2011年4月28日木曜日

Windy day.

Yesterday, it was windy day.
Very windy.
My wife hung a futon to dry, then the futon flew away.

ふとんがふっとんだ、ではないですが、昨日は風が強かったですね。
私は、花粉と埃でどうしようもないくらいに悩まされたのですが、自宅ではカミさんが飛んでいった布団を拾いに行ったとかで、大変な思いをしたらしいです。

何か、極端ですね。
この時期の風は強くて感想しているわけですが、ちょっと強めの日差しに強い風が吹くと、外出時の体力消耗が半端じゃない。

これから暑くなるのも大変ですが。
さて、私はこれからが花粉症本番です。マスクをしていても、風邪ではないのであしからず。イネ科の方々と勝負します。

2011年4月27日水曜日

先輩からのメッセージ

「先輩」というと、つい歳の近い年長者をイメージしてしまうのは、年代でしょうか。広い意味で、本来の意味で、いろんな「先輩」をイメージしていただいた方が、今回書きたい内容の本質に近づけるかと思います。

さて、本題。
日々、いろんな立場の多くの人と接しているわけですが、私自身将来のことを考え直す時期にあったこともあり、御縁のあるいろんな方と改めて会ってみる、ということを意識しているここ2年くらいです。
勤務地が東京ということもあり、「えいや!」とちょっと声をかけたら、いろんな人と会うことができる、知り合えるのだと実感するこのごろです。

私が今所属しているのは、日本経済の全体、あるいは福祉社会の全体、日常生活の全体、それぞれどこからみても「ちょっと」見えるくらいの分野、言ってしまえば「スキマ、ニッチ」な小さな分野です。
それでもプライドをもって仕事できるのは、やっぱり大切なことだから、そして共生社会とか多様性とかいう、現代社会のキーワードを具現化するひとつのフィールドだと確信できるからなのだろうなと、自らを振り返って思うところです。

そして、この分野を切り開いてきた人たちがいて、今の自分があるのだということも実感を伴って考えさせられるところです。
いろんな立場から、いろんな見方をされている。同じ方向を向いているからこそ見える私の姿を、いろんな表現で伝えてくださる方々の存在は、自分にとってとても有益で、とても安心できるものなのだと思います。

先日、ある方からメッセージをいただきました。
一緒に仕事をしているときから、厳しく指導してくださっていたのですが、そこには必ず真剣なまなざしがあり、だから何を言われても食らいついていこうと思ったものです。
一線を退かれて、改めてメッセージをいただいたのですが、私の見え方も間違っていなかったことがわかり、かつ、やはり真剣に接してくださっていたということについて、改めて感謝しているところです。

いろんな先輩がいますが、衝突することや嫌だと思ってしまうことがあっても、まずは向き合うことって大切なんだと思った出来事でした。
最近、こういうことが続いているんですね。打ってでることも大切だけど、謙虚でいること、弱みはさらけだしていくことって自分を成長させる上で大切なことなのだと、改めて実感させられた出来事でした。

それだけです。オチはありません。

2011年4月26日火曜日

勤務は頭を使い、休日は身体を使う

自宅からは少し離れたところになるのですが、長めのローラースライダーのある公園があるんです。
ウチの2歳と半年になる娘が、最近すべりだいをやりたがるのですが、人見知りが激しく(私の娘なのに・笑)普段、他の子どもがいると緊張して全然ダメなんです。
昨日は平日。私は、息子(5ヶ月)の検診のために年休とってました。午前中は運転免許の切り替えにいったのですが、カミさんの講習中に公園へ。
平日の午前中の公園は貸切状態!ということで、娘もテンションアゲアゲで、すべりだいに挑戦。

基本ビビりですから、「おとーしゃんも!」と滑ることを促され、私もまんざらではなく(←重要)十数年ぶりのローラースライダーへ。
結局、楽しくなった娘に連れられ、4度程ガラガラと滑った(息子を抱っこしたまま。ずっと寝ていましたが、これはこれでどうなんだろう)のですが、結構な振動で、さすがにおしりに応えました。
今日は歩いても筋肉痛、座っても筋肉痛で、ちょっとしんどいです。

さて、そろそろ出勤しますか。
こんな今日に限って、世田谷方面への出張です(泣)。おしりが痛い・・・

2011年4月13日水曜日

It's not my business.

