2009年2月26日木曜日

生活は、いつも刺激的だ(PSW実習9日目)

今回の実習は、いろんな支援を見せてもらえている。
障害者就業・生活支援センターのアウトリーチに同行することもあり、また就労移行・継続支援の現場で利用者と一緒に作業したりと、盛りだくさんである。

雇用支援の立場で「職場訪問」を考えると、どうしてもフォーマルな訪問(事前連絡、訪問、状況確認、打ち合わせ、みたいな)が本流で、インフォーマルな訪問は例外のように考えてしまう。
就生支援センターは、マンパワーが足りないこともあり、「ちょっと顔見せ」のような支援も実施している(せざるを得ない?)。
ただ、こうしたマメなちょっとした訪問によって、思わぬ雑談が聞かれることもある。
地域密着型の支援っていうのは、こういう生活感のあるやりとりが交わされるものを言うのだなと実感。
私自身の支援スタンスも、もっとハイブリッドでいいんじゃないかと思えてきた。
全ては、「ニーズに応じる」ことで形成される。
フォーマルが適した事業所やクライアントがあれば、インフォーマルが大切になる事業所やクライアントもいるはず。
大切なのは、その真意を、変化も含めて如何に把握して、情報更新していくか。
支援チームで、如何にその情報を共有して(同期して)いくか。
原点に返ってきた実感もある。

就労移行・継続支援の現場では、授産活動を如何に獲得していくかというマネジメントスキルも重要である。
重要であるがゆえに、厳しい納期も考慮する必要が生まれ、そのために一人一人を丁寧にアセスメントすることが難しいことが分かる。
Iyokiyehaは実習中に、自動車のウォッシャ液用ノズルの組み立てや、100円ショップで売っているような園芸用の土の袋詰め、同様に鉢植えの札の訂正シール貼りなどに参加している。
もちろん、どれも誰よりも速く作業できます、指導員さんからの評判もいいです(笑)。
さすが、GATB器具M・N検査130%の男です(わかる人は笑うところです)。
ただ、この状況下で利用者を観察して、分析に足る情報が収集できるかというと、少しコツが要る。目の前の作業に没頭したら、観察は不可能である。
なかなかに、難しい。

上記を含めて、生活というのは、結構刺激的なんだなと感じる。
いろんな現場を見せてもらっているが、今回主な拠点は、地域活動支援センターである。
プログラムを持った施設であるが、参加する・しないはメンバーに委ねられている。
この独特な雰囲気は、嫌いではない。
むしろ、好きかもしれない。
そして、やることがなく、メンバーさんと共に、何を話すこともなくソファに座って全体を眺めていると、様々な人間模様が見えてくる。
好いた惚れたの関係あれば、仲良しグループがあり、そこからはじかれた人がいたり、我関せずを決め込んでいる人が、実は他の人の顰蹙を買っていたり、とにかく人の顔色を見る人がいれば、どこまでもKYで幸せそうな人がいる。
地域活動支援センターは、負荷や刺激が少ない場としてこれまで考えてきたが、こうした居場所を利用したり、そこに適応することによって、クライアントが受ける刺激や負荷というのは、結構なものではないのかと感じるに至る。

そして、これらをひっくるめて、クライアントの人生が形成されるのである。
支援者の想いやクライアントとの関係性を含め、経験がクライアント自身の人生の一部となる。
こうした歴史は、決して無下に扱ってはいけないように考えるようになった。

2009年2月25日水曜日

変わり続けられるように、変わっていく(PSW実習8日目)

しばらく、アップはさぼっていましたが、学び多き実習です。
実習で得た気づきを、一度「錨」として記録しておきます。

■変わり続けられるように、変わっていく
本日意識化された、大きな気づき。
私が目指す「成長」の目標となりうる考え方です。

「変わらない」ことが求められているようでいて、実際は「変化」が求められていることは、確実なことである。
環境が変われば、求められることは自ずと変化する。
第44代アメリカ大統領のオバマ氏が、選挙活動中に「Change」と言い続けていたが、まさにこの地点での変化を意味していたのだと思う。

組織でも個人でも、仕事でも具体的な動作であっても、変わらないことは評価されたとしても、変えられないことは評価されるどころか、命取りになることもある。
武道で言えば「居付き」だろうか。
旧体制の組織が、変わることができずに崩壊に至ることは、社会保険庁の解体など日々の報道を見れば明らかである。

Iyokiyehaが目指す成長の一つの目標として、この「変わり続けられるようになる」ことを掲げたい。
ある考え方に固執するのではなく、だからといって芯のない行き当たりばったりでもなく、一つの芯をもちながらも、状況に応じて次々と形や考え方を変えていける、そんな生き方をしたいと思うに至った。

