日金曜日

最低限ではなく、最大限を目指して

英語で挑戦してみましたが、どうもいつもに増して文章が構成できないので、諦めて日本語で書きます。

震災の影響で、いろんなイベントが中止となって、世の中全体が自粛ムードになっているように感じます。加えて、「何かしなきゃ」ムードも起こっていて、私の身近な方も物資輸送、義援金、現地ボランティアと様々な取り組みをしている、またはしようとしています。
そんな中で自分に何ができるのかと考えます。

震災当日、たまたま帰省していたということはこのノートにも個人ブログにも書きましたが、帰ってきて散らかった宿舎を見た時のちょっとしたショック、そして原発に関する情報が飛び交い、スーパーからは物が消える。「週末ならば、朝スーパーに行けるね」と思い、最寄りのスーパーへいったら長蛇の列ができており、気持ちが萎えてそのまま帰って二度寝しました。

そんな中で、とりあえずと義援金を送ったけれども、現地ではその分配で調整が難航しているとのこと。安易に行政批判はしないけれども、今すぐに現金が必要な人に必要なだけ分配するには足りず、かといってプールしたままにするわけにもいかず、にっちもさっちもいかなくなっている様子が伝わってしまいます。

電車が止まって、出勤できなかったときに考えたのだけれども、こんな状況だから働かなくていいのか、というとそんなことはなく、経済復興の一旦を担う産業界は、できることをできるところから再開する責任があるのだろうし、経済活動の大切な部分としての「消費」は、切り詰めてもいけないわけで。
私の仕事は、何かを作って世の中の循環を作るものではありません。ただ、そういった職に就く方が自らの力を発揮できるように本人と会社の双方をサポートするので、間接的に経済活動には関わっているといえます。
既に多くの論客が論じていますが、職業人としてのプライドから出発すれば、「いつもと同じ(ような)生活をすること。消費をすること」が日本経済の復興を後押しすることはまぎれもない事実と思われます。

「夜中に暖房を切って、家族で一室に集まって寝ました。節電します。」という投稿を見て、前半は美談だと思った一方、後半にはつながらないと思いました。総量は減るかもしれないけれども、電力はプールできないしくみですから、夜中の電力は電力供給全体の圧縮にはなれど、現在の被災地へ直接(いい)影響を与えるかというと、実はそうでもないのではないかと。
夏場に節電義務が具体化したときに、こういったことができるのかが、今後問われてくるのだと思います。

今、自分にできること。
原点に返って仕事をすること。そして、家族を守ること。生活を安定させること。そして、各種報道や情報を継続して収集し、現実を風化させないこと。継続してできること(義援金。必要な物資輸送。近隣に避難者がいれば声をかける、など)をし「続ける」ことのように思います。

私が応援するGreenDropのイナさんのブログ投稿を読んで、援護射撃したくなりました。
http://greendrop.sblo.jp/article/44127248.html

FILET-O-FISH Combi

I have breakfast at McDonald since I live alone.
I had Salad Marine Muffin combi untill yesterday.
This is delicious to me.
But it have a strong flavor, so I get tired.
Today, Filet-O-Fish combi release.
I liked this when I was young.
I will enjoy this in days.

単身生活になってから、停電による電車の本数が少なくなったことも影響して、自宅での朝食をとにかく時間短縮して、都内まで出てきて軽く朝食をとることにしている。
生活リズムが少し変わって、鶯谷マックで30分弱の時間を過ごすことができるため、サンドイッチを一つほうばるようになった。(ちなみに、これによる体重増加はいまのところ見られない。むしろ、少しやせたかな?)

朝マックのマフィンなるものをいろいろ試して、期間限定で出ていたサラダマリネマフィンに偏ってきていたが、どうも味が濃くて、最後は飽きてしまうパターンが多かったのだけれども、今日からフィレオフィッシュのコンビが出てきました。
コンビというのは、200円でサンドイッチと飲み物がついたセット。いつも、コーヒーで朝一仕事している私にとっては、結構お得なセットです。

2011年4月5日火曜日

通勤疲れ

今日は、(下手くそでも)英語で書く元気がないので、近況だけ。

疲れの元凶は通勤です。

昨日は、新規の面談で手話使いながら相談したから、その疲れはあるのでしょうが、それにしても一日所内にいただけなのに、あやうく急行で乗り過ごすところでした。
同じ宿舎の後輩が、私の乗り越し記録(川越市)を塗り替え、森林公園まで行って帰れなくなったとのこと。
昨日は、タイミングがずれたらあぶなかった。

座って寝てしまったら、自分の責任かなとも思うけど、昨日のように、立ったまま寝てしまっていたら、どうしたもんかなと。
慢性的な疲労感が今年も出てきました。すっきりと仕事したいものです。

2011年4月4日月曜日

Happy graduation.

March is season of graduation.
They leave workspace, job, or school and so on.
I hope they will be active in new world.

日本では、別れの季節、旅立ちの季節などと言われる3月、4月。
英辞郎で「新天地」とひいたら、New worldなんて単語が出てきました。
おそらくニュアンスは違うんだろうなと思いつつ、まぁいいか、ってな感じでそのまま使ってしまいました。いい単語知っている方がおられたら教えてください。

身近なところでは、同僚の転勤。同期の転勤や、甥っ子の卒業、知り合いの転身や卒業と、それぞれ立場が変わって、その人にとって新しい世界での活躍が期待されるこの時期、私は今の職場に就職して初めての同じ職場で3年目に突入することになりました。
東京に来て3年目に突入ということで、幸か不幸か業務ラインも変わらずにいれるということで、ちょっとだけ新しい気分になっています。何が起こるのかな〜なんて。
もちろん、いいことばっかじゃないだろうし、しんどいこともあるだろうし、時にはまた腹を立てることだって少なくないでしょう。後頭部の円形禿も大きくなるかも〜なんて思っていますが、まぁ気楽にいこうと腹括ったところです。

残る者のちょっとだけの余裕と一緒に、いろんな連絡や報告をくれる、冒頭のようなみなさんからの連絡に、何だか自分まで清々しい気分になることが少なくありません。中には、数回しか会ったことのない人からの転身連絡だったり。

うれしいものです。

みんなと共に、そして私も、精神的な新天地でそれぞれに奮闘しましょう。

2011年4月3日日曜日

M.J.アドラー/C.V.ドーレン著、外山滋比古/槇未知子訳『本を読む本』講談社学術文庫、1997年。

原著は、How to read a book.1940。
アメリカで出版され、欧米各国を中心に翻訳され、世界中で読まれている「読書の説明書」。日本語訳は1978年に日本ブリタニカから出版された。

読書の方法を解説した本です。「本の読み方なんてあるの?」と言われそうですが、確かに読書技術はあると思います。
ただ、日本の教育において、こうした読書技術を学ぶ機会はないに等しいのではないでしょうか。
それとも、私以外の社会人は、みなこうした読書技術を持っているのでしょうか?
本書では、読書をレベル分けし、
第一レベル=初級読書
第二レベル=点検読書
第三レベル=分析読書
第四レベル=シントピカル読書
としています。
目次や表紙裏、表題や小見出しから内容を俯瞰してとらえていく段階から、キーワードを抽出し、その意味を解読していく段階、そして著者と対話しつつ、同じテーマの書籍と関連づけ、自らの問いを練り上げていくというレベルの上昇は、学習活動において必須のスキルではないかと感じます。

個人的には、もっと早くに出会っていたかった本だという感想です。
一方で、ここで出会えてよかった、とも思っています。
本文でも書かれていますが「読まなければ書けない」ことは、学生の頃から薄々感じていましたが、そもそもこの「読む」行為が、果たして字面を追うだけなのか、という疑問は当時から持ち続けていました。
学生時代に先生にもっと教わっておけばよかったと思ったのが、社会人になって2,3年経った頃でした。

読めている、書けている、という自負もある一方で、仕事をしていて、また人と話をしていて、どうも誤解される、食い違う、自分が思っていることをうまく表現できていない、という不全感があったまま、今まできたところですが、本書がきっかけとなって、もう少し言語化が進められそうです。

