2019年2月24日日曜日

雄谷良成『ソーシャルイノベーション ー社会福祉法人佛子園が「ごちゃまぜ」で挑む地方創生!』ダイヤモンド社、2018年。

・優良事例を扱うこういった書籍は、私にとって読み方が難しいと感じてしまいます。その事例の特徴や迫力が言葉として伝わってくる一方で、ほとんどの場合その実際のところは「理想」ではなく「現実」であるからだ。
・もちろん、その「理想」が素晴らしい・面白い・インパクトがある、から書籍化され、広く知らせ・知らされるわけだが、その内実となる事例を知っていると、その評価がとたんに揺らぐ。しかしながら、その揺らぎは自分にとっても必要不可欠な「栄養」であるから、難しさを感じても、読み続けている。
・参考にすべきだけれども、全ての事業にはその前提となる条件があり、背景が違うところに安易に事例をはめ込もうとしても大概上手くいかないものである。だから、こういう書籍は知識や視野を広げるために読むものだと考えている。
・この前提のもとで本著を読む。「ソーシャルインクルーシヴ」を地でいく事例だと感じられる。
・言葉に迫力はある。ただ、その素晴らしさだけではなく、「人が人と関わり、役割(を得る)がある」という、いわゆる「自立した」生活を考慮して、施設の設計(ハード面)からも支える構造となっている。この点が本当に面白い。
・制度上、介護保険サービスと障害福祉サービスは別物であり、それらを共存させる発想は、「制度上」想定外なのだろうが、この点に工夫を加え、施設として実現しているところに、この事例の面白さがある。
・この事例の特徴は、制度上「特殊」といえる。しかし、本著のキーワードである「ごちゃまぜ」は、社会にとってごくごく当たり前のことであり、本事例は見る角度を変えれば、いわばある地域に見えない線を引いてその場所を福祉の制度で運営する、だけであるとも見える。社会を上手に縮小(ミニチュア化)する手法については、大変勉強になるものの、そこでの営みは社会の「当たり前」のように感じるところだ。

(以下引用)
44ページ:「三草二木」は、法華経で説かれるたとえ話にちなんでいる。仏の慈悲は育ち方の異なる大小さまざまな草木に降り注ぐ雨のように差別なく平等に注がれていることを指す。
47ページ:(略)社会福祉の仕事で最も重要なのは、障害者や高齢者が自ら役割を見つけ、生きる力を取り戻すことで、サービス提供に自分たちが頑張り過ぎるのは、彼らから力を発揮する機会を奪い逆効果なのではないかと痛感したという。
58ページ:福祉を核とするまちづくりでは、高齢者、障害者、子ども、住民の誰もが地域の支えとなりうる。「三草二木西圓寺」では期せずして地域に人口増加ももたらした。たとえ小さなことでも、住民や高齢者、障害者の声を引き出し、主体性を発揮できる機会や場を設けることが重要だ。
66ページ:「地域に溶け込むというより、さらに踏み込んで、まちづくりそのものを自分たちで手がけるくらいのことをしないと、思うような施設をつくれない」
75ページ:クリストファ・アレグザンダーの『パタン・ランゲージ』:人々が「心地よい」と感じるまちなかの環境をヒューマンスケールで分析して、狭い路地や窓からの眺め、目にとまる植裁など253のパターンを挙げている。
80ページ:医療の世界では、外来医療、入院医療に次ぐ「第三の医療」として、在宅医療が位置づけられている。一方、雄谷は「三草二木西圓寺」で認知症高齢者や重度障害者の症状改善を目の当たりにして、人と人とのつながりのある暮らしが、住民の生きがいややりがいを生み出すだけでなく、介護予防や健康増進、場合によっては要介護状態の改善にも役立つ「第三の医療」になるのではないかと考え(略)
112ページ:ビールの製造を始めたのをきっかけに「酒税」を納めるようになったのである。
115ページ:「障害者福祉」と「ビールづくり」のマッチングに、どうやら「福祉を食い物にしているのではないか」と疑いの目を向けられていたようだ。
152ページ:(認知症)清掃活動などで地域に貢献することで、「介護される側」から地域にとって貴重な「人的資源」となり得ます。そして、そういう仕組みをデザインすることが自分たちの仕事だと思っています。
154ページ:どんな生きづらさを抱えていても、その当事者にこそ、よりよく生きる力が備わっているという信念、人や地域の暮らしを支えるのは福祉だけじゃないという検挙さをもって、領域を超えてそれが発揮される環境をつくっていくうちにソーシャルイノベーターとみなされるようになってきたのは、示唆深いことです。
162ページ:「きれいな人たち」心を磨き、人としての美しさや品格を育てていることを学生が見抜いて(略)

