2011年3月31日木曜日

I'm too sleepy today.

I have drunk in three days.
Because I attended a farewell party.

よくも悪くも、今週に入ってから「ゆるい」のですが、原因としては月曜日から連日連夜飲み続けているからでしょう。
時期的なこともあり、お世話になった方へのお礼もしたいという思いもあるので、身体に鞭打って送別会っぽいものに3日間連続で参加しています。

学生から社会人になって、酒量は随分減ったと思っているのですが、ここ2年くらいで更に減ってきました。どんなお酒でも3杯飲めば満足ですね。なまじ飲めてしまうから、勧められるがまま飲んでしまったらもう大変です。

まぁ、それでも自分で調整しながら楽しんでいます。明らかに形式ばったものへの出席はしないことにしていますが、自分が個人的にお世話になったと思っている人がおられるのであれば、断りません。

大いに笑える場があるということに感謝しつつ、いろんなことへ思いを馳せ、前向きな気持ちになるというところで、お酒と料理というものはいい潤滑油なんだと改めて感じているところです。

2011年3月30日水曜日

No mud. Go forward.

ここ2週間ほど、ディープに物事考えてきたので、最悪の事態を想定した批判はこのくらいにして、前向きなアウトプットをしていこうと思います。

誰かの言論を批判することは、新しい視野を得るためには必要なことだけれども、問いのない反対意見ばかり言っていても、何も生み出さないような気がするんですね。
月並みだけれども、一歩が安全そうなら、とりあえず一歩進んでみる。誰も動かなくても、自分が大丈夫だと思えば、まずは一歩進んでみること。逆に、危ないと思えば、一歩下がってみること。
そこまででいいんじゃないかなと思うようになりました。

「大袈裟だよ」って言われても、自分の判断なら、たとえ理屈でやりこめられたとしても「これでいい」と前向きに開き直ってしまえばいいじゃない。「大変だね」と言われても、まぁそれが楽しければいいんじゃないか。
結局のところ、常識や倫理って、三人称に対することがほとんどであって、二人称で迷惑がなければ、とりあえずは問題ないんじゃないかと思うわけです。

災害の言論報道、専門家の意見、政府の対応、その影響としての停電や品不足、また表沙汰にならない企業活動。
自分を安全な場所において見れば、いくらでも「最悪の事態」は想定できて、また立場を決めれば、別の立場が対立することになる。
対立して、相手をねじ伏せることが目的になったら、何も変わらないし、何も行動できなくなってしまうような気がします。

あくまで、自分の頭で考えて、納得いく一歩を踏み出したいものです。
心は熱く、頭はクールに。

2011年3月27日日曜日

活力補給

先週末、家族の疎開延期を決めたのですが、予定通り帰省をしてきました。
二週間ぶりの子どもたちの反応はどうかな?と心配半分だったのですが、嬉しいことに杞憂でした。なはは〜
育児休業のお陰かな〜なんて思いつつ、ハイテンションの娘と存分に暴れ、表情が豊かになった息子とお互い一方通行のコミュニケーションを楽しんできました。
親になってからというもの、子育てが疲れの大本である一方で、これ以上ない活力補給の一つになっていると実感しています。

さて、明日からもがんばるぞー!

2011年3月26日土曜日

疎開は延長です。

11日、地震の起こった日にたまたま実家に帰っていたことは、以前に書き込んだ通りですが、妻、子どもたちの実家暮らしはこのまま継続することにしました。
あんまりセンシティブになるのもどうかなとは思う反面、生活物資(ガソリンを含む)が手に入りにくいことや、停電がどの程度続くのかということ、目に見えない放射能の影響、それに加えて年度末のゴタゴタなど、少しずつの心配を積み重ねた結果です。
もちろん、富士見市で生活している人もたくさんいるわけですから、そういった意味で親子4人での暮らしを再開するのも具体的な選択肢だったわけですが、今回は周囲からの働きかけもあり、上記結論に達しました。
私は、この週末浜松にいて、日曜日には富士見市に戻り、単身生活再開します。なんだか寂しいですね、気楽な単身生活も2週間くらいでおなか一杯です。

2011年3月24日木曜日

平和な国だと言われるけれど・・・

海外メディアが、今回の地震被害に対する日本人の態度について「暴動が起きない。素晴らしい」みたいな報道をしているそうです。(私は直接そういった記事を読んでいないので、どういうニュアンスなのか、どういう文脈なのか不明ですが・・・)

