2007年7月31日火曜日

混沌とした記憶を整理する

精神疾患に関する書籍を読んでいると、どうしてもある友人のことを思い出してしまう。今日もそのことを思い出した。一度はきちんと振り返っておく必要があるのかもしれない。

他者に対する依存。多くの人に何らかの形で見られるものとのこと。私自身を振り返るとどうなのかなと思う。大切な人は、嫁や家族を中心にたくさんいるように思う。けれども、私が「この人がいないと、私はどうなってしまうのだろう」と思うような人がいるかというと、率直にいないように思う。

これが、いいことなのか、まずいことなのかはよくわからない。ただ、私が信念としてもっているのは、私はどこへ行っても誰かと何かしらの関係を作り、保つことができることを確信しているからだと思う。個人に対する強固に見えて実は脆弱な基盤に頼るのではなく、個人に対する関係を基盤にしながら社会に私自身を位置づけることを、これまでに何となく自然にやってきて、それがうまくいっているからそう思えるのだろう。

友人は、突然いなくなってしまった。私とその友人はいい相棒のような関係だったのだが、しばらく会わなかった間に、私の前から消してしまう。何だか実感がわかなかったし、今もひょっこり私の前に姿を現すのではないかと思うこともあるくらいに今もよくわからない、煙に巻かれたようにも思う。
結局、人間関係ってそういう脆いものなのだなと、その時に強烈な印象となって私に降りかかってきた。当時、私自身を取り巻く環境も苛酷で、おそらく思考が停止していたように思うのだが、その隙に入り込んできた衝撃で、多少考えが変わってしまったのだろう。それを思い出して、何となく自覚できたことで、少しは整理できたのかもしれない。

小田晋、作田明『心の病の現在3 うつ病 統合失調症』新書館、2006年。

200ページそこそこで、うつ病(気分障害)、統合失調症、人格障害・行為障害の概要が把握できる良著。入門書としては、少し難しいようにも思えるが、その分、基礎的な内容に加え、最新情報や著者の解釈などについて踏み込んで論じられている。読み応えがある。
複数の疾患について、一冊でまとめられているため、DSM-4によるそれぞれの疾患の連続性についても取り上げられている。例えば、境界性人格障害-分裂病型人格障害-統合失調症といったものである。

内容の中で印象的だったのは、「分裂病における内包の縮小と外延の拡大」といった表現である。病は希釈されて社会に流れ出しており、以前のような爆発するような表出の仕方はごくまれになったが、いわゆるその予備軍のような病を持つ人が、形を変えて社会生活を営んでいるといったことを表した表現と読み取る。

「昔はよかった」なんて、言うつもりは毛頭ないし、そう言えるほど生きていない。ただ、現代社会はそのような希釈された病を内包しながらも、それを許容していないようにも思える。それは、コンプレックスを抱えながら、それを見てみぬふりをしながら生きている私達を象徴しているようにも思えてしまう。

本日の出来事7/31

朝起きて、日課の軽いジョギングと合気道の手刀動作をこなす。途中、小学校高学年か中学校くらいの男の子が、自転車で通り過ぎざま、「おはようございます」と言っていく。「おはようございます」と少し大きな声で返事する。こんなことでも素敵と思えるのは幸せなのかもしれない。

出勤時には、明らかに遅い車が邪魔に思える。遅刻はしないのだが、いつも始業時間一杯に出勤する私にとって、自分以外の理由で通勤に時間がかかるのは、何となく許せない。いけない、もっと余裕がないと、朝みたいな「ちょっとした幸せ」は感じられなくなってしまうのだろう。

職場での、業務改善は今のところいい滑り出し。微調整しながら、勉強しながら目標に向けてやっていこうと思う。

出張。ケースのフォローが名目だが、結局雑談(業務に関する)をしてくる。関係機関の状況把握は、結局ケースを通じた対話から得られるものが多い。これは大学院、N-Pocket時代に感じたことと同じだと思う。通信機器は使い方で便利なものだけども、本気度は対面じゃないと伝わりにくい。

午後は眠くなる。眠いついででUFJ銀行の支店を検索する。すると、山梨県内にUFJ銀行の店舗もATMもないことが判明する。驚き。

帰宅前に、読書する。詳細は次の書き込みで。

マクドナルドでコーヒーを一杯。意地でもほっとしてやろうと、うるさい高校生を無視する。彼らは何故群れると必要以上にうるさいのだろう?