このことは、実習も含め、最近の読書(司馬遼太郎『竜馬がゆく』文春文庫など)の影響もあるのだろう。


■サービスは、タガタメ?
実習先に勤務する、あるワーカーさんから、Iyokiyehaの勤務先に関する手厳しい言葉を頂戴した。
結果として彼は「使えない」と評価をしている。
土地が違えば、事情も違う。
きっと、何らかの理由があって、今の形に至っているのだろう。

上記とも関連するが、しかし、それで本当にいいのだろうか?
法律に「関係機関への助言」が加わったからといって、増員まで確保しているのに、なぜか「それ以前」を意識せざるを得ない機会だった。
全てのニーズに応じることは、人員に制限がある以上、不可能である。
ただ、だからといって利便性を強調した挙句「使えない」となってしまったものを、放置してしまっていいのだろうかと考える。
そのことが、回り回って一番不利益を被るのは一体誰だ?と考えると、しなければいけないことは、自ずと見えてくる。

口では何度も言うが、私は、今の職場に対し「殿様気分でいたら、骨抜きになる」と思っている。
草の根ニーズをいかに汲み取るか。
いかにwin-winの関係を築けるかが、問われているように思う。

話の中で「Iyokiyehaさんはカウンセラーらしくないね」と数度に渡り言われた。
超個人的には、褒め言葉だと思って捉えているが、組織人としてのIyokiyehaは、この言葉に大きな危機感を抱いている。

酒の席ですが、今年度スカウト二件目です(苦笑)。


■支援と言う名の「作業」に関して
興味深い話を聞いた。
ロシアの拷問に、こんなものがあるらしい。
「囚人に、大きな穴を地面に掘らせる。適当な大きさになったら、今度はそれを埋めさせる。何度も何度も繰り返させる」
結構、発狂する人がいたらしい。
拷問の一つとして、こんなことがされていたのですね。

さて、身近なところにこういった「作業」、ありませんか?
私は、昨年あたりから考える感覚が麻痺していたようです。
疑問は持ち続けないと、「居付き」が生じてしまいますね。

2009年2月22日日曜日

森岡正博『33個めの石 ――傷ついた現代のための哲学』春秋社、2009年。

生命学を提唱し、無痛文明論を展開する哲学者、森岡正博氏の著書。
『労働新聞』連載を加筆修正・書き下ろしを加えたエッセイ集。
自殺、死刑制度、脳科学、環境問題、宗教の功罪、ジェンダーなど、生命倫理の課題として論じられる問いに対し、「いい、悪い」の二分法ではなく、一人称の視点で第三の道を切り開く哲学者による思考の軌跡。

Iyokiyehaは、修士論文に取り組む頃から森岡の論には共感しており、生命学の視点を取り込もうと私なりにも思索してきたつもりである。
生命学から、自分を棚上げすることなく考え行動することを。
無痛文明論からは、それを暴こうとする自分自身が常に無痛化のリスクを負っていることを意識し、思索し生きぬくことを学んだ。
結婚し、子どもが産まれ、家族を守るという責任を負った今、現実に忙殺されてついこうした視点を忘れてしまいそうな毎日ではあるが、本著を読むことによって、以前の私にとっては「今より鋭い」世の中の見方(人には「とがっている」と言われるが・苦笑)を思い出すきっかけとなった。
以前を「取り戻す」のではなく、現在という地にしっかりと足をつけ、その上で「よりよい生き方」「心底納得できる生き方」を模索する姿勢を、新しく作り上げていきたい。

http://www.lifestudies.org/jp/
(Web:LifeStudies Org./JP)

おすすめ度:★★★★★

2009年2月21日土曜日

ストレス発散装置

PSW通信講座の現場実習のため、帰省中。
実習先の勤務時間が、日勤8:30~17:30で、自宅から車で30分くらいの場所だが、朝は車のラッシュもあるため、普段よりも早い時間(7時30分過ぎ)に出勤する。
朝、運動をする習慣のあったIyokiyehaであるが、今週は全く運動することができていない。

理由としては、
1.この時期の朝方は非常に寒く、起きぬけに水を飲んで屋外に出ることが果たして身体にいいのかどうかわからないこと
2.実家に私の家族が泊まっているときには、要らん物音を立てて、子どもを起こしたくないこと
3.そもそも、この時期の朝運動は辛い
というものである。