働くことコラム06:希望する賃金はいくら?

Q「希望する給料はどのくらいですか?」
A「月給で20万円くらいほしいですね」

 前職では、不思議なくらいこのやりとりが多かったです。同業者あるいは「働くことを支える支援者」なら「そうそう!」って言ってくれそうですし、関連する仕事に就いている人も「あるある!」って言ってくれそうな気がします。
 「20万円」に根拠はあるのか?と調べてみると、東京都における初任給平均が、大卒で210,500円、高卒で172,300円でした。ちなみに私Iyokiyehaが育った静岡県では、大卒で199,300円、高卒で160,900円と地域差があります(厚生労働省)。もう一つ。給与総額の平均は、355,223円だそうです(いずれも月給)。なるほど、大卒者が「20万円!」って言うのは、好意的にはわからないでもないわけです。ただ、個人的には「よくわからない」というのが本音です。
 ちなみに前職で勤務したある施設の就職者の平均賃金は、自己申告ベースでもう少し低額でした。そもそもデータの信ぴょう性が微妙なので参考値でしかないのですが、上述した統計(最近信ぴょう性が揺らいでしまっていますが…)における平均値を上回ることはなかったようです。
 ただ「希望する給与(月収)」と「平均給与」は意味が違いますよね。例えばIyokiyehaさんは、現在39歳で妻と3人の子どもと暮らしていて、妻は週2日ほど仕事をしています。持ち家になった今転職を考えた場合と4年前賃貸に住んでいた頃に転職を試みた時とでは、希望する給与は異なるでしょう。友人で独身者のAさんや、所帯を持っていても子どもが一人ならまた異なる希望給与になるでしょう。家族状況だけじゃなくて、趣味の有無や、広く生活スタイルで、希望する給与額は大きく変わってくるでしょう。
 何が言いたいのかというと、「希望する給与」とはそれくらい個別性の高いものであるということです。その平均値をとることには、景気の推移を確認するなどの意味はあるのですが、個別の希望給与の参考になるかというと疑問があるわけです。
 それにも関わらず、再就職者の多くの割合の方が「月給20万円」というわけですよね。ここに何があるのか。ざっくりとした生活設計であってほしいです。好意的には。けれども、それ以外である可能性もあります。
 いろいろ考えられるのだけれども、就職活動においての要点は、やはり「自分にとって必要な額を希望給与として根拠をもって提示できるかどうか」です。自分の生活を知らない人(応募先、具体的にはその面接官)に対して、30秒くらいで「あぁなるほどね」と思ってもらえることと、求人票等で提示されている給与額と大きな差がないことが、採用する側の「納得感」になると思います。
 あたりまえのことですが、採用する側の理屈としては、
 1 求人票、求人情報は公開しています。
 2 応募してくるのなら、それらは確認しているよね?
 3 この条件でいいってことで、応募してきているよね?
 というのが「前提」です。ですから、面接練習なんかで「希望する条件はありますか?」という質問例があるのだけれども、これは人づての紹介で応募する場合や、求人が公開されていない場合、あるいはハイレベルな採用活動で「その人」に合わせた雇用条件を作っていく場合の質問であると考えるのが自然でしょう。「求人の給与は少し安いんだけど…希望で伝えてみます」ということを何度も聞きましたが、その「数万円の賃上げ交渉に、根拠はありますか?」
 この話題において、私はある人の一言が忘れられません。その方は、人生経験豊富であるにも関わらず誰にでも敬意をはらって接することができる人で、自分の置かれた状況を受け入れながら次の一歩を踏み出そうとしている方でした。
Q「条件はあまりよくないと思うのですけれども、生活は大丈夫ですか?」
A「これもご縁ですよ。ある分でやるしかないですよね。そういうものですよ。」
 うーん、納得するもしないもこれが本質だと、心底納得させられた一言でした。