2007年7月30日月曜日

降ればどしゃぶり

よく降った。朝から降った。帰りまで降られた。
雷ゴロゴロ、午前中事務所の窓ガラスがガタガタと揺れるほどの大きな音がなってびっくりした。
所長と所内支援の中止決定について話し合った結果、身延線が止まる前に受講者を帰せとのこと。帰らせたら雨が止んで、青空が見えたのは笑い話である。

相棒から打診があって、一ヶ月半程待った事業所から、「採用予定なし」の返事を受ける。
先方「申し訳なかったですね」
私 「いえいえ、そんなことないですよ。また何かあればよろしくおねがいします」
ガチャ。キーッ!!
バカヤロウ、いい加減な話なら、さっさと結論を出せぃ。

面接同行。気さくな社長だが、どうも本音が見えない。ということで、お互いに探り探りで進展はみせず。私も支援制度の説明をせず。微妙である。

帰宅後、岡山の後輩が送ってくれた白桃を向かいの御宅におすそわけ。玄関でチャイムを押すと、中からいつものおじさんの声「どちらさまですか?」「何の御用ですか?」。ドアを開けてようやく認識してもらえる。怪しい人に見えたのかしら?

振り返っても、あまりいいことがなかった。降ればどしゃぶり。明日はいいことがあるといいな。

飲んでしゃべる(ストレス)

金曜日の飲み報告続き。

どんなに気が合う仲間でも、ずっと一緒にいると多少のストレスはあるのだなと思う。嫁さんと暮らしていると、楽しいことはたくさんあるのだけども、少なからず「一緒に暮らしているがゆえのストレス」が存在することに気づく。

例えば、心身ともにヘトヘトになっているときに、明るく今日あったことをあれこれと話されても、大半は右から左へ流れてしまう。「うん」とか「あぁ」とか、返事も上の空。最近ではウチの嫁さんはそれを理解しているので、おかまいなしに話すか、静かにしているかどちらかをしてくれる。以前は、おかまいなしに話した上、「全然聞いてないでしょ!」と食ってかかられたものだが、諦めなのか、理解されたのか、要らん踏み込みはなくなったように思う。

嫁さんは「理解してくれる他人」なんだなぁと思う。やはり自分ではない。同じことは家族にも言えるのだろうきっと。

2007年7月29日日曜日

中川人司『宇宙授業』サンクチュアリ出版、2006年。

宇宙にまつわる、身近で素朴な疑問に対し、元JAXA職員で現高校教諭の中川氏がわかりやすく、そして広がりのある説明をする内容となっている。宇宙には漠然と興味があるけれども、何となく難しそうでとっつきにくい、と思ってしまう人におすすめの内容。
「宇宙人はいますか?」や「宇宙の寿命」といった、宇宙そのものへの質問や、「宇宙の意味」を問うものもあれば「空が青いのはなぜ?」といったことまで、中学校理科程度の内容で理解できる形にまとまっている。
地球上にもたくさんの謎があるわけだが、宇宙はわからないことにあふれている。その「わからなさ」と向き合うことで、刺激される好奇心もおそらくあるのだろう。非常に面白く読ませていただいた。

山田真哉『食い逃げされてもバイトは雇うな ――禁じられた数字(上)――』光文社、2007年。

内容は表題よりも面白い。表題は、考えたそのままが答えだった。

「数字」について、あたりまえのことに意味ある説明を加えて、その「使い方」を意識できるように書かれている。
・数字のルール(順序がある、単位で意味を固定、価値を表現できる、変化しない)
・技法(決め付け、常識破り、ざっくり)
で「なるほど」と思わせておいて、会計の基礎にシフトしていく。その橋渡しとしての表題クイズ。内容がうまくつながっていると思う。会計について「これだけは」という説明をシンプルに読ませる内容のため、すっきりと読めてしまう。

もちろん、会計の基礎知識が身についている人には「何を今更」という内容かもしれない。ただ、私のような素人にとっては「これくらい」がちょうどいい。そして、会計の説明ではなく、あくまで「数字の使い方の意識化」といったところに重きを置いてまとめられているため、日常生活や仕事の上でも役に立つ読み物のように思えた。

飲んでしゃべる(性格)

