2009年6月27日土曜日

東京でのお仕事

事務所を出る時間が、20時、21時となってきて、それに伴い睡眠時間も短くなってきた。
最近は娘も夜中に寝ぼけて声をあげるので、起きたり起きなかったり。
通勤電車の中では、立ったまま(座れないので)寝ているのか寝ていないのかという境をさまよっていることもしばしば。
時々、前の人にごっつんしてしまうことがあるのだけれども、今のところ女性にはやったことがないので、特に大声を出されることもなく。
しかし、満員電車はいろんな意味でリスクがある。

毎日、ドアtoドアで1時間20分程、通勤には時間がかかっているのだけれども、その間ずっと立ちっぱなし。
それも、自分の意思でバランスを調整できない場合もあり、朝なんかは上野駅に着くとぐったりである。
ぐったりしているところに、上野駅は「乗る」お客さんが多いので、登り優先の階段を下ってくる人も多く、以前は腹を立てていたのだけれども「みんな必死なんだなぁ」と思う。
理解が深まったとか、人に優しく、とかそういうレベルではない。
ただ単に「どうでもいい」という感じである。
都会は人が多いけれども、それに比例して知り合いが増えるわけではなく、個人的には全体に占める「無関心」の割合が増えている気もして、あまり面白くない。
長く過酷な通勤時間の中で、敢えて「いいこと」をあげれば、電車に乗っている正味40分くらいは、まるまる勉強に当てられて、徒歩移動している時間にPodcastでニュースとか聞いて情報収集できることと、「ちょっとした買い物」のグレードがあがったことか。

仕事はといえば、他の勤務地と基本的な業務内容は変わらないのだけれども、その内容はやはり東京ならでは、というものが多い。
事業主の支援、ということを無理やりにでも意識させられる内容あり、社員研修の講師あり、など。
今までも、制度という枠を思い切り引き伸ばして仕事してきたつもりだけれども、今の仕事も千差万別。
一件一件を「創る」意識でやっています。
件数がとにかく多いから、クライアントと接する機会が少なくなってしまうのは残念なところ。
そこをカバーできる支援チームが組めれば申し分ないのだけれども、それはこれからのお話。

東京に勤務していて仕事がやりやすいことは、Eメールが実用的なこと。
個人的には、連絡は電話よりもメールの方がありがたい人なので、連絡は確実に記録が残るメールがいいのだけれども、これまではそういう機会になかなか恵まれず。
東京ではメインの連絡手段になっているメールですが、これも件数が増えると大変です。
5分/件とか、少し制限しないと大変かなとは考えているけれども、これも今後の課題。

よくもわるくも東京ライフ、何とかやってます。

2009年6月21日日曜日

相対的な時間

先日、テレビで島田紳助が「こどもの時の一年と、大人になってからの一年の長さが違うのは、『新しいことの量』だ」と言っていて、なるほど納得させられた。
Iyokiyehaにも子どもができて、休日、一日中子どもを見ていると、何が楽しいだかよくわからないものに興味を示していつまでもいじっている。
例えば、コンセントが抜けている扇風機のスイッチ。
押したって動くわけではないのに、いつまでも叩いてボタンを押してみて、あれこれといじりまわしている。

こんなものにも「新しさ」や「楽しさ」を感じるのだなぁ。

Iyokiyeha娘が、今どんなことを考えて、何をどのように見ているのかということは、残念ながら知る術がない。
でも、一つだけ言えるのは、Iyokiyeha娘が毎日「何か」に興味を持って、「何か」できるようになっているということ。
これだったら、毎日楽しかったり、悲しかったりするんだろうなぁ、と。

そんなことを考えるIyokiyehaを振り返ってみると、割と好奇心旺盛ではあると思うけれども、それでも扇風機のスイッチは「スイッチでしかない」のである。
こうした知識や、ある程度の固定観念は、それが形成されることによって効率よく行動することができるものであるため、全く要らないものとは言わない。
ただ、そうしたことにとらわれてしまうことによって、本来「楽しめること」が楽しめなくなってしまっているのかもしれない。

いつでも楽しく、明るく、そして嫌なことも笑い飛ばせるような人になって、充実した時間を過ごしたいものである。

茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル」制作班『プロフェッショナルたちの脳活用法』日本放送出版協会、2009年。

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」100回記念スペシャル、「プロに学べ!脳活用スペシャル」で紹介された内容を、それまでの放送で紹介されたプロフェッショナル達の言葉をひきながら再編集した内容。
「プロフェッショナル」好きな人にはたまらない一冊かと。

