2014年11月10日月曜日

家事と育児

10月下旬に第三子が誕生しました。
それに伴い、こちらの更新も滞っていたわけですが、何をしていたのかというと、ほとんどは家事です。毎日毎日、掃除して炊事のことばかり考えていました。

第二子の時には、育児休業の制度を使って1ヶ月半程度仕事を休んで家事・育児に専念していたのですが、今回は特別休暇と年次有給休暇を組み合わせたいわゆる「隠れ育休」を2週間程度出産前後に習得することで乗り切りました。

http://iyokiyeha.blogspot.jp/2011/01/blog-post_03.html
(2011年1月3日投稿「育児休業を終えて」)
第二子の時の状況は上記および、ラベル「パパ」の始めの方をご覧ください。

周囲からは「イクメン」だの何だの呼ばれることも多くなり、その言葉の裏側に潜んでいる各人の思いが様々であることや、その捉え方が賛同するものであったり批判的なものであったりすることなど、その人の家事・育児に関する経験だけでなく、仕事に向かう姿勢にも影響されているのだなと思うところです。

ただ、仕事を休んで何をやっているかというと、冒頭にも書いたように、結局家事をしています。
朝起きて、子どもに食事と身支度をさせて幼稚園へ送り出す。
子どもが出かけたら、掃除・洗濯。掃除・洗濯しながら、昼食と夕食をどうするか考える。
乳児の世話なんてこの時期、オムツをかえるか抱っこするかです。父親ができることなんかほとんどありません。「イクメン」と言われると、さぞ子どもをかわいがっているかのようなイメージをもたれますが、排泄物にまみれ、泣きやまない子のオムツを替えて、泣き止むあてもなく肩こり・腱鞘炎になるまで抱っこしてあまり報われないというのが現実かと思います。

とはいえ、それが育児するということだと思います。
育児とは仕事とは違い、家のことをやるということ。
そして、子育ては疲れるものであること。

何かを批判したりするのではなく、育児の現実について思うことを書いてみました。

2014年10月2日木曜日

嫌みとものの言い方

最近、職場の人達から嫌みを言われる機会の多いIyokiyehaです。

嫌み・厭味:人を不快にさせる言葉

確かに、嫌みが多いです。
職場で事を動かす窓口になっており、たくさんの職員に声をかけて日程調整等する機会が多くなったこともあり、その先々でいろいろ言われるようになりました。
「いろいろ言われる」のは、普段思っていて口にしないことを言ってもらえることでもあるので、それほど悪いことばかりではないのですが、時々理不尽だなぁと思うこともしばしばあり、ちょうど昨日、本日と続いたところです。もう少しで胃が痛くなりそうですが、一歩手前で踏みとどまっている感じです。

要は「勝手に予定を決めるな、事前調整しなさい」という苦情ではあるのですが、昨日の件は相手がこちらの予定にぶつけてきたことを見つけて、その確認に行ったら余計な一言をもらったこと、本日の件は一ヶ月前から周知をかけていて具体的な予定を連絡したら「そこは無理だ。きちんと事前調整しろ」とこれまた余計な一言がくっついたメールを送りつけられたことでした。

もちろん双方少しずつ伝達が甘かった点はあるのでしょうが、私が気になったのはその言い方や(余計な)一言でした。そんなこと言わなくてもいいのに、そんなこと書くから証拠も残ってしまうのだろうし。

忙しいとついイライラして自分の正当性を主張したくなりがちです。とはいえ、今回の件から私が学んだことは、声の大きさで勝負はしないこと、誤読をさせない工夫を常にしておくこと、相手の非を指摘せざるを得ない時には穏やかに言うこと、という単純明快なことでした。
人と人との間を取り持つのに必要なことは、単に(といっても難しいのだけれども)論理的で理路整然と説明ができるということだけでなく、相手の感情に寄り添いながら相手の主張を聞きつつ、自分の主張に納得してもらうことなのだろうと思いました。

2014年9月19日金曜日

伝わる書き方とは?

「上梓(じょうし)」という言葉がある。
大学在籍中にこの言葉に出会い、辞書をひいて意味を知った時、私は指導教官に「わざわざ『上梓』なんて言葉を使わなくても、『出版する』でいいじゃないですか」と言ったような気がする。
最近、ある本のまえがきで「上梓」という言葉に出会い、そのことを思い出した。

「三年前、私は『○○』を上梓した。」
「三年前、私は『○○』を出版した。」
書き比べてみると、どちらも意味としては通るのだけれども、『○○』の著者であるということをより明確に伝えるには前者の方が適しているのだろう。後者だと前者の意味に加えて出版社の担当者の立場としても使えるかもしれない(正確にその意味を伝えるのならば「三年前、私は出版担当者として、■■著『○○』を世に送り出す一助を担った」とでもするべきだが)。

些細なことなのかもしれないけれども、明確な表現で文書を作成できる技術は、公の組織の中で報告や企画内容を広く知らせるために必須の技術である。
そして、その技術に関して、今の私は
・技術そのものが身に付いていない
・技術が発揮できない状況に置かれている
のいずれかまたは両方の状態であるといえる。

背景として、読書量が減っていることと、テキスト分析をする機会を作っていないこと、あるいは書いていないことや型が身に付いていないことなど、いくつか考えられることはあるのだけれども、上記状態のいずれか(または両方)であったとしても、それに応じた勉強を地道に重ねていくことしかできないのだろうと思う。

2014年8月24日日曜日

絵本ライブに挑戦してきました。

8月の夏休みに入った頃、以前からお世話になっている吉田氏からお誘いを受けてイベントのお手伝いをすることに。本日、こっそりと埼玉県富士見市に行ってきました。

http://www.city.fujimi.saitama.jp/40shisei/danjyokyoudou/files/2014-0729-1752.pdf
(Webページが見つからないので、チラシのみ)