確かに、東京へ通勤しているけれど、満員で乗れない電車が何本もくるなかで、駅員にわけのわからない文句を言う人はいても、きちんと整列しているし、その人たちが暴徒化するわけではないので、そういった指摘は正しいのかもしれない。

ただ、先週末のガソリンスタンドの行列(数時間)や、スーパー、ドラッグストアから消える保存食、昨日なら水。
「日本人が」なのかどうかわからないけれども、単に「暴徒化しないからすごい」ということではないと思ってしまいます。
被災地では特殊なコミュニティが生まれ、日本各地からボランティアや物資輸送といった援助の手が差しのべられている一方で、セルフィッシュとしか思えない行動も見られる。

災害を一人称としてとらえるか、二人称としてなのか、それとも三人称としてとらえるのか、といったところで随分思考や行動は変わってくるのだと感じるこの頃です。

2011年3月21日月曜日

たまには、軽いネタで

ここ数回の書き込みが、自分の考えをまとめる意味合いが強かったので、長文だったのと、堅苦しさがあるものでした。
お付き合いいただいたかた、「いいね!」をくれたかた、コメントしてくださった方、みなさまありがとうございました。

落ち着いて、というか、普段考えていることを表現して、次の思考をするための踏み台を作る作業(個人的には「錨を下ろす」と言っていますが)をしたのは本当に半年から1年ぶりじゃないかと。
東京勤務になってから、4人家族になってからというもの、こんな時間もなく、ただただ追いまくられてきた2年間でした。

まぁ、ぶっちゃけた話をするなら、こんなこと考えることなく、目に入れても痛くないくらいの娘と、まだ頼りない息子、最愛の妻と週末くらいはぶらぶら過ごしたいし、平日だって仕事はそこそこに、アフター5に知り合いと一杯ひっかけて視野を広げた方が、きっと人生は豊かになる!と思っているわけです。

東京に来た頃は、自分の中の仕事が占める割合が高かったのでしょうが、今は割と低くなっているように思います。
もっと力を抜いて、楽しく生きていたいものです。

あんま軽くなかったですね(笑)。

Knowledge of HIV/AIDS.

I didn't know HIV/AIDS very well.
I participated in HIV/AIDS study group at my workplace 3 weeks ago.
I think that we should know about HIV/AIDS.
So and in no other way to shake off the deep-rooted prejudice against HIV/AIDS.

今年も職場でHIV/AIDSの講習を受ける機会がありました。
昨年は、職員研修として受けたのですが、今年は職場で主催する学習会のテーマとしてとりあげました。
私は、完全に主催者側の雑用係だったのだけれども、それでも内容を見聞きして考えさせられることが多かったです。
以下、誤解を恐れずに、感じていることを書き留めておきます。

私の職場、私の業務では、依頼があればHIV/AIDS者(HIV-Positive:HIV感染者、AIDS発症者がより正確か)の職場定着支援も受ける立場ではあるのだけれども、まだ具体的な支援を担当したことはありません。
それでも考えさせられるのは、「物理的、具体的な調整はあまりないが、受け止め方や偏見、知識に対してのアプローチが求められる」のだろうと思います。

現在の医学レベルでは、血液中のHIV量を検出限界値以下にまで下げることが可能となっており、服薬治療によって日常生活には影響がない状態にすることができるとのことです。
いわゆる肉体的な接触、それも性的行為のレベルでなければ、身体的な接触、空気感染共にありえないこととして扱われています。
という情報を持っていれば、たとえ職場にHIV/AIDS者がいたとしても、特に気にする必要はないわけですが、それでも「怖い」「万が一の時にどうすればいいかわからない」といった声が聞かれるのは、何なのかということです。

これを「偏見」といってしまうのは簡単なことです。
ただ、本当に「偏見」が正しいのかというと疑問が残ります。

少しだけ、言葉にこだわってみましょう。
(大辞林 第三版より)
へん けん ー【偏見】
かたよった見方。ゆがめられた考え方・知識にもとづき,客観的根拠がないのに,特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断,またそれにともなう感情。「━をいだく」「人種的━」
(ここまで)

偏見とは、辞書的には「かたよった見方」のことであり、「ゆがめられた考え方・知識に」基づくとされています。

先に、「『怖い』『万が一の時にどうすればいいかわからない』といった声が聞かれる」と書きましたが、この言葉自体や、私が業務の相談中に聞くこの手の言葉の背景にある感情は、「わからん」が原因になっているように思えるのです。
つまり、ここで一つ突破口を見出せそうなのは「正しい情報の有無」によって、この「わからん」から一歩抜け出すことができるのではないかという仮説です。

