2008年12月30日火曜日

自分がすべきことの範囲

先日、とある友人と話をしながら考えたこと。
特に仕事の中で、自分=Iyokiyehaがすべきことってどこまでなんだろう、と。

友人殿も、人相手の仕事に就いている。
もちろん、Iyokiyehaも日々人と会って仕事をする。
私の仕事は、場所が変われば立場も変わる。
同じ「支援者」や「相談者」という言葉を使っても、クライアントさんの前ならば指導者色が濃くなるし、事業所に出れば営業さんやコンサルタント色も出てくる。
どちらも「やれば、どこまでもできる仕事」である。

気づけば、膨大な書類の山、作業の山となって、いつの間にか仕事に追われる毎日となってしまうのだが、では、その中で「本当に自分がやらなければいけないこと」って何だろうと考える。
「自分がやらなければいけないこと」=自分にしかできないこと、と読み替えてみると、ちょっとその姿の輪郭が見えてくる。
すなわち、人に任せられることは人に任せることをまず考える。
その「人」には、同僚・先輩だけでなく、目の前のクライアントさんも含めると、意外と面白い結果となる。

指導者としての一面を持つIyokiyehaであるが、今年度気づいた大きなことは、「指導の一部を、クライアントさん本人にも担ってもらう」ということである。
もちろん、私が説明すべきことを全て調べてもらうとかいう乱暴な話ではない。
これは、「もっとも入りやすい時」に「もっとも欲しているもの」を「簡潔に」指導するということである。
よって、「いかに伝えるか」というHowの視点よりも、「いつ」「何を」伝えるかというWhen、Whatの視点の強調である。
ちょっとしたことだけれども、このことはIyokiyehaにとってちょっとしたパラダイムの転換であった。

支援技法はもちろん大切である。
ただ、その技法に凝るだけでなく、タイミングと的確な内容を把握するアセスメント(評価)の技法によって、技法の未熟さは結構フォローできること、または今持っている技法の効果を最大値へと引き上げてくれるように考えるようになった。
このことは、意外にも仕事の効率化にもつながると思うのだけれども、この話のまとめはまた別の機会に。

エコえこ

地元、浜松に帰省する。
スーパーで買い物をすると、やはり「エコバック」を推奨するポスターが貼られている。
時代は変わったと、ふと思う。
5年前までは、レジで「袋要りません」というと、「はい?」みたいな顔されたのに。

まぁ、いろんな解釈があるので、レジ袋の有料化に関する価値判断は避けておく。
例えば、Co2削減がどれだけとか、ゴミが減るといった、正の解釈がある反面で、エコバックの方がCo2排出量が多いとか、エコバックの売り上げがウン千億円だとか、レジ袋の方がCo2削減量が少ないとか、立場変わればデータの見方も変わるので、一概に何がいいとは言えない。
個人的には「必要ないものはもらわない」ことによる「ムダ削減」で充分だと思う。

ただ、ここ2年くらいのレジ袋に関する変化は、つくづく「国の号令ってすげぇ」と思ってしまう。
それと同時に、国(だけでなく、公共のと読み替えるのがいいか)が本気を出して掲げたキャンペーンというのは、良くも悪くも国民に「思考停止」させるだけのインパクトを与えるものなのだと感じた。
様々な解釈がされている環境問題に関して、「とりあえず」の立場で、ベターな一手を打つ。
今回、白羽の矢が立ったのが「スーパーのレジ袋」であるわけだ。
最近では、必要だと思って5円出してレジ袋を買うことに、ちょっと後ろめたさを感じたりして。

Iyokiyehaは、普段大きめのトートバックにあれこれとモノを詰めて出かけるので、買った品物はそのバックに放り込んでいる。
もう、学生の頃からだから10年近くになるか。
自分で考えて「正しい」と思ったらやってみることが信条になったのは、このあたりなのかもしれない。
だから、エコバックだって、もう少し突っ込んでみて、自分の頭で考えて価値判断をしたいものです。
「いつの間にか思考停止」の可能性に気づいた以上は、そのままにしておきたくないですね。
個人の地道な活動が広がることにより、世の中のしくみが変わることを、ちょっと感じているところです。

2008年12月23日火曜日

身体が連動して動く

先日の続き。

http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/12/blog-post_21.html
(2008年12月21日投稿)

合気道で技が発動する時、自分から出力される力はそのほとんどが「直線」ではない。
動作が直線に見えても、相手に伝わっている力はいくつかの別のベクトルによって生み出される複雑な力である。
合気道や太極拳によって繰り出される力が、他の打撃系の武術と違うのは、このあたりなのかもしれない。

下半身は、低い位置を這うように、先日考察した「前進」をしながら、腕は肩から大きな円を描く、それと同時に肩の回転とは違う回転量で腰のひねりが元に戻る。
それらが連動することで、自分の腕を通じて相手に加わる力は、勢いをつけて体当たりするのとは全く別質の力になる。

面白い。

身体の各部位の動作が、それぞれ独立しながらも、相手に加わる力としては合成され、それも独立した複数の動作から生成される力のため、力と力によって相殺されるような質の力ではない。
ある一点でかかる力に対し、それを相殺しようと思っても、時間の経過(一瞬だが)とともに、力の方向は変化を生む。
これが、合気道をやっていて面白さを感じるところでもある。

この「各部位の独立した動作が連動する」ということに関連して、毎日やっている木刀の素振りでの気づき。
最近、袈裟斬りがスムーズにできるようになった。
以前は、袈裟斬りの動作をすると、肩と肘に「つっかかり」を感じ、どうしても手首に負担がかかっていたのだけれども、ゆっくりと何度も肩を意識して練習したところ、以前よりもスムーズに肩と肘が連動するようになった。
手首に要らん負担はない。

自らの身をもって、人体の面白さを体感している。
神経系の動作は、奥が深い。

先日の出来事

先々週くらいになるだろうか、通勤時に聞いているラジオの占いコーナーの一幕。
「今日のラッキーパーソンは、駅前の喫茶店の店員さん!」
だそうだ。

・・・アバウトだなぁ。

まぁ、いいんですが。
地元ネタなら、「俺の巴里」のおじさんがラッキーパーソンということに(わかる人向けのネタです)。

ということで、その日は「俺の巴里」へ。
勤務を早くあがれた時の勉強は、ここかマクドナルドです。

徒歩にて、「俺の巴里」へ向かうと、向こうから、おばさん×2、おじさんの一群が。
特に絡まないのですが、その発言が何だか面白くて。

おばさんA「これって、これなの?」
おばさんB「そうそう」
おじさん 「あれはあれだよ」
一同 「(笑)」

通じてるんだ!

英語なら、
A: This is this?
B: Yes,yes.
C: That is that.
All: Ha-Ha-
こんな感じでしょうか。

傍からみたら、何も言っていないのと同じです。
言葉って、多分に「関係性」によって成り立っていることがあるんだなと、真面目に考えた出来事でした。

・・・「俺の巴里」?
行きましたが、いつも通りおじさん(マスター)と絡むことはなく。
ラッキーパーソンって何だろうと思った日でした。

「関係性」を考えるための出来事を目の前で起こしてくれたこと、この一点のための占いだったと思うことにしています。
久々の雑記でした。駄文で、申し訳ないです。

2008年12月21日日曜日

「前進」に関する一考察

合気道の師匠から教えられていたことで、どうにも不可解だったことの一つに対し、ひょんなことから気づきがあったのでメモ。
「前進」する際の、足の運びと身体の連動に関すること。
ちなみに「ひょんなこと」=「娘を抱いてあやしていた」である。

歩行や走行動作の際に、後ろ足を蹴って前進する方法では、後ろ足の蹴る力によって前進する力が生成される。
この場合、最も強い前進する力は、後ろ足で蹴った力が運動エネルギーへと変換され、身体動作速度が最大になった時に生まれる。
この力は、後ろ足を「蹴る力」によって生成されるため、力の大きさは足の筋力次第ということになる(部位に関する勉強は未実施)。

これまで、何となく「感じ」や「予感」はあっても、不可解だった合気道の理合(りあい)の一つは「後ろ足で蹴らずに前進する」ということ。
もちろん、全く蹴らないことはほとんど不可能であるとは思われるが、蹴る力ではない別の力を利用して、身体を前進させるという理合である。

娘を抱いて、揺らしてあやしている時に、ふと「つつっっ」と身体が前進した。
いつもと違う感覚に気づき、動作を何度か復習してみる。
ちなみに、娘はその感覚が快刺激なのか、ニヤニヤと笑っている。

理合を言語化すると、以下のように表現される。
つまり、体重のもつ「位置エネルギー」(重力に従い、真下に働く力)を、身体動作を調整することによって、身体全体を前進させる力として開放することである。
直立すると、体重の分だけ位置エネルギーは存在しているものの、直立する足の筋力と均衡がとれるため、エネルギーは解放されず留まったままである。これが「気をつけ」の姿勢。
通常の歩行・走行動作は、この真下に働いている位置エネルギーに対して斜め上気味に地面を「蹴る」ことによって、身体を前進させる。
一方、合気道的な動作では、腰と足の位置を「調整」することによって、位置エネルギーの「落ちる位置」を調整し前に押し出すことにより、結果として身体が前進する。
感覚としては、身体の中で「前に動こうとするエネルギーを溜め」つつ、膝の関節を調整し足を前にスライド「し始める」のに合わせて、腰が前進し、身体がそれについていく感じである。
位置エネルギーによって生成された前進エネルギーが、一旦身体内に溜まり、引き絞った弓が元に戻るときのように力が開放される。
この力が人に伝わると、伝えられた方は一瞬にしてものすごい力がのしかかってくるような感覚に襲われる。
師匠に正面当てをかけられたときに、ふっとんでしまう時のような感じなのだろう。

感覚を掴むためのとっかかりができたので、また動作によって意識化していこうと思う。

ちなみに、宮本武蔵が言ったこととして、師匠から「剣は身体動作についてくる」といったことを紹介されたが、そのことに関する思索もまた、深めたいと思う。
最近、袈裟斬りの動作が安定してきて、肩や肘のつかえもとれてきたことと、関係があるかもしれない。



(仮説-左:通常の歩行・走行動作、右:合気道の理合による前進動作)

森博嗣『ナ・バ・テア ――None But Air』中央公論新社、2005年。

『スカイ・クロラ』シリーズ第2弾。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/09/sky-crawlers2004.html
(2008年9月9日投稿)
やはり、独特の世界観は変わらず。
飛ぶために生まれてきた「僕」と、大人になった「彼」との物語。
「キルドレ」の姿が、少しずつ輪郭を持って立ち上がってくる。
とはいえ、謎は謎のまま、物語は進行していく。
不思議な感覚に漂うような、浮遊感のある小説だった。

どうして、普通のものを決めるのだろう。
普通を決めるから、普通じゃないものができてしまう。
理不尽な話ではないか。
何をもって普通なのか。
意味はないのに。
そういう確固とした理由もないところで境界を無理に作ろうとする姿勢が、普通という馬鹿なやつの正体だ。
(186ページより引用)

淡々としているのに、なぜか物語に引き込まれてしまうような感覚があるのは、『スカイ・クロラ』と同様。

おすすめ度:★★★★☆

2008年12月20日土曜日

ムスメ

最近、ペロリンと舌をよく出すようになりました。あうあうと、言葉にならない声を出しています。
相変わらず、よく寝て、よく飲んで、順調に大きくなってます。

2008年12月19日金曜日

職場開拓とは言うけれど・・・

過日のイベントにて。
「障がい者雇用は、職場開拓が重要」という意見が大勢を占めた。

おそらく、
受け入れ先がある
  ↓
就職先がある
  ↓
希望者が就職できる
という理屈だと思う。
確かにそんな一面はある。

ただ、それがすべてかというと、そうでもないよなぁ、と思ってしまった。
何でそう思ったのかということを振り返る。

理由はいろいろあるけれど、
1.職場定着の理屈と、職場開拓の理屈は、視点が異なる
2.具体的な対象者がいない職場開拓は困難を極める
といったあたりが、肝だろうか。

最近、職場定着=対象者と事業所の間にある「環境調整」(対象者の認識・能力と、事業所のニーズの差を小さくする等)とまとめているが、この理屈と「受け入れ先の有無」という状況は、一緒に取り組むべきことだけれども、具体的支援の中では厳密に区別すべきだろう。
よりどりみどりの開拓ができても、そこに認識・能力の自覚がない対象者ばかりいても定着はしないだろうし、事業所ニーズを的確に把握しなければ、マッチングはうまくいかないだろう。
また、どんな形であれ、想定する対象者がいない「職場開拓」は、あくまで一般論になってしまう。
一般論でうまくいくマッチングなんて、皆無だろう。
あくまで、自分が担当する、もしくは所属施設の利用者を想定して、仕事を見つける、創り出す視点は必要といえる。

といっても、考えが固まってしまうと、アポなし突撃開拓なんてことがまかり通ってしまうのだろう。
アポなし開拓も必要かもしれないけれども、信念もって、高い営業スキルを持ってやってもらいたいものです。

2008年12月18日木曜日

スピーカー再び

先日の土曜日には県の事業の講師、本日は会社のイベントでスピーカー。
どちらも、障がい者の就業支援を学ぶ人のための研修講師である。
本日の任務をもって、今年人前で話すことは、とりあえず終了です。


先週末と、今日の講師っぷりに点数をつけると70点くらい。
ふりかえって、イマイチです。
さっき投稿した、先週あたりのイライラを加味すると、もっと得点は下がってしまうけれど野、70点は中身だけドライに評価した結果。
参加者の多様なニーズには応えきれなかったかなと。
きっと、今回の参加者は、もっとクリアな、もっと総括的な、もっとデザインされた講義を聴きたかったんじゃないかなと、本番の雰囲気を素直にふりかえると、そう思う。


ギリギリ合格点ということで残念がるだけでは意味がないけれども、貴重な気づきもあった。
これまで、人前で話す時、自分が「伝えたいこと」をその場でいかに伝えるかということのみにこだわってしまっていたところ、今回も同様ではあるのだけれども、今回はオートクラインも働いていたことに気づいた。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/06/2002.html
(2008年6月13日投稿)
よくも悪くも、余裕があったのだと思う。

まだまだ精進しろということですね。

読書状況081216

<今週の状況>
仕事と子育ての合間を縫って、少しずつ。
早朝勉強を、復活させたいですね。

○既読
・勝間和代『お金は銀行に預けるな ――金融リテラシーの基本と実践』光文社、2007年。

○一部(雑誌含む)
(精神保健福祉士通信講座テキスト複数)
・『Foresight』(新潮社)
・『週刊ダイヤモンド』(ダイヤモンド社)
・『TOPPOINT』(パーソナルブレーン)
・『PHP』(PHP研究所)
・米内山明宏『DVD付き はじめての手話入門』ナツメ社、2005年。
・松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、1969年。
・寺田昌嗣『フォーカス・リーディング』PHP研究所、2008年。

○オーディオブック
・マーク富岡『3000人のユダヤ人にYESと言わせた技術』サンマーク出版、2008年。
・(現在)ジェームズ・アレン著『「原因」と「結果」の法則』サンマーク出版、2003年。

○現在進行中
・茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル」製作班編『プロフェッショナル仕事の流儀 あえて、困難な道を行け』日本放送出版協会、2008年。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版③』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・森博嗣『ナ・バ・テア ――None But Air』中央公論新社、2005年。
・竹内薫『[非公認]Googleの入社試験』徳間書店、2008年。
・ジャック・キャンフィールド、マーク・ビクター・ハンセン著、木村真理、土屋繁樹訳『こころのチキンスープ』ダイヤモンド社、1995年。
・Og Mandino “The Twelfth Angel” Ballantine Books,NY,1993.
・池谷裕二『記憶力を強くする ――最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方』講談社、2001年。
・ノーマン・ドイジ『脳は奇跡を起こす』講談社インターナショナル、2008年。

野口悠紀雄『超「超」整理法』講談社、2008年。

前著は、名前だけは知っているけれども、立ち読みで済ませていた。
確か、学生時代。
当時こそ、「整理」が必要だったのだけれども、当時はノートパソコンを持ち歩くということをして、割と効率的に乗り切っていたように思う。

仕事をするようになって、物理的資料(紙、など)、電子資料(データ、など)問わず、「内容」で分類することに無理を感じていたところに、ぴったりくる内容だった。
以前、勝間和代氏の著書で「MECE Mutually Exclusive Collectively Exhaustive」に関する学びに触れたが、資料を内容で分けると、どうしても「ダブり」が出てくる。
こんなことに気づいたら、会社のパソコンで受信メールを分類するフォルダが、人・内容で混在していたことに気づいた。
ダブりがあると、分類できない。
同時に、モレがあると、分類できない。
なら、例えば「人でモレなく、ダブりなく」フォルダを作成すればいいことに気づき、整理したところ、非常に快適である。

本著では、Googleの提供するGmailに関する記述が多い。
以前より使っていたGmailだが、本格的に使ってみると、意外と使い勝手がいいことに気づく。
「検索」が機能することが、こんなにも便利だということに気づかされるシステムだ。
身の回りのものやことを「整理」する際に気に留めておきたいこと、それは「追えるようにしておく」こと。
パソコンを使えば、検索が効くようにしておくのが、モノを探すときにストレスを感じないコツといえる。

おすすめ度:★★★★★

最近のイライラ 081215作成

先週から今週にかけて、職場でひどい態度だったなぁと、素直に反省。
次から次へと細かな作業が舞い込み、目の前のことに必死になっているところに、追い打ちをかけるように意味のわからない本部指示に基づく作業。
上司にも、同僚の方々にも迷惑かけました。
さらに、仕事に抜けがあり、結構危なかったものもありました。
とばっちり受けた方々、申し訳ありませんでした。

どれもこれも、予定の立て方が下手なくせに、やるべきことに一つ一つ本気で取り組んでしまうからなのだけれども、その中で感じたことは、「仕事はできる人に集まる」のではなく「やる人に集まる」だけということ。
結局、「誰がやるの?」みたいな牽制のしあいっていうのが、大嫌いなので「じゃ、やりますね~」と言ってしまう。
職場で一番下っ端というのも、なかなか面倒ですね。
やるべき人が、面倒なこと言わないで、それぞれが効率を考えて動けば、もう少しマシになるのかもしれないね、と愚痴を言ってみたり。

オブラートが破れたので、ここまでにします。

幸か不幸か、今日は一日家のことをやりながら休めたので、明日からまたワーカホリックになろうと思います。
仕事大好き!
最近、素で言っている自分がちょっと不器用で、結構好きだったりします。

2008年11月29日土曜日

読書状況081129

<今週の状況>
相変わらずです。
ちまちまとしか読めていません。
Audio Bookは、2.0倍速までは内容がつかめていたが、2.5倍速になると内容の把握にムラが出ることがわかった。
耳をもっと鍛えねば。

○既読
・渡邉美樹『強く、生きる。』サンマーク出版、2008年。
・野口悠紀雄『超「超」整理法』講談社、2008年。
・小山ゆう作、武田鉄也原作『お~い竜馬』(16~23巻)小学館。
・佐藤秀峰著、小森陽一『海猿』(1~12巻)小学館

○一部(雑誌含む)
(精神保健福祉士通信講座テキスト複数)
・『Foresight』(新潮社)
・『週刊ダイヤモンド』(ダイヤモンド社)
・『TOPPOINT』(パーソナルブレーン)
・『PHP』(PHP研究所)
・米内山明宏『DVD付き はじめての手話入門』ナツメ社、2005年。
・松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、1969年。
・寺田昌嗣『フォーカス・リーディング』PHP研究所、2008年。

○オーディオブック
・望月実『問題は「数字センス」で8割解決する』技術評論社、2008年。
・佐藤富雄『脳が悦ぶと人は必ず成功する』Nanaブックス、2008年。
・渡邊美樹『夢に日付を ――夢実現の手帳術』あさ出版、2005年。
・洪自誠『中国古典の知恵に学ぶ 菜根譚』ディスカバー21、2007年。
・(現在)マーク富岡『3000人のユダヤ人にYESと言わせた技術』サンマーク出版、2008年。

○現在進行中
・茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル」製作班編『プロフェッショナル仕事の流儀 あえて、困難な道を行け』日本放送出版協会、2008年。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版③』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・森博嗣『ナ・バ・テア ――None But Air』中央公論新社、2005年。
・竹内薫『[非公認]Googleの入社試験』徳間書店、2008年。
・ジャック・キャンフィールド、マーク・ビクター・ハンセン著、木村真理、土屋繁樹訳『こころのチキンスープ』ダイヤモンド社、1995年。
・Og Mandino “The Twelfth Angel” Ballantine Books,NY,1993.
・池谷裕二『記憶力を強くする ――最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方』講談社、2001年。

渡邉美樹『強く、生きる。』サンマーク出版、2008年。

ワタミ株式会社代表取締役・CEOの渡邉氏が、「夢」について縦横無尽に語り尽くす。
生い立ち、そして人生の節目にどんな決断をしてきたのか、結果どうなった(ている)のかといったことを、渡邉氏自身が振り返って語り尽くした人生論といえる。
初め、Audio Bookで購入したものだが、内容にぐいぐいとひきこまれ、書籍も購入して何度か読み返している。

非常に面白い。
渡邉氏は、これまでにも「手帳術」などで、夢を具体的に描き、日付を入れることを提唱してきている。
この「夢から逆算」という考え方、そして自己実現の手法は、今まで誰もクリアに整理できなかったことに、我々のような未熟者がとりかかるための、この上ない参考となる。
イメージで言えば、真っ暗闇の未来を切り開いていこうというときに「おーい、こっちは登り甲斐のある山だぞぉ」と声をかけてくれている感じとでも言うのだろうか?
具体的な目標を立て(数値化など検証可能な尺度を用いる)、あとはひたすら取り組む。
古きに敬意をはらいながらも、新しい発想を大切にする姿勢が、人との縁や物事の好機を引き寄せていくということも、全く論理的ではないけれども感覚としてはありだろうと思ってしまう。
きっと渡邉氏の周囲には、とびきり素敵な人たちが集まっているのだろうと察する。

最大の敵は「無自覚」と「無気力」。
裏を返せば、好奇心と探究心は、人生を全うするのに、この上ない味方となってくれるのだろう。
大きな夢を持って、未来を創るという発想。
Iyokiyehaが、Iyokiyehaの人生を精一杯生きていくためのヒントを得たように思う一冊であった。

おすすめ度:★★★★★

思い出のレシート

とあるお店の、ある日のレシート。とってもおいしかったです。
この日は、ひどく暴飲暴食しましたが、とっても楽しかったので、思い出だけアップ。

2008年11月27日木曜日

中華料理 たんぽぽ

甲府に初めて来た日からお世話になっていた中華料理屋さん。

月末で店閉めるそうです。残念です。

Iyokiyehaには、静岡でも岡山でも、初めて行きつけになったお店が閉店してしまうジンクスがあるのですが、まさか甲府でもなるとは。。

お店のおとうさん、おかあさんには、大変お世話になりました。
ありがとうございます!

