2017年11月26日日曜日

においと記憶

人間にとって嗅覚は、身の危険を察知することに使われるので、記憶と結びつきやすい、といったことを聞いたことがある。もう少し正確に表現しないといけないような気がするけれども、調べるのはまた今度ということにして。
オレガノという香辛料がある。普段あんまり使わないのだけれども、最近カリオカ豆を煮る時に使うので、自分にとっての使用頻度が上がったものである。
オレガノを使った時に、ふいに静岡に住んでいた時のある記憶がよみがえった。不思議な感覚である。当時使っていた鍋とか、その時に作っていた料理、バジルを切らしてオレガノを使ったことなど、何も特別なことがないある日の記憶が思い出された。とっても不思議な感覚であり、においと記憶が結びつくってこういうことなんだなと思った出来事だった。

2017年11月25日土曜日

身体操法における正しい線

今年に入ってから合気道を始めました。
山梨県甲府市に住んでいた時に、学生時代の先輩に稽古をしてもらってから10年弱経って、新しい土地で、新しい人間関係の中での合気道再開です。楽しい。
甲府で習っていた時には、短刀乱取りありの昭道館合気道で、基本17本と乱取りを中心に稽古していたのですが、
https://shodokanaikido.com/
所沢では興武館合気道で、基本動作から技を一つずつ練習していくもの。
http://renshinkaitokorozawa.web.fc2.com/

最近は技の練習もするようになったので、少しずつ昭道館との違いを感じつつ身体を動かしています。
合気道の技のほとんどは、基本動作が組み合わさってできているので、わからなくなった時には基本動作に立ち返ってみると、いわゆる「正しい動作」のヒントが得られたりします。自分の立ち位置や相手の相手の立ち位置、体格なんかによってそれぞれ「正しい動き」が決まってくるのでしょうが、それに近づくと身体がすっと動く感覚は、他の運動では得られない身体感覚です。今のところ私はそれに「正しい線」という言葉をつけているのですが、これは稽古が進んでくれば、また違う言葉になるかもしれません。
基本動作一つとっても、膝を抜くタイミングによって、前に出る足の距離が変わったり、毎回自分の身体動作に発見があり、大変刺激的です。


2017年11月11日土曜日

参観会?

最近の小学校は土曜日に参観会(学校開放日)を行う。
今日は参観日だったので、長女と長男が通う学校へ。
2時限目、静かに算数の授業を受ける長女と、なぜかトレーナーを脱いで下着で学級活動に参加している長男。長男の行動にあきれながらも、次女(3歳)が退屈してしまうので、一旦帰宅。
4時限目、再度学校へ。長女が学級活動の司会、長男が「あきまつり」と称した体育館での出し物があるというので、様子を見に行く。
長女の教室前で授業時間開始を待っていると「○○(iyokiyehaの苗字)さ~ん。おられますか~○○さ~ん」と呼ぶ声。「ウチですかぁ~」と名乗り出ると、息子が保健室でぐったりしているとのこと。迎えに出るワタシ。
「熱はないんですけれども、2時間目の途中からぐったりしてしまって…いや、ケガではないんですが、とっても元気一杯だったのに、急にぐったりしてしまったので、念のためということで」と呼び出しを受ける。
「一年生の男の子だと、よくあるんですかね?」と問うと、保健教諭は「う~ん、大きく2つですね。一つは限界まで頑張って突然ぐったりしてしまう子、もう一つは吐くまでのぼせて、吐いたらケロっとしている子。◇◇君(長男)は前者ですね~。

ごめいわくおかけしました。
でも、そんなことも笑い話にしてくれる担任は頼りになるなぁ。

2017年11月8日水曜日

「対象にする」とは 2

何かを考える、という時には、必ず「何か」という対象が存在する。
それについて思いを巡らし、いろいろな角度から見て、物理的であるか否か問わずそれに触れ、時に分解したり、他のものと比べることによって、それについていろいろなことを知り、他の何かとの関係の中で位置づく。
では、その「何か」に言葉がなかったら、いったいどのように物事を考えるのだろうか。
言葉にならない「○※〒☆◇」について、考えることはできるだろうか?
否。
考える対象には、必ず言葉が存在する。そしてその言葉は多様であればあるほど、他のこととの違いを浮き彫りにすることができる。

