2023年12月31日日曜日

身体の栄養と頭の栄養 231225

  前回のアップで、身体にガタがきているという話を書いたが、休むことといいものを与えることって、一緒にしてしまいがちで実は異なることと実感する。

 Iyokiyehaの場合、仮に休日に身体を一日休めていたとしても、自宅ではいろいろ気になって(大体は何か言われる)、外出しても時間が気になったりして、どうにも気が休まらない。おまけにトレーニングのない一日は、何よりも身体がなまってしまい、そのこと自体に自分がストレスを感じてしまう。

 もちろん、いつも通りの生活に、ちょっと身体にいいものを食べたり飲んだりすることは、自分にとっては心地のいいものだけれども、どうにも私の家族の嗜好とは合わないことが多く、習慣化しにくい。

 何かいいやり方はないか、気軽にできるいい方法ってないかとずっと考えていて、今年はようやく何かしっくりした感じがした。春先にはマメに頻繁に短時間、夏場に数回やってみて、冬になってそれができないことに不満を感じてようやくまとまった。大切なのは、

・雑事に追われないこと

・とりあえず、やるべきことがないこと

・時間に追われないこと

・できればいい環境に身を置くこと(ちょっと観光なんかできたら、最高である)

こうしたことが充たされた時に、インプットの質が変わり、頭も身体もうんと軽くなる感じがある。これは「休む」というよりも、どちらかといえば「リフレッシュ」。能動的に頭の中を掃除しつつ、きれいな・いいものを取り入れている状態といえる。その意味では、休息というよりも栄養を与えることといえる。普段の雑事と時間に追われる消耗感がなく、歩き回れればそれなりに運動量も出てくるし、そこにおいしいご飯や飲み物、スイーツなんかあったら、人はそれだけで結構満足できるんだなと思えたのは、大変新鮮な気づきだったと思う。

 心に余裕が欲しい時、あるいは心に余裕ができたときには、ときどきこういうことをしてみたらいいと、自分に対してそんなことを思う。

合気道 自由技編 231225

  6月の審査で3級に昇級して、茶帯になった。とはいえ、道場の一般部で末席なのは変わらず、それはそれで毎回いい経験とお稽古をさせてもらっている。秋口頃から、休憩時間に受け身のお稽古をやってもらっていて、ようやく飛躍受け身もだいぶ怖くなくなってきた。まだまだ形を整える余地だらけだけど、痛くなくなってきたのでお稽古にチャレンジできる、というのは自分の中での一つの成長といえるだろう。

 以前習っていた昭道館の合気道では、乱取りが当たり前だったので、技のお稽古も割と実践的な動作・流れの中で行うものが多かったのに対し、今習っている錬身会では、型をひたすら重ねていくというお稽古。双方かじっている身としては、初めはどちらにも疑問があったのだけれども、最近になってそれが「ただ、入り口が違うだけ」と考えられるようになってきた。前述した受け身ドリルの中で、自由技をやり始めるようになったから、それが多分間違っていないんだろうなと感じるまでに至った。

 型稽古のよくある質問に「実践的じゃないのではないか?」というものがある。こどもたちがそう感じるのも無理はない。ただ、お稽古を重ねて、錬身会でいえば自由技をやるようになると、これがとても実践的な取り組みとその準備、さらにその研究、ということがわかってくる。そしてその練習を成立・充実させるための受け身の技術、とすれば、型稽古がどれだけ体系的に体術を学ぶことのできるプログラムであるか、ということがイメージできるようになる。連続技になると、技の型を一部崩して、流れを止めない、動きの中で対応し続けることが求められる。そうなると理想的に受けられたときに詰めて詰めて詰めて詰めて抑える、ということではなくて、投げて次、投げて次、大勢いても、投げてかわして投げてかわして、が繰り返される。ここにきて、大変実践的なものであることに気づく。このことに気づくと、連続技をやらなくても、いつもの技の稽古が連続技につながっていることを実感できるし、連続技は型稽古の基盤がないと全く技がかからないことだってありうる。

 錬身会でお稽古を初めて、薄々感じていたことではあるのだけれども、コロナ後、今年の初めに稽古を再会して、最近になって蓋が一気にはじけ飛んだ感じがしている。ますます面白くなってきた。

2023年12月10日日曜日

Blogを更新しました

 pomeraに書きためていたものを一気に公開しました。いろいろ理由はありますが、自宅でパソコンに向かって作業する時間が、ずーっととれなかった、というのが主な理由。ちょっと忙しすぎるんです。最近。慢性寝不足で、身体によくない生活になっています。

とはいえ、毎日のトレーニング、週末のトレーニング、合気道は継続できており、疲労感はあれど、充実しているところもあるかな、というのが最近の様子。仕事は、まぁ、今年度は何とか倒れないように駆け抜けようと思っています。低空飛行でいい。それが多分、今の組織への御礼になると思う。実績とか評価なんかもう興味なし。

生活における仕事の比率が調整されるようであれば、読書に充てたい。鈍な性格な中で判断をしていくには、直感で浮かび上がってきたことを鵜呑みにせずに、もう一回客観視をする必要がある。そのためには、やっぱり良質なインプットが欠かせない。TwitterがXになったり、フェイクニュースや画像や動画の調整が簡単に利くようになっている現在において、その中でも信頼できる情報というのは、ある程度人の目と手が加わったもの、編集やキュレートが加わったものを取り入れていくことが有益であるといえる。速報で動く必要があるならそれを追うのも考え方だけど、仕事も日常生活も、信頼がキーになるというならば、自分にインプットするものも、ある程度の信頼感があるものを、と思う。


Audiobookまとめ(2023年下期)