2008年11月24日月曜日

竜馬になりたい!

ヤングサンデーコミックス(小学館)の『お~い!竜馬』という漫画を読んでいる。
坂本竜馬の生涯をテーマにした漫画であるが、ぐいぐいとひきつけられてしまい、Iyokiyehaは坂本竜馬ファンになりつつある。

何が自分をひきつけているのかということを少し考えてみる。
幕藩体制があたりまえの日本にありながら、海外の商船に乗って海外を見ることにより、また、竜馬の人柄によって縁を持った知識人達と積極的に交わる中で、今後の日本の行く末を「自分なりに考え」、当時の常識ではありえないこと(長州-薩摩の連合や、カンパニー設立など)を堂々とやってのけたことなのだろう。
北辰一刀流の使い手として、充分に強い剣豪でありながら、いわれなき罪を着せられ、何度も斬られそうになりながらも、自らは決して人を斬らず。
大局から、邪魔な者を消すことが得策ではないという判断と、竜馬の性格からくるものだったのだろうが、個人的にはそうした「強さ」こそが本物の「強さ」のように思える。

以前、師匠から「先の先」「後の先」と一緒に「先々の先」ということを教えてもらったことがあるのだが、竜馬はまさに「先々の先」を堂々とやってのけた人なのだろう。
先手を打って、相手が刀を抜く前に斬ることも、相手が襲い掛かってきたところを斬ることもできる達人が、その相手と刀を交える前に友達になってしまう、戦意を削いでしまう。
もちろん、史実では竜馬なりの策略があり、漫画のように偶然が偶然を呼んだようなものではなかったのだろうが、とはいえ、その策略を支えたのは竜馬の底抜けの明るさであり、たとえ政敵となってしまった者であっても、その者に対する敬意と優しさが常にあったことが、「日本のため」に活躍する彼を支え続けたように思われる。

文句なしに格好いいと思う。
思い切り子どもっぽく言い切ってしまえば、Iyokiyehaは「竜馬みたいになりたい」です。
大義は何かと問われれば、まだまだ色のない夢ですが、職リハを通じたSocial Actionといったところでしょうか。
目の前の人に一生懸命になることも含め、何らかの形で自分と関わる人がみんな「自分らしく」生きられる世の中ができたらいいなと切に思っています。
具体的な内容はこれまでにも断片的に書き表していますが、今後もたくさん整理して具体的な目標に落とし込んでいこうと思います。
「面白そう!」と思った方、ぜひ一緒にやりましょう。

2008年11月23日日曜日

心を焚きつける

子どもができてから、ほとんど毎日嫁さんから写真付きの連絡がくる。
ありがたいことです。
姿だけでなくて、生活の様子なんかもちょっとした説明付きで送られてくる。
相変わらずマイペースだなぁ。
よく寝て、よく動いて、よく泣いて・・・
嫁さんが言うには、定期的でなく泣くときは大体「抱っこしろ」だそうです。
「自分の都合だけなんだなぁ」と改めて思う。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/11/blog-post.html
(2008年11月3日投稿分)

自分の子どもの様子を見聞きしてそう思ったところなのだが、仕事にも通ずるところがあるのだなと感じる。
例えば、支援をプランニングする段階で、状況を掴んだ上でいわゆる「おすすめプラン」みたいなものを提案していくわけだが、それは本当に本人が望む内容なのか?という問いが常に脳裏をよぎる。
要は、「その人の都合が考慮されているか」ということ。
「本人の希望やニーズにきちんと沿っているか」ということ。

これまで仕事をしてきて、プランニングのイメージは、その人の将来を描いていくことだという印象を持っていた。
「これが望ましい方向ですよ」「こうした方がいいですよ」「こうしましょうよ」「こうじゃなきゃ、支援できません」「こうしなさい」・・・
表現は様々だけれども、どれも「この通りにすればうまくいく(と思う)」プランを相手に貼り付けていくイメージであるように思う。

果たして、このイメージは正しいのか。
Iyokiyehaの相棒の一人が、こんなことを言う。
「全部『仮説』だよね」
ごもっとも。
Iyokiyehaの仕事も、相棒殿の仕事も「仮説に基づくプランニング」をしているわけだから、確実なことは言えないということ。
相手が人間である以上、白か黒かの判断は「本人にも、本人を支える人にも、専門家にも不可能である」と言い切っても間違いでないように思う。

Iyokiyehaや、相棒殿の仕事を「無意味」とは思わない。
そして、仕事としてのプランニングに自信を持つことは必要だと思う。
でも、そこに「私の言うとおりにすればうまくいく」といった驕った姿勢が入り込むと、たちまちクライアントの「意欲」みたいなものは小さく、場合によっては消し去られることになり、その人本来の力を発揮できなくなってしまう。
以前、私はプランニングや指導のことを「水路付け」と呼んでいた。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/06/blog-post_9179.html
(2008年6月18日投稿分)
合意の上、指導や課題に対するアプローチをするのは「水路付け」のイメージだが、プランニングはちょっと違うのかなと思える。
支援のプランニングは、クライアントの白い予定帳に、支援者が方針を書き込んでいくのではなく、クライアントが予定帳を作っていくように促していく作業のように思える。

そうした働きかけが、今の仕事には求められるのだろうなと切に思う。
最近、自らの仕事を車の教習やカーナビゲーションシステムに例えることが多い。
例えば、現在位置の把握が「評価(アセスメント)」、目的地を設定するのが「プランニングのための相談」(昇仙峡に行きたい!)、ルート案内をする「アプローチとか助言とか」(300m先、右折です)、道を間違えたらリルートする「状況変化に応じた、計画変更」(リルートします)、と例えられる。
加えて言えば、ハンドル操作は様々な技能(スキル)をあらわすことができ、アクセルを踏むことが前進の意欲とあらわすことができる。
それは、ハンドル操作は教えることができるけれども、アクセル操作は踏むか踏まないかの二者択一で、程度は本人次第である。
いくらハンドル操作がうまくても、アクセルを踏まなければ目的地にはたどりつけない。

こういう例えを交えてみると、Iyokiyehaの仕事は「よっしゃ、昇仙峡行こうぜ!」とクライアントさんがアクセルを踏む気になるように働きかけることだし、ニーズがあればハンドル操作を教えるし、目標達成に向けて道案内するといった、こんなイメージが本質にあるのではないかと思えてくる。
教習に例えたときには、支援者に「補助ブレーキ」というものがあるわけだけれども、壁にぶつかりそうなときにそれを踏むか踏まないかは、支援者の裁量になってしまうのでしょう。
ぶつからないように頻繁に踏む人もいれば、ほったらかしてぶつかるがままにする人もいるだろうし、私なんかは大怪我しない程度に踏んで一緒にぶつかってしまうのだろうなと思う。

雇用・就労支援の特質は、就職する人と雇う人という二つのニーズを同時に満たすことを常に意識するところにある。
そのあたりの思索はまた後日にするとして、この間、いろんな人と飲んで語って思ったことをまとめてみました。

2008年11月16日日曜日

職場のスクリーンセーバー

「妬まず、怒らず、愚痴らず」

勝間和代氏のオーディオブックに度々出てきた言葉だったと思うが、仏教の教えに出てくる「三毒」であるとのこと。
確かに、妬んでも、怒っても、愚痴っても、あまりいい結果が生まれるとは思わない。
Iyokiyehaも、いろんなことに対する心構えを変えてみようと、まずはこの言葉を職場のスクリーンセーバーで流れるようにしてみた。

職場でも、一部反響があったが、デスクで悶々としているときなど、脳天気に流れてくる言葉に含みがあるというのも面白い。
普段、「落ち着いている」とか「冷静」とか評価してくれることが多いのですが、そういう人に限って内側は「ホット」で「激情」ではないのかなぁとも思います。
Iyokiyehaが、このタイプですから。
こうでなければ、仏のような人か、何も考えておらず思考停止しているかどちらかです。

ぐらぐらと、いろんなことに感情を揺さぶられているところで、つい「かっ」となることも少なくないのですが、「妬まず、怒らず、愚痴らず」。
人を妬んでいないか、怒っていないか、知らずに愚痴を言ってないか、等等、ちょっとしたふりかえりの機会になるように思います。

ちなみに、もう一つスクリーンセーバーで流しているのは、

「ごまかしのない小さなことが、やがて、ごまかしのない大きなものを、生み出すであろう」

社会教育学者、宮原誠一氏の墓碑に刻まれた言葉です。
仕事は、目の前のことに集中しながらも、常に大局観を忘れてはならないなと思っており、時々突っ走る自分をやはり相対化するための言葉かなと思います。
目の前の数値目標のために、小手先でごまかしてはいないか。
発言は、本質を捉えているか。
一つごまかすと、二つごまかすことが楽になってしまいます。
愚直と言われても、大切なものは曲げずにいたいものです。

読書状況081116

<今週の状況>
あまり読んでいません。
座って、本を読む時間というのが、ここのところほとんどとれていません。
そんなこともあり、活字の欲が出てきました。
『超「超」整理法』は、おすすめです。
Googleで、ちょっとしたファイル共有による情報共有システムを構築中。
オーディオブックは快調です。
いつでも聴ける気軽さがウリ。
詳しく知りたい本は、その後本を買っています。
読むのが速くなりますよ。

○既読
・小山ゆう作、武田鉄也原作『お~い竜馬』(1~15巻)小学館。

○一部(雑誌含む)
(精神保健福祉士通信講座テキスト複数)
・『Foresight』(新潮社)
・『週刊ダイヤモンド』(ダイヤモンド社)
・『TOPPOINT』(パーソナルブレーン)
・『PHP』(PHP研究所)
・米内山明宏『DVD付き はじめての手話入門』ナツメ社、2005年。
・松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、1969年。
・寺田昌嗣『フォーカス・リーディング』PHP研究所、2008年。

○オーディオブック
・石川和幸『思考のボトルネックを解除しよう』ディスカヴァー21、2008年。
・保田隆明『投資銀行青春白書』ダイヤモンド社、2006年。
・(現在)望月実『問題は「数字センス」で8割解決する』技術評論社、2008年。

○現在進行中
・茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル」製作班編『プロフェッショナル仕事の流儀 あえて、困難な道を行け』日本放送出版協会、2008年。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版③』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・森博嗣『ナ・バ・テア ――None But Air』中央公論新社、2005年。
・竹内薫『[非公認]Googleの入社試験』徳間書店、2008年。
・野口悠紀雄『超「超」整理法』講談社、2008年。
・渡邉美樹『強く、生きる。』サンマーク出版、2008年。
・ジャック・キャンフィールド、マーク・ビクター・ハンセン著、木村真理、土屋繁樹訳『こころのチキンスープ』ダイヤモンド社、1995年。
・Og Mandino “The Twelfth Angel” Ballantine Books,NY,1993.

サービス向上と合理化は相反するのか

少し前のことだが、北杜(ほくと)市長選が始まったときのこと。
現職と新人(合併前の小淵沢町長)の一騎打ちの構図であるとのこと。
たまたまニュースで見たのだが、どちらの候補かわからないが面白いことを言った。

「市債を減らすための合理化と、それに伴うサービス低下を防ぎサービスを向上させるという、一見相反することをしていかなければならないが・・・」
なるほど、合理化を進めれば、サービスが低下するということか。

・・・面白くない。
新しい発想がなければ、何も変わらないのではないかと思ったところである。
それとも、行政特有の文化でもあるのだろうか。

石川和幸『思考のボトルネックを解除しよう』ディスカバー21、2008年。【Audio Book】

「ボトルネック」がテーマ。
「Bottle neck」は「隘路」と訳され、通り抜けにくい部分などをあらわしている。
三車線の幹線道路が、車線減少により二車線になると、そこで車が滞り自然と渋滞となっていく。
そんな様子であると理解している。

あたりまえのことだけれども、組織にもそうした「ボトルネック」は存在する。
オーディオブックでは、ライン作業の際、A,B,Cがいて三人が役割分担してものを組み立てるとすると、その中で「一番遅い人に合わせて」全体の進行速度が決まってくるとし、例えば、Aが20、Bが15、Cが10の仕事ができるとすると、全体の仕事量は10であると説明する。

オーディオブックの内容は、個人内にあるボトルネックを解消して、よりよい人生を生き抜く力としていくことを、知識と選択の観点から説明するものであったが、このボトルネックという概念は、気づく努力をしないと、知らず知らずの内に身の回りに偏在し、自分を窮屈にしているものと感じる。
実生活の中で、このボトルネックが気になるのは、自分の希望が自分以外の「何か」によってその実現を妨げられている時だろう。
「何か」がボトルネックである場合、憤りとなって自分に立ち上がってくる。

ただし、そのボトルネックについて、それを指摘するだけに留まっていたら、いつまで経ってもアクションには結び付かないということも感じるに至る。
つまり、生産性のない愚痴を延々と言っているだけでは、何も変わらないということである。
ボトルネック解消の方法は、様々である。
このオーディオブックでも、その方法について新たな発想をいくつも提案している。
その中でも、特に「選択」について触れている箇所は、普段わかっていながらなかなか具体的な行動には移らないと思うところである。

自分で自分を苦しめているという「ばかばかしいこと」は、いつの間にか起こっていて、知らず知らずのうちに自分を追い詰めていく。
私自身の仕事も「ゼロベース」で考え直してみたら、新たな視野が開けるかもしれない。

保田隆明『投資銀行青春白書』ダイヤモンド社、2006年。【Audio Book】

外資系投資銀行の業務を、新人社員の研修を兼ねた成長という視点で小説として描いたもの。
連日、ニュースや新聞をにぎわせている「投資」や「金融」。
そのしくみや、この小説でテーマになっているM&Aに関する、具体的な作業について、順を追ってわかりやすい説明を交えながら物語は進んでいく。
「投資銀行」なんて、普段縁がない故に、非常に新鮮だった。

企業が合併する、または事業を売却するというのは、どんな解釈ができるのか。
その手続きはどんなもので、どんな人たちがどのように関わっていくのか。
「事業の値段」はどのように決定されるのか。新聞を読んでいてもよくわからないこうした疑問について、小説ゆえのわかりやすさと、専門的になりすぎない概説がほどよく混ざり合って、面白い小説に仕上がっているといえる。

2008年11月9日日曜日

読書状況081109

<今週の状況>
とりあえず、最近の状況をまとめてみました。
フォーカス・リーディングができているかどうかは別として、少し読むスピードが早くなってきたようには思います。
いい意味で「読み飛ばし」をしている感覚(読み方のギアの変化)を実感しているところです。
オーディオブックが気に入っており、2.5倍速で聞けるため、結構な進度になっています。
お金の工面が大変かも(苦笑)。
感想はおいおい。

○既読
・村上憲郎『村上式シンプル英語勉強法』ダイヤモンド社、2008年。
・勝間和代『ビジネス頭を創る7つのフレームワーク力 ――ビジネス思考法の基本と実践』ディスカヴァー21、2008年。
・渡邉美樹『無人島ウィー ――地球でたったひとつの教科書』日本経済新聞出版社、2008年。

○一部(雑誌含む)
(精神保健福祉士通信講座テキスト複数)
・『Foresight』(新潮社)
・『週刊ダイヤモンド』(ダイヤモンド社)
・『TOPPOINT』(パーソナルブレーン)
・『PHP』(PHP研究所)
・米内山明宏『DVD付き はじめての手話入門』ナツメ社、2005年。
・松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、1969年。
・寺田昌嗣『フォーカス・リーディング』PHP研究所、2008年。

○オーディオブック
・竹内一正『スティーブ・ジョブズ 神の交渉力 ――この「やり口」には逆らえない!』経済界、2008年。
・渡邉美樹『強く、生きる。』サンマーク出版、2008年。
・稲盛和夫『生き方 ――人間として一番大切なこと』サンマーク出版、2004年。
・マイク・リットマン他『史上最高のセミナー』きこ書房、2006年。
・勝間和代『お金は銀行に預けるな ――金融リテラシーの基本と実践』光文社、2006年。
・(現在)石川和幸『思考のボトルネックを解除しよう』ディスカヴァー21、2008年。

○現在進行中
・茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル」製作班編『プロフェッショナル仕事の流儀 あえて、困難な道を行け』日本放送出版協会、2008年。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版③』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・森博嗣『ナ・バ・テア ――None But Air』中央公論新社、2005年。
・竹内薫『[非公認]Googleの入社試験』徳間書店、2008年。
・野口悠紀雄『超「超」整理法』講談社、2008年。
・渡邉美樹『強く、生きる。』サンマーク出版、2008年。
・ジャック・キャンフィールド、マーク・ビクター・ハンセン著、木村真理、土屋繁樹訳『こころのチキンスープ』ダイヤモンド社、1995年。
・Og Mandino “The Twelfth Angel” Ballantine Books,NY,1993.

