2014年6月22日日曜日

雲をつかむような・・・

どの職場にも「忘れられないだろう」体験がある。
いわゆる「いい」体験もあるが、時に消化不良だったり、頭をぶん殴られたようなショックのある体験もある。今回の話題はまた新しい感覚に陥った一生ものの体験。

結局「よくわからなかった」んです。
何を考えているのか、何を目指しているのか、どう思っていたのか。
クレームのようなショッキングな経験もあり、思いだけで突っ走っていく人を止められなかったことはたくさんあるのだけれども、今回の場合は何度話をしても本音が見えず、本音があるのかさえもわからなかった、そもそも何を言っているのかわからなかった、そんなやりとりをほぼ一年継続した果ての出来事でした。

なので、ショックを受けたのかというとそうでもないし、嫌な思いをしたのかというとまたこれも違う、だからといって新鮮だったのかといえば初体験ではあるけれどもそこに新鮮味というものはなかっただろうし、やりとりをしていて何か手ごたえがあったかというとそういったものがほぼ皆無だったことが唯一の気づきでした。
のれんに腕押し、ぬかにくぎ、雲をつかむような感じなのか、合気道できれいに併せ技をかけられて何だかよくわからないうちに身体を浮かされている感じに近いけどピタリとこない。このもやもや感というか手ごたえのなさに驚くのではなくショックでもなくただただ呆然とさせられた感じです。

結局、自分の前からは去ってしまったわけだけれども、最後の最後まで話は通じた感じがなかったのが何ともいえない気持ちにさせられる一因でした。
放っておいてもおそらく忘れない経験だけれども、それでも備忘録兼ねてメモ書きでした。

2014年6月18日水曜日

後藤忠政『憚りながら』宝島社、2010年。

ヤクザ、と呼ばれる生き方がある。
おそらくIyokiyehaにはあまりご縁のない世界のような気がするけれども、そんな世界が垣間見れるかもしれないと思い手に取った一冊。
山口組系の直系後藤組の元組長によるインタビューという形式をとっているが、話し言葉だからこそ伝わる思いや事実というものもあるように思う。

やくざ 
1.名・形動 役に立たないこと。まともでないこと。つまらないこと。また、そのさま。そのようなものをもいう。
2.名 博打うち。ならずもの。無頼漢。

ここでいうところのヤクザとは2.のことを指すのだろうが、その生き様はこれまでの見え方と随分違うように感じた。
社会悪、という言葉でまとめてしまうつもりはないが、なんというか、本来の制度や取り決めでは成り立たないグレーゾーンで活躍する人達であって、その行動原理は物事の筋や人の情といったものに立脚しており、時に法制度を超越することがある。そもそもヤクザの生き方は、人と人とのつながりや物事の道理・すじみちによって成り立っているものであり、何でもかんでも法制度を守らないというわけではない。むしろ、法制度違反の怖さを最もよく知っている人達であるともいえる。
政界や経済界、芸能界とのつながりが指摘されるようになったこの頃であるが、その背景はヤクザが活躍するところがあるからで、何も世の中の全てにたてついているわけではなく、ヤクザとしての行動原理に従っているだけの物事が大半を占めるということを本著から学んだように思う。

生きかたはIyokiyehaのそれと全く異なるけれども、制度の中で仕事をしている身として、ヤクザな生き方をしたいわけではないが、やはり法制度に人の感情を吹き込むことによって初めて円滑な社会を感じられるのだろうな、ぬくもりみたいなものを感じられるのだろうなと思った。
あまりない内容・形式の一冊でした。おもしろかったです。

2014年6月15日日曜日

【Audio Book】伊賀泰代『採用基準』ダイヤモンド社、2012年。

マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社において採用部門に十数年在籍してきた著者によるリーダーシップ論。「採用基準」という表題と書籍紹介や表紙に書かれた「マッキンゼー」という会社名から「マッキンゼーというコンサルティングファームはどんな人材を採用するのだろう」と思わせておいて、フタを開けたらマッキンゼーの採用活動からこれからの世の中を生き抜くためのスキルとしての「リーダーシップ」について語っている。マッキンゼーの提唱する「グローバルリーダーの育成」とこれからの日本あるいは世界で活躍するためのスキルを関連づけて、それは「リーダーシップ」であるとする。

伊賀氏のいうリーダーシップとは、「人をまきこんで、問題解決にあたることができる」スキルのことを表している。
マッキンゼーの提唱する「グローバルリーダー」とは、上記に加え「英語ができること」「専門的知識を持っていること」をあげ、採用においてはそのポテンシャルを見極めているとする。

コンサルティングという仕事において求められるのは、単に問題解決技法の扱い方や地頭のよさだけでなく、それをチームを率いて実施するポテンシャルがあるかどうかであるとする。仕事は一人でするものではないとする立場を明確に打ち出し、その環境の中で成果を出し続けるには、
・人を巻き込み、活かす。
・限られた時間内に検討し、決める。
・チームが力を最大限に発揮できるように目標を立て、伝える。
などの態度・姿勢が常に求められる。チームの一員だからリーダーシップは必要ないわけではなく、全員がリーダーシップを持っているからこそチーム力は最大限発揮されるとする。
さらに、日本における「リーダー不在」とはこの意味においてのリーダーシップポテンシャルが社会全体で決定的に欠けていることを表し、指摘するとともに「まずは自らのキャリアを見直す」ことを提案している。

伊賀氏は近年、以下のサイトを立ち上げた。 
http://igayasuyo.com/profile

組織の中で働く身として、改善欲求と違和感を覚えつつもルールとして飲み込んでいたことが、リーダーシップという言葉でもって浮かび上がらせるきっかけとなった一冊といえる。どんな組織においても自分で責任をとらない、自分で考えない、自分で決めないことが組織の硬直化につながっていくのだとあらためて感じることができた。伊賀氏のいう「リーダーシップ」のポテンシャルが自分にあるかどうかは別として、チームで課題解決を図ることにおいてはマッキンゼーのそれと手法や内容に異なる点はあるといえ、ベクトル自体は大きく変わらないと捉え直せば、やはり世の中の要求として自分にも「リーダーシップ」は求められているのだろうと思う。
今後の学びも大切だけれども、どう行動するかが問われてくるのだろう。