 ●矢内東紀『Chat GPTの衝撃 AIが教えるAIの使い方』実業之日本社、Audiobook版。

●瀧本哲史『戦略がすべて』新潮社、Audiobook版。

●養老孟司、山極寿一『虫とゴリラ』毎日新聞出版、Audiobook版。

●本郷和人、和田ラヂヲ、横山了一、滝乃みわこ『東大教授がおしえる やばい日本史』ダイヤモンド社、Audiobook版。

●小泉悠『ロシア点描 -まちかどからみるプーチン帝国の素顔』PHP研究所、Audiobook版(原本は2022年出版)。

●谷本真由美『世界のニュースを日本人は何も知らない4 -前代未聞の事態に揺らぐ価値観』ワニブックス、Audiobook版(原本は、2022年出版)。


立川談慶『ビジネスエリートがなぜか身につけている教養としての落語』サンマーク出版、Audiobook版。

  落語は、肩肘張らず楽しんでいい芸能ということが分かる、落語の超基礎文献。落語が聞きたくなるエピソード、基礎知識が詰め込まれた一冊でした。ビジネスエリートかどうかは別として、言葉遊びを楽しむ、教養として身につける、ということも悪くないのだけれども、それをおいておいて、芸能を極めようとしている人、名人・達人の言葉遊び、人情話、教訓話なんかを、おもしろおかしく楽しめる、そんな話が落語だというところを感じ取ることができました。もっと気楽に、もっと楽しく、それでいてためになる、そんな落語。もっと気軽に聞いてみようっと。

オードリー・タン、プレジデント書籍編集チーム『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』プレジデント社、Audiobook版。

  台湾のコロナ対策を、デジタルの観点から率いたオードリー・タンによる著書。インタビューがベースになっているのか、コロナ対策を中心に、台湾の政策やそれに取り組むタン氏の生い立ち、考えかた、ITの位置づけと活かし方を縦横無尽に語る一冊。未来予想の様相もあり、大変感銘を受けた。Kindle版へ移行。

鴻上尚史『青空に飛ぶ』講談社文庫、2019年。

  以前にAudiobook版を紹介した『不死身の特攻兵』のノベライズ版。太平洋戦争末期に、陸軍特別攻撃隊として九回出撃して生還した佐々木友次氏の生き様に触れた中学生荻原友人が、自分の生き方を見いだしていくもの。

 佐々木友次氏の経緯については、先に取り上げた『不死身の特攻兵』に詳しく、その概要版と言える。とはいえ、戦時中の日本軍の言動と、その命令に屈することなく「体当たりするくらいなら、爆弾を投下して帰還する方がいいに決まっている」と、自明の考えを曲げず、時にはしたたかに、とはいえ高いプライドを持ち続けて、9回生還した。この佐々木氏の人生については(仮に多少の誇張や誤解があったとしても)文句なしに面白い。思わず拝んでしまいたくなるほどの迫力と、感動があった。

 一方の荻原友人の物語は、いじめの描写が生々しく、実際に人を苦しませるいじめというのはこういう八方塞がりになっていくものなのだろうなと、気持ち悪くなるくらいであった。気づかない両親や教員、エスカレートするいじめ、クラスでは傍観者でもSNSでは気流に飲まれていじめてくるその他大勢のクラスメート、そして事実を告げられない閉塞感。他の読み物では、助けてくれる大人や友人がいて、救い出してくれたり、反撃をしたりしそうなものだが、(以下、一言ネタバレ)結果「逃避」というのが、また生々しい。実際には反撃なんかできないケースだってたくさんあるんだろうから、現実起点の物語として、この結びはちょうどいい感じだと思った。


■以下引用

96 身はたとへ南の海に散りぬとも とどめおかまし大和だましひ (中略)

  家をすて妻を忘れて国のため つくしたまへとただ祈るなり

238 いろいろ言われますが、船を沈めりゃ文句ないでしょう

250 日本人らしくないからだ。そうだ。そうなんだ。友次さんは、ぼくのイメージする日本人と違っていた。ぼくの知っている日本人は、大きなものに従って、じっと黙っている人達だ。

275 「強くはないさ。私は自分の寿命を生きただけさ」

 友次さんはきっぱりと言った。

 「寿命を決めるのは仏様。寿命がある間は逃げるわけにはいかないっしょ。自分で寿命を終わらせたらだめだべさ。寿命は自分できめるもんじゃないっしょ」

329 君が一人生き残ったのは、君が何かをしなければならんことがあるのです。フィリピンでがんばり抜いたように、これからも生き抜いてください。それが、君に死ぬなと言った、益臣(岩本大尉)の願いに沿うことじゃないですか

内藤誼人『世界最先端の研究が教える すごい心理学』総合法令出版、Audiobook版。

  心理学の教科書には載っていない、最新の心理学の知見を紹介する一冊。心理学って二人称の本当にちょっとした言動を切り取って調査することに驚かされる一方で、一見何の役に立つのかわからないようなことを一生懸命に調査研究をしているのだと思える。

 人と関わる時に、自分の思考が言動を通じて、相手に伝わっていく。自分としては、如何に「伝わるように伝えるか」を考え抜くのだけれども、受け止める相手としては、その内容よりも全体的なイメージと連動して受け止め方が変わってくる。男性は顔で判断されて、女性は全体的なイメージで判断されるらしい。もう少し進めると、論文の評価は著者の顔写真で変わってしまうこともあったようだ。

 こういう人の本質(?)に迫る言動を突き詰めていくと、人は「わかっていてもやめられない」とか「わかっているのに選ばない」など、非常に非合理的な行動をとる生き物だということを感じずにはいられない。

橋爪大三郎、大澤真幸『ふしぎなキリスト教』講談社、Audiobook版。

  日本を代表する二人の社会学者が徹底対論、というキャッチコピーで紹介されていたもの。購入当時、思想や宗教、歴史的な読み物を欲していたのだろうな。先に紹介した社会学史といい、聖書の小説版といい、そういったものが続いている。

 ただただ知識を身につけたい、というよりも、歴史的・社会的文脈で何かを把握しようとするときの姿勢を身につけておきたい、という必要から、こういった教養書を欲していた(いる)ように思えるこの頃である。法制度、イベントというのは、その歴史的・社会的文脈のある意味必然によって生成する、ということを考えるようになった。だからといって、何事かを予測したいというのではなく、Iyokiyehaとしては、物事の本質をつかみたい、というだけのこと。今回はキリスト教。

丸山正樹『デフ・ヴォイス -法廷の手話通訳士』文藝文庫、2015年(初出:文藝春秋、2011年)。

  CODA(Children of Deaf Adults)で元警察事務職員の尚人が、手話通訳士として殺人事件に巻き込まれていく小説。久々に小説を読んだことに加え、すっかり「この」世界に没頭した。小説の一気読みなんて、何年ぶりだろう。フィクションでありながらも、それほど明るい話題ではないのだが、落ち着いてじわじわとやってくる迫力と、随所にちりばめられたいわゆる「文化摩擦」とその架け橋となる手話という言語に、改めて意識を向けさせられました。ミステリの要素がいいスパイスになっており、一気に読ませる一冊でした。