サシ飲みの続き。

性格の話。TEG(東大式エゴグラム)プロフィールを引き合いに、自分達を含めた近しい人たちの話をする。
(以下、エゴグラム用語を使います)
私は近年、CP,A,FCが高く(17~20)検出される。NPは13~14で、ACは0~5の範囲内。自分みたいな仕事をする人間にはちょっと珍しいプロフィールかもしれない。結果だけ見ると、結構付き合いにくい人かもしれない。あんまり優しくないし、自分にも他人にも厳しい(「自分にも」は微妙だが…)、そのくせ好奇心旺盛ときている。
師匠もFCが高いらしい。で、FCについては先天的なものが大きいという。そうかもしれないが、私のこれまでの生活歴を振り返ると、やはりエネルギーが外向きになったのは大学生の頃、それも学部後半のように思う。

中学生、高校生の頃の私は、自他共に認めざるを得ない「真面目」人間だったように思う。今も基本的なところは全く変わっていないと思うけれども、当時と比べたら世間に対する壁は随分低くなっていると思う。その良し悪しはわからないところだが、私は今の自分が好きなので、とりあえずは良しとしている。エネルギーが外向きになって、世間体をあまり気にしないようになってから、多少なりとも自信が持てるようにもなったし、成長の実感もある。それは、おそらく与えられたものから飛び出したところに、楽しみを求めて、自ら居場所を作っていく過程と成果のように思う。

飲んだときに、こんな堅苦しいことを話していたのかどうかは、ちょっと定かではないが、金曜の晩にしゃべったことを経て、こんなことを考えた。

飲んでしゃべる(人間関係)

師匠と飲んでしゃべる。

私は嫁を中心にこれまでと今の人間関係について、師匠は付き合いたての彼女を中心に同様の人間関係について、建前も、ちょっとした本音もしゃべるしゃべる。

いわゆる男の愚痴みたいにもなる。メールやら電話やら、彼女となると毎日のように何らかの連絡があるものだというところから話す。ちょっと返信が遅れたり、着信に反応できなかったりすれば「何してんのよ!」くらいの働きかけがある。それこそ一日放っておこうものなら次の日にはひどく叱られる。「俺だって忙しいのに」は、全く通じない。
結局は理屈じゃないんだなということで意見は一致。男の「何で?」「どうして?」とは噛み合わないところで叱ってくるわけだから、「何で?」の理由などどうでもいいということになる。とはいえ、「ごめんなさい」と言ったところで気が静まるわけでもない。
どうするか。

やりすごすべし

これって思考停止なのかな、とも何度も考えたけれども、やはりうまいことつかず離れずのやりとりをしながら、自分の考えは飲み込んで、事実から多少踏み込む程度に主張しながら、怒りが納まるのを待つ。
いや、もっと「凄い男」なら、もっと画期的な、グループダイナミクスならぬカップルダイナミクスでお互いに成長していくようなやりとりができるのかもしれないが、私のような凡人にはこれが目一杯の努力のようである。

2007年7月22日日曜日

思考停止

 仕事やプライベートで、いわゆる「悩み」を抱える人と接する機会が多くなった。当事者が辛いことは間違いのないことで、それに対してどうこう言えるわけではなく、加えてどうこう言いたいわけではない。

 ただ、最近考えるのは「反発は思考停止の証拠ではないか?」ということである。

 自分なりの「かくあるべし」を持つことは大切なことだし、それ自体は否定されるものではない。ただし、他者の「共感」を得られない「かくあるべし」を曲げないことは、それ自体が「思考停止」ではないか、ということである。

 私にも「かくあるべし」的なもの(時に「信念」という言葉を使うが)はある。例えば、仕事では「言うべきことは、言うべき人にはっきりと言う」ことを大切にしている。思っていることを言わずに支援を失敗させた時の後悔によるダメージが大きかった経験から、導き出した私なりの一つの応えである。
 うがった見方をすれば、私が傷つかないための防衛手段と言われるかもしれない。確かにその側面はあるし、状況によっては「言わない方がいいこと」もあるかもしれない。そこまで考えた上で、私は言うべきことを言っているつもりだ。

 私はこの「かくあるべし」を「一つの錨」ように思っている。とりあえず動かないけども、必要があれば他の地点に下ろすこともできるのだよと。どういうことかというと、発展可能性を残しているということだ。
 言いにくいことも言っているという「実績」や「強さ」と一緒に、防衛手段ではないかという「弱さ」も曝け出して、是非指摘をお願いしますという意思表示でもある。

