2011年3月21日月曜日

言葉を紡ぎ、共に変わっていく

最近、Facebookと同じ内容を投稿していますが、この記事はブログのみの公開です。ここのところのまとめです。

私が修士論文の主要文献として取り上げた、森岡正博『無痛文明論』では、現実に押し流されそうになる自分が戦うための方法として「転轍(てんてつ)」という言葉を用いて説明しています。

ある制度、あるコミュニティ、ある組織と戦う方法について、それらを力・武力によって「衝突する」「叩き潰す」やり方がある一方で、ストライキや集会など「耐える」やり方もある。「転轍」とは、上記とはことなる戦い方の一つです。

転轍の元々の意味は、電車のポイント(分岐機)を操作(切り替える)すること。
森岡氏の説明では、世の中の大きな流れに乗りながら、ある場所・時間にその方向を内側から変えていくといったイメージが描かれています(無痛化への抵抗手段として)。

このところ、北陸・関東大地震のことがあり、関連して福島原発の状況から全国各地の原発に対する言論などが活発となった背景から、余計にこの「転轍」を強くイメージするようになりました。

何事も、わかりやすい対立軸を作って批判することは簡単です。二項対立構造を作って論じて、反対だの賛成だの言っているのは、言論の切れ味のよさだけが問われるのですが、そこに安住してしまうと真の問いに気づきにくくなってしまうのではないかと思います。
正確に言えば、「相手の論理に触れなければ、相手にならない」ということを意識して対話しなければ、人は動かない。ひいては仕組みは変わらない、と思います。
このあたりが、市民活動の立場からの発信が、しかるべきところに届かないことや、行政の発信が市民活動や民間団体の不評をかう原因なのだろうと。どちらも一生懸命なのに、語る「言葉の土俵が違う」からお互い通じない。お互いに「わからずや」と思ってしまう背景なのだと、私はとりあえず結論づけています。

私が学生だった時から、キャリアが始まった頃に身近だったNPOや市民活動、学生活動ですが、その中身にこだわっていた自分が、結局何にこだわっていたのかというと、この「対話する力」がその組織にあるかないか、ということだったのだろうと、10年前後前を振り返って整理されつつあります。おそらく当時は「駆け引き」という言葉でしか表現できていなかったと思います。

行政が動くのは、その提案に「行政的な」根拠・データが示されることであって、声の大きさやクレームの付け方ではないはずです。私が所属していた機関では、助成金によって行う事業には、必ず組織の「色」をつけて、+αの価値を持つ活動に仕上げ、地域の人たちを巻き込んでいました。
企業で言えばマーケティング、実態調査を経て、計画し実施する。報告の手を抜かないことで、事業を振り返り、次の課題が自然に立ち上がってくる。
今でこそPDCAサイクルなんて言葉が流行言葉になっていますが、そんな言葉が生まれる前から「当たり前のことを当たり前にやる」ための仕組みができていたのだと思います。
だから、本物だと肌で感じたし、「事業体」と言われても、感覚で理解していたように思います。今でも私の原点はここにあるように思います。

ここまで遡ると、古い友人に言われる「何か意外なところに就職したね」という言葉にも冷静に、そして何より自分自身が働き続ける理由にマイナス要素がなくなります。
すなわち、今後自分のキャリアがどうなるかわからないけれども、今の組織にいるならばそれでやることはいくらでもあるし、万に一つ組織を出たとしても行政との対話ができるようなスキルを身につけておかなければ、いくら具体的なスキルを身につけたとしても、私が今この組織にいる意味というのは半減してしまうのだろうと思います。

「組織に染まる」という言葉は、ともすればあまりいい意味で使われないのですが、自分の中に存在するカウンターパートを意識しつつ「染まる」ことは、結局は自分の市場価値を高めるのだろうと考えたところです。
組織と共に変わっていく自分を、どこまでも追跡しつつ、目の前に機会があるのなら「転轍」することを恐れず、内側から変わっていくための存在になっていくことが、実は一番インパクトのある戦い方なのではないかと。
また、何らかの理由で組織を離れたとしても、組織の外からでも組織と対等に対話ができるようになることが、私の当面の課題なのだろうと思い至りました。

この半年の総括であり、当面の自分のキャリアのベクトルになりそうです。

あー、スッキリした。
また、英語にも挑戦していきます。