絵本ライブの助っ人としての参加です。
とはいえ、私の絵本ライブ経験は今回で二回目、助っ人というよりはツナギ役くらいでしたが。

「ウチで読む絵本よりもシンプルなものの方が盛り上がるな」とか、「擬音や繰り返しが多いお話は子ども受けがいい」など、絵本そのものに対しても学ぶところがあったのですが、読み方やテンションがあがった子どもたちへの接し方等、先輩方から学ぶことも多く、大変刺激的なボランティア活動になりました。

最近のテーマでもあるロジカルシンキングとか、「伝える・伝わる」表現といった観点からも反省というか学ぶ点がありました。
例えば自己紹介でも、ある程度話題を整理しておかないと、そもそも自分の何を紹介したいのか、分かりやすい表現になっているか等、考えれば考えるほどなかなかうまく発言できない自分がいました。
深く反省しているわけではないのですが、うまくわかりやすい説明ができるようになりたいと考えている今、ボランティア活動からも準備が大切であることや、相手に合わせることの具体的な方法について考えをめぐらせるいい機会となりました。

2014年8月17日日曜日

育児に関する認識の違い

先日の出来事。
職場の上司と飲みながら話をしていた時にふと出産・育児に関する話題となり、私の近況を説明しました。
「三人目が生まれたら二週間くらい休みます!」
里帰り出産だと子どもたちの幼稚園のこともあるし、何より「預けられた実家の負担が大きい」ので、私がしばらく家事をすることにしてマイタウン出産で乗り切る計画です。
(注:育児休業については、収入減が思いの他大きいので、選択肢から外しています)

これに対し、悪気のない一言。
「何で里帰りしないの?それぞれの両親に一人ずつ預けたらいいじゃん」
なるほど、と思いつつも上記を説明してみました。
「いやー、俺は里帰りするのがベターだと思うけどなぁ」
と納得には至らず、その話題を終えました。

このやりとりだけで何かと言うつもりはないのですが、別の話題の時にその先輩に聞いてみました。
「奥さんってフルタイム勤務ですよね?夕食とはどうしているんですか?」
「嫁が作るよ(何でそんなこと聞くの?くらいの雰囲気で)。それがなきゃ結婚してもねぇ・・・」
知っている・知らないの差も大きいですが、やはりこれまでの生活環境から「その人の常識」というのは作られるのだと実感しました。

現代の家事・育児の多様性を万人に伝える理屈というのはない代わりに、その人への伝え方というのがこれまで以上に重要になってくるのだなと思った一件でした。

2014年8月3日日曜日

夏休み総括

一足早く夏休みをいただきました。浜松の実家へ帰り、母校へ行ったり、旧友と会うなどしてきました。

迷ったら原点に返る。
そういえば、私の職歴のスタートとなったNPOで、当時の代表が事あるごとに言っていたことですが、最近まだ私の意識に浮上してきた言葉だと感じています。

そもそも近年「文書で伝えられない」「文書が書けていない」ということを、じわじわ感じていたところもある中で仕事をしていました。とはいえ、口頭で説明することやプレゼン資料の作成についてはある程度の自信もあったので、その延長で乗り切れるものと思っていたのですが、やはり同じ土俵で勝負するには技術も経験も足りていないのだという地点にようやくたどり着きました。

そんな時期に読んだ、佐藤優『読書の作法』などに触れる機会があり、そもそもの学力であったり本来身につけておくべき「読む」「書く」「計算する」力や、本の読み方、公用文の書き方など、10年前にやっておくべきことに立ち返ってみようという覚悟ができた夏休みとなりました。
最近動き出していたところに、母校での指導教官とのやりとり、活きのいい後輩達との出会いが、行動を後押ししてくれたような気がします。もちろん、その後地元に研究者として帰ってきた友人達と一献交わす機会をもったことも大きかったのですが。

そんなわけで、少し遠回りになりますが、新しい知見の取り入れは少し押さえて、大学受験の参考書などまで遡って半年くらい勉強してみようと思います。統計の勉強もそれからかな、と思います。
吉と出るか、凶と出るかはよくわかりませんが、学び続けることが全く間違った道へつながることはないと思うので、未知の方向でありながらも自信をもって進んでいこうと思います。

以上、夏休みのふりかえりでした。

2014年7月19日土曜日

ハラハラ~

「家事ハラ」なるハラが話題になっているようです。

http://www.asahi-kasei.co.jp/hebel/kajihara/index.html/

以前からいい調査をしていると思います。
ただ、何だろうこの違和感・・・

(この場合)「妻からの一言」が「ハラスメント」であるという意味での「家事ハラ」なんでしょうが、ハラスメントにしてしまっているところに対する違和感というか反発なんだろうなと思います。
中には嫌がらせをしている人もいるんでしょうが、こんなことでひるんでたら家事も育児(今回は入っていないけれど)もやってられないぞ、と思ったところでもありました。

とはいえ、ハラスメントは受け止める側の原則がありますから、それでいいってことで発表しているのだと思いますが。男が弱くなってどうする!と思ったところでもありました。何事も数こなさないとね。

とはいえ、このCM群はおもしろい。
http://youtu.be/5Ep3rMUWEbk

2014年7月14日月曜日

書けない、読めない・・・

まだまだ若手の域を超えられないな、と思う。
得意な土俵だけでやっていれば、それなりに動きもよくなるのだけれども、結果として仕事は増えるは、抜けは出るわで、原点回帰ができないまま流されてきた数年間でした。

教養関係の自分のスキルを冷静にふりかえる作業と併せて、仕事におけるスキルを冷静に、現状を踏まえてふりかえったときに、やはり露呈しているのは「書けていない」こと、そして本当に「読めているのか」という根本的な疑問が浮き彫りになる。

月並みだし、結局は「読んで」「書く」ことでもってしかこうした能力は磨かれないのだけれども、改めて『本を読む本』の熟読を始めた。
http://iyokiyeha.blogspot.jp/2011/04/mjcv1997.html
三年前に読んだ本だけれども、改めて読むとまた違った学びがある。
今度は読書メモを作りながら読もうと思います。こういう読み方もおもしろい。そして読み方を変えて、書き方も変わるところを目指して学びなおしです。