思想(考え)は曲げず、状況変化には柔軟に対応し、誤解なく過不足なく伝えきる。

最近、仕事の中で強く感じていることです。そんなこととも関連のあった本でした。


オススメ度:★★★★★(誰にでもおすすめです)

ツイッターがソーシャル・キャピタルを絵に描いたような助け合いの基礎を提供していた。

(週刊ダイヤモンド2011/4/3号、政権史私四観より)
週刊ダイヤモンドのこのリレー連載、とても好きなんですが、政治学者の藤原帰一氏が今号で、ソーシャル・キャピタルとレシプロシティを引き合いに出しつつ、東日本大震災発生時の都内の人々の行動について新たな視座を論じている。
ソーシャル・キャピタルとレシプロシティは、ある程度豊な社会でないければ実現できないもので、人と人との絆が弱まった現代では、自分のことしか考えない人が増えた、ソーシャル・キャピタルとレシプロシティといったものは弱まっている、という議論はよく聞かれることといえる。
藤原氏は、災害当日の人々のツイッターへの書き込み、いわば情報提供に注目し、ツイッターが相互扶助のプラットフォームになっていたことを指摘している。

今、この記事を読んでいて、ちょっと面白いな、紹介しておきたいなと思い、鶴瀬駅前のミスドでキーボード叩いています。
ガソリンスタンドに数時間待ちの渋滞ができる、今日に至ってもスーパーの開店時間に行列ができている、放射能の報道がされれば店内からミネラルウォーターとカップラーメンが消える。
こんな状況を見て「暴動が起きない日本はすごい」と海外報道がされていることを先日批判したばかりですが、3/11に都内で起こったことは、「手放しで美徳だと騒ぎ立てるのも変だが、併せて批判だけされるものではない」ことであると、改めて認識できました。

普段都内へ通勤していると「あさましさ」を感じることも少なくないわけですが、そういう人もいつつ、それに加えて新たなツールを利用した公共が、我々含めた若い世代にも広がりつつあるのだなと感じています。
なんとなく、ですが、10年後には人々の相互扶助や「地域社会(コミュニティ)」「地縁」といったものの意味や形式が今とは違う形で成立してそうな気がします。

2011年4月2日土曜日

I'm with stupid.

I'm in McDonald at Tsuruse Sta in this afternoon.
I ate lunch, and read magazine.
Then, four old ladies come to next my table.
They talk about there acquaintance.
First I think that it's none of "my" business.
But second, they talk about soiling...
Gradually, I become uncomfortable with there talk, and I feel tide of anger.
I said nothing, but I stare at four ladies furiously.
They pause for a moment.
And I leave there soon.


っていうか、意味わかんないんだけど。
というくらい、腹が立った出来事でした。

(以下、いろいろ書きましたが、なぜが消えてしまいました。)

要は、
マナー守れよっていうことと、
You can better yourself by observing others.
ってことですね。

2011年4月1日金曜日

My daughter speaks Japanese??

I think my daughter is growing up quickly.
She have spoke more Japanese in recent days.
I hope my family live close together as soon as possible.

家族と離れて、明日で3週間。
2週間までは予定していたことだけれども、延長になるととたんに長く感じてしまう。
正直に言えば、寂しいです、父ちゃんは。

毎晩、娘が寝る前に、カミさんが電話をくれるのだけれども、そこで娘に受話器を持たせると、二言三言話してくれるんです。
その内容が、ここ2週間くらいで随分うまい日本語になってきたなぁと。
初めは恥ずかしがってか「イヤ!」とか言っているのが聞こえたのに、このところは「いい子してた人〜」「はい」。「いい子でねんねできる人〜」「ねんねするよ」。など。

えぇ、親ばかと言ってください(笑)。
でも、こんな小さなことでふと笑顔になれる、そんな日常が私にとっての幸せのようにも思います。
上野駅で、電話片手ににやにやしてたら、娘と話しているのだと思ってください(笑)。見かけたら声かけてね。

Professional detachment

相変わらず、原発を巡る様々な言論が飛び交っています。
天災ではなく人災だと、私の友人も意見を発しており私自身もそう考えています。

ここ数年の動向を、少しだけ俯瞰してみると(全体像はまだ私には見えていません)、CO2削減目標(25%削減というやつです)と密接に連動しているのだろうなと感じるところです。
原発って政府はずっとクリーンエネルギーだと言い続けてきたわけで、そこには「原子力発電ならCO2はほとんど発生しませんよ」という背景があったのでしょう。そして、原子力のリスクについては世界に事例があり、それを引きつつも「安全性には配慮している」と言い続けてきた、というのがこれまでの経緯でしょう。

ここにきて、政府の見解や、専門家の意見というものを数々見聞きするようになり、また、カウンターパートとしての市民の意見も情報として入ってくるのですが、果たしてどれが真実なのか。
データを読み解くだけの知識がなければ心理にたどりつけないのか、とも考えられるわけで、そこには「自分」の存在が少なからず浮かび上がってきます。

何をもって「安全」というのか。
私が職業生活の中で、特にこの半年くらい意識し続けている言葉の使い方と一部重なるのですが、この「安全」基準があまりに不明瞭で、統一感がないのが、最近の議論の「かみ合わなさ」になっているような気がしてなりません。
ここのところを、専門家が独立性をもって整理してくれるといいのですが。やはり、自分で調べていかなければいけないのかな。今のままだと、「余計な」情報が多すぎて、どの切り口から読み解いたらいいのかがわかりにくいですね。

父親としての判断ができずに、もどかしさを感じているこの頃です。

2011年3月31日木曜日

I'm too sleepy today.

I have drunk in three days.
Because I attended a farewell party.

よくも悪くも、今週に入ってから「ゆるい」のですが、原因としては月曜日から連日連夜飲み続けているからでしょう。
時期的なこともあり、お世話になった方へのお礼もしたいという思いもあるので、身体に鞭打って送別会っぽいものに3日間連続で参加しています。

学生から社会人になって、酒量は随分減ったと思っているのですが、ここ2年くらいで更に減ってきました。どんなお酒でも3杯飲めば満足ですね。なまじ飲めてしまうから、勧められるがまま飲んでしまったらもう大変です。

まぁ、それでも自分で調整しながら楽しんでいます。明らかに形式ばったものへの出席はしないことにしていますが、自分が個人的にお世話になったと思っている人がおられるのであれば、断りません。

大いに笑える場があるということに感謝しつつ、いろんなことへ思いを馳せ、前向きな気持ちになるというところで、お酒と料理というものはいい潤滑油なんだと改めて感じているところです。

2011年3月30日水曜日

No mud. Go forward.

ここ2週間ほど、ディープに物事考えてきたので、最悪の事態を想定した批判はこのくらいにして、前向きなアウトプットをしていこうと思います。

誰かの言論を批判することは、新しい視野を得るためには必要なことだけれども、問いのない反対意見ばかり言っていても、何も生み出さないような気がするんですね。
月並みだけれども、一歩が安全そうなら、とりあえず一歩進んでみる。誰も動かなくても、自分が大丈夫だと思えば、まずは一歩進んでみること。逆に、危ないと思えば、一歩下がってみること。
そこまででいいんじゃないかなと思うようになりました。

「大袈裟だよ」って言われても、自分の判断なら、たとえ理屈でやりこめられたとしても「これでいい」と前向きに開き直ってしまえばいいじゃない。「大変だね」と言われても、まぁそれが楽しければいいんじゃないか。
結局のところ、常識や倫理って、三人称に対することがほとんどであって、二人称で迷惑がなければ、とりあえずは問題ないんじゃないかと思うわけです。

災害の言論報道、専門家の意見、政府の対応、その影響としての停電や品不足、また表沙汰にならない企業活動。
自分を安全な場所において見れば、いくらでも「最悪の事態」は想定できて、また立場を決めれば、別の立場が対立することになる。
対立して、相手をねじ伏せることが目的になったら、何も変わらないし、何も行動できなくなってしまうような気がします。

あくまで、自分の頭で考えて、納得いく一歩を踏み出したいものです。
心は熱く、頭はクールに。

2011年3月27日日曜日

活力補給

先週末、家族の疎開延期を決めたのですが、予定通り帰省をしてきました。
二週間ぶりの子どもたちの反応はどうかな?と心配半分だったのですが、嬉しいことに杞憂でした。なはは〜
育児休業のお陰かな〜なんて思いつつ、ハイテンションの娘と存分に暴れ、表情が豊かになった息子とお互い一方通行のコミュニケーションを楽しんできました。
親になってからというもの、子育てが疲れの大本である一方で、これ以上ない活力補給の一つになっていると実感しています。

さて、明日からもがんばるぞー!