 表層的な話題にしておきました。というのも、この話題、突き詰めれば「労働対価の算出」なんていう、経済学の本質に迫る内容になっていくので、あくまで一人の元職業カウンセラーの就職活動に対する向き合い方ということで。

2019年2月17日日曜日

働くことコラム05:採用活動から見た面接 -ニーズの有無

 例えば、あなたが自宅でのんびり過ごしている時に来客があったとします。その人が、

 「はじめまして。ちょっとお宅に上がらせてもらいたいのですが、いいですか?」
 と言ったとしたら、あなたはこの人を自宅に上げますか?お引き取り願いますか?

 もう一問。
 例えば、半年掃除せずに荒れてしまった自宅をあなたが掃除したいと思っている時に来客があったとします。その人が、
 「はじめまして。私は清掃業者の営業です。今閑散期で仕事が欲しいので、格安でお宅の掃除をします。いかがですか?」
 と言ったとしたら、あなたはこの人を自宅に上げますか?お引き取り願いますか?

 単純なニ択にしているので、答えを出しにくいかもしれません。ただ、多くの方は前者より後者の方が抵抗感は少ないと思います。いずれも「自宅には上げない」と回答した人に追加で「もし、どちらかを上げなければならない場合、どちらを選びますか?」という質問にすれば、ほとんどの方は後者を選ぶのではないでしょうか?
 では、その理由はどこにあるのでしょう?
 そんなに難しくないと思います。まずは自宅にいる「自分」が、何かを欲しているか否か。前者は特にニーズがない状況、むしろ来客は迷惑だと思う人もいるでしょう。後者には「部屋を掃除しなきゃ」と思っています。ここには「部屋をきれいにする」等のニーズがあります。
 次に、来客側がどんな人物であるか。前者は初対面だというだけの情報、どこの誰だかわからない。後者はとりあえず清掃を生業にしている(らしい)ことはわかる。世間一般的な「信用」というところで天秤にかければ、後者の方が情報がある(と思われる)分、信用度は高いといえます。
 このように要素を分解して比較することで、(1)自分が欲しているものを提供してくれる、(2)世間一般的な信用が若干高い、ことを理由に、家に上げてもらえる可能性は後者の方が高くなると思います。

 さて、前置きが長くなりましたが、企業の採用活動というのは、この立場を逆に考えることになります。もちろん、ヒューマンリソースの立場からもっと詳細でもっと高度な分析方法がある、ということは理解していますが、実際に労働市場に出た場合、その人の置かれた立場は飛び込み営業のそれと似たところがあります。
 就職活動の現場でいろんな人の話を聞いてきました。
 「私には、専門技能がないから雇ってもらえない」
 「こないだまで働いていて即戦力だから、すぐに採用されるよ」
 「同じ業界長いから大丈夫」
 いろんな意見があります。否定的に「自分は採用されない」と思いこんでいる人の多くは、戦う場所を間違えていることに起因することが多いですし、楽観的に「すぐに採用される」人の多くは、特定企業への就職活動における戦略を考えていないことが多かったです。だから、就職活動がくじ引きみたいになってしまう。就職率や応募者数に翻弄されてしまう。じゃあ、1人の採用枠に自分1人が応募したら必ず採用されるか?といったら、確かに採用されやすいけれども確実とはいえないでしょう。そんなこといったら、早いもの勝ちになってしまう。就職活動の戦略そのものが変わってしまいます。
 大切なのは、当該企業の置かれている状況や背景から、「採用活動はどんな立場で行っているのか」「どんな人を欲しているのか」を感じ取って、就職活動の方針をそれに合わせていくことが必要になってきます。
 例えば、公務員試験は(1)年度採用数が決まっている。「○人程度採用する」ことがあらかじめ決まっている。(2)任用方法は決まっている。(3)自治体にもよるが、基本的に要領がよく協調性のある人を欲している、わけですよね。いわゆる一般企業においては、定期採用か中途採用かで大きく変わります。新卒定期採用ならば、(1)年齢や卒業年の枠が当てはまるか。(2)可能性をどう評価してもらうか。(3)会社が欲している人材像に自分をどう当てはめていくか、といった点が重要ですよね。中途採用の場合は、(1)そもそも雇用「しなければいけない」状況なのか、「してもよい」状況なのか。(2)配置部署やプロジェクトが決まっているのならば、そこに必要な技能を持っているか、(3)新しい環境への適応をどう評価するか、といったところが要点になると思います。この場合の(1)は冒頭の質問のように、ニーズがあるのかないのか、と似たようなイメージですね。