The train that I'll take is coming.
I and people around me form line at platform.
But the man break line.He is queue jumper.
I am appalied at him.

昨晩は、月イチの助成金申請書類処理の日。一昨年度担当していた業務で、昨年度一度引き継いだのだけれども彼の異動に伴い再度担当することに。
処理のためのファイルなど、改善したこもあり仕事はしやすくなっているのだけれども、慣れていないので時間がかかり、昨晩は日付が変わっての帰宅でした。

そんな状態なので、今日は朝から眠いです。眠いと、何か人のことなんかどうでもよくなってしまいますね。
池袋の山手線ホームで割り込んできた男性。後ろからやたら押されたけれども、一瞥して無視。起こる気にもなれません。どうでもいいよ、あんなやつ。どこでも人に迷惑かけてたらいい。着ているものはいいものっぽかったから、そこそこの稼ぎがあって、きっと部下もいるんだろうにね、と、いらぬことまで考える。それじゃ、人はついてこないよ。

眠いのはいかんね。
調子を切り替えようと、今日の朝マックはグリドルなるものに挑戦。パンケーキみたいなのかしら?ほんのり甘いパンでソーセージパティをサンドしたもの。結構おいしかったです。
さて、今日もがんばりましょー。

2011年4月11日月曜日

また地震か、原発か。

普段、神様なんていてもいなくてもいいと思っている私ですが、もしも神様がいるのなら、そろそろこの状況を何とかしてくださいと、柄にもなくお願いしたくなったりもします。
こういう時に、人一人の力ってホントに微々たるものだと思う。今の私にできることは、現地に飛んで瓦礫の一つでもどかすことではなく、わずかばかりの義援金を送り続けることと、宿舎の空き部屋にまだ人は入らないのかと組合に問い合わせるくらい。
義援金だって、分配でもめていたりするのを見聞きすると「次は直接小回りの利く団体に送るかな」と思ってしまうし、空き部屋の件はおそらく埼玉県への避難世帯分の部屋が確保できない限りは動かない話なんだろうなと思ってしまいます。
おいおいしっかりしろよ、と思い通りにならないことを外罰化してしまう。そんな自分にもちょいと嫌気がさしてしまいます。

こんな時に行政サービスの悪口言ってもしょうがないし、自分の首を締めるようでなんだけども、なんでこんな時に「平等」にこだわるのか、疑問に思う。
いや、誰も不公平感がないっていうことは、本当に大切なことなんだろうけど、当たり前になっている「平等」の意味と、被災者が思っている「平等」とは、やっぱり違うんじゃないかなと思ってしまうのです。

そういえば、今日は11日。東日本大震災の復旧に関するグランドデザインみたいなものの発表がある予定でしたが、完全に出鼻をくじかれてしまっていますね、K総理。
だめですね、今日は頭痛がひどくて、私の考えもかなり後ろ向きです。

2011年4月8日金曜日

最低限ではなく、最大限を目指して

英語で挑戦してみましたが、どうもいつもに増して文章が構成できないので、諦めて日本語で書きます。

震災の影響で、いろんなイベントが中止となって、世の中全体が自粛ムードになっているように感じます。加えて、「何かしなきゃ」ムードも起こっていて、私の身近な方も物資輸送、義援金、現地ボランティアと様々な取り組みをしている、またはしようとしています。
そんな中で自分に何ができるのかと考えます。

震災当日、たまたま帰省していたということはこのノートにも個人ブログにも書きましたが、帰ってきて散らかった宿舎を見た時のちょっとしたショック、そして原発に関する情報が飛び交い、スーパーからは物が消える。「週末ならば、朝スーパーに行けるね」と思い、最寄りのスーパーへいったら長蛇の列ができており、気持ちが萎えてそのまま帰って二度寝しました。

そんな中で、とりあえずと義援金を送ったけれども、現地ではその分配で調整が難航しているとのこと。安易に行政批判はしないけれども、今すぐに現金が必要な人に必要なだけ分配するには足りず、かといってプールしたままにするわけにもいかず、にっちもさっちもいかなくなっている様子が伝わってしまいます。

