2010年9月29日水曜日

キャリアプランと組織の論理

ようやく人事ヒアリング、人事異動希望調書の提出が終わりました。

結論。
結果としては、自分なりの希望を盛り込んだ内容になったので、少しすっきりしました。
ただ、本音では「一任」と書いて出したいくらいの気持ちはあった、というところがあります。
このあたり、今の管理職とは考え方が全く違うので、やっぱり管理的な職員とはこれからも相入れないところがあるのだろうなぁと実感しました。
それが、いいとか悪いとかではなくて、組織に適応していくということは、こういうところで「組織の常識」に沿わないといけないこともたくさんあるのだろう、結構窮屈だなぁとも感じています。
まぁ、今に始まったことじゃないけど。

とりあえず、峠を一つ超えたところです。
今年も異動希望は出していないのですが(6年連続!)、もし異動となった時に「おや?」と思ったら、それが私の希望ですので、あしからず。
まずは今年の希望、と思って考えたものだけれども、提出してからも「結構妥当じゃん」と思うに至っております。
でも、希望が通ったら、それはそれで内側の戦いは続きそうです(笑)。

さぁ、のびのび仕事しよう!

秋です。

すっかり涼しくなり、過ごしやすくなりました。
仕事のイライラも、一旦落ち着きました。心配していただいた方、ありがとうございます。

2010年9月26日日曜日

100926雑記 言葉の習得

娘の語彙が日々増えている。
先日、「おかーしゃん」「おとーしゃん」と言うようになったのだけれども、焦っていたりとにかく呼び止めたい時などは、以前の「かっいー」「やいや」と言ったりする。

2歳前の娘なのだけれども、言葉に意味が乗ると、表出も変わるのが面白い。
例えば、「ごはん」という言葉。
「ご」→「ご」
「は」→「は」
「ん」→「ん」
「ごは」→「ごは」
「はん」→「はん」
(注:左は父親の発語、右は娘の反応。)
と言えているのに、
「ごはん」
というと、
「まんま」
という反応。

これは面白い。
「何で?」と思わされますが、これも人間の脳の仕業と考えると、2歳前の子どももすごい力を持っているなぁと、親ばか交じりで思ってしまいます。
ホント、子どもって飽きないですね。時々疲れるけど(笑)。

100926雑記 宿舎の除草作業

本日は午前中、宿舎の除草作業でした。

疲れました・・・

中腰と、素手での草抜きというのは、腰にも手にも腕にも足にもきます。

歳を感じる瞬間です。

でも、宿舎の中庭で外遊びができそうですね。喜ぶのは娘、ならいいか。

公の思考

先日、上司との「合わない」感覚を自分の中から引きずり出してからというもの、いろんなことが目について、気に食わないやら、つまらないやら、幻滅するやら。
いい意味では、上司との軋轢が「まぁ、公の組織だからしゃあないか」と思えるようになってきてはいるのだけれども、それによってとばっちりを受けるのはいかんともしがたい。

反旗を翻す時期でないことは重々承知しているし、私にも家族があるし、起業の時期でないことも、よ~く分かっているので、もうしばらくは踏みとどまってがんばっていこうと思っている。

とはいえ、管理職が二言目には「メンツ」を口に出して、「対外的な説明」のための数値を至上命題のように(念仏のように)浴びせられるのは、どうかとも思ってしまう。
数字は大切です。
行政機関である以上は、数字で物事語れなければ何の説得力も持たないことは、さすがに中堅職員でもわかっています。この点を外すつもりはありません。
ただ、それが常に「組織上部」を向いているのはどうなのかなと。
一体「誰」にアピールするのか?
もちろんここでも、私が所属する機関は所管官庁があるから、その担当部署に対して説明する必要があるのは言うまでもない。
そこに届くように、本部の言うデータを作製する、提出する、というのもわからないでもない。
ただ、現場の感覚としては、その過程(プロセス)ももちろん大切なわけで、数字に直結しない業務が、時を経て数字につながってくることが少なくないことは、感覚としてわかっていて、このことをないがしろにすることはできない。
ここまで含んだ上での「メンツ」なら、「よっしゃ、いっちょやってやるか」となるわけだけれども、残念ながら今の職場ではそこまで「伝わってこない」。
たぶん、考えているとは信じたいのだけれども、伝わってこない。
これは残念なことだと思うし、伝わってこない以上、指摘や指導は残念ながら私にも響かないものになってしまっているのではないかなと。
少なくとも、指摘は大切にして、次の高みに上るための具体的テーマにはするつもりだけれども、残念ながら、おそらく向こうが意図する成長にはならないんじゃないかと。

