2020年5月10日日曜日

理解できる、理解しようとする

 一方的な文句を言える人は、相手を理解できていないだけでなく、相手を理解しようとしない、ということなのだろう。
 何かの拍子に自分の発言が認められたと感じると、その方法が「その人にとって」有効な手段としてその人の経験となる。何度も認められれば、その人が主張するときの常套手段となるのだろう。
 例えば、威圧的な大きな声を出す、相手の業務範囲を超えて「もっともらしく聞こえる」主張を繰り返す、「もっともらしく聞こえる」資料作成を要求する、毎日報告を求める、見える実績を強要する。大きな声や威圧的な態度は、人間関係を上下関係に固定して主張を命令化しようとする行為といえる。もっともらしく聞こえる主張や毎日報告、資料作成の依頼は、数値化とか定期報告などの公開を求めることだが、「何のために?」「誰のために?」と問うた時に、どんな答えになるのか興味深い。このあたりの話題は、厚生労働省がハラスメント対策と合わせて「顧客や取引先からの迷惑行為」として情報収集しているところであるが、ガイドラインの作成などを期待したいところである。
 要するに、相手のことを理解しようとしないから、「もっともらしい」主張であっても、その実は自分のための要求にすりかわっていることが散見される。足元を見ないから、海外の事例等を持ち出して、主張の補強をしようとする。打つ手がなくて困っているところに、具体策や有用な情報もなく行動することばかりを求める行為は、無責任で自己中心的な行為といえる。そのことを言葉を代えて伝えようとしても、そもそも相手を理解する気がないから話題が噛み合わなくなり、ますます声が大きくなり、根拠のない自分勝手な主張になっていく。「もっと仕事してください」、具体策のない発言は、もはや主張にはなっておらず、相手にも伝わらず、自分の立場が危うくなっていることにも気づけず、話も聞いてもらえない、伝わらない不全感が募るばかり、それでも(自分勝手な)主張を聞いてほしいから、時間ばかりが過ぎていき、相手の邪魔をしていることになる。他方、言われた方は「自分が悪いことをしている感」が募り、不安と心拍数の増加、過緊張に襲われる。思考の柔軟性は損なわれ、全く生産性のない時間が流れていくことになる。
 一方的な発言、いわばオレオレ発言については、感情を動かさずに(冷静に)、こちらは無責任なことを言わず、言うべきこと、言う必要のないこと、言わない方がいいこと、を区別しながら、説得しようとしない(わかろうとする準備がないので、わかってもらえない)こと、自分の身体反応を把握して度が過ぎればそれを伝えてしまう、周りに支えてもらえるようにきちんと共有しておく(特に職場)、という準備をしておいて、反撃に備える。反撃はシンプルに端的に「一方的に」相手の反撃を許さないように行う、というのが基本的な対策だと思う。厚生労働省のガイドライン、早くできるといいよね。反撃の補強・根拠になると、社会はもう少し生活しやすくなると思う。
 相互理解を求める人が、実は一方的な人だった、ということは珍しくない。相手を理解しようとしない人に相互理解を求められる時に襲ってくる徒労感ほど疲れることはない。相手のバランス感覚が問われることですが、バランス感覚はあるかどうか、とその自覚があるかどうか、の二軸で考えた方がより本質に迫ることができると思います。場と内容等が変わればバランスがとれるのか、あるいはそもそもバランスをとろうとする自覚があるのかないのか。「話せば分かる」ことばかりではない、ということを肝に銘じておかないといけません。バランス感覚そのものが「ない」場合には、自衛すべきですね。
 自分の頭の整理のための投稿ですが、ひょっとして今こういうことに悩んでいる人がいたら、その改善のヒントになれば幸です。私の場合は、様々な「貴重なご意見」(カッコ付き、ね)へ対応するための整理ですけどね。