節々でビビっとくる内容にまとまっているのだけれども、今、このタイミングで特に響いたのは、以下の3点。
1.楽しむことの天才=子ども
2.自分が仕事に合わせていく
3.8割の力でしか働かない

仕事が忙しい時でも、どこかでそんな自分を、その状況を笑っていることが、どれだけ大きな余裕を心に創りだすことかということを最近よく考える。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2009/06/blog-post_14.html
(2009年6月14日投稿分)
どんなことの中にも、必ず存在する、または創りだす「楽しみ」。
どんなことの中にもそんな「楽しみ」を見つけられたら、きっとパフォーマンスは向上する。
どんな嫌なことも、人のせいにせず、外罰化せず、新しいことと思って取り組めるよう、楽しめるようになりたいものである。

障がい者の雇用支援を仕事にしていると、「その人に『仕事を合わせる』」ということをよく言うのだけれども、これは「支援」の話。
結局、多くの場合はその人がその仕事に合わせられるかどうか、ということの方が継続就労には大きな影響を与えるように思う。
前向きに仕事ができるか否か、ということの方が、障害特性に合わせた仕事のマッチングよりも重要な場合というのが少なくない。
「天職」だの「適職」という言葉が広まっているが、その本質は「やりながら成長する」ことに他ならないわけで。就職する前から「適職を教えてください」というのは、考えることを放棄していることにもなりかねないともいえる。
それはおいておいても、Iyokiyeha自身のことを考えても、別に今の仕事に適性があると思って始めたわけではないわけで。

8割の力でしか働かないというのは、さぼることを推奨するわけではなく、1つめのことと関連して、常に新しいことが入り込む隙間を作っておくということ。
目の前のことに一杯いっぱいになると、その状況を覆す知恵すら入ってこなくなる。
今やっていることを、よりよいものにするために、または、悩んでいることを、具体的に解決していくために、逆説的かもしれないけれども「余裕を持つ」ことのよさを身をもって味わってみようと思う。


おすすめ度:★★★★★(仕事をしている皆さんにおすすめ)

島耕作監修『社長 島耕作の地球経済学 基礎編』講談社、2008年。

弘兼憲史による、企業人から見た経済の様々なトピックをわかりやすく説明した一冊。特別、島耕作に絡んだ話題というわけではなく、一般的な経済ニュースの解説としてもわかりやすい一冊。
逆に、島耕作シリーズが、現代の経済状況を反映したストーリーになっているので、漫画の内容がそのまま経済ニュース解説になっているとも読める。

恥ずかしながら、Iyokiyehaは、学生時代に一般企業の経営というものを、あたかも市民活動のカウンターパートとして捉えていた時期があった。
今ではそんなことは全くないのだけれども、この本のトピックを項目だけでも見ていくと、面白いことに、世の中の経済ニュースの中に、市民活動がテーマとしている内容の多くが含まれていることに気づく。
環境問題も、教育の課題も、在日外国人の状況も、食料問題も・・・
最近は、一般企業の取組みから時代の最先端が見えてくることに気づくようになり、いろんなことを不必要に「分けて考える」ことの弊害が目につくようになってきた。
Iyokiyehaは元々、あまり専門の枠に捕らわれないことを意識して学んできたつもりだけれども、それでも世の中には知らないことが多すぎる。
様々なことを多角的に考える上で、こうした経済の入門書は有益だと考えられるようになった。


おすすめ度:★★★★☆(経済情報をアップデートしたい人におすすめ)

2009年6月20日土曜日

てらちゃんスタンプ

てらちゃんです。自宅から少し離れたところにある商店街の「第2の通貨」
だそうです。いろんなツッコミどころのあるスタンプです。

キライじゃないです。

むしろ好きかも。

2009年6月17日水曜日

新宿で迷う、再び。

新宿駅にて。

迷う。

グーグルマップは便利だけれども、駅構内で乗り口を探すには至っていない。大きな駅では、地下鉄乗り場を探すのも一苦労。

以前、新宿の地下道で迷って地上に出られなくなったのだけれども、今度は地下鉄乗り場を探して右往左往。やはり、田舎者です。

2009年6月14日日曜日

笑い飛ばす「知恵」

最近、何事も「腹を立てたら負け」みたいに考えるようになった。
わがまま言ってくる事業所の担当者にも、クライアントにも、職場の従業員にも、チームのメンバーにも、いろいろ。
何度も書いているように、Iyokiyehaは今のところ職場には概ね恵まれていると「思い込んでいる」ので、どの職場にも「?」はありつつも、ひどく悩んだことはない。