 自宅に上がってもらうか、や、話を聞いてもらえるか、ということはこういったことと関係しているものと考えられます。企業に問い合わせて「求人出しているから」と言われて、訪問できたとしても、とても雇用する意志があるとは思えない企業もたくさんあります。
 一般的に言われていることや、根拠のない助言、過小評価によって戦略なき戦いを挑まないようにすることが、就職活動におけるPDCAになると思います。自己分析と併せて対象分析も怠らないこと。ただし、いずれも100%はありえないので、やるべきことをやってきちんとふりかえることによって精度を高めていくことが求められると思います。

森岡正博『生命観を問いなおす ――エコロジーから脳死まで』筑摩書房(ちくま新書)、1994年。

・大学院生の時に、ある授業(倫理学特講、だったかな…?)で本著と出会い、その後の人生が方向づけられたと言っても過言ではないほどの衝撃があった一冊。私にとっては分岐点とも言える思い出の一冊。
・「生命」の考え方、捉え方について、明確かつ本質的(と思える)問いを発している。著者の提唱する「生命学」が拓く内容。
・「他の生命を犠牲にしたり、利用したり、搾取することもまた、「生命」の重要な本質であるということ」(199ページ)「社会システム、科学技術との『共犯関係』」(198ページ)といった、生命学を構成するキーワードが出現する。
・本著だけでも大変読み応えがあるものであるが、それまでの著書を含む今後の論文へとつながっていく一冊といえる。
・本著後半の梅原批判について、学生の頃は率直に「ここまでやらんでも…」と否定的に感じていたこともあった。今回同箇所を読んだ時には、この後の生命学の展開には必要不可欠な作業であり、さらに梅原論の弱点を突きつつもその補完をすることで、生命の本性を浮き彫りにしていることがはっきり読み取れた。論理の力を感じるとともに、見事な着眼点とその表現力を見せつけられた感じがあった。
・エコロジーや脳死および人体利用について、事例は若干古くなっているが、論理展開に全く問題はなく、むしろ関連した情報を追っていない人にとっては「わかりやすい」内容になっているように思う。

(以下、引用)
8ページ:現代の危機をひきおこした最大の原因は、私たち自身の内部にこっそりとひそむ、生命の欲望なのです。ですから、現代の生命と自然の問題に立ち向かうということは、実は、私たち自身の内部にひそむ本性と戦うことなのです。
124ページ:生命を抑圧してゆく権力装置は、外側の社会システムにあるのではない。それは生命としていまここで生きている私自身の内部にひそんでいるのだ。生命として生きてゆくということは、他の生命と助け合い、調和して生きてゆくことであると同時に、他の生命を抑圧し、それに暴力をふるい、それを支配しながら生きてゆくことなのだ。生命を抑圧する原理は、生命の内部にこそ巣食っている。(略)死すべしロマン主義。
176ページ:いくら「菩薩行」にもとづいていたとしても、それが<人間の身体の「部品視」「物質視」を前提として運営される社会システム>を補強する結果に終わるならば、それに反対するべきという立場が可能だと思います。
203ページ:生命の探求は、まずこの三つの本性(「連なりの本性」「自己利益の本性」「ささえの本性」202ページより)のありかをしっかりと見届け、現代の人間がこれら三つのうちどの本性からも逃れることができないということを、しっかりと自覚することから始めなければなりません。
 そのうえで、現代の科学技術文明と、現代の社会システムが、これらの本性の満足に対しどのような形で食い込んできているのかを確認することが必要です。
204ページ:そのなか(近代がもたらした科学技術文明と、産業文明と、近代市民社会システムの枠内で生活していくこと)で、現代の生命や自然の問題群にどう取り組んでゆけばよいかについて、具体的な提言を行ってゆくこと。
同ページ:そのあとには、「共生」とはそもそも一体何をすることなのか、「自然と技術」の関係はどのようになっているのか、科学技術は人間の「苦しみ」と「快楽」に何をもたらそうとしているのか、生命を「所有」するとはどういうことなのかといった。生命学の根本問題が数限りなく控えています。

