2019年1月26日土曜日

リンクを更新しました。

最近のWeb閲覧は、「検索」と「オススメ」ですから、リンク集なんて誰も使っていないとは思いますが。
いまさらですが、リンク集を整理・更新しました。
あんまりWeb閲覧しないから、リンク先は減りましたね。
念のためのお知らせでした。

働くことコラム02:資格とは

 職業訓練を通じて就職を目指すことをイメージしている人に、
 Q「職業訓練でどんなことを学びたいですか?」
 と質問すると、その多くから、
 A「資格をとって就職したいです。」
 との回答が聞かれた。
 Q「どんな資格?」
 A「就職に役立つパソコン系の・・・」
 といったやりとりである。
 求人の数で多いのが事務系だから、事務系での就職をイメージして、これまで勉強したことがないからパソコンスキルを身につけ、資格欄に書ける資格取得のための勉強をする。勉強意欲そのものを批判するつもりはないが、現状認識が間違っていると思ってきたし、ある期を境にこのことは直接語ってきた。
 私が考えていることは、大体以下の通りである。
(1)資格には2種類ある。自分の実力を証明するものと、専門職に就くための切符になるもの。
(2)資格取得だけでは就職活動を勝ち抜けない。
(3)事務職=パソコンで仕事するわけではない。
 もう少し補足すると、まず、資格そのものの位置づけが「就職できるもの」ではない(1)(2)。百歩譲って「就職に有利になる」ものにはなりうるし、世の中にはある特定の職種について、その基礎資格がなければそもそも就職できないというものがある。例えば、学校教員であれば教員免許が必要だし、福祉専門職なら社会福祉士や精神保健福祉士が必須という職場がある。そういう類の資格であったとしても、資格は「自分の実力を証明するもの」であり、勉強の成果を証明するものである。資格の種類や就職先の業務内容によって、就職が有利になる可能性はあるが、資格取得をもって就職できるとは期待しない方がいい。
 もう一つ加えておくと、特にパソコンに関する資格(様々であるが、MOSやパソコン検定などをイメージ)について、資格を有していることが事務職の就職活動に与える影響は大きくないことである(3)。わかりやすく言えば、事務職に就きたいならパソコン以外のことをちゃんとやらなきゃいけませんよ、ということである。前回の「生活リズム」はいうまでもなく基盤になる。事務職で求められることは、ルーチン作業は正確に素早く処理できること、他の人の仕事の指示の意図をくみ取って正確に作業できること、次々と持ち込まれる作業指示を自分なりに整理して漏れなく・間違いなく行うことができる、といったどちらかというと理解力や遂行機能を発揮する業務といえる。その仕事を助けるという意味ではパソコンは大きな武器であるが、必須スキルかと問われると一部の職場をのぞいては「そうでもないよね」と言うのが多くの職業人の認識であろう。現場第一線で活躍している人の中に、パソコンの資格を持っている人もいるけれど、それよりも必要なスキルを必要な時に身に着けている人がほとんどだろう。
 若い人の親御さんが「パソコンの資格があれば事務系で就職できる」と思いこんで、子どもに吹き込んでその気にさせてしまっていることが目立った。はっきり言って百害あって一理もないし、それにとらわれて他の人の助言が聞こえなくなってしまっている人もいた。間違った情報をあたかも正しい情報であると信じ込んで、検討違いの努力に時間を費やすことになってしまったことの責任はどこにあるのか。一義的には本人であるが、それを行動にまで落とし込んで修正しない大人にも責任はあるんじゃないか?
 職業訓練に関わっていた頃、私は事務系訓練の指導員の先生方に
 「Wordの資格要らんから、Excelだけやって、後はビジネススキルとか簿記の訓練やってよ」
 と提案したことがある。回答は様々で、よく協議して一部のプログラムを修正してくれた先生はいたが、大体は、
 「Wordから入った方が進めやすいんだよ」
 「何か見える成果(資格)がないと」
といった理由で、数ヶ月かけてWordやるんだよね。就職直結しない資格だって、みんな肌感覚ではわかっているはずなのに・・・
 前回と同じ事例ですが、個人的に就職の応援をした40代後半女性は、経理関係の職業訓練を受けて、簿記2級は不合格でした。それでも、就職は決めて働きはじめています。資格の有無じゃないっていうことの一つの証明になるような気がしますけれども、どうでしょうか。

