2015年8月30日日曜日

職業リハビリテーション学会メモ

職業リハビリテーション学会 8/22,23

雑駁なメモですが公開します。

○研修基礎講座A「研究における倫理に関する考え方」
 愛知県立大学 吉川雅博

・大学では不正防止の研修会を開催している。
・大学関係者にとってはホットな話題である。
・看護学部(医療関係)は厳しい。看護学部の基準で考えられてしまう現状。
・不正が絶えない。守るべきことは守るべき。

・新たな「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」
・日本介護福祉学会の研究倫理指針(改訂予定)。
・看護と福祉(就労支援の現場)とでは考え方が異なるものの、研究倫理を考える上で参考になる。(レジュメ・Web参照)
・記載事項は当たり前のことばかり。内容に目新しさはない。
・インフォームドコンセントは口頭ではなく書面で確認する。
・(知的障害者であっても)本人の了解を得るのが原則。
・どれだけ変なことを考えてると思っていても、3人くらいは同じことを考える人がいる(先行研究について)。
・先行研究の知見と自分の知見とを区別して述べる必要がある。
・引用は原典を原則とする。原典が入手できない場合等のみ「孫引き」が許される。
・盗用と「ひょうせつ」。他者の行った研究成果をそのまま、あるいは僅かに変えただけで自分の論文に使用した場合。糾弾・告発される行為である。
・匿名性の確保。対象者を特定できないように匿名化する。介護過程、内容のリアリティを損なうことがない程度に事例を加工して用いる。加工している場合にはその旨を明示する。
・事例使用の場合は、当事者から文書で承諾を得ることを原則とする。
・調査研究と実践研究とでは手法が異なる。調査研究は統計処理により結果がでる「つもり」になってしまうので、注意が必要。
・改竄・捏造:代表的なデータのみを示す場合には、その選択の客観的な基準を明示する。


○基調講演
 厚生労働省事務次官
 村木厚子
・障害者雇用支援法3条、5条の面白さ。昭和35年から変わらない条文。
・障害者雇用率は「宿題」の制度。
・法定雇用率の算出に関して、失業障害者が増えれば雇用率は上昇する(分子に入る障害者数は「失業している」者。


○教育ワークショップ5
 企業の勘所を理解するために
 就労支援で必要な労務管理の基礎を学ぶ
 白矢桂子(社会保険労務士)
 眞保智子(法政大学)コーディネーター
・社会保険労務士としてではなく、企業の人事担当者としての立場で話をする。
・労働法、労務管理について。「ざっくりわかる」内容。
・障害者雇用対策における雇用義務。2010年4月~200人超、2015年7月~100人超。
・企業従業員規模別企業数(総務省・経済産業省 経済センサス2012年)
 100-299人規模  1%
 300-  人規模 0.4%
・100人前後規模の企業は本当に中小企業。
・厚生労働白書「若者の意識を探る」より。働く目的の変化。
※価値観の多様化ではないか?
・人事の仕事とは?「労政時報」
 仕事は多岐に渡る。すべてわかっている人はまれ。
 人事マネジメントは企業における経営機能の一部である。したがって、人材マネジメントは経営に資することが求められる。
・労働法とは総称。労働三法とは、労働組合法・労働基準法・労働関係調整法。
・要となるのは労働基準法。1947年。
・労基法で保護すべき人は、年少者と妊産婦。障害者は別の法律。労基法の基準は最低のもの。
・「給与支払いの5原則」。「ノーワークノーペイ」、働いた分だけ支払うのが会社の考え方。
・労務管理について。
 就業規則=労務管理の根幹。経営者と従業員の間の無用な争いを未然に防ぐもの。あらかじめ労働時間や賃金をはじめ、人事・服務規律など、労働者の労働条件や待遇の基準を定める。
・絶対的必要記載事項=労働時間関係、賃金関係、退職関係。
・相対的必要記載事項=退職手当関係、臨時の賃金・最低賃金額関係、費用負担関係、安全衛生関係他。会社によって定めることができる。就業規則や契約書に記載したら効力が発揮される。
・常時10人以上の労働者を使用する事業場において、これを作成し、所轄労働基準監督署長に届け出る。(変更の場合も同様)
・企業単位ではなく、事業場単位で作成。
・共通するものはあまりなく、法律に従ってさえいれば各会社が自由に設定できる。(儲かる会社の源泉であることも多い。なかなか開示はされないもの)他者の就業規則をそのまま使う、厚労省などの雛形をそのまま使う、などの方法もある。
・労働者の過半数で組織する労働組合か、労働者の過半数を代表する者の意見を記し、記名押印のある書面(意見書)を添付する。
・労働者がいつでも見られる場所に設置する。電子媒体可。
・人事としては、働きやすい環境を作る、能力を発揮できる環境を作る視点とともに、有能な人材に如何にきてもらうか保護するかという視点で考える。また、がんばらない人にどのように退場してもらうか。
・「試用期間」は法的には2週間。就業規則に「三ヶ月」と記載があっても、法が優先される。
・退職に関して円満退職にあたり、1~2ヶ月の猶予が推奨される。
・一般的な労務管理のキーワード。
 営利目的
 No work No payのルール
 就業規則=労務管理の根幹であり、利益の源泉

・『仕事の経済学』小池和男2005より
 仕事はもちろん
 人生の一部にすぎないが
 まことに重要な一部であり
 人生におよぼす仕事の影響は
 計り知れないほど深い
・『たとえぼくに明日はなくとも』石川正一1973より
 もしも人間の生きる価値が
 社会に役立つことで決まるなら
 ぼくたちには
 生きる価値も権利もない
 しかし どんな人間にも差別なく
 生きる価値があるのなら
 それは 何によるのだろうか
・障害があっても働きやすい会社になると、部署全体の生産性があがる。障害者雇用は「会社が儲かるため」のしくみづくりにつながっている。会社は人を高める場所。

・障害者の労務管理について、実践は進んでいても研究が進んでいない。
・知的障害者の能力が「伸びる」という発想。
・「短時間労働を命じることがある」の一文を入れておく。従来の就業規則を援用できる。
・個別的人事管理の方が生産性が高まるのではないか?(眞保)「個別化」
・合理的配慮(理にかなった、一般の人が聞いておかしくない範囲)を採用段階から取り組んできた実践報告を発表予定。支援者が当事者の尊厳を守って提案していく役割を担うことになる。役割は重要。
・試用期間二週間以内ならば、同意のみで契約解消可。二週間を超えた場合は解雇の手続きとなる。30日分の給与支払いを取り付け退職する。
・障害者のパフォーマンス向上のために人事ができること。IDを腕章化する案について「他の従業員と同じがいい」という返答。配慮の内容が必ず正しいわけではない。その人が望んでいることを明らかにして、できることとそうでないことを整理する。できることに取り組む。
・辞めたい本人と辞めさせたくない親と何とかしたい担当者。会社としては儲かるかどうか。損益計算書に良い影響があるか?労働法上は指導を重ねた上でなければ辞めさせられないが、その人が戦力になることにより会社は更なる利益が得られると思う。
・できないと思うことこそ、儲けの源泉となりうる。


第6分科会
○海老田大五朗
・エスノメソトロジーとは、相互作用を明らかにする研究法。
・「現場でやっていること」を言語化する。概念を明らかにして説明力があがるのではないか。暗黙地、経験値を言語化する。
・今後は、デザイン・調整の部分。ある実践や研究を自分に取り込む時に、そのままでは取り込めない部分。

○牧裕夫
・「試行錯誤」は排除すべきものとしてとらえられがち。失敗は少ない方がいいとされることへの疑問。
・常に逐次的な相互作用が発生している。
・研究で取り上げられないやりとり。
・「存在のおもしろみ(和気藹々)」に支援者の「真の挑戦(牧さんの挑戦)」が加わることにより、「個人の成長」が促される。(E・ライアン)
・目標達成されなかったときに「希望」があるか。希望の共有がされているか、支援者が真の挑戦をしているか。
・評価・計画・目標達成と併せて現場の可能性は、共有と結果。
・拍手の教えかた。状況論。行動だけを切り取るのではなく、状況に基づく結果(よかった、楽しい、を伝える。グルーヴ)
・改善は螺旋型。マックロリー