■以下引用

97 幼いころから嫌というほど「家族と世間」との間の「通訳」をしてきたのだった。

123 彼ら(デフ・コミュニティを言語的少数者、文化的集団と捉える運動を起こしたアメリカのろう者たち)は、自分たちの集団を「耳が聴こえない」ことによってではなく、言語(手話)と文化を共有することによって成り立つ社会とした。その際、英語で耳の聴こえない人のことを表現するdeafという単語の頭文字を大文字にし、Deafという言葉を、新たに彼らのコミュニティのメンバーを指すものとした。

158 デフ・ヴォイス。生まれついてのろう者は、人前で滅多に「声」を出すことはしない。しかし、家庭内ではその限りではなかった。特に、「聴こえる」子どもを離れたところから呼んだりする場合などには。

川島隆太『子どもの脳によいこと大全』プレジデント社、2023年。

  脳トレ川島先生のコンビニムック。なぜかAmazonでは取り扱っていなかった。職場で専門職に勧められて一読。

 子どもの脳の発達について、何がいいとか悪いとかいろいろ言われているけれども、何がいい、何が悪いというよりも、「何が求められているのか」(目的)によって、少し変わってくるのかな、と思いました。スマホは集中力を乱すし、無目的にテレビを観るよりも、外に出ていろんな物に触れて聞いて感じることって脳の柔軟性を養うのに都合がいいのは分かるんだけど、でもそれって誰が誰に求めているのかな、という疑問が生じたわけです。

 人とコミュニケーションをとること、創造性の中でごっこ遊びをすること、スマホやテレビはけじめをもって、集中すべき時間帯には余計な刺激を入れないことなど、どこかで聞いたことのある説を、調査によって説明した上で、時間を決めること、バーチャルに浸かりきらないこと、五感を刺激することなどの有用性を説く一冊です。説得力はあるし、なるほど自分でも試してみようかなという内容ばかりで、一般向けに書かれているので、大変読みやすい本でした。多くの人に勧めたい本です。

 さきほどの疑問について。こういう内容の本だからこそ、「私にとって都合のいい」内容かもしれない、と思ったわけです。世の中はIT技術、Webを介した世の中の仕組みが目の前に広がっていて、トレンドは生成AIをどう使うか、なんてことが雑誌で特集されているわけです。このBlogなんか、立ち位置を変えたら時代錯誤もいいところで、こんな古くさい方法で、個人的な読書感想文なんて、誰の何の役にも立たないよ、とする見え方もあるでしょう。私は必ずしもそうは思っていないわけですが。

 とはいえ、このBlogの対極にいるような立場の人に、本書の内容ってどう響くのかな、と疑問に思ったことは書き留めておこうと思いました。

大崎梢『配達あかずきん -成風堂書店事件メモ』東京創元社。Audiobook版。

  ミステリに分類されるのかな。8月の聴き放題に入っていた1冊。成風堂書店に勤務する従業員と(主に)お客さんとのやりとりのなかに、ちょっとした謎解き要素がある。ミステリというカテゴリーの小説って敢えて選んで読むことはなかったのですが、ここのところAudiobookで興味深いものにいくつか当たっているので、改めて「楽しむ」読書ってしてみようかな、と思えるきっかけになりました。

ジョージ・ルーカス原案、槐多康彦著『赤い情熱 ヤング・インディ・ジョーンズ14』文藝春秋、1993年。

  20年以上ぶりに再読したシリーズ最終刊。ロシア革命に巻き込まれていくインディの活躍を描く。この話のモチーフになっているロシア革命って、教科書ではよくわからないし、専門書なんか読んだって言葉がそもそも分からない、そもそもといえば現在のウクライナ侵攻にも言えることだけどロシアの思考とか雰囲気って知っているようで知らないよね、ということに嫌でも直面させられる。そんな知識が前提だから、結局のところインディがどの立場でどう立ち回ったかということは、わかったようでよくわからない、というのが読了した印象だったりする。

 革命前夜に、急進的な活動を進める若者達と交流ができる。諜報部隊として彼らと関わるインディは情報収集の目的で深入りしていくのだかれども、友情や愛情が芽生えるほど情が移っていく。そんな中でインテリジェンスとして得た情報とは反発する活動を煽動していく若者達との間で、一瞬の不和、そして起こる悲劇。そんなフィクションを時代を行き来しながら語るジョージ・ルーカスの手腕に、改めて脱帽する。時代背景がもう少しイメージできるともっと面白いのかもしれないが、そうでなくても小説として成り立っているのが、また興味深い。30年越しの楽しい読書でした。

 このシリーズ、歴史感覚に自信がついたら、もう一度読んでみようっと。

開米瑞浩『60分でわかる!暗号資産 超入門』技術評論社、2022年。

  分かったようでわからない「暗号資産」。これでよくわからないとなると、何を読めばいいのかな~。

ヨシタケシンスケ『しかもフタが無い』筑摩書房、2023年。

  この人は天才だと、以前にも他の本の紹介で書いたと思うのだけれども、やっぱり天才だ。なんというのか、「あるある」の次元が、普段表には出さないよね、というレベルで考えるようなことを、すこ~し突き破る感じ。思わずぷぷっというイラストが、これでもかこれでもかと続く。

大澤真幸『社会学史』講談社。Audiobook版。

  社会学の教科書的な通史。一つ一つのエピソードが本当に面白いんだけど、学んだことは以下の通り。

・社会学って、思想や哲学に出てくる人たちと共通の登場人物なんだな。

・対象となる、時・場所とそこに生きる人の意識を記述するのが社会学。行動や事象は具体例として論説の根拠となる。

・観察者の置かれた状況や物の見方という前提によって、記述される内容は変わってもおかしくない。

(再掲)加藤アカネ『ANAのVIP担当者に代々伝わる心を動かす魔法の話し方』サンマーク出版、2019年。

  Audiobookで聞いてみて、これはいい、と文庫版を購入。題名からクレーム対応の具体例をイメージするのだけれども、読んでみて(聴いてみて)感じたことは、思いのすれ違いの間に介入するときの技術、が詰まっている一冊であるということ。