陽性者の手記を読んだ時に強く感じたことですが、当事者でなければわからないことと、当事者であってもよくわからないことがあるというのが、HIV/AIDSをとりまく「日本の環境」ではないかと。
そういえば、学生の時にこの手の内容って、本当に言葉に触れる、内容に触れる程度でしか保健体育では扱われず、「偏見をもたないように」といわれる道徳の教材で取り上げられる程度だったなと思うわけです。
高等教育でも、私は学校教員の養成課程にいましたが、こうした内容を手厚く扱う授業もほとんどなかったと記憶しています。

身近にHIV-Positiveの人がいるなどの「きっかけ」がないと、なかなか知る機会がないのもHIV/AIDSの特徴かと思いますが、冒頭の講習会の中で、雇用主の立場でスピーチされた方が、とかく「日本ではHIV/AIDSに関する教育レベルが低い」と言われていたのが印象的でした。

知れば見え方が変わる。見え方が変わると、考え方が変わる。考え方が変わると、行動が変わる。行動が変わると、社会が変わる。
何かのパクりですが。

下記は参考まで。
http://www.ptokyo.com/
(NPO法人 ぷれいす東京)

He called me for the first time in half decade.

I received telephone call from Mr.T.
He was master chef at Izakaya(Japanese-style pubs) my frequents in Okayama.
He was worried that the Earthquake of Tohoku-Kanto.

先日、懐かしい方から電話連絡がありました。
年末の書き込みで、岡山時代の行きつけのお店の方と連絡がとれないと書いたわけですが、
http://iyokiyeha.blogspot.com/2010/12/101219.html
(2010年12月19日投稿分)
その時の料理長からのお電話でした。
曰く、地震があって心配になって電話してみた、とのこと。

いやぁ、うれしいやらうれしいやら懐かしいやらで、30分くらい長話してしまいました。
5年ぶりくらいですから。
私も一杯飲んでいて、向こうは多分お休みの日だったのだろうと思いますが、とにかく懐かしいお話や、お店を閉めたというお話、最近の話、原発を憂う話など、いろんなお話をしていただきました。
思い出せば、岡山勤務時代は、金曜日と土曜日は店が閉まってからも、この料理長とお酒を飲みながら(おごりおごられ)ぐだぐだと長話をしていたなぁと。
当時、まだ単身生活だったけれども、知り合いもできたし、岡山弁も定着してしまったのは、このお店と料理長のおかげかなとも思います。いや、岡山弁についてはもっときっついコテコテの方がいたので、その影響もあるのでしょうが(笑)。

何だか、うれしくなってしまって、とりあえずお年賀は毎年送ろうと、住所まで教えてもらいました。
一度近づいた関係が、一旦とぎれてもまた何かの機会にふとつながっていく、こんな体験も滅多にないので、本当にうれしくなってしまったところです。

聞けば、当時お世話になった方は、皆元気にしているとのこと。
それだけでも、とりあえずは暖かい気持ちになれました。
今度岡山に行くのは、本当にいつかわからないのだけれども、また行く機会、働く機会があったら、懐かしい再会をしたいと思うところです。

超個人的な話題ですみません。

言葉を紡ぎ、共に変わっていく

最近、Facebookと同じ内容を投稿していますが、この記事はブログのみの公開です。ここのところのまとめです。

私が修士論文の主要文献として取り上げた、森岡正博『無痛文明論』では、現実に押し流されそうになる自分が戦うための方法として「転轍(てんてつ)」という言葉を用いて説明しています。

ある制度、あるコミュニティ、ある組織と戦う方法について、それらを力・武力によって「衝突する」「叩き潰す」やり方がある一方で、ストライキや集会など「耐える」やり方もある。「転轍」とは、上記とはことなる戦い方の一つです。

転轍の元々の意味は、電車のポイント(分岐機)を操作(切り替える)すること。
森岡氏の説明では、世の中の大きな流れに乗りながら、ある場所・時間にその方向を内側から変えていくといったイメージが描かれています(無痛化への抵抗手段として)。

このところ、北陸・関東大地震のことがあり、関連して福島原発の状況から全国各地の原発に対する言論などが活発となった背景から、余計にこの「転轍」を強くイメージするようになりました。