○山田
・タブレット端末を使った喫茶サービス。


○シンポジウム
(小川)
・支援の増加に対する人員の増加が認められるが、十分かどうかは未整理。
・研修や経験が蓄積される仕組みは乏しい。
・現在行われている研修が現状に合っているか?
・職業リハビリテーションや就労支援の専門性をどのようにとらえるかに関する議論が不足しているのではないか。
(野崎)
・専門職としての知識・経験に加え、地域住民として地域
に接近する力が求められる。
・一緒にまちの課題に向き合い、「周辺」に参加し続けること。参加の方法は様々。
・仕事を作り出す、地方型の就労支援。
(千田)
・増え続ける求人にどう対応するか。
・地域に暮らしている人の視点が不可欠。
・就労支援員でありながら、生活支援・個別面談が優先されてしまう現状。
・医療と就労支援のそれぞれの意見を「すりあわせる」ことが必要。
・医療からは「環境」がわからない。環境との相互作用を理解したい。介入できない。就労支援に期待するものの、思い通りにならない。
・孤独に仕事をすると、独りよがりになりがち。
・協働・連携になっているか。立場の違いから、方針が完全に共有されることはあまりないはず。それを超えていくことが必要だと思うが。
・「流れ」に乗っていれば、何となく仕事が済んでしまう現状と不全感の蔓延。
○井口修一
・リソースを成果につなげる、人材育成の順番が入れ替わった。人材育成が優先。
・社会的な役割、資格・教育システム、知識体系がある。
・基本的にはOJT。指針に沿って計画的なOJTを実施する。
(朝日)

・就労支援と職業リハビリテーションの理念をどう共有するか。整理するか。就労支援はどんな理念に基づいて行われているのか。就労支援の裾野は確実に広がっている。
・障害者に向き合う部分と、働く環境に向き合う部分、双方に対象がある。宿命。働く環境へ向かう部分が弱いのではないか。経験が不足しがちな宿命にある。
・生活支援と就労支援の連続性の中で就労支援の専門性をどう位置づけるか。
・専門性が「法制度に規定(縛られて)されすぎている」のではないか?

・就労支援の専門家って誰?広い意味では対人援助。
・専門性と非専門性の連続性(グラデーション)。忘れられるのがいいジョブコーチ。
・状況を俯瞰できる包括力。

・人材育成をどのように位置づけるか。エクスキューズでない計画的な位置づけ。
・キャリアパスの明確化。
・誰のための専門性か?

○現場の実状を確認しよう。
・略
○どんな技術が必要なのか。
・町の課題に関わること、地域に関わることは職リハなのか?→核ではないかもしれない。(野崎)
・→職リハか就労支援かという整理は不明。ただ、その人その地域でレシピ入手が就労支援とどう関わるか、という視点は必要(朝日)何が最適なのか?と考えた時には位置付くこともあるのではないか(千田)。事業が増えていてすべてできる人がいない現状もある。基本的なプロセスを押さえる必要がある。対象者に合わせてプログラムが発生する。(井口)
・職業リハビリテーションなのか、ソーシャルワーカーなのかわからないキーワード。ここでは職リハを整理する。レシピをどう位置づけるのか。周辺のような気がする。
・裾野が広がっている。グラデーションは核がなければごちゃまぜ。核は何か?(小川)
・→那須地域で働く人については核になる可能性がある。一人の対象者をどうとらえるか、という視点と関連。(野崎)実践上の整理と理論的な整理とでは異なる。実践的なことは地域により異なる。(小川)就労支援だけでなく周辺を如何にやり続けるかを考える。(野崎)
・職業評価、計画策定が基本。相談・アセスメント・計画ができて、企業にアドバイスができること。(井口)
・グラデーションは一人の対象者について、連携を通じてどのような色合いを出していくかという文脈の言葉。ILOに照らした時にも、状況に応じて柔軟に変わっていくものではあることが示唆されている。人によっては生活から入ることもある。ただし、職リハとして取り組んでいく切り口みたいなものはあるだろう。(朝日)
・相談・アセスメント・計画のプロセスは基本だと思うが、機能しているか?(小川)
・プロセスとして共有できるケースが少ないのが残念だが実際かもしれない(千田)。イメージはしているが、平行して進んでいるとその場の対応になっていることもある(野崎)。基本に忠実な支援ばかりだと物足りなさがあるかもしれない。基本を大事にするといっても、縛られないことも大切ではないか。(朝日)
・支援はある機関が全部やるというのは不可能。他機関、他職種で一緒にやったりつなげたりすることも大切。他職種で検討する機会がもっと必要か。(井口)
・否定する内容は何もないが、では連携で関わっているかというととたんに不安になるような現状もあるのではないか。(朝日)他職種で関わっていく機会はあるが、それが機能しているのか?プロセスの中で検証していく仕組みにはなっていない(小川)

○方法と技術の向上(方策)。
・専門機関の連携はそれほど多くない。支援員は少ない。あるものしか使えない。制度の継ぎ目の問題もあるが、シームレス、一体化したものが必要だが、それに向けて孤軍奮闘している。それで不安になっている。迷っている層と意識低い層それぞれどうするか(野崎)。
・アプシ(CRCの他にあるジョブコーチの協会、米国の組織)の集まりに参加。独自の資格をとっている人達の雰囲気を感じた。そういう場がほしいなと思った。互いに切磋琢磨できる場がほしい(千田)。
・中核要素を整理して研修と達成度確認を行うことで資格制度になる。(補足:小川)
・段階・対象に応じた研修制度が必要であること。機構が担うところではある。助言・援助業務の理解。(井口)
・基本プロセスを押さえる内容はどの部分か?(小川)
・レベルに応じた対外的な研修、必要な要素は網羅されている。(井口)
・流れに乗っていれば過ぎてしまうという千田さんの指摘が印象的。形式的な評価はあるが、「いい支援か」という評価はまだされていない。いい取り組みを評価する仕組みがあると、想像的な場面に向き合えるのでは?承認を受ける、評価を受ける仕組みが必要なのではないか。
○学会としてどう取り組むか
・スーパーバイザーの育成。(井口)
・ブロック理事活動で何かできるのでは?(野崎)
・スーパービジョンに関することは報告にもあがってる。本学会は学際性を基盤としており、学術性・実践性の融合を謳っている。他職種が様々に発言して、実践手法の普遍化・共有化を図り、確認していくことが必要か。資格を示すのは簡単かもしれないが、先を見据えた内容にするためには準備が必要。(朝日)
・薄まっている気がする。グラデーションの元は何か?(小川)

2015年8月18日火曜日

人という情報 ジョージ・ルーカス原案、矢野浩三郎『最後の伝令』(ヤングインディジョーンズ5)

森岡正博という学者が、ある人の「脳死」を考える時、対象となる脳死の人との関係性によって感じ方や考え方が異なることを示していた。それぞれ、一人称としての脳死、二人称としての脳死、三人称としての脳死と表現していた(『脳死の人』より)。
私が戦争を考える時、それは情報としての戦争を学び、情報としての戦争を考えることしかできない。いわゆる三人称として考えることしかできない。だから、私は「やや反戦」とまでしか言えない。徴兵制が始まるようなことになったら、一人称や二人称にもなりえるから「反戦」の立場をとるのだろうけど。

若い頃に読んだ小説を今読むと読み方が全く異なっており興味深い。『最後の伝令』はこのシリーズの中でも好きだった物語なのだけれども、当時はインディの行為が静かに格好いいとしか思わなかったのに、今ではジョッフルやニヴェル、ペタンといった指揮官の描写に大変興味をもった。
人を情報に置き換え、操作できる力(いわゆる権力)を得た時に人間の真価が問われるのだろう。第一次世界大戦におけるヴェルダンの戦いは、情報としての戦争を操作した指揮官の乏しい想像力が多数の死者を生み出したといっても過言ではないだろう。
世の中、自分の周りを見回してもむちゃくちゃがまかり通ることもしばしば。むちゃくちゃの中にあっても、誰も傷つかない、そして少し幸せがあるという選択肢を常に選んでいきたいものだ。

2015年8月14日金曜日

8月5日 浜松市内周遊

安保法制改革にはやや反対の立場をとっていますが、立場を論証できるほど情報収集をしているわけではありません。率直にどこか人事になっているところもあり複雑です。多くの日本人ができることは、戦争や戦闘に関する記述や映像から学ぶことですが、それもどんな考え方から発せられているかわからないので、本質的に物事を考えることは本当に難しいと感じているところです。