耳を鍛えて、耳でも学ぶ ―音の力

ここのところ、すっかりオーディオブックにはまってしまった。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/10/creativezenaudio-book-httpiyokiyeha.html
(2008年10月25日分投稿:耳で学ぶ)
http://www.febe.jp/top/index.html
(Web:オーディオブック FeBe)【リンクに追加しました】

ブログのアップが追いつかないので、また「読書状況」でまとめます。
9月7日が最後の「読書状況」更新のようですね。
さぼっててすみません。

オーディオブックに加えて、いくつかの書籍で紹介されていた速読ならぬ「速聴」にも挑戦しています。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/10/10102008.html
(2008年10月5日:『フォーカスリーディング』)
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/09/102007.html
(2008年9月22日:『効率が10倍アップする新・知的生産術』)

挑戦といっても、音声データを好みの速さにエンコードして聞くだけなので、別に大変なことをしているわけではないです。
ただ、先々週くらいには2倍速で聞き取り難かったのが、今は2.5倍速でも何とか聞き取れているのかなと。
耳も筋トレ(神経トレ?)です。
やればやっただけ強くなります。
エンコードのソフトはここで公開されているものを使っています。
http://www.hayamimi.jp/
(Web:早耳倶楽部)
http://www.hayamimi.jp/02software/01free_encoder.html
(Web:フリー版早耳エンコーダー ダウンロードページ)

デジタルオーディオがすっかり手放せなくなっているわけですが、こんな感じで使い分けています。
通勤・移動中 = オーディオブック
勉強中 = クラシック・ジャズ系の音楽
PCや読書中 = 気分に合わせた音楽か英語教材
仕事中にもジャズとか聞きながらやったら、きっと効率あがるんだろうなぁって。
修士論文は、院生室でジャズ聴きながら書きました。

ほら、工場でも有線入れた方が効率があがるっていう研究があるみたいですよ。
岡山時代に某紳士服工場(あややの方です)の工場長に聞いた話です。
その工場では、最新ヒット曲の有線が流れていました。
だから、ウチの会社も・・・
・・・真面目な会社だから、ダメでしょうね。
出張中は勝手に聞いています、というか、私は何か聞いていないと運転中眠くなるので。

オーディオ関係の機材、いい使い方あったら是非教えてください。
最近のこの「耳で学ぶ」シリーズは、Iyokiyeha2.0に近づいたなっていう気がする開拓です。

法学

テーマ:わが国における行政救済法制について略述した上で、行政争訴2法(行服法、行訴法)の内容および異同を説明しなさい

1.はじめに
 日本における行政救済法制は「行政により自己の権利・利益を侵害されたとき」に、「その是正を求める」ために定められている(参考文献1、166ページ。以下本文中のページ数は同文献)。公権力の行使と、公共の福祉とが相反するものである場合や、個人に対する行政処分がその個人の権利や利益を著しく侵害する場合に、行政機関の暴走を抑制するための制度といえる。
 本稿では、行政救済法制の概要をまとめた上で、特に行政不服審査法(以下「行服法」)と行政事件訴訟法(以下「行訴法」)の二法の内容をまとめる。

2.行政救済法制体系
 日本における行政救済法制は、以下の三つに分類できる。一つ目は国家補償、二つ目は行政訴訟、三つ目は苦情処理制度である。行政訴訟は次章で説明する。
(1)国家補償
 国家補償には、国家賠償制度と損失補償制度がある。
 国家賠償制度はさらに、公権力の行使に基づく責任と営造物責任との二種類に大別される。前者は、行政機関に勤務する公務員が、その職務の中で故意又は過失により、違法に他人に損害を加えた時に、国又は公共団体がその損害を賠償する制度である。後者は、公の営造物(道路や河川など)の設置や管理について、その要件が欠格していたり、されるべき管理がなされていない等の条件により、他人に損害が生じた場合に、国又は公共団体がその損害を賠償する制度である。
いずれの場合も、通常公務員個人は責任を負わないが、故意または重過失である場合のみ、国や公共団体が当該公務員に求償権を行使できる。
 一方、損失補償制度は、公権力講師が適法である場合の特別な犠牲に対し、それを調整するための財産的補償である。
(2)苦情処理制度
 行政に対する苦情処理には、行政相談制度がある。総務省が行う、行政全般についての苦情や相談、意見・要望を受け付け、その解決や実現を促進するために、必要なあっせんや行政制度および運営の改善に反映させる制度である。

3.行政訴訟
 日本における行政訴訟は二つある。一つは行服法に基づく行政不服審査制度、もう一つは行訴法に基づく行政事件訴訟制度である。
(1)行政不服審査制度
 行政上の不服申立てに関する一般法を意味する。行政庁の違法や不当処分等に関する不服申立てに対し、簡易迅速な手続きにより救済を図ることを目的としている。
 不服申立ての種類には三種類ある。不服申立ては、ある行政庁の処分が対象となるが、一つには、当該行政庁以外の行政庁に対し不服申立てする審査請求、二つには、当該行政庁に対し不服申立てする異議申立て、三つには、審査請求の採決に対し不服がある場合に、さらに上級庁に提訴する再審査請求である。例えば、市町村長による処分に不服がある場合、市町村長に対し不服申立てをするのが異議申立てで、都道府県長に対し不服申立てをするのが審査請求、都道府県長の採決に不服がある場合に、当該処分を所轄する大臣に対し不服申立てをするのが再審査請求と説明できる。このことから分かるように、行服法は不服申立ての請求先を、処分庁・上級庁を含む行政庁としている。
 審査・再審査請求に対する裁断は裁決、異議申立てに対する処分庁の裁断は決定であるが、裁決・決定の種類は、それぞれ却下、棄却、事情、認容の4種類である。判断の対象となるのは、当該処分・不作為の適法性と妥当性で、手続きは書面審理が中心となっている。
(2)行政事件訴訟制度
 ある行政処分及び不作為について、その適法性を裁判所に問うための制度である。基本的に民事訴訟法に従う内容となっているが、行訴法を付け加えたものにより行政訴訟は構成されている。よって、当該申立てについて、地方裁判所の判決が不服であれば控訴して高等裁判所が裁判し、さらに高等裁判所の判決が不服であれば最高裁判所に上告することができる。よって、行訴法における不服申立て請求先は裁判所である。
 訴訟の類型は、行訴法第3条から6条に規定されている(その他のものについては第7条)。
 判決は、行服法とほぼ同様に、却下、請求認容、請求棄却、事情の4種類である。判断の対象となるのは、当該処分・不作為の適法性で、手続きは口頭弁論を伴う対審制となっている。

4.まとめ
 以上、行政救済法制について、特に行政訴訟に関する二法を中心に説明した。二法の特徴を端的にまとめると、ある行政処分・不作為について不服申立てを行う際、行服法に基づく行政不服審査制度は、その申立てを行政庁が簡易・迅速・低廉に審査するのに対し、行訴法に基づく行政事件訴訟制度は、その申立てを裁判所が客観的・公正中立的な立場から審査するものであるといえる。
 私個人としては、私生活においても、精神保健福祉士となった後の業務においても、活用せずに済むのが最もありがたい制度といえる。ただし、私生活および業務の中で、個人の権利・利益を不当な行政処分により侵害された際、その是正を求める正当な手続きがあることを覚えておきたい。



 
(勉強メモ)

※なお、本投稿をコピーしてレポート課題とすることを禁止します

2008年11月3日月曜日

お部屋掃除

数年ぶりに大掃除しました。
これまでは、実家の電化製品のお下がりを、いかに部屋に押し込めるかと考えていたのですが、今回は、いかに部屋をフラットにするかを考えてみました。
テレビは要らん、テーブルは要らん、本を床に置かない、をテーマに片付け。
20年の時を経て、発掘されるものもあり、感慨深くもある。
納戸の、私専用書棚整理しました。売却した書籍約200冊、書き込みとかしてて処分した書籍が50冊くらあ。結構やりました。
これで、子ども連れて帰省しても、安心です。

レセプターの質と網の目 -気づけること、気づけないこと

後悔もしていないし、必要以上に美化しているつもりも、美化するつもりもない。
ただ、自分にとって結構なインパクトだったので、記録しておきます。

部屋を片付けていたら、学生時代の私用の手紙がごっそり出てきました。
自分でも忘れていた封筒が発掘されて(笑)。
実家の自分の部屋を、何年かぶりに大掃除したので、そういうものまで出てきたんですね。
いろんな人と、いろんな手紙のやりとりしてたんだなぁと、懐かしんで目を通す。
そして、その大部分を処分しました。
過去との決別なんてものじゃないけれども、数年寝かせたものから大切な「気づき」を得たので。

当時は、プライベートな手紙がアパートのポストに入っているだけで舞い上がっていた頃。
今のIyokiyehaの経験と知識と照らしてみたら、その兆候が随所に散見されるわけです。
いろんな人からの、いろんな感情が乗せられた書簡。
とんだ思い違いをしていたことに気づかされるものもあり、恥ずかしいやら、苦笑いやら、そして「はっ」とする内容まで。

強烈な「気づき」でした。
自分が思い違いをすることによって、相手を不快にさせることもあり、得られる機会のあったものが得られなくなったり、そればかりか手の届かないところへ行ってしまったり。
「私」が直接の原因となって、とりかえしのつかないことになったわけでないことがわかるがゆえに、後悔はしないけれども、こう、胸にもやもやとしたものが残ったり。
同じ刺激を受けていても、レセプターとなる私がそれを受けられる準備ができているか否かによって、その刺激から受け取ることができる情報には違いがあるということ。
そんな、あたりまえといえばあたりまえのことに、否応なく気づかされました。

・・・という、強烈な感情の揺さぶりがあり、大切なことに気づけたことを心に刻み込んで、そしてここに書き留めて、全てを処分しました。
私も、次のステップに一歩踏み出そうと思います。

子どもを授かって、思うこと

呆れられても、苦笑いされても、こう言います。
「ウチの娘はかわいいです」
親バカとでも、何とでも言ってください。
全然、こたえませんから(笑)、あきらめてください。

嫁さんと娘の入院生活は、明日で終了となります。
入院先の病院の産科は、浜松市だけでなく全国的にも結構名が知れた病院らしい。
それはどうあれ、南米系の患者さんも多く見られます。
そんな人たちと、ポル語で話している嫁さんを「おぉ、すげぇ」と思ったり。
陽気に話しかけてくるブラジル人っぽい兄ちゃんに「かわいいねぇ、よかったねぇ」と言われて(いるような気がして)「ありがとう」と言ったら、「オメデト」と言われたり。
結構面白い。

ちょっと心配なのは、黄疸の数値があんまりよくないらしく、娘の退院は遅れるかもしれないけれども、なるようになるしかないですね。
そんな話を実母にしたら、「あんたも一週間くらい入院してたのよ」と。
なるほど、そんなところも似るものか。


(寝ている娘:かわいいでしょ)

静かに寝ていると、つい起こしたくなってしまいますが、ほどほどに、ほどほどに。
毎日、数時間の訪問だけだけれども、抱き続けて肩から腕にかけてすっかり筋肉痛です。
今日は、訪問中に3回も大きい方を排出していただき、ありがとうございます。
抱いているときでも、ガスが抜ける音と振動が、腕を通じて感じられるんですね。
一度に3回も交換の練習が出来たので、ちょっとだけ手際がよくなったかもです。


(起きてる娘:かわいいでしょ・笑)

数時間でも毎日娘と接して感じたのは、全て娘の都合で動くなぁということ。
お腹空けば泣くし、眠けりゃ寝てるし、伸びして泣くし、起きてきょろきょろしてどこを見るわけでもなく、抱っこしていてもそれが基で笑うわけでもなく、でも時々笑ったような顔してみたり、しかめてみたり、反応がなくなったらガスの音がしたり、動いていたと思ったら寝てみたり・・・
そう思ったら、泣いているときに「泣きやませる」ことは、親の都合だけなのかもしれないなぁと思ってみたりして。
でも、夜泣きとかされたら、自分の睡眠時間が短くなったり、ご近所に迷惑かも・・・と思うことそれ自体がもう「Iyokiyehaの都合」なんだよなぁと、はたと気づく。

そのことに気づいて、仕事のこともいろいろ考えそうになる。
要は、リスクを負うのが誰かという、先日の問いに通ずるもの。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/10/blog-post_25.html
(2008年10月25日投稿分:リスクを負うのは誰?)
まとめるのはまたの機会。

もっと懐広くならんといかんなと思っているところです。
ますますセルフマネジメント能力が問われるかな。
早寝早起きしないと(笑)。

精神保健福祉援助技術各論(2)

テーマ:ケアマネジメント過程をまとめ、考察せよ


1.はじめに
 「ケアマネジメント」は、1960年代に欧米で勧められた脱施設化によって新たに発生した問題(退院した患者がホームレスになってしまう、または症状が悪化して再入院となる、など)を解決する手段として体系化された。定義する人により、ニュアンスに多少の違いはあるが、その意味するところは「従来の支援を超え、地域をベースに、利用者の生活ニーズを起点として、その充足のために必要なあらゆる社会資源を調整し、組み合わせて、その人らしい地域生活ができるように調整する新たな支援技法」といえる。
 本稿では、ケアマネジメント過程を7段階に分け、それぞれの要点を整理した上で、精神保健福祉士が目指すべきケアマネジメントについて、私自身の体験を交えて考察する。

2.ケアマネジメントの段階とそれぞれの要点
(1)インテーク(受理面接)
 ケアマネジメントの導入を判断する。主に初回面接のことを指す。クライアントの主訴を把握し、問題解決のための大枠を見立てる。
 具体的な支援には至っていない段階であるが、今後の支援を円滑に実施するためにも、クライアントのとの信頼関係を築くことが重要である。
(2)アセスメント(ニーズの把握と評価)
 様々な手法により、クライアントの生活ニーズの把握と、当該クライアントの状況からニーズ充足の方法や利用可能な社会資源の検討を実施する。
 ここで重要となるのが、「できる」「できない」に留まらず、クラアントやその置かれた環境の持つストレングスに注目しつつ、広く全体を評価することである。クライアントの生活領域毎のニーズそれぞれについて、セルフケア能力だけでなく、社会資源の利用・対応状況も含め、全体としてどんな状況なのかということを評価する必要がある。
(3)プランニング(ケア計画の作成)
 これまでの過程で得られた情報に基づき、クライアントのニーズを充足させるための目標を設定し、利用する社会資源やサービス、それぞれの役割分担や責任の所在、取り組みの期間を調整・確認する。
 目標は一つに絞り込むのではなく、ケアマネジメントによって実現が不可能としても、それがクライアントの真のニーズであるならば「大目標」としておき、大目標に近づくための現実的かつケアマネジメントによって対応可能な目標を設定する。その現時的な目標を達成するために、当面取り組むことを「小目標」として設定し、それに基づき具体的な計画を作成する。
(4)介入(ケア計画の実施)
 プランニングで作成した計画に沿って、クライアントとその周辺の環境に対し、直接・間接に支援を意図的に実施していく。直接支援は、クライアント本人のセルフケア能力を向上させるために実施される。例えば、コミュニケーション能力の向上のためのSSTへの参加を促すことがあげられる。間接支援は、クライアントを取り巻く社会資源に対し、その改善や、個々のサービス担当者の役割を明確にするなどして、サービスの適正化を図る調整があげられる。
 直接・間接支援の双方を必要に応じて実施することが重要となる。アセスメントで全体を評価することによってそれは可能となる。課題を本人のセルフケア能力のみに起因させず、社会資源の調整を視野に入れる点がケアマネジメントの特徴であるといえる。
(5)モニタリング(進捗状況の把握と評価)
 支援を実施した後、それらが計画通り進行しているか、支援によって新たな課題が発生していないか等、追跡調査を実施する。
 モニタリングの結果、目標達成のために計画の大幅な変更が必要と判断された場合には、再度アセスメントの段階に戻り修正する。
(6)エバリュエーション(総合評価)
 実施された一連のケアマネジメント支援全体をふりかえる。
 これまでと同様、クライアントのセルフケア能力がどの程度向上したか評価するとともに、クライアントをとりまく社会的な支援ネットワークをどの程度拡充・向上させたかについても適切に評価する必要がある。
(7)ターミネーション(終結)
 エバリュエーションにおいて、これまでのようなケアマネジメント支援が必要でないと判断された場合に、フォローアップ体制を整えて支援終了とする。
 ケアマネジメントは終了するが、ケアは必要に応じ次の段階へ移行するなどの引継ぎを確実に実施する。

3.考察
 以上、ケアマネジメントの段階とそれぞれの要点について概観した。改めて整理すると、困難を抱えた人に対し、何らかの援助活動を実施する場合、ほとんどこれと同じ段階を経て実施していることがわかる。私が普段業務としている雇用支援も例外でない。
 その上で、二つのことを取り上げて本稿を結ぶ。
 一つは、ケアマネジメント支援における「環境」への注目である。もちろん、クライアント自身のセルフケア能力向上は重要である。「その人らしい地域生活ができる」ことを考えた時に、重要なのはクライアントの能力だけでなく、その人を取り巻く資源をいかに活用しその人が能力を発揮できる環境を調整するかという視点が重要となる。例えば、「仕事をしたい」と言ってくるクライアントの主訴が、「安定した収入が欲しい」ということであれば、障害年金の受給も視野に入れるなどの対応が求められるだろう。
 もう一つは、人と関わる上で大切にしたいこととして、ケアマネジメント支援がクライアントの人生をどう方向づけるのかという視点である。課題・問題のある現状へと至った経緯は人それぞれであるが、その解決を通じて、クライアントはどんな人生を描いているのか。プランニングの大目標の設定に通じる部分であるが、そうした大きな目標にどのように近づいていくかという視点があって初めて、クライアントがエンパワメントされ、セルフケア能力も向上していくのだと考えられる。ケアマネジメント支援は、クライアントが置かれている生活上の困難を解決するために実施されるものであるが、その解決は本人の希望する人生に近づくためのものとして取り組むことが求められるのではないだろうか。
 人と関わる以上、その人の今後の人生を視野に入れた計画作成が必要といえる。さらに、全ての人や環境は変化する力(≒可能性)を持っていることを考慮し、ケアマネジメント支援を実施することが、精神保健福祉士が目指すべき支援のあり方であるといえる。



(勉強メモ)
※なお、本投稿をコピーしてレポート課題として提出しないでください

精神保健福祉論レポート(3)

テーマ:精神衛生法から精神保健福祉法の2005年までの法改正経過をふまえ、それぞれの意義と主なポイントについて述べなさい


1.はじめに
 精神障害を有する者に対する処遇に関する、この100数年の法改正を概観すると、彼らを社会から隔離・収容(自宅や病院)する社会防衛思想に基づいていたものが、地域生活を目指すものへと変化してきたことがわかる。
 本稿では、精神衛生法制定から現在までの法改正を取り上げ、それぞれの意義をまとめ、上記変化について整理する。

2.法改正とそれぞれのポイント
(1)精神衛生法制定(1950年)
 欧米からの最新の知識を導入し、公衆衛生の向上・増進を目的として成立した。しかし、精神障害を有する者を「社会生活を破壊する危険性のある者」とし、従来の私宅監置を、精神病院に収容する手続きを定めた法律と評価されている。ポイントは以下の通り。
①私宅監置の廃止
②措置入院と同意入院(現在の医療保護入院)を新設
③精神衛生鑑定医の設置

(2)精神衛生法改正(1965年)
 欧米で「脱施設化」運動が起こり、ケアマネジメントの手法が注目されるようになったことを受け、日本でも「地域ケア」が検討されていた。しかし、駐日アメリカ大使が、精神分裂病の診断を受けていた19歳の少年に刺され(1964年のライシャワー事件)、政治的対応も含め、精神障害を有する者が再び「市民的秩序を破壊する危険性を持つ者」とされる。こうした背景の中、精神衛生法は改正された。ポイントは以下の通り。
①保健所を第一線相談機関とし、精神障害を有する在宅者の訪問指導・相談事業を強化
②精神衛生センターを都道府県に設置
③通院医療費公費負担制度を新設
改正の結果、同法は治安的要素が強くなり、警察による精神障害を持つ者への取り締まりが強化されることになる。

(3)精神保健法成立(1987年)
 入院患者は増加の一途をたどる。この期間中、複数の精神病院における実態や事件が報道される。その中でも、宇都宮病院事件(1984年)は、国内だけでなく海外でも日本の精神医療現場の問題として取り上げられる。こうした国際的批判を背景に精神保健法は成立した。ポイントは以下の通り。
①任意入院制度の新設
②人権擁護制度の新設(退院・処遇改善請求および、精神医療審査会の設置)
③社会復帰施設の法定化
 任意入院は、後に入院形態の主流となる。ただし、「精神障害者」の定義や、保護義務者の負担については先送りされた。

(4)精神保健法改正(1993年)
 精神保健法成立後、国内では障害者対策に関する長期計画が打ち出され、国際的には国連原則が採択される。こうした背景と見直し規定により法改正される。ポイントは以下の通り。
①大都市特例(1996年から)
②医療・福祉・行政の連携と協力に関する義務規定
③保護義務者の名称を「保護者」に改めた(実態はほとんどかわらない)
④精神障害者社会復帰促進センターの創設

(5)精神保健及び、精神障害者福祉に関する法律(以下「精神保健福祉法」)(1995年)
 精神保健法改正後、障害者基本法が成立し、精神障害者が障害者施策の対象として位置づく。また、保健所法も地域保健法へと改正され、精神障害の発症から社会復帰まで、一貫したサービスの提供を保健所が担うことになった。また、当時入院患者数の増加も指摘されていた(約33万人)。
 これらの背景を受け、精神保健法が改正され精神保健福祉法が成立した。ポイントは以下の通り。
①目的に、精神障害者の自立と社会経済活動への参加の促進が加わる
②精神障害者保健福祉手帳が創設
③精神病院への指定医必置
④社会復帰施設の追加(福祉工場、福祉ホーム)
⑤精神障害者社会適応訓練事業の法定化
 ①により、社会参加の視点が目的に加わり、それに基づく法整備であるといえる。

(6)精神保健福祉法改正(1999年、2002年、2005年)
 精神保健福祉法成立後、「障害者プラン」が打ち出され、精神障害者に関わる施策は医療から福祉へと切り替わっていく。これらの背景、これまでの課題への対応、および構造改革の流れを受け、1999年に精神保健福祉法は改正される。ポイントは以下の通り。
①保護者の義務の緩和
②市町村が福祉サービスに関する相談を実施する
③ホームヘルプ、ショートステイが在宅福祉事業に位置づく
 居宅生活支援が制度の中に位置づき、地域における在宅福祉施策が展開されるようになった。
 2002年には、市町村保健福祉業務の開始に伴い法改正された。
 2004年に、「今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」が打ち出される。精神障害者に関する課題は「精神保健福祉の改革ビジョン」に基づき取り組むとされた。こうした流れの中、2005年に障害者自立支援法が制定された。それに伴い、精神保健福祉法も改正される。ポイントは、障害者自立支援法への統合(通院医療費公費負担制度や社会復帰施設に関する事項)である。