実習終了後は、「できるだけ家に仕事を持ち帰らない」というIyokiyehaの原則に則り、帰宅前にマクドナルドに寄って実習日誌なるものの取りまとめをするため、帰宅が19時過ぎになる。
夕食後、可能な日は太極拳などをしたわけだが、充分な運動量になっているかというと、疑問もある。

こういった状況に加え、先日から考えていたことだが、屋内運動と屋外運動は、消費カロリーを同じにしても、ストレスの発散具合は違うように思う。
イメージとしては、物理的な制限がなく、身体機能を活用できる環境下では、開放感が精神的ストレスに影響を与えるように感じることがある。

運動量のあるプログラム(入隊とか、ダンスとか)の実施は、消費カロリーは高いのだろうが、この精神的ストレスの発散度合いは、屋外運動のそれと比較すると、少し劣るように思う。
屋内運動でも、思い切り走り回れる環境だと、また違うのだろうが。

やはり、週に2,3日は、屋外で思いっきり身体を動かしたいものである。
ひいては、それが心身ともに健康体でいるための秘訣のようにも思われる。

2009年2月17日火曜日

バルタザール・グラシアン著、齋藤慎子訳『賢人の知恵』ディズカヴァー・トゥエンティワン、2006年。

「正しく生きるな、賢く生きよ。」(帯より)
400年経った今も、世界中で翻訳され、多くの人に愛読されているらしい。
「冷静な視点で現実を見つめ、思慮と分別と洞察力をもって柔軟に物事に向き合うこと」を主張したとされる。

最近、朝起きて音読する本。
2編ずつ読むくらいが、朝の目覚めの助けになる。
正直なだけでなく、「よりよく生きるため」の知恵が詰まっている。

「正直者は騙される」と言われるが、本質はそこにはないように感じる。
この本からヒントを得たことでもあるのだが、騙されるのは正直者ではなく、無知な者である。
正直であることを盾に、努力しない。
いい人であろうと必死になり、物事の本質を見ようとしない。
誰にも嫌われたくないがために、自らの立場を明確にしない。
いずれも、騙される要素たっぷりである。

Iyokiyehaも例外でなく、回遊魚のように何かと必死にやっていないと、コロコロと楽な方へと流れていってしまいそうな気がするので、半ばやけくそになって、いろんなことに取り組む。
それがいいかどうかは別として、少なくとも「やらないよりはマシ」な状態に身を置きたい。
「毒」までいかないが、すごく人間味のある処世術について、平易な言葉で核心をついた書き方をしている。

生き方の参考にしたい本である。

生活課題へのアプローチ:PSW実習2日目

Iyokiyehaの現職は、障がい者の雇用/就労支援。
よって、「その」段階にある方が、主なクライアントとなる。

地域生活支援センターでの実習2日目。
申し送りでは、施設で接しているだけでは見えてこない、地域生活における課題を持つ人の話題で一杯になる。
片付けられない方の自宅の写真だったり、金銭管理が難しい方、金銭管理の中でも使いすぎてしまう人だけではなく、お金の使い方そのものや、種類の区別がつかないなど様々。
中には、サラ金に手を出してトラブルになっている方もいるそうだ。

生活支援の難しさは、こういうところにもあるのかもしれない。
果たして、こういった課題に対し、現場のPSWはどのように関わっていくのか?
もちろん、個人やその障害特性にあったアプローチを検討するのだろうが、果たしてそれはどんな内容なのか、非常に興味深い。

というのも、普段Iyokiyehaが接する人には、こうした課題を持つ人が一部いるものの、それが主な支援内容でないことがほとんどである。
それは、職場定着を主な業務としているからであり、ここに障害者職業センターと地域生活支援センターの業務の違いが浮き彫りになる。
そこでは、とうぜん課題へのアプローチや行動変容のための働きかけは変わってくるだろう。
SSTや認知行動療法、それらをひっくるめた職業指導、相談・・・私のオプションで応用が効く部分もあるだろうが、おそらくその方法や姿勢は私のそれと大きく異なるのだろう。

職場ではなく「生活」に関わる支援者の、支援の現場に立ち会えたらラッキーかなとも思う。楽しみです。

2009年2月16日月曜日

精神障害が有する易疲労性:PSW実習1日目

障害者職業カウンセラーとしての眼鏡を外すことを意識すると、今までにない視界が開けてくる。

今日の疑問は、「物言わない人を、どう評価するか」と「易疲労性は、何によってもたらされるか」ということ。

日常の職業相談・職業評価場面では、一時間座って話が出来ない人に対して「耐性なし」の評価を下すことがほとんどである。
つまり、「一般就労のためには、体力面でまだまだ課題がありますよ」ということだ。