さて、夏休み2日目を振り返りますが、この日は家族で過ごしました。昼食後、浜松市科学館へ。ここは私にとっては大変懐かしいところで、プラネタリウムに入りたかったのですが、少し時間が合わず今回は断念。常設展示でいろいろと遊んできました。前進使って物理法則が体験できような展示は、子どもだけでなく大人もわくわくするような内容でした。ただ、館内がとにかく暑かった・・・
帰宅前に思いつきで全職場へ挨拶に。変わらない顔新しい顔、新旧様々でしたが、いろんな人に会えました。子ども達にとっては緊張する場だったのでしょうが、世の中のことを本気で考えて活動している大人に出会うことは、いつか何かの糧になるでしょう。

2015年8月13日木曜日

静岡行き 8月4日

「バカンス」とはフランス語で休暇を意味する言葉です。vacancesと綴りますが、(おそらく)語源としては「空っぽ、空き、茫然」といった「空いている」ことを意味するようです(英語ではvacancyという単語がある)。

さて、先週から今週の始めにかけてお休みをいただいていたのですが、その間のことを少し書き留めていきます。毎年夏休みや冬休みをとるようにしていますが、今年は特に業務のことを全く考えずに過ごすことができた一週間でした。そのために感じることもあったので、そうしたことが浮き彫りになるといいなと期待しています。

8月4日
とても暑い日でした。昼頃に静岡に着いて、昔の職場の近所にあった喫茶店へ。座席の代わりにハンモックがあってそれに揺られながらぼんやりできるお店です。軽い昼食をとり、母校へ。
学生時代に環境活動に参加していた頃に勉強会の講師を依頼したことのある稲垣先生という方が、農学部の教員として籍をおいているということで、事前に連絡をとって訪問してきました。雑草の専門家で普段は藤枝に勤務しています。私がお世話になった当時は公務員だったと記憶していますが、昨年近著が書評雑誌に掲載されたことや、ラジオ番組にゲストで出演されていたことで近況を知ったという経緯です。先生の近著はこちら→ 
稲垣先生訪問の前後には指導教官のところへ。ここ数年はほぼ毎年静岡に行くようにしているのですが、今月末に学会発表をする予定であることもあって、前半戦はまじめなスーパーバイズ、後半戦は居酒屋にて一献です。
訪問した二人に言えることは、本当の専門家に共通する「専門領域以外のことでも話題を広げて質問できる力がある」ということでした。世の中を見つめる視点がある人にはどんな分野のことであっても、自分の専門領域に引きつけつつ話題を広げられるのだということを改めて目の当たりにしました。
居酒屋仁は、10年前とほとんど変わらないまま営業していました。平日だったこともあり他のお客さんは1人だけで、いつもと変わらず一杯飲んでいい気分になったお母さんの罵声が飛び交う面白いお店でした。

大学に行くと、当時は斜に構えて世の中に矛先を向けていた自分の若さと鋭さみたいなものを思い出します。ただ、10年経った今では原点を感じ取ることができる場にもなっているような気もして、普段甘さがでている自分の弱さみたいなものも改めて感じられ、新鮮な気分になります。今は職業リハビリテーション分野で仕事していますが、普段は業務に忙殺されて忘れてしまうこともある「共生社会の実現」という理念を思い出しました。

2015年8月12日水曜日

小説の読み方

小説の読み方
暑い日が続きます。
車の運転は元々あまり好きではないため、ちょっとしたことで腹を立ててしまいがちです。若いアッパッパーのやることなんか、放っておけばいいんだけどね。

さて、特に隠していたわけではありませんが、帰省していました。いろんなところでいろんな刺激を受けてきたので、Blog復帰と併せてまた少しずつ書いていきます。

実家にて、「インディ・ジョーンズ若き日の大冒険」というシリーズの小説(全14巻)を発見しました。当時、インディ・ジョーンズが大好きで、TVシリーズを観て小説も全巻揃えたのですが、たぶん小説は好きな話を何度か読んだ程度だったのだと思います。
久しぶりに1巻から読んでいるのですが、当時はわからなかった(全く意識していなかった)時代背景がわかると、登場人物の発言に込められた歴史や当時の人々の生活様式等、いろんなことが読みとれて非常に面白い読書になっています。また、若いインディを通して描かれる迷いや葛藤、登場人物を通して描かれる人間の心情が伝わってきます。
以前読んだ小説であるはずなのに、ここまで読み方が変わってしまうというのは、自分が大人になった証拠なのでしょう。この場合、大人になるということは、知ること(学ぶこと)、経験すること、変わること、であるといえるでしょう。

2015年6月8日月曜日

コトバノチカラ

ある打ち合わせの席上、ある上司からこんな発言があった。
「あるクライアントについて、大変心配しているのでいつでも声をかけてください。手伝えることは手伝うので」

その日の夕刻、別の上司とこんなやりとりをした。
「あの(上述)の発言ってさ、お前は何も感じなかったのか?」
「どういうことですか?」
「だって、お前らじゃ頼りにならないから助けてやるよ、ってことだろ?お前らを信用していませんよって聞こえなかったか?」
「・・・あー、なるほど、そんな風にも聞こえますね。『気になっていることは事前に伝えるので声かけてくださいね』だったらもう少し正確になりますね」
「そういうこと。あいつが何でああ言ったのかはわからんけどな。他の人はどう思っているかわからんぞ」
「ちょっと気をつけておきます」

率直な意見としては「面倒くさい」ことなのですが、社会人としては大事なことを言われているなと思いながら、本音は押さえて学ばせてもらいました。
おそらく、普段何気なく発している私の言動も、聞く人が聞けば私の意図とは異なる意味で受け止める人もいるということでしょう。正式な場での発言はそれくらい気をつけろということを真摯に受け止めようと思った出来事でした。

2015年5月31日日曜日

「必要なこと」という言葉に込められたもの

Iyokiyehaは、前の職場とは今も賛助会員として関わっており、定期的にニュースレターが送られてきます。今は何か活動に参画しているわけではないけれど、一応援団として古巣の活動を見守っています。
先日送られてきたレターには、私が非常勤スタッフの時から関わっていたある事業について、撤退することが知らされていた。14年間の取り組みだったようだ。
数年前のレターにも、古巣の思いとそれを委託する行政の視点とのずれは指摘されており、当時の職場を離れている私にとっては、ある意味で興味深く客観視していて、ある意味で感情的に憤っていたりした話題でした。
今の私は行政機関に所属する立場なので、評価指標になりやすいものとそうでないもの、現場で業務にあたっていて業務の充実に役に立つ指標とそうでない指標とが混在していることにも自分なりには見えているつもりです。なので、どちらの言い分にも理はあると思ってしまい、個人内でももやもやしていたところでした。
ある対象にサービスを行うとして、そのサービスの良さを図るにはどうしたらいいだろうか?という問いに集約されます。数字として現れやすい件数や金額はその増減により評価が分かりやすいところですが、見えやすい評価にこだわるとサービスの本質を失ってしまうように思います。費用対効果が叫ばれて、どこもかしこも数値目標にがんじがらめになっています。本当に必要な指標は残してしかるべきですが、主従が逆転した数値目標(本来「結果」として見るべき数値が目標として掲げられてしまうもの)はその扱いや指標そのものについて検討を加えるべきだと思います。
今回の件も、施設は誰の何のために「ある」ものだったのか、その実現のために必要なこととは何だったのだろうか?ということを考え抜いた古巣とそれを受け止めきれなかった委託元、あるいは委託元が描いたデザインを古巣が受け止めきれなかったのかもしれません。「必要なこと、もの」とは一体何なのか?いつも頭においておかないといけないように思います。