 自身のことが長くなったが、思考停止の話。
 例えば、私が自分の「かくあるべし」に対して指摘を受けた際、その指摘を受け止めずに「いやいや、私が正しいですよ」と言ってしまったら、それは全く思考していないことと同じではないかということである。認知に歪みのある人や、そこまでいかなくともガンコで自分の考えを曲げず、挙句責任を他者にゆだねてしまう人にありがちな「反発」。それは、怒りという外向きの力だったり、気分の落ち込みといった内向きの力だったりするわけだが、それらは「思考停止」から来ていることではないかとも考えられるのではないか。
 もちろん、精神疾患によって思考すること自体が疲れてしまう人もいるとは思う。そういった人に「考えろ!」というわけではない。このことははっきりと言っておきたいのだが、それを超えたところで、「指摘」→「反発」という一連の行動を切り取ると、反発という行動の裏側には思考が停止しているという身体症状が起きているように思われる。

私の「反抗期」

 世間一般で言うところの「反抗期」。身近なところでは家族だったり、学校の年長者・教師、広くは世の中に対して「かくあるべし」に反抗するような状況をいうように思う。

精神的成長の過程で、反抗的傾向を示す時期。3~4歳時に顕れる第1次反抗期。思春期に見られる第2次反抗期がある。(はてなダイアリーより引用)

 この「第2次反抗期」にあたるものが、私にはなかった、またはあったとしても非常に軽微なものであると思っていた。親に反抗することはなく、中学校・高校時代学校や教師に対する反発はほとんどなかったように記憶している(腹の中には多少あったように思うが)。いわゆる「よい子」で育ってきたように思っていた。
 大学で発達心理学をかじったりするにつれ、私が大した反抗期を通り過ぎていないことに多少の不安は感じるようになっていた。人生の中で、本当に大切な時期に、必要となる経験をきちんと積んでいないのではないか?など、どこか負い目に感じていることがあったのは事実である。

 ただ、今日嫁さんと話をしていて、私にもはっきりと反抗期があったんじゃないかと思えるようになった。話のきっかけは、ちょうどこの週末に、私の合気道の師匠とその彼女(嫁の友人)が遊びにきたことにより、嫁が高校時代のことをあれこれ話し、聞いていたからだと思う。
 確かに、親や教師に対する「反抗」はなかったように思う。その意味では、おそらく自他ともに認める「よい子」だったんだろう。ただ、私の高校時代というのは、部活(ハンドボール)でほぼ全て占められている。別に、ハンドボールが好きで好きでたまらなかったとかそういうことではなく、部活の時間だけが唯一「楽しい」と思える時間だったというだけである。意外と思われるかもしれないが、消極的な3年間だった。クラスの思い出といえば、3年生のクラスで多少楽しい思いをしたくらいである。
 1年生、2年生の時には、クラスに馴染めず適当に過ごしていた。入学したての頃、当時は全く自覚していなかったが、特に身体の不調はないのに授業中に吐き気をもよおし、退室してトイレで吐いたこともあった。立派な不適応状態だったのだなと。1年生のときは、友人を作ろうとかなり無理したこともあったが、結局今に至る友人は皆無である。休み時間に一人で本を読んでいても、ほとんどストレスを感じない今の性格は、このときの自分なりのストレスコーピングだったのではないかと、振り返って考える。

 対人への「反抗」ではなく、結局それが引き金となる「環境への反抗」はきちんとしていたのだと、嫁さんと話をしていて気づいた。

2007年7月19日木曜日

今の仕事

世の中には素晴らしい人がいるなぁと思う反面、しょぼい連中はとことんしょぼいなぁと感じる。今の仕事を始めてから、感情はできるだけ交えないように、と思いながらも、人としての私の根っこを揺さぶるようなエピソードは少なくない。

病気を患うことによりできることができなくなっていくことを実感したときのショックとか、目の前に刃物を突きつけられて脅されたりとか、大勢のいじめにあって殴られるとか、密室で乱暴されるとか・・・

精神疾患を持つ人の担当になってからというもの、私と面談する人ではなく「私と面談をする理由をつくった人」が社会不適応者なんじゃないかと思えてくる。仕事と関係のない「要らない」働きかけをした挙句、優秀な人がその力を発揮できなくしてしまうなんて、重罪じゃないかと。

そんな人たちの「盾」には到底なれないけれども、彼らが運転する人生という車の助手席に、短い時間だけ乗せてもらって、行きたいところへナビゲートすることができたら、そんなやりがいのある仕事はないなぁとも思う。
その人が「聞きたくない」って言っても、言わなきゃいけないことは言わなきゃとも思う。ちっぽけなプライドかもしれないけど。