2019年1月20日日曜日

牧田善二『医者が教える食事術 最強の教科書』ダイヤモンド社、2017年。

・エビデンスに基づく食事法をコラム方式で紹介する。
・糖尿病専門医として長年研究と臨床を重ねてきた著者が、最新の知見に基づき、普段の食生活で意識しておきたいことをまとめている。
・どの項目も参考となるが、新鮮なものを、適量食べること。糖類(炭水化物を含む)の摂取には気を遣い、血糖値の急激な上昇をいかに抑えるか、ということが日中のパフォーマンスに大きく影響するとともに、肥満の解消、腎臓機能の維持・向上に影響する。中長期的には身体の健康状態に大きな差がでてくる、というもの。
・野菜と豆類を多くとること、よく噛むこと、脂質・アルコールは積極的に食べていいこと等、これまでにも言われてきたことに加え、肥満の原因は糖質にあり脂質ではないなど、最新の知見が存分に盛り込まれている。
・食生活から、生活全体の見直しの一助になる一冊。

2019/1/20読了

森岡正博『増補決定版 脳死の人 -生命学の視点から』法藏館、2000年(初版:東京書籍、1989年)

・著者が「もっとも『よい』本」と評する主著の1つ。初版は出版から30年ほど経つが、法制度は変わっていても、その考え方や主張は全く色あせていない。
・脳死者からの臓器移植(提供)を巡る諸問題を「人と人とのかかわりあいの問題」であると定義し、医学的な議論を超えた論点を提出している。その上で、かかわる人たちすべてが納得する必要を説き、そのための提案が展開される。
・具体案としては、医師と患者の信頼関係の構築や情報公開などがあげられている。この点においてはやや広がりがみられるが、全体の論の展開は大変明確である。
・人にとっての脳死が、一人称、二人称、三人称の立場に違いにより理解や納得の内容が異なることを指摘していることが興味深い。同様に死の定義も異なってくる。このことには、ある「脳死」にかかわるすべての人の意思が尊重されるべきである。ごくあたりまえのことだが、このあたりまえのことが黙殺されてしまいがちな社会に向けた危惧が、後に浮き彫りになる「生命学」の芽といえる。

(以下引用)
ⅰ:脳死の本質とは、その社会における「人と人との関わり方」の問題だからであり、さらには、臓器移植を可能にした現代の科学文明のあり方をどう考えるかという問題だからである。
9ページ:「脳の働きが止まった人」を中心とした、このような人と人との人間関係の「場」のことを、私は「脳死」と呼びたいのです。
19ページ:脳死の人をめぐる人と人との関わり合いの、最低限の礼儀作法を、私たちの社会がまだ共有していないために、さまざまな倫理問題が生じているのです。(略)脳死の倫理問題とは、脳死の人と私たちの「共生」をいかにして確立するかという問題です。
100ページ:脳死身体の利用が許されるのは、(1)他に「代用可能性」がなく、(2)かつ身体にとくに「侵襲」がない、という二つの条件が満たされたときだけです。
112ページ:「利用」とは、まさに「ひと」が「ひとでなし」の身体を利用することを意味しています。
125ページ:(1)脳死が人の死であるかどうか。(2)脳死が親しい他者の死であるかどうか。(3)脳死が見知らぬ他者の死であるかどうか。そしてこれら三つの問いが、そもそもまったく性質の異なった問いだということを、私たちはもっと自覚する必要があります。(略)一人称の問い、二人称の問い、三人称の問いと名づけてもよいでしょう。
157ページ:「かけがえのなさ」を大事にすることが、じつは看護の本質なのではないかと私は考えています。※「かけがえのなさ」=他のものに決して置き換えることのできないもののこと
159ページ:脳死の人からの心臓移植の場面で「かけがえのないもの」はレシピエントのいのちだけではありません。脳死の人と取り巻く親しい人々や家族の人間関係そのものも、「かけがえのないもの」のひとつではないでしょうか。
163ページ:大事なのは、人は傍観者にも当事者にもなりうるという点です。
165ページ:傍観者の科学だけではなく、当事者の科学というものがありうるのではないだろうか。