電車が止まって、出勤できなかったときに考えたのだけれども、こんな状況だから働かなくていいのか、というとそんなことはなく、経済復興の一旦を担う産業界は、できることをできるところから再開する責任があるのだろうし、経済活動の大切な部分としての「消費」は、切り詰めてもいけないわけで。
私の仕事は、何かを作って世の中の循環を作るものではありません。ただ、そういった職に就く方が自らの力を発揮できるように本人と会社の双方をサポートするので、間接的に経済活動には関わっているといえます。
既に多くの論客が論じていますが、職業人としてのプライドから出発すれば、「いつもと同じ(ような)生活をすること。消費をすること」が日本経済の復興を後押しすることはまぎれもない事実と思われます。

「夜中に暖房を切って、家族で一室に集まって寝ました。節電します。」という投稿を見て、前半は美談だと思った一方、後半にはつながらないと思いました。総量は減るかもしれないけれども、電力はプールできないしくみですから、夜中の電力は電力供給全体の圧縮にはなれど、現在の被災地へ直接(いい)影響を与えるかというと、実はそうでもないのではないかと。
夏場に節電義務が具体化したときに、こういったことができるのかが、今後問われてくるのだと思います。

今、自分にできること。
原点に返って仕事をすること。そして、家族を守ること。生活を安定させること。そして、各種報道や情報を継続して収集し、現実を風化させないこと。継続してできること(義援金。必要な物資輸送。近隣に避難者がいれば声をかける、など)をし「続ける」ことのように思います。

私が応援するGreenDropのイナさんのブログ投稿を読んで、援護射撃したくなりました。
http://greendrop.sblo.jp/article/44127248.html

FILET-O-FISH Combi

I have breakfast at McDonald since I live alone.
I had Salad Marine Muffin combi untill yesterday.
This is delicious to me.
But it have a strong flavor, so I get tired.
Today, Filet-O-Fish combi release.
I liked this when I was young.
I will enjoy this in days.

単身生活になってから、停電による電車の本数が少なくなったことも影響して、自宅での朝食をとにかく時間短縮して、都内まで出てきて軽く朝食をとることにしている。
生活リズムが少し変わって、鶯谷マックで30分弱の時間を過ごすことができるため、サンドイッチを一つほうばるようになった。(ちなみに、これによる体重増加はいまのところ見られない。むしろ、少しやせたかな?)

朝マックのマフィンなるものをいろいろ試して、期間限定で出ていたサラダマリネマフィンに偏ってきていたが、どうも味が濃くて、最後は飽きてしまうパターンが多かったのだけれども、今日からフィレオフィッシュのコンビが出てきました。
コンビというのは、200円でサンドイッチと飲み物がついたセット。いつも、コーヒーで朝一仕事している私にとっては、結構お得なセットです。

2011年4月5日火曜日

通勤疲れ

今日は、(下手くそでも)英語で書く元気がないので、近況だけ。

疲れの元凶は通勤です。

昨日は、新規の面談で手話使いながら相談したから、その疲れはあるのでしょうが、それにしても一日所内にいただけなのに、あやうく急行で乗り過ごすところでした。
同じ宿舎の後輩が、私の乗り越し記録(川越市)を塗り替え、森林公園まで行って帰れなくなったとのこと。
昨日は、タイミングがずれたらあぶなかった。

座って寝てしまったら、自分の責任かなとも思うけど、昨日のように、立ったまま寝てしまっていたら、どうしたもんかなと。
慢性的な疲労感が今年も出てきました。すっきりと仕事したいものです。

2011年4月4日月曜日

Happy graduation.

March is season of graduation.
They leave workspace, job, or school and so on.
I hope they will be active in new world.

