2024年2月17日土曜日

身体の栄養、頭の栄養 再び 240216

  私にとっての観光というのは、名所で感動することとは少し違って、新しい土地をとにかく歩くこと、なのだと気づく。行った先々で、名所をつないで、いわゆる「いいところ」を巡るのも悪くはないが、要所とは違う移動中に結構面白いものがあったり、思わぬ感動に見舞われたりすることが多い。結局思い出になるのって、名所で撮った写真じゃなくて、途中で買い食いしたこととか、ちょっと立ち寄った場所にあった社とか、そういうものだったりする。そんな細かな思い出が頭に詰まっているので、どうにも一緒に行った人とは話題が合わなかったりということも少なくない。まぁ、それはそれ、これはこれ。

 年末に、雑事に、時間に追われずいい飯食った、という話題を書いたが、再び似たようなことをしてみた。同じ街だけど、巡る場所を少しずらして、でもご飯は一緒の店で。満足感が半端ないんだけど、とはいえ、行った場所で名所と呼ばれるようなところは一カ所だけ。後は美術館とか、小高い丘とか、そんな感じ。休みをとって、ウチでぐだぐだごろごろしているよりも、よっぽどリフレッシュになる。とはいえ、ここまでで歩数計が23,000歩を超えているので、身体はそれなりに疲れていそうだが。

 「旅のスタイル」なんて言うと大げさだし、たかが数回やっただけで何をそう語るわけではないけれども、「ここ」と決めた街の駅に降りたら、観光案内みたいなパンフレットを手にとり、その中から1,2カ所選んで歩いて行ってみる。一日楽しむなら、もうこれで充分だ。以前、旅行に行った先でやったことだが、とかく家族には不評である。というか「なんでそんなところへ行くの?」みたいな質問がとぶので、そういう面倒はカットして、1~2時間一人で散策する。これがいい。街も同じようにやってみたら、これがまた面白い。歩く道すがら、買い食いしてみたり、普段目に留めないような看板を読み込んでみたり、目立たない史跡に立ち寄ってみたり。頭と身体を使うことが、結果としてリフレッシュになる、というのは、私という人間の特徴なんだな、と改めて実感させられる。結局、出不精だったり、時々人と会うのがすごく億劫になる「病気」の原因は、こういう身近なことで充分楽しんでいられる性格も手伝っているのかな。まぁ、「病気」の方は、それだけじゃないのだろうけど。

 超繁忙になる前に、繁忙中だけれども、戦線を外れてお休みしてみた感想です。たまにはこういうこともやっておかないと、今年は心から、気持ちからやられてしまいそうなので。来週からまたがんばろうっと。

2024年2月10日土曜日

関心とか無関心とか、コメントはコメント

 インターネットでニュースを見るのは、何か気になることがあったときくらいだから、記事が見つかったら、やることやっておしまい、という使い方ゆえ、コメントに目を通す、なんてことはないわけです。

 それでなくても、ブログでもSNSでも、コメントでいい思いをしたことなんかほとんどないので、そういうものからは極力距離をとっています。私の情報収集は今でも新聞と雑誌だったりします。「情報が偏る」とか言われても、そもそも「何かの立場によって編集された情報」ということを念頭におけば、自分で考えるための材料になる、Iyokiyehaはそういうものだと思っています。で、私の情報網には引っかかってこなかったもので、ウチのカミさんがわざわざ教えてくれた記事なんですが、まぁ今年度の私に直結するものなので、記録を兼ねてリンクだけ。

 個人的にはいろいろあるんだけどさ、個人にどうこう、遺族にどうこう、外野があーだこーだ、公共空間で適当なコメントつけるのもどうなんだろうと思う。まぁ、あれか。ある出来事に対して、不特定多数の人たちのごく一部がどう感じているのか、ということを知る空間だと思っておけばいいのか。

https://x.gd/LqYBn

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年休・新所沢パルコ再び 240209

  職場の新年会の日だが、病気が出た。お休みをとって、久々に妻と過ごす。午前中は家事を片付け、庭と竿地の雪を片付ける。

 昼食には「うな長」のうな重特上をいただく。地元の人はだいたいみんな知っている。うなぎの味もさることながら、ここはとにかく雰囲気がいい。ご夫婦の人柄だろうか。付け合わせの漬物も肝吸もやさしい味で、丁寧な仕事が食事から垣間見える。お二人の人柄も相まって、地味に静かに最上の時間を過ごすことができる。