 いわゆるクレームclaimって、苦情とか注文って訳されるけど、自分の意にそぐわないことに対してもの申す訳ですから、前提としてその人に何らかの思いがあって、それが充足しない状況がある、というのが前提ですよね。それを仲裁する、win-winにする、どちらの不満も増幅しない、円満解決のためには、その状況に飛び込んでいく必要がある。ただ、そういう状況下では、すでに張り詰めた糸を弾くような場面ですから、弾き方にはコツが要るわけです。そのコツとは、糸が切れないように相手や状況との接点を作って補強していくためのいわば技術(スキル)というわけです。

 誰にも責任を押しつけない言い方だけでなく、意味的にもお互いの間に入り込んで結びつきをつくる、あるいは入り込んだ上で穏便に離れていただくような、そんな言葉とその対応に潜む対人関係の極意で一杯な一冊です。

 IyokihehaはAudiobookで聴いた上で、書籍も読みたくなって文庫版を購入するにいたりました。どのエピソードも勉強になって、考えさせられます。要は、言葉選び+相手の立場に如何に寄り添えるか、ということかと思いました。

ジョージ・ルーカス原案、村上博基著『サバンナの探偵 ヤング・インディ・ジョーンズ13』文藝春秋、1993年。

  インディ・ジョーンズ若き日の大冒険シリーズ。率直に、このお話はテレビシリーズでも印象が薄いんだよな。多分、中学生の私にとって、アフリカという場所はあまりに魅力に乏しかったからだと思う。今回読んでみても、やっぱり他の話を比較してしまうと、史実その照らし合わせである人物の歴史が浮き彫りになったりする魅力みたいなものを捉えきれない。今回読んでみて感じたのは、共通の言葉を使っていなくても成立するコミュニケーションがあるらしいこと、住んでいる場所や人間関係、いわゆる文化、の違いによって行動は変わってくること、その違いを認めることはちょっとした工夫でありながら、他人にそれをやってもらうことは困難を極める、ということ。

金原ひとみ『蛇にピアス』集英社、Audiobook版。

  芥川賞受賞作。確か、同時に受賞した綿矢リサ『蹴りたい背中』と一緒に書店に平積みになっていたのが、もう20年くらい前になるか。学生の頃に読んだ覚えはある、が、残念ながら内容はうろ覚えだった。

成毛眞『39歳からのシン教養』PホP研究所、Audiobook版。

  確かに、今この歳になって何かを学ぼうとするときに、高校生・大学生の頃のように、基礎文献を頭から読み解いていくのは、体力的にも時間的にも精神的にもしんどい。経験や知識・経験を活かしつつ、Webとの付き合い方を工夫し、効率よく知識を習得することが、今後の自分の人生においても有益であると思えた内容だった。

柿内尚文『バナナの魅力を100文字で伝えてください ー誰でも身につく36の伝わる法則』かんき出版、Audiobook版。

  自分にとってのバナナとはなんなのか。

 外部力、フリとオチ、脳内チューニング、3つのグッド、セルフ問答

田丸雅智『10分間のおもちゃ箱』オトバンク(オリジナル)、Audiobook版。

  子ども向けの童話はこれでいい。不思議なことが起こるけどそれでいい。ちょっとくすりと笑えたらとてもいい。

 佐久間レイさんや小林よしひささんの朗読で、ちょっと不思議な童話が楽しめます。

末永幸歩『「自分だけの答え」が見つかる13歳からのアート思考』ダイヤモンド社、2020年。(Audiobook版2021年。)

  アートArtとは、世の中に対する問いにを自分なりに答えたもの、といった定義(考える素材。きちんと書き起こしていないが、そういったこと。写真のようにうまい絵=アート、ではない)づけをし、いわゆる名画を具体例に、アートの視点というものを鍛える一冊。このAudiobookを聴いて、ようやく芸術作品の楽しみ方を感じられるようになった気がする。私のように「美術って結局何よ?」とか思っている人にとっては、大人になってから学ぶ、芸術のパラダイム転換を感じられる一冊。これは、きちんと読んでおきたい本です。

サボっていました。最近思ったこと。(7月末~11月末)

 ■231130 Voicyフェスと激務

 あっという間に11月も末日になってしまった。これまでの職場のルールを飛び越えて降りかかってくる仕事の数々と、心ないご意見や主張に打たれながらも、なんとか二つのチームを率いて現状維持はできたのだと思う。その代わりとは言い切れないが、私の身体は黄信号で、ややガタがきてしまっているのだと思う。ちょっと疲れた。

 それでも、毎日のラジオ体操、木剣素振り、ちょっとウォーキングを続けられたことは、自分にとって一つ自信にもなる。一日寝込んだだけで何とか回復できたのは、そこそこの体力がついているからかな。やっぱり睡眠と運動は大事。頭を使うことも当然大事なんだけど、それよりも動くこと、休むことってやっぱり大事なのだと、振り返って思うに至る。

 で、頭よりも身体、という発想は、Voicyフェスの対談で聴いた何人かの人、それもエクセサイズ系の活動をされている方も語られていた。それも強い裏付けになる。多分エビデンスレベルでも運動の有用性は証明されているのだろうが、実感レベルでそれを感じ取っている身としては、誰がなんと言おうと、という気持ちもある。これに加えて、頭では寛容と覚悟。このあたりがVoicyフェスからの学びだろう。身体を鍛えるというと、少し大げさなんだけど、ルーチンになっている運動と頭を常に柔らかくしておくこと、柔軟に考えて、寛容の気持ちで人と接する。行動を起こす時、それが自分にとって大切なことであればあるほど、何かを手放す覚悟が必要となる。こういう一つ一つの「自分のやっているいいこと」の積み重ねが自信につながっていく。だから続けること、しつこさ、頑固さも必要だろう。

 残業が45時間を超えている、ろくでもない月だけれども、自分にとっての最低限、積み重ねを更に重ねる行動に、自分は救われたのだと思う。


■231031 首長選挙

 ご縁のある街で、行政の長が交代することになった。詳細は省くこととして、現時点での私の評価は「新市長が当選するべくして当選した『のではなく』、前市長が落選した『だけ』」の選挙であったということ。選挙戦の構図だけみたら、4年前のそれと全く変わらないものだったというだけだというのが、私見である。