組織における人材育成

先日、仕事で某会社を訪問した時のこと。その担当者は終始「全体のバランス感を見て悪影響があるならば(契約)更新についても考えなければならない」と言い続けた。
よくよく話を聞いてみても、当事者同士で話をするわけでもなく、自ら仕事を与えるでもなく、かといって指示を出す立場の人に何か指示を出すでもなく、ただ「他の人よりもできない」ことを理由に退職を迫ろうという意志ばかりを感じさせる人だった。しまいには「こんな(訪問対応)時間をとられるのも不本意」と言い放ったため、私は怒りを通り越して半ばあきれてしまった。
「こういう人が職場のモチベーションを下げるのだろうな」と思いつつ、何度か反撃を試みるも都度細かい事例を取り上げて話題をすり替えられてしまい、結局平行線というよりもこちらの要求は何一つ聞いてもらえないような状況の上、今後の訪問をも拒否される始末であった。
個人的にはこの会社の扱う商品は今後一切使わないと決め、知人やクライアントに紹介もしたくないわけだけれども、それ以上に組織を束ねるということはどういうことなのかということについて考えた。

人を束ねる立場におかれた時、部下の育成は自然とその人の業務の一部となる。このことはよほどの特例でない限りはどの組織においても当てはまることで、疑いのないことだろう。人材育成においては、対象となる人を評価し、指導方針を定め、必要な指導・働きかけを通じてその人の力量が発揮・向上されるように導いていくことになる。
働きかけは、明確に目標をもって実施する公式・定型なものと、あらゆる機会において非公式・非定型に行われるものと大きく二分される。例えば職場において役職のないIyokiyehaにとって後輩等の指導は主に後者にあたるといえる。基本的には、自分が担っている業務の一部または全部をやってもらえるようにするのが仕事における人材育成であるだろうし、仕事にあたる心構えや考え方を語ることも必要なことだろう。

今回私が頭にきた上記事例において、その人がクライアントに対して(適切かどうかは別にして)働きかけを行っていないことが問題であると私は感じた。さらにいえば、評価についても相対的な見方しかしておらず、結局のところ評価そのものが成り立っていない、よって人材育成を放棄しているといえる。
人のふりみて我が振り直せと言うが、まさにその通りだと感じた一件だった。

2015年5月10日日曜日

高次脳機能障害 実践的アプローチ講習会

東京高次脳機能障害協議会(TKK) 高次脳機能障害 実践的アプローチ講習会に参加してきました。
12月の会には登壇することになっているので、偵察を兼ねて勉強してきました。以下メモです。


1:
○舘野歩氏(精神神経科医師)
・易怒(いど)性、衝動性が社会生活において影響する。
・薬物療法で救われる患者も多い。
・森田療法にも取り組む。
・症状を基礎に考える。障害名ではない。

・妄想とは現実に無い内容を確信していて、訂正不能な思考である。
・一日中起こっているものなのか?
・昼間訴えはなく、夕方から夜間にかけて起こる場合には「せん妄」を疑う。器質的、身体的原因を検索する。セレネースの処方。長谷川式の日中・夕方の結果の差で判断する。
・一日中続く場合は器質的妄想性障害を疑う。セレネースとリスパダールを処方する。
・不安・易怒性の背後にうつ病が潜んでいる場合、鎮静系のうつ薬を処方する。リフレックス、パキシル、レクサプロなど。
・うつ病だと、午前中に症状(落ち込み)が強い。休日にも日内変動がみられる。ほとんど毎日かつ2週間以上、がカットオフポイント。
・不安易怒性の出現時には原因を検索する。
 日中変動(夕方に強い)はせん妄。
 持続する場合には器質性妄想性障害。
 背後にうつ病の可能性。
 それぞれに治療方針が異なる。
・行動療法は、誤った学習の結果を学習によって修正する立場をとる。
・認知療法は、認知の内容に働きかけ感情を変化させる短期の精神療法。
(森田療法)
・不安の裏側には欲求がある。
・あってよい感情をなきものとして知性で排除しようとしてしまう。自然な感情を理性で制御しようとすると不自然な状態に陥る。注意が集中してしまうことで、自律神経が緊張し、不安気分が増強する(悪化の連鎖)。
・生の欲望を発掘する。症状がよくなったら「どんなことをしたいか?」と問う。不安の裏側には生の欲望がある。不安を「あってはならないもの」としてとらえるのではなく、「自然な感情」として理解する。不安から逃げると不安は大きくなる特徴がある。不安を持ちつつ本来の自己実現をしていく。あるがまま。
・症状に固執しているエネルギーを他に向けることを得意とする療法のため、症状に興味のないケースには向かない。(例:解離性の症状など)
・作業期のプログラムでは、環境に適応することや状況をみて行動を調整することを体感する。役割の変化(後輩から先輩へ)にも取り組む。
・不安を抱えながら必要な行動をとれるようになることを治療の目標とする。症状をなくすことではない。
・症状へとらわれているエネルギーを建設的な行動に向けていくことを目標とする。
・認知を変えるのではなく、距離をとっていくACTの手法が欧米で注目されている。
・ACTでは真正面からアクセプタンスを促す。森田療法では独自の人間観を基礎に建設的な行動へと向ける。
・現状の変化を求めるのではなく、不安を抱えながら必要な行動をとれるようにしていく。森田療法の観点。
・刺激と反応の系統で考えるだけでなく、本人の「ーしたい」気持ちを引き出してみる。自発性を引き出す。
・能動性を強調している第二世代の認知行動療法ではなく、受動性と能動性をブレンドさせていくことが、患者本来の力を引き出す大切な視点ではないか。

Q&A
Q1暴言、暴力への対応。
・鎮静系の薬物療法が基本。環境を変えることも有効な場合がある。
・暴言・暴力について、何がきっかけになっているのか?抑える対応だけでなく、怒りの発散という観点で代替手段を取り入れてみる。
Q広島だと退院を促され、薬物で抑えられてしまう。他の治療法はないのか?
・程度の問題はある。初期に大量投薬して適量調整をしていく方法がある。最近では早いタイミングで外来治療へ移行する方針にはなっている。

Q2デパスへの依存が疑われる場合
・切れ味がいい分、抜けにくい。他の薬物を併せて処方し、デパスを減らしていく。

Q3せん妄など身体的理由が疑われる家族としてのアプローチは?
・通院間隔があいているのであれば、主治医とよく相談するべき。

Q4下半身不随で動けるようになりたいためリハビリ導入したが、受け入れられずにリハビリも拒否するようになってしまった。
・下半身不随が全く動かないのか?
・検査結果として下半身の神経反応は落ちている。上半身は多少回復がみられた。けい癌ワクチン?
・現在の医学で説明できないこともある。患者さんが受け入れられないものもある。受け入れることを促すのではなく、現状の中で何ができるのか?というアプローチをとれないだろうか。


2:
○山口加代子氏(臨床心理士)
・「模擬会議プログラム」の著書、参考となった。
・「心理的サポート」とは何か?意外と文献がない。

・高次脳機能障害者の8割に社会行動障害が発現している。
・病識欠如・自己意識性の障害がも、患者全体の6割程度。
・「失うもの」、変化への気づき。認知機能だけではない。
・脳損傷による二次症状にも注目する。うつ的な症状。
・家族にもストレスがある。家族支援の目的は、心理的サポートと心理教育が必要といえる。家族そのものが求めている支援と家族が本人の支援者として機能する。
(Aさんの事例)
・かなひろいで物語文が低くなるのは注意配分がうまくいかない傾向を表す。
・喚語困難と錯誤。思考の柔軟性の低下。傷病部位。
・右脳損傷により、表情の読みとり、注意の切り替えが困難になる。頭頂葉回路網の病変は、内的データを過度に信頼する傾向がある。客観的事実よりも思いこみが優先されてしまう。
・注意容量の低下により、長い説明というだけでイライラしてしまう。
・失語もあり、聞きながら考える(注意)が難しい上に、言葉の理解および表出に問題がでてしまう。
・Aさん「わかっているのに、認められない」あり。
・ステータスを下げたくない。下げられない。
・高次脳機能障害の疑似体験。ラジカセでガンガン音楽をかけながら説明をしてメモをとってもらう。伝言する。
・妻の一言「欲がある内はリハビリが進まない」。本人とぶつかってしまう。
・高次脳機能障害が家族に起こるのは「まれ」なこと。まれなことを理解できる・受け止めることができるよう、当事者・家族の認知面・感情面に配慮して伝える。

Q&A
Q1医師から「高次脳機能障害ではない」と言われてしまう事例がある。
・脳外科医が高次脳機能障害のことを知っているのは2~3割というデータがある。
・入院中にはわからなくて、社会生活でいろんなことをやってみてわかることも多い。
・リハビリテーション医療が受けられるところで、神経・心理学的検査を受けるのを勧める。