3.まとめ
 以上から、冒頭で述べた、精神障害を有する者に対する処遇の変化がわかる。
 本稿では、精神障害を有する者の支援に関する法律を概観してきたが、障害者福祉全体の流れがこれと同様、地域生活を支える視点へと変化しつつあるといえる。法律の変化だけでなく、その根底にある「住民参加と協働に基づくサポートネットワークの形成による共生社会の実現」を見据えた取り組みが必要となるといえる。
平素から、障害を有する方への支援をしつつ、こうした大局を見据える姿勢を忘れないようにしたい。




(勉強メモ)
※なお、本投稿データをコピーしてレポート課題としないでください

2008年10月30日木曜日

第一子誕生

Iyokiyehaの娘です。
予定日より一週間早く誕生しました。
3,320gと大きめ。
よく泣き、よく動き、よく寝ています。

急な出産だったので、私との予定があった方、仕事のとばっちり受けた方、おられるかと思いますが、申し訳ありませんでした。まずは御報告まで。

2008年10月25日土曜日

耳で学ぶ

先日紹介したCreative社のZENを使って、最近Audio Bookにハマっている。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/10/blog-post_23.html
(2008年10月23日投稿:デジタルオーディオ)

いろんなオーディオブックを試しているところだが、ビジネス書の中でも、自伝とか経営哲学のような内容の本とは、親和性が高いように思う。
車を運転しながらでも聞けて、勉強になる。
http://www.febe.jp/top/index.html
(Web:オーディオブックFeBe)
最近、移動時間(出勤、帰宅、出張など)が全て勉強時間になった。
もちろん、専門書はあまり売っていない(探せていないだけかもしれないが)ので、PSWのレポートには活用できていないけれども、英語を聞いたり、さらりと読みたい本なんかは耳で聞くっていうのも面白い。
何より、「隙間時間」の有効活用になるのがいい。

どんなものか、確認・体験したい方は、ぜひ声かけてください。
また、最近自転車通勤が多いのは、毎日飲みに行っているわけではなく、健康づくりを兼ねて、出勤時間に「勉強」しているからです。
これが、また楽しいです。

竹内一正『スティーブ・ジョブズ 神の交渉力 ――この「やり口」には逆らえない!』経済界、2008年。(リュウ・ブックスアステ新書)【FeBe Audio Book】

FeBeでAudio Bookを購入した。

「交渉力」と題名がついていたので、ビジネスの交渉におけるノウハウ本みたいなものかと思っていたが、全く違うものだった。
スティーブ・ジョブズという天才が、ビジネスの世界でどう生きているのか、ターニングポイントとされる場面で、何をしてきたのかということについて、マッキントッシュの販売開始から、現在に至るまでを網羅して紹介している。

結論。
ジョブズは、職業人として最も幸せということに限りなく近い生き方をしている。

ジョブズの考え方は、一社会人として参考にしたいところもある。
でも、この人のやり方は真似できないし、する気もない。
ただ、何も考えずに「組織の意志で生かされる人間」にはなりたくないと再認識した。
読み物として、面白い。
それにしても、交渉相手を怒鳴りつけたり、契約を破棄したり、人情のかけらもないなどといった、派手なエピソードを聞いていると、天才性と子ども性といったようなものは、本当に紙一重のところなのかと思ってしまう。
重要なのは、小手先の方法ではなく、揺ぎない信念を持つことと、自分が本当にやりたいこと=最後に残ったものを受け止める力であるように思う。
そして、それを伝えるべき相手に、わかるように伝えることだ。

彼の交渉術は、文字として聞くと「人としてどうか?」と思わされることもあるが、不必要な不安や心配に踊らされることなく、自らの意志をストレートに伝え、自らの本音に正直に、素直になってなされているという点で、学ぶ点があった。


おすすめ度:★★★★☆

リスクを負うのは誰?

誰のための支援体制か?と考えさせられることがある。
ケアマネジメントの手法で、対象者の課題とその内容を一覧表にして、その課題に対応する担当者を会議の中で決めていくというものがある。
これまで、あまり疑うことなく使ってきた手法だが、「敢えて明確にしない」というのも一つの方法なのだな、と思わされることがあった。

時々お客さんになる「誰にでも相談する人」。
課題が明確になった際に、相談の内容をカテゴライズして、それぞれの相談窓口を決めておく。
支援者が混乱しないようにするためには、有効な手段でといえる。
割と一般的な手法かもしれない。

ただ、この役割分担は、一体「誰のため」の役割分担なのか?
会議の席上で、そんな疑問を提示したワーカーさんがいた。
話を聞きながら、即座にマトリックスに落とす。
状況を整理すれば、なるほど納得である。
役割分担をしたいのは「混乱したくない支援者」であり、対象者は「すぐに、誰かに相談したい」のだろうという結論に達する。

そうなると、役割分担をすることによって、担当者と連絡がつかない状況もあるわけで、そんな時に他の人に相談することは「ルール違反」になってしまう。
「相談したい」ことが第一位のニーズなら、その手段は確保した方が「本人は」楽だろうという結論。

納得。
見事だと思った。

もちろん、オプションとしては、
1.役割分担せず、支援者間の情報共有は支援者間の連絡体制でフォローする
2.役割分担せず、ツール(相談ノートなど)を活用してフォローする
3.役割分担して、担当者が相談を受ける
といった方向が話し合われたわけだが、「本人ニーズ」に沿った支援者のやりとりというものの本質に、一つ触れられたような気がした会議だった。

「リスクを負うのは、誰?」
本人の自己決定を尊重するのであれば、答えは自ずと立ち上がってくる。

2008年10月23日木曜日

デジタルオーディオ

CREATIVE社のZENという商品。iPodのような、デジタルオーディオです。
iPodと決定的に違うのは、スピーカーが内蔵されていること。割と、この一点で購入しました。車の運転中に、助手席に転がしておいたり、別売りのアームバンドで腕につけたり。イヤホンつけて運転するのは怖いので、最近出張中にも使ってます。
最近これにAudio Bookをダウンロードして使ってます。歩いている時間、自転車で移動する時間、運転する時間、家事の時間。ありとあらゆる隙間時間が読書時間に変わりました。
こいつは、おすすめです。

2008年10月15日水曜日

大きな水瓶のような・・・

師匠と合気道の稽古をする最中、崩しの練習をしているときに「極めかた」みたいな内容となる。
言葉でまとめるのは難しいのだけれども、例えば手の甲。
左手の甲を右手の親指で押さえていくと、他の部分とは違う痛みを伴う箇所がある。
そこは、おそらく「ツボ」みたいなところだと思うのだけれども、その場所を押さえる右手の使い方で、ただの圧迫か、突き抜けるような圧迫になるかの違いがある。

同じことは、足の甲にも起こりうる。
相手の足の「ツボ」みたいなところを、自分の足の親指で押さえていくと、やはり痛みが違う箇所があり、押さえ方によって突き抜ける痛みを発することがある。

「ツボ」みたいなところを「身体の継ぎ目」とでも、とりあえず呼んでおくことにする。
そして、押さえ方は、「体内の力の流れの出し方」とでも捉えておく。
この後者の表現は難しいところだけれども、圧迫する力に「気」を乗せるとでも言うのだろうか。
同じ押さえ方でも、それが手首を起点とした親指によって作り出される圧力なのか、それとも、目に見える動作を伴わなくとも、体内の骨格および筋肉、果ては血流みたいなものの動きが一体となって生みだされる圧力なのか、という点で、力の出方が全く違ってくるといえるのではないだろうか。
それは、水を多めに入れた水瓶を担ぐと、水瓶の中の水が動くことによって、重心が変化する様子に似た感覚のようにも思われる(完全に密閉した容器に水を入れた時に、内部で水が動くかというと、私は知らないところだが)。

太極拳の動作にも似たところがあるように思われる。
「身体の継ぎ目」に、「体内の力を集中して出す」ことによって、身体の内部にダメージを与えるらしいですから。
合気道は、「身体の継ぎ目」を利用して、「体内の力と移動力」によって相手の身体を制御するとでも言うか。
共通点はありそうですね。

生きる意味とは?

出張で、ある知的障害者入所更正施設に行ってきました。
普段、私の勤務先にやってくる障がいを持った方というのは、自分なりに自分の力を把握して、自分なりに将来のことを考え、自分なりに周囲の状況を意味づけているものと思っています。
ただ、今日見た光景は、自分の認識を揺さぶられました。

廊下を猛ダッシュしている彼は、自分の存在をどう考えているのだろう。
駐車場に寝そべって動かない彼は、何をしたいのだろう。
初対面で見ず知らずの人に握手を求める彼女は、自分の将来をどう描いているのだろう。

普段、エンパワメントだのニーズ把握だの言っている自分に、新たな視野が加わったように思います。
言葉にし難い体験でした。
今まで、こんなことを考えたこともなかったのに・・・
どう、整理していこうかと戸惑っています。

バナナゲットだぜ!

仕事帰りのスーパーで、一週間ぶりくらいにバナナをゲットできました。
品薄の理由は、テレビでバナナダイエットなるものが紹介されたかららしい。

日本人よ、学べ。

特定のものを食べて痩せようなんてのは、本気で痩せる気のない人の逃げ道でしかない。
体型の調整は、食べる量と消費する量のバランスによる。カロリーとか栄養素は目安。
その人にとってちょうどいいことをすれば、おのずと適正値となるものです。
バナナは消化がいいので、お腹空きますよ。気を付けてください。

バナナ好きな29歳より。

2008年10月13日月曜日

夏来進『隠れた薬害? 精神分裂病』文芸社、2008年。

医師免許を持つ、精神分裂病(現在の「統合失調症」)患者による、精神病薬の副作用に関する仮説と、妄想の内容、そして精神病院や精神医療の実態を描いた書籍。
精神病薬の「薬害」について、服薬によりドーパミンレセプタをブロックする作用がある「ために」、その作用の結果としてドーパミンレセプタが増加することを説明している。
また、服薬している方の実感として、服薬しているときのだるさから、服薬を止めることによって開放され、爽快感を得ることができるという表現も印象的であった。
鵜呑みにできる論ではないが、そういう考え方や作用は、実際に起こりうることとして把握することは、相談者と被相談者の共通理解を広げる上で、有益だと思う。

斬新でした。
精神病薬の作用について、PSWのスクーリングでようやく理解できたところだったのですが、確かにレセプタをブロックしたら、人間のしくみ(ホメオスタシス)としては、新しいレセプタを作ることは想像に難くない。
だから、服薬し続けて「ちょうどよくなる」といえる。
薬の副作用でだるさがあるとすれば、だるさがある状態で「安定」する。
それを「薬害」とすれば、確かに言葉通りの意味としても解釈できる。
もちろん、ドーパミン仮説も、夏来氏の仮説も、仮説でしかないわけだが、双方は連続して起こることゆえ、どちらかが間違っているとは言い切れない。
職制から、服薬をやめさせるわけにはいかないのだけれども、このあたりの研究がどこまで進んでいるのかということは、機会があれば知ってそうな人に聞いてみることにしよう。

「紙幣」に関する妄想の記述。
迫力があり、かつ、「これ」としては論理的に正しいところがにくい。
ありえないけど。
あっても全然不思議でないと思わされてしまうあたりが、非常に迫力ありました。

「面白い」という表現が正しいのかどうかわかりませんが、一気に読ませる魅力のある本です。


おすすめ度:★★★★☆

岡島悦子監修『ビジネスプロフェッショナルの仕事力』日本経済新聞出版社、2008年。

「達人7人に学ぶ“情報活用力”の極意」(帯より)
このキャッチコピーが、内容を全て表している書籍と思う。
多彩な分野のプロフェッショナルから「情報活用」という切り口で、インタビューした内容をまとめたもの。
核となる「情報活用」を、収集と処理、さらに反映とでもいうのか「活かし方のコツ・心構え」といったことについて、事例を踏まえたわかりやすい内容となっている。
明日から使える、小さな具体的スキルではなく、もっと大局を見据えるための心構えについても、非常にわかりやすい言葉でまとめられている。

最近、この手のビジネス書に当たりが多く、関連したテーマで数冊読んだり、聞いたり(講演など)をしている。
それらも踏まえて、この本の感想を問われたら、とりあえず現段階では以下のようにまとめられる。
1.「情報」には、質による優劣があり、良質な情報を得るコツはある
2.「情報」と「知識」には違いがあり、行動に反映されるのは後者である
3.個人の行動から、組織のコンセンサスへ発展させるためには、論理的思考が欠かせない

先日、師匠と話をしていたときに、インターネットについての話題となった。
師匠曰く「インターネットは弱者のメディアである」とのこと。
Iyokiyehaは、それを受けて「全ての情報が、並列に扱われる。例えば、Iyokiyehaのブログと、各界の著名人のブログは、アクセス数の違いはあれど、情報としては同じ扱いを受ける」と返し、さらに「だから情報を読み解く力は、自分に蓄える必要があるが、質の高い情報は有料化されていることが多く、その点で多少は優劣が見極められる」とした。
ラーメン食べながらの雑談のため、大胆にしゃべりながら考えたものだが、それほど外していないと、ふりかえって思う。
このあたりが、1.の「情報」の種類に関すること。
そして、いくら良質な「情報」を持っていたとしても、それを妥当に分析、解釈し、自らの人生に反映させられる形にしなければ、「情報」は宝の持ち腐れとなってしまう。
これが、2.に関すること。分析・解釈といった処理をして初めて、「情報」は自らの人生を豊かにする「知識」へと進化を遂げる。
さらに、独りよがりの「知識」では、世の中はおろか、身の回りの社会、さらには他人という個人にも伝わらない。誰にでも「伝えられる」形になってはじめて、社会へと働きかけることができるといえる。

情報収集のコツは、いろいろ試していけるヒントが豊富に盛り込まれており、耳からの情報収集は、最近取り組んでいるところである。
一流の人の真似事で、私の人生が豊かになるのであれば、こんな安い買い物はないと思う。
仕事だけでなく、日常生活をも振り返ってみようとする気にさせられる一冊。
おすすめです。


おすすめ度:★★★★★

Rabbit Moon(ラビットムーン)

静岡版の新聞で報道もされたようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081001-00000008-mailo-l22
(Yahoo!ニュース:2008年10月1日:毎日新聞静岡版)
障がいを持つ方を雇用して運営しているレストラン。
浜松市市野にあるイオンの中に店舗を構えています。
富士山ドリームビレッジという就労移行支援30名、就労継続支援A型10名で運営されている団体が運営しているようです。
http://www.grow.co.jp/~fuji/
(富士山ドリームビレッジWeb)
職リハ学会のメーリングリストで情報があったのと、嫁さんがリニューアルオープンしたイオンに足を運んで見つけたお店でした。
気になっていたので、本日訪問。


(市野イオンの中:こういう店舗は近所に一つあると便利だ)


(店舗概観:好き嫌いはあっても、まず「明るい」)

店の雰囲気は明るく、障がいを持った方を雇用しているということですが、他のレストランと、ほとんど変わりありません。
従業員さんの対応も丁寧で、気分がいい対応でした。
萬幻豚(まんげんとん)を使用したメニューは、素朴ながらも「いい肉」であることがわかるおいしさでした。
http://www.sanoman.net/mangenton/index.html
(萬幻豚Web)


(萬幻豚のポトフ:味は文句なしにいいです。豚がうまい)

ただ、連休中日の夕食時にも関わらずお客さんが少なかったのが残念です。
他のレストランは行列ができていたのに・・・
Iyokiyehaなりに分析すると、こんなことが考えられます。
1.値段がちょいと高い(700円程度のメニューが少なく、1,000円を超えてしまう)
2.子どもが飛びつくようなメニューが少ない(ポトフはおいしかったけど、渋いかな)
3.「安心な味」に留まってしまう(「また、食べたい!」というパンチに欠ける)
4.場所(しょうがないけど、この場所は前の店舗も客が少なかった)
私はコンサルじゃないんで、個人Blogで宣伝するだけですが、食事の後ジュースを飲みながらこんなことを考えていました。
味は、他のレストランと比べても、特に遜色ないと思います。
安心。
だから、余計にがんばってほしいと思うのは、意地悪な人から見たら「差別だ!」とかいわれてしまうのかもしれませんし、職業的な贔屓もあるんでしょうが、それを超えたところで、一人のお客として「もっとお客が入ってほしい」と思ったところです。

Blogの常連さん、まず一度行ってやってください。


(データ)
〒435-0052
静岡県浜松市東区天王町字諏訪1981-3
イオン浜松市野SC内

2008年10月12日日曜日

帰省して思うこと

連休なので、実家浜松に帰省しています。
嫁さんのお腹はどんどん大きくなっていて、旦那としては「いつでも出てきていいんじゃないか?」と思ってしまうほど。
以前、パパママクラスで妊婦体験をしたときのことを、少し思い出しました。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/05/blog-post_21.html
(2008年5月21日投稿分)
昨日、11日は浜松聖隷病院の「両親学級」なるものに参加。
お産の始まりから、出産、その後の入院生活までの説明を受けてきました。
「理想の出産とは?」みたいな夫婦ワークで「マタニティフラワー」なるものへの書き込みをしたりと、なかなか充実した時間でした。
テキストに書いていないことを、きちんと説明してくれる教室はいいですね。

これが、帰省した一番の目的だったのですが、まぁ実家に帰るといろんなことがあって面白い。
小学生の頃に、何度も何度も読んだ『三国志』の漫画がホコリだらけで発掘(!)されて、一晩で読みふけってしまったり。
甲府にいるときよりも、レポートがはかどってしまったり。
ジョギングをしていたら、道行く親子の子どもに「おじさんが走ってるよ~」と言われ、笑顔で応えたものの、複雑な心境になったり。
近所のガキが、実家のガラスを割った(推定有罪)にもかかわらず、謝りにこない一件を聞いたり。
私よりも酒を飲む姉が、家でどうしようもなく酔っ払っていたり。

そういえば、近所の本屋さんで立ち読みしていたときに、中学生くらいの女の子の集団が現れ、ケータイ小説の棚で何やら探しているのに遭遇。
「『○○(←書名、伏せておきます)』の続編が出てるらしいんだけど、ない?『○○』はばか面白かったんだけど」
遠州弁丸出しの会話です。
それはさておき、彼女達が去った後、興味半分で『○○』なる小説を手にとって読んでみました。
いやぁ、最近売れているこの手の本って、若い子にはうけるのかなぁと。
ああいう恋愛や友情を求めているのかなぁと、これまた複雑な気分になった次第です。
登場人物が、みんな自分勝手な気がして。。。
何だか、一気に年をとった気分になりました。

2008年10月8日水曜日

粘り強く、必ずヒットを打つ

相手の言わんとするところを、発言だけでなく仕草や表情なども含めて、感じ取る。
「フィードバック」などの手法により、お互いの共通認識を図る。
ニーズに応じたやりとりを展開する。

カウンセリングだけでなく、日常の「雑談」でも使える技術です。
というか、多くの人が自然にやっていることだと思うのだけれども、日常ではない仕事を含めた「社会」においては、特別な技術ではなく、あたりまえの技術として扱われることのように思われます。

今日は、とある仕事で、別の組織のちょっと偉い人たちと仕事をしていたのですが、会社を訪問しているにも関わらず、一方的な言い分を言い放って帰ってくる人の横に座っていました。
たまらん、この人の仲間と思われるのも、たまらん。
今日のIyokiyehaは、お困りモードでした。イライラ。。

引き合いに出されるのは、同業他社の事例。
いわゆる「好事例」と呼ばれるものだけれども、こういう情報って使いどころがあるなぁということを強く実感させられた。
さらに、「好事例」というのは、地道なヒットの積み重ねによって、時々当たり所がよくホームランがでるようなもので、初めからホームランを狙うと大体うまくいかないように、一方的に「好事例」を振りかざしても、ラポール形成ができないなと。
そして、相手のニーズを粘り強く探るスキルと、相手のニーズに合わせた情報提供ができなければ、事業主相手の支援なんか一生かかってもできないように思わされた一日でした。
いろんなことを考えさせられました。
強制思考ですが、人のフリ見て、我がフリ直せって感じです。

対人業務、対会社業務をする以上、「三振」は許されません。
「凡打」もだめで、絶対に自分のところで「アウト」を出しちゃいかんのです。
何本ファールを打っても、いつか必ず前に転がす、一塁を踏む。
他人の人生に関わるってのは、そういうことだと、改めて感じさせられた。

以前も、同じようなことを考えたのだけれども、日付見たら、転勤前でした。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2007/02/blog-post_21.html
(2007年2月21日投稿:安打製造機であれ)