2011年3月26日土曜日

疎開は延長です。

11日、地震の起こった日にたまたま実家に帰っていたことは、以前に書き込んだ通りですが、妻、子どもたちの実家暮らしはこのまま継続することにしました。
あんまりセンシティブになるのもどうかなとは思う反面、生活物資(ガソリンを含む)が手に入りにくいことや、停電がどの程度続くのかということ、目に見えない放射能の影響、それに加えて年度末のゴタゴタなど、少しずつの心配を積み重ねた結果です。
もちろん、富士見市で生活している人もたくさんいるわけですから、そういった意味で親子4人での暮らしを再開するのも具体的な選択肢だったわけですが、今回は周囲からの働きかけもあり、上記結論に達しました。
私は、この週末浜松にいて、日曜日には富士見市に戻り、単身生活再開します。なんだか寂しいですね、気楽な単身生活も2週間くらいでおなか一杯です。

2011年3月24日木曜日

平和な国だと言われるけれど・・・

海外メディアが、今回の地震被害に対する日本人の態度について「暴動が起きない。素晴らしい」みたいな報道をしているそうです。(私は直接そういった記事を読んでいないので、どういうニュアンスなのか、どういう文脈なのか不明ですが・・・)

確かに、東京へ通勤しているけれど、満員で乗れない電車が何本もくるなかで、駅員にわけのわからない文句を言う人はいても、きちんと整列しているし、その人たちが暴徒化するわけではないので、そういった指摘は正しいのかもしれない。

ただ、先週末のガソリンスタンドの行列(数時間)や、スーパー、ドラッグストアから消える保存食、昨日なら水。
「日本人が」なのかどうかわからないけれども、単に「暴徒化しないからすごい」ということではないと思ってしまいます。
被災地では特殊なコミュニティが生まれ、日本各地からボランティアや物資輸送といった援助の手が差しのべられている一方で、セルフィッシュとしか思えない行動も見られる。

災害を一人称としてとらえるか、二人称としてなのか、それとも三人称としてとらえるのか、といったところで随分思考や行動は変わってくるのだと感じるこの頃です。

2011年3月21日月曜日

たまには、軽いネタで

ここ数回の書き込みが、自分の考えをまとめる意味合いが強かったので、長文だったのと、堅苦しさがあるものでした。
お付き合いいただいたかた、「いいね!」をくれたかた、コメントしてくださった方、みなさまありがとうございました。

落ち着いて、というか、普段考えていることを表現して、次の思考をするための踏み台を作る作業(個人的には「錨を下ろす」と言っていますが)をしたのは本当に半年から1年ぶりじゃないかと。
東京勤務になってから、4人家族になってからというもの、こんな時間もなく、ただただ追いまくられてきた2年間でした。

まぁ、ぶっちゃけた話をするなら、こんなこと考えることなく、目に入れても痛くないくらいの娘と、まだ頼りない息子、最愛の妻と週末くらいはぶらぶら過ごしたいし、平日だって仕事はそこそこに、アフター5に知り合いと一杯ひっかけて視野を広げた方が、きっと人生は豊かになる!と思っているわけです。

東京に来た頃は、自分の中の仕事が占める割合が高かったのでしょうが、今は割と低くなっているように思います。
もっと力を抜いて、楽しく生きていたいものです。

あんま軽くなかったですね(笑)。

Knowledge of HIV/AIDS.

I didn't know HIV/AIDS very well.
I participated in HIV/AIDS study group at my workplace 3 weeks ago.
I think that we should know about HIV/AIDS.
So and in no other way to shake off the deep-rooted prejudice against HIV/AIDS.

今年も職場でHIV/AIDSの講習を受ける機会がありました。
昨年は、職員研修として受けたのですが、今年は職場で主催する学習会のテーマとしてとりあげました。
私は、完全に主催者側の雑用係だったのだけれども、それでも内容を見聞きして考えさせられることが多かったです。
以下、誤解を恐れずに、感じていることを書き留めておきます。

私の職場、私の業務では、依頼があればHIV/AIDS者(HIV-Positive:HIV感染者、AIDS発症者がより正確か)の職場定着支援も受ける立場ではあるのだけれども、まだ具体的な支援を担当したことはありません。
それでも考えさせられるのは、「物理的、具体的な調整はあまりないが、受け止め方や偏見、知識に対してのアプローチが求められる」のだろうと思います。

現在の医学レベルでは、血液中のHIV量を検出限界値以下にまで下げることが可能となっており、服薬治療によって日常生活には影響がない状態にすることができるとのことです。
いわゆる肉体的な接触、それも性的行為のレベルでなければ、身体的な接触、空気感染共にありえないこととして扱われています。
という情報を持っていれば、たとえ職場にHIV/AIDS者がいたとしても、特に気にする必要はないわけですが、それでも「怖い」「万が一の時にどうすればいいかわからない」といった声が聞かれるのは、何なのかということです。

これを「偏見」といってしまうのは簡単なことです。
ただ、本当に「偏見」が正しいのかというと疑問が残ります。

少しだけ、言葉にこだわってみましょう。
(大辞林 第三版より)
へん けん ー【偏見】
かたよった見方。ゆがめられた考え方・知識にもとづき,客観的根拠がないのに,特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断,またそれにともなう感情。「━をいだく」「人種的━」
(ここまで)

偏見とは、辞書的には「かたよった見方」のことであり、「ゆがめられた考え方・知識に」基づくとされています。

先に、「『怖い』『万が一の時にどうすればいいかわからない』といった声が聞かれる」と書きましたが、この言葉自体や、私が業務の相談中に聞くこの手の言葉の背景にある感情は、「わからん」が原因になっているように思えるのです。
つまり、ここで一つ突破口を見出せそうなのは「正しい情報の有無」によって、この「わからん」から一歩抜け出すことができるのではないかという仮説です。

陽性者の手記を読んだ時に強く感じたことですが、当事者でなければわからないことと、当事者であってもよくわからないことがあるというのが、HIV/AIDSをとりまく「日本の環境」ではないかと。
そういえば、学生の時にこの手の内容って、本当に言葉に触れる、内容に触れる程度でしか保健体育では扱われず、「偏見をもたないように」といわれる道徳の教材で取り上げられる程度だったなと思うわけです。
高等教育でも、私は学校教員の養成課程にいましたが、こうした内容を手厚く扱う授業もほとんどなかったと記憶しています。

身近にHIV-Positiveの人がいるなどの「きっかけ」がないと、なかなか知る機会がないのもHIV/AIDSの特徴かと思いますが、冒頭の講習会の中で、雇用主の立場でスピーチされた方が、とかく「日本ではHIV/AIDSに関する教育レベルが低い」と言われていたのが印象的でした。

知れば見え方が変わる。見え方が変わると、考え方が変わる。考え方が変わると、行動が変わる。行動が変わると、社会が変わる。
何かのパクりですが。

下記は参考まで。
http://www.ptokyo.com/
(NPO法人 ぷれいす東京)

He called me for the first time in half decade.

I received telephone call from Mr.T.
He was master chef at Izakaya(Japanese-style pubs) my frequents in Okayama.
He was worried that the Earthquake of Tohoku-Kanto.