ここまでが、ちょっとした分析。
ここからは、愚痴も含めたお話。

先日の一件も、私が予定していた業務の日程に、偉い方(組織内)の視察がぶつかってきたというところでいろいろと悩んだわけだけれども、やはり納得はしていない。
そもそも、全員出席なら日程調整ちゃんとするか、事前に別案を立てるように伝達してもらえない上で「誰が受けた依頼か知らんけど、信じられんなぁ!」とか声を荒げられても、それは目の前にいる方への信頼が下がってしまうだけで、私には何も響きません。
その上で、職員との懇談とやらも、1時間遅れで開始。
予定時間よりも30分遅れで終了。
この拘束時間もどうかと思うし。
中身のやりとりを見て、この人なら私の上司で安心、という実感は得られたのだけれども。
後日、本部でこの懇談会のやりとりがもとでいくつかの部署での対応が求められたらしく、そのことが先日ウチにも伝えられたとのこと。
別にそこまではいいのだけれども、それを受けた管理職の対応というのもどうかと。
「そんなことを、誰が言ったんだ!」
はないだろう。
明らかに曲解が曲解を生んで、各部署に伝えられて偉い方の指示(質問?)に応えられていないということなのだから、それは話題に加わった職員をまず守れよと思うのだけれども。

そういうことに翻弄されているところを見てしまうと、何だか「公の思考」に染まってしまうことは自分をどこまでも殺していく作業なのだと感じる。
「私」と「公」という区分でいけばきっとそういうことなのだろうけれども、ロジックって万能じゃないから、現場の感覚って大事なんだと思うのだけれども。
それを取り入れようとして懇談の席を設けたということであれば、そもそも目的と手法を見直した方がいいと思ったところです。

分かる人にしか分からない書き方ですみません。
興味のある人は、行間埋めながら読んでやってください。
最近の出来事の整理です。

2010年9月24日金曜日

100924雑記 今年の健康診断も・・・

先日、健康診断の結果が返ってきました。
「オールA」です。
生活習慣病リスクもなし、その他数値も全て正常範囲内です。
昨年度よりも、だいぶよくなっていました。

今ある健康に感謝です。

2010年9月22日水曜日

雑記100922 親の呼び方

娘はこれまで、Iyokiyehaのことを「やぃや」、妻のことを「かっいー」と読んでいたのですが(理由は全くの謎)、昨晩、ふとした表紙に「おかーしゃん」「おとーしゃん」と言うようになりました。

おかあさんといっしょのCDに、「おかあさん」と何度も歌詞に出てくる歌があるのですが、最近その歌がお気に入りらしく、何度も何度もかけていたところ、歌に合わせて「おかーしゃん」といいはじめたとのこと。

イライラしがちな最近、ちょっと緩んだ一件です。

2010年9月21日火曜日

通じない=合わない

人と話をするときには、あれこれと考えて、言葉を選びながら、相手の考え方をわかろうとする段階がある。
ラジオをチューニングするように、ああでもない、こうでもないと、お互いに質問を投げ合いながら「こんな感じかな」と察し、で、本題、となる。

おおよそ、誰とどんなタイミングで話をするときにも、こういった段階はあるのだけれども、時にこのチューニングが全く効かない人がいる。
不思議なもので、全く噛み合わないんですね。こういう相談をされると、ちょっと自分のスキルにも自信がなくなる。
最近、自信をなくしてばかりです。

ここのところ、Iyokiyehaがポイントだと思っていることが、ことごとく理詰めで論駁されているのですが、そのポイントが「ごもっとも」と思うところと「何で、今、それかなぁ」と思うこととが混在していて、すごく疲れます。
自分の弱点くらいわかってるから、傷口に塩を塗らないでください。治りが悪くなる、って感じです。

そもそも、社会人だから「自分で変えられること」と「自分ではどうしても変えられないこと」があることはわかっているし、後者は、知らぬ間に周りが決めてくれる(決して甘えているだけのわけではなく、気づいたときにそこに「置かれている」だけということ)ので、自分が時間を使うべきは前者、ということになります。
後者に時間を使うのは、Iyokiyehaに言わせれば愚の骨頂なわけで、そもそも「よくわからない」ことを「わかれ」と命令されることがどれだけ無意味なことかと思うと、私の「正常な」感覚が拒絶反応を起こすわけです。