2014年6月22日日曜日

雲をつかむような・・・

どの職場にも「忘れられないだろう」体験がある。
いわゆる「いい」体験もあるが、時に消化不良だったり、頭をぶん殴られたようなショックのある体験もある。今回の話題はまた新しい感覚に陥った一生ものの体験。

結局「よくわからなかった」んです。
何を考えているのか、何を目指しているのか、どう思っていたのか。
クレームのようなショッキングな経験もあり、思いだけで突っ走っていく人を止められなかったことはたくさんあるのだけれども、今回の場合は何度話をしても本音が見えず、本音があるのかさえもわからなかった、そもそも何を言っているのかわからなかった、そんなやりとりをほぼ一年継続した果ての出来事でした。

なので、ショックを受けたのかというとそうでもないし、嫌な思いをしたのかというとまたこれも違う、だからといって新鮮だったのかといえば初体験ではあるけれどもそこに新鮮味というものはなかっただろうし、やりとりをしていて何か手ごたえがあったかというとそういったものがほぼ皆無だったことが唯一の気づきでした。
のれんに腕押し、ぬかにくぎ、雲をつかむような感じなのか、合気道できれいに併せ技をかけられて何だかよくわからないうちに身体を浮かされている感じに近いけどピタリとこない。このもやもや感というか手ごたえのなさに驚くのではなくショックでもなくただただ呆然とさせられた感じです。

結局、自分の前からは去ってしまったわけだけれども、最後の最後まで話は通じた感じがなかったのが何ともいえない気持ちにさせられる一因でした。
放っておいてもおそらく忘れない経験だけれども、それでも備忘録兼ねてメモ書きでした。

2014年6月18日水曜日

後藤忠政『憚りながら』宝島社、2010年。

ヤクザ、と呼ばれる生き方がある。
おそらくIyokiyehaにはあまりご縁のない世界のような気がするけれども、そんな世界が垣間見れるかもしれないと思い手に取った一冊。
山口組系の直系後藤組の元組長によるインタビューという形式をとっているが、話し言葉だからこそ伝わる思いや事実というものもあるように思う。

やくざ 
1.名・形動 役に立たないこと。まともでないこと。つまらないこと。また、そのさま。そのようなものをもいう。
2.名 博打うち。ならずもの。無頼漢。

ここでいうところのヤクザとは2.のことを指すのだろうが、その生き様はこれまでの見え方と随分違うように感じた。
社会悪、という言葉でまとめてしまうつもりはないが、なんというか、本来の制度や取り決めでは成り立たないグレーゾーンで活躍する人達であって、その行動原理は物事の筋や人の情といったものに立脚しており、時に法制度を超越することがある。そもそもヤクザの生き方は、人と人とのつながりや物事の道理・すじみちによって成り立っているものであり、何でもかんでも法制度を守らないというわけではない。むしろ、法制度違反の怖さを最もよく知っている人達であるともいえる。
政界や経済界、芸能界とのつながりが指摘されるようになったこの頃であるが、その背景はヤクザが活躍するところがあるからで、何も世の中の全てにたてついているわけではなく、ヤクザとしての行動原理に従っているだけの物事が大半を占めるということを本著から学んだように思う。

生きかたはIyokiyehaのそれと全く異なるけれども、制度の中で仕事をしている身として、ヤクザな生き方をしたいわけではないが、やはり法制度に人の感情を吹き込むことによって初めて円滑な社会を感じられるのだろうな、ぬくもりみたいなものを感じられるのだろうなと思った。
あまりない内容・形式の一冊でした。おもしろかったです。

2014年6月15日日曜日

【Audio Book】伊賀泰代『採用基準』ダイヤモンド社、2012年。

マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社において採用部門に十数年在籍してきた著者によるリーダーシップ論。「採用基準」という表題と書籍紹介や表紙に書かれた「マッキンゼー」という会社名から「マッキンゼーというコンサルティングファームはどんな人材を採用するのだろう」と思わせておいて、フタを開けたらマッキンゼーの採用活動からこれからの世の中を生き抜くためのスキルとしての「リーダーシップ」について語っている。マッキンゼーの提唱する「グローバルリーダーの育成」とこれからの日本あるいは世界で活躍するためのスキルを関連づけて、それは「リーダーシップ」であるとする。

伊賀氏のいうリーダーシップとは、「人をまきこんで、問題解決にあたることができる」スキルのことを表している。
マッキンゼーの提唱する「グローバルリーダー」とは、上記に加え「英語ができること」「専門的知識を持っていること」をあげ、採用においてはそのポテンシャルを見極めているとする。

コンサルティングという仕事において求められるのは、単に問題解決技法の扱い方や地頭のよさだけでなく、それをチームを率いて実施するポテンシャルがあるかどうかであるとする。仕事は一人でするものではないとする立場を明確に打ち出し、その環境の中で成果を出し続けるには、
・人を巻き込み、活かす。
・限られた時間内に検討し、決める。
・チームが力を最大限に発揮できるように目標を立て、伝える。
などの態度・姿勢が常に求められる。チームの一員だからリーダーシップは必要ないわけではなく、全員がリーダーシップを持っているからこそチーム力は最大限発揮されるとする。
さらに、日本における「リーダー不在」とはこの意味においてのリーダーシップポテンシャルが社会全体で決定的に欠けていることを表し、指摘するとともに「まずは自らのキャリアを見直す」ことを提案している。

伊賀氏は近年、以下のサイトを立ち上げた。 
http://igayasuyo.com/profile

組織の中で働く身として、改善欲求と違和感を覚えつつもルールとして飲み込んでいたことが、リーダーシップという言葉でもって浮かび上がらせるきっかけとなった一冊といえる。どんな組織においても自分で責任をとらない、自分で考えない、自分で決めないことが組織の硬直化につながっていくのだとあらためて感じることができた。伊賀氏のいう「リーダーシップ」のポテンシャルが自分にあるかどうかは別として、チームで課題解決を図ることにおいてはマッキンゼーのそれと手法や内容に異なる点はあるといえ、ベクトル自体は大きく変わらないと捉え直せば、やはり世の中の要求として自分にも「リーダーシップ」は求められているのだろうと思う。
今後の学びも大切だけれども、どう行動するかが問われてくるのだろう。