 旋回の選挙は、維新よりの無所属候補が落下傘で出馬したようなもので、率直に「うーん、別に」というものだった。他にめぼしい候補者もおらず「なら、現状維持」という結果だったとするのが大方の評価だろう。今回は、新人候補が協力なブレーンを得て若年層の支持を得た、なんてあちこちで報道されているが、なんのことはない、YouTubeでの宣伝が効く層に「なんとなく新しいことを考えているような」宣伝をしかけて、それによって動いた層が新人候補に投票した、ということ。そして、前の市長は自分に寄せられた批判を実績に読み替えて宣伝し続けてとうとう呆れられた、というだけ。私は市民として両候補の公約を見比べていたけれども「どっちもどっち」という判断をした。4年前と同じである。

 案の定、なにやらいろいろ主張して、迅速な実績を宣言したいのだろうけど、行政のしくみを飛び越えてやろうとすることは、どこかにしわ寄せがくるんです。生活者の視点とは言うけれども、ルールは守らないといけませんね。結局、そういうことに落ち着きます。要は「変革」なんていっても、結局人の欲を増幅したものであるならば、看板をすげ替えただけの、本質的には何も変わらない変化に一喜一憂するだけなのだよ、ということ。さぁ、裸の王様は、だ~れだ?


■Voicyフェス'23 231025

 自分にとって、心地よい対話。リラックスして、楽しく。これこそがいい時間だ。

 人が何かを感じとって気づきを得た時の表情や声色、そういうものって他人にとって本当に栄養になりうることだと思う。自分の置き場、既知のことが何かと結びついて新しい気づきを得たとき、言葉としてはシンプルだけど、その人の中で何か化学反応が起きているかのような変化、ゆらぎ、躍動、動き、なんだろう、それこそ今日テーマになっていた「オーラ」とか波動、そういう言葉でかすっているかもしれないがすべてを表現できない総体。いろんな感動があって、ふるえるような感覚を覚えるのだけれども、それって結局生身の人間が関わり合って初めて成り立つ何かだと思う。


■たぶんコロナ、でも熱は出ない。 231023

 先週末から、喉の違和感はある。変な頭痛もある。でも発熱しない。悩ましいものである。多分、コロナか変な風邪にかかったか。ただ、微妙な症状なので、通常生活を継続する。人がいるところに行くときには必ずマスク、不必要な接触は避ける、という程度。やっぱり悩ましい。

 このクソ忙しい時に、である。白状すると、今週は勤務はほぼ半日にして、家のこと、とあるオンラインFESに時間を使おうとしている。来週から超繁忙に入るというのに、である。ただ、順番から言えばFESの方が早くから予定が入っていたので、仕方がない。仕事はあくまで兼務先のことだ。いやぁ、もうここまで来ると、こっから発熱したら、FESに時間を全部使えるというメリットもあるので、あとは成り行きに。身体がしんどいのは嫌なので、感染防止対策はきちんととるわけだけど。


■コロナ再来 231008

 困ったものである。カミさんが先日から咳をしていると思ったら、急に発熱して、あれよあれよと新型コロナウイルス感染症陽性、の診断を受けてきた。本人は「どこでもらったか、見当もつかない」と言っているが、私に言わせればそんなことはない。学校行事とはいえ、人混みで声を出すこともあっただろうに。

 世の中の感染対策が、結局触れたところの消毒、マスク着用、に留まってしまっているのがちょっと気になる。まずはワクチン接種、隔離、換気、結局以前やっていたことと核は変わらないのだけれども、安心感のためにちょっとだけ動いてみる、みたいな発想に落ち着いてしまっている。「しょうがないよね」といって、結果ウイルスを散らしてしまう行動になってしまうのは、うまく感染対策がとれないこどもたちにとっては本来脅威である。ただ、こどもはこどもで、どこの情報か知らないけど「コロナはもう弱まっているんだよね」と言ってくる。情報源って大事。

 制限が増えてくると、なんかイライラして人にあたってしまうことはあるのだけれども、それってなんの本質でもなく、結局は「余計なこと」。お互いを尊重する、という基本的なことはきちんと意識しておこう。


■次女の運動会 230930

 次女(小4)の運動会を観に行く。長女(中3)の頃とは異なり、午前中・弁当なしという形式がすっかり定着した小学校の運動会。ノスタルジックに「昔はよかった」というつもりはなく、寂しさというものとは少し違うが、時代の移り変わりを感じるものである。とはいえ、子どもの健康や、保護者の負担なんかを考慮すると、このくらいで実施することにはメリットも多いように思う。単に「合理化をはかった」というだけでは、この変化を読み解くことは難しいと思う。

 それにしても、場所取りの整理や保護者受付の廃止、運動会中のパトロールの廃止など、私が提案しても「これまで、そうでしたから!」と押し切られていたいくつかのことについて、ゼロベースの発想で改善(つまり、廃止されたってこと)されていることを、現PTA会長から伺う。自分は二代前の会長だったから、次の次になってようやく花開いた(廃止できた)と言えるだろう。みんなの負担が軽くなって、アウトプットが変わらないなら、Just Do it !でどんどん試してみたらいい。前例踏襲は、不可避のことにのみ適用されるべき、頭は使わないと考えなくなる。


■もうなんか、やれることをやるしかない 230927

 結局兼務体制は続いており、今年度の整理と元職復帰はほぼ難しい状況になった。私としても覚悟を決めて腹を括ったところもあるので、まぁ今年度は走りきろうと思う。次は決算、そして補正予算と来年度申請が一度にきて、もう一度議会、年末。年が明けたら来年度予算で、最後に入園結果が出て支払い地獄に突入、そのあたりで兼務は解けるけど、私のポジションも決まってくる、という不安定要素がずっと続くわけで。とにかく身を守る行動を第一にと考えている。この状況下で不意打ちを仕掛けてきた○○さんとは距離をとっているので基本的には関わらず。こんなくだらないことに付き合っているヒマはない。体調不良者がちょくちょく出てきていて(やむをえないケースとやむをえないケース。前者は精神的なものと連動しているのでしばらく続くかも、後者は若い子が身体的な不調をこじらせている)、なんとも「神は試練を与えたもう」みたいな状況。切り抜けるしかないよね。

 ある筋から「●●さんのことを、誰も話題にも気にもしないのが不自然」みたいなことも言われるのだけれども、私が係兼務するようになった原因を掘り返すのも、どんな形であれ故人を話題に出すことも、私には利があるとは思えないので、とにかく「前を向け」の雰囲気を作っている立場としてはいかんともしがたい。