(2019/1/18読了)

働くことコラム01:やっぱり生活リズム

 一応、前職では「働くこと」の支援をしてきたので、いわゆる「就職本」にはあまり書いていない、働くことに関することを少しずつまとめておこうと思います。ラベルは「働くコラム」。雇用支援をやってきた経験と、30代半ばを過ぎて転職したある中年男性の雑感だと思ってください。

 いろんな人の就職活動をしてきて、
 「働くために必要なことは何ですか?」
  と何度も質問されました。その都度、
 「何だと思いますか?」
 と質問し返していました。
 この質問に自分なりに考えて何か発言するか、そうでないかで随分「ふるい」になると思います。
 ポイントは、その人に職歴があるならば「自分で考えることができる」かどうか、あるいは「経験を振り返る気がある」かどうか、職歴がなければ「自分で考える気がある」かどうか、というあたりです。
 もちろん、その人なりの回答が得られれば、それを起点に相談は継続していましたが、私なりの一応の解答は「(少なくとも)自分の生活が整っていること」となります。具体的には、朝起きて、食事をとることができて、日中何らかの生活をして、夜床に就くことができること、です。起きて、活動して、回復する、のサイクルがその人なりにできていることを評価していました。
 できているかどうかは別として。単純なことだと私は思っていますが、「働く」ことって、自分の生活リズムに「働く時間」が入り込んでくることです。スケジュール帳で一日の時間帯を記入できるものを使っている人はイメージしやすいと思いますが、自分の生活を帯状に記録しているところに「仕事」っていう項目が日中ど真ん中にでーんと入ってくるのが就職するっていうことです。だから、それを入れ込んでも生活が成立するかどうか、今やっていることを「仕事」に置き換えられるかどうか、ここが「働くために必要なこと」の根っこだと思います。
 この点についてよくある落とし穴は、就寝・起床リズムが狂っているのに「仕事が決まれば起きれます」と言い張っている人が、結局夜の習慣(ゲームやWeb関係)から抜け出せないとか、平日仕事後に「どうしても欠かせない趣味(いろいろありましたが、半分以上はゲームやWebだったな)」を入れ込んで眠れなくなる、生活予想の段階で日中に「仕事」を入れたら一日が24時間では足りなくなる(そもそも生活リズムが成立しない)といったことがありました。
 最近、個人的に就職の応援をした40代後半女性は、無職になってからも、朝は7時までに家で生活する程度の身支度は整え、家事をして、日中は勉強するという生活をしていたようです。先日会った時に「せめて朝だけは起きるようにしておかないといけないと思って・・・」と言っていましたが、その通りだと思いました。

2019年1月14日月曜日

2018年総括と2019年の抱負

 2018年は、いろんな立場で「広がり」を感じる一年でした。
 家庭と仕事だけじゃなくて、ここに一昨年度から始めた合気道が加わっていて、ようやく慣れた頃に子ども通う学校のPTA活動に参加する機会を得るに至りました。まさに、計画外!面白いことは続くものです。

 一年前に立てた目標は、
1.加齢に伴う身体機能の変化および認知症に関することを、きちんと学ぶこと。
2.障害福祉関連法規および制度を概括できるように学ぶこと。
3.上期に世界史、下期に日本史を通読すること。

