2021年5月23日日曜日

摂食障害 10代からの相談増える 毎日小学生新聞 210519

 摂食障害(その1) 10代からの相談増える

毎日小学生新聞 2021(令和3)年5月19日(一面)


 摂食障害に関する、10歳代からの相談件数が増加している。国は、宮城、静岡、福岡、千葉の4県に「摂食障害治療支援センター」を設置し、相談件数を集計している。その結果、2018年度と2020年度比較で、10歳代からの相談が1.8倍程度になっていることがわかった。また、2018年度には20歳代からの相談件数が最多だったが、2019年度からは10歳代が最大となっている。相談者の抱える問題は、「やせ」「食事の制限」「過食」が目立つ。やせたい願望だけでなく、大人よりもストレスに弱い面も見られる。

 専門家は、新型コロナウイルスの感染拡大防止対策のために、友達とも会わず(会えず)家で一人で過ごす時間が増えていることを背景に、ダイエット動画などの視聴機会の増加が、この結果の背景にあると指摘している。


https://mainichi.jp/maisho/articles/20210519/kei/00s/00s/015000c


 まず、摂食障害。これは「体重が増えるのを怖がり食べるのを極端に制限したりする」と説明がありました。ただ、食べない、やせたいと思う、だけでなく、身体の仕組みとして脳や消化器のしくみに変化が生じてしまうのが「摂食障害」の段階です。イスラム教徒のラマダーンやお寺で時々やっている断食のプログラムとは、表出する行動は同じでも脳や身体の状態は全く違うという認識は必要です。身近な人に摂食障害の疑いがあった時に、声をかけてあげるのは大切だけれども、治療はお医者さんの仕事です。これは勘違いしてはいけない。

 この記事の専門家の指摘通り、動画等で紹介される情報の影響ってあるだろうなと思う。インターネットやSNSの使い方とか、その被害とか、予防・防止なんていろいろ言われています。ただ、私はこうした指摘から一歩ひいて、インターネットやSNSは目の前にあって使う生活が前提、として考えないといけないと思っています。端末を与える、与えないという違いはあれど、情報端末一つで瞬時に世界につながってしまう。これは良し悪しではなくて、それが前提、背景であると考えるべきで、むしろ今の子どもたちの置かれた環境が、徐々に広がる世界ではなく瞬時に広がる世界にあると考えています。となると、端末の使い方、情報の制限などのルール作りは重要であってもそれで充分ではなく、やはり基本に立ち返った「情報を選ぶ力」「悪いものが入ってきてもバランスをとる力」「ファクトベースで物事を見る姿勢」というものを、折に触れて伝えていくべきなのだろうなと思う。

 ここからはおじさん発言だけど、ティーンの情報誌や様々な動画で「個性」をうたっていても、その人気にのまれたら結局同じ尺度に乗せられて、潜在的な競争状態に常にさらされる生活を余儀なくされてしまうではないか、と思うわけです。


(参考)摂食障害治療支援センター

https://www.ncnp.go.jp/nimh/shinshin/edcenter/center.html

2021年5月16日日曜日

精神私宅監置を映画に 毎日新聞 210514

 毎日新聞 令和3年5月14日(15面 くらしナビ)

精神障害者私宅監置を映画に


精神障害のある人を小屋などに隔離する「私宅監置」が、かつて法律で認められていた。沖縄においては、本土復帰する1972年まで続いていた。非人道的な環境に置かれたいわゆる「闇の歴史」といわれる。このことを、独自の調査で明らかにしたドキュメンタリー映画「夜明け前のうた 消された沖縄の障害者」が各地で上映されている。


https://mainichi.jp/articles/20210514/ddm/013/100/022000c

(Web版 精神障害者私宅監置を映画に(有料))


 法律とは、1900年施行精神病者監護法。いわゆる「座敷牢」を合法化したものといわれる。私宅監置者数は毎年3,000人~7,000人ほどになったという。これを問題視した呉秀三氏(精神科医)が入院治療を強く主張した歴史がある。1950年に当該法は廃止となったが、米軍統治が続いた沖縄においては、精神科医療の不足を背景に、1972年まで琉球精神衛生法としてこのしくみが続いてきた歴史がある。