2014年5月25日日曜日

機械を使いこなすか、機械に使われるか。

最近、何か事件が起こると結構な割合で「LINEでやりとりしている」とか「SNSで知り合った」といったことが言われます。そのうち「LINEは犯罪に巻き込まれるから使っちゃいけません」とか言っちゃう人が出てきそうですが(もういそうだね)、これって携帯電話が普及し始めた頃にも似たような現象が起こっていませんでしたっけ?あと、インターネットの時も。

間違えちゃいけないのは、ツールが悪さするわけでも仕組みが悪さするわけでもなく、それを使う人が悪さをしたり、その悪さに巻き込まれるってことであって、LINEだってSNSだってゲームだって、それが悪いわけじゃない。
昔流行った「バイオハザード」なるゲームにはまったこともあるIyokiyehaですが、3Dプリンタで拳銃作っちゃった人には「?」を感じる大人になりました。

SNSとか、興味半分で始めてみたけれども、使えば使うほど「なるほど」と思わせる部分もあり、上手く使いこなす人は、それでビジネスしてみたり、生活を豊かにしていたりするのだろうなと思います。私はそこまでいかないけれども、ただこんな仕組みでもなければ連絡とらないだろうな、という人と再度連絡をとるようになったりと、なかなかおもしろいものだと思っています。

さっき見て「これはどうなんだろう?」と思ったのが、公園での出来事。
よく夫婦で子ども連れてきていて、お父さんがベンチでスマホに興じている様子は見るのだけれど、今日は母と子で公園に来ていてお母さんが絶えずゲームに夢中になっているという様子。そりゃ子どももおもしろくなくなって公園飛び出していくわ、と思ってしまいました。
それはきっかけだけれども、そんな様子を見て思ったのは「スマホは利用の仕方によっては人間関係を壊す」と思いました。スマホが悪いわけでもゲームが悪いわけでもなく、今日の例ならそんな状態を自覚できていない(のかわからんけど)お母さんがスマホ(やゲーム)を悪者にしているのではないかと感じました。

人のフリみて我がフリ直せ。
さて、昼寝から起きた息子のトイレにでも付き合うか。

【Audio Book】阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』新潮社、2000年。

オーディオブックで小説を聴くことのおもしろさを感じるようになって、「海賊~」の後に購入したのがこのデータ。
結論は「オーディオブックで小説を聴くのは有意義だけれども、この作品は少し難しかったか」というのが率直なところでした。

解説を聞いてようやっと「あぁ、そういうことか」と思うにあたり、作品中にちりばめられた伏線と真実を知らないからこそ感じるある種の不安定感というか違和感、矛盾・・・ではないけれども、という何ともモヤモヤさせられる作品でした。しかも、ちょっと痛い表現があり、この手の作品を好んで読んでいないIyokiyehaにとっては、好奇心と不安とが混在する感情を植えつけられてしまいました。

小説界での評価は知りませんが、小説としては十分楽しめる内容だと思います。裏の裏まで読みたい人には手ごたえがあるものなのか、捕まえてみようと思ったらすり抜けられてしまう類のものであるか、読者を選ぶ内容かと思われます。
う~ん、評価しがたい・・・

本川裕『統計データはおもしろい!』技術評論社、2010年。

公開されている様々なデータから、散布図、相関図を作成して公開している「社会実情データ図録」というWebページがあります。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/
(Web:社会実情データ図録)

本著の著者はこのサイトの主宰者で、民間企業で研究者をしている方のようです。おそらく仕事だけでも多忙を極めるような方がこのようなサイトの運営や執筆活動をされていることにも驚くのですが、その内容もまた興味深いものばかりです。
著者は本書の目的を、
(1)相関図がこんな風にもつかえるのかと、これから論文、研究・調査レポート、企画書を作成しようとしている方のガイドブックとなること。
(2)読者に、相関図の題材となった世界や地域、社会の実情により深く興味を抱いてもらうこと。
としており、また、
「社会通念に囚われず、種々の社会現象について、データそのものが語っているように見える法則性に関し、オリジナルな仮説を示し、真実を見極めようとする人々に検討材料を提供すること」をサイトの目標としています。
(3~4ページ。「はじめに」より引用)
さらに、本サイトが全体を見渡しにくくなっている現状を考慮しつつ、サイトのガイドブックとなりうるものとして本著を出版されたようです。

掲載されている散布図や相関図は、どれも「おやっ」と思わせるものばかりで、確かに興味深いものです。書籍の内容もさることながら、その根拠としてのグラフや元データの情報は、仕事でも生活でも大変参考になるものばかりでした。


【Audio Book】百田尚樹『海賊とよばれた男 上・下』講談社、2012年。

出光興産の創業者出光佐三の生涯をモチーフにした小説。限りなくノンフィクション小説に近い内容となっている。

キャラクターとしての国岡鐵造(出光佐三をモチーフとした)と鐵造が経営する国岡商店(出光興産をモチーフとした会社)、それを取り巻く個性的な店員と友人知人の姿、国岡商店が直面する石油メジャーとの駆け引きと国内での戦いが、先の戦争を背景に展開されてきた様子が、出光興産の発展の歴史をなぞりながら描かれている。

大変スリリングでテンポがいい小説でありながら、調べるまではノンフィクションだと思ってしまうほどのリアリティを見事に描ききった小説といえる。Audio Bookの形式でラジオドラマを聴いているような感じのある、大変おもしろい作品だった。
2012年の本屋大賞受賞作品とのこと。うなずける作品だ。