とはいえ、困ったことはたくさん起こるわけで、その度に腹を立てたり、嫁さんや友人に愚痴を言ったりしている。
これまでに被害に合われた方、ごめんなさい。

何の根拠もないけれど、どんな局面でも「笑える余裕がある」というのは大きな武器かなと思う。
新しい発想は、様々な情報が渦巻いて入り込んでくる時に、残された自分の領域との間隙を縫って入り込んでくるもののように思う。
つまり、情報過多で踊ってしまう(パニック)と、その間隙を突けなくなった発想は、自分に気づかれることなく消え去ってしまう。
そんなことを考えるようになってから、とにかく量の多い東京勤務において「とりあえず笑顔になってみる」という試みを始めてみました。

何事も「面白い」と思ってみる。
一旦そう思ってみると、意外と視野は広いまま保てるものだということを実感。
あとは、スーパーバイズに徹している自分の意向をきちんと伝えていくことが大切になります。

少し角度は変わるのですが、最近図書館で子ども向けのCDを借りています。
NHK「おかあさんといっしょ」なんかは王道なんですが、意外と大人にも聞かせる歌があったりして面白い。
とはいえ、やはり主流は、ノリのいいリズムで子どもっぽいことを聞かせる歌。
「おしりフリフリ」という歌があるのですが、最近職場にいるIyokiyehaの頭の中を支配している歌でもあります。

 ずーっとフリフリしていたら~ なんだか楽しくなってきた

こんな一節があるのですが、職場で嫌なことがあっても、いい意味でリセットできる名曲です(笑)。
「このヤロー」とか思っていても、「おしりフリフリ~」なんて頭の中にかかりはじめると「なんだか楽しくなってきた、、か?」と思えます。
こういう歌の力も借りつつ、いつも少しの余裕を持ち続けたいです。

堀江貴文『徹底抗戦』集英社、2009年。

このブログを開設する前に、堀江氏の著書を結構読んでいたのだが、その時に感じていたことが、「堀江氏の主張と、マスコミ報道の内容が、どうも噛み合っていない」ということだった。
「セレブ」という言葉が流行りだした頃で、「時代の寵児」などと騒がれて、マスコミへの露出も大きかった堀江氏。
一番違和感があったのは「女は金でついてくる」の一節。
確かに著書の中にそんな小見出しはあったが、内容は報道とかけ離れたものだったことを記憶している。
「そんな意味じゃなかったような気がするけどなぁ」と思いつつ、尾びれ背びれがついた「ラベル」だけが世の中に浸透し、いつの間にか「悪役」にまつりあげられていた同氏が逮捕されたときにも、「宇宙旅行を夢見て拡大路線を突っ走っている人が、粉飾なんかするのかなぁ」と思ったものだった。

当時の違和感の多くは、本書でカバーされている。
著者が当事者だから、そのあたり差し引いて読んでしまったが、個人的なところを言えば「無罪」に近い形で裁判を終えて欲しいものである。
自分が読んだことのある本が、マスコミで大きく取り上げられ、その一節を捉えてあれこれとコメントしていた人が、(おそらく)明らかな誤読をしている、ということに気づいてからというもの、それまでも敏感だった「情報」に関し、さらに敏感になったような気がする。
誰が、何のために堀江氏を追い詰めようとしているのか。
今後の報道にも注目、か?


おすすめ度:★★★★☆

國分康孝『カウンセリング心理学入門』PHP研究所、1998年。

仕事に関する勉強しなおしプロジェクト第3弾は、カウンセリング技法そのものを振り返ってみることにして、本書を選択。
理屈だけでなく、思い込みでなく、クライアントの「行動」に注目して、その変容を図るための様々な技法を「カウンセリング」のプロセスの中に求める。
一対一の技法だけでなく、集団や文化的な背景を視野に入れて、現実に即した課題解決を図る上で、「カウンセリング心理学」の視野の広がりは、各論を学ぶ基盤となるように思われる。

Iyokiyehaの現職は、様々な障害を持つ方と接するわけだが、その障害特性を問われた時に、改めて「教科書は役に立たない」と感じる。
自分のアセスメント技法を磨く必要は、当然あるのだが、それだけでなく「今、目の前にいる『その人』」を、どう把握するか。如何に本音に近づくか、与えられた環境に如何にマッチングさせていくか、と考えた時に、結局のところは「目の前」に返っていく。
その時に、クライアントだけでなく専門職の立場として問われるのは、専門的な知識だけではなく、現実に即した生きた情報であることは、疑いのないことだろう。
そして、そうした生きた情報を得るためには・・・と考えていくと、「役に立つ知識こそ真の知識」とするカウンセリング心理学が有用となるように感じる。
問題の「記述」「説明」「変容」を目指す心理学として、國分氏が提唱する心理学の一領域である。