わかりにくい書き方でごめんなさい。
仕事関係者の方に、ちょっと伝わればいいなぁと思います。
日頃の反省を込めて。

街のポスター

ドラマチック!
甲府の街の、このポスターが、どらまてぃぃぃく!な感じです。

2008年10月5日日曜日

寺田昌嗣『フォーカス・リーディング ――1冊10分のスピードで、10倍の成果を出す「いいとこどり」読書術――』PHP研究所、2008年。

著名人が、様々なメディアで紹介している「フォーカス・リーディング」。
一部の人の特別な能力に思えてしまう「速読」とは違い、認知のしくみに基づいた非常に「合理的」な読書術。
「眼」を動かすこと、「意識」を切り替えること、内容を「フォーカス」することによって、一冊10分で内容が掴める本の読み方を紹介し、トレーニングできるようになっている。
根気よくトレーニングすることと、トレーニングに基づき「とにかく読む」ことは必要だが、実感のあるスキルアップができる。
おすすめの一冊。

Iyokiyehaは、以前「速読」を習ったことがあります。
多少は効果があったのでしょうが、結果は今の私の読書量を見てもらえたらわかるように、読書好きの域を超えません。
多少、効率がいいかな、とは思いますが、周囲の人と劇的に違うかといえば、それほどでもない自覚はしています。
まぁ、「読めば早くなるだろう」という感じで読んでいたわけです。

少しでも効率がよくなるような読み方は心がけていたわけですが、1冊10分などというのは不可能だというのが、これまでの私の考え方でした。
ただ、本書の内容を読み進めるにつれ、1冊10分はさておき、「読み方を変えることで、今までよりずっと効率いい読み方ができるようになる」とは思います。
それは、書籍に限らず、ビジネス文書などにも共通することかと。

読書の投資対効果=(著者の力×あなたの経験値÷読書にかけたコスト)×あなたのビジネス力

という式で表したのが、非常にわかりやすい。
これに尽きます。
これに尽きた上で、各値を如何に最適化していくかということになります。
そのためのスキルが、凝縮された一冊です。


おすすめ度:★★★★★

ニック・モーガン著、吉田亜季監訳『説得力あるプレゼンテーションで、聴き手の心を揺さぶる(ハーバード・ポケットブック・シリーズ6』ファストプレス、2008年。

効果的なプレゼンテーションのノウハウ本。
しゃべりがうまいだけでなく、目的に適した方法を用いて、準備するという、プレゼンテーションそのものの考え方についても、丁寧に説明されている。
PPTの使い方についても、具体的なところまで(1スライド6行まで、など)説明されており、読んだ後に「使う」ための一冊。

Iyokiyehaのプレゼンは、とかく喋りすぎという反省点が常につきまとっているのですが、どうしても「詰め込み」をしてしまう癖があります。
「伝えたいことが多い」と好意的に評価されることが多いのですが、個人的には「まとまりがない」という評価を下しているところです。
キーワードが整理されていない、話が要約されていない、そもそも「何を」伝えたいのか3つ以内にまとまっていないということに尽きるかと。
本書は、そうしたことに対し、ワークシートも含め、プレゼンの目的から準備、実施まで、全てを網羅している一冊でした。
今後も使える一冊です。


おすすめ度:★★★★☆

精神科リハビリテーション学2(草稿)

テーマ:「包括的地域生活支援プログラム(ACT事業)と既存のプログラム(訪問看護、ケアマネジメントなど)との違いについて論じなさい」

1.はじめに
 精神障害を持つ人々が、病院や施設で生活するのではなく、地域で生活することを目指す取り組みが注目されている。古くは1970年代に欧米で始まった脱施設の取組みに端を発するが、近年特に注目されているプログラムに「包括的地域支援プログラム Assertive Community Treatment」(以下、「ACT」とする)がある。我が国では2002年から研究事業が開始され、2008年からは民間事業として実施されている。
 本稿では、ACTと既存のプログラムとの違いについて、訪問看護とケアマネジメントを例に論ずる。

2.ACTの概要と支援の視点
 ACTの原則は、以下のようにまとめられる。
(1)支援は精神障害を持つ人が暮らす場所に訪問して実施される
(2)決まったサービスはなく、利用者のニーズに合わせてサービスを形成する
(3)1人の対象者に対し、必要に応じた10人程度の他職種の専門家によるチームでアプローチする
(4)24時間、365日、必要に応じいつでも支援し、危機介入にも対応
(5)支援の対象となるのは主に重度障害者(従来の医療・福祉サービスでは支援困難とされた者)
 さらに、援助理念として、障害を持つ人個人のエンパワメントや自立が強調され、地域生活を維持するための支援が展開される。障害によって生じる「能力障害」は、個人と環境の相互作用で発現するという視点(社会政治モデル)で関わり、支援の対象は障害を持つ個人だけでなく、その個人を取り巻く環境も含む点が特徴といえる。
 具体的なサービス内容を列挙すると、「薬の処方と提供、病気と服薬を自己管理するための支援、個別の支持的療法、危機介入、入院期間中の継続支援、住居サービスに関する支援、日常生活の支援、身体的健康に関する支援、経済的サービスに関する支援、就労支援、家族支援、社会的ネットワークの回復と維持のための支援」等となっている(参考文献1.116ページ)。
既存の支援では対応できなかった重度障害者に対し、いつでも、いつまでも、ニーズに応じた支援を調整・実施する、集中的・包括的な支援モデルの一つとされている。

3.ACTと既存のプログラムとの違い
 本章では、精神障害を持つ人々への従来の地域支援プログラムとして、訪問看護、ケアマネジメントを例に、ACTとの違いをみていく。
(1)訪問看護とACT
 1965年の精神衛生法改正時に法制化された「訪問」は、地域生活支援の方法の一つで、1986年に診療報酬制度に位置づき、「訪問看護・指導」と呼称されるようになった。
 具体的なサービス内容は、先にACTのサービス内容としてあげたものと類似しているが、西尾雅明はACTとの違いを、リハビリテーションの視点と原則から、以下の2点にまとめている(参考文献1.116ページ)。
①訪問看護で直接提供されるサービスの内容は、服薬管理や症状の観察など医学的な対応が主となる医学モデルである
②訪問看護の場合、サービスの質が各機関の裁量にゆだねられる(対象者、ケースロード、時間、頻度)

(2)ケアマネジメントとACT
 イーゼンバーグによると、ケアマネジメントの定義は「さまざまなサービスや資源を調整かつ統合し、利用者および利用者グループの機能の向上を図るように支援すること」とされる(参考文献1.114ページ)。日常生活において困ることを、具体的に支援する生活支援の技法の一つであるが、障害を持つ人々の多様なニーズに応じ、適切な支援を調整・実施する手法である。
 西尾雅明によれば、ACTとの違いは以下の2点である(参考文献1.116ページ)。
①(サービスの)斡旋・調整機能が主となる
②サービス提供に時間枠がある

4.まとめ
 以上、ACTの概要と既存のプログラムとの違いについてまとめた。
 ACTは、既存の支援プログラムを統合し、誰にでも(重度の障害を持つ人)、いつでも、生活の場に訪問して、支援することをプログラム化したものと言える。繰り返しになるが、重要な点はサービスの内容ではなく、クライアントのエンパワメントを促す「社会政治モデル」の視点に立った支援プログラムであることだ。生活上の困難の原因を個人の持つ障害だけに起因するのではなく、制度やサポートの不足といった環境要因をも対象とし、双方に対し積極的にアプローチしていく点が、既存のプログラムとの一番の違いといえる。




(勉強メモ)

※なお、この文章をコピーしてレポートとすることを禁じます。

2008年9月29日月曜日

キャッチコピー

自分の仕事を一言で表すとどうなるか。
まっすぐ対象となる相手に伝わる表現で、自分がやっている仕事を表現する。
山梨に赴任して、当事者を前に話す機会が増え、30回くらい業務説明をしただろうか。
そのたびにしっくりこない説明をしてきたが、とりあえずの到達点はここ。

「がんばるあなたの道標」
「がんばるあなたを応援します」

なんか、「支援」という言葉を使いたくなくて、それに障害うんぬんも言いたくないし。
要らない言葉を削ぎ落として削ぎ落として、本質と思うところを残したら、今のIyokiyehaに残ったのは、こんなキャッチ。
実際に使うときは、この頭に「働く」とか「仕事」といった前置きがあるわけだが。

就職を目指すのは、私ではなく「あなた」。
私にできるのは、それをうまく進めるための道案内。
そんな立場なんだろうね、きっと。

まだまだ磨いていきます。
どうぞ、コメントください。

2008年9月28日日曜日

一人暮らし再開

先週、嫁さんが出産のため里帰りをしたので、山梨に返ってきてから一人暮らしが始まった。
感想、「大変、面倒くさい」。

予想はしていたけれども、家のことをやると、こんなに自分の時間がなくなってしまうのかと実感。
一人暮らしをしていた岡山時代、よくもまぁリズムを作っていたなと思う。
今よりも、帰りは遅かったですし。
習い事は少なかったけど。

今まで、嫁さんがいたから早寝早起きが阻害されていたと思っていたけれども、そんなことはなく、一人になっても家のことをしなきゃいけない分寝る時間は遅くなるし、早起きするのはそもそもしんどいことだということが、身をもってわかってきた。
ただ、今の私には、それでも宿題はあるわけで・・・

一週間停滞したPSWのレポート。
今週から再開です。
一日1時間を目標に、たとえ30分でも時間を作って取り組むことにします。

茂木健一郎『脳を活かす仕事術 ――「わかる」を「できる」に変える――』PHP研究所、2008年。

気鋭の科学者による、よりよい仕事をするための意識の持ち方や具体的な行動について、脳のしくみを交えて説明する一冊。
前著『脳を活かす勉強法』の実践版のような位置づけだろうか。
脳のしくみが説明されているとはいえ、非常に平易な表現でまとめているからか、専門的な知識がなくても読み進めることができて面白い。
茂木氏の表現は、メディアへの露出が増えてから、よりわかりやすいものとなったように思う。
専門書ではなく、一般書だからかもしれないが。
あと、今回思ったのが、茂木氏は「脳科学」を超えたところで、枠にとらわれずに活躍する学者であるということ。

普段、自分でもあまり意識せずに「大切だ」と思っていることが随所に盛り込まれていた。
例えば、「感覚系と運動系のバランスをとり、入力・出力のサイクルを回す」とか、「スケジュール管理の方法と目的」「デブリーフィングによって整理する」など、私がIyokiyehaとしてこのブログを書き続けているのも、思ったことをメモしたり、考えたことの到達点を「とりあえず」出力するためである。
特に、身体を動かすことによって脳を働かせるという、本著を貫いている考え方については、これまで私も経験則のみでそう考えて意識的に取り組んできたことであるが、脳の働きとして説明されていたこともあり、自分の考えを確認するいい機会にもなった。
※本ブログ「身体」タグは、合気道のことばかり書いているが、身体機能をあえて文章で出力することによることの意味を探っている。

Iyokiyehaは、仕事においても、手書きでぐしゃぐしゃと考える癖がある。
他人から見たら、よくわからないことを図示するわけだが、この過程は私の脳をフル活用する上で、大切なことであることがわかったいい機会であった。
「手が教えてくれる」と言うと、皆ぽかんとしてしまうが、これは事実だと思う。


おすすめ度:★★★★★

2008年9月23日火曜日

ウチの畑とご近所

意外と広い実家の畑。
父親が言い出して、母親が手入れするという、予想通りの展開になってますが、二年目になって収穫物も増えてます。
人の手を加える必要について、以前学んだことがあったけど、身近にあるとやっぱり違うね。静岡勤務になったら少し手伝おうかな。
写真はとらなかったけど、振り向いた時に、実家隣の公園が目に入りました。
草ぼうぼうで、砂場はネコジャラシの王国でした。
子供が遊ばない公園って、こうなっちゃうんだなと、しみじみしてしまいました。

2008年9月22日月曜日

中西圭三『Moonlight Groove』パイオニアLDC、1999年。

もう、10年くらい前に発売されたアルバム。
もともとバラードを歌い上げることに定評のあった中西圭三が、一時ポップな曲に傾倒してから、再度バラードに戻ってきた頃のアルバム。
10年経っても、全く色褪せていないのに驚きました。

学生時代の、いろんな「つまづき」を思い出させる、個人的に思い入れのあるアルバムです。
この人の歌う「LOVE」は、男女の恋以上、世界平和未満の、普通の人が感じられる少し高尚な「愛のカタチ」のように思われます。
私が背伸びして、ちょっと手が届くような人の心情を歌い上げているから、今でもぐっとくるように感じる。
ファン以外の人は、あまり知らないアルバムだと思いますが、大らかなバラードを欲している人には、おすすめの一枚です。
個人的には、『Night Flight』『HIGHER SELF』『体温』が好きです。

おすすめ度:★★★★★

勝間和代『効率が10倍アップする新・知的生産術 ――自分をグーグル化する方法――』ダイヤモンド社、2007年。

現在は、経済評論家として活躍する勝間氏の著書。
次々と新刊を出版しているので、どれが最新かよくわからないが、目に入ったのでとりあえず取りかかりとして読んでみた。
やはり、これだけのアウトプットをしている人だけあって、参考になる部分が随所に盛り込まれている。
もっと良質な情報を、もっと効率的に、取り入れ、生み出すことを考えている人にとっては、非常に参考になるノウハウが詰まっていて、かつ自分を振り返るいい機会になる本だと思う。
特に、「耳から」の情報収集については、個人的にもiPodを買ってからいくつか試しているところであるが、もっと多彩なコンテンツが出ていることを知るいい機会になった。
出張時のお供に使おうと思う。

Iyokiyehaを知る人は、知っているかもしれませんが、私はいつも何かを読みたい人です。
今の仕事を始めてから、「出張の移動中に何とか勉強できないものか」と考えて、iPodを使うようになりました。これは、雑誌『Foresight』で誰かが紹介していた方法。
世の中にはいろんなコンテンツや便利なものがあると思っていたところに、この本です。
AudioBookは、さっそく試してみようと思っています。
私の専門分野の内容が電子化されることは、おそらくないと思いますが、その周辺領域をもっと良質な情報をもっと効率的にどんどん吸収したく思うところです。
他にも、自分に投資する発想や、情報処理について空・雨・傘の分類、ピラミッドストラクチャー+MECEによる情報の分類・階層化といったくだりは、Iyokiyeha自身の情報処理を見直し、さらに深めていくために有用な「軸」であると感じた。


おすすめ度:★★★★★

「No!」と言「わ」ない、日本人

先日、後輩に言われて思い出したこと。
果たしてIyokiyehaは、仕事のし過ぎなのだろうか?
結論から言えば、答えは「No」である。
まだまだ仕事したいし、まだまだ仕事ができる。

Iyokiyehaが「疲れている」と言うときは、大体以下の3つの状況である。
1.作業量だけの成果がでない、不毛な作業に取り組んでいるとき
2.突発的なことに追われて、作業が予定通りに進まないとき
3.がんばってもどうにもならない状況に置かれたとき
仕事もプライベートも、上の状況に置かれたとき、Iyokiyehaはどっと疲れが出るし、イライラしてくる。
超過勤務が続いて、肉体的に疲れていることはあるけれども、私の仕事は取りあえず頭が働いていれば何とかなる、そんな仕事です。
残業は、疲労常態化の直接の理由にはならないわけで。

個人的には、結構仕事を選んでますしね。
私が一生かけて追っていくテーマでもある、Social Actionに、少しでも触れていることであれば、どんなに忙しくても、どんなにくたくたに疲れていても、モチベーションで乗り切っているつもりです。
ただ、最近そういう「栄養」が少し足りないなと思いつつあるところです。
いや、時間割いてでも行きたいところには、仕事休んでだって行くし、逆にどうも緊急性も重要性も低いような仕事については、思いっきり手抜きするようになりました。
今後も、こんな傾向は強くなるだろうなと。

だから、ご心配にはおよびません。適当に、付き合ってやってください。

2008年9月21日日曜日

Iyokiyeha流グループワーク運営

学生時代から、グループワークを運営する機会には恵まれてきたIyokiyehaであるが、何となくやってきたことが、最近言語化できたので、現段階の到達点に錨を落としておく。

Iyokiyehaがグループの司会やファシリテーターをする際に、「一応」注意していることがある。
1.必要に応じ、役割を使い分ける(司会、FT、講師、オブザーバーなど)
2.落としどころは、あらかじめ準備するが、可変とする
3.グループのニーズによってテーマを微調整する
4.全員に「必ず」しゃべらせる
5.主役の有無はともかく、批判は基本的にしない
こんなところだろうか。
要するに、「全員参加」で「その場の雰囲気」を大切にしている。

1~3は、Iyokiyehaのリーダーとしての力量と、構成するメンバーの力量やモチベーション、ニーズにもよるところなので、まだ完全に説明できないが、以下4,5の「枠組み」に関することを記録する。

4.は、大学院時代に参加した研究会の席上で、当時のボスが30人程度の勉強会を切り盛りしていたときに「必ず全員に発言させる」ことにこだわっていたところから学んだものである。
妥当な理屈をつけてみるならば、まず発言を通して「場に参加している」意識を持ってもらうことができる。
ただの自己紹介ではなく、+αをつけてもらうのがコツだと思う。
基調講演やテーマがあるのならば、それに関して「今思っていること」や「感想」など、人から評価されにくいことを発言してもらうことをよくやってもらう。
後述するが、「人に批判されない」場において、自分の考えを話すことは、ことのほか参加意識に結び付くものだと思っているし、運営側からすれば、人の数だけの考えが場に出ている状態というのは、他の情報と結び付けたり、積極的に発言しない人に話題を振る格好の材料となる。

そして5.である。
Iyokiyehaは、個人的に「意見交換」の時間に一人ひとりの発言に対して検討するスタイルを好まない。
参加している全員が「今日は○○を学んだ!」と思ってもらえるような、考え方の「型」や意見を集約できる「論」や「実績」を提示し、目標となる「理想の形」を全員で追求する場とするスタイルを好む。

グループワークが継続し、そのグループに「何でも言い合える雰囲気」ができあがったり、ちょっとしたきっかけによって、グループダイナミクスが働いている場合は、時間を決め、個別検討のやり方を使うこともあるが、基本的には仕掛けない。
なぜか?
理由は3つある。
一つは、場が暖まる前と後とで、やりとりの量や質に差が出てくる。
「何となく不公平感」が出てしまうことが往々にして起こりうる。
グループ運営が上手い人だと、そうならないのですが、あまりそういう人に会ったことがないのは、Iyokiyehaの経験則である。
二つには、発言機会の多い人の意見が優先されてしまうこと。
こういう形式が得意な人、苦手な人がいる中で(Iyokiyehaは、割と得意だが)、苦手な人の意見や考えというものが、軽視されやすい形式になってしまう。
更に言えば、よく発言してくれる人の暴走を止めにくいのも、この形式の短所である。
三つには、意見交換が批評の場になりかねないこと。
一人の発言や成果物を基に、それぞれの意見を交換するスタイルとなると、意外と「○○はもっと■■にした方がいい」といった発言になりがちである。
これが意外と曲者で、発言する方に何の他意がなくても、発言の対象となった側は意外と「言われた感」が残る。
受け止め方が違うので、例えばIyokiyehaみたいな人間にはスリリングな方法であるが、多くの人は発言しにくい上に、何か評価されてしまった感のある形式となってしまう。

Iyokiyeha流は、このあたりに対応する形式になっている。
まず、全員に発言してもらい、参加意識を持ってもらう。
同時に、グループを構成するメンバーの意見とニーズを大雑把に掴む。
次に、テーマとなる軸や考え方を提示する。
「よりよい」ものを追求するための意見交換を行う。
この際、意見の分類は運営側による。
ここで重要なのは、特定の人による「たたき台」ではなく、グループのたたき台が提示され、それに対して全員が検討するという形を作ることである。
なぜなら、個人攻撃になってはいけないからだ。
そして、全員の外側にあるたたき台を通して、メンバー間の発言頻度を調節することができる。
こうしてできあがった、時間内での理想像と、各人のたたき台を比較し、各人の学びを確認する。

全員参加、全員が前向きに、自分の意見が尊重されるグループワークが、Iyokiyehaの理想です。
とりあえず、ここまで言語化してみました。
先日、所内でちょっとした研修をやる機会があったので、そのふりかえりです。
お世話になった方々および、資料が送付された方等中心に、参考まで。

乱暴なケアマネジメント?