 ドキュメンタリーとしては過去の話題をテーマにしたものです。ただ、「人権侵害」として位置づけると、様々な分野で現代にも続く課題といえると思います。誰かの犠牲の上になりたつ生活。厳密い言えば、私の生活もこうした犠牲があるのでしょう。物事を知るにつれ、そうしたことが見えるようになる。見えなければ、その改善はありえない。生活者として学び続ける意味はこういうところにあるし、このドキュメンタリーもそうした一つの成果だと思う。


■参考

https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c030123/

(ニッポンドットコムおすすめ映画 松本卓也「歴史の闇「私宅監置」に迫る:映画『夜明け前のうた ~消された沖縄の障害者~』」

https://www.jspn.or.jp/modules/forpublic/index.php?content_id=12

(日本精神神経学会 「歩み3:私宅監置と拘束具」

https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/83/

(NHKハートネット 精神障害者の監禁の歴史 精神科医 香山リカさんに聞く)

https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n228/n228_01-01.html

(障害保健福祉研究情報システム(DINF)秋元波留夫「精神障害者は20世紀をどう生きたか」)

2021年5月9日日曜日

緩みを正当化させるムード

  「ムード」という言葉を当てたら、勝手に納得してしまった。

 「コロナ疲れ」とか「自粛疲れ」という言葉が聞こえてくる。COVID-19の感染拡大とその防止対策をとることに対して出てきた言葉である。

 もちろん、それまでと違った生活リズムを余儀なくされ、そのために心身に影響が出る人がいる。労働市場の急変に伴い、将来への不安から体調を崩してしまう、不穏になる、自暴自棄になる人もいる一方、そんなことは俺には関係ないとばかりに路上でごきげんになっている人もいる。夜の飲食がだめなら昼にすればいい、店がだめなら路上でやる。まぁ人間の知恵というのはどこまでも広がっていくものだと、報道を見て感じることがある。

 そういう、周囲への影響を感じないごく一部の人へは「反知性主義」の文脈が当てはまるので、それはもう「基本に帰れ」と言ってその人が気づくまで放っておくしかない。しかし、確かにいる前者の人達(心身への影響が出ている人)に対して、最近の「自粛疲れ」報道は、弱者に冷や水をかけるような「あおり」が生じていないかと、ちょっと心配になる。「この大変な状況で、タガが外れている人がいます。これも『自粛疲れ』でしょうか」みたいな報道って、「それもしょうがいないか」みたいなゆる~いムードを蔓延させていないか?私はそれを感じつつ突っぱねているけれども、弱っている人にとって、こうした報道のもつメッセージってどんな風に受け止められてしまうのかと心配になる。

 できないことをやれと言われても、そりゃ無理だとなるわけだけれども、これまで提案(?お願い?)されてきた対策の中に、基本的なものがあります。そういうことを丁寧に、そして「これしかできない」なら「これをしっかり」やることで、新しい日常をつくって自分なりに安定していくしかないのかな、と思いました。「疲れているから、みんな緩むんです。どうにかしてください」ではあまりに無責任でないか?「ここが正念場、がんばろうぜ。しんどいならこういうところに相談よ」くらいの冷静な報道を期待します。

障がい者スポーツ→パラスポーツに変更へ 毎日小学生新聞 210319

 障がい者スポーツ→パラスポーツに変更へ

毎日小学生新聞 令和3年3月19日 3面

日本障がい者スポーツ協会JPSAは、これまでの「障がい者スポーツ」という言葉を「パラスポーツ」に統一することにした。このことについて、常務理事(高橋秀文氏)は、「『パラスポーツ』の用語が一般化している。障害のある人もない人も楽しめることを強調したい」と説明した。

https://mainichi.jp/articles/20210316/k00/00m/050/274000c

(毎日新聞本紙Web版)


 パラリンピックの「パラ」は、元々は「麻痺させる、立ちすくむ」という意味のparalyzeのparaだと何かで読んだことがありましたが、確かに最近の使い方は「平行、もう一つの」といったparallelのparaとして扱っていることに気づきました。あまり違和感がない変更ではありますが、より包摂的な意味になった、と考えたら、ユニバーサルデザインの言葉版、というイメージもあるなぁと思いました。


https://www.jsad.or.jp/

(参考)日本障がい者スポーツ協会

2021年5月5日水曜日

のんびり自宅で過ごす連休

 自宅と職場以外がいまいちぱっとしないIyokiyehaです。まぁ、自宅と職場が安定してくれていれば問題はないのだけれども。

 くそったれなCOVID-19感染拡大の影響で、今年度の我が家は自宅で過ごすGWでした。子どもたちも諦めモードで、近所で遊ぶことに忙しくしています。私も自宅でごはん作ったり身の回りを整理するなどして過ごしています。ようやく最終日。頭の中は完全に緩んでしまったので、明日から仕事ができるのか?と思うところと、衣替えしてスーツも一新、ちょっと気分を変えてがんばろうとするところとが行きつ戻りつしています。