Q2家族の訴えは聞きやすいが、患者本人からの訴えを聞き出すのが大変難しいと感じる。どのように引き出すか?
・入院中は患者さん。できないことを自覚する機会がない。(左半側無視くらい)
・外来やその後の関わりの中で、簡単な失敗体験をしてもらう。かなひろいで左側が欠けたときには、欠けた部分を赤鉛筆で表し用紙をひっくり返す(気づかせる)。どんなことが起こっているか一緒に確かめてみましょう。はっきりとフィードバックしないこと。

Q314年前に頭蓋が割れて治療を受けた。意志表示できない事例、どうすればいいか。
・今後のことというと、いろんなことがある。
・言葉で伝わらないのであれば、ほかの手段(言葉以外のメッセージ)を読みとってあげること。
・楽しみ(水泳)があるということで、様々な楽しみ方を広げていく。
・たばこをやめさせたいと思うのもわかるが4本ですんでいるのは、家族と本人が折り合っているとも思える。

Q420年前に症状がでた子供について。当時は医師にも理解がなくいろいろ言われた。親が高次脳だとも言われた。信頼できる医療ケアを受けたい時にどう探せばいいか?
・嫌な思いをされればされるほど過敏になってしまう。
・いい専門家に出会いたいと思うのは自然。
・各都道府県に高次脳機能障害者支援センターが設置されえている。相談してみてはどうか?
・あるいは家族会では口コミ情報がある。そういったところを活用してみては。


3:
○森戸崇行(社会福祉士)
・制度は、あるから使うものではなく、どう暮らしたいか・どうしたいかがあって、それを実現するためにどんな制度が使えそうかと考える。
・言葉にひっかかってしまうときにはメモに「年月日」を記入する。
・相談支援:相互の話し合いによって、助力を必要とする人の問題解決を支援すること。主体は「本人」
・その人らしい生活の実現をお手伝いするのが目的。
 ○○したい、○○したいができないで困る
  →実現のために適切なサービスを導入する。
・制度には優先順位がある。
 損害賠償>業務災害補償>社会保険>社会福祉>公的扶助
 その人が制度の対象となるかどうか確認の上で情報提供する。
・社会制度が支えるのは、暮らしの一部分。
・希望する暮らしを実現するための支援や困り事から生じる必要な支援などに対しコーディネートする。

Q&A
Q1手帳取得に関して。複数取得のメリット?
・高次脳の方では、精神と身体を取得するケースがある。精神だけでは受けられないサービスについて、身体で受けられることもある。
・療育と精神では制度的なメリットはない。ただし、18歳未満の時に療育対象だったことを証明することだったり、本人が取得にこだわりがあるなどの場合には取得することもある。

Q2障害年金1級から3級になったケース。障害が軽くなったということを喜ぶ側面と、受け入れ切れない側面とがあった。審査請求期限(60日以内の手続き)がきてしまったがどうしたものか。本人は母親に任せていた。一部検査では改善がみられた。
・本人の障害状況が年金1級→3級に納得できるかどうかが重要。
・通知内容の受けとめ方について、支援者と本人・家族との受けとめ方がそれぞれ異なる。

Q3労災と自賠責の選択。当事者は答えられないと思うがソーシャルワーカーが相談するのか?途中で切り替えることはできるのか?
・リハビリセンターにくるケースはそれが整理されているが、急性期ではそういうこともあると思う。
・途中の切り替えはやらないと思う。労災は認定が関わってくる。59ページ。


4:
○石川篤氏(作業療法士)
・高次脳機能:覚醒度を保つことで外界の情報を受け取り、発動性を保ことで外界に働きかけている。この入力と出力が常道や注意などで高度に制御され、複雑な情報を処理し、記憶し、実行することができる。
・高次脳機能は障害の有無に関わらず、自分の延長線上にあるものといえる。
・自分の高次脳機能を活かす方法が支援にも活かすことができる。高次脳機能障害は身近なものではないか?
・高次脳機能障害は環境因子や個人因子の影響を受けやすい。そのため、機能だけでなく包括的な視点での評価が必要。
・「とらえる」とは状況を整理すること。道に迷うのは、記憶なのか地誌的障害なのか道が複雑なのか。
・高次脳機能障害は、原疾患が高次脳機能障害を引き起こし、背景因子(環境因子、個人因子)を経て症状として発現する。
・ビジネス書はやる気や行動制御、問題解決力など高次脳機能を効率的に働くかヒントが詰まっている。
(事例)
・交通事故による高次脳機能障害とADHDを合併。遂行機能障害、固執傾向が強い。本を大量購入してしまう。医師からは「部屋を片づけてください」との処方がでる(困る)。父親からは感情的に「片づけろ!」といってしまう。片づけ本を参照。
・毎日15分本の背表紙が見えるように本を積み上げる宿題を提示。翌週きれいになった写真を見せてくれた。
・脱抑制により人前でふさわしくない行動をとってしまう。鼻にティッシュを詰めて現れた。
・客観的に振り返る機会を作るために、自分も鼻にティッシュを詰めてOTで提供した。
・発動性の低下。やりたいことを問うと非現実的な夢(世界に貢献、陶芸など)を述べる。choice-makingするが世界貢献を選ぶ。
・ペットボトルのキャップを集めてワクチンにする。チラシ・プラカード作成。関連団体に登録してキャップの個数が見えるようにする。
・その人の能動的な動きを、その人の段階に併せて促していくことが必要。
・環境を段階的に調整した事例。ICFに乗っ取って整理する。脳損傷の状況、神経心理学的評価。
・取り巻く環境(環境因子)の評価。両親は「作業所に行く気がない」「何度いっても無駄」など。
・個人因子の評価。デパ地下に寄ってしまう、風呂に1時間入ってしまう。遅刻してはいけないことはわかっているようだが、行動が伴わない。
・OT室の評価。ねじのゆるみや物の置き方がとても気になる。何かを気にするとそれ以降の話は聞けなくなってしまう。
・生活評価。ひげ剃り、風呂、トイレが長い。ひげ剃りはそり残しが気持ち悪い、風呂は依然から長い、など。
・行動の自己修正が困難(注意障害、固執)
・目標:時間通りに行動し、規則正しい生活リズムの獲得。
・タイマーを使った代償手段訓練、生活方法の評価・検討、地域資源を活用し時間通りに通う。
・普段我々は、行動の微調整を行っている。ケース例はそれが困難。まずはタイマーを10分毎に鳴らす。鳴っているのはわかるが行動がかわらない。
・前夜にゆっくりやろう案。時間のかかる動作項目を前夜に行う。動作項目をとばす案。整髪、歯磨きをとばすことができた。デッドライン案。とにかく出発時間を厳守する。
・遅刻は減ったが、自宅から作業所に通うことにあたり家族からの声かけは必要である。それが元でもめてしまうこともあった。
・心が動けば、体も動く by.三好春樹
・Occupational therapist=夢中にさせる、など
・症例2。
・一方的な会話から、
 フリージア園の写真があった。
 お肌を褒めたら、にやついた。
 美空ひばりはきらい。
 なくなった旦那さんの話は時々する。
 の4つの情報を入手。
・フリージアを購入し、左側(無視側)に花と鏡を設置。都はるみのCD、旦那さんの話は時々する。
・身だしなみに対する意識は高まり、マニキュアをつけたりスチーマーを使う。仏壇の掃除を促す、手を合わせる時には左手を探す。行動が変わってきた。行動性の向上と左手への意識が向くようになった。

・その方がどんな方でどうしたいのかというのを探りながら取り組んでいく。
・高次脳機能障害は良くなる。
・各対象者に対して、何が「良くなる」ことなのか真剣に考える。

Q&A
Q14歳の時に高次脳機能障害の診断を受けた子ども。今までは高次脳機能障害だからしょうがないと思っていたが、考えると環境がどうかというところ。娘に意欲はない。どうしたら遠くまで公共交通機関を使ってでかけられるようになる意欲がでてくるか?
・行動範囲を広げたい。
・車に乗るのが楽しいと、運転して遠くへいってしまう。
・子どもさんにとって「楽しい」と思えること、行動したくなるようなことについて、一緒にいってあげて「行きたい」という目的がないと動きにくい。行きたいところを探す。
・サポーターを見つけていくことも大切。まずは周りの人だが、駅員さんやお店の人と話をしながら進めていくなど。