2014年4月14日月曜日

井寄奈美『小さな会社のトクする人

社会保険労務氏の井寄氏による雇用ルールのシリーズです。以前、雇用調整に関する『トラブルにならない謝意員の正しい辞めさせ方給料の下げ方』を読みましたが、法律知識もきちんと盛り込まれているので、大変参考になります。仕事においても「辞めさせる」のではなく、辞めさせ方を知った上で「守る」ための知識として相談時に活用させてもらっています。
内容は労働法に関するものですが、本著は中小企業の社長・管理職向けに書かれているものと思われ、各話題の入り口は大変身近で具体例から関連法へと導かれる体裁をとっています。そのため、法律から探すのではなく、困った話題から関連する法律へと導いてその解説をしているので、一読だけでなく、今後もテキストとして傍らにおいておきたい一冊になりました。
同業者だけでなく、働くことに関わるすべての人におすすめできる一冊です。

2014年4月13日日曜日

ゴーサインへの躊躇

水滴が水面に落ちる。
小さな水飛沫と、広がる波紋。
そしてしばらくするとまた静かな水面へと戻っていく。
そんなイメージが頭に浮かぶ。

プライドをかけて取り組んできたことが、こんな形で幕切れになるとは何とも残念だ。
全てが無駄ではないのだろうけれども、結果いいようにやられてしまった感じで一杯になる。

無力だ。

怒りと失望の合間から寂しさと悔しさが頭を出す。悲しい気持ちにさえなってしまうのは、一体何なのだろう…
ここまでやってきたのに、という自分本位の思いがあるかもしれないけれども、それが努力の甲斐無くあっさりと無に帰していく過程に向かうためのゴーサインを出してしまったことへの後悔もあり。
自分が引き金を引くことへの躊躇かもしれない。

2014年4月6日日曜日

ヨラム・バウマン著、山形浩生訳『この世で一番おもしろいミクロ経済学 誰もが「合理的な人間」になれるかもしれない16講』ダイヤモンド社、2011年。

勉強は漫画から入ってはいけない、というのは何かを学ぶ時に言われることですが、気軽に読めてある分野の言葉に慣れることができるのならば、そのツールが漫画であっても構わないというのはIyokiyehaのスタンス。確かに本書を読破したからといって、ミクロ経済のことがわかるというわけではないのだけれども、そのもっと手前で「ミクロ経済って、人々の日常行動を説明するもの」くらいのイメージを持つことはできると思います。
漫画という表現方法は、緻密な説明というよりもそれらを俯瞰する視野を得るものだと思います。普段あまり考えないこと(現在価値とか、最適化とか)も、あえて(難しそうに見える)言葉を与えた説明を聞いてみると、案外身近な行動を合理的に行うヒントになったりします。

経済学をきちんと学ぶのであれば、おそらくもっとよい教科書が出ていると思いますが、それをあまり意識せずに考えてみたい人にはおすすめの一冊かと思います。同じシリーズでマクロ経済学や統計学も出版されています。

2014年4月3日木曜日

竹内圭『人事課 桐野優子』ザメディアジョン、2014年。

障害者雇用分野の中でも、特にアスリート就職を主とした就職支援をする会社として知る人ぞ知る「つなひろワールド」を介した採用を描いた小説。
営業部署から人事課に異動した桐野優子というキャラクターが奮闘しながら、社内の雰囲気も変わっていくというハートフルなお話です。大変わかりやすいストーリーの中で障害者雇用制度のエッセンスやポイントがまとめられており、この分野に関係・興味のある人なら十分楽しんで勉強になる一冊だと思います。

一応、私はこの分野で最前線の現場に立っているので、その意味では目新しい情報があったわけではないですが、桐野が雇用の企画書を何度も何度も書きなおしている時に気付いた三拍子「コスト・環境・業務の切り出し」をトータルで考えることが、企業にとって現実の採用活動においても大切な視点になるのではないかと頷いたところです(116ページより)。

こうの史代『ぼおるぺん古事記一 天の巻』平凡社、2012年。

以前にも一度レビューしましたが、2巻、3巻を購入したので再度読んでみました。
古事記というと、私のような若造にはやはり敷居の高いものと感じてしまうのですが、漫画になっていることもあり大変親しみやすいものでした。とっつきやすさもさることながら、物語も「神様の生活」ともいえるでしょうか。喜怒哀楽に基づき、いろんなものに神様が宿っていることを様々な箇所から読みとることができ、神道(なのか?)の基盤ともいえる人格化した神様、そして八百万の神といったことが、これでもかこれでもかと見えてくる一冊だと思います。

渡辺大地『産後が始まった!夫による、産後のリアル妻レポート』KADOKAWA、2014年。

私が現在住んでいる所沢市で産後サポートを展開している渡辺氏が、これまでの知見を元に産後の夫婦の生活を漫画化した一冊です。
IyokiyehaはNPO法人Fathering Japanの会員であることもあって、この手の書籍はだいたい目を通しているのですが、これは秀逸。夫による産後のサポートは認知されてきたように思いますが、それを等身大で失敗談ベースの話に書き起こしていることが、どれだけ「イクメン」ハードルを下げてくれているか、と痛感しました。
なんと言っても面白い「あるある」がいっぱい詰まっています。「最近、いろいろあるけれどどれから読んだらいいかわからない」というパパさんには、『新しいパパの教科書』とともに本著をおすすめします。

2014年3月23日日曜日

やさぐれ侍

やさぐれる:すねる、なげやりになる。

「ここ数日の様子を教えてください」
と職場について問われたら、
「かなりやさぐれています」
と答えたくなりそうなここ数日。こんにちはIyokiyehaです。

何があったのか?と問われても、自分とは直接関係なさそうなので、へぇへぇと答えるしかないのですが、とはいえ自分の知らないところで仲間同士が衝突していることなんて全然気付かないわけです。気を遣われているのか、蚊帳の外なのか。
そこにきて、定例の人事の話もようやく決着が着き、これもいろいろと不安要素がちりばめられたものだったりします。バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていましたが、我が職場がそこまでホットポイントになれるかというとそうでもなく、せいぜい色んなことの「吹き溜まり」「しわ寄せ先」になっているのだなぁとつくづく。