PSWの養成課程の中には、精神科のリハビリテーションに関する科目も置かれている。
現職の研修でも「ケアマネジメント」は学んできたところだが、現在精神科リハビリテーションで注目されているACT assertive community treatmentとの関連でケアマネジメントについても再度勉強しているところである。
普段、業務の中で自然と実施しているところの「ニーズ把握」と「社会資源への接続」であるが、この考え方は支援者の考え方や立場(?)によって、随分異なる実施となっているような気がしてならない。

個人的なところを言えば、Iyokiyehaはまだ手探りで業務をやっているところなので、機能を「見ていない」資源への接続については、訪問を原則として、少なくとも連絡により説明を受けてからクライアントを紹介するようにしている。
もちろん、ニーズに関する聴き取りは、できるだけ「自分で」した上でのことである。
おかげで、本来業務とは違う、周辺活動にかなり業務量を裂かれてしまっているわけだが、私の勤務地の現状を考えると、この部分を丁寧に実施しないことには発展が望めないと見立てた上で、所属施設の意向とは多少の食い違いを生みながらも、主旨には反しないことをしているつもりだ。

だから、というと「訴え」になってしまうが、クライアントをたらい回しにする対応には、疑問を持つし時には専門職の力量を疑ってしまうこともある。
最近思うことは、この言葉に集約できた。

「調整」の抜けた「情報提供」は、誰のためにもならない責任放棄である。


山梨に赴任してきてから、よく対応するケースに、クライアントが資料のコピーをたくさん持って「ここでは何をやってるんですか?」と質問してくるものがある。
もちろん、個人的な興味で自ら調べてきたとか、通りかかったとかそういうことなら、「飛び込みクライアント」としてきちんと対応するケースである。
しかし、実際そうなっていないところに、時に憤りを覚える。
「就職の相談なら」「訓練してくれる」「仕事の支援をしてくれる」こういったいわば「都合のいいように、どうとでも解釈できる」言葉を添えてパンフレットのコピーを持参させるケースが後を断たない。

本人はよくわからなくて混乱するし、対応する我々は「主訴不一致ケース」の対応に追われる。
紹介した側は「他機関紹介1件」で実績となる上、自施設で対応困難なケースを手放せるという、なんともWin-Loseな関係である。
中には、ウチに対するクレームになるケースもあり、非常にやっかいである。
そんな悲劇にならないまでも、ケアマネジメントの原則を忘れず、責任もって仕事をしたいものである。
さらには、こうした風潮を打破すべく手を打つ必要があると思うのだが、さて、どうしたものだろう。少なくとも「担当者が変わる」ことに起因させてはいけないような気がするのだが……

2008年9月15日月曜日

細谷功『地頭力を鍛える』東洋経済新報社、2007年。

雑誌『TOPPOINT』で、2008年の上半期でランキング上位に入っていた書籍。
現代を生き抜き、リードしていくための思考力を「地頭力」と名付け、「結論から」「全体から」「単純に」考えることを本質として説明している
さらに、この思考力は訓練によって鍛えることができるとし、そのための強力なツールとして「フェルミ推定」を取り上げる。
上記3つの思考力をそれぞれ「仮説思考力」「フレームワーク思考力」「抽象化思考力」とし、そのベースとなるものとして「論理的思考力」と「直観力」、そして全体の基盤となるものとしての「知的好奇心」を、本書で説明している。
課題へのアプローチに関して、その考え方の過程を通してそれぞれの力を説明しており、本書全体が「地頭力」に基づく論理構成(「結論から」「全体から」「単純に」)となっているのが、非常にわかりやすく、面白い。

個人的に、単純暗記物が苦手だったこともあり、従来の「知」のあり方とは違う方向へ自分の力を伸ばそうとしてきた経緯がある。
それがこの「地頭力」と完全に重なるわけではないこともわかったわけだけれども、地頭力のベースとなるもの(論理的思考、直観力、知的好奇心)は、少なくとも私が大切にしてきたものと大差ないことは確認できた。

さらに、論理的思考は、万人に理解されるためのものであり、「誰が見ても一貫してつながっている」ということがその特徴としてあげられる。
直観力が、自分の知識や経験を総動員して大胆な仮説を立てるための「攻め」のツールであるとするならば、論理的思考は万人に理解されるための「守り」のツールである。
どちらがいい、悪いではなく、両輪があって初めて地頭力を支えることができる。
もう一つ深めると、知的好奇心に関しても「問題解決に関する好奇心(Why型)」と「知識に対する好奇心(What型)」とに分類でき、前者は有益だが、後者は時に有害にもなりうるということが新鮮だった。

特に勉強になり、すぐにでも意識しなければならないこととして、「全体から」考える際の原則「もれなくダブりなく(MECE: Mutually Exclusive Collectively Exhaustive)」という点と、この分類をうまく実施するために利用される「狭義のフレームワークツール」である(p.143-144)。

インターネットの普及によって、従来の「知的作業」とは異なる、次代を生き抜くための知恵を使う能力「地頭力」について、概要をわかりやすく説明した一冊。
おすすめです。


おすすめ度:★★★★★

中西圭三『I’m home』バップ、2008年。

日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」エンディングテーマ4曲と、新曲「光のかけら」を収録したコンセプチュアル・ミニアルバム。
番組を観ていないので、確認はできないのだが、春夏秋冬を季節毎に歌っていたらしい。
中西圭三は、バラードやミドルテンポを歌わせたら、本当に見事だと思う。
番組のテーマっぽい「旅」や、「街」を散りばめた詞が、中西サウンドにのって流れてくる。

久々に音楽のレビューをしてみた。
中西圭三は、中学生の頃から聞いているので、いろんな活動に注目はしているのだが、オリジナルアルバムを出したのは、久しぶりだと記憶している。
岡山時代、休日に『遺伝子』を聞きながら本を読んでいたのが、ちょっと懐かしい。
近年は、自分で作詞・作曲するようになって、ますます中西サウンドに磨きがかかったように思う。

「ぶらり途中下車の旅」はあまり観たことがないので、本当に番組に合っているかどうかについては、確認しようがないのだけれども、ちょっとローカル線の各駅停車に乗っているかのような雰囲気をかもし出しているのは、この人の「うまさ」だと思う。
新曲「光のかけら」は、「ぶらり~」の主題歌ではないと思うが、今を生きることを綴った歌を歌わせると本当に「うまい」と思う。
しっかりと地面に足をつけて生きていこう、日常をいかに楽しいと感じられるかが本当に大切なんだということを、改めて感じさせるいい歌です。

もちろん、おすすめ度は「ファン評価」です(笑)。


おすすめ度:★★★★★

時系列と同時性:神懸っていた事

何かが同時に起こる。
それを俯瞰してつなげるのは、人間の仕業。
「布置」というらしい。

時に、「神懸っている」と思わせることがある。
ここぞというタイミングで、これしかないってくらいのことが起こる。
例えば、卒論提出日の提出後に祖母の訃報が届いたり、就職に失敗してどん底で実家に引き上げてきて実家に単車を止めたら古巣となる組織の方から電話がかかってきたり(Iyokiyehaの実話です)、人生には様々な「偶然という必然」と言えるようなことが起こる。

ただ、まぁ、よくよく考えてみれば、各々が好き勝手なことをやった「結果」が、たまたまいいタイミングだっただけで、それ以上でもそれ以下でもないような気もする。
だって、その渦中にある時は必死で、それを俯瞰する余裕なんてないことがほとんどですし。

Iyokiyehaの立場は、「神様はいてもいなくてもいい」。
仮に神様がいたとして、気が向いたときに、気が向いた人の人生にちょっと手を出して、楽しんでいるのかもしれないし、それはそれでいい。
逆に、神様なんかいなくて、ドライにそれぞれのことが偶然重なった結果かもしれない、それはそれでいい。
運のよさ、みたいな数値化できない尺度はあるような気もするけれど、生まれたときから運命が決まっていると言われても仕方がないと思う。
いろんなことが、自分の人生の周辺に漂っていて、それが自分に近づいてきた時に、それに触れられるかどうかというのが、「偶然という必然」が起こるか起こらないかの境界のようにも思う。

うーん、書きながら、全くわからなくなってきたぞ。

先日、師匠と話をしたことは、こんなことだったような、こんなことではなかったような、そんなことすら混沌にたたきこんでしまった気分です。
次にIyokiyehaの意識に立ち上がってきたときが楽しみです。
個人メモで失礼しました。

2008年9月11日木曜日

GIFT おくりもの

-gift(名)1:贈り物、寄贈品、みやげもの。2:天賦の才能。3:与えること、贈与。4:簡単にできる事(もの)。(動)<人>に<物>を贈る。<才能などに>恵まれている。

まっとうな仕事についてから、見えない価値というものをよく考えるようになった。
たとえ、そこに「物」が介在していても、いなくても、目に見えない「価値」が必ず存在することは想像に難くない。
カタチのない、いわばpricelessなものが、カタチのある値打ち物よりも「価値ある」とは言えないし、そもそも「どちらが?」などという問い自体が愚問だと思う。

例えば、雑談の中でたまたまIyokiyehaがあることをひらめいて、その御礼をしたくなるのは当然のことだと思ってしまうし、そこにはオモテもウラもない純粋な「御礼」が存在する。
相手に伝わるかどうかは、全く別として。

先日、合気道の練習中に師匠と話をしていて、「Iyokiyehaは、聞き上手だなぁ」との感想をもらう。曰く「一時間5,000円くらい払ってもいい」なんて冗談まで飛び出す。
悪い気はしないが、私としても師匠と話をすることで得るもの、気付くことがたくさんある。例えば、今年に入って、また一皮むけた感じがする、など。
(この件は、また後日整理してアップします)
もちろん、御代はもらいません。
Give and Takeですから。仕事じゃないし。
こんなGIFT(いろんな意味を込めて)もあるんだなと思う。

一方で、「物」を介在したGIFTもある。
以前、友人から突然贈り物をされたことがあったことを思い出す。「贈り物」なんて書いてしまうとちょっと大袈裟かもしれないけれども。
「何で、こんなもん?」という問いに対し、「なんとなく」。
当時は、全く理解できずに感謝していたものですが、それでいいんだなと最近は思えるようになってきた。

裏心あれば、絶対何かで見破られます。
それが全くないGIFT、意図するものもしないものも含めて、その人が内側から変わる力を刺激するような「贈り物」を、常に発していたいと思う、今日この頃です。

2008年9月10日水曜日

足で崩す

合気道で乱取りをやっていると、覚えた(型通りの)技は単発ではかからないことがよくわかる。
「くるな」と思えば、相手の技が発動してからそれがかからないように動くことで、相手の技をさばくこともできる。
バランスを崩していると、話は別だが。

この「バランスを崩す」がポイントで、師匠の動きを見ると、相手の肘を持って押し込んだり、引いたりと、いくつかの動きを組み合わせて、自分が技を出しやすい体勢に相手をコントロールする。
この「崩し」も難しいところで、上半身(腕や手)を使って押したり引いたりすればいいかというと、そうでもない。

師匠曰く「相手の肘とかに、自分の手を『ひっかけて』、足を動かすことによって力を伝えていく」とのこと。
なるほど「移動力を伝える」というのは、こういう小さな動作にも通ずるものかと。
やってみると、なるほどと思う。まだまだ無駄が多い動作だけれども、感覚は味わえた気がする。

2008年9月9日火曜日

森博嗣『スカイ・クロラ ――The Sky Crawlers――』中央公論新社、2004年。

映画化された小説。
裏表紙には「戦争を仕事に永遠を生きる子どもたちの寓話」とある。
小説ゆえに、変に評価するのはおこがましいが、小説全体を貫く「淡々とした描写」と「一人称視点により表現される心理描写」が、何ともいえない雰囲気を作り出しており、なぜか、この世界にぐいぐいと引き込まれそうになる。

率直な感想を言えば、「面白いけど、何か物足りない。そして謎が解けないもやもやは残る」とでも言えるだろうか。
映画のCMでも引用されるあたり、ボーリングをしている主人公カンナミが思うこと。

ボールの穴から離れた僕の指は、
 今日の午後、
 二人の人間の命を消したのと同じ指なのだ。
 僕はその指で、
 ハンバーガーも食べるし、
 コーラの紙コップも掴む。
 こういう偶然が許せない人間もきっといるだろう。
 でも、
 僕には逆に、その理屈は理解できない。
(245~246ページ)

こういう描写が随所に散りばめられており、ちょっと変わったカンナミの思考は、そのまま否定することが何だか後ろめたいようにも思える。
いろんな意味で、別世界へ連れて行ってくれるような小説だと思う。
「キルドレ」とは何なのか、他の登場人物は何を考えているのかといったことについて、充分な描写がなく、それがまた「スカイ・クロラ」ワールドを独特なものにしているようにも感じられる。

個人的には、謎がすっきりする小説が好きだけども、森氏の他の著書も読んでみようと思わせる小説だった。


おすすめ度:★★★★☆

2008年9月7日日曜日

腰が動く力

8月下旬から、合気道を再開しているのだが、少しずつ身体を慣らしていく過程で感じた身体感覚がある。
それは、人間の「移動エネルギー」は、「腰」が最も効率がよいということになるのだろうか。
言語化がなかなか難しいのだが、師匠と手刀合わせをしていて感じたことである。

お互いに手刀を合わせて、相手を押し込んでいく稽古がある。
その時、手刀の形を維持することであるとか、正中線を保つとか、いくつか気をつけることはあるのだけども、それらを一致させていって、最も効率よく相手を押し込めた時の感覚を言葉にすると、「全身で腰の動きを支える」ということ。

具体的には、全身するときに、足を蹴った力で全身するのではなく、重心が前に移動していくのに合わせて膝をコントロールし、腰の全身を妨げないようにする。
同時に、上半身は正中線と手刀の形を維持し、「膝のコントロールによって開放された腰の移動力を、手刀を通して相手に伝えていく」とでもなるか。

これまでに自分がしてきた動作とは、少し身体感覚が違うので、ちょっと違和感があるのだけども、この身体の使い方を、自らの意志でコントロールできるようになったら、きっともっと強くなれると思う。

「貪欲」という評価

少し前のことになるが、Iyokiyehaのことを「貪欲」と評した人がいる。
自分自身を振り返った時に、私が大切にしていることと、それを一般的な言葉にできなかったことについて、一見聞こえの悪い「貪欲」という言葉を当てはめてくれたこの方には、この場を借りて御礼を言っておきます。

さて、個人的な連絡はさておき(このBlogの目的ではないので)、この「貪欲」について考えてみる。
辞書的な意味では、「どん-よく【貪欲】自己の欲するものに執着して飽くことを知らないこと。非常に欲のふかいこと。仏教では三毒・十悪の一」とある。
仏教的な意味での「欲」が深いかどうかはわからないが、一つ目の意味を思い切り中立的に受け止めれば、大体Iyokiyehaの性格を言い当てているように思う。

意外とこだわり、頑固。
やりたいと思ったことは大体やってみることにしているし、できないことはやらない。
ただ、好奇心は大切にしているので、「とりあえずやってみる」ことの幅は広い。
おそらく、同世代の多くの人よりも知識欲は強いだろうし、こんなBlogを使いながら、仕事に関わらず、いろんなことを考えるのが好き。
考えたことを、わかりやすく表現してみるなかで、新しい世界が広がってくる感覚が、Iyokiyehaにとっては何よりも栄養になっていると自覚している。

これまでやってきたことや、今やっていることを、きれいな言葉でまとめていくことは多分できるだろうけれども、その本質はというと、シンプルに「自分の貪欲さが作ったもの」です。
きっと、これからも「貪欲」に、いろんなことを取り入れていくのでしょう。
だって、自分が変わっていくことや、考えていることを伝えられることが、何よりも楽しいと感じるから。

読書状況080907

<今週の状況>
この間は、結構フィーバーしていたようだ。
雑誌を立て続けに読み切ると、なんだか「活字欲」みたいのが刺激される。
「読み応えのある軽い新書」(爆笑問題など)は、すらすらと2~3日で読みきれてしまうので、読み物としては非常に有益といえる。
自分でも意外なのは『スカイ・クロラ』。まさか、こういう小説をまた読むことになるとは思わなかったのだけれども、映画化されるとか。CMで観て「結構深いかも」と思い、そのままAmazon.comで注文。学生時代の、本の買い方が復活したようでした。
『地頭力…』は、Iyokiyehaが自分自身の成長のために大切にしてきた「好奇心」や、「結果を出すプロセスに焦点を当てる」ことについて、論理的にわかりやすく、かつ「フェルミ推定」という「聞いたことがなかった、とても面白い」考え方をとりあげているのが、非常にわかりやすい。
早いところ、PSWのレポート課題を終わらせて、思い切り読書に耽りたいものです。

○既読
・『Foresight』2008年8月号。
・『Foresight』2008年9月号。
・『TOPPOINT』2008年8月号。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版②』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・太田光、田中裕二、山岸俊男『爆笑問題のニッポンの教養 人間は動物である。ただし…… 社会心理学』講談社新書、2007年。
・篠原佳年、松澤正博『モーツァルト療法』マガジンハウス、1998年。
・松久淳、田中渉『あの夏を泳ぐ 天国の本屋』新潮社、2008年。

○一部
・『週刊ダイヤモンド 2008年8月30日号』ダイヤモンド社、2008年。
(精神保健福祉士通信講座テキスト複数)

○中断

○現在進行中
・『TOPPOINT』2008年9月号。
・『週刊ダイヤモンド 2008年9月6日号』ダイヤモンド社、2008年。
・米内山明宏『DVD付き はじめての手話入門』ナツメ社、2005年。
・茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル」製作班編『プロフェッショナル仕事の流儀 あえて、困難な道を行け』日本放送出版協会、2008年。
・松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、1969年。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版③』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・ドナルド・ショーン著、佐藤学、秋田喜代美訳『専門家の知恵 反省的実践家は行為しながら考える』ゆみる出版、2001年。
・PHP研究所編『常に時流に先んずべし』PHP研究所、2007年。
・森博嗣『スカイ・クロラ ――The Sky Crawlers』中央公論新社、2004年。
・細谷功『地頭力を鍛える』東洋経済新報社、2007年。

2008年9月6日土曜日

精神保健福祉論(草稿)

1.はじめに
 精神科病院では、患者の持つ疾患の特性上、必要に応じて患者本人の意思や希望に反する強制的な医療行為や行動制限が実施される場合がある。
 本稿では、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下、「精神保健福祉法」)に規定されている、本人の同意なしに実施される可能性のある医療行為と行動制限を確認し、それぞれについて用意されている法制度上の配慮をまとめる。なお、本稿において法律を特定しない場合の条項番号は、精神保健福祉法を表すこととする。

2.精神科病院における強制および行動制限
 精神保健福祉法には、場合により本人の同意なしに行われる医療行為として「強制入院」と「行動制限」が規定されている。
(1)強制入院
①退院制限(第22条の4第3項、4項)
任意入院した精神障害者の退院申請に対し、指定医が入院を継続する必要があると診察する場合、72時間に限り退院を制限できる。なお、「特定医師」の場合は、12時間とする。
②措置入院と緊急措置入院(第29条、同条の2)
指定医2人以上の診察の結果、その者が精神障害者で、かつ、入院させなければ自傷他害のおそれがある場合に、都道府県知事はその者を精神病院に入院させることができる(措置入院)。また、上記手続きを採れない場合、指定医の診断により72時間に限り入院させることができる(緊急措置入院)。
③医療保護入院(第33条)
指定医による診察の結果、入院の必要がある者の内、病識の欠如や判断能力の低下等の理由で、任意入院の手続きがとれない場合、保護者の同意によりその者を入院させることができる。また、特定医師の診察による場合は、12時間に限られる。
④応急入院(第33条の4)
 指定医による診察の結果、緊急に入院が必要な場合で、任意入院の手続きが採れず、かつ、保護者の同意も得られない場合、72時間に限りその者を入院させることができる。特定医師の診察による場合は12時間に限られる。
⑤医療保護入院のための移送(第34条)
 指定医による診察の結果、入院の必要があるとされ、任意入院の手続きが採れない場合に、保護者の同意により医療保護入院させるために、本人を精神病院へ移送することができる。
(2)行動制限(第36条)
 精神病院の管理者は、入院中の者に対し「その医療又は保護に欠くことのできない限度」で、必要な制限を行うことができる。

3.強制及び行動制限に対する配慮
 強制や行動制限は、本人の同意なしに実施される。よって、本人の症状が軽減することや、判断能力が回復する等の状況により、医療の原則である本人の意思に基づく医療行為を受けられるよう、制度上の配慮が用意されている。以下、精神保健福祉法で規定されている配慮事項を説明する。
(1)退院等の請求(第38条の4)
精神病院に入院している者、あるいはその保護者は以下を求めることができる。
①都道府県知事に対し、当該入院者を退院させること
②精神病院管理者に対し、当該入院者の退院を命じること
③精神病院管理者に対し、当該入院者の処遇改善を命じること
 ①の求めを受けた都道府県知事は、都道府県に設置される精神医療審査会に請求内容を通知し、その者の入院措置や処遇について審査を求めなければならない。第三者機関が独立的、客観的判断できるしくみである。
(2)行動制限の制限(第36条2項、3項)
 精神病院では、入院患者の行動制限を認めているが、厚生省告示(昭和63年第128号)に基づき、以下の制限は禁止されている。
①信書の発受
②都道府県及び地方法務局その他の人権擁護に関する行政機関の職員並びに患者の代理人である弁護士との電話
③上記②の者及び、患者又は保護者の依頼により患者の代理人になろうとする弁護士との面会
 また、以下の行動制限については、厚生省告示(昭和63年第129号)に基づき、指定医が認めなければ実施できない。
④患者の隔離(12時間を超えるもの)
⑤身体的拘束
(3)入院時の通知
 精神障害者が入院する場合、精神病院の管理者は当該精神障害者に対し、精神保健福祉法施行規則に基づき、以下のことを告知するよう定められている。
①患者の入院形態に関する説明
②第36条に規定する行動の制限及び処遇に関する事項
③第38条の4に規定する退院等の請求(任意入院の場合は、第22条の4第4項)