先日、懐かしい方から電話連絡がありました。
年末の書き込みで、岡山時代の行きつけのお店の方と連絡がとれないと書いたわけですが、
http://iyokiyeha.blogspot.com/2010/12/101219.html
(2010年12月19日投稿分)
その時の料理長からのお電話でした。
曰く、地震があって心配になって電話してみた、とのこと。

いやぁ、うれしいやらうれしいやら懐かしいやらで、30分くらい長話してしまいました。
5年ぶりくらいですから。
私も一杯飲んでいて、向こうは多分お休みの日だったのだろうと思いますが、とにかく懐かしいお話や、お店を閉めたというお話、最近の話、原発を憂う話など、いろんなお話をしていただきました。
思い出せば、岡山勤務時代は、金曜日と土曜日は店が閉まってからも、この料理長とお酒を飲みながら(おごりおごられ)ぐだぐだと長話をしていたなぁと。
当時、まだ単身生活だったけれども、知り合いもできたし、岡山弁も定着してしまったのは、このお店と料理長のおかげかなとも思います。いや、岡山弁についてはもっときっついコテコテの方がいたので、その影響もあるのでしょうが(笑)。

何だか、うれしくなってしまって、とりあえずお年賀は毎年送ろうと、住所まで教えてもらいました。
一度近づいた関係が、一旦とぎれてもまた何かの機会にふとつながっていく、こんな体験も滅多にないので、本当にうれしくなってしまったところです。

聞けば、当時お世話になった方は、皆元気にしているとのこと。
それだけでも、とりあえずは暖かい気持ちになれました。
今度岡山に行くのは、本当にいつかわからないのだけれども、また行く機会、働く機会があったら、懐かしい再会をしたいと思うところです。

超個人的な話題ですみません。

言葉を紡ぎ、共に変わっていく

最近、Facebookと同じ内容を投稿していますが、この記事はブログのみの公開です。ここのところのまとめです。

私が修士論文の主要文献として取り上げた、森岡正博『無痛文明論』では、現実に押し流されそうになる自分が戦うための方法として「転轍(てんてつ)」という言葉を用いて説明しています。

ある制度、あるコミュニティ、ある組織と戦う方法について、それらを力・武力によって「衝突する」「叩き潰す」やり方がある一方で、ストライキや集会など「耐える」やり方もある。「転轍」とは、上記とはことなる戦い方の一つです。

転轍の元々の意味は、電車のポイント(分岐機)を操作(切り替える)すること。
森岡氏の説明では、世の中の大きな流れに乗りながら、ある場所・時間にその方向を内側から変えていくといったイメージが描かれています(無痛化への抵抗手段として)。

このところ、北陸・関東大地震のことがあり、関連して福島原発の状況から全国各地の原発に対する言論などが活発となった背景から、余計にこの「転轍」を強くイメージするようになりました。

何事も、わかりやすい対立軸を作って批判することは簡単です。二項対立構造を作って論じて、反対だの賛成だの言っているのは、言論の切れ味のよさだけが問われるのですが、そこに安住してしまうと真の問いに気づきにくくなってしまうのではないかと思います。
正確に言えば、「相手の論理に触れなければ、相手にならない」ということを意識して対話しなければ、人は動かない。ひいては仕組みは変わらない、と思います。
このあたりが、市民活動の立場からの発信が、しかるべきところに届かないことや、行政の発信が市民活動や民間団体の不評をかう原因なのだろうと。どちらも一生懸命なのに、語る「言葉の土俵が違う」からお互い通じない。お互いに「わからずや」と思ってしまう背景なのだと、私はとりあえず結論づけています。

私が学生だった時から、キャリアが始まった頃に身近だったNPOや市民活動、学生活動ですが、その中身にこだわっていた自分が、結局何にこだわっていたのかというと、この「対話する力」がその組織にあるかないか、ということだったのだろうと、10年前後前を振り返って整理されつつあります。おそらく当時は「駆け引き」という言葉でしか表現できていなかったと思います。

行政が動くのは、その提案に「行政的な」根拠・データが示されることであって、声の大きさやクレームの付け方ではないはずです。私が所属していた機関では、助成金によって行う事業には、必ず組織の「色」をつけて、+αの価値を持つ活動に仕上げ、地域の人たちを巻き込んでいました。
企業で言えばマーケティング、実態調査を経て、計画し実施する。報告の手を抜かないことで、事業を振り返り、次の課題が自然に立ち上がってくる。
今でこそPDCAサイクルなんて言葉が流行言葉になっていますが、そんな言葉が生まれる前から「当たり前のことを当たり前にやる」ための仕組みができていたのだと思います。
だから、本物だと肌で感じたし、「事業体」と言われても、感覚で理解していたように思います。今でも私の原点はここにあるように思います。

ここまで遡ると、古い友人に言われる「何か意外なところに就職したね」という言葉にも冷静に、そして何より自分自身が働き続ける理由にマイナス要素がなくなります。
すなわち、今後自分のキャリアがどうなるかわからないけれども、今の組織にいるならばそれでやることはいくらでもあるし、万に一つ組織を出たとしても行政との対話ができるようなスキルを身につけておかなければ、いくら具体的なスキルを身につけたとしても、私が今この組織にいる意味というのは半減してしまうのだろうと思います。

「組織に染まる」という言葉は、ともすればあまりいい意味で使われないのですが、自分の中に存在するカウンターパートを意識しつつ「染まる」ことは、結局は自分の市場価値を高めるのだろうと考えたところです。
組織と共に変わっていく自分を、どこまでも追跡しつつ、目の前に機会があるのなら「転轍」することを恐れず、内側から変わっていくための存在になっていくことが、実は一番インパクトのある戦い方なのではないかと。
また、何らかの理由で組織を離れたとしても、組織の外からでも組織と対等に対話ができるようになることが、私の当面の課題なのだろうと思い至りました。

この半年の総括であり、当面の自分のキャリアのベクトルになりそうです。

あー、スッキリした。
また、英語にも挑戦していきます。

2011年3月19日土曜日

課題解決には、狙いを定めて、手法を選び、的確な介入をする必要がある。

先日の書き込み、やはり面白くなかった方もいるようで、ご指摘いただいた方もおられました。
稚拙な表現で誤解を招いたことは、大変申し訳ありませんでした。ご指摘ありがとうございます。

私が言いたかったのは、「今、このタイミングで浜岡原発を止めるのはいかがなものか」という問題提起と、「浜岡原発の運転停止という『行政判断』を求めるには、根拠に乏しいのではないか」という指摘です。
計画停電の影響を最小限にするための、節電に関する情報提供や、仮に停止した後の具体的な代替エネルギーに関する提案なしに、「危ない(と思う)から停めて」というのは、説得力がないと考えているわけです。

今、原発停めたら電力不足による死者や、災害関連志望者数が増加する可能性が捨て切れません。
政府が福島原発の冷却を試み続けているのは、不確実性があるとはいえ、まだ被害をくい止めることのできる可能性が残されているからだと思います。でなければ、住民にはもう避難命令が出ていることでしょう。

前回、市民活動家と行政との対話が難しいという内容の記述をしましたが、より内容を正確に表現するのであれば「声が大きいだけでは、しくみは変わらない」ということです。
私は現在、行政機関の末端に所属しているわけですが、個人レベルで何か違和感を感じる組織の方針であれ、何らかの根拠があります。その根拠の正否はともかくとしても、必ず「組織が意志決定をするに足りる」根拠が存在するわけです。そして、その根拠は、どこから指摘を受けても、感情的な反論があったとしても、「行政の理屈で説明がつく」ものです。

だから、税金や公金がそれに投下され、事業として成立するわけです。

行政の取り組みや方針を変えるアプローチというのは、まさにこの部分に切り込んでいく必要があります。
「署名が○万件あります。市民の意志です」という交渉の時代はとうに終わっています。いくら見た目のインパクトがある取り組みをしたところで、そのメッセージが「相手の理屈に乗る」ことがなければ、伝わりませんし、変わりません。

前回の書き込みも、今回の書き込みも、結論は変わりません。
原発停止の根拠が説明できるよう準備しろ。全国各地で電力供給に取り組んでいる人たちの邪魔をするな。被災地以外の人たちの恐怖をあおるな。
これだけです。

「できることを、できる範囲で」という言葉が広まっています。この言葉を受け止める時に私は「やったほうがいいことを」と付け加えています。
生活者、職業人、父親といういくつかの側面をもつ私には、とりあえず節電、節約と義援金くらいしかできることはありません。細く長く、取り組み、付け加えることがあれば「できる範囲」でやっていきたいです。

2011年3月16日水曜日

援助活動と主義主張は違う

I reject an argument of oppose the construction of a nuclear power plant.
I think that action and argument is different.