Q2ジョブコーチ。支援期間が3ヶ月間。本人が大切だと思ったことに対して行動するが、期間が短いことと会社の中で行う支援であるので、方針をコロコロ変えるわけにはいかない。
・症例2の介入は1ヶ月半。
・医師、コメディカルが診断して目標を明確にしていたことが大きい。
・支援する側の方向性を定めないとうまくいかない。

Q3老人ホームにいるが、おだやかに暮らせない。年に1度暴言してしまう。ずっとではなく、時々症状がでる人の支援方法はあるのか?
・何かエピソードがあるかどうか見極めが必要。
・損傷の場所にもよるが、気分を害するスイッチがあるのかどうか。
・元々怒りっぽい性格だが、障害なのか、性格なのかということもある。体調が悪い時にありがち。
・体調が悪いときにはそっとしてあげるなど。


・リハビリテーションは脳機能の回復を方向づける。

2015年4月29日水曜日

嫉妬

「嫉妬」
・自分よりすぐれた者をねたみそねむこと。
・自分の愛する者の愛情が他に向くのをうらみ憎むこと。また、その感情。りんき。やきもち。

 完敗である。人並みに嫉妬している自分に気づく。三月にも似たような感覚があったと記憶している。いろんな背景や予測が脳裏に浮かぶと、それらを制御できなくなっている自分がいることに気づく。過程でありながら、結果となって表れている様子は、揺るぎないものとして私の目の前に立ちはだかっている。
 整理をつけたはずのことが、ちょっとしたきっかけにより整理の枠をはみ出して自分を困らせる。焦らせる。「そうはいかないぞ」と頭では思っていても、身体は素直に反応してしまう。
 せめてもの救いは、その対象が自分にとって苦手であったり嫌な存在ではないということである。だからこそ嫉妬するのかもしれないが、だからこそ安心してゆらぐことができるのかもしれない。

パーソナルデータに対する姿勢

TOPPOINT 2015年5月号 城田真琴『パーソナルデータの衝撃』ダイヤモンド社、2015年。より

・様々な企業が収集に力を入れている「パーソナルデータ」について、企業の動きと消費者にとっての価値とリスクに関する解説をしたもの。
・パーソナルデータとは、個人の位置情報、関心事、交友関係、購買履歴など。
・Quantified Self:QSとは、ウェアラブルデバイスなどを用い、自分の活動や状態に関するデータを収集し、生活習慣の見直し等に活用しようというもの。
・家計簿や遺伝子検査等、Web上での情報収集の仕組み(アプリ等)が利用されている。個人の関心事や消費行動、果ては遺伝子情報までWebを通じて企業に差し出していることになる。
・販売促進広告を効果的に配信するなど、消費者にとってのメリットはある。
・ただし、遺伝情報に関して「究極の個人情報」であると同時に「家系情報」にもなりうる。子供や孫まで保険の加入や雇用に関する影響がでる可能性を示唆している。

 個人情報の保護について敏感になっている昨今であるが、様々なツールを使用することにより自分の情報が思いもよらないところへ流出してしまっていることも考えられる。
 鑑識眼を養うことを主張しているようだが、そのためにはインターネットやWebに関する知識の他、ソフトウェアやプログラムに関する知識が不可欠であるといえる。加えて、自分が使用するツールの仕組みやその前後の関係について知り、自覚をもって使う姿勢が問われているように感じた。

2015年4月9日木曜日

ジュネレーションギャップ

Iyokiyehaがお風呂で生後4ヶ月の娘の背中を洗おうとして、膝の上にうつ伏せにした時の、6歳の娘との一幕。
娘「おぉ、Kちゃんお空とんでるみたい。」
父「ほぅ、スーパーマンみたいだな。」
娘「・・・スーパーマンって何?」
父「・・・そうか、知らないか。電話ボックスで変身して空飛んでいくやつだな。」
娘「・・・ライト君みたいなやつ?」
(注:先日最終回だった烈車戦隊トッキュウジャーのトッキュウ6号のこと。)
父「・・・何でライト君?」
娘「だって、アプリチェンジャーって電話みたいのでしょ?あれで変身するじゃん。」
(注:アプリチェンジャーとは、ライト君が変身するときに使うスマートフォンのようなもの。)
父「電話、か。電話ボックスって、知らない?」
娘「・・・?お父さんの電話?」
(注:妻はスマホ、Iyokiyehaはガラケーを使っている)

以上。
世代間差は、確実に存在すると感じた出来事でした。

連携を妨げる人間関係

ここのところ違う案件で似たような現象が起こっているので記録しておく。
ある支援者が突出した支援をしてしまうことにより、支援全体の統一が図られない状況がある。それは業務を逸脱していることを「正しさ」で覆い隠し、更に自分がもっとも一生懸命仕事をしているのになぜ周囲の人はやらないのかという「正しさ」でもって自らの行為を正当化する試みであるように思う。
特に医療・福祉・介護など対人業務の現場においては、ある人の人生に関わっていきながらも、制度上の限界を越える手法として「連携」ということが言われている。この言葉は古くから使われているにも関わらず、その実体は明確に表現されていないように思う。「密な情報交換」や「相互理解」という言葉が飛び交い、これでもかこれでもかと現場にいる者同士相手が思い通りにならない事例を取り上げて「連携がなされていない」と罵り合うのが現状である。

敢えて一歩踏み込んでいきたい。
クライアントを支援することと、クライアントを思い通りに行動させることは全く異なる。支援とは当事者が問題解決するプロセスにその人の状況に応じ様々に関わることであり、そのために様々な形でのフェードアウトが組み込まれているものを言う。支援者の立場の者がいなければ成立しない生活環境は、当事者の問題解決能力を逆に吸い取ってしまう(スポイル)ことに他ならない。
関係者がケース会議をしても、支援チームでの役割が変わらないということは、ある突出した支援が制度の枠組みを越えて実施されているわけで、チームに対してハードワークを求めるのではなくむしろ自らの支援内容が適切であったかどうかを問い直す必要がある。
クライアントを依存させるのであれば、その離脱方法は計画に組み込んでおくべきだし、危機管理がなされていないのであれば支援者としては失格と言わざるを得ない。

とりあえずの雑感メモであるが、きちんと整理して自らの行動を律していきたい。

2015年3月11日水曜日

青木裕司『NEW青木世界史B講義の実況中継①~④』語学春秋社、2005年。

 大学受験の時に使った参考書です。昨年、佐藤優氏の著書を何冊か読んだ際に、一般的な歴史の知識がないと現代社会の状況は読み解けないと実感し、改めて通史に取り組んでいます。
 初めは「改めて歴史の流れをつかもう」などと思いながら読み始めたこのシリーズですが、古代から中世にかけて人類の闘争の歴史を知ることになり、中世以降近代にかけては、欧米各国が世界中を舞台に勢力抗争を繰り広げてきていることを改めて知る機会となっている。高校生の頃には読み解けなかった歴史を学んでいるように思う。
 特に中世以降、戦争の発端となるのは、経済(特に市場や流通するモノ)の仕組みが変わった時に、その市場の拡大に伴い、勢力の争い(戦争)が起こるということのように感じる。歴史は繰り返されるというが、近代史を学ぶと特にその傾向を強烈に感じる。
 現代日本に関して言えば、サービスや市場の変化がITにより急速に変化しつつある背景のもと、長年にわたって守り続けてきた憲法の改正が議論されていたり、相変わらず中東各国に口出しする欧米列強と距離が近づいているなど、第一次世界大戦に向かう歴史に似たように状況が芽を出しているようにも考えられる。

 時代を読み解く、または自分が生活する社会の政治を読み解き、一市民として適切な判断をするためには、教養が不可欠といえる。歴史を学ぶことはすなわち現在を学ぶことであることを感じつつ学んでいこうと思う。

2015年3月1日日曜日

報告

更新サボってますが、最近閲覧者がいることを教えてもらったのでご報告。
来年度も所沢残留です。多分あと一年ですがよろしくお願いします。

2015年2月8日日曜日

まとめてアップしました。

 年末年始にかけて読んだり聞いたりした書籍関係の投稿をアップしました。
 併せて(仕事に関する)最近考えたこと、感じたことをアップしました。
 しばらくの間、書かない生活が続いていたのでリハビリ感覚での投稿ですが、改めて「書かないと書けない」ことを実感しています。まめに作文していこうと思います。