山口謠司『語彙力がないまま社会人になってしまった人へ』ワニブックス、2017年。

・書誌学、音韻学、文献学の先生による言葉の勉強。
・聞いたことがあるけれども、これまで使ったことがない、使えない、51の言葉を語源やその変化を含めて解説している。
・確かに、年長者や、知的な諸先輩方が使っているのを聞いたことがある言葉が並ぶ。「何となく」聞いて、「何となく」意味を推測していたものが多い。もちろん知っている言葉(仰るとおり、乖離など)もあれば、何となく推測していた言葉(慶賀、汎用など)、全く知らなかった言葉(惹起、偏頗など)など様々である。
・そういう書籍なので、一回読んだところで51語すべては身につかないですが、何度も確認して使いこなしたいものです。

(引用)
6ページ:言葉を大事にすることは、人を大切にすることにつながります。そして言葉は人の美しさ、人の凛々しさを外に示すための大事な「化粧」でもあります。

2019年2月11日月曜日

働くことコラム04:就職活動って何だ?

Q「そろそろ、就職活動を始めようと思うのですが・・・」
A「じゃあ、まず応募書類作ろうか」
Q「えっ・・・」
 さて、求職活動編です。
 上記やりとりは、前の職場で雇用支援に携わっていた時に、求職者とのやりとりでよく起こったものでした。大体この後、「宿題」を課していくのですが、ここには多くの求職者の認識と、支援者との認識の間にずれを感じます。
 支援者の中にもいろんな人がいて、いい求人が出てきた段階で突貫で応募書類を作らせる人、訓練の成果を待って応募書類を作らせる人など様々でした。そうした人たちからすれば、私の方法は随分急で無駄な作業であるように写ったようです。
 自分の4年前の転職活動がまさに「自己分析の積み重ね」だったので、こんなやり方をずっとやってきたのですが、具体的に言えば「職務経歴書はフォームを埋めてから、何度も修正するもの」ということです。履歴書はしょうがない、志望動機と通勤時間の欄以外はほとんど変わらないのですが、職務経歴書は就職活動の戦略を反映させられる唯一の書類です。土台となる内容と応募する会社によって内容や表現を組み替えることが求められますし、それを可能にするのは一度や二度では足りない「自己分析」です。
 そこで自分を分析するツールが必要になります。よっぽど機知に富んだ人でないと頭の中で自己分析をすることは難しいので、自分のことを書き出して、時間をおいて眺めながら少しずつ深めていく過程をたどることになります。本屋さんに行けば、この助けとなる書籍はたくさん見つかります。それらも有効だと思いますが、私が自分の転職活動の時に使ったのは、ハローワークインターネットサービスの「履歴書・職務経歴書の書き方」です。
 https://www.hellowork.go.jp/member/career_doc01.html
(WEB:ハローワークインターネットサービス)
 無料で、必要事項が網羅されているので、書類作成に一週間程度時間的余裕がある人にはおすすめのツールです。ある業界や業種に特化したものではないので、あくまでも「自分を棚卸しする」ツールとして推薦します。

Q「自己分析ってどうやるんですか?」
A「自分に対するいろんな・あらゆる質問に答えてみること。そして時間をかけて、その回答を磨き上げていくことです」
Q「どれくらいやればいいんですか?」
A「自己分析に終わりはありません。就職活動の応募毎に区切りがやってくるだけです。」