で、これを「精神的に弱い」と評されるのも、個人的には(組織的には全くわかりませんが)納得がいかないわけで。

わかる人にわかるように言っておくと、毎年この時期に管理職がやるあのヒアリングと最近職場で起こっているいくつかの「宮仕え」に関すること、対外業務における意見の相違が、全て重なってIyokiyehaのストレッサーになっています。

2010年9月20日月曜日

越えられない壁

※祝700本目の投稿!ご覧のみなさま、いつもありがとうございます(By. Iyokiyeha)


真面目な話。


所属機関に勤務して6年。
今週は、これまでにあまり感じないようにしていた組織人としての壁にモロにぶちあたっていました。
動悸がして眠りは浅くなるわ、元々の予定が調整つかずイライラして近寄りがたい雰囲気を発してしまったとか。
まぁ、とにかく「マズい」一週間でした。
ふりかえって、少し整理しておきます。
ちなみに、まだ壁を壊しても、乗り越えてもいません。

一つ確実に整理できたことは、講演会の資料(特にスライド)の作り方については、この機構にいたら一生苦労するだろうなということ。

そんなことはどうでもいいのですけれども、こういう表面化したところの根っこには、きっと組織人として一生相容れないものがあるのだろうということに気づく。

引き金になった出来事は、全くもって自分の準備不足なのだけれども、ご指導というか説教を受けながら、この「相容れないこと」に気づいてしまったので、何ともひどい有様だったのでしょう。
自分でも、ここまで自信喪失するとは思っていませんでした。
言われていること、一つ一つが響いてしまい、その場ではいくらでも切り返すところや言わなければいけないことがあったはずなのに、何も言い出せず、声も小さく途切れ途切れになっていった自分がいました。

こういう時に、研ぎ澄まされて冷静になる自分がちょっと嫌でした。
できないっぷりを指摘されて、そのまま自信喪失してしまったみたいなんだもの。
その側面があったことは、紛れもない事実なのだけれども、真相は少し違う。
この「もやもや感」が、Iyokiyehaと組織との間に確かに存在することを、きちんと確かめました。
今まで5年と少し見ないフリしてきたものが目の前に現れて、まぁどうしましょって感じです。

あと、もう一つは、ものすごく広い視野で関わってくれていたと思っていた人が、実はちょっと上を向いて仕事されているのだなということが見え隠れしたことに気づいたことも、どうかなと思うところもあり。
Iyokiyehaにとってはくだらないと思えるアピールのせいで、私に白羽の矢を立ててくださった関係者に迷惑をかけてしまう結果になってしまったことが、今でも悔やまれます。

組織人としてやっていくのであれば、踏みとどまって自分なりに越えないといけない壁かと。
もう一つ、思ったのは、組織人の自分とは違うところで活動できる基盤を今年中に作っておこうということ。
腕一本でやっていくために、どうしたらスキルと人脈を広げられるか(仕事を深さとするなら、広がりをどうとるか、というイメージ)、具体的に考えていこうと思いました。


少し真面目に考えたところです。
ちなみに、先々週くらいの頭痛は、すっかりよくなりました。小さなできものが発見されたので一安心です。

新美南吉『ごんぎつね』朗読少女(iPhoneアプリ)。

誰もが知っている、新美南吉の名作。
我々の世代では(現在30歳前後)、小学校の国語の教科書に出ていましたね。
何度も何度も音読をした覚えがあります。

いたずら狐のごんと、兵十とが織りなす、あたたかく、そして悲しいお話です。
20年ぶりくらいに、音声ファイルで聴読したのですが、胸の奥がじーんとくる感じがしました。

文学的には、解釈やら意味付けがされるのでしょうが、そういったものはとりあえず置いておいても、感情が揺さぶられる名作の一つだと思います。
無料のPodcastも公開されている(ふぁんた時間)ので、よかったらこれを機にいかがですか?
http://fantajikan.tea-nifty.com/blog/
(Web:ふぁんた時間)

2010年9月18日土曜日

セクシーカウンセラー

どうでもいいことなんですが。
最近、人前で話すときに、自分の声が気になってました。
声は普段人間の体内に反響して聞こえるので、自分にとっては他の人が聞くよりも高く聞こえるらしいです。