 うなぎに舌鼓を打ち、ヤオコーで買い物して一度帰宅。一休みして、近所へ買い物。日常品を買って帰宅。

 次女のギター教室の送り迎えで、新所沢パルコへ。閉店セールが本格化しており、店内も商品が減っている。お目当てのリュックは安くなっていないので購入せず。それもまたよし。スタバで時間をつぶしつつ。教室が終わるのを待つ。隣の席で、夫婦と未就学児の兄弟が騒いでいる。金切り声はちょいとNo Thank youだけど、まぁ多少騒いでもいいじゃないか。穏やかな心持ちで過ごせる空間。店舗建物は今月末で閉店となり、跡地にはおそらく高層マンションが建つらしい。前の市長が開発会社に商業施設を設置することの申し入れをしたようで、その後本件は情報クローズになっているのだけれども、とはいえ新しく商業施設がやってくることはないだろう。所沢市民になってから、ずっとお世話になっているのだから、ちょっと感傷的になってしまうとはいえ、この街だって変化し続けていることを鑑みれば、それは至極自然なこと。新しい街の姿は、新しいことが生まれて、変わっていくのだろう。

 とはいえ、目下ちょっと困るのは、身近な無印良品がなくなっちゃうことと、映画を観に行くのに、どこへ行けばいいのかな~ということ。本屋さんは近所に新しくできたけど、他の店舗は、近所に移転しないからなぁ。新所沢の中心の一つがぽっかりしてしまう感じは否めない。

要求の矛先

  今の職場のこの時期は、いろんな問い合わせが殺到する時期。お問い合わせなら上品に聞こえ、要求となると広義のクレームカテゴリーに入ってくる。申請が希望通りにならないのだから、不満前提の対応になるのだけれども、ここで言うことが「動かせること」と「動かせないこと」に分かれてくる。前者は折り合いをつけられるが、後者は言ってもムダであって、時間の浪費と同格になる。対応としても、質問レベルならどちらも丁寧に扱うが、そうでない場合には、前者は丁寧に、後者は塩対応になりがちである。「訴えるぞ」とか「名前覚えたよ」とか言われることもしばしば。なんだかなぁ、と思う。

 そもそも、分からないことを質問して、分かった上で希望を要求する、というのが申請の仕組みである。それを適切に受理して、適切に処理して、適切に結果が出る。この一部にでも当方にミステイクがあるのならば、それは謝罪してすぐにやり直すか、救済措置を考えるかの判断になる。でも当方にミステイクがないのならば、それはどんなに強い口調で、どんなに法的知識があったとしても、どんなに面倒な手続きを踏ませたとて、結論を覆すわけにはいかない。他の申請者との整合性がつかないことはやるべきではない。

 加えて、「上を出せ」的な問い合わせに対して、対応を変わったところで、「どうにもできないこと」カテゴリーの場合には、どんなに泣きつかれたとしても、できないものはできないのである。先日、その人が所属する会社の決定判断に、ウチの書類が必要だから、締め切りと手続きの終わっているものの申請書を出したいとのこと。受理できない。受理できない以上、書類作成もできない。こちらが正規の手続きを曲げる必要はないし、それによってできない証明を出すこともできない。「そんなこともできないんですか?」「助けてくれるところなんじゃないですか」とか散々言われましたが、これは矛先が違う話であって、譲歩は決定を下すところに行うのが筋ではないですか?という対応をせざるをえなかった。会社が必要だというから、会社の決定に使うから。それをなぜウチがルールをねじまげなきゃいけないんですか?それは決定権者が譲歩するべきであって、こちらが譲歩することはない。そんな押し問答を1時間くらい。矛先が自分に向いていない出来事に巻き込まれてほぼ1時間。こうなると、時間の無駄である。

 強い口調で言われると、つい、焦って「何とかしなきゃ」と思ってしまいがちだけど、実際には「何もしなくていい」選択肢があるってことを知っておいた方がいい。

新所沢パルコにて 240123

  妻が病院で検査を受けている間、来月で閉店する新所沢パルコのスターバックスで時間をつぶす。自分で時間を決めているわけではなく、待ち時間なのでぼんやり過ごすことができる。オーディオブックで小説を聴きながら、人の行き交う様子を眺めることができる。おしゃべりに興じる婦人、若い女性たち、カップル。いろんな人が行き交う向こうに、ベンチで穏やかにかけている老夫婦。その老夫婦が子連れのお母さんに声をかける。些細なことだけど、心穏やかになる瞬間って、壮大なダイナミズムの中だけじゃなくて、ごく身近な生活の中にも、確かにちりばめられていて、一つ一つがその瞬間の営みとして存在するのだなと、当たり前のことだけど、改めて感じた時間でした。

 そんな日常の店舗も、来月で店じまいとなると、ちょっと感慨深い。所沢に住んで以来、ずっとなんだかんだでお世話になってきたからな。ホントお世話になりました。

病気がでた 240120

  昨晩は職場の新年会。管理職中心のところに、係長級が声をかけられるという集まり。正直この手の集まりは苦手である。もう一つ付け加えると、職場の集まりというものは基本的に苦手である。今の面子がどうこうというわけではなく、そもそも苦手、という話だ。