日本語でも英語でもうまく説明できないので、多分に誤解を招きそうな表現になってしまっており、大変な申し訳ありません。

ただ、この私の中でコツンと響いている違和感はどうにかしておかないと、何だか私自身が別の立場で同じことをしてしまいそうなので、誤解を恐れず敢えて表現に挑戦してみます。

福岡の原子力発電所、本当に心配です。
一連の報道を受けて、私が感じているのは、感情を置いておけば「原子力発電所のこの仕組みでどうして電気ができるのだろう」というシンプルな問いに集約できてしまうのであって、燃料棒の露出とか冷却水の漏れとかといったことについて、基本的なことがわかっていないし、図示されてもよくわからないというのが正直なところです。
ただ、原子力発電(燃料にウランを用いて発電する)によって、化石燃料に頼っていたら将来確実に供給不足になるエネルギーを効率よく作り出すことができる、ということは、その発生する電力量を見れば明らかであって、更に福井県の「もんじゅ」のプルトニウム生成の仕組みによって、半永久的にエネルギーが生成される、という認識です。
併せて、自然エネルギーがその需要をまかないきれない資産しか生み出せていないことも見聞きしています。

私が解せないのが、今、このタイミングで静岡県浜岡原子力発電所に運転停止を申し入れようとしている人がいることであり、要請書への署名を集めている人がいることであり、浜岡原発に電話をかけて運転停止の理由について説明したと言っている人がいるということです。

実際に、福島の原発が運転を停止したことによって、電気の供給が間に合わないということで、計画停電が始まっているのであるわけで、この状況下で浜岡を停止させようとする人が考えていることは何なのかというわけです。

緊急事態で必死で何とかしようとしている福島原発の関係者の方、そしてその影響を受けて同様に必死で電力を供給しようと働いている電力会社の方々に対して、対立する主義主張をぶつけてどうするのだと、率直に思ったわけです。

事故起こってない時に、相手を説得するデータを作って、相手を納得させ、代替手段についての現実的な提案をもって初めて原発停止の要請をするべきであって、そういった活動をしている(だろう)人たちが、「福島で事故あったから、浜岡もあぶないぜ」と言って、匕首を喉元に突きつけるような行動(にもなっていないと思いますが…説得力が全くない)に出て、職員の勤務時間を割いてしまうのはいかがなものかと。

今できることは、具体的な行動で被災者の生活を支えることであり、原発の動向を注視しながら、正確なデータを明るみに出して説明させた上で、具体的な対処方法をみんながわかるように説明させ、実行することが必要なのではないでしょうか。
主義主張という抽象的な議論をしている暇はないと思います。

このあたり、市民活動家と行政とがコミュニケーションできない理由でもあると思うのですが、それはまた筆を改めて書きます。

まずできること、ですが、それが「やるべきこと」でなければ意味がないと思います。

2011年3月14日月曜日

大地震の影響

東北・三陸沖大震災の影響が、福島原発を通して私の現住所、勤務地共に影響がでています。
思い切り地元ネタですが、本日は、最寄り駅から池袋への電車の運行が終日見合わせということになっているため、6つ先の駅まで自転車で通勤しました。
3つ先の駅には10時になれば電車がくるということだったんですが、夕方は16時までと21時から終電の運行ということで、どうも都合が悪く、そもそも震災明け初日ということで、いくつも調整事項があるため、3つ先から腹を括り、6つ先まで、時間にして1時間ほどのサイクリングでした。
「行きはよいよい」とはよく言ったもので、朝はアドレナリンがガバガバ出ていたようでノリノリだったのですが、その疲れからか昼過ぎには眠くなり、帰りはテンション下がりまくりで岐路につきました。この通勤方法はもって1週間だと思ったところです。

目的の駅からは、地下鉄で都内に侵入し、山手線をつかって出勤しました。
振り替え輸送をしていないので、なぜか通勤が実費になってしまうという思わぬ負担もありますが、そのうち復旧するでしょう。
現在の都内の状況では、とりあえず山手線かと。東京メトロを乗り継いでいくという普段の動き方では、乗り継ぎが悪かったりして信頼性に欠けます。

意外だったのは、池袋・上野といった普段はターミナル駅となっている駅が閑散としていたことです。

仕事は、とりあえず今週の業務をキャンセルするという調整がメインになるわけですが、各企業の人事担当者とやりとりすることも多く、全国規模の企業では地震の物理的影響をもろに受けているところもあるとのこと。小売店が壊滅状態だ、などという思わぬ副情報もあり、改めて地震のすさまじさを知ることになります。
とはいえ、今日やった仕事は、単純にこれまで立てていた予定を崩すことであり、単純に仕事量が増えたなと感じてしまいました。

今日はいろいろ考えたのですが、計画停電の実施が、二転三転しつつ時間が経ち、結局第5グループが停電を実施したということで、実際に実施されたら困ることも多いのだけれども、停電は都内を含めて明るい内に少しずつ実施することはできないのかなと思ったところです。ただ、この計画停電をぎりぎりまで実施しなかった政府の決断が、おそらく「電気を止めない!」ことで調整したのだろうなと思い、苦労をねぎらいたいところもあります。
また、上記したことで、電車の運休がどのように決定されたかわかりませんが、電車を運休にすることが、鉄道会社にとっては重大なことなのだろうと察するきっかけになりました。

地震の影響について。
私の目に見えること・考えたことのみメモです。

2011年3月13日日曜日

被害状況

無事に帰宅しました。
まぁ、半分は予想通り、半分は予想外の被害がありました。
一度大きく揺れてから、揺れ戻った感じですね。食器棚の中にあるものが飛び出していた一方、食器棚の戸が閉まっていて落下せずにすんだものもあり。
グラス3つと急須1つが破損。カラーボックスは軒並みずれており、台所のカートも大きく動いていました。後、
洗濯機が数センチ動いていました。

改めて、地震の大きさを思い知りました。耐震グッズって大事ですね。
経験からわかったことだけメモ。
・書棚の書籍は、きちんと並べて収納していれば被害は少ない。平積みにしているものは、軒並み落下していた。
・ガラスのものは、落下すれば十中八九割れる。陶器は意外と丈夫。
・突っ張り棒と、床と家具の間に入れて壁側に角度をつけるグッズの組み合わせは、壁にねじ止めする以外の方法では有力。
といったあたりです。
以下、写真は、帰宅直後の自宅の様子です。

おそらく考えに考えた行動だとは思うのですが・・・

地震の影響、すごいことになっていますね。
前回の書き込みの通り、私は偶然の帰省と重なり、地震の影響は全くないところで地震報道を視ていたのですが、これから自宅へ帰ります。
実家に妻子を残して帰るのは、予定していたことだけれども、私は身軽で家族も実家の家族がいる安心感がある反面、今回痛烈に感じた「家族一緒にいること」ができなくなってしまう不安も、確かに私の中に存在しているなぁと思うところです。

原子力発電所のこと。
報道で何度も冷却水の説明を受けても仕組みがよく理解できずにいるのですが、大変なことになっているというのは、各報道を視て感じ取れます。淡々と状況を説明するNHKに対して、「爆発したらどうなるのでしょうか?」と質問を専門家に浴びせる民放との違いを感じつつ、「わからんものはわからん」と思ってしまっているところです。
学生時代に、きちんと浜岡原発行って説明してもらうんだったと、ちょっとだけ後悔しています。

そんなわからない前提で話をするのもいかがなものと思いつつ、目下理解できないのは、今、この時点で浜岡や福井の原発に対して「運転停止」の要求が市民活動レベルで行われていること。
ありえないことだけれども、この要求を原発が了解してしまったら、日本はどうなってしまうのだろうと考えたところです。
節電、節電と官房長官も、Twitterでも報じているのに、他の原発停止したら、そもそもの供給量が減少して、必要なところにも電気がいかない状況になってしまうじゃないかと思ってしまうのですが、どうなんでしょうか。そうでもないのでしょうか?

