2011年3月8日火曜日

衝突が生み出すもの

半年くらい前に、シーシェパードが、日本の調査捕鯨について批判的な立場をとっており、その活動を妨害しているという報道を見聞きした。

報道については、私自身思うところもあるので、いつも一歩ひいて見てしまうのですが、率直に何でこうなっちゃうのかなーと思っていました。
この妨害(と思われる、調査船舶に対する衝突等の行動)を支持する人は、彼らの行動に同調する人「だけ」だっていうことは、ちょっと相手の立場、傍観者の立場になればわかりそうなものなのに、そうしない。
本当にこうした行動しか方法はないのかということについて、疑問を持つ人が組織にはいなかったのだろうかと考えてしまう。

皮肉なことに、生物多様性を本気で考えている(だろう)人たちが、実は「(考え方の)多様性を認めない」人たちの一部だったりするのではないかと思ってしまうわけです。
私は、人類皆兄弟のような理想的なものの考え方ができずに、超現実的に泥にまみれる現場の人間なので、余計にこういうことを考えるのかもしれません。
降りかかる火の粉は払います。でも、衝突しようとぶつかってくる人にも、何らかの理由があるわけで、その理屈をお互いが理解できたなら、少なくともお互いの立場を踏まえた落としどころが見つけられるのではないかと思って、日々の仕事に向かっています。仕事だけでなく、もちろん生き方もそれに近づこうと悪戦苦闘する毎日です。

そんな風に考えると、善悪の二項対立は、次の「何か」を生み出すことなく、お互いに負のイメージしか残さないのではないかと。
そして、お互いの負のイメージが何を生み出すかというと、お互いの「無関心」になってしまうのだと思います。