PSW講座の実習場所が地域活動支援センターということもあり、プログラム中に中座するメンバーや、机に突っ伏してしまうメンバーが複数人いる。
ここでは、それが珍しくない。
普段の「常識」では考えられないが、そんなことにとらわれていては、本質を見逃してしまう。
質問しても思い通りの返答がなく、会話がちぐはぐになっていく人、反応にムラがある人、反応そのものがない人、寝たり起きたりとにかく落ち着かない人・・・
いろんな人がいて、それぞれに生活をしているわけだが、その一挙一動をどのようにとらえていけばいいのか。
それが、PSWとしてのアセスメントの入り口なのかもしれないと思った。

関連もするが、精神障害を持つ人の「易疲労性」は一体何によってもたらされているのかということが気になる。
実際に「疲れている(疲れを感じさせる体内反応が起こっている)」のか、それとも服薬等の影響により、眠気などの「疲れを想起させる身体反応が起こっている」のか、それとも、そもそも精神障害の身体反応なのか。
うまく言葉で説明できていないのだが、私が何を気にしているのかというと、職業評価にも通ずる「耐性」を評価し、耐性向上のための取組みを計画する際、易疲労のしくみがわかっていないと、結構とんちんかんなことをやってしまうのではないかということである。
環境から受ける刺激に対する耐性というだけであれば、環境負荷を段階的に引き上げ、その段階ごとに適応していくことによって、耐性は向上する。
しかし、易疲労性による疲れが、服薬による脳内反応が擬似的に身体反応を引き起こしているのであれば、障害を持たない人の疲れとはそのしくみが異なり、前述した計画では耐性向上にならないのではないかというものである。
職業リハビリテーション計画を立てる際、単純な例をあげれば、知的障害を持つ方の耐性向上の計画と、精神障害による易疲労性を持つ方の耐性向上の計画というのは異なるのではないかという仮説である。

前者は実習中に生PSWから教えてもらうことで、後者もそれに関する文献を探ることで解決可能だと思われるが、もし、コメントでさらりと解決してくださる方がおられれば、是非コメントしていただけたらと思います。

価値観の押し付け

ちょっと納得いかないことが続けて起こっているが、それを前向きに乗り越えようと、手書きの日記を使用した試みを続けている。
愚痴と前向き思考を併記すると、意外と面白いものだと実感。
できるだけ前向きな態度に持っていこうとするのだけれども、一度心の膿を出してしまわないと、なかなか新しい価値観は浸透しない。
また、私が前向きになっていることを、他人から指摘されると、それに対しても反抗してしまいそうだ。

立場を変えて考えてみると、普段、私のカウンセリングはそうなっていないかとチェックする必要もあるように思う。
お客さんの自動思考に切り込む時、私の価値観を相手に半ば押し付けてしまっているのではないか。

自分が考えていることを、相手から指摘されることそのものに対する抵抗感というものを実感しつつある。
この感覚を与えない関わり方を模索する必要がありそうだ。

「長谷部瞳は日経1年生」編集部『日経1年生!NEXT 今さら聞けない経済の基本』祥伝社、2008年。

同名のPodcast書籍版、2冊目。
激動の2008年を総括する内容で、Podcastの内容を編集したもの。
2008年金融危機は、事が大きいだけに、この本を読んでも率直に「すっきり」するわけではないのだが、現在報道されている内容の背景が見える内容にはなっているように思う。
普段新聞を読んだり、聞いたりする時の理解は、確実に深まる内容になっている。

このPodcast、私がPodcastに触れて初めて継続して聞いているものなのだが、個人的にもとてもおすすめの番組。
ダウンロード数も着実に伸びているようです。
経済を取り扱いながら、当然、経済と関連する政治の話題や国際事情も、わかりやすく、新聞記事をひきながら深めていく番組の流れは、とてもよくできている。
それでいて堅苦しくない。
更新が楽しみな番組です。

http://iyokiyeha.blogspot.com/2009/02/2008.html
(2009年2月8日投稿にて前著を紹介)

Podcastの登録や、音声ファイルのダウンロードは下記Webページより。
http://www.radionikkei.jp/hitomi/
(長谷部瞳は日経1年生Web)

おすすめ度:★★★★★

2009年2月8日日曜日

内側から動き出す

何度か紹介している『加治隆介の議』。3巻で、加治の理念を気に入った渦上から10億円分の割引債を送られた時に、それを断る加治の返事が好きで、最近思い出したので話題にしてみる。
「金がなくても、金を使わなくても、同好の士は集まってきます。そんな政策集団を作るのが私の理想です。決して実現不可能なことではないと思います」(文庫版180ページより引用)