何事も、わかりやすい対立軸を作って批判することは簡単です。二項対立構造を作って論じて、反対だの賛成だの言っているのは、言論の切れ味のよさだけが問われるのですが、そこに安住してしまうと真の問いに気づきにくくなってしまうのではないかと思います。
正確に言えば、「相手の論理に触れなければ、相手にならない」ということを意識して対話しなければ、人は動かない。ひいては仕組みは変わらない、と思います。
このあたりが、市民活動の立場からの発信が、しかるべきところに届かないことや、行政の発信が市民活動や民間団体の不評をかう原因なのだろうと。どちらも一生懸命なのに、語る「言葉の土俵が違う」からお互い通じない。お互いに「わからずや」と思ってしまう背景なのだと、私はとりあえず結論づけています。

私が学生だった時から、キャリアが始まった頃に身近だったNPOや市民活動、学生活動ですが、その中身にこだわっていた自分が、結局何にこだわっていたのかというと、この「対話する力」がその組織にあるかないか、ということだったのだろうと、10年前後前を振り返って整理されつつあります。おそらく当時は「駆け引き」という言葉でしか表現できていなかったと思います。

行政が動くのは、その提案に「行政的な」根拠・データが示されることであって、声の大きさやクレームの付け方ではないはずです。私が所属していた機関では、助成金によって行う事業には、必ず組織の「色」をつけて、+αの価値を持つ活動に仕上げ、地域の人たちを巻き込んでいました。
企業で言えばマーケティング、実態調査を経て、計画し実施する。報告の手を抜かないことで、事業を振り返り、次の課題が自然に立ち上がってくる。
今でこそPDCAサイクルなんて言葉が流行言葉になっていますが、そんな言葉が生まれる前から「当たり前のことを当たり前にやる」ための仕組みができていたのだと思います。
だから、本物だと肌で感じたし、「事業体」と言われても、感覚で理解していたように思います。今でも私の原点はここにあるように思います。

ここまで遡ると、古い友人に言われる「何か意外なところに就職したね」という言葉にも冷静に、そして何より自分自身が働き続ける理由にマイナス要素がなくなります。
すなわち、今後自分のキャリアがどうなるかわからないけれども、今の組織にいるならばそれでやることはいくらでもあるし、万に一つ組織を出たとしても行政との対話ができるようなスキルを身につけておかなければ、いくら具体的なスキルを身につけたとしても、私が今この組織にいる意味というのは半減してしまうのだろうと思います。

「組織に染まる」という言葉は、ともすればあまりいい意味で使われないのですが、自分の中に存在するカウンターパートを意識しつつ「染まる」ことは、結局は自分の市場価値を高めるのだろうと考えたところです。
組織と共に変わっていく自分を、どこまでも追跡しつつ、目の前に機会があるのなら「転轍」することを恐れず、内側から変わっていくための存在になっていくことが、実は一番インパクトのある戦い方なのではないかと。
また、何らかの理由で組織を離れたとしても、組織の外からでも組織と対等に対話ができるようになることが、私の当面の課題なのだろうと思い至りました。

この半年の総括であり、当面の自分のキャリアのベクトルになりそうです。

あー、スッキリした。
また、英語にも挑戦していきます。

2011年3月19日土曜日

課題解決には、狙いを定めて、手法を選び、的確な介入をする必要がある。

先日の書き込み、やはり面白くなかった方もいるようで、ご指摘いただいた方もおられました。
稚拙な表現で誤解を招いたことは、大変申し訳ありませんでした。ご指摘ありがとうございます。

私が言いたかったのは、「今、このタイミングで浜岡原発を止めるのはいかがなものか」という問題提起と、「浜岡原発の運転停止という『行政判断』を求めるには、根拠に乏しいのではないか」という指摘です。
計画停電の影響を最小限にするための、節電に関する情報提供や、仮に停止した後の具体的な代替エネルギーに関する提案なしに、「危ない(と思う)から停めて」というのは、説得力がないと考えているわけです。

今、原発停めたら電力不足による死者や、災害関連志望者数が増加する可能性が捨て切れません。
政府が福島原発の冷却を試み続けているのは、不確実性があるとはいえ、まだ被害をくい止めることのできる可能性が残されているからだと思います。でなければ、住民にはもう避難命令が出ていることでしょう。

