2008年5月31日土曜日

成毛眞『本は10冊同時に読め!』三笠書房、2008年。

私はこれまで、一冊の本を読みきったら次の本、という具合に読書をしてきたが、私の読書方法を根底からひっくりかえすタイトルだったので、読んでみた。

共感。

どうすれば10冊読めるかといった、安易なノウハウ本ではなく、「読書することが、いかに人生を豊かにするか」ということについて、成毛氏の意見がまとめられている。
「読書は最高の『自己投資』」といった考え方は、読書の方法こそ違えど、考え方それ自体は全く同じだった。
10冊くらいの本を同時期に読んでいく「超並列読書術」という方法を紹介しているが、ちょっと試してみたところ、数冊をメリハリつけた生活の中でとにかく読むようにしてみると、一週間で結果として倍くらいの量を読むことができていた。
私は、テレビあまりみないが、本は読むのが好きである。
どんな本でも、確実に「ためになる」ことを知ったからである。
読んだ本を、どう人生に活かしていくか、ということについて考え、実行することが大切となるとのこと。
成毛氏の主張全てを納得するわけではないが、それも「活かす」ことだろう。

確かに、多かれ少なかれ本を読んでいる人とは、話をするとよくわかる。
言葉の組み立て方、使い方、話題の豊富さや雰囲気。
会話をしていて、その人となりとして自然と滲み出るように思う。
飲み屋で知り合った人の会話なんかが顕著だ。

「クリエイティブクラス」の仲間入りができるよう、もっと本を読もうと考え、実行に移すきっかけとなる本だった。

おすすめ度:★★★★★

奥野宣之『情報は1冊のノートにまとめなさい』Nanaブックス、2008年。

情報整理の一つの方法について説明している。
徹底した一元化(100円ノート)と、その検索を可能にする「索引簿」の作成(テキストファイル)が肝となる情報整理術。
これまで自分がやってきたいろいろなことを、この肝によって一つの方法として確立できた。
やってみると非常に快適である。

私も、情報整理についてはいろいろ試しては、少しずつ進歩してきた。
学生時代は、それほど予定がなかったので、手帳1冊で管理できていたが、その後いろんなものを試してきた。
NPO時代には、B5サイズのファイルとルーズリーフを使って「To Do List」で向こう1ヶ月分の予定管理と、その日のメモを一体化していた。
今の会社の1年目の時には、ルーズリーフの扱いが面倒になって、会社のPCのメーラーを活用したTo Do Listと文庫サイズの手帳(2冊:会社用、プライベート用)とで管理していた。
2年目になって、手帳を色分けして一元化。
3年目は、会社のPCのメーラーが替わったこともあり、テキストファイルでTo Do Listを管理するようになった。
この頃から、会社で大量に発生する裏紙をバインダーで挟んで「とにかく書く」ことが顕著になった。メモも、思考ツールも一緒になってきたが、そのメモは何らかの形として転記(業務報告や、書面に)して廃棄するようになった。また、保存「したほうがいい」書類もデジカメで写真データとしてPCで管理するようになった。机周りがスッキリしてきたのはこの頃からだろうか。紙ファイルは劇的に減少した。
そこで、この本を読んで、メモを工夫するに至る。
100円ノート(数冊買うと、88円くらいで買える)にして、索引簿を作り始めると、これがなかなか快適である。
個人情報だけ気をつけて、略語の扱いもうまくなったように思う。

ノウハウ本なので、誰もにおすすめする本ではないけれども、もっと効率よく情報管理をしたいと思っている人は、手にとってみるのもいいかもしれません。

おすすめ度:★★★★☆

人をネタに笑いをとる

複雑ではある。
やっぱり「ルール」なのかもしれない。

バラエティ番組に、お笑い芸人が出ない日がないようになってきたこの頃。
私の生活の回りでも「面白いことを言わなきゃいけない」ような雰囲気があるように思う。
Iyokiyehaも、頭に浮かんだ「面白いこと」や「盛り上がるだろう」ことはとりあえず場に出しておく人間だが、それほどポンポンと出てくるわけではない。
そんなことばかり考えているわけではないので。

それでも、テレビを観ていて、島田紳助さんや明石屋さんまさんなんかが、出演者をいじってネタにして笑いをとっているのを見ると「すごいなぁ」と思ってしまう。
これはこれで芸術かと。
時々観ると、結構ひどいこと言っていたりするのだけれども、それが面白いのが不思議だった。
実際に私が接する人に、同じようなことを言われたら、きっとカチンときてしまうだろうに、「なぜ、面白いのだろう」という疑問は、これまでずっと付きまとっていた。

先日、意識できたのは「ルール」の有無かなと。
テレビの番組という「ルール」、芸人さんの仕事という「ルール」の中でのやりとりだから、そのやりとり自体が面白いのかもしれない。
私の日常生活という「ルール」は、テレビ番組のそれとも、芸人さんのそれとも違う。
だから私は、自分の回りで「人をネタにして笑いをとる」だけのやりとりが苦手なのだろうと。

この整理の仕方だと、Iyokiyehaの「ルール」と他の人の「ルール」も違うわけだから、その辺はもう少し注意しなきゃいけないのかなとも考える。
相手の反応にも注意するし、フォローも必要かもしれない。
それだけ、知っている「人」を対象とするやりとりは、気を遣うのがマナーだろうし、必要以上にしない方がいいと思うに至った。
だって、私の生活はテレビ番組じゃないし、私は芸人でもないですから。

梅田望夫、平野啓一郎『ウェブ人間論』新潮社、2006年。

『ウェブ進化論』の梅田氏と、小説家平野氏による対談録。
インターネットの進化とともに、人間はどのように変化しつつあり、そして変化していくのか。
異なる考え方を持つ二人が、人間の将来について縦横無尽に語り合う。

書籍の将来象や、ロングテールの考え方と未来、果ては人間関係の変容と未来予想など、「インターネット」で括れば全てそこに納まってしまうが、敢えて対談という形式をとることによって、その下位領域の具体的な姿について率直なやりとりがかわされている。
「インターネット」の立場からすれば、平野氏の指摘がやや話題から反れているかと思わされる箇所も散見されるが、基本的に小説家の立場として、「人」の内面を描ききることを生業としている立場から、率直な疑問がぶつけられているように読めた。

Web上の評価はあまり高くないが、充分楽しめる内容だった。

おすすめ度:★★★★☆

2008年5月28日水曜日

社長就任!