 中学生になった長女は、親離れが加速し、今までのような軽口は受け止めてもらえなくなってきています(笑)。変化に気づくのは早い方なので、行動を修正して小康状態を保っています。まぁ、口きいてもらえなくなるのも時間の問題だな。息子はなぜか歴史にはまっており、勝手に図書館通いしています。男子ってこういうところあるよね。漫画も多いけれども活字を読んで過ごす時間が増えているようなので、見守るとします。学校から持ち帰った「将来のゆめ」に「サッカー選手」とか書いてあってちょっと面白い。小学生になった次女は、まだ相変わらずかな。我が出てきたので、こちらの思い通りに動かないことも多くなってきているけれども、これもまた成長。こちらはまだ公園とか図書館とか言ってくれる(?)ので、もうしばらくは遊んであげようと思います。

 そんな子どもの変化が見えるのも、少し心に余裕ができたからかな。子への接し方はそれぞれ、愛し方もそれぞれ。「どっか連れていってやれよ」という声が聞こえてきそうですが、こんな状況でねぇ…ということもあり、ふりかえって「これでよし」と思った方がいいと思っています。

2021年5月4日火曜日

本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ『ユマニチュード入門』医学書院、2014年。

 「この本には常識しか書かれていません。しかし、常識を徹底させると革命になります。」

 「ユマニチュード」とは、認知症ケアに関して、クライアントを「人」として扱う、知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションに基づいたケアについて、「人とは何か」「ケアをする人とは何か」を問う哲学とそれに基づく実践技術から成り立つ技法のことです。(4ページより)

 本書は、「ユマニチュード」について、核となる技術を紹介しながら、認知症患者さんとその人達にケアする人のことを考えていきます。技術といっても、「見る」「話す」「触れる」「立つ」の動作に関することと、それらのケアを行うための準備や約束事に関すること、例えば「出会い」「ケア」「知覚」「再開」について、図を用いて簡潔に説明しています。

 核となることは、日本語で言う「人間」という言葉に含まれる、「人と人との感情を交えた関わり方」ということになります。技術一つ一つはそれほど難しいものではない「(上記)常識」であるにも関わらず、一貫してそれを行うためには「自分や周囲の環境」が邪魔するので、一連の技法としてはなかなか困難な内容になります。それでも、一つ一つ取り組んでいく必要がある、と思える技法です。

 確かに、ケアの現場でこうした技法が一般化すれば、虐待や不適切介護なんてのはなくなっていくような気がします。人としての安心感があれば患者(クライアント)は落ち着くことができるでしょうし、「問題のある人」を「生み出さない」ための技法であると思います。自分がいろんな人と接する時に役に立つ技法であると思ったのと同時に、何か折に触れて対人支援業務にあたる人に紹介したい一冊でした。

2021年5月3日月曜日

HIV感染者2割減 毎日新聞 210317

 毎日新聞 2021年3月17日 28面(総合・社会)

HIV感染者2割減 20年 検査数激減影響か

厚生労働省のエイズ動向委員会は16日、2020年に新たにエイズウイルス(HIV)感染が判明した人は、速報値で1076人(19年1236人)だったことを発表した。このうち、発症前に感染が確認されたのは740人で、前年の約2割減。新型コロナウイルスの感染拡大で、保健所などの検査数が激減したことを原因としてあげている。

https://mainichi.jp/articles/20210317/ddm/012/040/057000c

「2割減」が注目される記事ですが、どちらかというと「発症前に感染が確認された740人」が気になる記事です。きちんと検査をうける人が結構いるのだと知りました。もっと、発症してから検査するものと思っていました。
もちろん、早期発見、早期治療が望ましいのは言うまでもないです。
「2割減」は結果であって、外出が制限されるならば、原因となる行為(濃厚接触)や検査数は減少して当然だろう。

https://ptokyo.org/
認定NPO法人 ぷれいす東京

信号機の誘導音制限 毎日新聞 210316

 毎日新聞 2021年3月16日 11面(オピニオン)