2007年7月15日日曜日

身体の使い方 木刀素振り編1

木刀の振り方が変わった。肘を固定し肩で振るような感じ。春先までのように肘にガツンという衝撃がなくスムーズに動くように思う。相手のこめかみを打つ振り方や、相手の武器を巻き込みながら飛び込む突きの動作も、手刀動作を応用すると安定する。動作そのものの無駄が減った感じで、力の伝わり方がおそらく半年前とは全く違うはずである。

ただ、足の動きが木刀の先にまで伝わっているかというと、まだまだ。運足の動作と木刀を振る動作の連動が少なく、どこかに力が逃げていってしまう。難しい。

それでも、少しずつでも身体の使い方がうまくなっていることを実感できるのは楽しい。

通り道














日曜日。

雨があがったので、買い物に出かける。買い物といっても、私の行く先は、浜松の谷島屋(書店)。姉の車を借りてもよかったが、身体を動かすためにも歩いてバスで行く。

途中、いつも使っている、通称「石段」を通る。
そういえば、ここは以前友人がウチにとまっていた時に「珍しい場所」と言っていた場所。私の住む場所は新興でもない住宅街(昭和30~40年代に造成された?)で、大通りに出るためにはこの階段を通ると5分くらいでいける。

実はこの場所、一時はマンションが建つ話があり団地の住民が反対運動をしたということがあった。今は鬱蒼と多年草と木が生えてしまっているが、つい5年くらい前は全て切り倒されて丸坊主になった場所でもある。その前は今よりもさらに鬱蒼としていた。
丸坊主になった頃に、この石段が通行止めになった。私は当時静岡に住んでおり、電車とバスで帰省したときに、石段にロープが張られていてびっくりしたことがある。曰く、この土地を持っている人の好意で石段が使えるのであって、ここに建物をつくるのであれば、通り抜けされては困るということになるのだそうだ。
石段が使えないと、近所のスーパーまでざっと15分くらい歩かなければならない。意外と不便な団地である。それが、私有地の一部を使わせてもらうだけで便利な場所になるから面白いものだ。
確かロープが張ってあったときには、それを鼻で笑ってくぐった覚えがある。私にとっては、生まれたときから通学に買い物に使っている場所。思い返せば、なくならなくてよかったとも思う。今でもなくなったら困る場所である。



本屋では、たっぷり2時間ほど時間をつぶす。至福の時。Amazon.comのヘビーユーザーである私も、やはり適当規模の本屋がないと勘が鈍る。いろんな本をパラパラとめくりつつ、ベストセラーに一通り目を通す。

YAMAHA音楽館(?)へ。CDを見る。やはり売り場が狭くなったように思う。ちょっとマイナーなPOPSやJAZZ、クラシックがたくさん視聴できるといいんだけどな。

帰宅して、トレーニング。夏の暑さを感じるようになった。頭に熱がこもる感じがして汗が滝のように流れる。実用的な木刀を持って帰ってきていたので、少し振ってみる(詳細は別記事)。

割烹 さわだ

家族で利用。
和食コース、予算は5,000円~(時価)。

季節の食材をおいしく、上品に食べられます。

・海老の唐揚げ、そらまめ等
・白身魚(種類忘れた)のかにあんかけ
・刺身(トロ、いか、他)
・牛ヒレ肉のステーキ
・手打ちそば

一品料理で、
・ししとう焼き
・だし巻き玉子 など

(場所)
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=static&lat=34.43.39.093&lon=137.42.59.463&sc=3&mode=map&layer=0&pointer=on&p=%C0%C5%B2%AC%B8%A9%C9%CD%BE%BE%BB%D4%C3%E6%B6%E8%C9%D9%C4%CD%C4%AE1101-37
浜松市中区富塚町1101-37
053-476-4966

読ませる自由研究

土曜日。

実家に帰る途中、身延町の市民文化会館なるものに立ち寄る(トイレの利用)。図書館の前にある「自由研究の優秀作品」みたいなものに目を留める。東京都の小学校1年生が(昨年?)取り組んだと思われる「ランドセルの作り方」というものが気になり、嫁とパラパラと。

読ませる(笑)。

テーマにも、取り組みにも、さらに言えば小学1年生の自由研究というものそのものに興味があったのも事実だが、結局30分くらいかけて、全て読破してきた。自分のお気に入りのランドセル(黄色)を起点に、ランドセルの作り方を知るためにカバン工場へ行ったり、そこから親、祖父母の世代のランドセルがどうだったのか、ランドセルの起源、世界のランドセルと、興味が広がっていく内容はぐいぐいと読ませるだけのインパクトがあった。