前回、市民活動家と行政との対話が難しいという内容の記述をしましたが、より内容を正確に表現するのであれば「声が大きいだけでは、しくみは変わらない」ということです。
私は現在、行政機関の末端に所属しているわけですが、個人レベルで何か違和感を感じる組織の方針であれ、何らかの根拠があります。その根拠の正否はともかくとしても、必ず「組織が意志決定をするに足りる」根拠が存在するわけです。そして、その根拠は、どこから指摘を受けても、感情的な反論があったとしても、「行政の理屈で説明がつく」ものです。

だから、税金や公金がそれに投下され、事業として成立するわけです。

行政の取り組みや方針を変えるアプローチというのは、まさにこの部分に切り込んでいく必要があります。
「署名が○万件あります。市民の意志です」という交渉の時代はとうに終わっています。いくら見た目のインパクトがある取り組みをしたところで、そのメッセージが「相手の理屈に乗る」ことがなければ、伝わりませんし、変わりません。

前回の書き込みも、今回の書き込みも、結論は変わりません。
原発停止の根拠が説明できるよう準備しろ。全国各地で電力供給に取り組んでいる人たちの邪魔をするな。被災地以外の人たちの恐怖をあおるな。
これだけです。

「できることを、できる範囲で」という言葉が広まっています。この言葉を受け止める時に私は「やったほうがいいことを」と付け加えています。
生活者、職業人、父親といういくつかの側面をもつ私には、とりあえず節電、節約と義援金くらいしかできることはありません。細く長く、取り組み、付け加えることがあれば「できる範囲」でやっていきたいです。

2011年3月16日水曜日

援助活動と主義主張は違う

I reject an argument of oppose the construction of a nuclear power plant.
I think that action and argument is different.

日本語でも英語でもうまく説明できないので、多分に誤解を招きそうな表現になってしまっており、大変な申し訳ありません。

ただ、この私の中でコツンと響いている違和感はどうにかしておかないと、何だか私自身が別の立場で同じことをしてしまいそうなので、誤解を恐れず敢えて表現に挑戦してみます。

福岡の原子力発電所、本当に心配です。
一連の報道を受けて、私が感じているのは、感情を置いておけば「原子力発電所のこの仕組みでどうして電気ができるのだろう」というシンプルな問いに集約できてしまうのであって、燃料棒の露出とか冷却水の漏れとかといったことについて、基本的なことがわかっていないし、図示されてもよくわからないというのが正直なところです。
ただ、原子力発電(燃料にウランを用いて発電する)によって、化石燃料に頼っていたら将来確実に供給不足になるエネルギーを効率よく作り出すことができる、ということは、その発生する電力量を見れば明らかであって、更に福井県の「もんじゅ」のプルトニウム生成の仕組みによって、半永久的にエネルギーが生成される、という認識です。
併せて、自然エネルギーがその需要をまかないきれない資産しか生み出せていないことも見聞きしています。

私が解せないのが、今、このタイミングで静岡県浜岡原子力発電所に運転停止を申し入れようとしている人がいることであり、要請書への署名を集めている人がいることであり、浜岡原発に電話をかけて運転停止の理由について説明したと言っている人がいるということです。

実際に、福島の原発が運転を停止したことによって、電気の供給が間に合わないということで、計画停電が始まっているのであるわけで、この状況下で浜岡を停止させようとする人が考えていることは何なのかというわけです。

緊急事態で必死で何とかしようとしている福島原発の関係者の方、そしてその影響を受けて同様に必死で電力を供給しようと働いている電力会社の方々に対して、対立する主義主張をぶつけてどうするのだと、率直に思ったわけです。

事故起こってない時に、相手を説得するデータを作って、相手を納得させ、代替手段についての現実的な提案をもって初めて原発停止の要請をするべきであって、そういった活動をしている(だろう)人たちが、「福島で事故あったから、浜岡もあぶないぜ」と言って、匕首を喉元に突きつけるような行動(にもなっていないと思いますが…説得力が全くない)に出て、職員の勤務時間を割いてしまうのはいかがなものかと。

今できることは、具体的な行動で被災者の生活を支えることであり、原発の動向を注視しながら、正確なデータを明るみに出して説明させた上で、具体的な対処方法をみんながわかるように説明させ、実行することが必要なのではないでしょうか。
主義主張という抽象的な議論をしている暇はないと思います。