4.まとめ
 以上、精神科病院における強制及び行動制限と、それらに関する法制度上の配慮をまとめた。治療に関して不満があれば、その改善を求めることができ、本人が退院を希望すれば請求が可能となっている。また、精神科病院の監視体制も、厚生労働大臣および都道府県によって整えられ、必要な基準も定められている。制度上は、本人の意志と人権を尊重したものとなっている。
 しかし、病識が欠如する、判断能力が低下する等の障害の特性により、治療方針を本人の意志に委ねることが、医療及び保護に有効か、さらには自傷他害のおそれはないか等、現場で判断に迷うことが予想される。
制度的には様々な配慮がされているとはいえ、それを生かすのは当事者と医療従事者一人一人といえる。精神保健福祉士も、支援者の一人として、人権確保のチェック機能を果たせるよう意識したい。



(勉強メモ)
※なお、本投稿をコピーするなどしてレポート回答とする等の行為はやめてください。

2008年8月31日日曜日

自己変化の度合いに関する仮説

職業リハビリテーションに携わる者として、日々業務に携わり、考えていたことがある。
それは、対象となる人の目標到達(達成)は、何が支えるのだろうということ。
言い換えれば、目標達成は、何によって成立するのだろうか。

昨晩、寝る前に『部長 島耕作』のバイリンガル版を読んでいる時に、ふと頭に浮かんで書き留めたことは、こうだ。


 課題改善=モチベーション×行動の事実


この「課題改善」を「成長」とでも置き換えれば、万人に通用する公式になるような気もする。
意味するところは、何らかの行動改善や思考方法の改善を試みる時(そもそも「改善」とは何だ?という疑問はあるが、それは別の機会に考察する)、その「改善」が本人(自分を含む)の必要と思っていることと一致していることが必要である。
つまり「やらなきゃ」と思う気持ち(≒モチベーション)である。

極端に言えば、自分が必要だと思っていないことは、いくらやっても無駄である。

もう一つ。
「やらなきゃ」と思っているだけではだめで、改善に関して何らかの行動を伴う必要がある。
この「行動」というのは面白いもので、モチベーションがあれば、たとえ失敗と見える結果であっても、それは「経験」として読み替えられ積み重ねられる。
モチベーションがないと、この失敗が「失敗」として刻み込まれることとなり、学びがなく、課題改善の足しにならない。

「やらなきゃ」いかんことは、「やれ」ということだ。

そのまま、Iyokiyehaの生活にも当てはまるなと思う。
そして、Iyokiyehaの仕事にも、PSWとしての姿勢にも、全くこの通り当てはまってしまうように思う。

何であれ、「支援者」としての立場となったときには、対象となる方から「モチベーション」を引き出し、ターゲットとなる目標と行動を適切に設定することが求められる。
まさに、こういうこと(下図)だと思う。





石山勲『精神保健・医療・福祉の正しい理解のために ――統合失調症当事者からのメッセージ――』萌文社、2005年。

統合失調症当事者から見た、精神医療、保険、福祉制度について、率直な意見が論じられている。
Webで横行しているような、現行制度に対する批判ではなく、自らの経験をできるだけ客観的に記述しており、制度に関する指摘も自らの経験から、早急に検討すべき示唆が多数含まれているように読み取れる。
統合失調症が「思考方法・内容の障害」であるとされる理由を、自らの経験から見事に説明している(57~58ページ)箇所は、当事者でなければわかりにくい概念を、理解しやすい言語化しているといえる。

いつも通り、当事者によるものは、謙虚に学ぶ姿勢で読ませてもらっている。
制度に関する指摘も、それを活用したい当事者にとってはもっともな話で、早急に議論されることを願うとともに、制度の隙間をそれに携わる行政職・専門職がマンパワーで埋めていかなければならないことを示唆しているように読めた。
自らの業務は、常にこうした視点から見直さなければならないと思う。
ただ、一箇所だけ気になったのは(Iyokiyehaがそれに関する仕事をしているからであるが)、雇用率に基づく納付金制度を「罰金」と一言で書いてしまっている箇所である。
そんな細かいことはさておいても、非常に学び多い書籍であった。
統合失調症の説明に関しては、時に業務の中でも使わせてもらっている。


おすすめ度:★★★★☆

篠原佳年、松澤正博『モーツァルト療法』マガジンハウス、1998年。

胎教にいいとされる「モーツァルト」。
何でいいのか?ということについて、トマティスメソッドに基づく耳のしくみと、モーツァルトの音楽そのものに関する仮説と理論。
専門的な話題にも関わらず、一般向けの読み物として書かれており、その記述は一貫して人体の神秘について論じられている。
純粋に、人間の「耳」と「聴覚」のしくみを学ぶのにも、いい書籍であると思う。

音は「聴覚神経」だけでなく「骨伝道」でも、意外と多くの音を感じている。
そして、耳のしくみとして、中耳の骨のバランスにより、聞こえる(感じられる)音にフィルターをかけたり、かけなかったりするとのこと。
人の身体は、本当に微妙なバランスで成立しているのだなと思わせる、驚きの記述で一杯だった。
別に、これから生まれてくるIyokiyehaベイビーを天才にしようとは思わないけれども、聞いていて心地いい音楽は、胎内で聞こえているのなら聞かせてあげたい。
いい音楽は、確かに脳にいい刺激となるのだと思う。
勉強中に聞く音楽としても最適な「モーツァルト」。
その理由には、やっぱり科学的な根拠もあるようです。


おすすめ度:★★★★☆

2008年8月28日木曜日

松久淳、田中渉『あの夏を泳ぐ 天国の本屋』新潮社、2008年。

松久+田中コンビによる6年ぶりの小説とのこと。
彼らが描く世界は、とても静かで、穏やか。
でも、小説の中に「人が生きている」感じが読み取れる。
人の純粋さ、美しさ、葛藤、矛盾、若さ。
生きた描写の中に、様々な感情が読み取れる。

Iyokiyehaは、小説をあまり読まないのだけれども、このシリーズはずっと読んでいた。
「天国の本屋」を介して描かれる世界観が、おそらくIyokiyehaにはフィットしているのだろう。
「似合わない」と言われても、好きなものは好きなのだ。
こればっかりは、仕方がない。

ベストセラーにランクインしている小説のようにギスギスした人間関係ではなくて、もっと生々しい、それでいて純粋な、Iyokiyeha自身の人生とも一部触れているような描写(私はあくまで男性ですが、なんていうか、若い頃の初々しさとか切なさとかといった感覚)が、読んでいて非常に心地いい。
好きな小説シリーズなので、評価は甘めです。
私の好みってことで。


おすすめ度:★★★★★

2008年8月24日日曜日

読書状況080824

<今週の状況>
旅行や出張など、外出すると、読む本が増えるというのは、Iyokiyehaの良いことでもあり、悪い癖でもある。
読み物やら小説やら、たくさんあるが、ぼちぼち読んでいきます。
一般書中心で読んできたところですが、『エンデュアランス号』の影響もあり、小説などの読み物も積極的に読んでいこうと思う。
知識だけでなく、表現を学ぶことと、いろんな「生き方」の背景を学ぶ意味も込めて。


○既読
・『週刊ダイヤモンド 2008年8月9・16日号』ダイヤモンド社、2008年。
・森岡正博『草食系男子の恋愛学』メディアファクトリー、2008年。
・島田洋七『佐賀のがばいばあちゃん』徳間文庫、2004年。
・爆笑問題『爆笑問題の戦争論 爆笑問題の日本史言論』幻冬舎、2008年。

○一部
(精神保健福祉士通信講座テキスト複数)

○中断
・『Foresight』2008年8月号。

○現在進行中
・『Foresight』2008年9月号。
・『週刊ダイヤモンド 2008年8月30日号』ダイヤモンド社、2008年。
・米内山明宏『DVD付き はじめての手話入門』ナツメ社、2005年。
・茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル」製作班編『プロフェッショナル仕事の流儀 あえて、困難な道を行け』日本放送出版協会、2008年。
・松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、1969年。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版②』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・ドナルド・ショーン著、佐藤学、秋田喜代美訳『専門家の知恵 反省的実践家は行為しながら考える』ゆみる出版、2001年。
・太田光、田中裕二、山岸俊男『爆笑問題のニッポンの教養 人間は動物である。ただし…… 社会心理学』講談社新書、2007年。
・PHP研究所編『常に時流に先んずべし』PHP研究所、2007年。
・篠原佳年、松澤正博『モーツァルト療法』マガジンハウス、1998年。
・松久淳、田中渉『あの夏を泳ぐ 天国の本屋』新潮社、2008年。

爆笑問題『爆笑問題の戦争論 爆笑問題の日本史言論』幻冬舎文庫、2008年。

爆笑問題の二人が対話(漫才?)形式で、日本の歴史を解いていく、新しい形の歴史本。
シリーズ化しているのだろうか?
本書は、日清戦争から第二次世界大戦まで、コンパクトなデータを基に、日本が世界大戦へ踏み切った状況という大真面目な内容を、二人の軽快なやりとりによって気軽な読み物としている。

読み物としては、結構面白い。
京都大学の佐伯氏が「基礎知識が身に付く」と絶賛しているように、時の状況を概観するには適当な書籍といえる。
描かれている歴史観が、社会科教育の教科書に準ずる内容となっているのが、個人的には少々残念だったが、歴史の一面を切り取る限り、様々な立場があって然るべきだと思う。
立場の違いによって、読み物を排除するのは、私の性に合わないので、これはこれでいいと思う。
コンパクトだが論を補強するのに適当なデータが、随所に挿入されており、説得力のある読み物に仕上がっていると思われる。


おすすめ度:★★★☆☆

PSWを目指す理由

今年度の4月から、精神保健福祉士(PSW)の国家試験受験資格を取得するための通信講座に参加している。
受験してみたら受かってしまって、この一週間は仕事を休んで東京に滞在し、スクーリングを受けているわけだが、いろんな刺激を受けて、改めて「PSWを目指す理由」を考えてみた。

生々しいことも含めて整理すると、現時点で優先順位順に以下の通りになる。
1.今の仕事で「強み」を作る
 一年前には、特に何の障害にこだわっていたわけではないけれども、山梨に来てから精神障害を持つ人と多く接するようになって、この障害を持つ方の社会復帰の難しさと、可能性双方を意識するようになった。地域生活をしている精神障害者の方は、そのほとんどが「ニーズにマッチした支援」の下、周囲のちょっとした理解があれば、就労を経た自立生活を営むことができると思う。復職支援まで含めれば、障害者雇用の将来を考えた時に、精神障害に関しては私が生きている間はその支援がなくなる(=理想のノーマライゼーションが実現する)ことはないと仮定し、私の支援技法に一つ突き抜けたものを身につけたいと考えている。その基盤として、職業リハビリテーションの近接分野で、より広範囲なクライアントに対応できる知識と技術を身につけるためのPSWである。

2.再就職を意識
 こんな風に書くと勘違いする方もいるかもしれないが、すぐに再就職は考えていない(今のところ業務そのものに不満はないし、何より雇用条件がいい)。ただし、独立行政法人の性質上、いつ・何が起こるかわからない。同期のH氏が言うように、障害者雇用そのものがなくなる可能性は捨てきれないが、私の見立てではとりあえず現職は、今のしくみのまま15年はもつと思う。しかし、20年後は機構だけでなく、独立行政法人のしくみそのものがどうなるかわからない。雲行きが怪しくなって25年後に解散、ということにでもなった時のことも考えると(私が54歳)、他で通用する資格を取得することは、人生のリスクマネジメントにもなるだろう。
 また、子どもができて、のっぴきならない状況がもし起こりうるのであれば、転勤を伴う現職を続けることに限界がくる可能性も捨てきれない。そこまで考えた時に「より安全な」選択肢として、国家資格を取得することは決して損にはならない。

3.ソーシャル・アクションを意識
 前向きな理由としては、この点が強いかもしれない。隙あらば私は、機構の枠におさまらない活動にも参加したいと思っている。というのも、本来「ノーマライゼーション社会の実現」が機構の設立趣旨の一つでもあるにも関わらず、現場のしくみは必ずしもそうなっていないこともある。各ケースのマネジメントは当然優先されるべきだが、それだけで満足していたら、いつまでたっても社会のしくみは変わらない。このあたりが、NPOを経て行政機関に入った私が、今の職場を「物足りない」と感じる地点であるように思う。事業体としてだけでなく、事業運営の向こう側に「社会変革の芽」を見据えていなければ、いわゆる「国民の皆さん」に批判される行政機関であり続けなければならない。そんなのは、まっぴらごめんである。
幸いなことに、PSWの本来の専門性は、精神疾患を持つ方へのケアだけでなく、精神保健福祉全般に関する取り組みになるため、この点においても資格取得は私の活動範囲を広げるきっかけになる。

たとえ自分がどんな立場であったとしても、その専門性を極めることと、多分野への理解と連携によって、新しい価値を生み出し、社会の変革に寄与できると信じている。
私が精神保健福祉士の取得に踏み切った理由は、ざっとこんなところだろうと考えている。

2008年8月21日木曜日

精神保健福祉士スクーリング(6日目)精神医学

6日目。
現役医師による講義。
第一線の医師から、めちゃくちゃ内容の濃い話が聞けた。
昨日同様、やはり知識の整理と、今後の勉強のためのハシゴをかけてもらうような内容ではあったが、普段触れることのない医療の内容(人の身体のしくみと働きかけの内容)についての講義だった。

昨日と同じように、率直に「考える暇のない」講義だったので、現時点(内容のまとめはじめの今)思索が深まるものではなかったため、「考えたこと」は省略する。一つだけ強く感じたのは、医学情報は大袈裟ではなく「5年で新しくなる」ものであるため、常に情報を更新する必要があるということ。新薬の情報や、医学的な成果は、新聞にそれほど大きく掲載されないため、「無理のない範囲で」自分なりの情報源をもたなければならないと思う。


<講義内容概要>
1.精神医学基礎
(1)勉強する上での注意点
 ①「医学用語」の意味
「医学用語」は、「日常用語」、そして「心理学用語」と、それぞれに共通する言葉を使いながらも、その意味するところが違うことも多い。医学的に用いられる場合の「定義」をきちんと確認する。
 ②Web情報
 学会および公文書(厚生労働省など)といった内容と、それ以外のものとでは信憑性の部分で差があるため、注意する。
(2)入院の形式(レポート講評)
 精神保健福祉法において、入院形態が定められているが、それぞれについて精神科医がどんな判断をしているか理解することが重要。
 ①医療保護入院
  医師は、「本人の病識の有無」を判断する。
  -検討の三点セット(患者、保護者(法的)、指定医)
   病院勤務時、その時点で指定医が不在の場合は安易に救急患者を受けない
 ②措置入院
  医師は、「本人に自傷他害の恐れがあるかどうか」を判断する。
 ③応急入院
  医師は、「②に加え、保護者がいても同意できる状態にあるか」を判断する。
※ちなみに、Iyokiyehaが前回提出したレポートは、無事にパスしました。コメントをくれた皆様、ありがとうございました。
(3)精神疾患の分類
 ①内因性(身体因性)
  障害の原因を「身体」(脳の機能的障害)に求める
  -統合失調症
  -躁うつ病(気分障害)
 ②外因性
  障害の原因を「身体」(外的要因の脳への侵襲、脳以外の身体疾患が原因)に求める
  -器質性精神病(脳に「何か」がある)
   脳腫瘍、脳外傷、脳炎、神経梅毒、てんかん
  -症状精神病(別の身体疾患が原因)
   感染症、膠原病、内分泌代謝疾患
 ③心因性
  障害の原因を「精神的なもの」に求める
  -神経症(身体要因がないもの)
  -心身症(身体要因(原因疾患:胃潰瘍など)があるもの)
―――
 ④人格障害
  発達そのものの異常(①②③が、理由により正常発達が阻害されるのに対する分類)
  -境界性人格障害
  -自己愛性人格障害
(4)その他
 「不安」と「恐怖」の違い
 ①不安
  対象がはっきりしない、漠然としたおそれ
  アプローチ:情報を整理して、対象を明確にする
 ②恐怖
  対象のはっきりしたものに対するおそれ
  アプローチ:認知を切り替えて処理する。環境を調整する。

2.統合失調症
 統合失調症とは、思考内容・思考形式の障害
(1)疫学
 ①頻度:人口の1%程度
 ②年齢:15~35歳がほとんど
 ③病因:多因子遺伝、脆弱性-ストレスモデル、神経科学的研究、ドーパミン仮説
  (これらに限定されていない)
  -ドーパミン仮説(メモ参照)
   ドーパミンが過剰に放出され不必要な情報まで伝達してしまう
(2)分類(統合失調症・分裂病)
 ①破瓜型:10~20代、予後・不良
  陰性症状主体、慢性の経過(パーソナリティの障害)をたどる
 ②緊張型:若年、急性発症、ほぼ寛解だが周期性あり
  緊張病性興奮、緊張病性昏迷
 ③妄想型:30代、予後・ある程度は維持
  被害妄想(体系化される)
 ④単純型:緩徐進行、予後・軽度不良
  陰性症状中心、幻覚はない、パーソナリティの貧困化
(3)症状(略)
(4)診断
 ①病歴聴取
 ②面接・行動観察
  -プレコックス感(重いものを知っておくべき)
 ③精神症状
  -シュナイダーの一級症状(略)
(5)治療
 ①抗精神病薬
  -ドーパミンレセプタをブロックする
 ②生活療法
 ③作業療法
 ④電気ショック
 ⑤その他(アフターケア:デイケア、SSTなど)

(続く)

2008年8月20日水曜日

飲み屋にて

別に、こんな情報が出たから帰ってきたわけではないのだけれども、今日は早めに宿に帰る。

先日見つけた、串鐵さんで気持ちよく飲んでいたのに、酔っ払いのおっちゃんに絡まれます。

http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/08/blog-post_4646.html

不思議なことに、絡まれてもけなされないIyokiyehaです(何だか「オマエはいいヤツだ」とか「いい飲み方だ」「最高だ」など)。学生時代に、バス停でホームレスのおっちゃんと意気投合(?)し、30分くらい世間話したことも思い出しました。

飲み屋で文庫本読んでる30前のおっさんなんて、誰も相手にせんだろうに、こともあろうにIyokiyehaに握手を求めてくる酔っ払い。さすがに、無言で冷たい視線を送ってしまいました。

・・・黙るなよ。

あれだけ威勢よくガハガハやってたおっさんが、しゅんとしていじけたように飲み始めてしまいました。いかんねぇ、適当にあしらっておけばよかった。すっかり私が悪者みたいじゃないか。

お勘定のときに、店員さんから「すんません。最近なんか入り浸ってる人なんです」とこっそり言われる。「大丈夫ですよ、大変ですね」と返す。

そんなことよりも、注文した「大根サラダ」の大根が、この世のものとは思えないくらいの辛さだったことが思い出されます。飲み屋で大根サラダ食べて、まさか泣くとは思わなかった。

いろいろあって、おもしろいですね。世の中って。

精神保健福祉士スクーリング(5日目)法学・心理学

5日目。
共通科目の講義は、勉強していない(まだレポート課題になっていない)ので、ちんぷんかんぷんになるんじゃないかと思っていたのだが、講師のスキルも高く、どちらかと言うとあまり好きでない法学も、何度も断片的に勉強しつつも全体像がつかめない心理学も、どちらもいい意味で緊張感のある講義であった。
知識の整理で精一杯だったので、考えたことは少ないが、以下の通り。

■日常の業務に埋没していると、各種法律の改正は二の次三の次になってしまいがちだが、大局観を得るためにも、基本的なことを把握した上で改正の内容は把握しておいた方がいいと思った。精神保健福祉士取得目的の一つでもあったのだけれども、特に福祉関係の法律について、一通りのことは知っていないと、就職を通じたライフプランニングは難しいのだろうなとも感じた。
■前々から感じていたことだけれども、心理療法は形だけ真似してもその本質は掴めない。基礎理論の上に、パッケージ化されたプログラムが開発されているのであって、パッケージを形だけ真似しても、本来のプログラムがターゲットとしている「治療」や「教育」的効果は期待できない。