明日、2008年5月29日は、島耕作が社長に就任する日とのこと。
先日、スペシャルサイトも公開され、ますます期待が高まります。

漫画を読んでない人には、なんのこっちゃ?という感じでしょうが。
Webで言われているように、知っている人には「歴史的瞬間」です。
社長就任をお祝いしましょう。

http://www.shimakosaku.net/
(「社長 島耕作」スペシャルサイト)

2008年5月27日火曜日

早起き生活初日

今日から、早起き生活。
勉強のリズムを作るための試みですが、さて、いつまで続くでしょうか。

週末は浜松に帰省していました。
嫁さんは、友人と会ったりしていたようですが、私の目的の一つはコレ。

 
(NPO法人 浜松NPOネットワークセンターのリーフレット)

私が今の会社に入社する前に所属していたNPO法人の総会に参加してきました。
事業の規模や取り組みが少しずつ変化しているとはいえ、組織としてのミッションは今も健在だなと、安心しながらも「すごい」と感心しながら、帰ってきました。
写真のリーフレットも、新たに整備されたようです。
思わず、貰ってきてしまいました。


実家に帰ったら、甥っ子が高校生になっていました。
特に課外活動なんかに参加することなく、勉強一筋でやってきた甥っ子が、地元で誰もが知っている高校に合格したというのは、うれしいものでした。
受験のくだりで、内申点がどうのこうの、という話題となったときに、父親からIyokiyehaが中学生の時に「市選賞」なるものを受賞しているとかいう話になりました。
あぁ、そういや何かあったなぁと、自分の部屋を探してみると、ありました。


(浜松市の市選賞バッジ)

今は、この賞ないようですが、当時これを受賞すると内申がぐーんとよくなるだの、何だのとかいう話を聞きました。
噂では、これを受賞した連中は好きな高校へ行けるだの。
当時の私は、そんなことは露も知らず。
一緒に受賞式に出た連中が、学校でも優秀な連中だったこと。
受賞後、やけに友人に羨ましがられたことを思い出した次第です。

まぁ、明らかに、当時の先生方の人選ミスでしょう(苦笑)。

そんなこともありつつ、甥っ子の高校生活は、順調な滑り出しのようでした。
元気ならいいです、おじさんとしては。

2008年5月26日月曜日

シバザクラ

この週末、Iyokiyeha夫妻は実家へ帰省しました。
金曜日(23日)に甲府から静岡へ抜ける途中で立ち寄った「本栖湖ハイランド」。
シバザクラが見ごろということなので、行ってみたのですが・・・・・・

圧倒されました。



(一面に広がるシバザクラ)



割と広い敷地に敷き詰められたシバザクラ。
濃いピンクから淡いピンク、白いものまで、さまざまでした。


(見晴台より一望できる)

かわいらしい花ですね。
小さな花も、まとまると、上の写真のように見えるからすごいです。


(花)

自然のものって、何でもすごいなぁって思います。

2008年5月25日日曜日

伊藤守『図解 コーチングマネジメント』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2005年。

伊藤守『コーチングマネジメント』の図解版。
コーチングをきちんと勉強したいと思い、まず読んでみた。

「何をすべきか」ということがわかっていても実行できないことがある。
「すべきことがわかること」と、「どうしたら、それを実行できるのか」という質問は関連しながらも異なった答えを導く質問である。
このことは、「わかっていても、できない」ことを「できる」ようにするためのコミュニケーションの存在が必要であることを示している。

「コーチングとは、会話を重ねることを通して、相手に目標達成に必要なスキルや知識を備えさせ、目標に向けての行動を促していくプロセス」(本書「はじめに」より引用)

対象となる人(経営者だったり、新入社員だったり、チームの部下だったり、様々)が持っている「資質や才能、経験、知識」を使える「資源」としていくスキルのことを言う。
その手法として「コーチング」という考え方を基にした「会話」を重視する。
こうした「行動を促すため」の会話の方法や、その拠り所となる考え方を、本著では図解した上でコンパクトな説明を加えている。
全体としては、特に目新しい考え方ではなく、おそらく優秀な上司と呼ばれる人は、普段から「コーチング」的な会話をしているものというのが、読後の感想である。
ただし、これまで「優秀な」というところで経験則に拠るところが大きかった「よりよい会話」のしくみや考え方について、「コーチングスキル」として言語化し、世に広めたことは大きな成果だと思われる。


Iyokiyehaの仕事に引きつけたときには、以下のことが要点となる。

・認識のギャップを最小限にする質問
「スキーのコーチによるテニスのレッスン」の項目に記載されていることだが、対象となる人に問題点をいかに「気づかせる」かを考える視点を得ることができる。
テニスのインストラクターに限らず、球技を習う場面においてよく使われる言葉「ボールをよく見て!」。
この場合、見なければならないのは何なのか?
教わる人にもボールは見えているわけで、そこに「よく見て」と言われても、見えているものをどうすればいいのかわからない。
ここに認識のギャップが存在することになる。
コーチングでは、教えるのではなく、質問により「気づき」を促す。
例には、「ボールはどんな回転をしていますか?」とある。
この質問により、これまで「見えているのに、見ていなかった」ボールの回転を見ようとし、結果これまでよりもよくボールを見るようになったとのこと。
コーチングの考え方では、「知識をいかに伝えるか」ではなく、その人の目的に近づくための「気づき」を促すための質問をいかに作り出すか、ということが重要となる。

・よりよく話を聞き分けるための4つのタイプ
その人の人格や関わり方を決定するものではないという前提で、相手を4つのタイプに分類する。
1)人も物事も支配していく、コントローラー
2)人や物事を促進していく、プロモーター
3)分析を行い、戦略を立てていく、アナライザー
4)全体を支持していく、サポーター

・認めること acknowledgment
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/04/acknowledgment.html
(2008年4月28日投稿分)

・バイオリアクションから自由になる
人と向き合うと、多くの人は「二極化の罠」にはまってしまうそうだ。
例えば、
-どちらが上か下か?
-勝ちか負けか?
-正しいか間違っているか?
これに伴い、起こる様々な反応を「バイオリアクション」、または分かりやすく「ストレス反応」という。
外敵と対峙したときの反応と似たもので、心身ともに消耗するものである。
これによって変化する「ストレスレベル」により、物事の見方や捉え方は影響されるという。
よって、「バイオリアクション」をコントロールすることにより、相手を理解したり、協力関係を築くことができるとしている。

これらの他にも大切なことは多いが、今のところ要点として強調したいのは上記の点といえる。
全体的なイメージとしては、クライアントとともに将来の理想像をキャンバスに描いていく作業、がIyokiyehaにはしっくりくる。
ああでもない、こうでもないと言いながら、基本的にはクライアントさんが描くのを邪魔せず、それでももう少し描きこんだ方がいいことは指摘したり、見落としていることを「気づく質問」をすることにより、より明確なビジョンを描くことができる。
明確なビジョン(できるだけ本音に近い)を共有することによって、具体的で段階的な取り組みの計画をともに立てることができる。
具体的で、段階的な計画だから、受け入れられやすくなる。

限界としては、コーチングが機能しやすい課題とそうでない課題があるということを意識することだろう。
アセスメント段階で、ともに目標と今後の流れを確認し、作り上げる(見えるカタチにする)段階のやりとりとしては、このコーチングの考え方やスキルは、大きな力を発揮するものと考えられる。
しかし、緊急に処理しなければならない課題の場合、落ち着いてやりとりできる環境が用意できないことが多く、コーチングの効果が減少しやすいと思われる。
また、リスク(様々なものを包括した概念)が高いことに、未熟な人が挑戦する場合にはコーチングは思うような効果が期待できないものと思われる。
この場合は、きちんと指導(ティーチング)すべきということも本著では書かれていた。
実際にも、ある作業をきちんと教わる前には、大切なことに「気づく」以前の問題となるように思われる。