先日、「安住紳一郎の日曜天国」のPODCASTを聞いていたときに、安住アナと中沢アナがそれぞれ「セクシー係長」「セクシーアシスタント」を名乗り、いいヘッドフォンを使うと自分の声が聞こえるとのこと。
http://www.tbs.co.jp/radio/nichiten/index-j.html
(WEB:安住紳一郎の日曜天国(TBS RADIO))
話題はネタに過ぎないのですが、やはり少し変わるものですね。

そんなことを思いだし、最近講演の機会に、片耳だけ耳栓をつけてしゃべってみています。声が低くなっているかどうかはよくわからないのですが、それでも自分の声が高くなりすぎないよう気をつけられるようになりました。

こんなこともやってみるバカなIyokiyehaでした・・・(笑)

実際の効果の程はいかに?
周りの人に判断してもらいましょう。
しばらく続けてみます。

2010年9月15日水曜日

感情と理性

普段落ち着いている人が、珍しく感情的になっているところを目の当たりにすると、どんどん冷静になってしまいます。
「仕事として」「職制として」どうなのかなと考え始めると、ちょっとやり過ぎかな、と思いつつも、Iyokiyehaが本当に言いたいことをぶちまけてくれるので、ありがたいなぁと思いつつ、口では「まぁまぁ」と。
相手の質問に答えていないことはわかっていても、敢えて口を挟まず、相手の出方を冷静に観察していました。

冷静になったときのIyokiyehaは、結局「変えられるもの・こと」と「変わらないもの・こと」を峻別して、前者にしかアプローチしません。
落としどころを常に探してしまうあたり、仕事では結構「長いものに巻かれる」人間なんだなと、ふりかえって改めて実感したところです。

2010年9月14日火曜日

堀江貴文『拝金』iPhoneアプリ版(徳間書店)2010年。

株式会社ライブドア元社長堀江氏による、初の小説。
時代の寵児として祭り上げられ、失脚(?)を余儀なくされた堀江氏の自らの経験も踏まえたと思われる読み物。

あるフリーターが、起業をきっかけにセレブへの道を駆けあがっていく様子が、実際の手法を紹介しつつ、読み物になっている。
読み物としての「読ませ方」「疾走感」が感じられる作品で、読んでいて非常に心地いい。
6~7年前に、各マスコミが一斉に堀江氏を取り上げ、その言説を巧みに切り出し、マスコミ上で「堀江像」を作り上げていったことと、堀江氏が自身の著書で紹介していた持論に差が生じていた様子と、小説の中で主人公が置かれた状況とが、ノンフィクションとフィクションを行き来しつつ進んでいく小説のようにも思えた。

Iyokiyehaは個人的に堀江氏のファンだということもあり、非常におもしろく読ませてもらいました。
マスコミが作り出す虚像というものを強く意識させられる小説であるとともに、多彩な才能を縦横無尽に発揮している堀江氏の一つの試みとしても、また先が楽しみな作品でした。
最近読んでいる文学作品とは全く違う雰囲気だけれども、現代の雰囲気を感じさせられる読み物です。


おすすめ度:★★★★☆(堀江氏に少しでも興味がある人にはおすすめ)

2010年9月11日土曜日

秩父旅行

木曜日からお休みをもらって、秩父方面へ一泊旅行にでかけてきました。
一年に一回くらいは、県内旅行をしようと決めたのが2年前。
今回で3回目です。
今年は秩父の長瀞近辺へ。

毎年そうなのですが、特に観光地巡りをするわけでもなく、広い風呂とおいしい食事をキーワードにだらだら旅行になっています。

とはいっても、さすがに3回目ともなると要領もわかってきて、少しは近所を回ろうと、事前調査した場所にトライ。
http://www.pref.saitama.lg.jp/soshiki/k30/
(秩父高原牧場 彩の国ふれあい牧場)

すごく狭い田舎道、山道をぐねぐねと抜けて牧場へ。
途中、娘が車中でものすごい声で泣くので、おかしいとは思いましたが・・・
牧場について「大きいほう」をしました。
県営の施設とはいえ、思い通りのベビーベッド(おむつ替え台)がなく、焦る夫婦。
施設内は、平日のため職員も少なく、清掃員がところ狭しと作業する中で、せっせと「くだり気味の大」を処理してきました。
結局、展示(牛とか羊)の入れ替えの時期らしく、常設展示(牛の剥製。肉の部位のボタンを押すとその部位が光る)に娘がビビり、早々と退散。
標高400mくらいのところで、「娘の落し物処理」をして下山してきました。