元々私は「実体験主義」で「プラグマティズム」な、「見えないものはわからん!」と言い放ってしまうような人間ですが、今回もその例に漏れず、自分で考えて思い及ぶ範囲で、できることをしていこうと思います。
個人的にも、恩師と連絡とれずにいるのが心配です。元々、マメに連絡する方ではない(お互いに、ですが)ので、ご本人は大丈夫なのでしょうが、ご家族まで考えたら心配です。

というわけで、某署名活動は放置して、まずは見える範囲で。
今日は、自宅へ帰って被害状況の報告と部屋の片づけ(被害が少ないことを願います)。
明日、出勤できたら赤十字を通して義捐金を送ろうと思います。

@東海道新幹線にて移動中

2011年3月12日土曜日

私は無事です。

日本が大変なことになっていますが、みなさま無事でしょうか?
私は、不幸中の幸いなのか、昨日(10日)は有給を取得して、実家へ帰省しています。

宿舎の状態が気になるところですが、私は家族とも無事ですので、一応お知らせまで。

2011年3月8日火曜日

衝突が生み出すもの

半年くらい前に、シーシェパードが、日本の調査捕鯨について批判的な立場をとっており、その活動を妨害しているという報道を見聞きした。

報道については、私自身思うところもあるので、いつも一歩ひいて見てしまうのですが、率直に何でこうなっちゃうのかなーと思っていました。
この妨害(と思われる、調査船舶に対する衝突等の行動)を支持する人は、彼らの行動に同調する人「だけ」だっていうことは、ちょっと相手の立場、傍観者の立場になればわかりそうなものなのに、そうしない。
本当にこうした行動しか方法はないのかということについて、疑問を持つ人が組織にはいなかったのだろうかと考えてしまう。

皮肉なことに、生物多様性を本気で考えている(だろう)人たちが、実は「(考え方の)多様性を認めない」人たちの一部だったりするのではないかと思ってしまうわけです。
私は、人類皆兄弟のような理想的なものの考え方ができずに、超現実的に泥にまみれる現場の人間なので、余計にこういうことを考えるのかもしれません。
降りかかる火の粉は払います。でも、衝突しようとぶつかってくる人にも、何らかの理由があるわけで、その理屈をお互いが理解できたなら、少なくともお互いの立場を踏まえた落としどころが見つけられるのではないかと思って、日々の仕事に向かっています。仕事だけでなく、もちろん生き方もそれに近づこうと悪戦苦闘する毎日です。

そんな風に考えると、善悪の二項対立は、次の「何か」を生み出すことなく、お互いに負のイメージしか残さないのではないかと。
そして、お互いの負のイメージが何を生み出すかというと、お互いの「無関心」になってしまうのだと思います。

2011年3月7日月曜日

二項対立構造の限界

学生の頃、環境活動に傾倒して参加して感じてきたことが、ひょんなことから言葉になって浮かんできたのでメモ。
環境保全、地域のつながりの復活、伝統の継承など、一言で「環境」として括られる一連の内容について、それを「取り戻す」もしくは「再構築する」といった文脈で、様々な取り組みや文化活動を取り上げることが目立つ。

この構造って、私が学生の頃と何ら代わりがないように受け止めてしまいます。
それだけ問題が複雑で、解決困難なものであるという側面も確かに存在すると思うのですが、ここで問われているのは、私を含めた「一人一人」の生き方ではないかと思ったわけです。
この感覚は、学生の頃から何となく見え隠れしていたのですが、言葉にしてみるのは初めてかもしれないです。

環境活動の文脈で、とかく矛先が向くのが、大企業や賛否の割れている建造物(原発等も含まれるか?)、およびそれらを保護するような政策等ですが、一歩ひいて考えてみると、そうした論陣は、病気の治療で言えば手術や投薬のような対処療法であって、根本的な改善には向かわないのではないか。むしろ生態系だけでなく、社会科学を考慮した政治の現場まで視野を広げると、よけいな歪みを生むことになってしまうのではないかと思った次第です。

とりあえず、出勤時間なので、今日はこの辺で。

2011年3月4日金曜日

雑記110304 Hay fever season.

Hay fever season has arrived again this year.
I'm suffering from hay fever.
In my case, hay fever arrive to me about Febrary to July.
Bad season for me. Ummmmm...

花粉症の季節です。
これまで5月頃に鼻水や目のかゆみがひどかったことはあったのですが、昨年、あまりの症状のひどさに病院で診察してもらったところ、かなりの重傷であることが発覚。
2月のスギから徐々に進行して、4月頃のヒノキでちょっとだけゆるくなり、5月以降のイネ科のもので再度ピークを迎える、というのが私の花粉症です。

多くの方が反応するスギの季節に始まって、みなさんが落ち着いてくる頃にもぐずぐずして、多くの方が「乗り切った!」と思われる頃に次のピークがくるという、なんとも言い難い花粉症。
薬代もバカにならないのですが、異動してもしなくても忙しいこの時期、仕事のパフォーマンスが落ちるというのが何とももどかしい。
今は、家族のために早帰りを慣行しているところで、そのために仕事のパフォーマンスを最大により近づけているので、キツいですね。まぁ、うまくつきあっていきます。

みなさんの花粉症はどうですか?

2011年3月2日水曜日

雑記110301 In the cafe.

I go to cafe almost everyday.
That aim is working or reading books or so.
Yesterday, when I went to StarbacksCoffee, I was surprised that many guest were high school student.
Times are changing.

マクドナルドに入り浸っているという話を以前書き込んだかと思います。
相変わらず「書き物は外で」やっています。
拠点(?)になっている鶯谷では、マクドナルドのヘビーユーザーなのですが(先日、「今日はティーですか?」と聞かれてしまいました)、他の駅からの帰宅などの場合、都合のいい場所にマクドナルドがない場合など、他のカフェを使うことも少なくありません。
昨日は、所沢から直帰だったので、西武線本川越のスタバを使ったのですが、何となく違和感。。
周囲を見回すと、高校生に囲まれていることに気づきました。
カップルっぽいところから、女子会ばりのキャピキャピした子たち、他は勉強にいそしむ高校生、何と社会人は少数派でした。

時間帯やら立地やらで、客層はずいぶん違うのでしょうが・・・ちょっとビックリさせられました。
私が高校生の時は、喫茶店に入るのは少しハードルの高いことだったし、チョイスはファーストフードかファミレスだったことを考えると、時代は変わった、と思ってしまいました。
関東じゃ、当たり前の光景なんですかね?お金あるのかな、などと邪推をしてしまった一件でした。

2011年3月1日火曜日

おかあさんといっしょスペシャルステージ

I went to concert "Okasan to issho, Special stage" last saturday.
My daughter get nervous there.
But when we get back home, she say "Enjoy it!" "There was Wan-Wan".
I think that she enjoyed that consert.


