2021年3月17日水曜日

伝える力3人の奮闘 毎日新聞 210309

 越智貴雄 パラスポーツからの贈り物伝える力3人の奮闘

NHKは、2017年に、東京パラニンピックに向けて障害のある人を対象にしたリポーターの公募を実施し、3人を採用した。障害のある人を、リポーターとして採用したのは初めて。聴覚障害のある後藤さんは、ナレーションにおける「抑揚」に気づく。以後、アナウンサーの発生を研究し、言語聴覚士とも相談し、抑揚の訓練を重ねて伝える力を高めている。脳性まひのある千葉さんは、緊張に伴い生じる不随意運動に悩んだ。しかし、「自分の手足ではなく、別人格だと思う」ことにより、あまり気にならなくなったとのこと。身体機能維持のために、リハビリを継続し、ジムに通い体幹を鍛え、今ではボールを投げられるようになった。生まれつき、左手の指が2本の三上さんは、自分の障害や思いをWebで発信している。

https://mainichi.jp/articles/20210309/ddm/035/050/005000c


障害の特性によって、技術的に不利になってしまうこともある。しかし、その特性を受け入れ、更なる高みに挑戦する姿には、今後も注目していきたい。

https://sports.nhk.or.jp/paralympic/article/reporter/20200331-mikami/

(三上大進と7本の指)

在宅介護従事者優先接種対象に 毎日新聞 210304

 在宅介護従事者優先接種対象に令和3年3月4日 毎日新聞2面(総合)

厚生労働省は、在宅サービスに携わる従事者に関し、自治体の判断で、新型コロナウイルスワクチンを優先接種できるようにする方針を固めました。

https://mainichi.jp/articles/20210304/ddm/002/040/030000c


優先枠をつくると、他の人たちは後回しになるわけだから、慎重な検討をしてほしいところですが、「在宅要介護者が感染した場合でも事業者が対応することができる」ということを理由にしています。感染者が在宅療養を余儀なくなれる、というのは、様々な報道で見聞きするのだけど、それも実態だ。要支援者が感染した場合でも、その人が生活を維持できるように、ということなんですが、この点はきちんと説明しておいた方がいいよね。認識が一致していないと「お前らワクチン打ってるんだから、いつも通りやってくれ」ということになりかねない。

精神患者6割転院できず 毎日新聞 210303

 毎日新聞 2021年3月3日23面(総合・社会)

「精神患者6割転院できず 『対応困難』で敬遠、死亡例も」


日本精神科病院協会(日精協)は、新型コロナウイルスの感染が確認された患者 1012人のうち、6割以上が、コロナ治療のための転院ができなかったとする調査 を発表しました。転院ができなかった理由として、精神疾患の患者対応は難しい とのイメージから一般病院が受け入れを拒否する傾向があることを指摘しています。


https://mainichi.jp/articles/20210303/ddm/012/040/092000c


ただでさえコロナ治療を理由とした転院は難しいのに、その上精神疾患まで…と いうイメージなのでしょう。実際のところ、いろんな人がいるわけですから、この6割の中には「適切な治療が受けられるのに、受けられない人」が含まれているものと推察されます。「クラスターを抱えながら籠城を余儀なくされている精神科病院が増えている」というのが、厳しい現状を突き付けているように思いました。

新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点があるから明るみに出たことのようにも感じます。要は、普段から精神障害者の入院に関して、いわゆる「一般病棟 (≠精神科)」での受け入れが難しい現実を目の当たりにします。「二度と連れてこないでくれ」とか言われる場面に出くわすこともあります。その人が何を やったか知ることも知らないこともあるわけで、ただわがまま言って暴れたならやむを得ないけれども、障害の症状として出た行動を否定するということは、医 療の本旨からは外れるんじゃないかとも思うわけです。もちろん、病院だって一事業所であり、その人の対応によって他の人の対応がおろそかになってしまうとかいう事情があるならば、ある程度そのかかわりを制限することはやむをえないと思うのだけれども、そうではない「ただ対応が大変だから」という理由で受け入れ拒否するというのには、やはり違和感があります。もちろん、患者さんは患者さんで、医学的に理由がある指示には従う必要はありますよ。

医療現場の逼迫、どこも大変忙しい、というのはよくわかります。ただ、それとこれとはちょっと別に考えなきゃいけないんじゃないかな、人の健康、そして生死にかかわることだから。

眼球使用困難症候群 支援を 毎日新聞 210302

 毎日新聞 2021年3月2日15面(くらしナビ)