このあたり、市民活動家と行政とがコミュニケーションできない理由でもあると思うのですが、それはまた筆を改めて書きます。

まずできること、ですが、それが「やるべきこと」でなければ意味がないと思います。

2011年3月14日月曜日

大地震の影響

東北・三陸沖大震災の影響が、福島原発を通して私の現住所、勤務地共に影響がでています。
思い切り地元ネタですが、本日は、最寄り駅から池袋への電車の運行が終日見合わせということになっているため、6つ先の駅まで自転車で通勤しました。
3つ先の駅には10時になれば電車がくるということだったんですが、夕方は16時までと21時から終電の運行ということで、どうも都合が悪く、そもそも震災明け初日ということで、いくつも調整事項があるため、3つ先から腹を括り、6つ先まで、時間にして1時間ほどのサイクリングでした。
「行きはよいよい」とはよく言ったもので、朝はアドレナリンがガバガバ出ていたようでノリノリだったのですが、その疲れからか昼過ぎには眠くなり、帰りはテンション下がりまくりで岐路につきました。この通勤方法はもって1週間だと思ったところです。

目的の駅からは、地下鉄で都内に侵入し、山手線をつかって出勤しました。
振り替え輸送をしていないので、なぜか通勤が実費になってしまうという思わぬ負担もありますが、そのうち復旧するでしょう。
現在の都内の状況では、とりあえず山手線かと。東京メトロを乗り継いでいくという普段の動き方では、乗り継ぎが悪かったりして信頼性に欠けます。

意外だったのは、池袋・上野といった普段はターミナル駅となっている駅が閑散としていたことです。

仕事は、とりあえず今週の業務をキャンセルするという調整がメインになるわけですが、各企業の人事担当者とやりとりすることも多く、全国規模の企業では地震の物理的影響をもろに受けているところもあるとのこと。小売店が壊滅状態だ、などという思わぬ副情報もあり、改めて地震のすさまじさを知ることになります。
とはいえ、今日やった仕事は、単純にこれまで立てていた予定を崩すことであり、単純に仕事量が増えたなと感じてしまいました。

今日はいろいろ考えたのですが、計画停電の実施が、二転三転しつつ時間が経ち、結局第5グループが停電を実施したということで、実際に実施されたら困ることも多いのだけれども、停電は都内を含めて明るい内に少しずつ実施することはできないのかなと思ったところです。ただ、この計画停電をぎりぎりまで実施しなかった政府の決断が、おそらく「電気を止めない!」ことで調整したのだろうなと思い、苦労をねぎらいたいところもあります。
また、上記したことで、電車の運休がどのように決定されたかわかりませんが、電車を運休にすることが、鉄道会社にとっては重大なことなのだろうと察するきっかけになりました。

地震の影響について。
私の目に見えること・考えたことのみメモです。

2011年3月13日日曜日

被害状況

無事に帰宅しました。
まぁ、半分は予想通り、半分は予想外の被害がありました。
一度大きく揺れてから、揺れ戻った感じですね。食器棚の中にあるものが飛び出していた一方、食器棚の戸が閉まっていて落下せずにすんだものもあり。
グラス3つと急須1つが破損。カラーボックスは軒並みずれており、台所のカートも大きく動いていました。後、
洗濯機が数センチ動いていました。

改めて、地震の大きさを思い知りました。耐震グッズって大事ですね。
経験からわかったことだけメモ。
・書棚の書籍は、きちんと並べて収納していれば被害は少ない。平積みにしているものは、軒並み落下していた。
・ガラスのものは、落下すれば十中八九割れる。陶器は意外と丈夫。
・突っ張り棒と、床と家具の間に入れて壁側に角度をつけるグッズの組み合わせは、壁にねじ止めする以外の方法では有力。
といったあたりです。
以下、写真は、帰宅直後の自宅の様子です。

おそらく考えに考えた行動だとは思うのですが・・・

地震の影響、すごいことになっていますね。
前回の書き込みの通り、私は偶然の帰省と重なり、地震の影響は全くないところで地震報道を視ていたのですが、これから自宅へ帰ります。
実家に妻子を残して帰るのは、予定していたことだけれども、私は身軽で家族も実家の家族がいる安心感がある反面、今回痛烈に感じた「家族一緒にいること」ができなくなってしまう不安も、確かに私の中に存在しているなぁと思うところです。