 せめてもの救いは、兼務先の人間関係が一部不穏な中、一部前向きに動き出しているかのように見えること。こじれているところの改善はなくとも、維持や上書きできるなら、他の改善でもってフォローできると思う。とにかく「前を向け」だ。

 異動してきて、そのまま係長職っていうのは、オペレーションがわからないというビハインドがあるんだよね。頭のいい人なら、説明を聞いて流れが分かるって人もいるんだろうけど、私は鈍で勘も鈍いので、わからんわからんで聞きまくるしかない。それを頼りないと言われるならしょうがないけど、文句言うならお前がやれって感じで。幸い、チームの中には(注。先日の刺してくる人は「チーム外」カウントです)そういう文句はなく、役割分担の中でうまく使ってくれている。これはありがたい。

 今年度の今後を上述できて、「あぁやっぱり」と思えたので、改めて無理せずにやっていこうと思う。こんなことをメモできたのも、半年ぶりくらいに「半日サボり」ができたからであって、こういう時間は月に1回くらいはとらないといかんな、と思ったところでした。びっくりしたのが、今年年休の残りが「36日」とか表示されていたこと。もっと休まなきゃ・笑。元後輩から「アルコール入れましたか?」と質問があったけど、バレるからやらない。でも、いずれそれもいいかも、と思ったよ。


■はたらきアリの法則なのか・・・ 230909

 専門職にも●●がいる。

 海外の報告をキュレーション番組で聴いたのだけれども、研究の手法を使って「コロナ禍で、デマを流した医者情報」が報告されたようです。聞くところによると、コロナ禍の中で、いわゆるエビデンスに基づかない情報、例えば、薬品情報や陰謀論やワクチンに過度な批判を加えた情報などを発信した人の中から、医師免許を持つ人の情報が集計されたそうです。それによると、医師免許を取得した学校、所属学会、活動、発信ソースなど、様々なことが見えてきたとのことでした。デマ情報を発信した医師の内大半が何らかの活動に参加しているとか、発信ソースは旧Twitterが多いとか、そのフォロワー数は中央値で60,000人程度とか、そんなことが浮き彫りになったようです。

 いわゆる社会的地位の高い人が高貴な人かというと、そうでもない、ということは経験則でも分かっていることなんだけど、こんな話を聞きながら、「自分がどんな人を信用するのか」ということを考えてみた。

 やっぱり「自分で考えたことに基づいて、話ができる人、行動ができる人」なんだろうなと思い至る。社会的な役割に対するプライドの有無っていうのも当てはまるのだけれども、それだけじゃなくて、プライド云々以前の個人対個人であっても、その言動が浮いていないか、自分がどこまで分かっていてそのことについてどう考えているかっていうことが、自分の言葉として語れるかどうか、なんだろうなと思うところ。かくいう自分も実際にはどう思われているのかな、と少し気になるのだけれども、他人は他人、自分は自分。そうありたい自分でありたいと思うこの頃です。


■状況は身体を通じて発せられる 230830

 ここのところ、残業が続いている。何か特定の突発的業務というよりは、本来業務がずれこんで、日常やるべきことが時間外になってしまっている感じである。これはよくない。時間外の原因が分析できていないことになる。


■認められること 230827

 合気道で昇級して、帯の色が変わった(白→茶)。大人になると、免状をもらったり、対外的に自分の進み具合を認めてもらう機会なんかはほとんどなくなってしまうので、ちょっとうれしい。いや、大変うれしい。気分も変わるものだ。

隅落としからの受け身

両手持ち四方投げ(一)(二)


■仕事で改めて大切にしたい stand の感覚 230826

 ことごとく、自分の感覚がずれているような気がしている。今の職場では、施設への金銭面の給付・補助の担当と、施設利用の調整の担当をとりまとめる立場なのだけれども、このうち後者について、自分の感覚と業務の思想との間にずれを感じる。最近は少し困っているのと、判断がブレそうで踏み込みが甘くなっているように思う。改めて、後輩達の支えがあって仕事が(とりあえず)できているという感覚がある。

 困っている人がいたら、きちんと支えてあげるという、公務労働の現場で自分が大切にしてきたことが、公平性原則に基づくしくみを前に、ことごとく跳ね返されてしまう。「Iyokiyehaさんが言うことはわかるんだけど、ちょっと違うんだよね」ここんところ、立て続けに同質のコメントが続いており、少し凹んでいる。(そこへ、背中から刺してくる人が見つかったので、精神的にも凹んでいる)困ったものである。

 お金の取り扱いについても、1年以上かけて、ようやくチューニングができてきたように思うので、まぁこちらもそのうち慣れてくるのかもしれないんだけど、それでも1年経っても同じことで悩んでいたら、多分「向いていない」のだろう。この点、その片鱗が怖いと思うのが、通常業務の感覚がいつまでたってもズレズレ感があることだ。「こんな感じだよね」と思うことが、ことごとくはずれと言われると、さすがに不安になる。でも、ここは踏みとどまって謙虚に学ばないとな、と思う。standである。


■本に触れると本が読みたくなる 230822

 モチベーションが下がりつつあるので、休みをとってリセット。いまいちな課題が2つ3つあると、折に触れて思考に浮上してくるので、どうにも頭は休まらない。なるべく長い時間昼寝して、早寝をすることにする。

 妻と次女が、次女の友達と遊びに行くというので、塾に行った長女と部活が休みになってなんとなく家にいる長男とを放っておいて、自室の片付けをする。といっても本を整理して終わってしまう。読み終わった本を下取りに出すものと、スキャン依頼するものとに分けるのだけれども、どうにも下取りに出すのは気がひける。別に誰が損するとかいう話ではない。 でも整理にために本に触れていると、どうにも本が読みたくなる。理由は分からないけど、感覚的なものだろう。活字にまた触れていくとしよう。


■言い方 230822

 結局、言い方なんだよね。昨日の続き。

 ボスになりたい人は、勝手にやってくれればよろしい。構成員だけでなく、その場全体を鑑みた時に、全体の利になるようであれば、シンパを組織して既存勢力を引きずりおろしたらいい。ただ、ほとんどの場合はそうじゃないよね。自分の周辺、自分の守備範囲が、より楽になればいい、という部分最適を狙うために発言権を強めていくやり方が、お山の女将、大将なわけで。

 これもね、中身あってもなくても、全体的に支障がでない言い方っていうのがあるんだよね。要は、お山の女将・大将になりたくても、なりたくなくても、言い方一つでその場の気の流れはなめらかになる。たとえ、それが既存勢力を叩き潰したり追放するようなことであったとしても、言い方を気をつけたら、穏やかに退場願うこともできる。一番軋轢がない方法ではないか?