命を削られている感覚とは。

 おそらくIyokiyehaとは全く違う時間感覚なのでしょう。
 進行性の病気とともに生きている人と関わって感じることです。これまでの経験から最善と考えられる提案をしているのだけれども、一向に納得される気がしません。助言を受けると「きちんとニーズを確認しているのか」「信頼関係はどうか」といった基本的な確認を求められるのだけれども、そのいずれについても「確かなことは言えません」としか答えられないところです。
 自分の力量についても、人間関係が構築できているかどうかについても、不足していると感じることはあるものの、それだけでない何か=時間感覚の違いというものを感じています。「そんな時間は無いんだ!」という叫びを無視しているわけではないけれども、全く新しい状況にどのように向き合えばいいのかわからないでいます。

専門家の取り組みを広く伝える、伝わること。

 休日出勤の業務のことなので詳細は控えますが、先日高次脳機能障害に関する講座に登壇者として参加してきました。
 登壇者は支援の対象者とその親御さん、医師(2名)、作業療法士(2名)、私という構成です。入院から医療リハビリ、生活訓練を経て就労支援へとつながっていった事例の中で、Iyokiyehaは現在の職場と当時の職場の職員としてお話させていただきました。
 私が参加してきたこの分野での講座の中では、大変充実した内容だと思いました。コメンテーターが超有名人(医師)で、その方からの質問が職業リハビリテーションに関することが多く壇上で恥ずかしい思いをしたことは個人的なこととしておいて、専門職種連携という意味で、この構成で同じ壇上にあがって一人の事例報告をするということが、この分野に携わる者として大変有意義でした。
 今回、本人のハンデの影響から、偶然に偶然を経て私に登壇依頼があったことも不思議なご縁なのですが、そのご縁が基となって大変有意義な時間を過ごしただけでなく、自分の専門職としての在り方に関しても改めてふりかえる機会となりました。
 Iyokiyehaが担当していた当時、本人の様子について、医療時点での状況がほとんどイメージできていなかったことだけでなく、今回の講座の打ち合わせになって初めて、当時の医療関係者と情報交換することとなったこと、親御さんの気持ちの変化や、本人の帰宅後の様子など、担当者として関わっていた当時全然気づいていなかったことに改めて気づかされました。
 「連携」という言葉に込められた意味だけでなく、それを必要としている人たちの思い、専門職としてのスキルとそのスキルを発揮できる準備の段階や情報収集方法について、そして「(総合)リハビリテーション」という言葉に込められた意味について、改めて考える機会となりました。
 加えて、事例報告というのは大きな場に出れば出るほど「好事例」として紹介されがちで、今回のものについても5年継続勤務の事例としてきれいに紹介されたわけですが、Iyokiyehaの反省としてこの事例はプライドを持って(持ち続けて)関わってきた医療スタッフによって綱渡りが継続しているというものであって、とても俗人的なケースであると痛感させられました。地元の制度が細く長く関わっているからこそ、リハビリテーションの各分野が力を最大限に発揮できるのであって、少なくとも今回は社会から職業への接続のところで連携が断絶していたのだと気づかされました。当事者が「どうすればいいのかわからない」ところに、専門家としてどう関わるか、専門的な支援と継続的な支援をどのように組み合わせてリハビリテーション計画をデザインするのか、それをどう伝えてどう進めていくのかということが、現場として改めて必要なことだと思いました。

講座の質もさることながら、そこから得た刺激は自分にとって大きな大きな学びとなりました。
報告書が公開されるようであれば、またお知らせします。

養老孟司『からだを読む』ちくま新書、2002年。

若い頃に「身体のこと」を学ぼうと思って買った書籍の一冊。4年くらい前に点検読書をした記録はあるが、内容の詳細はよく覚えていなかった。
養老氏の独特の語り口調で、多少の皮肉を交えながら内蔵の役割を中心に、その置かれた位置や進化の過程(とされる)に関する考察や私見を語る。解剖学ならではの言葉の使い方にも触れており、身体のことそのものだけでなく、題名通りの「からだを『読む』」内容となっている。
「口はどこからどこまでか?」という境界問題。言葉は現実を切り取るのである。
難しい言葉が多数記載されているが、詳細な説明やたとえ話などが豊富に盛り込まれており、読み物としても大変おもしろい一冊である。

広瀬敏通『災害を生き抜く -災害大国ニッポンの未来をつくる』みくに出版、2014年。

・長年にわたりホールアース自然学校の代表をつとめ、災害時には現地での救援活動に携わってきた広瀬氏による著書。
・災害時に生き残る方法と、助ける方法について、経験に基づき豊富な事例から提案するもの。
・正しく恐れること、生き残ること、助けること。災害を自分事として捉える。
・本来、自然学校やエコツーリズムとは、単に自然体験をするだけではなく、地域の自然、文化、コミュニティをつなぎ直す活動でもある。(引用、219ページ)
・ヒエラルキーからアメーバ型組織へ。

安田正『英語は「インド式」で学べ!』ダイヤモンド社、2013年。

・英語+ヨーロッパの言葉は、日本語とは全く違う。
・1.発音は気にしない。
 2.新しい暗記はしない。
 3.sound,find,giveの3つの動詞で英文の形をつくる。
 sound: A =(sound) B
 find : S find A = B
 give : S give 人 物
・日本語 - 日英語(ここを目指す) - 英語
・話のポイントを押さえる(直訳しようとしない)。
・前置詞はat,withから。
・日本人が英語を話せないのは、つまづくポイントがわかっていないから。
・sound,find,giveに代表される英語の3つの型を身につけることで、英語表現ができる。

齋藤孝『大人のための 読書の全技術』中経出版、2014年。

・読書により、言葉が使えるようになる。伝わりやすくなる。思考の視点が増える。
・情報を受け取る速読、思考したり文章を味わう精読。どちらも重要である。
・速読について。同じテーマを6~7冊読む。
・締め切りを設定する。
・言葉の力は偉大です。言葉というものを中心に据えてはじめて私たちは自らの感覚や思考、個性などを整理し、人間関係能力を高めることができるのだと思います(81ページより)。
○ライフスタイル
・読書ルールをつくる「読めないのはいつ?」
・垂直思考を深めるのが読書。
○速読
・本をさばく。5分で読んでアウトプットするための技術は「ポイントやキーワードを押さえる」こと。
・二割の理解でいい。
○精読
 エッセンスを自分なりに咀嚼し、自分の中にとりこむこと。方法として「音読」と「引用ベストスリー法」がある。後者は、(1)好きな文章を3つ選んで引用する。(2)配列する。3つを選んだ自分というもの=自分のその作品への関わり方を整理すること。読んだら、本について話す。書き写す。
○アウトプットについて
・話題を見つけるための質問と、話題を掘り下げる質問を使い分ける。
・ものごとを究する=その人の言語能力を高め、思考力を高める。
・概念を自分の中で言語化し、活用出来るものに高める。
・新しい言葉をきちんと概念として使いこなせるか。
・書き言葉で思考できるようになる。書き言葉で話せるようになる。
・デザインシート(フォーマット:268ページ)
①対象
②タイトル・テーマ
③狙い-何のために
④テキスト(素材)
⑤キーワード-中心となるコンセプトは何か?
⑥段取り-具体的にどう行うか
⑦仕込み-準備はどうするか
○あとがき
・将来に目を向けて点と点をつなぐことはできない。何らかの形でつながっていくと信じなければならない。
・一冊の本は、自分の中に確実に1つの点をつくる。

【AudioBook】苫米地英人『「1日10分」でスピード脳に生まれ変わる』

・思考する=前頭前野が働くこと。記憶の照合ではない。
・ゲシュタルトとは、一つ上の抽象度でみること。
・大量の(圧倒的な)情報を得ることと、抽象度をあげることによってアイデアを生み出すものの見方となる。
・無意識に思考できるようになると、時間を何倍も効率的に利用できるようになる。
・実感が湧かない内容だった。思考プロセスをもう少し段階的に知りたい。