限界を意識しながらも、よりよく仕事にも取り入れていきたい。

2008年5月21日水曜日

パパママクラス

隠しているわけではありませんが、このBlogではハッキリと宣言していませんでした。

Iyokiyehaは、この秋、お父さんになる予定です。

明日で、ウチの嫁さん16週になります。
少しずつ、お腹も大きくなってきました。

そんなこともあり、本日は勤務後、甲府市がやっている「パパママクラス」なるものに参加。


(妊婦さん体験中)
写真は、笑うために撮っただけです。
体験そのものは、楽しかったのだけれども非常に大切。
お腹に9kg弱のおもりをくくりつけたのですが・・・
普段やっているように、かがめない、座りにくい、寝転がれない。
写真は気をつけをしているのですが、やや後ろに傾いています。
短時間でしたが、腰にきました。
沐浴体験も、赤ちゃんを支える手首にどうしても力が入ってしまって、つりそうになったり。
オムツはきちんとフィットしないからと、すこし詰めたらパツパツになってしまったり。
楽しい反面で、いろいろ大変なことが想像できたところです。
とても勉強になりました。
楽しみの中に、ちょっとした不安が芽生えつつも、やっぱり楽しみになった次第です。
親バカ間違いなしのIyokiyehaでした。

2008年5月18日日曜日

トイレ記念日

引っ越ししてから、嫁さんと「欲しい欲しい」と言っていたウォシュレットをついに購入。


(トイレ近影)


(大事なところ)

取り付けをお願いすると7,000円かかるとのことでしたが、説明書と工具がついているというので、おそらくできるだろうと、Iyokiyehaが奮闘しました。
宿舎の構造上(古いのでしょう)、正体不明の部品が取り付けられていたり、付属のスパナが効かない部品があったりして、やや苦戦しましたが、1時間半で取り付け完了。
時給4,750円の男と呼んでください。
こういうのは、意外と器用です。

電化製品って、家族がいないと買う気になりませんが、ちょっとずついいものをそろえるのもいいものです。
疲れましたが、いい買い物しました。

デボラ・R・ベッカー、ロバート・E・ドレイク著、堀宏隆訳代表、大島巌、松為信雄、伊藤順一郎監訳『精神障害をもつ人たちのワーキングライフ ――IPS:チームアプローチに基づく援助付き雇用ガイド――』金剛出版、2004年。

このBlogでも何度も「読書メモ」として紹介してきた専門書。
ようやく読破する。
詳細な内容は、これまでのメモに譲るとして、あとがきを含めたこの本全体を含めて印象的だったことを紹介して、一段落とする。
なお、この本の「読書メモ」を含めたラベルを「ワーキングライフ」とし、ラベル検索によって、この本の内容に関する投稿が検索されるようにしておきます。

まず、精神障害を持つ人の就職について。
精神障害を持つ多くの人は、表出する言葉はどうあれ、就職することによって社会参加したいと考えている。
従来、そのハードルは非常に高いものと考えられていたが、「発想の転換と工夫により」より多くの人に就職の機会があるという事実を念頭に考えるべきということだ。
このことは、言葉ばかりが先行すると、専門家から「無茶・無謀」と見られがちではあるが、IPSの取り組みが「疾患」と「障害」の共存を踏まえた、保健医療分野のチームアプローチを特徴としていることが、この真意を読み解くカギとなる。

発想の転換の最たるものとして、「仕事することは、治療の一部として位置づく」というIPSの特徴があげられる。
どんなに障害が重くとも、具体的な「仕事を続けるために、どうするか」ということを、本人を中心とした支援チームが共に考え、問題を改善していく。
そのために不可欠なチームの一員として「就労支援スペシャリスト」(日本の論説では、JC-NET会議で時折紹介される「広義のジョブコーチ(スーパージョブコーチ)」が、これに近い存在であると考えられる)が参加しており、保健医療分野と経済活動(一般企業)との橋渡し役となっている。

さらに言えば、IPSのアプローチは、従来から取り組まれている職業リハビリテーションの考え方を否定しているわけではない。
確かに、従来型のアセスメント(職業評価の手法として、標準化された心理・職業能力検査や、ワークサンプルと呼ばれる模擬的作業を用いるなど)を用いず、精神障害を持つクライアントのニーズに迅速に対応し、そのクライアントの状態がどうあれ、就労希望があれば、具体的な求職活動を実施する手法をとる。
しかし、迅速に「雇用契約を結ぶこと」だけをIPSは特徴としていない。
あくまで職場におけるアセスメントを重視し、具体的な労働場面におけるアセスメントに基づくジョブマッチングを実施していく。
こうした内容に触れることなく、「IPS」の迅速性ばかりを強調する言説だけが広まってしまうと、職業リハビリテーションをはじめとする従来のサービスとの「住み分け」ばかりが議論の焦点となり、お互いがお互いの批判をすることになりかねない。

それも見越した上のことだろう。
「あとがき」の中で松為氏は、以下のように論じている。
「『疾患』と『障害』の個別性に応じて、現在のジョブコーチ制度とIPSによる就労支援プログラムの使い分けができるような体制が望ましいだろう」(231ページ)。

「住み分け」だけではない「共存」。
それを実現するためには、「お互い」の実践を密に交換し、共に精神障害者の就労・雇用の支援に取り組みながら、お互いの「良さ」に気づいていくプロセスが必要不可欠であると考えられる。

「通訳」の頭の使い方

手話を学び始めて2年。
「手話奉仕員」となり、手話学習3年目となる今年度は「手話通訳者」の養成講座を受講中である。

せっかく勉強するなら、多少高いハードルを課した方が効率はいいだろうと思って挑戦しているところだが、これがまた面白い。
「面白い」からメキメキ上達しているかというとそういうわけではなく、とてつもない壁にぶちあたった気分である。

「手話で話す」ことと、「手話を通訳する」ことの違いを、ここ2週間の講座で実感した。
「手話で話す」は、もちろん頭はフル回転している。
手話で話してくる相手の手話を「見て」「把握」し、それによって得られた情報に基づき、自分の表出したい内容を(日本語で)考え、それを手話で「表現」する。
頭のいろんなところを使うのだけれども、「手話で話す」場合は、まだこの一連の流れの繰り返しである。

これが、通訳となると、他の頭の働きが関わってくる。
手話で話してくる相手の手話を「見て」「把握」するところまでは同じといえる。
しかし、その後は、「把握」した情報を過不足なく日本語に「翻訳」し、それを日本語で「表現」する。
表現した相手が、その情報に基づき(日本語で)考えたことが表現されたのを受け、その内容をやはり過不足なく「把握」し、その情報をまた過不足なく「手話に翻訳」し「手話表現」する。
うまい文章表現ではないが、こうやって見えるカタチにしてみると、「手話で話す」ことと「手話通訳する」ことが、全く違う頭の働きの連続によって成立していることがわかる。

これを体験したのが、ここ2週間の講座である。
例えて言うなら、手話で話すことが「真っ直ぐに全力疾走している」と表現できるのに対して、手話通訳は「全力ダッシュで、合図によって往復する」ような感覚といえる。
体験であったとは言え、3分弱の通訳体験は、ものすごい疲労感があったのを記憶している。

今後、どんな風にスキルアップできるのかわからないけれども、これも面白い「挑戦」である。
コミュニケーションという、よく使われる漠然とした言葉の意味について、身体動作を含めて、より深めていけるような気もしている。

29歳になりました

昨日、29歳になりました。
あまり実感がないのは、自分でもあまり気にしていなかったからでしょうか。
金曜日、くたくたに疲れて帰ってきて、半分気が抜けたようにふらふらして床につき、翌日朝も9時頃まで寝ていて、目が覚めたら枕元にプレゼントがおいてありました。
嫁さん、ありがとう。