結局、直筆だったことと、表現そのものが自分の言葉でまとめられていたことが決め手だったんじゃないかと思う。体裁はおそらく親御さんや先生が指導したのだろうけど、その書きぶりは子どもそのもの。平易な書き言葉で思いを綴っているあたり、非常に好感度が高い。さらに言えば、私が「ランドセル」に興味を持ったとしても、ここまでの好奇心はないだろうなという新鮮さが「すごさ」に映ったのかもしれない。

専門書や論文、報道記事に毎日目を通す立場となったが、今でも「読ませる」ものと「読めない」ものがある。このブログも時々読み返すと、ろくでもない文書があったりして恥ずかしいところではある。そんな中で「やられた!」と思えるほど心奪われてしまったことに対し、なんだか喜ばしい気分になった。

2007年7月13日金曜日

「できない」レッテル

 いわゆる「底辺校」というところは、除算(割り算)がわからなくても、高等学校卒業となるらしい。私は教育学を専攻していた人間だが、公立学校のこのあたりの感覚がどうにもわからない。今の仕事に就いてからは、別の角度でそうした現実と関わり、やり場のない怒りを感じつつも、目の前の現実を直視し直視させる仕事をしている。

 「全くわからない」話が飛び交う場にいることは苦痛であるというのは私の持論。実際に、以前大学院に在籍していた時、東京大学を会場にした勉強会に参加したことがあるが、そのときの議論は私にとって「苦痛」なものだった。当時の先生に聞けば、緊張感のある議論、だったようだが、私にとっては不毛なやりとりにしか聞こえなかった。結局中座して帰ってきたように記憶している。

 そんな時間が3年、6年と続くとどうなるのか?

 嫁さん曰く「『できない』とレッテルを貼られると、そういうことが気にならなくなるんじゃないの?」とのこと。なるほど、一理あるかとも思う。周囲から、適切な評価を受けずに、または受けようとせずに、歳だけとって大人になってしまった人は、いざ適切な評価を受けたときに初めて「揺らぐ」体験をする。この「揺らぎ」を表現する術を知らず、かつこれまでに体験したことのない感情をどう処理していいかわからずにいらだつ、ストレスをためる。閾値を超えれば精神疾患に、超えずとも平素から「揺らぎ」、辛くなってくるとその「揺らぎ」すら感じないような身体になっていく。だから、客観的な評価に対し、悲しくなり、怒りがこみ上げるという、全く正反対と思われる二つの感情が交差する。

 こう考えると、私は、必要なときに必要な評価を受け、それによって成長してきたのだなと思う。

2007年7月11日水曜日

身体の使い方 合気道編

毎週火曜日に合気道を習うようになって一月。上達しているのかいないのかはわからないが、少しずつ普段の姿勢や振る舞いも意識するように「なった気がする」。変わっているのか、いないのか、意識すべきところで意識しているのかいないのか、確認はできないが、それでもいいかという気になっている。きっと、身体の使い方が少しずつ変わって、合気道もうまくなるに違いない。

重心移動と足の動きを、自分の手を介して、相手に「乗せる」感覚は、まだまだ意識して出せるものではない。むしろ、自分の動作一つ一つを詳細に見つめ、どう動けばいいか考え、考えたことを実行に移そうとするが、やっぱりできていないというのが、現状の私である。一挙一動に「考える」ことを繰り返すので、1時間も動くと心身ともに疲れきってしまう。

合気道の手刀合わせなる練習で、相手と手刀を合わせると不思議と相手の手刀の方向に力をかけてしまう。師匠曰く「手刀をセンサーにして動作する」とのこと。視覚刺激は脳で処理されるが、皮膚感覚の多くは延髄で反射して動作する。この感覚とのこと。つまり、目で見て考えて動作するよりも、皮膚で感じ取って動作する方が、何分の一秒という単位で速い。なるほど、そう考えると納得できる。そして、一挙一動を「考えて」いる私の動作は、師匠のそれと比べると、動作毎に何分の一秒ずつ遅くなり、一緒に動いているだけで体幹のバランスが崩れてしまう。

合気道を始めて、面白いことはもう一つ。結果として、バッティングセンターで120km/hが打てるようになったのだが、合気道以外の日常生活にも応用がきくことがあるということ。バッティングセンターは、肩の動きを意識するようになったら、振り遅れないようにバットを振りぬくことができるようになった。おそらく力が入るのは正中線の通るこの形の時だろう、など、がむしゃらでなく動作を修正できるようになっているということ。これは、日常生活そのものが楽しくなるので、思わぬ副産物とはいえ、生活を豊かにするもののようにも思える。