 まだまだ真面目だったな、自分。
 簡単に振り返っていくと、1.認知症に関する勉強は継続中です。ただ、今は母親の状態に合わせて、認知症というよりも「加齢に伴う老化全体」に視点が移りつつあります。母親は境界性だったとしても認知症の診断には至っていないし、状態を狭くとらえる必要はないので。あくまで別居家族であることを意識しつつ、母親の行動はなるべく笑って受け止め、一方で普段一緒に生活している家族の愚痴でも何でも受け止めていこうと思うに至っています。今年も学びを継続。
 2.この点は残念ながら60点。仕事はあまり身が入らない一年でした。膨大だからこそコツコツやらないといけないのにね。雑務が多すぎることに不満を持ちすぎてしまい、自分の根っこの方で意欲低下が起こっているのが原因のように思います。継続、というよりも何か違う学び方を考えたいものです。
 3.教養については後述。ちなみに歴史の通読はできなかった。
目標を無視したわけではないのだけど、家族のこと以外は目的のない目標だったからあまり意識していなかったのも事実。この点は素直に反省しようと思います。

 ただし、目標が意識できなかった、達成しなかったことで、一年が不満だったかというとそうでもなくて、冒頭の表現にも表れているように、基本的には充実した一年でした。
 「広がり」のそれぞれについて、踏み込み方の評価は周囲の人に任せるとしても、自分なりに挑戦することによって、今までにないいろんな人との接点ができ、その中で知ることのできた新しい考え方やものの見方については、新鮮な驚きと謙虚に学ぶ姿勢を得ることができました。
 また、合気道を中心に身体づくりに注力したことによって、身体機能の変化を感じつつあります。動作の組み合わせで合気道の技が成り立っていることがわかってきて、姿勢の取り方一つで技の効きが全く異なることを感じられるようになってきました。パッケージ(とあえて表現する)としての合気道の奥深さに触れることができつつあり、自分で自分の身体を試す環境ができたことには感謝しか思いつかない。
 これに加えて、生活習慣(特に食習慣、睡眠週間)を見直すことによって、朝方リズムと読書習慣が得られそうなところまできました。この目的としては、とりあえず「一般書50冊、小説50冊」の4年以内達成であるが、その土台が少しずつできつつあります。また、このブログの更新が疎かになってきた頃から始めた日記の習慣化など、形になりきっていない取り組みが進められていることの充実感は得られた一年だったかと思います。

 そんなところで始まった2019年です。今年の目標はこんな感じにしておこうと思います。
1.「広がる」ことには積極的に関わる。
2.読書の継続。
3.実家との関わりを絶やさない。学んで関わる。
4.身体を鍛え続ける。
 「学び続ける」ことを目標にします。そのための習慣化がポイントです。具体的には、今取り組みつつある朝方リズムの継続・深化、読書テーマをだんだん設定していくことかと思います。今の読み方は「専門書(とりあえず森岡正博「生命学」を最初から読み直す)」「一般書(ビジネス書含む」「小説」の三種類に分けて読み進めていきます。1年で各15冊くらいいけるといいな。そして「鍛え続ける」ことについては、合気道で一般4級の目途をつけること、普段の目標としては木剣を年間15,000回くらい振ってみよう(40回/日×365日=14,600回)と思います。

 以上、2018年のふりかえりと2019年の抱負でした。

2019年1月12日土曜日

書籍メモをアップしました。

あけましておめでとうございます。
半年以上更新がご無沙汰になっていました。大変失礼しました。
近日中に去年の総括と今年の抱負をアップします。

その中でも少し書きますが、生活習慣の改造に伴い、ベタに日記をつけるようになりました。今の形式になって2か月弱くらいになるので、今の形で概ね習慣化されそうですが、手書きが思うことを書き綴っています。なので、これまでよりももう少し深い内容でBlogを更新できると思いますが、投稿は少し時間がかかるかもしれません。いや、蓋を開けたら案外早いかもしれませんが、どうなるか。。。
いずれにせよ、このBlogは閉鎖しませんので、時々遊びに来てくれる方おられるようであれば、細々と末永くお付き合いいただければうれしいです。

ちなみにIyokiyehaの正月は、明けて帰省。帰宅してインフルエンザ。今に至る。
ということで、実は1月はまだ出勤していません(笑泣)。
開き直って長いお休みいただきました。来週から復活しますので、今後ともよろしくお願いします~

喜多川泰『「手紙屋」-僕の就職活動を変えた十通の手紙』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2007年。