この歳になると(と言うと、私より年上の方々に何言われるかわからんですが)、28歳も29歳も30歳も変わらないように思いますし、おそらく、来年もこんな感じで30歳になるのだろうなと。
人間は、連続性もある生き物ですから、徐々に変わっていくのでしょう。
私の場合は、誕生日に切り替わるわけではないようです。

せっかくなので、今年の初めに立てた目標のふりかえりでもしてみようと思います。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/01/blog-post.html
(2008年1月4日投稿分)

1)仕事
・辞めない
・自分の守備範囲を整理し、広げる
・外向きに打って出ることで、スキルや知見を広げる
2)家族
・嫁さんへの感謝を忘れない
3)趣味
・読書時間の確保
・勉強癖をつける

仕事に関しては、少しずつですが前進しているかな。
とりあえず、辞めてはいないし、この仕事をしばらく辞めるつもりもありません。
PSWの勉強始めて、まだ間もないけれども、自分の守備範囲を広げる努力は続けています。
整理はもうちょっと後かな。
仕事に関しては、外向きな気持ちでやっているつもりですが、このあたりは自分で評価するんじゃなくて、周囲の人が評価してくれるものなので、できることをやっていくとします。

家族。
「感謝」はあまり口にしないけれども、忘れてはいないな。
時々、あばける嫁さんに呆れていることはあるけれども、総じて言えば「思い切り楽しい生活」を満喫していると思います。
でも、もう少し、家族サービスはせにゃいかんのかもしれないかな・・・

趣味。
自ら縛りをかけて充実させてしまったがために、ちょっと時間が足りなくなっているかもしれないです。
睡眠時間が減っているのは、仕事でも家族でもなく、この部分によるところが大きいですね。
秋には家族も増えることですから、ちょっとこの辺は整理しないといけません。
短期的な課題は、ここですね。


まぁ、ふりかえりはこのくらいで。
最後の写真は、誕生日ディナーのデザートの写真です。
カントゥのおまかせディナーなんですが、やっぱりおいしかったです。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2007/11/ristorante-cantu.html
(2007年11月11日投稿分)


(デザートのサービス)

2008年5月17日土曜日

イントネーション

Iyokiyehaは、18歳まで静岡県浜松市で育ち、その後6年間を静岡市で。
大学を卒業してから、1年間浜松で生活し、その後2年間を岡山県岡山市に住み、今は山梨県甲府市に住んで2年目になります。
山梨に移ってからですかね。
初めて会った人に「出身は関西の方ですか」と言われることが増えました。

もともと、遠州弁丸出しできているので、ベースは遠州の「じゃん」「だら」を使ってしまうのですが、「関西の人」というところで、岡山弁が混ざっているのでしょう。

ちょっと気をつけて、自分がどんな言葉遣いをするのか振り返ってみました。
例えば・・・
・電話がかかってきて、一言。「いつも、お世話になっとります」
・電話をかけるときに「○○さん、お願いします~(「します」がほとんど同じ高さで、「す」が伸びる)
・人の行動を指導するために「それは、いけまぁ」(いけませんよ、の意)
・同上、ちょっと力が入ると「いかんらぁ」
・「それはちょっとできないのです」を「ちょっと、できんのんです」とか「いけんのんです」
・だらしのない人を見て「ぶしょったい」
などなど、見事に方言のアイデンティティがありません。

私の場合は、関西弁にあこがれて西の言葉を使っているわけではなく、言葉というものは不思議なもので、飲み屋で地元の人と仲良くなると、脳が勝手にその土地の言葉を覚えてしまうようです。
「そりゃ、いけんがぁ」「そうらぁ」などなど、その土地ならではの言葉が街には飛び交っていますので。

もし、リアルIyokiyehaを知っている人で、気になる箇所などあれば、いつでも指摘ください。どうぞ、よろしくお願いします。

2008年5月14日水曜日

富士吉田へ出張

知っている人は知っている、Iyokiyehaの運転嫌い。
もちろん、公用車の運転も好きじゃないです。
1時間を超える出張は、できれば避けたいもの。

とはいえ、のらりくらりとそういう機会を避けて通れないのも事実。
昨日は、富士吉田市というところへ行ってきました。
最近、ちょっと肩こりがあり、体調も「絶好調!」じゃないところに、昼食を食べて何ともいえない気分、かつ天気があまりよくないので、朝からぼーっとしているところで、一路富士吉田へ。

甲府市は盆地なので、富士五湖方面へ抜けるときは、いずれかの峠を超えて行きます。
今回は、御坂(「みさか」と読みます)を超えていくルートをチョイス。

走っている車も少なく、このまま空へ吸い込まれていきそうな道路です。


(御坂バイパス)

でも、峠なんですね。
高度が上がっていきます。
この気圧の変化というものに、Iyokiyehaはめっぽう弱い。
ダイビングも、体質で多少の制限がありそうな身体です(体験で、耳がミシミシという音を立てた)。
悪天候も手伝ってでしょうが、次第に耳が「キーン」としてきます。
運転しながら耳抜きをするも、ある地点で痛みになってきます。
あの、なんともいえないキリキリキリ・・・という鈍痛です。
痛みが出た時点で、一度は車を止めて休みますが、この手の痛みは環境を変えるしかないことはよくわかっています。
高山病みたいなものですね。
休むよりも、高度を下げるのがいい。

・・・無理ですね、バイパスですもの。
覚悟を決めて、前進です。
キリキリがミシミシにならない内に、高度が下げられればいいと思いつつ、とにかく前進。
痛み出したけれども、何とかごまかしごまかしトンネルへ。
3kmの御坂トンネルを抜けて、河口湖畔をとにかく下っていく。

ローソンが見えたので、とにかく停車。
一休み。
だるさは残ってるけれども、痛みもキリキリもなく、何とかたどりつけました。
やだねぇ、変な体質って。

余談ですが、ローソンで週刊モーニングを立ち読みしていたら、『専務 島耕作』の最終回が掲載されていました。
先日、ラジオで「島耕作が社長に昇格」なんてニュースをやっていたわけですが、とうとう社長です。
ますます楽しみな漫画です。
http://www.e-1day.jp/morning/manga/shimakousaku.html
(モーニングWeb)

特にオチもない、何となく雑記でした。

2008年5月11日日曜日

せんだい屋の「ドライ納豆」

山梨県笛吹市石和町という場所(ちょっと郊外ですね)に株式会社せんだいという会社があります。
http://www.sendainatto.jp/cgi-bin/index.cgi
(納豆工房 せんだい屋)

山梨に本拠地を置く納豆の会社としては、結構有名らしく、この近くをよく通る(Que Pasa Cafeのすぐ近く)のですが、今日、初めて立ち寄ってみました。

そこで見つけた、傑作お菓子。
「ドライ納豆」
http://www.sendainatto.jp/cgi-bin/goods.cgi?etc
(せんだい屋 お菓子・ふりかけ・etc)

こいつはうまいです。
納豆の臭いもそれほどせず、おやつに酒のつまみにぽりぽりといけます。
山梨に住んでいる人は、一度お試しあれ。
信玄餅以外のおみやげとしてもどうぞ。

QUE PASA CAFE再び

以前紹介したQue Pasa Cafe。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2007/08/que-pasa-caffe.html
(2007年8月5日投稿分:お店のデータはこちらで)