■お山の女将 230821

 多分に男性目線であることをお許しいただき、筆を進めたい。世の中の人間を二分すると、「ボスになりたがる人」と「ボス関係ない人」に大別されるのだと思う。自分はどちらかというと後者だと思う。ただ、思い切り自分の身の回りのことだけ考えると、ひょっとしたら前者が目立たないけどいるかもしれない。

 口では「このままでいい」と言いつつ、我をはる人もいれば、逆に「上昇志向」とかいいつつも、周りを立てて昼行灯を演じている人もいる。私の理想は昼行灯なんだけどね、実力が伴わないから仕方がない。

 で、前者の件である。前者でかつリーダーシップに長けている人というのは、いわゆる世に認められる人だから、あとは実力次第で周囲がついていくかどうか、ということになる。問題なのは、前者かつ(そこそこ)作業ができるかつリーダーシップがない、というパターン。独りよがりか、言いたいことしか言わない方が多い。より面倒なのが、そこそこ動けて、気の弱い人を巻き込んで、局地的に完全にボス化していて、言いたいことを適当に言っているだけの人。要求が強い人とか、提案が多い人とまとめられることが多いが、平たく言えば「口のきき方が分かっていない、偉そうな人」という(暗黙の)評価を受ける人のほうが多い印象がある。余計なこと言わなきゃいいのに。言葉の端々に「あなたには分からないでしょ?私はこの場所のことは一番よく知ってるんだから!」となぜかアピール(なのか?)してくる。反省なんか一片もなく、滑稽だったり、憐れんでみたり。ともかく関わりたくない。


■夏祭り 230820

 今日は、朝起きたときに「イヤだな」と感じて起きるのをためらってしまった。理由は明らかで、多分職場のストレスが大きくなっているのだろう。言われていることが、全くお門違いなことである、ということは理屈ではわかっているけれども、感情レベルでは気味の悪さと怒りの感情が収まらない。折に触れて意識に上がってくるのが、何とも都合が悪い。とはいえ、何かしらの落としどころが要るのだろう。

 町内会による夏祭りが開催された。4年ぶりか。所沢市に引っ越してきてから、ほぼ毎年顔を出していたが、コロナが明けて、次女のために引率。コロナ前の最後の開催時は、確か次女連れてクレープを買ったんだっけ。長女はお友達と、長男は勝手に買い食いしていたっけ。懐かしいな。

 とはいえ、この人混みはさすがに気疲れしてしまう。元々祭りを含んだ人混みって嫌いだから、正直なところ今日だって合気道のお稽古に行けばよかったんだけど、なんとなく会場へ足を運んでしまう。ウチの子を含め、こども達が楽しんでいるのを眺めているのは、なんとなくいい気分になる。そういうものなんだよな。


■ビールのうまさ 230819

 何年かぶりに、ビールをゴクゴク飲んでしまった。その勢いでpomeraに向かっている。朝から汗を何度もかいて、夕方に庭掃除をして一気に汗を出した後の、夕食とビール。たまらん。

 炭酸と苦味を冷たくした液体で体内に流し込む。のどごしとか言われるけど、普段はおいしいと思えない苦味とアルコール臭が、ここまで疲れてミネラルと水分が枯渇している身体に流し込まれる時に、喉から胃にかけて快刺激が通り過ぎていく。これだな、快刺激が体内を通り過ぎる、というのがビールのよさなのだろう。


■無風・凪 230818

 ということで、宿題を淡々とこなす。そうそう、返信にはお礼も忘れずに。余計なことは一切残さない。

 っていうか、そんなことをやっている暇は本当はない。本件、理想的なのは、感情を含めてすべてが自分のサブチャンネルに収まっていくこと。あわよくば、自分のパーキングエリアみたいなところに入ってしまうことなのだろう。物事の本質に「何も」当てはまっていないし、ムダなだけ。自分のリソースをほんの少しでも使うのがもったいない。


■宣戦布告 230816

 半日考えても、やっぱりおかしなこと、不可解なことなので、ここに記しておく。

 「大人ではない」が現時点の到達点である。質問攻めにされる、厳しい意見を伝えられる、怒られる。正直、意味と理由が理解できない。百歩譲って、私に何か気にくわないことがあるのなら、それをきちんと指摘するのが大人の態度だろう。「何のつもりですか?」「何をしたいんですか?」「何も話すことはありません」、1on1を打診して、自分で時間と場所を確保した上で、開口一番がこんなじゃ、びっくりするとかそういうレベルではなくて、開いた口が塞がらない「不可解」である。呆れてしまい、その場を取り繕う気にもならず、聴くべきことを聞かずに、少し確認をしてクローズ。勝ち負け云々ではなく、不可解、が正しい。久々に、チームに必要ない、と思える人と出会った感じだ。


■話し合い 230814

 組織としてはいろいろやり方があるのだろうけれども、局地戦、特に足下をよく見たときに「これしかないよな」と決まってくることがある。今年度の自分の身の置き方がそんな感じ。意外とこういう時の判断って、感情で決まってくるんだよね。「自分にとって」どうかというよりも、自分の基で仕事をしてくれる後輩達のためにどうか、チームのモメンタムが保たれるのはどんな方法か、みんなにとって「心地よい」環境ってどういうところなの?そんなことが、結局最後の一押しをするから、多分理屈には合わない判断をしてしまうのだろう。でも、決めたなら、進みながら必要な修正を加えていくしかないよね。


■合気道メモ 230813

 一ヵ条ドリル

・膝行から正面打ち、座り技一ヵ条抑え

 トレーニングを兼ねる。膝行法から正面打ちを合わせて、仕手が一ヵ条抑え。

・綾手持ちからの、片手持ち一ヵ条抑え(一)(二)