・就職活動に悩む西山諒太(にしやま・りょうた)が、偶然目にする「手紙屋」。彼との10通の手紙のやりとりを描く。10回の文通により、諒太は成長する社会人としての心構えを学んでいく。
・読み物としても大変面白い。AudioBookがきっかけで手にした本である。もっと早く出会いたかった。
18ページ:あなたの能力は、今日あなたの行動によって、開花されるのを待っています。
37ページ:欲しいものを手に入れる方法の基本は「物々交換」。
60ページ:出会った人すべてをあなたの味方にする魔法の方法を教えようと思います。それは…相手にこうなってほしいという『称号』を与えてしまうのです。
63ページ:「相手を変えることはできない」「すべての人にあらゆる性格が備わっている」このことがわかれば、あと必要なのは、あなたが相手の持っている性格の中で欲しいものを引き出してあげる存在になることなのです。そして、相手の性格を引き出してあげる方法が、称号を与えるということなのです。
83ページ:「天は自ら助くる者を助く」
92ページ:「倒れなかった者が強いんじゃなくて、倒れても立ち上がる者が本当に強いんだよ」
104ページ:自分が手に入れたいものに対して、反対の皿に載せている違っていたり、足りていなかったりするにもかかわらず、それが手に入ってしまうことが、人生の中には何度かある。それこそが「本当のピンチ」なんです。
118ページ:法人の存在意義「多くの人から必要とされること」働くことはそのための手段
132ページ:ある仕事が自分に向いているかどうかは、やってみなければわかりません。
169ページ:「しっかりとしたゴールを持ち、常にそのゴールを忘れない」(中略)それ以上に大切なことがあるのです。
211ページ:習慣化:行動の結果何が起こるのかはわかりません。しかし、その結果が好ましいかどうかよりも、行動するということのほうがはるかに意味があると私は思うのです。そうやって行動し続けるものは、動き続けようとする。その動きを止めようと思っても、よほど力をつかわないとその動きを止めることはできないわけですから。「転がる石に苔はつかない」動き続けているものに埃がかぶることはないのです。
227ページ:才能とはあらかじめあるものではなく、自らの努力で開花させるものです。そして、才能を開花させるものは、開花させようとする「情熱」なのです。(中略)「失敗した人は才能を理由に挙げる。成功した人は情熱を理由に挙げる」

 私は、学生時代の就職活動に関して、かなり凝り固まっていた。それでも我を通して働き続けて学んだことはある。その中のいくつかは、本書で見事な表現でもって語られている。特に上記引用部分は目からウロコが落ちる思いがした。
(H31.1.10)

佐藤義典『白いネコは何をくれた?』フォレスト出版、2008年。

・戦略BASiCSを広める、ストラテジ&タクティクス社の佐藤氏による小説。日向実直(ひなた・さねなお)とその仲間の成長を描く。
・成長のきっかけは、軍神上杉謙信と思われ(?)る猫のボロ。ボロが語る戦略論BASiCSが話の中核となる。
・自分の転職時に聞いていたAudioBook。きっかけは全く偶然だったが、自己分析にBASiCSを使ってみた経緯があり、個人的に大変思い入れのある一冊。
15ページ:(戦略とは)目的を達成するにあたっての、大きな考え方・道筋です。(中略)「戦略」は、業界などに関わらず共通します。
19ページ:戦略BASiCSは、戦略の5理論を統合し、5要素間の関連性・一貫性を考えながら会社の商品の、自分の戦略を考えていくツールです。
188ページ:「私は私」自信に満ちた声が部屋中に響き渡った。
(H31.1.9読了)

百田尚樹『永遠の0(ゼロ)』講談社文庫、2009年。(初版:太田出版、2006年。)