Iyokiyeha夫婦は、このお店が本当に好きで、よく行く。
最近、ランチメニューが変わったので、また楽しい。
今回の注文は以下の通り。





(手作りハンバークプレート:1050円)
ふんわりと焼きあがったハンバークは、肉の味がきちんとする素朴な味。
ソースも味がしっかりしているのに、最後まで飽きない味。
サラダのドレッシングも手作りっぽい。
ご飯に乗った目玉焼きがうれしい。


(春キャベツと明太子のクリームパスタ?:1000円弱)
ここの生パスタは本当においしい。
歯ごたえもよく、味付けもやさしいのに、しっかりとクリームの味がする。


(チョコレートバナナサンデー:500円くらい)
ランチプレートの量が絶妙で(腹7分くらい)、ついデザートに手が。
お手軽なお値段なのに、生クリームもチョコレートも本格的。
そこらのお店でパフェ食べるより、満足できます。


(エスプレッソとチーズケーキ:セットで500円くらい)
エスプレッソのおいしさは、だんだんわかってきましたが、まだニガいです。
ベイクドチーズケーキは、こじんまりしているのに、しっかり味でこちらも満足。
アイスクリームと相性がいいですね。
シンプルなのに、すごくおいしいです。

ストレスフル

自分では、健康的に生活しているつもりでしたが、どうも調べ方によると、Iyokiyehaはストレスによる健康リスクが大きいようです。

BMI指数も23くらいですし、内臓脂肪がそれほどついているわけではない。
体脂肪率もようやって16くらいまで絞ってこれた。
毎日15分ほどのジョギングと、木刀を振るなどの運動もほとんど欠かさない。
食生活も、野菜を中心にした(Iyokiyehaは肉が苦手)ものになっている。

ドラッグストアで血液やら骨やらストレスやら脳年齢やらを測定できる機械があったので挑戦。
血液の質と脳年齢はいいみたいですが、骨の質がよくなくて、ストレスもたまっているようです、とのこと。

いやぁ、なんだろうね。
毎日かちり(小魚の干物)を食べて、運動していてもカルシウムが足りないと。
「運動不足です」とかいう結果が出ると、なんだか「がびーん」って感じです。
ストレスという名がついていても、ただの疲労感かもしれません。
ここのところ、好奇心旺盛モードに入っているので。

まぁ、ぼちぼち、自分の身体も気遣って生活していこうと思います。
みなさまも、どうかお気をつけて。

空気を読む

「KY(空気が読めない)」なる言葉が知られてきた。
職場でも「いわゆる『KY』ですね」と使うことがある。
本人に直接言いにくいことを、略語を使うことによって隠語のようなものとして扱う。
誰が使い始めたのかは知らないが、便利な言葉として広まっている。

この「空気を読む」という行為。
普段何気にやっている思考-行動かと思うが、この「KY」の普及によって、ハードルが高くなっているように感じるのは、私だけだろうか。
様々な質の「空気の読み方」があって、その集団に通用する空気の読み方ができる人が、その集団への参加が認められる。
程度ではなく、あくまで「質」が問われる。

受け売りではあるが、人は「秘密を共有すること」によって、特別な人間関係を構成するらしい。
なるほど、言語化できないその集団特有の「空気の読み方」を共有することによって、自分にとって心地いい人間関係を維持しているようにも思える。
自分にとって都合の悪い人は、何が原因というわけではなく、集団が要求する「空気の読み方の質」を微妙に変化させることによって「KY」と位置づけ、集団からつまはじきにする。


これがいじめの温床であるとか、人間関係の希薄化とか、職場のストレスにつながるとか言うわけではないけれども、人の顔色を見ながら人付き合いをするのも疲れるのではないだろうか。
何か、こう、根源的な人と人との「絆」みたいなものではなくて、その集団に通用する「空気の読み方」によって、自分(たち)にとって都合のいい人間関係を構築し、維持していく。
維持のためには、同じ集団内の仲間の顔色も窺いながら、その「空気」に合わせていく。
「KYではない」というのは、こういうことかとも思えてしまう。

こんなことを思ったのも、最近、民放TVを観るようになったからかもしれない。
最近は、芸人さんがたくさんバラエティ番組に出演するようになってきたわけだけれども、何だかプライベートを曝け出してまで「笑いをとる」のに、どうも違和感があるようで。
それこそ、いわゆる「おもしろいこと、笑いをとれること」の一つでも言わなければ「空気が読めない」と言われるんじゃないかというような雰囲気。
テレビ番組だけなら別にいいけれども、他人をコケにしてそれを「ネタ」だと言い張る人が何人かいたなぁと、思い出したところでした。

まぁ、Iyokiyehaはあまり「空気を読んでいる」意識はありません。
仕事モードだと、就職面接の現場なんかでは身体中が「空気を読むセンサー」になっていますが、それ以外は、あんまり気にしていません。
「社会人として」と一般に言われることは、あまり一般的ではないのかもしれないし。
自分に違和感がないのが一番かと。
この投稿でようやく整理できたかなと思っています。
一言で言えば「空気を読まないと維持できないプライベートな人間関係は要らない」というところになるのでしょうか。

精神保健学(草稿)

「精神保健とは何か」をまとめる


1.はじめに
 「精神保健」とは、「メンタルヘルス」と呼ばれる「心の健康」を表す。また、WHO憲章(1948年)の前文にある「健康」の内、心理面を対象とするものを「精神保健」という。
 本レポートでは、テキスト『臨床に必要な精神保健学』(弘文堂、2008年)の内容を中心に、「精神保健」の目指すものとその対象、「健康」の概念についてまとめる。

2.精神保健の目指すものとその対象
 テキストでは、精神保健活動の枠組みと方向性を示すものが精神保健で、それを元にして行われる実践的活動をメンタルヘルスとしているが、これらは基本的に同義といえる。
その上で精神保健の目指すものとして、5項目をあげる。以下、その内容を要約する。
 (1)穏やかに健やかに日常生活を送り、さらに健康度を増進させる
 (2)生活の中で、心の健康に悪影響を与えるものに気づき、「心の不健康状態」となる前に対処できるよう援助する
 (3)(2)の対処がうまくいかない場合に、その状態を早期発見できるよう援助する
 (4)(3)と平行し、早期に治療的対応の援助をする
 (5)精神障害者の希望を考慮した社会復帰を目指し、また、そのための社会資源の整備を行う
 このように、精神保健の対象は精神障害者に限らず、心理的に健康な者や、病気ではないが不安や苛立ちを感じている半健康な人も含む。また、人が生活する「場」も対象となる。
 ただし、現在、精神保健のサービスや活動として実施されているものの中には、精神障害者のみ対象としたものもある。テキストでは、目的は「国民の精神的健康の向上」をあげつつ、内容の多くが精神障害者を対象としている精神保健福祉法を例に説明している。このように、精神障害者の治療や社会復帰のみを対象とする精神保健を特に「狭義の精神保健」とする考え方がある。この場合、前述した5項目によって目指す精神保健は、「狭義の精神保健」を包括した「広義の精神保健」とされている。