【AudioBook】ジョーン・G・ロビンソン『思い出のマーニー』

・映画化された長編小説。訳文は大変きれいな日本語となっている。
・最後にアンナがマーニーの孫であることに気づく場面が大変印象的だった。
・ただ、アンナとマーニーが一緒に遊んだ経験の記述など、ふりかえってもわかりにくく感じる箇所がいくつかあった。

【AudioBook】小野一之『あなたの大切な人が「うつ」になったら』

・うつ病当事者による、うつ病者周辺の人たちへの助言。
・薬物療法だけでは治らない病気であること。その根本原因へのアプローチの必要について説明している。
・本著以外にも、薬物療法-認知療法が治療の両輪となって回復に向かうとする治療方法の紹介や当事者の経験が語られている。
・実感のこもった内容であり、聴いていて大変わかりやすい内容であった。

2015年1月22日木曜日

アーロン・ロジャースが出場し続けた理由

今年のアメリカンフットボール(NFL)もいよいよ大詰めとなってきました。
残念ながら、私の好きなグリーンベイ・パッカーズはディビジョナルチャンピオンシップ敗退という結果となってしまいましたが、シーズン後半のロジャースのプレイを見ていて思うところがありました。
シーズン後半に入り、痛めたふくらはぎの影響で全力で走ることができず、ひどいときには簡単なステップを踏むにも痛みに耐えているような様子がみられました。そんな状態においてもエースQBとして試合に出場し続けたのはなぜなのか。
きっといろんな理由があるのでしょうが、ただ単にプライドの問題ということではなく、思うに「それでも勝利のためにはロジャースが必要」ということだったのだろうと思いました。
とかくパスの精度やスクランブル時の足の速さ等が注目されがちなQBですが、攻撃の要としての役割の大きなものとして、フィールド上でのプレイコールがあげられると思います。プレイコールの質が控え陣よりも圧倒的に勝っていたことが出場し続けた理由なのだと思いました。
ポケット内でのフットワークとクイックリリースとその正確さがアピールポイントといえるロジャースですが、それを目立たせるためのプレイコールと、それに加えて地味ですがオフェンスラインの活躍が、今年のパッカーズの強さだったのだろうと思います。
怪我した後の試合で身につけた、「最小限の動きで最大限のゲインをねらう」スタイルとパッサーとしての能力が融合し、ますますすごいQBとなって来年度のシーズンを迎えてほしいものです。
今年はあとスーパーボールですね。エキサイトしましょう。

2015年1月19日月曜日

意味を絞り込む

先日、スマートフォンからガラケーに切り替えた話題を投稿しましたが、この中で通話とショートメッセージだけに機能を絞り込んだことについて少し考えてみます。
11月下旬から12月上旬にかけて考えたことは、一言で言えば「どんなことに使っているか」ということでした。iPhoneは確かに便利です。現在もPodcastなどの音声コンテンツやGmailの送受信、ブラウザの使用やAmazonやfebeの通信販売など、使用を継続しているものがあります。他に辞書の機能や健康に関するもの(睡眠の記録や万歩計)、小遣い帳など、ちょっと考えて書き出すだけでも多岐にわたりますし、時間つぶしにやっていたちょっとしたゲームなどがある一方で、外出先でちょっとした書類のチェックや修正ができるようにカスタマイズしていました。カメラやオーディオにもなるので、外出時はこれ一台で何でもできる便利なツールで手放せないものでした。
この「手放せない感覚」にあえて疑問を持ち、書き出したり整理したわけです。その結果、何がわかったかというと、
・スマートフォンで書類チェックするのは効率が悪い。
・通信販売利用のほとんどは自宅で行っている。
・音声コンテンツの利用はダウンロードさえしておけば通信回線は必要ない。
ということがわかり、自宅でWi-fi環境があれば特に困らないだろうと思いました。また、
・細々したアプリの中で本当に外出先で必要になるのは、乗り換え案内程度。
・外出中のメールの送受信は避ける方向で考えれば通話とSNSで事足りる。
と考えました。

そもそも、自分はスマートフォンをどのくらいスマートに使っているのか、具体的には「スマートフォンでなければならない理由は何なのか?」と考えた時に、自分を納得させる回答が導き出されなかったということが、今回の対応の引き金となりました。
機能を絞り込むことによって、そのものの使い方やないものに頼らない準備など、物事の本質に近づくような感覚が得られたのは思わぬ副産物でした。この副産物は具体的には、周りの環境がよく見えるようになったことや余計な電話をしない、されないことによって(おそらく)一つのことに集中できる環境が手に入ったように思います。

とかく情報が氾濫する世の中と言われるようになりましたが、便利に使っていると思っていたものが、実はただ使われているに過ぎないんじゃないかと感じています。自宅でスマートフォン端末を触る時間が激減し、家族との時間や自分の勉強時間が少しながら確保できるようになりました。

以上、スマホからガラケーへの変更に関する経緯と考え方のまとめでした。新しい感覚が生じたらまた書きます。

見え方が変わる

先日の記述は不十分でした。眠い時に書くと中途半端になりやすい。
要は、応用行動分析を勉強し始めたら、人の行動が新たな角度から分析できるようになった、ということです。知識によって、自分のものの見方に代替可能性が生まれたといえます。だから「知識は武器になる」のだと感じたのでした。
ある知識を行動レベルで理解する(身につける)と、新しいものの見方ができるようになります。年末からようやくリベラルアーツを少しずつ勉強していますが、世界史を改めて学ぶことによって国際ニュースの読み方が変わってきますし、数学をやれば物事の判断の背景となる数理的処理が見えてきます。そうした構造がわからなければ、ニュースや出来事はそれ単発としてしか理解できないが、その背景となるものの知識があればもう一段広い視野で物事を読みとくことができます。
本当に優秀だと思える人が、新しいスキルを身につけていく。その背景には基本的な知識、具体的には高校で習った内容が高度な知見を読みとく土台となっているということを、昨年佐藤優氏の書籍で学びました。基礎をおろそかにすると飛躍もない、ということでしょう。
先日の投稿は、そういうことを書きたかったのだということで、補足というか書き直しでした。

2015年1月16日金曜日

応用行動分析を学び直す

知識は武器になる。
10年前、今の仕事を始める時の研修で基礎を学んだ応用行動分析の考え方ですが、仕事のスキルを磨くためにまた勉強をし直してみました。
きちんと勉強しておけば、これまでの仕事の中でもっともっといい支援(介入)ができたのかとも思うわけですが、過去のことはさておき、今の変化と今後の活かし方に注目します。

応用行動分析を学びなおした後で「変化した」と思えることに、指導時の課題整理がしやすくなったということです。要は、行動の原動力となるその人の気持ちや考え方を見極めて変容を促すのではなく、行動そのものに注目し、行動の前後で何が変わっているのかという観点からその人の課題を整理できるようになりつつあるのだと思う。
とりあえず、入門書を読破したので、今度は専門書も読んでみよう。

2015年1月15日木曜日

Blog再開します。

ご無沙汰しておりました。Iyokiyehaです。
しばらく更新を休んでいましたが、生活を少し変えて、また「書くこと」を再開しようと思った次第です。
復帰第一稿をどんな内容にしようかと思って数日経ってしまいましたが、時間のムダなので今まで通り、思ったことを思った時に書いていこうと思います。コアなみなさま、どうぞお付き合いください。

さて、昨年末に携帯電話の機種変更をしました。
iPhoneから3G(いわゆる「ガラケー」)への交換です。
友人からよく理由を問われるのですが、大きくは以下の2つです。
・月額使用料金が安い(今までの1/3くらいです)。
・最新機種を追いかけることへの違和感が膨らんだ。
両者が相まって、今回の決断に至りました。

iPhone6を店頭でいじった時に「ピン」とこなかったんですね。「ふーん」という感じの、なんだかしっくりこない感じが数日間続いたのがきっかけです。
そこに生活費の見直しが入ったのですが、こちらはおもしろくない話なのでやめておきます。しかし、動機としてはこれも大きい。

変更する前には、もっと不便になるかと思ったのですが、実際にはそうでもないというのが感想です。
おそらくレアな友人から「メールが届かないじゃないか」と「Eメール使えないなんて、不便!」とそのうちいわれそうですが(こうして、友達は減っていくのね)、自分が不便だと思わなければそれでいいのかなと、自然に思うこの頃です。

そういえば、自宅でも外出先でも、周囲を見回す余裕ができたような気がするこの頃です。