・第二次世界大戦の終戦直前に、神風特攻隊として戦死した宮部久蔵(みやべ・きゅうぞう)について調べる孫が主人公の小説。
・宮部久蔵を知る人からのインタビューを重ねる度に、浮き上がってくる宮部久蔵の人物像。その描き方は、推理小説と思わせるような面白さがある。
・同じ人物であっても、評価する立場や、評価する人の考え方、時期によって、その表現は全く異なるものになることを、登場人物の語りから教えられる。
・戦争に関する小説で、数年前に映画化されている。ドラマ化もされている。そのため、この小説の評価も様々なのだろうが、戦争論を除き、純粋に小説として読めば、大変面白い読み物であると思う。
・祖父が健太郎に語る場面が、私にとっては感動場面であった。
115ページ:国のために命を捨てるのは日本人だけではありません。我々は天皇陛下のためという大義名分がありました。しかし、アメリカは大統領のために命は捨てられないでしょう。では彼らは何のために戦ったのか-それは真に国のためだったということではないでしょうか。そして実は我々日本人もまた、天皇陛下のために命を懸けて戦ったのではありません。それはやはり愛国の精神なのです。
219ページ:一度の失敗が、すべてを終わらせてしまうのです。
314ページ:「墜とされてもまた戦場に復帰出来るということは、失敗を教訓に出来るということだ」
535ページ:私たちは熱狂的に死を受け入れたのではない。喜んで特攻攻撃に赴いたのではなかった。あの時ほど、真剣に家族と国のことを思ったことはなかった。あの時ほど、自分がなき後の、愛する者の行く末を考えたことはなかった。
(H31.1.8読了)

城山三郎『官僚たちの夏』新潮社、1980年。

・経済小説の開拓者と呼ばれた著者による、1960年代の通産省(現:経済産業省)の官僚たちを描く小説。
・10年くらい前にドラマ化されていた。
・ドラマもだが、小説はハッピーエンドではない、後味の悪さが印象的だった。ただし、一方で当時(現在にも通じるところがあるかもしれない)の実態を描き切っているのかもしれない。
・主人公の風越(かざこし)を中心とした、いわゆるモーレツ官僚を中心に描いているものの、後半は当時「新人類」と呼ばれていた玉木(たまき)や片山(かたやま)の生き方を肯定するかのような表現が目立つ。現在語られる「働き方改革」の内容にも通じるところが随所に感じられる。
・小説が発表されて40年近く経つが、職場というところは「変わらない」ものと「変わる」ものが混在するものであると、改めて感じさせられた。
181ページ「(前略)これからはひょっとしてああいうのが、役所向きでは」
332ページ「〈天下国家〉は生ま身の人間には重すぎる」
(H30.12.28読了)

森時彦『ザ・ファシリテーター -人を伸ばし、組織を変える』ダイヤモンド社、2004年。

・ファシリテーションとは、
(1)人と人とのインタラクション(相互作用)を活発にし、創造的なアウトプットを引き出すもの。課題の共有、考えの交流、自発的で活力に溢れた行動が生まれる。1+1=2以上になるポジティブな化学反応が現れる。(ⅲページ)
(2)ファシリテーションを学ぶことによって、自らも変わる。傾聴、事実ベースで分析的に捉える視点、多面的な観察力、バランスのとれた思考力、情緒的な安定、説得力、エネルギッシュな行動力、自らの変化。(ⅳページ)

森時彦『ストーリーでわかる ファシリテーター入門ー輝く現場をつくろう!』ダイヤモンド社、2018年2月。

(略)

中勘助『銀の匙』岩波書店(ワイド版)、2001年(底本『中勘助全集』第一巻、岩波書店、1989年。)。

・伯母さんの限りない愛情に包まれて過ごした日々、少年時代の思い出を、自伝風に綴った作品。
・文章のもつリズム(構成?)が特別な印象を受ける。
・風景、状況、人物描写が多く、形容詞が多い文書であるにも関わらず、それらがすっと理解できる。易しい表現ではないのだが、不思議である。
224ページ:(中勘助)氏はただ自分自身の世界をのみ守りながら、それをいかにして詩の形に表現しうるかに苦心した。
同:(前略)文章に非常な彫琢があるにもかかわらず、不思議なほど真実を傷つけていないこと(後略)

夏目漱石『こころ』岩波文庫、1927年。

・親友を裏切り、死に追いやった過去をもつ「先生」。
・その罪を背負って生きてきたが、自らもまた死を選ぶこととなる。
・これまで生きてきた意味や、自殺に至る理由は明確に語られない。
・人間の内面を「私」への手紙で伝えようとする。