 こういう質問集が役に立つと思います。
○鈴木俊士『公務員試験・自己PR・志望理由がらくらくかけちゃう質問150』
 多分、この手の就職本は本屋さんに行ったらいろいろあると思います。上記の本は、私が転職活動した時に使ったものです。新卒者向けの内容なので、少しアレンジが必要でしたが、これに掲載されている質問をバカ正直に、何度も何度も書き直してみました。この書類が上記「履歴書・職務経歴書の書き方」を使うための材料になりました。自分の就職活動と併せて、前職で自分がアレンジした質問集をツールにして20人くらいに勧めました。バカ正直にやった人は、書類の質が二段階くらい上がったように思います。ほんの数人でしたが…

 就職活動って、こういうものを使って何度も何度も自己分析していくことと、同じように応募先のことを調べていく。自己分析と企業(団体)分析とが両輪になって、応募書類はその真ん中で出来上がってきます。就職を考える15歳以上の人について、応募書類に書くことは「ある」わけです。なぜならば、自分と会社の間で書類は出来上がるんですから。何もない会社が世の中に存在しないように、それまで寝たきりで意識のない人以外は何もない人はいないわけです。ただし、自分の何をどのように表現するか・できるかというのは、就職活動の技能となるわけです。
 よって、
Q「就職活動って何をやるんですか?」
A「自己分析と企業分析を通じて、応募書類を作っていくことです」
 という回答になるわけですね。いやぁ、わかりやすい!って思っているんですが、どうでしょうか?

稲田将人『戦略参謀 ー経営プロフェッショナルの教科書ー』ダイヤモンド社、2013年。

・小説で「経営企画」のイメージができる。主に戦略に特化した内容で、小説をそのまま実践に当てはめられるものではないが、要点が「解説」としてまとめられており、この中には実践的な考え方が示されている。
・大切なことはPDCAの精度を高め、高速で回すこと。社員のやる気を引き出し、社会への貢献まで見据えること、人の業に振り回されないようにすること。自分を高めることが、まわりまわって社会へ貢献することになるという単純なメッセージが響く。
・学ぶことは多いが、単純に読み物としてもおもしろい。AudioBookもおすすめです(audiobook.jpで販売中)

(以下引用)
48ページ:それまで一人がやってきた仕事を二人以上の分業で行うために、仕事の責任範囲を明確にしなければいけないという必然性から作られるのが組織なのだ。
53ページ:(略)『考える』というのは、まず現状を的確に把握する。そして、その中での重要な意味合いを明確にする。(略)それを仮説として、次の商品を開発する。そして、その結果を見て、そのキーワードをさらに磨きあげる。あるいはさらに新しいキーワードを見出して商品化する。(略)仮説と検討(略)これを繰り返すのだ。これは本質的に学習という行為になり、企画の精度を高めることにつながる。
62ページ:「戦略は実践されて、はじめて価値がある」(略)実際に成否を分けたのは、①その戦略的な方向性に沿った実践力と、②素早く的確な方向修正能力の二つ(略)
66ページ:全ての施策の成功には、成功の前提があるので、市場が変われば当たる要因も当然ながら変わってきます。成功に向けた因果を踏まれていない打ち手は上手くいきません。
68ページ:規模はある程度大きくなってからの二度目以降の成長軌道入れ、個人の力だけでなく、組織の力を発揮させることが大前提になります。(略)
 どんなに分業を進めたとしても、最後の最後まで社長に残る役目があります。それは、リーダーシップの発揮という重要な役目です。
94ページ:この手の資料の書き方は、実は、ある程度の規模を超えた企業が正しくPDCAを回すために必要な技術のことなんだ。PDCAは状況に応じた修正行動をとるための基本動作でもあり、企業にとっての学習行動だ。PDCAを回せない会社は学習できない。つまり企業の能力が高まっていかないといっても過言ではない。
112ページ?:正しい問題解決のための思考ステップ
①現状把握:挑戦を行わなければいけない必然性がある。まず今どうなっているのかを明確にする。
②真因の追求:問題点の本質的なものを明確にする。
③解の方向性:真因が腹に落ちれば、決まってくるもの。
④具体策の比較検討:実行に当たり、具体策を比較検討し、どれが一番最適な方法か評価する。
⑤実行計画の明示:どういうスケジュールで進めるか。
135ページ他:「人、性善なれど、性怠惰なり」
240ページ:慈悲と怒り、この二つの要素が人を導いていく制度の中には必要ということだ。そして、そこにいる人間の欲望がエネルギーとしてベースにあるというわけだ。
254ページ:企業は、働く者がそこで力を高め、自身の力を発揮して事業に貢献し、そして企業が市場に貢献する。結果としてその存在自体が意義のある会社として発展していく。(略)市場も企業も、そしてそこで働く者も皆が幸せになれるからだ。
255ページ:世の中に足跡を残してきたのは、保身に走った人たちではなく、道を開こうとあがいた人たちだ。
366ページ:企業の活動を「市場や世の中で、その事業活動が生み出す価値によって貢献し、永続的な発展を目指す」と定義してみます。すると、企業における「悪」はその健全な活動を阻むもの、といえます。