ホテルは、これまた別の山のほぼてっぺんにある「いこいの村ホテル美の山」。
http://www.ikoinomura-minoyama.jp/
大浴場と食事で満足して、だらだらしておりました。
周りに何もないこともあって、風呂に3回(朝風呂含む)入ってきました。
どくだみ風呂というのがウリなのですが、山梨在住時代に庭で格闘したあの臭は全くせず、ポカポカと身体が温まるいい湯でした。
サウナもあって、Iyokiyeha的には大満足でした。

翌日は、宿泊プランについていたぶどう狩りへ。
娘は子どもの例にもれず、果物大好き。
ぶどうは、大粒のものだったので、皮を剥く必要があり、父親はひたすら皮むき。
娘は「早くしろ」といわんばかりに「まいっ、まいっ」と食べまくる。
その姿がまたおかしくて、ひたすら皮むき。。。
30分という絶妙な時間もよく、ちょうど満足したころに時間になりました。

いろいろあったけれども、のんびり楽しい旅行でした。
昨年は、まだ娘がつたい歩きをするくらいのところで、部屋の座椅子を部屋中押して歩いていたなぁと、しみじみ。
一年のふりかえりにもなった、いい休日でした。

芥川龍之介『羅生門』青空文庫・朗読少女(iPhoneアプリ)原作は1915年。

芥川龍之介の名作。
学生の頃から、名前は知っていたけれども、読んでみる(朗読を聴いてみる)のは今回が初めてでした。
下人と老婆との短いやりとりの中で、下人に芽生えた「行動」。
人間の業とでも言うのでしょうか。
人間の本性の一部分を、短い言葉で見事に切り取っている作品です。

オーディオブックを利用するようになって、書籍を耳で楽しむことには慣れてきたが、小説はというと、まだそれほどこなしているわけではありません。
こういう短編がいいですね。
解説など読んでいないので、解釈など一般的な読み方があるのかもしれないけれども、人間の本性を、それほど難しくない言葉で、それも短い表現の中に表していく手法は、芥川小説の特徴なのかとも思ったりして。
本書は、「利己心」というか、自らのためなら他人を犠牲にすることを厭わない気持ちと行動の芽生えを表しているように思えました。

柔軟さと仕事量

所属機関において、その性格からはかなり柔軟に物事を考えて仕事をしているつもりです。
それによって、人-人で仕事をもらったりできるようになった最近ですが、柔軟になればなるほど、面倒な仕事が舞い込んでくることもしばしば。
今の所属ラインは、そのあたり「みんなでやっていこう」というとても前向きな雰囲気があるので、持ちつ持たれつ、仕事はとてもやりやすいのだけれども、自分で自分の首を締めているような気も一方でしていたり。

とはいえ、そんなところに置かれた自分も「嫌いじゃない」わけで。

「できないを言わない」ことは、これまでも自然にやってきたことかもしれないけれど、公言して自らに課していくのも悪くないかも。
前向きに、できるだけ回転数を早く、足は軽く、焦らず、冷静に、熱く、いたいものです。

2010年9月7日火曜日

頭痛?

昨日の朝から、後頭部左側に違和感がある。
なまじ勉強なんかしていると「そういや、こないだ手がしびれていたなぁ」とか「外傷がないのも変だなぁ」と、脳血管障害の可能性を疑って怖くなってしまうところですが、Webで調べる限りは、まぁ、とりあえず大丈夫だろうという結論に達する。
とはいえ、家庭を守る身ですから、今週たまたまとっていた年休の木曜日に病院でもいってくるとします。
何事もなければそれでよし。

それにしても、こういうときに、さっと病院に行けないのが、私を含めた日本のサラリーマンの現状なんだろうなと。
Iyokiyehaは、仕事も好きですが、その他も好き、特に家族は大事な人種ですから、年休はできるだけとるスタンスなんですが、何かの担当者としての肩書きが、そういったときの初動を遅らせる。
気づいていても、手が出せないという現状があるような気がしました。

健康第一。
なくしてわかる、親と健康とセロテープ(注:東海道新幹線「三河安城」線路北側に注目)、なんて言われますが、健康って普段はその「大事さ」になかなか気づかないものですね。
ガタがきている状態も、少しずつメンテナンスしていかないといかんと思った出来事でした。