光のまぶしさや頭痛などで目が開けられず、暗闇の中での生活を強いられている「眼球使用困難症候群」と診断された人達の生活を追う記事です。

医学的にはほとんど認知されておらず、脳の機能障害が原因とみられ、眼球や視力には問題がないため、障害認定されていません。

さらに難病指定も未だされていないため、公的支援が受けられないのが現状です。


https://mainichi.jp/articles/20210302/ddm/013/100/007000c


これは以前テレビの特集で何気に見て知った病気?症候群ですが、光を感じるとひどい目の痛みや頭痛、息苦しさや動悸が生じるなどの症状があるものとされています。

自宅でも光が入り込まないように窓に段ボールを貼りつけるなどの生活を余儀なくされており、外にも出られなくなるので、仕事も辞めざるを得なくなる、買い物にも出られないといった生活上の困難に直結するものと言われています。

脳の機能異常って本当に何でもありだなぁ、と圧倒的なすごさと怖さを同時に感じるとともに、診断基準などが整理されて早期に難病指定されることを願います。原因不明の症状によって社会生活困難が生じてしまう事態は、公的扶助によって何とか支えられるしくみになってほしいと切に願うところです。


参考

NHK視覚障害ナビ・ラジオ

2020年11月22日放送

「眼球使用困難症を知っていますか?」

https://www.nhk.or.jp/heart-net/shikaku/list/detail.html?id=47255#contents

2021年3月6日土曜日

常用漢字表への「碍(がい)」追加見送り 毎日新聞 210227

 毎日新聞2021年2月27日29面(総合・社会)


 文化審議会国語分科会(文化庁に設置された、文部科学大臣または文化庁長官の諮問機関)の小委員会は、「碍」の字を常用漢字表への追加を見送るべきだとの見解をまとめました。その理由として、追加を要するような使用頻度の高まりや広がりが生じているとは判断できない、という整理をしています。


https://mainichi.jp/articles/20210227/ddm/012/040/113000c


 地方自治体によっても対応は様々です。いろいろな考え方があると思いますが、「あえて『害』の字を使う理由としてあげられるのは、

1 障害は個人ではなく社会にあるとする考え方

2 「碍」の字の意味は「さまたげる」。そんなにいい意味とはいえない

3 「障」も良い意味ではない

4 平仮名にしたところで意味や業務は変わらない

5 表記の違いで混乱を招かないよう国の文書(法律等)に準拠する

とする見方もあります。

 地方自治体の感覚としては、4,5あたりが妥当なんでしょうが、1が本質的な意味ですね。2,3は「碍」推進の立場の人にとっては論の衝突部分かと思います。

 イメージの問題は大きいのでしょうが、「害」の字が世の中に与える悪い影響というのは計測が困難なので、対応に苦慮するところです。啓発とも関連しそうです。


文化審議会

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/about/


「生きたい」かなえて 毎日新聞 210227

  長野市内で一人暮らしをしているALS患者が、自治体に重度訪問介護の利用を求めるが、その支給決定ができないとの判断をされたことに対する意見と取り組みに関する連載です。結論としては、自治体が重度訪問看護24時間の支給決定を認めたことで、裁判は終結しています。


https://mainichi.jp/articles/20210227/ddm/012/040/140000c

(「生きたい」かなえて 公助願うALS患者門前払い)


  自治体が支給決定を認めなかった理由として<福祉の考え方の基本は「自助」→「共助」→「公助」です>という論については 、違和感があります。自治体のこの主張には、自助・共助・公助が同一線上に並んだ概念としてとらえ、「足りないなら公助へ」という意思が透けてみえます。この立場にあれば、「自分や周囲ががんばってなんとかなるなら、法定サービスの支給決定はしないよ」というのは妥当な考え方にも見えてくる。しかしながら、「法定サービス使う前に、自分でなんとかしてね、家族やご近所さんに助けてもらってね。何とか助けてもらってね」というのは福祉の本旨に合致するのだろうかという疑問が生じる。

 自助・共助・公助の考え方は、それぞれのサービス(や支援)の形式を表しているのであって、それぞれは重なる部分がありながらも、その対象や内容は大きく異なる、というのが個人的な見解です。守備範囲が違う、その内容も違う。ただし、公助としての福祉サービス(法定含む)はこの部分はしっかりやるよ、制度的にはこれらの組み合わせで、生活の維持はできるようになっているよ、というものだと思います。この事例であれば、地域の事情で「介護者がいないから、サービス利用は少し待って」はあったとしても、「支給決定しない(サービス使えないよ)」は妥当ではないと思います。実際の現場ではもっといろんなやりとりがあったのだろうとも察しますが。