そんな中でも前向きにやっていこう!とは思いますが、せめてこの気分が少しでも晴れないことには何ともならんなぁと思うので、数週間冬眠に入ることにします。しばらくおとなしくしているつもりですので、あしからず。

2014年3月18日火曜日

プレイコール

コール(call)という単語には様々な意味があり「天職という意味があるんだよ〜、神様に呼ばれるという意味でね」というのは、随分前に放送された連ドラ「ちゅらさん」の一場面。

それはそれで、今回の話題はcallのメジャーな意味「叫ぶ」とか「要求」とかそういう意味について。

Iyokiyehaはあまりスポーツ観戦しないのですが、アメリカンフットボールだけは毎年十数試合テレビ観戦しています。あの戦略とか、よーいドンで選手が一斉に動く様子は見ていてエキサイトするわけで。
いろんなプレイがあって、どのプレイにも見所はあるのですが、最近は自分の仕事とQB(クォーターバック)の役割を重ねて整理していることもあり、そんなことをあーだこーだ考えていたら「コール call」という言葉が浮かんできました。

優秀なQBのスキルは?
様々な角度から選手は評価されており、このQBはロングパスが正確、このQBは短いパスとスクランブル能力の高さ、このQBは自らランプレイができる、このQBは・・・と様々です。QBレイティングという数値も評価の尺度ですが、これはパス攻撃に特化した側面もあるため、一側面で順序づけることはできるのだけれども、QBの全体像を把握するには至っていないように思います。
パスの正確さ(ショートレンジ、ロングレンジ)、ハンドオフ、ラン能力、スクランブル能力など、個々の見えるスキルも去ることながら、Iyokiyehaが最近注目するのはQBが発するプレイコール(アサイメント(役割)の指示)の精度と正確さ、です。

ここで私の仕事と交差していきます。

たとえば、機会に恵まれないけれども優秀なクライアントには、そのストレングスで困難(相手ディフェンス)を超えられるところに最高のパスを投げ込んであげてTD(タッチダウン)させてあげるパス攻撃のイメージが基本戦略になります。その時のプレイコールは「○○のあたりになげるからフリーで走り込め!」になるわけです。
同様にして、継続就労にあたって綿密な支援が必要なクライアントには、やはり得意なことは見極めつつ支援チームで世の中や職場の困難に対応する必要があります。つまりランプレイ。その時のプレイコールは、クライアントの走路を切り開くためにラインメンに役割を正確に伝達し、ホールができる予定を確実にバックス(クライアント)に指示してボールを持たせて走り込ませる。「あなたはここ、あなたはそっち、ここにスペースができるからボールもって走り込んでね!」になるわけです。

いずれにせよ、自分の得意な攻撃方法を選択するにしてもプレイコール次第で失敗になることもあるし、シンプルな攻撃であってもプレイコール次第でビックゲインに結びつくこともあるわけです。

そんなイメージを勝手に考えて仕事に貼り付けてみましたが、あくまで自分のイメージなのであしからず。
今年度のアメリカンフットボールでは、Cam Newtonのプレイが非常に小気味いい感じだったのですが、職業人としてはやはり、Payton ManningやTom Bradyになっていかないといけないんだろうなと思うこのごろです。プレイコールに通ずる、基本的なスキルをもっともっとのばしたいものです。

2014年2月18日火曜日

原点回帰

特に意識しているわけではないのですが、今年は今所属している機構に入構して10年目を迎える年となりました。職歴全体としては(一応)10年目ということで、生活の変化は感じつつですが、新たなステージに向かおうとする意志がどこかで働いているような気がします。
年が明けてから何気なく手にとった書籍が『無痛文明論」(森岡正博、トランスビュー、2003年)だったりするところが、何だかそんな自分を暗示しているようにも思います。
いろんなことに悩み迷い、不安を常に感じながら過ごした大学院生の頃に、なんだか拠り所であるかのように読んで、修士論文にまで引用してしまった森岡氏の論文です。就職して今に至るまで、特に手に取ることはないのにいつも書棚の一角を占領している書籍達の一冊だったりします。
また、読み終わった時にレビューをあげようと思っていますが、文明が行き着く先にある悪夢としての無痛文明とそこに向かう社会の仕組みを無痛奔流が巧妙に形作る無痛化であるとして、社会構造を鋭く暴いた氏の渾身の論文です。そして、それに抵抗すること、戦いを挑むことについても論じられつつもその具体的な取り組みには触れられない矛盾をも説明し「悔いなく生ききるための知恵」という言葉でゆるやかに人がつながっていくことを提案しています。
私が今の仕事に(も)プライドを持っていられるのも、おそらくこうした下敷きがあるからなのかなと思うところも、10年後のIyokiyehaだから感じるところもあり、なかなか面白い読書時間になっています。

何気なく手にした一冊は、私の原点を確認するとともに、新しいステージでの戦い方をまた考えるきっかけになるのだろうなと思います。きっと今度の10年はまたあっという間に過ぎ去っていくのでしょうが、そんなときにこんな座右の書があることをまた思い出したいなと思うこの頃です。

雪掻きに見るご近所付き合い

先々週末、今週末と、関東では大雪となり、所沢でも20〜30cm程雪が積もりました。
初めは降雪にテンションがあがっていた子どもたちも、外出して長靴の中に雪が入ったり、いい加減まで雪遊びをして手が冷たくなるなどして、雪とのつき合い方を学んでいるようです。息子に至っては「もう帰る」を連呼するなど、楽しい(と思っている)事象の側面を肌で感じ取っているのだろうなと思うところです。