原子力発電所のこと。
報道で何度も冷却水の説明を受けても仕組みがよく理解できずにいるのですが、大変なことになっているというのは、各報道を視て感じ取れます。淡々と状況を説明するNHKに対して、「爆発したらどうなるのでしょうか?」と質問を専門家に浴びせる民放との違いを感じつつ、「わからんものはわからん」と思ってしまっているところです。
学生時代に、きちんと浜岡原発行って説明してもらうんだったと、ちょっとだけ後悔しています。

そんなわからない前提で話をするのもいかがなものと思いつつ、目下理解できないのは、今、この時点で浜岡や福井の原発に対して「運転停止」の要求が市民活動レベルで行われていること。
ありえないことだけれども、この要求を原発が了解してしまったら、日本はどうなってしまうのだろうと考えたところです。
節電、節電と官房長官も、Twitterでも報じているのに、他の原発停止したら、そもそもの供給量が減少して、必要なところにも電気がいかない状況になってしまうじゃないかと思ってしまうのですが、どうなんでしょうか。そうでもないのでしょうか?

元々私は「実体験主義」で「プラグマティズム」な、「見えないものはわからん!」と言い放ってしまうような人間ですが、今回もその例に漏れず、自分で考えて思い及ぶ範囲で、できることをしていこうと思います。
個人的にも、恩師と連絡とれずにいるのが心配です。元々、マメに連絡する方ではない(お互いに、ですが)ので、ご本人は大丈夫なのでしょうが、ご家族まで考えたら心配です。

というわけで、某署名活動は放置して、まずは見える範囲で。
今日は、自宅へ帰って被害状況の報告と部屋の片づけ(被害が少ないことを願います)。
明日、出勤できたら赤十字を通して義捐金を送ろうと思います。

@東海道新幹線にて移動中

2011年3月12日土曜日

私は無事です。

日本が大変なことになっていますが、みなさま無事でしょうか?
私は、不幸中の幸いなのか、昨日(10日)は有給を取得して、実家へ帰省しています。

宿舎の状態が気になるところですが、私は家族とも無事ですので、一応お知らせまで。

2011年3月8日火曜日

衝突が生み出すもの

半年くらい前に、シーシェパードが、日本の調査捕鯨について批判的な立場をとっており、その活動を妨害しているという報道を見聞きした。

報道については、私自身思うところもあるので、いつも一歩ひいて見てしまうのですが、率直に何でこうなっちゃうのかなーと思っていました。
この妨害(と思われる、調査船舶に対する衝突等の行動)を支持する人は、彼らの行動に同調する人「だけ」だっていうことは、ちょっと相手の立場、傍観者の立場になればわかりそうなものなのに、そうしない。
本当にこうした行動しか方法はないのかということについて、疑問を持つ人が組織にはいなかったのだろうかと考えてしまう。

皮肉なことに、生物多様性を本気で考えている(だろう)人たちが、実は「(考え方の)多様性を認めない」人たちの一部だったりするのではないかと思ってしまうわけです。
私は、人類皆兄弟のような理想的なものの考え方ができずに、超現実的に泥にまみれる現場の人間なので、余計にこういうことを考えるのかもしれません。
降りかかる火の粉は払います。でも、衝突しようとぶつかってくる人にも、何らかの理由があるわけで、その理屈をお互いが理解できたなら、少なくともお互いの立場を踏まえた落としどころが見つけられるのではないかと思って、日々の仕事に向かっています。仕事だけでなく、もちろん生き方もそれに近づこうと悪戦苦闘する毎日です。

そんな風に考えると、善悪の二項対立は、次の「何か」を生み出すことなく、お互いに負のイメージしか残さないのではないかと。
そして、お互いの負のイメージが何を生み出すかというと、お互いの「無関心」になってしまうのだと思います。

2011年3月7日月曜日

二項対立構造の限界

学生の頃、環境活動に傾倒して参加して感じてきたことが、ひょんなことから言葉になって浮かんできたのでメモ。
環境保全、地域のつながりの復活、伝統の継承など、一言で「環境」として括られる一連の内容について、それを「取り戻す」もしくは「再構築する」といった文脈で、様々な取り組みや文化活動を取り上げることが目立つ。

この構造って、私が学生の頃と何ら代わりがないように受け止めてしまいます。
それだけ問題が複雑で、解決困難なものであるという側面も確かに存在すると思うのですが、ここで問われているのは、私を含めた「一人一人」の生き方ではないかと思ったわけです。
この感覚は、学生の頃から何となく見え隠れしていたのですが、言葉にしてみるのは初めてかもしれないです。

環境活動の文脈で、とかく矛先が向くのが、大企業や賛否の割れている建造物(原発等も含まれるか?)、およびそれらを保護するような政策等ですが、一歩ひいて考えてみると、そうした論陣は、病気の治療で言えば手術や投薬のような対処療法であって、根本的な改善には向かわないのではないか。むしろ生態系だけでなく、社会科学を考慮した政治の現場まで視野を広げると、よけいな歪みを生むことになってしまうのではないかと思った次第です。

とりあえず、出勤時間なので、今日はこの辺で。

2011年3月4日金曜日

雑記110304 Hay fever season.

