2022年2月12日土曜日

斉藤洋『ペンギンたんけんたい』講談社、1991年。

隔週で次女と図書館へ行くのが習慣になってきたのですが、行くと自分が読みたい本の他に、娘がそろそろ読めそうな本も探してみることにしている。そこで見つけた本。

以前ここでもとりあげた『ルドルフとイッパイアッテナ』の著者による童話。童話の類は、内容も気になるのだけれども、言葉の調子というかリズムというか、言葉遊びみたいなものが自分に合うと一気に読んでしまう。本著も5分くらいの読書でしたが「エーンヤ、コラ、ドッ、コイ!」とか、隊長の「ぼくたちは…」の後に「ペンギンたんけんたいだ!」と続く、副隊長と副々隊長のかけあいなんかは、「なんとなく」頭に残る。そして、理屈にはあわない登場人(動)物たちの行動が、やはり理屈では動かない大人のそれに重なって、これまた面白い。

「娘のために」と言いつつ、結局自分が読んで楽しんでしまう。いい習慣とは言いきれないけれども、これもアリってことで。

http://iyokiyeha.blogspot.com/2020/08/19872016.html

『ルドルフとイッパイアッテナ』他

2022年2月6日日曜日

山本弘『アイの物語』KADOKAWA、2015年。Kindle版

  本ブログでは、以前にとりあげた『サーラの冒険』シリーズの著者。SF小説の世界では著名な方らしい。Iyokiyehaは(旧)ソードワールドの世界でお世話になった方。著者検索して何となくkindle版を手にしてみた。いい意味で、期待を大きく裏切られました。

 ヒトと人工知能との関係を、SFではあるのだけれども、ここまで壮大に描いたものを今まで読んだことがなかった。いや、近未来を描いた作品にはいろいろ接しているはずだし、身近なところではドラえもんなんかも、未来世界を描いているという意味では同じ線上にあるのかもしれないのだけれども、ヒトの能力の限界と人工知能の限界と可能性、それらを少し超えたところで通じ合える地点があることを、7つの物語を通じて描いている。表題作「アイの物語 ーA Tale of i」に集約され、伏線がすべて回収されるので、その引用は避けて一カ所とりあげるとすればここかな。

 介護ロボット詩音(しおん)が発した「ヒトを理解するための基本的なモデル」を説明した一節「すべてのヒトは認知症なのです」(中略)「論理的帰結です。ヒトは正しく思考することができません。自分が何をしているのか、何をすべきなのかを、すぐに見失います。事実に反することを事実と思い込みます。他人から間違いを指摘されると攻撃的になります。しばしば被害妄想に陥ります。これらはすべて認知症の症状です」(kindle版No.4139 第6話 詩音が来た日-The Day Shion Came Hereより)

 人間とは、論理的矛盾を常に抱えた生き物である。ただし、それら論理的矛盾がヒトを人間たらしめている、といっても過言ではない。人間の営みは、ゆらぐ思考や行動とともにある、という大きな学びのあった小説でした。


就活生を応援する人事担当者の会編『就活生なら誰もが知りたい、だけど聞けない疑問に現職人事担当者が本音で回答する本』洋泉社、2012年。(図書館)

  就職活動に取り組む大学生向けに編集された本。表題の通り、就職活動の実際のところを、企業の人事担当者が答える内容。座談会形式なので、話し言葉で大変読みやすい。

 大学生向けではあるけれども、その内容は就職活動をするすべての人に当てはまるもの。というか、就職活動の本質が結局のところ自己分析と、自分のことを「自分の物語」として語ることができること、の二つに集約されるのだということを再確認できた。

 人間不安になると、とにかくその場の「正解」を探しがちです。就職活動というリスク(不確定要素)だらけの不安に満ちた状況に身を置くと「志望動機の正解は?」「服装の正解は?」「第一志望でないときは何て答えたらいいの?」と考えがち。そんな不安の中だと、ちょっとした噂や根拠のない雑談の中から「○○って言われた」と事実確認もせず鵜呑みにしてしまう。私にもそういう時期がありましたし、前職でそんな人たちを何十人、何百人と見てきました。そういう思いに囚われていると、ナンボか客観的な助言ができる私の話なんか何も聞いていないんですよね。「知り合いが言っていた!」と印籠を掲げる人も数知れず。