3.精神保健が目指す「健康」とは何か
 前述した5項目により、精神保健が主に目指すものは、健康度の増進、「心の不健康状態」の予防、その早期発見・治療、精神障害者の社会復帰といえる。本節では、ここで使われる「健康」の概念を整理する。
 WHO憲章では、以下のように定義されている。
健康とは、身体的、心理的(精神的)、社会的にもwell-being(よい状態)な状態をいうのであって、単に病気や虚弱でないことをいうのではない
 これは、「社会で人間らしく生きる」ことを含んだ考え方で、健康が個人の責任によってのみ獲得できるものではなく、国や社会の協力を含めて初めて獲得できるものであることを示す。
 例えば、仕事に就きたい人が、精神障害の症状により長時間勤務が難しい場合、適切な就労支援により、事業所に理解を得た上で短時間勤務から仕事ができる場合、その人は社会的によりよい状態(well-being)になるといえる。これは、その障害者の努力や意志も去ることながら、適切な支援制度があって初めて実現する健康といえる。
 WHO憲章では、健康の絶対的な理想像を定義づけているが、現実には相対的によりよい状態を目指すことになる。

4.まとめ
 精神保健とは、精神障害者に対するサービスの考え方や実践だけではなく、身近な生活の場所を含む、ありとあらゆる人と場所の健康を維持・増進する考え方や実践であるといえる。
 よって、精神保健福祉士が取り組む精神保健の現場も、精神障害者の医療・保健・福祉だけでなく、私の身近な職場や地域社会、生活を支える制度等、人々の絆、物理的環境、制度の調整も含まれる。私が関わる全ての人が、自分なりの健康を維持・増進できる調整も、確かな精神保健だろう。時と場所、場合に対応した様々な精神保健を実践できる精神保健福祉士になりたい。



(勉強メモ)


※なお、公開されている文章をコピーして提出課題とするのはやめてください。

2008年5月10日土曜日

精神医学(草稿)

精神保健福祉法による精神科入院形態のうち医療保護入院と応急入院、措置入院と緊急措置入院を比較して違いをまとめる。


1.はじめに
精神障害者の入院形態は、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下「精神保健福祉法」)で定められている。
医師が当該精神障害者(以下「本人」)に対し、入院が必要と診断し、それに本人が同意すれば入院となる(任意入院)。しかし、本人の同意が得られない場合や、精神障害により本人が入院に関する妥当な判断ができない状態と精神保健指定医(以下「指定医」)が判断した場合、保護者の同意や、指定医の判断等により、本人を入院させることができる場合がある。以下、精神保健福祉法で定められた任意入院以外の入院形態をまとめる。

2.医療保護入院と応急入院の違い
 医師は入院が必要と診断したが、本人は入院に同意しない場合、精神病院の管理者は以下の条件により、本人を入院させることができる。
(1)指定医が入院は必要と診断した
(2)保護者(精神保健福祉法20条による)またはそれに準ずる者(同法34条2項)の同意がある
(3)上記(1)の診断の内、直ちに入院させなければその者の医療及び保護を図る上で著しく支障があると診断される
本人の同意なく入院させる場合、条件(1)は必須項目である。その上で(2)の有無を確認する。保護者の同意により「医療保護入院」となる。また、保護者がいない場合は、本人の扶養義務者の同意により、家庭裁判所が保護者の選任をするまでの4週間に限り本人を入院させることができる。
 さらに、医療および保護の依頼があった者について、急速を要するために、保護者等の同意を得られない場合、指定医が本人を(3)と診断することで、72時間を限度に本人を入院させることができる。これを「応急入院」という。

3.措置入院と緊急措置入院の違い
 指定医が入院を必要と診断したが、本人が入院に同意せず、かつ保護者等の同意も得られない場合、都道府県知事は、指定する指定医が本人を「医療および保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがある」と認めた場合に、国等の設置する精神病院又は指定病院に入院させることができる。これを「措置入院」という。
2人以上の指定医により入院が必要と診察すれば、通常の措置入院だが、急速を要する場合に1人の指定医の診断で入院させることもできる。この場合は「緊急措置入院」となる。入院期間は72時間に制限され、その期間内に通常の措置入院とするか否かの決定が必要となる。

4.まとめ
精神保健福祉法は、その性質(本人の同意なく、本人以外の者の同意や措置で入院させることができる等)や、人権への配慮とそれを擁護する観点から、数度に渡り改正されてきた。近年の統計(平成8年~16年、『精神医学』238ページ。)によると、入院患者数は減少しており、任意入院者が全体の6割強を占め、措置入院者の割合が減少し、医療保護入院者の割合が増加している。このことから、インフォームドコンセントが意識され任意入院が適用されていることや、本人に対する当事者の理解の広がりや深まりを読み取ることができる。
 また、医療保護入院や措置入院は、精神医療審査会(都道府県知事が任命する委員によって構成)が定期的に報告を受け、診断の妥当性を審査する。さらに、本人や保護者は、退院や処遇の改善を都道府県知事に請求できる。その内容も精神医療審査会が審査し、適切に対応する。このように、本人や保護者等の希望に沿いつつ適切に判断できるよう、専門家が適切に介入するしくみとなっている。
 以上まとめた通り、精神保健福祉士は精神障害者の入院を直接判断する立場にない。しかし、指定医が本人の入院の必要を判断するのに必要な情報を、正確かつ的確に把握し伝達する役割は課せられていると考えられる。精神保健福祉法の目的を実現できるよう、当事者と向き合っていきたい。




(勉強メモ)


(入院形態のフロー)

※なお、公開されている文章をコピーして提出課題とするのはやめてください。

通信講座のレポート(草稿)をアップしていきます

この春、2008年4月から、Iyokiyehaは今のお仕事と平行して、日本福祉教育専門学校の精神保健福祉士養成通信課程なるところに籍を置いています。
この課程は、ほとんどが自宅学習で、レポートを提出する形で学習を進めていきます。
私はこのレポートをパソコンで作成していくので、その内容を今後もアップしていこうかなと考えているところです。
提出する原本をアップするのもどうかと思うので、草稿段階のものをアップします。
なお、同じ課題を課せられている方が、ここで公開されている文章をコピーしてレポート作成するのはやめてください。

目的は、以下の2点。
1)人目につく場所に自分が作成した文章を置くことで、質の維持を図る
2)Blogを読んでくれている友人や専門家のみなさんから、コメントがもらえたら儲けもの


1)は、Iyokiyeha自身に対する縛り。
2)は、コメントでも面と向かってだったり、メールだったりでレスポンスがあったら、素直にうれしいのと、重要な指摘がもらえたらレポートの質もあがるかなというねらいです。


このBlogを介したコメントの残し方は、2008年4月13日投稿「コメントの残し方」(画面右側:ラベル欄の「コメントの残し方」をクリックするか、下記を参照)をご利用ください。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/04/blog-post_5917.html
コメントは書き込んでも、全てが公開されるわけではありません。
Iyokiyehaが目を通して「承認」したものについて公開されます。
「公開しないでください」の文言がないものは基本的に公開したいですが、遠慮なくご利用ください。


以下、PSWの通信講座を受けようと思ったきっかけと、それにまつわる近況です。

学部、大学院と、教育学の世界に身を置きながら、課外活動として野外活動をやってきたIyokiyehaには、福祉の素養がありません。
唯一、学生時代に静岡市に登録し、無資格ヘルパー(当時は、そんな制度もあったんです)をやっていたという実績はありますが、特定の人の支援しかやっていないため、対象者の病名も当時はよくわかっていなかったというくらいの、お粗末な実績です。