Hay fever season has arrived again this year.
I'm suffering from hay fever.
In my case, hay fever arrive to me about Febrary to July.
Bad season for me. Ummmmm...

花粉症の季節です。
これまで5月頃に鼻水や目のかゆみがひどかったことはあったのですが、昨年、あまりの症状のひどさに病院で診察してもらったところ、かなりの重傷であることが発覚。
2月のスギから徐々に進行して、4月頃のヒノキでちょっとだけゆるくなり、5月以降のイネ科のもので再度ピークを迎える、というのが私の花粉症です。

多くの方が反応するスギの季節に始まって、みなさんが落ち着いてくる頃にもぐずぐずして、多くの方が「乗り切った!」と思われる頃に次のピークがくるという、なんとも言い難い花粉症。
薬代もバカにならないのですが、異動してもしなくても忙しいこの時期、仕事のパフォーマンスが落ちるというのが何とももどかしい。
今は、家族のために早帰りを慣行しているところで、そのために仕事のパフォーマンスを最大により近づけているので、キツいですね。まぁ、うまくつきあっていきます。

みなさんの花粉症はどうですか?

2011年3月2日水曜日

雑記110301 In the cafe.

I go to cafe almost everyday.
That aim is working or reading books or so.
Yesterday, when I went to StarbacksCoffee, I was surprised that many guest were high school student.
Times are changing.

マクドナルドに入り浸っているという話を以前書き込んだかと思います。
相変わらず「書き物は外で」やっています。
拠点(?)になっている鶯谷では、マクドナルドのヘビーユーザーなのですが(先日、「今日はティーですか?」と聞かれてしまいました)、他の駅からの帰宅などの場合、都合のいい場所にマクドナルドがない場合など、他のカフェを使うことも少なくありません。
昨日は、所沢から直帰だったので、西武線本川越のスタバを使ったのですが、何となく違和感。。
周囲を見回すと、高校生に囲まれていることに気づきました。
カップルっぽいところから、女子会ばりのキャピキャピした子たち、他は勉強にいそしむ高校生、何と社会人は少数派でした。

時間帯やら立地やらで、客層はずいぶん違うのでしょうが・・・ちょっとビックリさせられました。
私が高校生の時は、喫茶店に入るのは少しハードルの高いことだったし、チョイスはファーストフードかファミレスだったことを考えると、時代は変わった、と思ってしまいました。
関東じゃ、当たり前の光景なんですかね?お金あるのかな、などと邪推をしてしまった一件でした。

2011年3月1日火曜日

おかあさんといっしょスペシャルステージ

I went to concert "Okasan to issho, Special stage" last saturday.
My daughter get nervous there.
But when we get back home, she say "Enjoy it!" "There was Wan-Wan".
I think that she enjoyed that consert.


先週末、おかあさんといっしょのコンサートに行ってきました。
娘はアウェイで緊張しまくり。
コンサート中は動かず歌わず。キャラクターや歌のおにいさん、おねえさんが出てきても全く反応がないように見えました。
最後の方は眠気と戦っていたようにも見えたのですが、ウチに帰ってから「コンサート楽しかった」「ワンワンいたね」などと言っているのを見ると、何だ結構楽しんでいたんじゃないかと、安心したところです。
ウチの娘は、私の幼い時に似ているようで、外ではビビりで緊張しいです。
まぁ、それも成長している証拠と性格かな、なんて。

それにしても、おかあさんといっしょといえど、やはりライブです。
大人の私もしっかり楽しめる内容でした。
子どもだましじゃ、見抜かれることをわかっているのでしょう。
50年続くテレビ番組が中心となったコンサートなんだなと、改めて実感してきました。
歌が好きなら(歌えなくても)オススメです。子どもが泣いても、ぜんぜん平気、というのもいいですね。

楽しい一日でした。