日本では、別れの季節、旅立ちの季節などと言われる3月、4月。
英辞郎で「新天地」とひいたら、New worldなんて単語が出てきました。
おそらくニュアンスは違うんだろうなと思いつつ、まぁいいか、ってな感じでそのまま使ってしまいました。いい単語知っている方がおられたら教えてください。

身近なところでは、同僚の転勤。同期の転勤や、甥っ子の卒業、知り合いの転身や卒業と、それぞれ立場が変わって、その人にとって新しい世界での活躍が期待されるこの時期、私は今の職場に就職して初めての同じ職場で3年目に突入することになりました。
東京に来て3年目に突入ということで、幸か不幸か業務ラインも変わらずにいれるということで、ちょっとだけ新しい気分になっています。何が起こるのかな〜なんて。
もちろん、いいことばっかじゃないだろうし、しんどいこともあるだろうし、時にはまた腹を立てることだって少なくないでしょう。後頭部の円形禿も大きくなるかも〜なんて思っていますが、まぁ気楽にいこうと腹括ったところです。

残る者のちょっとだけの余裕と一緒に、いろんな連絡や報告をくれる、冒頭のようなみなさんからの連絡に、何だか自分まで清々しい気分になることが少なくありません。中には、数回しか会ったことのない人からの転身連絡だったり。

うれしいものです。

みんなと共に、そして私も、精神的な新天地でそれぞれに奮闘しましょう。

2011年4月3日日曜日

M.J.アドラー/C.V.ドーレン著、外山滋比古/槇未知子訳『本を読む本』講談社学術文庫、1997年。

原著は、How to read a book.1940。
アメリカで出版され、欧米各国を中心に翻訳され、世界中で読まれている「読書の説明書」。日本語訳は1978年に日本ブリタニカから出版された。

読書の方法を解説した本です。「本の読み方なんてあるの?」と言われそうですが、確かに読書技術はあると思います。
ただ、日本の教育において、こうした読書技術を学ぶ機会はないに等しいのではないでしょうか。
それとも、私以外の社会人は、みなこうした読書技術を持っているのでしょうか?
本書では、読書をレベル分けし、
第一レベル=初級読書
第二レベル=点検読書
第三レベル=分析読書
第四レベル=シントピカル読書
としています。
目次や表紙裏、表題や小見出しから内容を俯瞰してとらえていく段階から、キーワードを抽出し、その意味を解読していく段階、そして著者と対話しつつ、同じテーマの書籍と関連づけ、自らの問いを練り上げていくというレベルの上昇は、学習活動において必須のスキルではないかと感じます。

個人的には、もっと早くに出会っていたかった本だという感想です。
一方で、ここで出会えてよかった、とも思っています。
本文でも書かれていますが「読まなければ書けない」ことは、学生の頃から薄々感じていましたが、そもそもこの「読む」行為が、果たして字面を追うだけなのか、という疑問は当時から持ち続けていました。
学生時代に先生にもっと教わっておけばよかったと思ったのが、社会人になって2,3年経った頃でした。

読めている、書けている、という自負もある一方で、仕事をしていて、また人と話をしていて、どうも誤解される、食い違う、自分が思っていることをうまく表現できていない、という不全感があったまま、今まできたところですが、本書がきっかけとなって、もう少し言語化が進められそうです。

思想(考え)は曲げず、状況変化には柔軟に対応し、誤解なく過不足なく伝えきる。

最近、仕事の中で強く感じていることです。そんなこととも関連のあった本でした。


オススメ度:★★★★★(誰にでもおすすめです)

ツイッターがソーシャル・キャピタルを絵に描いたような助け合いの基礎を提供していた。

(週刊ダイヤモンド2011/4/3号、政権史私四観より)
週刊ダイヤモンドのこのリレー連載、とても好きなんですが、政治学者の藤原帰一氏が今号で、ソーシャル・キャピタルとレシプロシティを引き合いに出しつつ、東日本大震災発生時の都内の人々の行動について新たな視座を論じている。
ソーシャル・キャピタルとレシプロシティは、ある程度豊な社会でないければ実現できないもので、人と人との絆が弱まった現代では、自分のことしか考えない人が増えた、ソーシャル・キャピタルとレシプロシティといったものは弱まっている、という議論はよく聞かれることといえる。
藤原氏は、災害当日の人々のツイッターへの書き込み、いわば情報提供に注目し、ツイッターが相互扶助のプラットフォームになっていたことを指摘している。