さて、大人はテンションがそれほど上がるわけではなく、むしろ下がるのですが、その大きな理由の一つは雪掻きでしょう。Iyokiyehaは静岡生まれの静岡育ちで雪とのつき合い方を知りません。かろうじて山梨県甲府に住んでいた時に降雪することがあり、当時ご近所さんから雪掻きの方法(夜に積もる前に一度掻いておくとか)やコツを教わったことがあり、現在の所沢においても雪が降るとせっせと雪掻きに出る週末でした。力の入れ方がわからずに筋肉痛になるという単純なことも気づきとしてはあるのですが、面白いなと思うのは雪掻きしながらご近所さんと自然にお話ができてしまうということです。同じマンションに住んでいて初めて話す人、通りを挟んだお向かいさんと排水溝の在処の情報交換をしたり、目の前で立ち往生する他人の車を「なんとなく」みんなで押し始めたりと、普段なかなかない接点ができるものだなと感じるところです。
こういう人間関係って意図して作ることって難しいものだと思うのです。全く知らない人に対して挨拶することもはばかられる昨今、そうは言っても毎日すれ違う人には軽く挨拶するIyokiyehaではあるのですが、この二週間でまたご近所さんの知り合いが増えたかなと思います。

大切なのは理屈じゃなくて人と人との交わりであって、それも同じ(ような)目的によってつながっていくこと。何となくですが、生活だけじゃなくて仕事にも通ずることなんじゃないかと思った週末の出来事でした。
それにしても、なれないスコップを数時間扱うと、普段痛くならないところが痛くなりますね…。

2014年2月4日火曜日

佐藤真澄『小惑星探査機「はやぶさ」宇宙の旅』汐文社、2010年。

私は元々、イベント毎にはあまり興味がないので、2010年の「はやぶさ帰還」の頃にはそれほど騒がなかったのですが、その後映画化されたものを観て、改めてこの小惑星探査機の実績に感心しました。
地球からプログラムを送信して、はやぶさに届くのが16分後。それだけ離れたところを航行する探査機を研究者たちが操作し、小惑星からサンプルを採取する。本書は、様々なトラブルに見舞われながらも、途中交信が途絶えてしまっても諦めずにとりくんだ様子が簡単な言葉で描かれている書籍です。
帰還当時、「はやぶさ」が半ば擬人化されていることに違和感を覚えたものですが、本書を読んで改めてそれに値するドラマがあったのだと思いました。

2014年2月2日日曜日

合掌。

長期療養されていた先輩が他界されたと聞く。
初任地にて、直接研修担当というわけではなかったけれども、先輩として大変お世話になった方でした。
仕事の進め方、組織の常識など、当時(特に)小生意気だった私に、様々なことを教えてくださった方でした。今年度同じ職場に配置となったところで休職。半年をどう見るかですが、あっという間、でした。

合掌。

2014年1月15日水曜日

海老原嗣生『雇用の常識 決着版 ー「本当に見えるウソ」』ちくま文庫、2012年。

2009年に刊行された『雇用の常識「本当に見えるウソ」ー数字で突く労働問題の核心』(プレジデント社)に大幅加筆訂正を加えた書籍。コンセプトは変わら(ないらしい)ず、作られた言説や錯覚を起こしがちな労働問題の「常識」を、基礎統計データを基に考察していくというもの。
著者の主張の一つに、「非正規雇用者の増加=若者の正規労働者減少=若年層かわいそう」と論じられることがいかに根拠に乏しいかというものがある。非正規雇用者およそ1700万人の内、主婦・高齢者・学生アルバイトでおよそ1300万人となり、かつ似た経済状況かにおいて20年前と今とでは正規労働者数が増加していることを、政府統計を駆使して論じている。他にも「終身雇用は崩壊していないこと」「ホワイトカラーに少子高齢化は無縁であること」「欧米諸国の『働き方』の実際」など、印象で語られがちな労働問を、データを基に検討することにより印象だけでは片づかないものであることがわかる。

労働行政の一旦を担う仕事をする自分として、今まで抱いてきた「違和感」がかなり解消された一冊でした。本来現場をもっている我々が、統計を駆使したこういう考察を重ねていかないといけないと思うと同時に、基礎データをきちんと確認することが(おそらく)クライアントから求められているのだろうと強く感じるに至った。

2014年1月5日日曜日

制度の位置づけと使い方

昨日、斯波さんとお話していて改めて強烈に感じたこと。
それは、「制度」の位置づけと使い方に関することである。

今までにも感じていたことだけれども、言葉でまとめることがなかったので、一旦まとめてみます。

「制度は使って得するもの」ではなく「大切な課題解決を広く行うために制度ができる」ということ。
つまり、制度が課題を片付けるのではなくて、広く課題を片付けるために制度が生まれるということ。

言葉がまだ稚拙なのですが、例えば「制度があるから結婚する」のではなくて「(ほとんどの場合)愛情とか何らかの事情があって、結婚という制度を使う」ということと重なるように思います。もちろん全てではないですが・・・

行政機関に身を置く身として、これまでのモヤモヤの大きなところは、この認識の違いによって説明できそうです。それは、この期間中の組織内向けの論文作成の過程で気づいたこと、発表して思ったこと、研修に行って思ったこと、年末年始にあったいろんな人との対話で強く感じたことです。すなわち、「制度が限界を作っている」のではなくて「本質に迫ることができていない」ことが苦しいのであって、それを組織の問題、制度の問題に帰結させるのは、問題を自分で摩り替えていることになっているのではないかなと、そう思うに至ったわけです。

以前から「制度には息を吹き込むことが不可欠」と感じていたわけですが、それは制度を使いこなせてから言えることであって、それがない以上は何を言っても賛否両論が出てきて、みんなの納得感は得られない。問題の本質に迫る過程は、目的を同じくする人達には共通する課題となりえるわけであって、それが為されないということは(本質を外した政治力などは論外です)共通の基盤となるべき「何か」が欠けているか、課題や本質が共有できていないかということになるのでしょう。