そこが聞きたい 信号機の誘導音制限 「共生」へ妥協点模索を

視覚障害者に信号の状態を知らせる音響式信号機のうち、8割が稼働時間を制限しています。現状から見える、障害のある人とない人の「共生社会」に向けた課題を取り上げています。
ゴールボールのメダリスト、浦田理恵氏へのインタビュー記事。

仕事帰りなど、音響式信号機が夜鳴っていない時間帯に不安がないといえばウソになるが、道路を渡る時には、足音や他の音を聞きながら渡るため、(浦田氏は)危険な目に遭ったことはない。
アスリートなりに音への意識が高いので、横断歩道を離れてしまうことはないが、そういう視覚障害者ばかりではない。音響式信号機が稼働していない場所で、横断歩道から大きく離れた体験をした視覚障害者もいる。
稼働時間制限の主な理由は、近隣住民からの苦情が多い。視覚障害者にとって音は必要な情報であるが、一方で現在の街中には音があふれているのも事実。お互いが歩み寄れる妥協点が必要。
海外で白杖を使っていると、知らない人でもどんどん声をかけてくれる。印象的だったのは、「骨折してリハビリ中」だった人が「遅いけど、一緒に行こうか?」と言ってくれたこと。
障害がある子どもとない子どもが一緒にいる空間が増えたら、互いの価値観が広がるように思う。

https://mainichi.jp/articles/20210316/ddp/005/070/002000c

音響式信号機を巡る立場の違いは、一律で埋められるものではないと思います。静寂を求めるいわゆる健聴者、音が道しるべとなっている盲者、どちらも広い意味で「人権」でありながら、その指し示す内容は異なるため、この時点で議論を続けたとしても平行線をたどるばかりだろう。
少なくとも、その設置を巡る議論においては、抽象度を一つあげて「目的」で考える必要は感じました。「音響式信号機の是非」ではなく「夜間眠りを妨げられないこと」と「横断歩道を安全に渡ることができること」という問いに読み替えて交点はないか、あるいは本質を外さず、他の問いに置き換えることはできないかどうか、この点での議論は必要だろう。

音響信号機に関するQ&A
https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/seibi2/annzen-shisetu/hyoushiki-shingouki/onkyou.html
(警視庁Web)

車いすの不便さを体感 毎日小学生新聞 210305

 毎日小学生新聞 2021年3月5日付1面

「車いすの不便さを体感」(五十嵐朋子)

東京都内で、車いす利用者の生活体験を目的としたレストランが企画されました。
天井が低い、いすがない。「介助なしで来るなんてすごい!」と褒められる。
この店は、「車いす非ユーザー」=「二足歩行障害の人」として少数派(マイノリティ)とみなし、「バリアフルレストラン」としています。車いす利用者の「あるある」を逆転させて作ったとのことです。
二足歩行者が、このレストランで不便だった理由は?二足歩行だからか?天井が低いからか? A天井が低い、でしょう。
障害は周りの環境が作っている、ということを実感できる企画でした。今後もイベントなどで出店されるそうです。

https://mainichi.jp/maisho/articles/20210305/kei/00s/00s/016000c

この記事は、読ませる内容なのだけれども、企画が秀逸だと思う。
近所でこのイベントがあったら、行ってみたい。
世の中は、いわゆる「健康な人」を想定して作られている、とうことを日々感じるところです。
しかしながら、「いつの間にか、自分を社会に合わせようとする」意識が先立ち、意識的に行動してしまう自分がいます。
既に、思考が「健康な人」幻想に憑りつかれ、社会とつながっていることを知らされる記事といえます。
想像力を働かせることでしか理解のきっかけはつかめないのですが、謙虚に学ぶことしかないのだと思いました。