「まずは、動作がバラバラになっていく感覚が大事」とのこと。やはり、そういう過程を経て、理想の動作に近づいていくのだろうな。

2007年7月9日月曜日

主旨、原点、根拠

 以前は、一方的な要求を突きつけてくるお客さんにビクビクしていたのだが、最近になって割りとどんな人が相手でも落ち着いていられるようになった。若さゆえ、熱くなることはあるが、「できること」と「できないこと」が私なりに整理できてきたからだと思う。
 動きが遅いだの、堅苦しいだの、行政機関だの何だのよく言われるが、ごもっとも。だけども、法によって規定され、財源も決まっている以上、国の機関としてはできないこともある。人的支援といえど、できないことだってあるわけだし、そもそも「使いたい」人のためのお手伝いではない。あくまで「必要な」人のためのものだ。

 そういえば、先日から労働基準法に触法するかしないかの話題がある。まさに労働の定義を問うような状況と思うのだが、クライアントは助成金を使うか否かでの選択をしようとしているとのこと。助成金のそもそもの主旨からも外れるだけでなく、「労働」の意味を問うことなく「実習」期間の延長を検討するというのは、いかんともしがたい。そういう思考で労働を支えられたら、食うや食わずの条件で実習の名のもとに働かされる人が増えると思うのだが、いかがなものだろうか。

2007年7月8日日曜日

雑記(週末)

 久々にわけのわからない夢を見た。夢は専門家が読むと分析されてしまうので、記憶にとどめる程度にメモ。
 もう会うことのない仲間が出てきた。嫁さんの親類と一緒に。何やらやりとりをしていて目が覚める。個人的には、何で今更?とも思うが、おそらく何らかの状況を表しているのだろう。

 土曜日。

 床屋へ行く。「いつものように?」と聞かれるようになり、常連さんではないが顔は覚えてもらったのだろうと思う。「お願いします」で髪を整えてくれる。寝ていてもばっちりやってくれる。今度の床屋さんは無口だけども、腕はいいのだろう。パーマで有名らしいが、ごめんなさい、おそらくパーマにする機会はないと思う。

 本屋へ。一人で本屋にいく機会は少ないので、朗月堂をくまなく歩く。これまでにない規模の本屋で、くまなく歩くと時間がかかるが、さらりと見ることのできない規模とでも言うのか、まだペースがつかめなくて難しい。さらに、自宅や職場から距離があるので、週末のそれも暇な週末しか利用できないのが、またもどかしい。

 庭掃除。ドクダミは勢いがある上、思ったより深いところに根を張ることがわかり、あらためて除草剤を使わない撲滅が難しいことを悟る。ただ、ここまで深い(5~10cmくらい?)と除草剤も効かないのではないか?と思い始めた。鍬とスコップで少しずつ取り除くことにする。友人に、雨上がりにやるといい、と聞いて偶然にも雨上がりだったのだが、根が途中でプチプチと切れる。根が残ると再生する。やはり鍬で掘り起こす、というパターン。数ヶ月かかるだろう。

 日曜日。

 休日なので、朝のトレーニングを少し丁寧にやる。ジョギングの時間を少し延ばして、運足は倍、手刀動作も身体を確認しながら倍くらい、木刀も丁寧に。朝汗を流すのは、心身ともに気分がいい。

 実家や古巣に送る桃を買いに行く。国道沿いの直売所(たくさんある)をたずねる。即座に試食が出たのがうれしい。岡山の白桃もおいしかったが、山梨の桃もおいしい。厳密に食べ比べをしていないので、違いまではわからないが、やはり果物はおいしい。
 直売所で聞いた話、農家に「共同経営はない」とのこと。個人経営で「競争」が原則らしい。そして、品種の違う同種類の作物は、脅威であるとのこと。山梨の桃農家にとって、岡山の白桃は脅威だし、負けないように研究も欠かせない。時間があれば、もっと食い込んで話を聞きたいとも思った。

 昼食、桔梗屋近くの「アンサンブル」というカフェレストランへ。パスタメインのお店。トマトソースは酸味があって、さっぱり味。なかなかだったが、嫁さんはクリームソースがいまいちだったとのこと。