先の結婚のくだりは、以前酒飲み話で誰かとした話題で、「結婚は制度じゃないか」と言われたことそのものです。単純にそこに愛情があるならば、愛情は結婚についてくるものがあるかもしれないけれども、本質的には愛情があるから結婚するのであって、結婚しない愛情も成立します。この場合は人間関係の視点に立てば、本質は愛情ということになります。結婚は愛情に一つの形を与える制度であって、それ以上にはなりません。

私の今の仕事も、共生社会の実現(先日、同期のみなさんともこの言葉で話ができて楽しかったです)を組織として目指しているのであって、現場でいうところの就職率の向上というのは共生社会の下位目標でしかないわけです。だからないがしろにできるものではなく「やってあたりまえ」のことであり、その向こうにある共生社会を意識しなければただの数合わせでしかないということですね。

こういった考え方に立てば、今ある事業や制度それに伴う数値目標といったものは、あくまで「ツール」であるわけで、「ツール」を使って職業的な自立を目指したいニーズを持つ方のニーズに応えることが目指すところをやはり組織目標だけでなく共生社会につなげていかなければなりません。

思うままに書いてしまいましたが、「主従を逆転させてはいけない」ということです。

こんなことを考えて、1日遅れで新年の勤務に臨みます。
意志ある方、共にやっていきましょう!

ウイズ半田訪問

1月4日に特定非営利活動法人六星が運営するウイズ半田に伺い、所長の斯波千秋さんとお会いしました。年始回りの多忙な時期にも関わらず、いろんな話題があり3時間もおじゃましてしまいました。とても贅沢な時間でした。
この機会の発端は、半分仕事のこともあり静岡県内における視覚障害者の就労状況に関する情報収集という名目だったのですが、こんな機会は滅多にないことと、斯波さんとは何度もお会いしている(前職の関係です)にも関わらず、きちんとお話を伺ったことがないので、個人的には施設の歴史やミッション、斯波さんの考え方に触れたいと思っての依頼でした。
話題は本当に多岐にわたったわけですが、印象に残ったことを記録をかねて書き出しておきます。

・歩車分離の交差点で、視覚障害者の事故が起こっている。従来の横断歩道の渡り方(自分の進行方向と平行して走っている車の音が聞こえたら渡っても大丈夫)では、音の鳴らない交差点で間違って車道に出てしまう。健聴者にとって安全な仕組みが、全盲者にとって危険な仕組みになりかねない。
・障害者のリーダー養成に長年関わっている。東南アジアを中心に、15年ほどの取り組みとなっている。ダスキン愛の輪基金など、国際交流活動を継続して行うことが支援者、当事者ともに刺激となっている。帰国後、障害年金制度の創立に関わった修了者もいる。
・「視覚障害者にとって、パソコンは生活の質をあげるものであり、就職するのに有利な道具となりうるが、パソコンスキルを身につけることが即就職となるわけではない」。テープおこしは大都市など需要がなければ仕事として成り立たない。視覚障害者の職業的課題は古くて新しい課題そのもの。
・ウイズの対象者イメージは、1.盲重者、2.中途視覚障害者、3.リーダー養成=2~3割、7割、数名、である。ただし近年は、7割、2~3割、数名へと変化している。
・斯波さんは元々白状等、視覚障害者用の支援器具の企画・製造・販売をしていたが、視覚障害のある人と接する内に、彼らの居場所がないことを知る。またアメリカ研修で実感した「障害者が街に出れば、社会が変わる」という考えを強く持つことになり、ウイズの設立に至る。(紹介フィルムの、横断歩道にて自然にガイドをするアメリカ人の対応に感銘を受ける)。
・特に中途障害者は、障害受容うんぬんというよりも、仕事を失うとやることがない状態となってしまう。「やることのない人にやることを与える」という現在にも連なる思いから、既存の枠組みで小規模作業所(現在は就労継続B型)の設立・運営に携わることになる。
・仕事(作業)を通じて、リハビリテーションをする、という発想。そのための居場所であり、全国に作らないといけないが、まだまだ足りないと思われる。
・ニーズに応じて、と言われるが「ニード」ほど分からないものはない。障害受容なんて理屈通りにはありえない。そこにあるのはほとんど諦めである。
・ニードに気づかせることが支援者には求められる。知ること、選択肢が提示されること、考えられる余裕があること、発言できること。発言があって初めて、表出したニーズに「応じる」ことができるのであって、そのプロセス(ニードに気づかせる)は意識されにくい。「悲しい」「寂しい」「やる気がしない」のは「なぜなのか?」。態度や発言に隠れている背景に応えることができて初めてニードの芽になる。
・聖隷福祉事業団の跡地にウイズ蜆塚が設置される。利用者の構成は半田とは違い、ほとんどが65歳以上の高齢者。
・「制度は後からついてくる」。制度を作るためには、NPO等が機動力をもって試行して発言していく必要がある。データで語ることも求められる。ウイズの場合は「居場所」と視覚障害者の「リハビリテーション」を進めるために、小規模作業所という枠組みで活動してきた。行政の下請けとして事業をこなすことも求められる一方で、NPOの本質は「活動」にあり、問題意識とその解決に向けた取り組みが求められる。制度とは税金が使えるようになること。税金は「取られる」のではなく「預ける」、だから地域活動と連動し「見てもらう」ことが必要。
・制度よりも大切なこと。物事には本質があって、大切なこと、人権擁護のために制度が存在する。制度を成立させている「大切なこと」は何なのか?事業になると、特に新しい職員等は問題意識に欠けてしまうことが少なくない。
・「人間」とは?「間」を考えることができて「人間」となる。猿からヒトへ、ヒトから人間へ。そして今、人間関係の希薄化と共に「ヒト」化が進んでいるのではないかという斯波さんの問題意識があった。


特定非営利活動法人六星 ウイズ半田・ウイズ蜆塚
http://6seiwith.sakura.ne.jp/
ダスキン愛の輪基金
http://www.ainowa.jp/
ダスキン愛の輪基金報告書(2012年度)
http://www.ainowa.jp/pdf/report_j.pdf