2010年9月6日月曜日

100904雑記 あるスーパーでのできごと

地元では、結構有名らしいふじみ野駅近くのスーパー「トップ」。
先日初めて買い物に行って、生物の品ぞろえが豊富で買い物でも楽しいということを知り、夕方買い物へ。

店内で、何かアナウンス。どうやら18時からタイムサービスがあるらしい。
向こうを見れば、鮮魚売場に人だかりが。
娘を連れていくのもどうかと思ったので、Iyokiyehaが一人で向かう。
フリーザーケースを取り巻くように人だかりができており、隙間から刺身やら寿司やらがのぞいている。
それにしても、隙間なく人だかりができているため、一歩引いて待つ。
いいものがあれば、一旦人がはけたら1パックくらい試してみようかと。

沈黙。。。
どうやら、18時ちょうどに合図があるらしい。


チリンチリン


と店員さんのハンドベルが鳴った瞬間、
「どっ」
という低い音とともに、人だかりの高さが一瞬にして低くなる。
待ち時間には、隙間からすこしだけ見えていたフリーザーケースの中身も、一瞬にして「人が埋めた」感じです。

びっくりしました。

一人暮らししていた頃、好きでアメフトをよく見ていたのだけれども、アメフトのラインの攻防って、大男がこういうことをやっているのかもしれないなと。
ボールがスナップされた瞬間に動きだし、敵陣深いところのディフェンスはとにかく隙間を埋めていく。

なんだか、そんなことを思い出したのと、本気で一歩後ずさってしまった件でした。

スーパーのタイムサービスって一瞬で、結構怖いですね。

100906仕事 発達障害の方の例え話

仕事で接する機会のあるアスペルガー症候群の方から聞いた例え話が、何となく腑に落ちたので、ご紹介。

環境の変化に対する、心象の変化について。

東京で降る雪は、凍る寸前の温度で凍っているので、ちょっとした気温の変化で溶けてしまう。
このことは、自分(その方)の環境変化への脆弱性に似たところがある。
すなわち、みんなが雪景色だと思っている(安定しているように見える)ところで、気温がほんの少し上がる(他の人には「変化」と認識されない、または「軽微な変化」とおもわれること)ことによって、雪は溶けてしまう(今までのように安定した状態はなくなってしまう)。

自分はこんな感じだと語ってくれました。
人によるところはあると思いますが、結構わかりやすい例え話だと思ったので、メモしてみました。

2010年9月2日木曜日

100902雑記 疲れている人この指とまれ

ここのところ、持ち帰りの仕事に全く手がつかず、パソコンの前で寝てしまうこともしばしば。
強烈に疲れているのだろうなぁ。

睡眠時間も2ヶ月前よりずっとマシだけど、6時間/日には少し足りない。このあたりかもしれない。
「明日までに!」という仕事がないことも手伝っているのだろうか。

ともあれ、少し疲れ気味です。

2010年9月1日水曜日

家族と仕事をフロー状態 Home, work and "Flow"

仕事でいろいろあるけれど、やはり自宅が落ち着く。
超過勤務の時間を削って、少しだけ仕事を持ち帰るようになって、そろそろ1ヶ月。
娘を風呂に入れて、食事をすると、まず間違いなく眠くなってしまうのだが、それもまたいい意味であきらめがつきます。
事務所でやる仕事、持ち帰る仕事を分類する力はあがっているだろうし、プレゼン資料なんかは、端から自宅で構想することにすれば、短時間でできてしまう。

全体として効率がよくなっている実感があります。
20時台に帰宅できるようになっているのだけれども、仕事が残っている感、は今までとあまり変わらない。ということは、早く帰れるようになった分だけ得と考えるか、効率がよくなっているか、そもそもやらなくてもいい仕事をしていたのか、というあたりに落ち着く。

まだ読んでいないけれども「ノマドワーキング」の発想って大事だと思います。どこでも仕事をできる環境を整える、場所の特性にあった作業をする、など、時間が限られているのは万人に共通しているわけですから、その分効率のいい時間の割合を増やす、という発想が大切なのだろう。
そのことを「フロー Flow」と説明している書籍の要約を耳にしました(音声ファイルです)。これも参考になるかも。
Twitterで少しつぶやいてみましたが、私の英語力は低いので、みなさまに伝わるかどうかは・・・まぁ、興味があれば。