そんな私が、市民活動で教育に関連した仕事を経て、今の仕事に就いているというから、人生何が起こるかわかりません。
今の仕事も、福祉の現場というわけではないのですが(労働行政に位置づいています)、その性質上、医療・福祉現場の方とやりとりすることも多く、勉強不足を感じているところです。
ちまちまと対処療法的に勉強していくのも悪くないですし、むしろ自分の専門である職業リハビリテーションをきちんと勉強した方がいいのかなとも思うわけですが、私の性格上「一つのことだけ集中して」やっていくことがどうもできないので、いい意味で自分を追い詰めるために挑戦した次第です。
追い詰めて試験(小論文ですが)を受けてみたら、受かってしまった。
入学手続きをしたら、秋に父親になることが発覚してしまった。
そんなうれしいハプニングも起こっていて、いろんな意味で「追い詰められて」いるわけですが、最近はそれすら「おもしろがって」考えられるようになってきています。

いろいろ考えながら、裾野を広く取り組んでいると、目標となっているものに対する認識も深まるものだなぁとつくづく感じます。
時間と作業量の調整は常にしないといけませんが(これが苦手だったりする)。
合気道やりながら、身体と思考の関連について認識が深まったり、思考の変化により行動が変化するという一般的な認知-行動の考え方に留まらず、行動から思考に変化を生むなどという仮説が浮かんだり(誰かこの手の理論知っていたら教えてください)。
手話の勉強をしながら、コミュニケーションの成立や不成立を考えたり、本当の意味での「わかった」の感覚を考えてみたり、通訳をするときの「手話-音声」「音声-手話」のモードの切り替えが、きっと脳の神経系のしくみの違いによって成立しているのだろうと考えてみたり。
職業リハビリテーションに携わりながら、人の生活を成立させるための条件とか、仕事をする意味とか考えてみたり。

昨年度のIyokiyehaは、好奇心一杯でいろんなことをしていた自覚がありますが、どちらかというと、置かれた環境も手伝って「アウトプットoutput」していた一年だったように思います。
今年度のIyokiyehaは、環境が変化したこともあるので、もう一度「インプットinput」を意識してやっていこうかなと思っています。
もちろん、だからといって引きこもってがりがりやるだけではないですが、意識だけは少しシフトしようかなと思っています。


このBlogも、そんな意識の変化と共に、トーンが変わっていくかもしれませんが、生身のIyokiyehaと共に、どうぞ今後ともよろしくお願いします。

2008年5月6日火曜日

「障害者自立支援法」に関して

IyokiyehaのPSWのお勉強は、何とか続いています。
「精神保健学」のテキストを読んでいて、気づいた、というか「ようやくわかった」気になったことがあったのでメモしておきます。

障害者自立支援法の目的とするところ。
「今更かよ!」と勉強不足を指摘されたら、言い訳のしようもないのですし、法律の頭をちょっと読めばわかることだったのですが、解説入りで概説に目を通してようやくわかったことです。
それは、第1条の内容。

(引用)「(前略)障害者及び障害児がその有する能力及び適性に応じ、自立した日常生活または社会生活を営むことができるよう、必要な障害福祉サービスに係わる給付その他の支援を行い、もって障害者及び障害児の福祉の増進を図るとともに、障害の有無にかかわらず国民が相互に人格と個性を尊重して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与することを目的とする」

今まで、資料で何度も何度も説明を聞いているのに、もやもやしていたこと。
それが、この法律の目指すところとして規定されている「自立と共生」の理念だったことにようやく気づきました。
法律案が出された頃から、気にはなっていたことで、「障害者施策の三障害一元化」とか「応能負担から応益負担へ」といった財源のことばかりを聞かされて、真相は藪の中といった感じがしていたところでした。
機会あるごとに、冊子をめくりながら勉強していたところだったのですが、自分の業務に「直結」しない(多分に関わっていたのですが・・・)ことを理由に、わからないことは「専門の人に聞く」スタンスでやってきたところです。
そういえば、去年聞いたある講演の中で、私が以前お世話になった方が関係者を挑発する中で、「障害者自立支援法の本当の理念はご存知ですか?『応益負担』だけが論点じゃないですよ。理念についても、福祉の現場にいる我々は改めて勉強する必要があります」と言っていたことを思い出しました。
こういうことかと。

「いまさらわかった」ことのうれしさと情けなさが同居して、非常に複雑な気分ではあるのですが、これで次のステップに進めます。
自分への戒めを込めて、メモしておきます。


参考:松久保章『臨床に必要な精神保健学 -精神保健学-』弘文堂、2008年。

万力公園

今年のゴールデンウィーク、Iyokiyehaは嫁さんが妊娠していることもあり、カレンダー通り。
最終日の今日は、特にやることがなかったので、とりあえず先週の目的地「だった」万力公園へ。
28日は大嶽山神社へ行ってしまったので、今回は本来の目的地万力公園へ。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/04/blog-post_29.html
(2008年4月29日投稿分:縁日?)


(山梨市民会館から望む、大嶽山)


(同、笛吹川を望む)


山梨市民会館から数分も歩かないところに、こんな公園がありました。
土の地面を歩く感覚も久々だし、今日の強烈な日差しも、木陰が遮ってくれるので、真昼間でも楽しい散歩ができました。

(万力公園の中。歩道が整備されている。子ども広場やバーベキューのサイトなんかもあった。)

公園内に、動物園発見。
遊亀公園やら万力公園やら、なぜか山梨の大きな公園にはこじんまりした動物園がある(気がする)。

(万力公園内、動物園)

展示物(動物)は、やはりなかなかのもの。
Iyokiyehaは、学生時代に動物園でなんちゃってガイドをやっていたこともあり、非常に面白いのだが、嫁さん同伴なので「ざっと」見ていく。

こんなかわいいものから・・・

(シマリス)

こんな霊長類も・・・

(ニホンザル)

四足も様々。

(シカ)

「ふれあい広場」なる小動物に触れられるコーナーもあり、小さな子どもを連れた親子が多かった。
行って、歩いて、帰って、2時間くらい。
近場にいいところがあるのは素敵。


最後に、山梨市民会館内で見つけた、面白いチラシ。
http://www.yamanashi-kankou.jp/search/map_detail.html?id=c774
(山梨市民会館Web情報)

(ソフトアイス販売中)

大学の学食とかに置いてある「ソフトアイス」。
本物のソフトクリームでないところは、アイスクリームを押し出してソフト「っぽく」することが多いが、ここはどうなのだろう?
そもそも、この値段設定は??
テイクアウトにすると、350円のソフトアイスが200円になるのだろうか?
まったくもって、不思議である。

2008年5月5日月曜日

「認められる」条件

最近また読んでいる『加治隆介の議』。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/01/200010.html
(2008年1月20日投稿)
その5巻で、外務省大臣官房国際報道課長に就任したての倉地潤が日本の外交について語ったくだりが非常に印象的だった。
1994年から95年にかけて連載された内容なので、当時(今も?)の国際情勢を反映しての記述と考えられるが、以下の通り説明している。

「一流国の条件は、軍事力、経済力の他に、信頼されること、尊敬されること、好かれること。この三つの要素が必要なんだが、日本は外国にそういう面の顔を見せていない」

当時、世界第2位の経済大国となり、ODAを中心とした経済援助は世界一といっても過言ではなかった日本だが、世界からは一流国として認識されていないことに対して、外務官僚が説明した内容となっている。