田代まさし、北村ヂン漫画『マーシーの薬物リハビリ日記』アース・スターエンタテイメント、2015年。

 ・タレント田代まさしさんの自著。薬物問題に関して、自身の経験から語っている。

・「薬物許さん」は変わらない。当事者の薬物使用の背景は、個人因子だけではないことについては、改めて知らされた。

・サバイブしても、これでもかこれでもかと襲ってくるのが薬物の怖さ。

・快楽が半端ない、ケタ外れであることに加え、そういう雰囲気が仲間を呼び寄せてしまう構造がある、と読むのが筋だろう。

・互いに互いを欲してしまい、相互補完(依存)が成立しているのが、社会的な構造上の問題。

・身体だけでなく、人間関係を壊すのが、薬物問題の本質に近いところにある問題といえる。

・人間関係を壊しまくった後に、その人-薬物の社会的な依存関係が成立する。人間関係を構築するための頭の容量がなくなってしまう、のだろう。これが肉体的な破壊。

・近年、再度逮捕されてしまったが、塀から出てきて、またマスで語ってほしい、と思う。それが救いになる人がいると思うので。


好感が持てる話題かどうか

ちょっと気づいたこと。

 漫才のネタで「男って○○じゃん」って、バカバカしい行動を話題にして笑いをとるというものがあります。結構好きなものが多いのですが、不思議なことに「女って○○じゃん」になると、好き嫌いが分かれてしまう。一般的にうけているネタであっても、全く笑えないこともある。なぜなのかとしばらく考えていたのだけれども、ちょっときっかけになることがあった。

 ここのところ、人間関係がギクシャクすることがいくつかある。理由が分かるもの、わからないもの様々です。あるいは、理由は分かるのだけれども、なぜそうなってしまうのかということまでは分かりかねる、というものまで様々。人間ってただでさえ難しいのに、それが関係になるともうどうしようもない。相手があることは、自分の力ではどうにもならないことも少なくない。なるべく人に不快感を与えないよう努力して、あとはなるようになるしかない。大人な対応ができているのであれば、あとは相性の問題か分かっていてわざとやられているわけだから、それは嵐が去るのを待つしかない。

 それで、何が違うのかということ。それは、話題の対象が人なのか出来事なのか、ということが大きい。難しいところであるのだけれども、テキスト上話題が「ある人」になるわけだけれども、そのメッセージが「その人の属性」なのか「起こった出来事」なのか、ということで随分好感度が変わってくる。例えば、「Bさんそこでマンガみたいに転んだんだよ~」と言った時に、笑う対象がBさんそのものなのか、転んだことなのか、ということ。前者の場合はさらに2つに分かれて、そこにBさんを見下す意味があるかないかが問われる。見下す意味が感じられた時に、私は受け入れらず冷めてしまう。

 人の話を聞かない人、世界が広がった思春期頃の子、笑いをとろうと必死な人など、そこに好感を感じられるかどうかは、割とこのあたりにあるんじゃないかなと思いました。

2021年5月2日日曜日

齋藤孝『アウトプットする力 -「話す」「書く」「発信する」が劇的に成長する85の方法』ダイヤモンド社、2020年。

  自分が学んだこと、考えたことを「アウトプットする」(何らかの方法で表出する。ほとんどは「話す」か「書く」か)ことで、記憶が定着したり、理解が深まったりする、ということは実感している。だから、こんな風に読んだ本の記録をとっていたりするわけです。

 本書はモニターのプレゼントでもらった本なので、軽く読めるビジネス書だと思って手にしたのだけれども、コラムのような短い単元がまとまって一冊になっている書籍。そのテーマは「アウトプット」に関する考え方から、具体的な方法、そのコツや効果まで、筆者の考えがまとめられている。もちろん、研究者レベルの根拠も添えられているので、軽く読めて勉強になる一冊といえる。

 もっとも自分に影響があったのは、アウトプット:インプット=9:1でいい、むしろ成果を最大化するのであれば、この比率!と言い切っているところである(38ページから)。これはただただ人に話す、書き綴るということも含めつつ「アウトプットを意識したインプットをすることが最も成果があがる」という、知識・思考の心構えを説く本著の核となる部分といえる。

2021年5月1日土曜日

母からもらった腎臓 -生体肝移植を経験して15- 毎日新聞 210317

連載「母からもらった腎臓 -生体肝移植を経験して15-」

毎日新聞 2021年3月17日 22面(埼玉)


この連載、非常に読ませます。

障害福祉の窓口をやっていて、透析患者さんに会うと「おだいじに」とはいいながら、元気な方とお会いする機会がある。また、雇用支援に携わっていた時は「透析が面倒なんだよね」と言える方々と出会うことが多かった。

そんな方々を見ると「透析の技術も上がっているのだな」と短絡的に考えてしまいがちなのだが、実際に透析導入となる方のしんどさ、苦しみ、苦悩というのはそんなものの比ではないのだなと気づかされる。

いや、こういう経験を経て今目の前にいるのかもしれない。そうなると、やはり一人一人に歴史があるという私の相談支援の矜持にもつながってくる。


https://mainichi.jp/articles/20210108/ddl/k19/040/134000c