 バッティングセンターへ。先日80km/hでやったので、今日は90km/hで挑戦。初めの1,2球はしんどいが、集中力が高まって慣れてくると以外とあたる。3回挑戦して、120km/hまでは当たるようになる。身体を使うのが楽しいこの頃、バットがどの位置にあると一番力が乗るのか、今度聞いてみよう。

読書メモ:伊藤絵美『認知療法・認知行動療法カウンセリング初級ワークショップ』星和書店、2005年。

伊藤絵美『認知療法・認知行動療法カウンセリング初級ワークショップ』星和書店、2005年。
読書メモ(1)

1)双方向的なコミュニケーション(適度に聞き、反応することによって発生する)により、クライアントのデータを引き出す。
 ・具体的なデータはクライアントの記憶にしかない

2)データを元にアセスメントする
 ・基本モデル(出来事を以下のモデルでとらえる)

             身体
  環 → 思考         気分
  境 ← 認知         感情
             行動

 ・エビデンスを示す

3)認知行動療法カウンセリング(CBT)とは
 1:自分の現状や自分の抱える症状をよりよく理解する(悪循環の確認:アセスメント)
 2:それらについて、自分で対処できるようになるための考え方やスキルを、自分自身が学ぶ(コーピング:心理教育)
 -この過程で“ストレスのもとになる状況、気分・感情、身体反応は「起きたら意図的なコントロールが難しい」ことを理解する。それにより、自分で選択したり、工夫したりできる認知や行動に注目し、工夫を検討できるようになる。「自分でできるようになる」のがゴールといえる。

4)各セッションは構造化する
 ・同意に基づく
 ・ホームワークは重要
 ・最終的にはクライアントが配分を学べるようにする
 (フリートークというアジェンダもあり)

2007年7月5日木曜日

家族愛

 仕事をしていると、時々得体の知れない怒りがこみあげてくる。どうして、自分の子どもをほったらかしにできるんだろう。どうして、自分の子どもが「嫌い」などと面と向かって言えるのだろう。どうして、どうして、どうして、といろんな感情が渦巻いている中で相談業務に就くのは、非常にしんどい。

 「人の家族だから」で済まして、「仕事するのは難しい」「現状では支援できません」と結論付けてしまえば、やっぱり楽なんだろうと思う。そこに、私の感情が入り込むから面倒になる。「どうやったら、働けるか?」を必死で考えて提案する。おそらく、本人は納得しないことだと思っていても(納得する段階じゃなく、もっと時間が必要な場合という意味で)、必死で考えてしまう。結果、私の残業が増える。

 複雑な家族構成を紐解いていくのは、ちょっとした謎解きみたいで好奇心がないといったら嘘になる。それでも、兄弟の親御さんがみんな別人とか言う話を聞くと、冒頭のようないろんな感情が頭の中を同時に駆け巡って、私を疲れさせる。

 もっとドライになれたらいいな、と思いつつも、きっと頭のどこかで「おせっかいIyokiyeha」が走り回っていて、普段眠っている細胞を起こして回っているのだろう。なんだか、最近そんな気がしてきた。バランスをとらないと、いけませんね。

2007年7月4日水曜日

モノポリー monopoly(独占)

 遊びに来た後輩が「モノポリー日本語版」なるものを持ってきたので、初めてルールを確認して遊んでみた。

 深い。

 土地を買い、各エリアの土地を独占すると家やホテルを建てることができる。自分が所有している土地や物件(建物や公共施設など)のマスに他のプレイヤーがとまると、レンタル料を支払うというしくみ。ルールはいたって単純で、ゲームを始めて1時間くらいは小銭が動くので一喜一憂しているくらいだが、均衡が崩れると勝負は一瞬で決まる。
 お金がお金を生み出すしくみや、強者が弱者を取り込んでいく様子がゲームを通してひしひしと伝わってくる。資本主義や経済学の下手な本を読むよりも、ビジネスのしくみがわかるように思えた。「この物件をコイツに渡すとヤバい」と思っても、手持ちのお金がなければそれを阻止することができない。ただ、勝負すべきところで勝負しなかったことにより、一人勝ちの構図が一瞬にして作られてしまい、どうにもならなくなってしまった。「相手を破産に追い込む」のが目的だから、ゲームとして割り切らなければいけないところだが、お金がお金を運んでくるしくみは、優しい人にとっては不快感もあるのかもしれない。
 とまぁ、いろんなことを考えてみたが、ボードゲームというものは、大勢でわいわいやると面白い。そのことがわかっただけでも、大きな収穫だ。いい週末だった。