先週末、おかあさんといっしょのコンサートに行ってきました。
娘はアウェイで緊張しまくり。
コンサート中は動かず歌わず。キャラクターや歌のおにいさん、おねえさんが出てきても全く反応がないように見えました。
最後の方は眠気と戦っていたようにも見えたのですが、ウチに帰ってから「コンサート楽しかった」「ワンワンいたね」などと言っているのを見ると、何だ結構楽しんでいたんじゃないかと、安心したところです。
ウチの娘は、私の幼い時に似ているようで、外ではビビりで緊張しいです。
まぁ、それも成長している証拠と性格かな、なんて。

それにしても、おかあさんといっしょといえど、やはりライブです。
大人の私もしっかり楽しめる内容でした。
子どもだましじゃ、見抜かれることをわかっているのでしょう。
50年続くテレビ番組が中心となったコンサートなんだなと、改めて実感してきました。
歌が好きなら(歌えなくても)オススメです。子どもが泣いても、ぜんぜん平気、というのもいいですね。

楽しい一日でした。

2011年2月26日土曜日

おかあさんといっしょスペシャルステージ

人が入ってきました。@さいたまスーパーアリーナ

2011年2月25日金曜日

週末はコンサートへ

週末は仕事が休みなこともあり、なるべく子どもと過ごすことにしているのですが、明日はちょっとイベントです。
娘とコンサート行ってきます。

おかあさんといっしょファミリーコンサート@大宮

さいたまスーパーアリーナでの年1回の大きなコンサートです。
娘にとっては、おとうさんといっしょにおかあさんといっしょコンサートに行くわけですが、Iyokiyeha自身が結構楽しみだったりします。

報告するかわかりませんが、楽しんできます〜

2011年2月24日木曜日

Earthquake at Chiristchurch

I surprised the news of earthquake at Christchuch.
I went to NewZealand about 4 years ago for Honeymoon.
I hope that Christchurch will be restored as soon as possible.


ニュージーランドの地震のニュース、本当にびっくりしています。
何がというわけではないのですが、新婚旅行で行った土地ということ、そのときに行った大聖堂とか、有名なところの悲しい姿がニュースで報道されていること、何だか寂しい気持ちにさせられました。

古い家の並ぶ町並みが、何とものどかな雰囲気を醸し出していて、それはきれいな町でした。
町の一日も早い復興と、現地の方々の無事を祈っております。

2011年2月22日火曜日

娘の発熱

My daughter caught cold last weekend.
When I get back home, my daughter greet me at the door everyday.
But she said only "OKAERINASAI" with pale face at the door.
I hope she recovers soon.

週末から調子が悪そうだった娘が、昨日熱を出してしまった。
いつもは私が帰ると、バタバタとドアの前までやってきて「おかえりなさーい」といってくれるのだけれども、昨日はだるそうな顔で、ハスキーな声で「おがえりなざい」と一言。
何はあっても、家族は元気なのが一番だと思うところです。
早くよくなるといいね。

2011年2月21日月曜日

胃の痛みとコーヒーとリンゴジュース

I have stomachache in these days.
It's is causally-related to coffee that I drink everyday, a lot of cup.
Now, I ordered a cup of tea at McDonald-Uguisudani Sta.

先週末から続いていた胃痛ですが、週末に入って少しひどくなり、原因を突き止めようと生活を振り返ったところ、仕事とかのストレスは横においておいて、仕事とその周辺で飲むコーヒー量の増加が考えられるということに気づきました。
残業時間を減らすために、逆説的かもしれないけれども、持ち帰り仕事を増やして、帰宅前に処理する、という生活を強調しだしてから早1ヶ月ちょい。
身体へ影響する事柄といえば、運動習慣がこれまで以上に減少したことと、オフィス外作業のためのコーヒーを飲む機会の増加ということで、ふと思い当たったところです。
とりあえず2,3日、ブラックコーヒーを断って様子を見て、少し飲料量を減らしていこうと思います。

というわけで、今日はマックで紅茶を注文しました。いつものお姉さんに「おやっ」という顔をされましたが、まぁこちらの事情なので。夕方は、Minites Madeのリンゴジュース買って、娘へのおみやげにでもしようかと(笑)。

2011年2月17日木曜日

雑記110216 雇用条件と政治

My job is Vocation counselor for Disabilities in Japan.
I like my work.
But conditions of employment is getting worth in these years.

残念なことなのだけれども、やはり雇用条件は切り下げの方向になるのだろう。
なんかアホらしいよなぁ、全国転勤だけど住居は自分で用意して、引っ越しも自己負担あることが明らかなのに、その補償がないと。
外部情勢が、という組織上部の答弁もわからんじゃないけど、こんなこといちいちうなずいていたら、転勤できずに仕事を辞める人も出てくるだろうなと思うこの頃です。
政治が悪いのか、そんな政権を選んだ有権者が悪いのか、はたまたこんな職場を選んだ自分が悪いのか。
わからないけど、雇用が不安定なのって大きなストレスですね。

2011年2月14日月曜日

Feeling sickly.

Today, I feel sickly in train.
I am barely able to stand.

何だか知らんけど、通勤電車の中で非常に気持ち悪くなった。
食べ物か天気か、それとも気分か。
以前、仕事でも考えたことだけど、いわゆる精神的な疾患で「通勤が辛い」方の実際の身体の変化は、電車通勤かどうかで、随分変わってくるのだろうなと。電車も、各駅利用者か特急利用者かで。

しっかし、今日はしんどかったー。

2011年2月10日木曜日

110210雑記 口は災い(?)のもと

Out of the mouth proceeds evil.
But I sweat out this situation 2 months go.

ここ1年くらいのぎくしゃくの原因が、ふとしたことから浮かび上がってきて、それがまさに自分の何気ない発言にあったのだろうとわかった瞬間、「しゃあないか」と腹をくくることができたIyokiyehaです。
その一言がきっかけで今の状況があるのなら、今年度後2ヶ月はきちんとそれを受け止めてやっていこうと思った次第です。
そんなミスコミュニケーションにも反省し、できれば来年も東京で働きたいと思っているのですが、さて、どうなることやら。

2011年1月31日月曜日

110131 Study English(会議1)

・みなさんにこの件についての私の意見をお話します。
I will share with you my opinion on this issue.
・新規ユーザーを100万人獲得することを目指します。
We aim to acquire 1 million new users.

2011年1月28日金曜日

110128雑記

二児の父になってから、2ヶ月半。
家族内の「なんとなく役割分担」の結果、残念ながら下の子よりも、上の娘といる時間の方が長くなっているIyokiyeha です。

手間の軽重というよりは、余裕の配分とでも言うのでしょうか。0歳児も2歳児も、手間の質が違うだけで、どちらがより手間がかかるというわけでもなく。
休業明けから仕事に割く時間が長くなったこともあり、疲労も蓄積し始めました。帰宅後、ぐったりしてしまうこと(気を遣うクライアントと連続相談したときなど)も少なくなく、そういうときはどうしても余裕がなくなってしまい、眠くでぐずる2歳児にも「うるさい!」とか言ってしまうことも。
度が過ぎれば「おいおい」ということもありますが、基本、妻が子供にイラつくことも「致し方なし」と思うところです。鳴き声の合唱などは、疲れた身体にはホントこたえます。

とはいえ、全部ひっくるめたらそれも楽しく思えてしまうあたり、子育てって不思議だなと。夜中に声をあげる2歳の娘。「せーくんがさーき」と、夢の中でなんの順番待ちをしているのかわかりませんが(笑)、そんな声で起こされるのも、そんなに悪くないと思うこのごろです。すっかり寝不足なんですがね(苦笑)。

中谷健一『「どこでもオフィス」仕事術 ー効率・集中・アイデアを生む「ノマドワーキング」実践法』ダイヤモンド社、2010年。

オフィスにとらわれず、いわゆる「職場」以外の場所で仕事するための知恵が詰まった一冊。特に喫茶店などの特徴が詳細に記載されていることや、ちょっとした小物について、著者の愛用品がいくつも紹介されている。

Iyokiyehaは、育児休業明けからこうした「ノマドワーキング」の実践者になりつつあり、出張に行くと書き物を終えるまで帰ってこないことが続いています。
やっぱりMacがコスト、インフラ、雰囲気ともに使いやすいですね。ドトールは嫌煙家の私には特に夕方はきつい。最近入り浸っているのは、鶯谷、御徒町のMac、池袋南口近所のイタトマです。

「書き物は外でやる」と決めてから、アウトプット量は単純に増加しているように思います。外で仕事をするためのコツやツールについて知りたい方には参考になる書籍かと思います。


おすすめ度:★★★★☆(ノマドな人たちへ)

110128 Study English(遅刻、折り返し電話)

・渋滞につかまってしまったため、会議に10分遅刻します。
I'm afraid I will be arriving 10 minites late due to heavy traffic.