体調不良 240103

  起床後、朝のおつとめをしていたところ、急に気分が悪くなり、横になった後、吐き気がしてお手洗いにて嘔吐。驚く。発熱なし、体調不良感もなく、まぁ昨晩の鍋で最後肉をたいらげたことの後遺症であると一旦結論づける。それくらいしか心当たりがない。その後、さすがにジョギングはやめておこうとウォーキングに出かけるが、途中から身体が重くなり、帰宅間近ではめまいがするほど。朝風呂を浴びると、めまいがひどくなって余計に気持ち悪くなる始末。さすがに吐くものがないので、特に被害はないものの、そんな調子なので午前中は寝込んでいた。何の体調不良だろうなぁと思うけれども、悩んでもしょうがないので、やっぱり胃もたれと、偏頭痛のひどいものの影響としておく。明日以降も続くなら受診しないといかんな。

 昨年末くらいから、よくわからん体調不良がちょくちょく起こる。秋口からは、髪を切りに行って頭皮の異常を指摘される始末。髪型整えに行っているのに、健康状態までチェックしてくれる美容院はありがたい限りである。わかっていて、知らされて、それでも実をひく選択肢がないのが今の職場状況でもある。自分で覚悟したのだから、今年度あと3ヶ月は何とか逃げ切ろうと思うが、来年度「フツーの」補充がなければ、多分緊張感の緩みとともに、一気に体調にでるだろうな。そんな不安はある。

 とはいっても、自分の身体は自分で守らねばならぬ、ということで、職場なんかよりも、自分をきちんと第一に据えて動かないといかんなと思う年始でした。何か世の中はいろいろありすぎて、新年早々情報を絞り込んでいるところですが、そんな風にも実を守りながら何とかやっていかんといかんな。

元旦に思う

  2024年初日。昨晩飲酒した上、紅白歌合戦をなんとなく最後までラジオで聴いていたこともあり、寝坊。午前7時前に目を覚ます。そういえば、昨晩は床についてからやけに肩の痛みが気になり、何時間もまどろんでいた感じがあった。なんとなく寝付けず。

 普段、休みの日の朝の時間は一人で起きて、朝の家事を一通りやって、ちょっと日記をつけて、時間があったら少し読書して、ジョギングかウォーキングにでかける、というのが日課なのですが、今日は「元旦ランニング」なるイベントに長男が出かけるということで、(私は放っておけばいいと言ったのだけれども)行く前に朝食を食べたいとか言い出す息子のために準備するというカミさんを起こすことになる。長男は起きず。私は朝のおつとめを済ませてジョギングへ。私はジョギング中は何も聴かないスタイルなので、ひたすらに走る走る。途中、近所の神社・神明社に寄ろうと思ったのだけれども、人がひっきりなしに出てくるので、通過。西新井の熊野神社でお参り。航空公園で元旦ランニングの参加者と思われる一団を横目に(息子がいないことを確認し)、公園を抜け、国立リハの敷地内を横切って走る。夜勤明けと思われる職員さんから「お疲れさま~」と声をかけられ、いい気分になる。帰宅すると、息子が朝食を摂っているのを見て「あらまぁ」と思ったことが口に出てしまう。我ながら余計なこと。ひとっ風呂浴びて、朝食。昨日、カミさんが思い立って作ったおせち(の一部)とお煮染めに舌鼓。朝食後はのんびり洗濯物を干して、だらだらして昼食。手抜きカップ麺。適当に食べた後、靴を磨いて、お参りにでも行こうと外出。こども達はもうついてこないが、一人は一人で気楽なので、てくてく。近所のお店がいつまで休みなのか確認しつつ、愛宕神社へ行くも初詣と思われる人達の行列が保育園の知覚まで伸びていることに驚き、通過。次女が食べたいと言っていた所沢団子を求めて、神明社の麓にある武蔵屋さんの前まで行ってみるが、6日までお休み。想定範囲。再び神明社へ。人の多さに驚く。中会談から上って、そのまま鳥居の方へ降りる。降りたところに新市長。いろいろ考える。行列は旧庁舎の向こうまで伸びていて、これはこれでびっくり。何もできていないものの、心だけ穏やかになって岐路へ。途中、なんとなく福袋的なものが買いたくなって、コンビニとかウエルシアさんとか寄ってみるが、なんかピンとこない。エミールさんに「福袋」の文字が見えたのでお店の前まで行くけれども、「売り切れ」と貼り紙、残念。帰宅すると、空気のこもった感じの居間で息子が大音量でなんかアニメを観ているので、自分のスペースへ。いろんなことに考えを巡らせ、今年は音声配信なんかができるようになったらいいなぁ、なんて漠然と考える。入浴、夕食を摂って片付けて今に至る。

 普段、元旦に自宅にいることがないので、ふらふらと近所を散歩してみたのだけれども、実家や親類宅で過ごしている人は、今でも初詣って行くのだな、という実感を得て、なんとなく心穏やかになる。それでいいですかね、そんな日があってもいいじゃない。