これを受けて、国際情勢ズブの私があれこれ言うことは恥ずかしいのでやめておく。
考えるところはあるけれども、それはそれ。
このくだりを改めて読んだ私が感じたことは、似たようなことは何も国際関係だけでなく、もっとミクロな人間関係でもいえるだろうなということ。
軍事力を「仕事ができる」などに読み替えて、国際関係では「アピール」しなければならない(そういう面の顔を見せる)ところを、他者からの評価とすれば、そのまま人間関係に当てはまることなのだろうなと。
他人から「認められる人」は、仕事ができてお金持ちなだけじゃなくて、信頼とか尊敬とか好かれるとか、そういったいわば「人として」の部分が大きく影響するように思う。
少なくとも、私がこれまでに「すごい!」と思った人には、共通するこういった要素はあると思う。

Iyokieya自身がどうかということは、私が決めることではなく、もちろん周囲の判断に任せることだけれども、たとえ意見の食い違いやズレ、信念の違いがあっても手を結んでいけるような「共感」を得られるよう、努力することはやめたくない。


・・・漫画読んで、こんなこと考えるから、疲れるんだな、きっと。

2008年5月4日日曜日

遊亀公園へ

先日、ニュースを見ていたら「遊亀公園(ゆうき・こうえん)」でお祭りのようなことをやっているように放送されていたので、連休に嫁さんと足を運ぶ。
遊亀通りに交通規制が入るような、結構大掛かりなものだった。


初めて、遊亀公園へ。
以前から、気にはなっていたがなかなか機会がなかった。
職場で「動物園がある」ことは聞いていたので、とりあえず行ってみる。







施設や建物は古いけれども、意外と展示(動物)は本格的。
民家をバックに象を見ることができるとは思わなかった。
そういや、ライオンとかゴリラとかも展示されていたな。
夜行性の彼らは、近所の住民に理解されているのか?
などと真面目に考える反面、「意外とすごい」ことに驚き、楽しんできた。




子ども遊園地なる、「探偵ナイトスクープ」のパラダイスに出てきそうな場所も併設されている。
このウルトラマンのような、一貫性のないオブジェもまたネタとしては面白い。








お祭りが、結局何のお祭りかよくわからないままに足を運んだのだが、出店は多く、大勢の人でにぎわっていた。
駅前が寂しい甲府は、住宅街で開催されるイベントにみんなで足を運ぶような雰囲気があるのだろうか?
そういえば、山梨に引っ越してきてから、こんな人混みにまぎれたのは、休日のイトーヨーカドーの他は、今回がはじめてのような気もしてきた。



こないだの山梨市の縁日でも見かけた「佐世保バーガー」。
食べるとおそらく後悔するだろうという、Iyokiyehaと嫁さんの認識が一致したので食べなかったのだが、ハンバーグを焼いているおばさんが、先週のお店の人と同じ人で笑えた。

こういうお店をやる人にとっては、こういうお祭りの時期ってのはかきいれ時なんだろうな。
聞いた話だと、任されるお店は経験や技術によって異なるらしい。
下っ端だと、トウモロコシとかカキ氷なんだと。
調理ができるようになると焼きそばとか、お好み焼きができるようになっていくらしい。
儲けは胴元に何%みたいな感じで、後は店主に任されていて、ちょろまかすこともできるけれども、それがばれると儲けの少ない場所や店をやらされるようになって、しまいには干されるらしい。
Iyokiyehaによる豆知識でした。
以前、飲み屋で知り合った方が、この手のお店の胴元をやっていて、聞いた話です。




この日は遊亀通りもこんな感じ。
車両は前面通行止めです。
道の向こうに見えるのが、テンヨ本社です。








甲府の無形文化財とのこと。
太鼓の演奏がありました。
これも知らなかった。
あまり派手な太鼓じゃなかったけれども、結構聞いていると面白いものでした。



たまには、近所に足を運ぶのもいいかなと思った休日でした。
子どもができたら、こういうところに行くようになるんだろうな。

木酢液

最近、自宅庭のネコの糞害に困っている。
Iyokiyehaもそれほど神経質ではない(と思う)ので、庭を野良猫が横切るくらいなら、気が向いた時に驚かすくらいのことしかしないのだが、せっかく種を植えた花壇に「落し物」を毎回されると、このやろーモードになってしまう。
本音を言えば、私はネコが嫌いだ。

先日、とある人にこの話をしたら、「ネコはその『言うこと聞かない』のがいいんじゃないですか」とのお返事。
なるほど、と思う反面、やっぱり気に食わない。

ということで、こんなものを購入。


冷え性の人がお風呂に入れたりする、アレです。
ツンとする煙みたいなニオイがする液です。
本来は土壌改善のために使われるものですが、ニオイが(人によっては)キツいため、動物にも効くようです。
実際、これをまき始めたら、糞害はなくなりました。




(ラッパのマークの木酢液:「たまらんニャー」とか書いてある)

先日の晩、聞いたことのない高い泣き声が聞こえました。
近所で繁殖してしまったのだろうか。
あまりに、ウチの敷地の側から声が聞こえたので、あてずっぽうで庭の壁めがけて石を投げ、この木酢液をあちこちにまいたら、声は聞こえなくなりました。
撃退か?

この戦況報告は、また後日。
今年は、ネコにドクダミにと、庭の戦争は大変です。

マズローの「欲求5段階説」

マズロー(Maslow, Abraham Harold)を中心に、人間の発達に関する論について、読む機会があったので、簡単にまとめてみる。


マズローは、「人間は生まれながらにして、より成長しよう、自分の持てるものを最高に発揮しよういう欲求をもつ存在である」という考え方に立ち、人格形成の中心に自己実現をすえる。
その中で、代表的な論に、人間の基本的欲求には階層があって、それらが適度に満たされることで、より成長し心理的に健康になっていくとする「欲求の5段階説」がある。

1)生理的欲求
生きていくために必要な食物・水・空気・性欲などに対する欲求
2)安全への欲求
安全な状況を希求する
3)所属と愛の欲求
親や仲間から愛されたい、集団に属したい、愛情や友情を分かち合いたい
4)承認欲求
他者から認めて欲しい、評価してほしい、自分自身を受け入れ自尊心を持ちたいと希求する
5)自己実現欲求
上記1)~4)がある程度充足されるなら、自己の才能・能力・可能性を充分に発揮して生きよう、なしうる最善を尽くそうとする。

このうち、1)~4)は、欠乏に根ざした欲求で、充足によって緊張が鎮静されると感じられるという点で「欠乏欲求」と呼ばれる。
これに対して5)は、自己充足的な欲求であると同時に、そこでの緊張は鎮静され解消されるべきものというよりは、持続され高められることが望まれる、という点で「成長欲求」と呼ばれる。

(松久保章編『臨床に必要な精神保健学 -精神保健学』弘文堂、2008年、38ページ。)


マズローの欲求5段階説は、学部生の時に教育心理学か何かの授業で勉強して、大学院生の時にも特講か何かで取り上げられて、確か今の会社の研修でも勉強して、メンタルヘルスマネジメントとるときにも出てきた。
なのに、これまで未整理だったのが、とても不思議。
メンタルヘルスマネジメントのときに、「使える!」と思っても、教材化してなかったのを思い出した。
仕事で職業指導するときの、話のネタにはなるかなと思うので、今度こそ、使える形に整理します。