・今日中に、お電話をいただけないでしょうか。
Could you call me by the end of the day?

2011年1月19日水曜日

お疲れモード

電車に乗って、座席について、ぐっと背もたれに寄りかかったときに「あー」と声を出したくなったら疲れています。
頭に浮かんでいることと、別の言葉が口から出たら、脳機能が低下しています。

出張が続いて、外を歩くことが多くなりました。都内は意外と歩く。東京勤務になる前まで、出勤前にジョギングしていたのを辞めたのに、それほど体重/体脂肪率が変わらなかったのは、このナチュラルウォーキングの果たしている役割が大きいと思います。
岡山、山梨勤務の時には、車を運転していて眠いと疲れのサインだったのですが、東京ならではのサインですね。

今日の失態は、昼食を食べ損ない、夕方までテンションあげてやっていたところで、仕事が終わってぷっつんきたらしく、Family Martであんぱん買った時のレジで一言「nanacoでお願いします」。
レジのお姉さんが笑いながら「Suicaですね」。
あっ、と思った時に「おつかれさまです」と笑顔。
なーんか、こういうのっていいですね。
近所のセブンイレブンにも素敵なお姉さんがいるんですが、お店での癒しってあるなぁと思うこの頃です。

(サマリー)Retiring Generation Gap: How Employees Young & Old Can Find Common Ground(ジェニファーJ・ディール著『ジェネレーションギャップを埋める ー若い従業員と年配の従業員の共通点を探る』)

Executive Book Summaryより。
あらゆる組織の中で生じる「ジェネレーションギャップ(GG)」と呼ばれる現象。
考え方や作業の進め方、物事の割り切り方や、果ては私生活まで。
世代の違う人と人とが「わかりあえない」と感じるときに、GGだと言われる。
本書では、「GGは狭めることができる」ということを、膨大な調査(3200人への調査)によって導き出している。
特に職場でのGGに橋渡しをするための10原則が紹介されているのだけれども、その中でもおもしろいと思ったものについてコメントする。
まず、スタンスとして「GGは世の中で大げさに扱われているだけで、すべての世代の従業員はほとんど同じものを求めている」ということ。
たとえば、Iyokiyehaくらいの世代の人が大切にしたいと思っていること(本著では、家族、誠実さ、成功、愛、能力、幸福、自尊心、賢明さ、バランスのとれた生活、が紹介されている。全く同感であるが、、、続きます)は、すべての世代にとって上位にランク付けされた価値であるということ。
これだけだと、調査の結果であっても実感として納得できないのですが、ここで「原理1 すべての世代は類似した価値観を持っている;表現方法が異なるだけである」というものを加えると、なるほど納得、でした。
Iyokiyehaも他の例に漏れず、年配の方のやり方についていけないと感じることは多々ありましたし、今もあるわけですが、納得できないままであっても少し状況を俯瞰してみると、やっぱりこういうことなのかもしれないなと思ったところです。
GGというよりは、ただのコミュニケーションギャップなんだろうなと。お互いに「わかりあえない」「わからない」という感情を全面に出してしまうから、コミュニケーションギャップが埋められず、その状況をストレスにしないためにGGだと短絡的に結びつけてしまう構造がここにあるのかなとも思います。
実際に、GGがあると感じていた方と同世代の友人もいるわけですし、すべて一緒に考えることは非合理的であることは理屈ではわかるのですが、感情が邪魔してしまうのかもしれません。
これ一つでもすごくおもしろかったのですが、他の原理では、権力闘争がつまらないこと、という当たり前のことや、Iyokiyehaにとって意外だった「変化を望んでいる人はほとんどいない」ということがあげられれます。前者は言わずもがな。後者については2300人中12人しか変化を望んでいる人がいないという結果だったようです。ここでいう「変化」が何にあたるのかわかりませんが、Iyokiyehaのイメージとは違うのかもしれません。きちんと知りたければ原著にあたる必要がありそうですが、現時点では私自身の考え方というのも疑ってかかるチャンネルを持たなきゃいけないなと感じたところです。
調査結果が本当におもしろい内容でした。

2011年1月11日火曜日

110112Study English(発注、見積書依頼)

・この製品の最新モデルの在庫はありますか?在庫があるならば、すぐに注文したいです。
Do you have the current model of this product in stock?
If so, I'd like to place an order right away.

・1月4日の会議に間に合うように見積書を送っていただけないでしょうか?
Could you send an estimate/quote on time for the meeting on January 4th?

2011年1月7日金曜日

110107Study English(交渉、取引、お礼)

・注文した製品がまだ届きません
We haven't received the product we ordered.

・価格をもう少し交渉させていただけませんか
Could we negotiate the price a little more?

・商品の到着後、2週間以内に代金をお支払いください
Please make your payment within two weeks after you receive the shipment.

Thank you.
Thank you very mach.
Thanks.
Thanks a lot.

2011年1月5日水曜日

110105Study English(質問).txt

・なにかご質問やご意見があればおっしゃってください。
If you have any questions, please let us kyow.

・お伺いしたいことがあります。
I have a question.
There is something I would like to ask you about.

2011年1月4日火曜日

110104Study English(不在、来訪依頼)

・あいにくその日は出張で東京にはおりません。
I'm afraid I won't be in Tokyo that day.

・弊社のオフィスへお越しいただけないでしょうか。
Would you be able to come to our office?

2011年1月3日月曜日

育児休業を終えて

11月15日から休みに入って1ヶ月半くらいの期間が経ちました。
明日1/4から復職します。
いろいろ考えたこともあり、これまでもいくつかメモ程度にBlogで書き込んでいましたが、いろいろありながらも「いい時間を過ごせた」ということができます。
また、気づいたときに色々アップしようと思いますが、まず一つだけいうなら、確実に視野は広がったと思います。
何でも、のめり込むと視野がぎゅーっと狭くなって、更に視野が狭まっているから自分の視野が狭くなっていることにも気づかなくなってしまいがちです。
皆さんに身近な経験で読みかえてくれたらいいですが、Iyokiyehaの経験では、合気道の乱取りがしっくりきます。近い間合いで組み合っているときには、相手の一挙一動ばかりに反応してしまうのですが、一旦組み合いから離脱できると、相手のことがよーく見える、これまで如何に無駄な動作を繰り返していたのか気づいた、みたいな。
主婦である妻の苦労をよく知ることができて、第二子だけでなく、第一子の成長の最前線にいることができ、近所付き合いや、近隣施設の利用を通して、改めて職業人としての自分を相対化することができたように思います。
家事の段取りと優先順位の付け方などは、そのまま仕事に応用できそうですし、そもそも家族の存在が全ての基盤になっていることにも気づきました。父親としてやるべきこと、職業人としてのキャリア形成、力量形成についても考えを巡らせることができました。
併せて、制度そのものに対して感じることや、社会的な注目度についても考えるところがありました。
これらについては、今後も少しずつ書いてお知らせします。今日はとりあえず、復職前日に振り返って思うこと、「育児休業とってよかった」と胸張って言えるということを、御報告させていただきます。

110103Study English(アポイント)

・ご多忙のところと存じますが 、来週、お目にかかれないでしょうか?
We realize you are very busy, but would you be able to have a meeting with us next week?

・メールでのやりとりには限りがありますので、一度、オフィスにお邪魔してもよろしいでしょうか?
Do you think I could visit your office? There is only so much we can do via email.

・いくつか日時の候補をいただければ、こちらのスケジュールを合わせます。
It would be great if you could give me two or three dates and times that would work for you. I will see if I can work my schedule around yours.