2019年2月2日土曜日

働くことコラム03:求人の見方

 前回、「事務職はパソコンに向かう仕事じゃないぜ」って話を書いたので、就職活動の話へ進む前に、ちょっと寄り道。

 「事務職」って聞いて、どんな仕事を思い浮かべますか?
 関連して、
 「軽作業」って聞いて、どんな仕事を思い浮かべますか?

 職場によってこんなに内容が異なる言葉も珍しい。ただ、企業としてはこう書かざるを得ないから、こういう表現になっているのだろうし、こういう表現でしか募集できないから、職業紹介業務が人の仕事としてあり続けるのだと思います。
 確かに「事務職」って聞いたら、オフィスの中でパソコンに向かっているイメージでしょう。それは間違っていない。ただ、そこで行われている処理は、「その会社の維持に必要なことを分業している」に過ぎないわけです。何が言いたいのかというと、その会社なり組織を「維持するための仕事」がわからなければ、そこで行われているパソコン作業は「データの入出力」でしかないわけです。そしてその作業を表す求人票上の文言は、正しくは「事務補助」や「データ入力」です。業界用語で「キーパンチ」なんて呼ばれることもあります。手書きのメモをデータ化する、リストのデータを定められたフォームに入力する、これらは「事務補助」か「データ入力」業務として表記されるべきでしょう。
 さらに踏み込むと、その会社で扱っているものやサービスによっても意味が変わってくるものがあります。もちろん事務職、事務補助、データ入力などもその企業や組織の在り方によって、内容は異なります。この点では「軽作業」の方が特徴が出やすい。
 以前、こんな相談がありました。
 「『軽作業』って書いてあったのに、扱う荷物には重いものもあるので、また腰をやっちゃったんです。『話が違う』って言ったんですが、とりあってくれなくて…それで、もう無理、と思って辞めました。」
 Q「その会社って、何を扱っていたの?」
 「運送会社だったんで、いろいろありました。」
 Q「…」
 私は雇用問題には敏感だと思っていますが、これは相談者の誤読と、紹介相談や面接で何を聞いたのか、どんな助言をしたのか・しなかったのか、ということがとても気になりました。
 「軽作業」で求人を出している会社の扱っているものが、小物やアクセサリーなら、きっと細かい作業になりそうですよね。でも、運送会社で、扱うものがメール便(古いか!)と限定されていなければ、重量物を扱うなんてことは、容易に想像がつくでしょう。そもそも、就職活動の時に確認すべきだし、診断がつくような腰痛もちならば、そのことは応募書類に記載するかどうかは別として面接の話題にはしてもいいんじゃないかな。

 私の職歴には、そんなにまずい職場はありませんでした。聞く話によればしょうもない会社もいい会社もいくらでもあるようですが、ちょっと立ち止まって考えた時に、そもそも自分の期待を押し付けていたりしていないだろうかと、謙虚に振り返ることも大切じゃないのかな。私みたいに「(人事と評価は人がするものだから)事務職採用ですから、何でもやりますよ。」っていうのでなければ、ですが。

森岡正博『意識通信』筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2002年。(初出:筑摩書房、1993年)