<講義内容概要>
○法学
1.日本国憲法
(1)憲法のしくみ
 ①基本的人権
  -個別的人権(後述)
  -包括的人権(11、12、13、97条)
 ②統治
  -国会
  -内閣
  -裁判所
  -予算
  -地方自治
     ・・・他
  に大別される

(2)個別的人権
 ①平等権(法の下の平等(14)、男女平等(24))
 ②自由権(「公共の福祉」に反しない限り、法の下に、国民は平等)
  -精神的自由(思想(19)、信教・政教分離(20)、集会・結社(21)、学問(23))
  (内に秘めている限りは、何を考えてもよい)
  -経済的自由(職業選択(23)、財産(29))
  (仕事は何をやってもいいし、私財は守られる)
  -人身の自由(苦役からの自由(19)、財政手続き(31)、刑事的(33-40)
  (拘束されたり、不当な扱いから守られる)
 ③社会権(後述)
 ④参政権
 ⑤受益権

(3)社会権(生存権)
 ①生存権(25)
  -(25-1)最低限度の生活を営む権利(国民の権利)
  -(25-2)(国の責務)
 (重要)朝日訴訟
  ポイント:行政不服審査法、行政事件訴訟法、最高裁判断
  -行政不服審査:行政機関に対する審査請求
  -行政事件訴訟:行政処分の取り消しなど、裁判所判断を求めるもの
  -朝日事件の最高裁判断
   結論:本人死亡により上告は認めず
      ただし、ⅰ:憲法25条は「プログラム規定」
          ⅱ:生活保護基準の設定は行政の裁量
          ⅲ:ⅱについて、本件では行政の逸脱・濫用はない
 ②教育権(26)
 ③労働権(27)

2.成年後見制度(民法)
(1)平成12年改正の経緯
 ①判断能力を否定するような制度だった
 ②戸籍に登記されてしまったことにより、家族が二次被害を受けるケースがあった
(2)改正内容
 ①戸籍登記の廃止(後見登記制度へ)
 ②名称変更(禁治産者から成年被後見人へ)
 ③配偶者後見人原則の廃止
 ④市町村長への申立て権付与
 ⑤複数後見・法人後見が可能となる
 ⑥任意後見>法定後見
         ・・・他
任意後見:自分に判断能力がある時に、公正証書によって信頼ある人に、将来後見人となってもらうことを依頼しておくもの。依頼されたものは、本人の判断能力が不十分になった際、家庭裁判所に申立てをし、家裁の判断により成年後見が開始となる(監督人を別に立てておく必要がある)。
※成年後見制度の効力は「財産取引行為」(「身分行為」は後見人の権限が制限される)


○心理学
1.心理学基礎
 学問的な心理学は、ブントWundt.W.がライプチヒに心理学実験室を創設(1879年)から始まる。
(1)構成心理学
 ブントが始めた、事象を構成要素に分析する
(2)ゲシュタルト心理学
 全体としてのまとまりを対象とする
ウェルトハイマー、ケーラー、コフカ:知覚・思考・記憶など
レヴィン:人格心理・社会心理
(3)行動主義心理学
 客観的で観察可能な行動を対象とする
  ワトソン:刺激(S)→反応(R)
  トールマン、スキナー、ハル:学習の心理
(4)精神分析学
 意識にのぼらない欲求・感情に注目
  フロイト:自由連想法・夢分析→人格理論、発達理論、治療理論
  アドラー:個人心理学
  ユング :分析心理学
 新フロイト派
  ホーナイ、フロム、サリヴァン:自我心理学、対象関係論など

2.動機づけ
(1)過程
 ①欲求need
 ②動因drive(生理的な現象)
 cf:誘因(外的要素)
 いずれも「○○したい」と行動しようとするもの
 「動機づけ」:行動を開始させ、方向づけ、継続させる過程
 ※マズローの「動機の階層説」
(2)内発的動機づけ
 環境に対して、自発的・積極的に働きかけ、効力感を得ようとする動機づけ(ホワイト)
 例:感性動機(感じてみたい)
好奇動機(やってみたい)
操作動機(使ってみたい)
 内発的動機づけの本質は、有能さと自己決定を追及する点にある(デシ)
 -達成動機:優れた基準や目標を立てて、それを達成しようとする動機。
原因帰属が動機づけに影響する(能力、努力、困難度、運)

3.学習
 ソーシャルワークには、対象者への学習を含めた動機づけが必要
 「どう引き出すか」
学習の心理
(1)古典的条件づけ(パブロフ)
  (=一番最初の、レスポンデント)
  無条件刺激に付随する条件刺激により、無条件反応が条件反応となる
  例:音がすると唾液を出す犬
(2)オペラント条件づけ(スキナー)
  (=道具的条件づけ)
  自発的行動によりごほうびを貰うと、自発的行動が「道具」となる
  -強化:行動頻度を増やす(報酬を与える)
   連続強化:毎回報酬を与える。新しいことを覚える時に有効
   部分強化:時々与える。学習を維持するのに有効
  -消去:行動頻度を減らす(無視するなど)
(3)観察学習
  モデルの行動を観察するだけで、実行や強化を行わずに成立する学習
  モデリング理論(バンデューラ)

4.発達の心理
 発達:成熟による変化(学習:経験による変化)
  成熟優位説(ゲゼル)
  環境優位説(ワトソン)
 発達段階
(1)フロイト:性的
  -リビドー
(2)エリクソン:社会的
 ①ライフサイクル(老年まで)
 ②社会の中における発達
 ③対比概念と「社会的危機」
 ④徳(獲得される性質)
(3)ピアジェ:認知
  -能動的発達感

5.臨床心理
(1)対象者理解
 ①観察
 ②面接
 ③検査(観察が内包されている)
(2)援助
 ①精神分析
 -無意識の心の動きを対象とする
 -幼年期の体験に原因を求める
 ②行動療法
 -学習のしくみを利用し、セラピーに役立てる
 -適切でない行動が学習されているから、消去する(例:不安の軽減)
 例:SST
 ③人間性心理学
 -ロジャース:来談者中心療法(クライアントの意思を重要視)
        後年、エンカウンターグループへ発展

2008年8月19日火曜日

あたりめ840円

宿泊しているホテルのエレベーターにて。
「あたりめ」って、干したイカだよね?840円って、どんな高級なのがでてくるんだろう?コロッケ380円の倍以上。結構突っ込みどころのある値段表なわけですが、そもそもコロッケも「日替わり」なんですね。「本日のコロッケは『野菜』でございます」「『かぼちゃ』コロッケはないんですか?」等というやりとりがされるのだろうか。
そもそも小綺麗なレストランだから「あたりめちょうだい」と赤提灯風に言うのも変。

謎だ。
でも、一人で確かめるのも、ねぇ。

ホテルは、設備よく、従業員さんも感じがいいので、安心して滞在できるのですが、それゆえ、この値段表だけ気になってしまいました。

精神保健福祉士スクーリング(4日目)精神科リハビリテーション学

4日目。
スクーリング折り返し地点である。
率直なところ、思っていたよりも熱のこもった講義が立て続けに並んでいるので、心地いい疲れに襲われている。
これまでのところ、講師は皆PSWとして現場を作ってきた人たちで、理論を具現化し、現在は教育に携わっているということで、内に秘めた「熱」(スピリッツとか、パッションとかとほぼ同義)が抱えきれずにほどばしっているようにも感じられる。

講義を受けて考えたことは、以下の通り。
■「常識を疑う」ことについて、私はそれほど抵抗がない種類の人間である。しかし、私が持っている情報そのものが、常に更新されていなければ、比較判断する材料それ自体が信用できないものになってしまう。抗精神病薬がドーパミン受容体を増やしているという情報を知っているのと、知らないのとでは、私が取り得る支援方針の幅も大きく変わってくることになる。継続して、勉強が必要である。
■「クライアントの真のニーズに合った支援を組むことができれば、失敗しない」という持論が、それほど間違っているとは思わないし、「『できない』と言わない」という私の目標設定も、実現不可能とは思わない。ただ、これまで「病気を治したい」というクライアントに対しては「それは無理」と言ってきた。職制としては、間違った答えではないのだけれども、今回勉強して少し見えてきたのは、本人の「治った像」と、「それに近づくための戦略」、「医者との付き合い方」といったところで、ニーズを整理することができるのではないかということ。現段階ではまだメモ程度です。
■PSWは「クライアントの力を引き出す」ことが役割であるとのこと。この定義は、Iyokiyehaにとって「ぴったり」くるものである。エンパワメントしていくという姿勢は、現職でも忘れないようにしたい。
■「絆」というキーワードがあった。Iyokiyehaは現職の中でも、本人の「真のニーズ」を引き出すための「絆」は大切にしているつもりである。ただ、周囲の評価として「踏み込みすぎ」や「本人より」とされることもある。もちろん、組織の論理をいつも破るわけではないし、これまで批判されながらもやってきたことは、「人」としては決して間違っていないとは思っている(とでも思わないと、やっていられないということも正直なところだが・・・)。しかし、この点についても、常に自己確認しなければ危険域に思わず踏み込んでしまうかもしれない。メタIyokiyehaを鍛えることも大切だと思っているが、身近にモニタリングをしてくれる人の存在も大きいように思う。
■ちょっとした言葉の使い方。真意をよく知った上で使わないと、思わぬところで誰かを傷つけてしまうことになりかねない。


<講義内容概要>
1.精神疾患とは何ぞや?
 答え:未だにはっきりしないもの。
 専門家でも、「未だによくわかっていない」のが現状。19世紀終わりから20世紀にかけ、クレペリンという人が、精神疾患の分類を試みた。きっかけは「うつ病の診断の一致率が低かった」ことによる。その成果が「操作的診断基準」と呼ばれるもので、現在ではDSM-Ⅳ-TR、ICD-10が用いられる。
 原因が近いものを取りまとめ、病名を分類しているが、臨床的には「境界例」が数え切れないほど報告されており、実際には分類しきれないのが現状。
 また、薬物療法に関しても、抗精神病薬の服用により、ドーパミン受容体を増やしているといった論も提出されており、薬物療法に意味がないとは言わないが、医療だけでは精神疾患からの回復に限界があるかもしれないという状況もある。そこで、専門家の仕事としての医療ケアだけでない「非医療的サポート」という概念が打ち出される。

2.非医療的サポート
 「専門家」だけでない人も、本人のサポートには必要
 「治療しないサポート」とも言われる
 「患者さんが、何をニーズとして求めているのか、側にいて向き合い、声を聞く」ことを通じて、提供されるサポート
 それは、専門家(PSWを含む)が、頭で考えたニーズではなく、自分と本人との「関係の中で聞いた(患者さんの)声」である。本人が、何を訴えようとしているのか、人と人との関係の中で聞こえる「声」を大切にしなければ、非医療的サポートにはなりえない。

3.言葉
(1)障害者 Disabled Person
 日本語では「障害者」と訳される。この場合「人の中に障害がある(障害=人)」という意味になってしまう。
 (例えば、Black Cat(黒い猫)と同様、猫と黒いことは切り離せない)
 以前(日本では、行政用語としては現在も使われている)は、障害を持った人を指して使う言葉であったが、アメリカでは差別用語として扱われる(州公文書でも下記のwithが用いられる)。
(2)障害を持った人 Person with Disabilities
 「障害を持った人」と訳される。まず「人 person」であり、人とは切り離された「障害」を何らかの理由で持ってしまった、というニュアンスが含まれる。当事者による運動(Person First Movement)の結果、アメリカでは州公文書でもこちらの語が用いられる。
(3)リハビリテーション Rehabilitation
 個人は「違う」ことを前提に、尊重する Everyone is Equal.の考え方を内包している。EqualではなくSameになると「全て同質」という意味が強くなり、個性を含む「違い」は認められなくなる。
 リハビリテーションは、「個別支援」で提供される
(「違い」を認めるため)
リハビリテーションの目標は、「リカバリー」
 (一度は失ってしまった、機能、生活、自尊心、人生、を回復すること)
 機能障害の回復には限界があるが、他のものについては「新たな人生の発見」により「回復」することができるとする。

4.障害分類
 要点は、「能力障害」をどう捉えるか
(1)医療モデル
 原因となる疾病により、機能障害が発生し、機能障害が「能力障害」(○○ができない)を生み出すとし、「能力障害」は個人内に存在するものと考え、社会的不利(ハンディキャップ)を克服するために、個人の能力を向上することのみ考える。
 例)乙武氏は、両上下肢の機能に制限があるため、予備校入学を断られた
(2)社会政治モデル(≒エンパワメントモデル)
 「能力障害」は、個人と環境との相互作用の中であらわれるものと考える。つまり、能力障害は、個人内にあるのではなく、個人が環境と接する時に個人の外であらわれるものとして捉えるため、社会的不利の克服には環境調整が大きな役割を果たす。
 例)乙武氏は、両上下肢の機能に制限があるが、K大学は氏の入学にあたり校舎をバリアフリーとしたため、授業を受けることができた。
(3)ICF
 ①従来のICIDH
  疾病または変調 → 機能障害 → 能力障害 → 社会的不利
 ・「障害」に着目し、障害者と健常者を二分した
 (例:足の一部に障害がある人を「足の不自由な人」とした。階段が上れないことを「階段が上れない人」とし、能力障害がその人の中にあると捉えた)
 ②ICF International Classification of Functioning

       健康状態
  ______↑____
  ↓       ↓     ↓
心身機能 ⇔ 活動 ⇔ 参加
身体構造
  ↑____↑____↑
     ↓    ↓
   環境因子  個人因子

ICIDH:機能障害・能力障害・社会的不利
        ∥    ∥    ∥
  ICF:心身機能・ 活動 ・ 参加
      (身体    人   社会:を表す)
 ICFには「障害」など、マイナスイメージの言葉がない。「21世紀型」の分類とされ、個人の病気や機能上の低下があっても、その人と環境が変わることによって、特に双方の接触面(インターフェイス:生活)が改善されることで、活動や社会参加は促進する。
 ・「人はいつか障害を超えるもの」という前提で、健康なところに着目して「人」を見ている
○心身機能・身体構造
 機能障害があるのは、身体の一部であって「人」全てに障害があるわけではない
○活動
 身体の一部に心身機能の低下があっても、その人には活動できる「生活」がある
○参加
 参加があって、社会は生まれる

5.リハビリテーション再考(相互依存)
(1)従来のリハビリテーション
 ①医学リハビリテーション
 ②心理リハビリテーション
 ③社会リハビリテーション
 ④職業リハビリテーション
 これらはいずれも「専門家主導」のサービスであったといえる
(2)これからのリハビリテーション
 専門家に求められるのは「エンパワメント」
 「教育」は本来の意味(本人の潜在能力を引き出す)で実施されるべき
 目指すのは、「エンパワメント」を通じた「トータルリハビリテーション」(全人的復権)
 ・「自立」とは?「孤立」させることではない。
 ・「依存」を含めた(相互依存、相互協力)、本人の「復権」(地域に根付く)を目指す
(3)「超職種」
 治すこと以外を考えた支援
 ≒心理社会的サポート
 服薬や生活支援は必要だが、「復権」を考えるためには、専門家としてではなく「人」としての関わりが不可欠 = 「絆」
 (心・気持ちの通い合う「絆」作り)
 例えば、服薬をとっても以下の段階がある。
 ①コンプライアンス(遵守)
 ②アドヒアランス(本人の意思により服薬しようとする姿勢)
 ③コラボレーション(ともに歩む)
 コラボレーションを目指す。

6.ACT Assertive Community Treatment
 (包括型地域生活支援プログラム・日)
(1)内容
 ①多職種、訪問を主とするチームアプローチ
 ②重い障害を持つ人が対象(従来、退院の対象とならなかった患者)
 ③スタッフ:本人=10:1程度
 ④24時間、365日のケア体制
 ⑤期限なし、On Goingで支援する
(2)歴史
 1950年代 抗精神病薬が開発される
 1960年代 アメリカで脱病院化が進められる
      「ケネディ教書」
     結果:退院者にホームレスが増加
 1972年  ウィスコンシン州で始まる
(3)要点
 「待ち」から「出前」へ
 (Waiting modeからSeeking modeへの切り替え)

2008年8月18日月曜日

串鐵 -くしてつ-

「くしてつ」と読むらしい。

JR高田馬場駅早稲田口正面、名店ビル(だったか?)のB1Fにあるこじんまりとした居酒屋。赤提灯こそないものの、Iyokiyeha好みの店。

タイル張りの厨房と、テーブル数席とカウンター。なんてことはない串焼きの店だけれども、雰囲気がヨイ。酒飲みのためのお店。予算は3,000円もあれば、満足できる。

JR高田馬場でお気に入りができてしまった。

Webページ

http://gourmet.suntory.co.jp/shop/0332004763/index.html

PSW国家試験用 年表

私の国試対策の一環として、ちまちま年表を作ることにしました。
「使いたい!」という奇特な方は、どうぞご利用ください。
転載・配布は自由ですが、間違っているなど、何か問題があったとしても責任は取りませんので、あしからず。

<精神保健福祉関係年表>
(●:法律 ○:重要事項)

●1900年 精神病者監護法
・私宅監置(座敷牢)
・親族の監護義務(現在の「保護者」)
(この頃、呉秀三らの調査がある)
●1919年 精神病院法
・道府県に公立精神科病院の設置を命ずる
(しかし、国の予算は軍備に回される時代で、設置は進まなかった)
●1950年(昭和25年) 精神衛生法
・措置入院制度の整備
・同意入院制度(現在の「医療保護入院」)
・精神衛生鑑定医を設ける
・私宅監置の廃止
(私宅監置を公的監置に置き換え、長期間の隔離が目的)
○1964年 ライシャワー事件
精神障害をもつ19歳の少年が駐日アメリカ大使を刺したことにより、「野放し」となっている精神障害者を「治安的取締りの対象」とする警察庁長官答弁
●1965年(昭和40年) 精神衛生法改正
・保健所を精神保健行政の第一線機関として位置づけ、精神衛生相談員を配置
 ・精神衛生センターを設置
 ・通院医療費の公費負担(2分の1)
 ・措置入院者が離院した時の届出義務
  (治安的要素の濃いものとなり、在宅精神障害者の把握が強調される)
○1969年 Y問題
 精神的に不安定だったY少年を、家族の依頼により公的機関のソーシャルワーカーが警官二人とともに訪問し、入院させた
 ・PSWの倫理だけでなく、精神医療の必要性まで議論される
  (精神科病院があるから、精神病が存在する:不要論)
 ・PSW協会で議論(結果として協会解体、再建)
○1970年 『ルポ精神病棟』
○1984年 宇都宮事件
 入院患者2名が看護職員の暴行により死亡する
●1987年(昭和62年) 精神保健法
 ・任意入院制度が設けられた
 ・国民の精神的健康の保持増進を図ることを目的とする
 ・人権擁護と社会復帰促進が明記された
  (退院・処遇改善請求、精神医療審査会設置の新設)
 ・社会復帰施設(生活訓練施設、授産施設:2類型)
●1993年(平成5年) 精神保健法一部改正、障害者基本法
 (精神保健法改正)
 ・大都市特例(政令指定都市は平成8年から)
 ・保護義務者を「保護者」に変更
 ・グループホームの法定化
 ・社会復帰促進センターの新設
 (障害者基本法)
 ・精神障害者が障害者施策の対象として位置づく
●1995年(平成7年) 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)成立
 ・精神障害者の自立と社会経済活動への参加の促進のための援助が加わる
 ・精神障害者保険福祉手帳の創設
 ・通院医療費公費負担制度を保険優先とした
 ・市町村の役割の明確化
 ・精神科病院への「指定医」の必置
 ・社会復帰施設追加(福祉工場、福祉ホーム:4類型)
 ・通院患者リハビリテーション事業の法定化
●1999年(平成11年) 精神保健福祉法改正
 ・地域生活支援センターの法定化
 ・移送制度(法34条)の新設
 ・保護義務の緩和(自傷他害行為防止監督義務が削除)
 ・市町村精神保健福祉業務の実施(居宅支援事業等・平成14年から)
●2002年(平成14年) 精神保健福祉方改正
 ・市町村精神保健福祉業務開始(居宅支援事業等)
 ・政令指定都市に精神保健福祉センター設置義務化
 ・精神保健福祉センターへ「通院医療費公費負担制度」「精神保健福祉手帳制度」審査事務移管(精神保健福祉センターが権限を伴う行政機関となる)
●2005年(平成17年) 精神保健福祉法改正、障害者自立支援法成立
 ・精神分裂病から「統合失調症」に診断名変更
 ・手帳制度の改正(写真添付)
 ・通院医療費公費負担制度、社会復帰施設関連事項の「障害者自立支援法」への統合
  (自立支援医療、地域生活支援事業)
 ・任意入院患者の適性処遇(定期病状報告書の提出を求めることができる(条例が前提))
 ・地方精神保健福祉審議会の必置性の緩和
  (条例を定め、他の医療保健審議会と合流させる、名称設定の柔軟化)