森岡正博『生命学への招待 -バイオエシックスを越えて』勁草書房、1988年。

・30年前に上梓された書籍であることに驚く。
・生命をめぐる多元的な考えについて、生物・科学的視点と、哲学・道徳的視点とを区別し、主に後者で論じるものとして位置づけ、それぞれの積極的意義を見出すことを基本姿勢にする。
・「生かす」「生かされる」ことが両面であること。
・他者を生かし、そのことにより自分が生かされる。このエネルギーの流れみたいなものが「生きる」ことの本質。
・自分を「生かし」、他者によって自分が「生かされる」、よりよく「生きる」ことは「生ききる」ための学問として、生命学が位置づくことを示唆している。
・ただし、動的であり、知識(知恵)と行動とが関連し、常に型を変えていく。
・生命倫理学にかけているものを標的とし、上記を導く試みが本書の位置づけといえる。
・バイオエシックスのレビューから、化学とも自然とも異なる「生き方」を問う生命学。
・「発見」し続けること。本質は常に身を隠そうとする。
262ページ:私たちは生命圏と他者によって生かされ、その私たちが、今度は生命圏と他者を生かす。これこそ生命学の基礎に置くダイナミズム。

 生命学の定義も重要だが、生命学に至る思考の軌跡をなでるのが、哲学の学びと似ているので、大変刺激的である。言葉(日本語)で考えること、言葉そのものの意味をつかむこと、発する側としては言葉に意味を込めること、を読み取っていくことが、楽しくもあり、それ自体が学びとなっている実感がある。

勝海舟/江藤淳、松浦玲編『氷川清話』講談社、2000年。

・幕末に活躍した幕臣・勝海舟による、談話や記事をまとめたもの。
・今でいう国家公務員といえる。ただ、政治家として紹介されている。
・広範な知識や人脈が読み取れる。ただ、根底においては、日本人(日本のためを思う)としての矜持と、さらにそれを支える胆力が何よりも大切であるという意思が読み取れる。
・誠心誠意の「誠」が、すべてを貫く、ものの見方・考え方・行動となっている。

畑村洋太郎『失敗学のすすめ』講談社、2005年。

・失敗の定義(25ページより)人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと。
・失敗学の趣旨(28ページより)失敗の特性を理解し、不必要な失敗を繰り返さないとともに、失敗からその人を成長させる新たな知識を学ぼうという。
・290ページ:私は失敗のマイナス面のみに目を向け、プラス面を見ないのはおかしい、マイナス面のみの見方こそが失敗を繰り返させ、また失敗を増長させて大事故を起こすのだ、と主張してきた。人の営みを冷たく見る見方からは何も生まれず、暖かく見る見方だけが新しいものを生み、人間の変化を豊かにする。失敗は起こるものと考え、失敗に正しく向き合って次に生かすことを重要で、同じ失敗を繰り返さないためには、失敗した当人に優しく接して勇気付けたい、翻って、失敗を無視し、隠し、責任回避するような風土を少しでも改めたい、と考えて本書をまとめた。

ジョン・P・コッター『ナディアが群れを離れる理由 -変われない組織が変わるためのリーダーシップ』ダイヤモンド社、2017年。

・古い考え方から抜け出せない群れから飛び出し、理想的に見えた群れから学ぶ組織運営の考え方。
・デュアル・システムの提案。マネジメントの仕組みに、新しいネットワーク型のグループを、積極的かつ独創的な方法で追加していく。132ページ。

「デュアル・システム」
マネジメントの仕組みに、新しいネットワーク型のグループを積極的かつ独創的な方法で追加していく。(二つの世界のいいとこどり)132ページ。
・「これまでと違う結果が必要なときに、これまでと同じやり方で、ただもと一生懸命働くだけ?」(99ページ)
・規模や外敵の影響がこれまでと異なる「背景の変化」に対応するためには、仕組みの工夫が必要。規模が小さい時にはリーダーシップ型が向くが、規模が大きくなればマネジメントが必要になる。