 (一)は肘を返すことができれば、極めやすい。力技になってしまうことも。

 (二)は相手が動かない時に、後ろの足を出しながら回転法で崩す。出した後ろ足に軸が移るので、姿勢を保つ。 

・掛かり稽古 綾手持ちから一ヵ条(一)(二)の選択。

・肘持ち・肘抑え

 一ヵ条が崩れた時、肘肩返しても相手が崩れない時に、受けの肘を狙いつつ肩を極める。


■筋を通すこと、我を通すこと 230801

 ここのところの職場への問い合わせの内容を聞いていると、「困ったから助けて」ではなく「思いとおりにならないから、なんとかしろよ」という主訴が多いように思う。どこまでも自分の責任ではなく、「ルールが自分に合わないからお前らが悪い」という屁理屈のようだ。論理的に、とか言いながらも、結局のところ屁理屈に屁理屈が重なっているだけで、結局自分本位の延長線上で空中戦をしているに過ぎない。それでいて、話が混み合ってくると考えるのが面倒なのか「訴える」だの「報道関係者に知り合いがいる」だの。勝手にせいと言いたくなるのをぐっとこらえる。大体「上を出せ」と言われても、結論が変わらないことは、上が出ても結論は変わらない、という基本的なことも分からない人たちに使う時間は無駄でしかない。

 物事の道理が分からない人に、筋を通すだのうんぬん言われる筋合いはないんだ。


■昇級審査2 230731

 審査の様子を、先生方がビデオに撮ってアップしてくれた。不思議なもので、自分のボディイメージよりも動けているように見える技の挙動と、逆に自分のボディイメージよりも崩れている自分の姿勢が目についた。面白い。

 構えや基本動作は、ある程度身についていると思っていたのけれども、審査の中程、ちょうど疲れてきた時に、構えがほぼ直立に近くなってしまう、姿勢を低くするところで低くなりきれていないことを客観的に理解できた。基本動作の他、構えなんかは全然気にしていないことだっただけに、この崩れ方は課題になる。


■昇級審査1 230730

 ここ1ヶ月ほど、頭の中を2割ほど占有していた合気道の昇級審査を受けてきました。今までの昇級審査は既定項目だけだったので、要はテストの内容が決まっていてそれをきちんと練習してこなしていけばいいものでした。今回も基本的には同じ形式なんですが、3級審査からは「指定技」なる総計30近い技の中から、その時に言われた技を表現するものが3本あって、それを覚えるのに必死な一ヶ月だったわけです。結局は以前に購入したDVDを観ながら、朝のルーチンの中に技の確認を入れ込んで、今日は四方投げ、明日は一ヵ条、みたいにできることを確認しつつ、わからないことを浮き彫りにして再度調べる、DVDで確認する、みたいなことをブツブツいいながら、ああでもない、こうでもないと身体を動かしてみることを続けて、ようやくできた感じはするのだけれども、三歩進んで二歩下がる、みたいな。


■帰省 230723-25

 今年の夏の浜松帰省は2泊3日。長女・長男が中学生になり、夏期講習やら部活やら。私の見え方としては、優先順位がわからないのでせっかく帰省するなら、もう少し長くてもいいと思うのだけれども、とはいえ短期間には短期間のメリットもある。

 私の実家は、父親が80歳を超えていて、とはいえ父親は元気なのだけれども母親の認知機能の低下が激しく、新しい記憶の書き込みが随分弱くなっている。私が帰省する直前にも食卓に並ばなかった煮物が朝食に出され、父親から「これは食べるなよ」と耳打ちされたり、記憶し損ねたことを父親が激しく指摘する場面にも出くわし、最終日には「みんなでご飯でも食べて」と母親からの小遣いが三回繰り返されるとか。一方、そういう母親はデイサービスを利用することになり、日中の家事・特に昼食を自炊するようになったオーバー80の父親は、随分愚痴っぽく、話が長くなっている。二世帯で同居する姉二人も、悪態つきながらもフォローしているような話もあり、突発的な変化だらけの生活なのだろうなと察する。余談だが、実家のエアコンが一新されていたところに、父親の財力の底力をみた。

 3時間ほど、一人の時間があったので、駅前に用事を済ませようと繰り出したものの、某金融機関のATMすらなくなってしまい、通帳記帳ができなくなってしまった。ついでに地元の神社にお参りし、ここのところの不運を一新しようとお札を購入した。ただ、友人にうなぎを送るような時間はなく、今回はおみやげなし、ということで。


■結局は自分次第 230720

 気にくわないことを、いちいち書き留めておくと、なんとなくそのデータが悪口増幅装置になってしまっているような気がしていた。が、自分のストレス発散、浄化だと思って時々そういうことをやっていたけれども、そういうことも「いい話」「改善話」に編集・変換して発信し続ける、といったことをやっている人のインタビューを聞いて、それでいいんだ、と思うことができた。すとんと腑に落ちた。

 最近、暗いニュース、なんとなく悪いように聞こえるニュース、ひどいニュースばかりで、情報源をどうしたものかと思ってきた。事実を表現すればそういう書き方になるけれども、事実を表現しようとすればするほど、「自分の見え方」から物事を表現してしまうことになる。人間には矛盾がたくさんあるけれども。

 いや、多分話はシンプルだ。自分にとって腑に落ちないことや、テンションが下がること、嫌な気持ちになるものも、つい悪口を言いたくなる経験とか、そういうことがあっても、それに自分がどう向き合ったか、どういう行動をとったらどうなったか、工夫したらマシになったのか、など、いい話や視点の変更が効かなかったとしても、自分の行動や感情に焦点をあてて「マシ」な方法を記録していくことには、とても意味があると思う。


■前向き仕事 230718

 先手をとって、新規事業を提案する。忙しくなるけど、テンションはあがる。


■詰問 230718

 何がきっかけなのか、延々と詰問される。「どう思ってるの?」は質問ではなく問い詰めるワードでしかない。反発せず、安易に同意せず。受けきらないといけない。多少感情は動くけれども、平常心の枠内に収めるしかない。


■三連休 230717

 買い物、トランポリン、買い物。土曜日は豚汁と切り干し大根、魚を焼く。日曜日は子どもらを連れてトランポリンへ行った。月曜日は買い物に行って、マカロニサラダを多めに作る。結局、3日間とも夜は飲酒をしたため、普段よりも眠くなるのが早い。録画したドラマvivantをカミさんと観て、床に就く。