志の同調者達とでもいうか、NPOや社会活動ではMission(使命)という概念がよく用いられるが、そういったものと同質の理念だろう。
漫画の中では、金のやりとりによる支配構造を嫌い、真の政策集団結成を試みる加治隆介の意思が反映された箇所だが、現実社会においても響く言葉のように思える。

事を起こす際、「先立つものは金」であることは、間違いのない事実の側面もある。
ただし、それは車で言えばガソリンのようなもので、エンジンが先の理念と表せる。
すなわち、ガソリンが充足していれば、どんなエンジンでも動くことは可能である。良質なエンジンで、かつメンテナンスがきちんとされていれば、長い間走り続けられるだろう。この場合、メンテナンスは「方針の適切な変更・微調整」とでも言えるだろうか。
エンジンが悪質なものであったり、当初良質であっても長いことメンテナンスをせずに放置しておくと、意外なところで動かなくなってしまう。
それは、エンジンの故障だったり、劣化だったりする。異常が小さなうちにメンテナンスによって発見・修正されれば大事には至らないが、放置すると案外早くいかれてしまう。

仕事をしていて「同好の士」がどのくらいいるかなとふりかえってみる。
私はついているのだと思うが、確かに存在する。
組織するしないは別として、同業者かどうかも別として、もっと大きな志でつながりあえる人たちとの関係を、何よりも大切にしたいものである。

長谷部瞳と「日経1年生!」製作委員会『日経1年生! 経済記事って、本当は身近で面白い』祥伝社、2008年。

Podcastで知った番組の書籍化版。
2008年の経済状況に関するポイントが、まとめられている。
番組のやりとりを文章家しているので、非常に読みやすく、文字の大きさ(結構大きくて、読みやすい)の割には中身が濃い。

個人的なおすすめは、Chapter3日経新聞の読み方。
就職活動中の学生向きの内容だけれども、私のようなヤワな社会人には「よく効く」内容に仕上がっている。
新聞の「書き方」は、そのままビジネス文書の「書き方」と共通すると強く感じる。

Podcastの登録や、音声ファイルのダウンロードは下記Webページより。
http://www.radionikkei.jp/hitomi/
(長谷部瞳は日経1年生Web)


おすすめ度:★★★★★

池谷裕二『記憶力を強くする』講談社(ブルーバックス)、2001年。

記憶に関する一般書。
脳科学の見地から、「記憶」に関する基礎知識と、記憶力の活性化に関する当時の研究について論じられている。
脳科学の専門的な内容に関して、脳にそれほど詳しくない人が読んでも充分理解できて、日常生活に活かせそうな情報も盛り込まれている。

「脳科学」が目立つようになって、しばらくになるが、Iyokiyehaは未だに「脳科学」が何たるかということはよくわからない。
わからなくてもいいのかな、と思う反面で、心理学なんかで論じられる認知とは何が違うのかなと考えたりもする。
まぁ、なにはともあれ、分野の区別については専門家に任せておけばいいかとも思うところもあるので、わかる人がいたらわかりやすく説明してください。


おすすめ度:★★★★☆

ルールの違いと間合いの違い

合気道の稽古にて。
最近は、師匠との乱取り練習の中で10本に1本くらいは、自分の意思で技が出るようになった。
時々、脇固めや中途半端な下段が決まることもあり、ますます楽しい。
きれいに技をかけたはずなのに、きれいに返し技を決められると、くやしいがそれもまた上達の証かもしれない。

先日、通常ルールとは違う乱取りをしたときのこと。
「足を持って、正面当てをやっていい」(わからない人にはわからない表現でごめんなさい)ルールだったのだが、不思議なことに普段腰をかけられる時には安全な間合いで、見事に技を決められ、またすっとばされた。
多分、足一つ分くらいの微妙な間合いだと思うが、それでも狂わされると簡単に飛び込まれて技を決められてしまう。
不思議。

この微妙な差に気づけるようになったこと自体、多少は上達している証拠なんだろうし、合気道を始めた一年くらい前よりは神経反応も変わっているのだと思う。

2009年2月6日金曜日

新宿でいず

組合にて新宿へ。

ホテルにたどりつくのがむつかしく、都会を徘徊したのはいうまでもない。都会は苦手だ、ランドマークがみえない。ついたホテルではシャワーが壊れてツインへ。

道を聞くために入ったファミマで、島さん発見。つい、買ってしまった。