「職場適応援助は、本人に対する『指導・助言』ではなく、『環境調整だ』」と感じるこの頃。
入社してすぐくらいに購入して書棚に眠っていた本著から、今このタイミングで学んだことは、今後の情報収集のハブになるだけでなく、カウンセリング技法を支える概論としても、充分に役に立つものだった。


おすすめ度:★★★★☆(対人業務に就いている人におすすめ)

2009年6月12日金曜日

こんなビルで働いています。

Iyokiyehaが勤務する事務所の入ったビル。

すぐ隣を首都高速が走っているため、こんな写真にしかなりません。

2009年6月11日木曜日

行ってみたい?

日本刀買取、の文字。
上野刀剣会館。

木刀を振っていると、真剣を抜いて振ってみたい気もする。

入ってみたいが、勇気が必要なものです。


上野にて。

2009年6月7日日曜日

石川拓治著、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」製作班監『奇跡のリンゴ ――「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録――』幻冬舎、2008年。

番組を観て、ピンときた回だったのを記憶している。
「『農家』をプロフェッショナルとして取り上げる番組かぁ」と。
率直に、番組でも静かな語り口調の背景に広がる、すさまじいまでの人生の軌跡が透けて見える、迫力のある構成だった。
ただ、時間的な制約があった分「もっと知りたい」と思ったのも事実。

その行間を埋める書籍である。
一人の農家を徹底的に取材し、インタビューを重ねて書かれた渾身の一冊。

どんな職業でも、その職業を極めていく姿勢を持っている人が「プロフェッショナル」と呼ばれる人だと思っているが、木村氏はまさに「プロフェッショナル」だと思う。
誰もが実現しえないことを、大胆な仮説と妻の体質への気遣い、そして「無農薬でできる」と信じて試行錯誤を重ねることにより、苦節十年近くを経て「木村さんのリンゴ」の栽培に成功する。

「木」ばかりを見て、その木を育む「地面」を見なかった数年間。
自ら死を覚悟して入った山の中でのドングリの木との出会い。
そして、「自然な土壌」の多様性に気づいていく。
「自然との共生」というスローガンは、もう何年も何十年も使われているものだけれども、身近な自然ですら、その多様性に気づくのは困難を極める。
その「自然」の一部となって、今立っている地面の姿にひたすら降りていく生き方をしてきた木村氏の、リンゴに向き合う姿勢は「プロフェッショナル」以外の何者でもないと思う。

サン=テグジュペリの『星の王子様』にも、本当に大切なものが目には見えない、といったくだりがあるけれども、Iyokiyehaも私自身の人生を生きていて、大切なものが「見えない」ことに気づくことは多い。
なぜ、こんな単純なことに。
なぜ、こんな身近なことに。
考えれば考えるほど、複雑なものの形をゆがめて理解しようとする自分がいることに気づく。
本当に大切なことは「わからない」ことだってあっていいと思うし、人を相手にする今の仕事においては、「よくわからない」ことをわかろうとすることによって、かえって自分を窮地に追い込んでしまうこともある。
現実世界における、問いと答えの関係は、必ずしも1対1ではなく、また「問い→答え」の順序すら、覆ることもある。
言語的思考は大切だが、それにとらわれず、イメージ全体として捉えることの有用性について気づかされることのあった、学び多き一冊だった。

おすすめ度:★★★★★(仕事をしている人、していない人、みんなにおすすめ)

「これでいい」は、よくない

最近、この「変わること」についてよく考える。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2009/05/blog-post_8683.html
(2009年5月29日投稿分)

思い至ったのは、「『これでいいのだ』と思った瞬間に、そのことは『よくなくなる』」ということ。
「これでいい」と感じ、思ったとしても「次は?」と常に問いかけて事にあたることが、そのもの自体の質を向上させることになる。
次がなくなった瞬間に、物事は次々と遅れをとっていくことになる。
考え続けることが大切な場合、考えなくなった時点で、そのことは止まってしまう。
止まったら、次に動き出すには膨大な労力が要るので、結果として足並みがそろわず、うまくいかなくなる、といった具合に。

続きは、また継続して考察します。