2017年11月6日月曜日

「対象にする」とは 1

物事は、それを意味する言葉があることで、自分にとっての対象となる。

ラベリングとか命名など呼ばれるが、物理的なものに限らず、頭の中の思考や感情、出来事など、自分事として考えるためには、「それ」が自分という常に動き回るものから離れて存在しなければならない。なぜならば、今生きている自分は常に揺れ動き、感情も刻一刻と変化する。自分でも予想不可能な自分の中にあるものは、それがたとえ自分にとって大切なものであったとしても、そのことについて深く考えを巡らせることはできない。

2017年11月5日日曜日

書くことと頭の中

書くことを避けてきたのだろう。
書くことを避けてきた、がより正しい。

職業人となって、14年目になる。
小手先の技術、というかごまかす方法、要領のよさ、みたいなものが身について、本気で単語一つにこだわって「表すこと」をいつもいつも避けてきた。
正直なところ、毎日毎回単語一つにこだわっていたら、おそらく身体がいくつあっても仕事は終わらないだろう。ただ、書くべきところ=表すべきところ、にあって、言葉にこだわれないようでは、やはり一流の職業人ではないのだろうと思うところである。

考えていること、思うこと、やろうとすること、よかったこと、楽しいこと、悩み、いろいろなことがあるのだけれども、言葉によってそれに価値を与えてあげないと、次の考えや行動には至らない。
これまでにも感じることはあったし、それと向き合ってきたこともあったのだけれども、改めてここでスタートラインに立ってみようと思う。

池井戸潤『銀翼のイカロス』ダイヤモンド社、2014年。Kindle版

「やられたらやりかえす、倍返しだ!」の半沢直樹シリーズ第4弾。今度は国会議員とやりあう銀行員のお話です。
小説なので、純粋に楽しませてもらいました。水戸黄門のように安心して読めるこのシリーズ、大好きです。

-以下、小説だけど引用。
No.729 正論がいつのまにか端に追いやられ、詭弁がそれにすり替わる。考えすぎた挙げ句、時としてバカでもやらないようなことをするのが組織というやつだ。
No.996 袋小路に見える状況でも、どこかに解決策が転がっていることもある。
No.2255 従うより、逆らうほうがずっと難しい。
No.3075 隠蔽は隠蔽を生む。隠蔽はあくまで結果であって、原因は組織の体質にある。
No.4092 欲を捨てれば、真実がみえてくる。
No.4634 物事の是非は、決断したときに決まるものではない。

何か、組織人として引っかかる感じがあるんだよね。別にやましいことはしていないけれど。

2017年11月4日土曜日

いつまで経っても上下関係

前回の投稿が夏休みだったのだが、もう冬が間近に迫っています。
みなさんお元気ですか?iyokiyeha@所沢です。
しばらく、別のBlogのスタートアップをやっていましたが、落ち着いたのでまたこちらにも書き込みを再開していきます。よろしく。

さて、先日前の職場に勤務している元上司と飲みに行ってきました。
私が前の職場に入職して間もない時に所属長としてやってきた方で、私にとっては大変お世話になった上司でもあったので、転職直前の職場に隣の課の管理職として勤務されていた時にも大変お世話になった方でした。組織的ないろいろなことの渦中にいた人ですので、話の端々に愚痴っぽい発言があったりもするのですが、組織的な評価はさておき、私にとってはやっぱりお世話になった上司でした。
お互いに、今職場で何をやっているのかということについては、想像して補いつつ話をするわけですが、立場は違えど真上からの視点・発言でガンガン踏み込んでくるので、お酒の席とはいえ、割と刺激的な時間となりました。他の人だったらたぶんNo Thank you.なやりとりなんでしょうけれども、個人的な関係がなせる業なのか、こういう場は私にとって必要な時間なんだろうなと思うこともたくさんあるわけです。
若かりし頃、もっととげとげしく世の中を見ていた頃の稚拙な発言とか失敗や、当時からの課題なんかを上司として知っている人からの様々な指摘をかわしつつ、受け答えするという機会は、40歳を前にした立場ではなかなかないわけで。今の職場は中途入社なので、周りに気を遣われていることも感じていつつ、その生ぬるさに甘えている自分にも気づかされるわけで。

毎月あったら、しんどいけれども(笑)四半期に1度くらいならあってもいいかなと思う時間です。そんな上司も今年度末で定年となるとのこと。昨年あたりから切れ味が弱くなっている気はしますが、気持ちよく送り出してあげたいと思っています。まぁ、辞めた人間が思うのも、なんだかなぁというところですが。