今、この記事を読んでいて、ちょっと面白いな、紹介しておきたいなと思い、鶴瀬駅前のミスドでキーボード叩いています。
ガソリンスタンドに数時間待ちの渋滞ができる、今日に至ってもスーパーの開店時間に行列ができている、放射能の報道がされれば店内からミネラルウォーターとカップラーメンが消える。
こんな状況を見て「暴動が起きない日本はすごい」と海外報道がされていることを先日批判したばかりですが、3/11に都内で起こったことは、「手放しで美徳だと騒ぎ立てるのも変だが、併せて批判だけされるものではない」ことであると、改めて認識できました。

普段都内へ通勤していると「あさましさ」を感じることも少なくないわけですが、そういう人もいつつ、それに加えて新たなツールを利用した公共が、我々含めた若い世代にも広がりつつあるのだなと感じています。
なんとなく、ですが、10年後には人々の相互扶助や「地域社会(コミュニティ)」「地縁」といったものの意味や形式が今とは違う形で成立してそうな気がします。

2011年4月2日土曜日

I'm with stupid.

I'm in McDonald at Tsuruse Sta in this afternoon.
I ate lunch, and read magazine.
Then, four old ladies come to next my table.
They talk about there acquaintance.
First I think that it's none of "my" business.
But second, they talk about soiling...
Gradually, I become uncomfortable with there talk, and I feel tide of anger.
I said nothing, but I stare at four ladies furiously.
They pause for a moment.
And I leave there soon.


っていうか、意味わかんないんだけど。
というくらい、腹が立った出来事でした。

(以下、いろいろ書きましたが、なぜが消えてしまいました。)

要は、
マナー守れよっていうことと、
You can better yourself by observing others.
ってことですね。

2011年4月1日金曜日

My daughter speaks Japanese??

I think my daughter is growing up quickly.
She have spoke more Japanese in recent days.
I hope my family live close together as soon as possible.

家族と離れて、明日で3週間。
2週間までは予定していたことだけれども、延長になるととたんに長く感じてしまう。
正直に言えば、寂しいです、父ちゃんは。

毎晩、娘が寝る前に、カミさんが電話をくれるのだけれども、そこで娘に受話器を持たせると、二言三言話してくれるんです。
その内容が、ここ2週間くらいで随分うまい日本語になってきたなぁと。
初めは恥ずかしがってか「イヤ!」とか言っているのが聞こえたのに、このところは「いい子してた人〜」「はい」。「いい子でねんねできる人〜」「ねんねするよ」。など。

えぇ、親ばかと言ってください(笑)。
でも、こんな小さなことでふと笑顔になれる、そんな日常が私にとっての幸せのようにも思います。
上野駅で、電話片手ににやにやしてたら、娘と話しているのだと思ってください(笑)。見かけたら声かけてね。

Professional detachment

相変わらず、原発を巡る様々な言論が飛び交っています。
天災ではなく人災だと、私の友人も意見を発しており私自身もそう考えています。

ここ数年の動向を、少しだけ俯瞰してみると(全体像はまだ私には見えていません)、CO2削減目標(25%削減というやつです)と密接に連動しているのだろうなと感じるところです。
原発って政府はずっとクリーンエネルギーだと言い続けてきたわけで、そこには「原子力発電ならCO2はほとんど発生しませんよ」という背景があったのでしょう。そして、原子力のリスクについては世界に事例があり、それを引きつつも「安全性には配慮している」と言い続けてきた、というのがこれまでの経緯でしょう。

ここにきて、政府の見解や、専門家の意見というものを数々見聞きするようになり、また、カウンターパートとしての市民の意見も情報として入ってくるのですが、果たしてどれが真実なのか。
データを読み解くだけの知識がなければ心理にたどりつけないのか、とも考えられるわけで、そこには「自分」の存在が少なからず浮かび上がってきます。

何をもって「安全」というのか。
私が職業生活の中で、特にこの半年くらい意識し続けている言葉の使い方と一部重なるのですが、この「安全」基準があまりに不明瞭で、統一感がないのが、最近の議論の「かみ合わなさ」になっているような気がしてなりません。
ここのところを、専門家が独立性をもって整理してくれるといいのですが。やはり、自分で調べていかなければいけないのかな。今のままだと、「余計な」情報が多すぎて、どの切り口から読み解いたらいいのかがわかりにくいですね。

父親としての判断ができずに、もどかしさを感じているこの頃です。