・現代の科学技術によって変わっていく、人と人とのコミュニケーションについて、それまでの形態の分析から「匿名性」「断片人格」「自己演出」を抽出し、制限メディアにおいてこれらがどのように表出するか説明する。
・情報を伝達するための「情報通信」に対する概念として、コミュニケーション(おしゃべり・交流)そのものに意味があることを指摘する。後者を「意識通信」として位置づけ、その特徴と生み出されるものについて論じている。
・人と人とのコミュニケーションについて、どのように関わっていくのか(倫理的な課題)と、変容するコミュニケーションがもたらすもの(文明的な課題)とを考察する。
・インターネットが普及するより前に、今のインターネットの姿と、いわゆる「意識通信」によってもたらされているものについて、1993年の時点で予測している(Netscape発売やYahoo!登場が1994年とされている)。この鋭い指摘と未来予想とが、本著の特徴だろう。一世代前から当時の通信方法を丁寧に調べあげ、その特徴をコミュニケーション論の視点からモデル化(意識交流モデル)する。これを土台に「ドリーム・ナヴィゲイダー」を創造したことについて、著者が当時20〜30年先の世界(今)を読み説いていたものといえる。

(以下引用)
24ページ:「匿名性」「断片人格」「自己演出」という三つの性質は、もちろん現実世界の人間関係の中にも存在する。しかし、それらが本格的に開花するのは、むしろ電話のような「制限メディア」の中での人間関係だと私は思う。
49ページ:匿名性が生き残る理由は二つある。ひとつは、人間が電話やパソコン通信などの制限メディアを使うことのこころよさ、楽しさ、面白さ、くつろぎ、魔力を知ってしまったからである。もうひとつは、それらの制限メディアの利用を通じて、もうひとつの虚構の世界に、もうひとりの私となって参加し、コミュニケーションをする快感に目覚めてしまったからである。人間がこれらの快感を手放すわけがない。
56ページ:究極の電子架空世界(は)(中略)この現実世界で実現することが困難だったり不可能だったりする様々な欲望が、人工的にかなえられるユートピアなのである。
同:しかしそのようなユートピアは、決して人間を幸福にはしないだろう。というのも、多くの人間のこころの奥底には、「自分の力ではコントロールできないものに出会うことによって自分を変容させたい」「自分の力を超えた存在者に出会うことによって救済されたい」という、もう一つの本性があるからだ。人間のコントロール欲望をどこまでも追求する架空世界の住人たちは、自分たちの内面に潜むこの本性を徹底して抑圧することになり、<快楽は得られても幸福は得られない>という不毛の病理に陥ることになる。(生命学の視点・無痛文明)
116ページ:(意識通信は)コミュニケーションのための「場」が成立し、その場は参加者たちのこころを包み込んだまま徐々に変容してゆく。このような「場の形成」と「場の変容」こそ、意識通信の本質で(ある)。(レヴィン「生活空間(フィールド・セオリー)
132ページ:意識が他者の人格へと流入し、混ざり合うことによって、他者の人格の形態は変化し、同時にそのリアクションによって私の人格の形態もまた変化する。意識通信の本質である人格の形態の変化は、交流人格の触手の触れ合いと、お互いの意識の交流によってもたらされる。
174ページ:社会の無意識が、活性化して我々のコミュニケーションに介入しているような状態の「意識交流場」のことを、我々は「社会の夢」と呼んでいいではないか。
(あとがき)
241ページ:人間が生み出したテクノロジーが、人間と社会それ自身をどのように変容させてゆくのかという問題意識である。あるいはそのようなテクノロジー環境のもとで、人と人とがどのようにコミュニケーションし、関わってゆけばよいかという問題意識である。そしてそれらは、人間の存在をさらに深いところで支えている「生命」や「自然」や「文明の深層」へのまなざしを要求する。
245ページ:「意識通信」で重要となるのは、心の癒しであり、意識の変容であり、社会全体の夢の活性化であり、ドリーム・ナヴィゲイターの誕生である。
248ページ:電子メディアが社会全体に浸透するようになったら、これば、われわれの集合的な無意識と密接な相互交流をすることになるはずだ。