 本著の内容が面白いのは、「人事担当者の本音」として、学生の質問に回答することを通じて「就職するってどういうこと?」「就職活動の心構え」「社会に出る、社会人になることってどういうこと?」ということを、人生の(ちょっと)先輩たちが本音で語っているというところだと思います。就職するというのは、社会の歯車、会社の歯車になるということ。そこでは「自分の思い」のすべてが認められるわけではない。お互いそんな環境の中で「仲間」になるために、そんなマナーが求められるのか、どんな発言が求められるのか、どんな態度、人当たりが必要か、そして「相手を慮ることができる」かどうかが問われます。企業としては「仲間が欲しい」わけで、その「仲間になる」ために何をするのか?と問えば、前述した2つのことが求められるのは必然でしょう。

 「そんなことは私に必要ない!」「会社の歯車なんてまっぴらごめんだ!」という人がいるのも結構。ただ、そういう方は「自分の思いで起業」していただきたい。本気で就職を目指す就活生にとってはノイズにしかなりません。

 転職してから、この手の本を読むのは久々でしたが、編者の思いの伝わるいい内容でした。就職活動って社会のことを深く知るきっかけになるし、人を成長させる機会になると思います。

今村泰丈『腰は反らずにしならせる! 正しい「後屈」入門』日貿出版社、2021年。

  身体の動かし方については、毎日のラジオ体操や運動、(最近お休みしているけれども)合気道なんかを通じて学んでいるのだけれども、意外と気にしていないのが背骨。自分の身体を支える、見方によっては最も大きい骨であるにも関わらず、普段気にしていなくて、進退動作時にもその動きを意識しないのが背骨。背骨を悪くしてしまうと障害になってしまうこともあるのに、これまで自分の背骨はあまり意識していませんでした。

 その背骨と、関連する腰や頸椎(首)を「後屈」によってストレッチしましょう、というのが本書の主な内容。それも「正しく、負担のない後屈」のためのコツが細かに記載されています。

 「後屈」と一言にしてしまえば、疲れた時に「あーっ」と反らせる伸びや、ラジオ体操にも入っているのだけれども、本書の内容と照らしてみると、今までやっていた後屈は、腰にも首にも負担がある動作だったことに気づきました。ただ、ちょっと残念なのは、本当に正しい動作としての「後屈」の感覚がまだ身についていないので、あれこれと試行錯誤しながら「正しさ」を自分の身体との対話の中で見つけていかないといけないところだろうか。

 それも含めて、自分の身体と向き合いたい人にとっては、シンプルな「後屈」を通じて取り組めるので、おすすめの一冊です。

野口哲典『マンガでわかる 神経伝達物質の働き ーヒトの行動、感情、記憶、病気など、そのカギは脳内の物質にあった!』SBクリエイティブ、2011年。

  知識本。この手の「マンガでわかる」はだいたいマンガだけではわからないのですが、本書はイラストが充実した新書と思えばいい内容だと思います。ありすちゃんはかわいい。

 私はPSWの勉強をしたときに、神経伝達物質の働きについて、医学面から学んできましたが、復習になるのと併せて当時(2011年)の最新情報を得ることができる内容でした。感情も脳内の神経伝達によって説明される、という身体の不思議。病気や障害だけでなく、健康ってどういう状態なのか、ということも分かる内容になっています。


小野芙佐著、ジョージ・ルーカス原案『皇帝の密使 ヤング・インディジョーンズ8』文藝春秋、1993年。

  たびたびレビューしている「ヤング・インディ」シリーズ。本著は第一次世界大戦を終息させようとするインディの活躍を描く小説。モチーフは「シクスタス親書」。ドラマを見て、小説を読んだのが中学生の時で、この話は当時ちんぷんかんぷんで、シリーズ内でも自分の中では「下位」のお話だったのだけれども、今になって読んでみると当時の国際情勢が反映されている深く、面白い小説になっていることに気づかされる。

 中世から近世の欧州史って、受験の頃から苦手で、どうにも暗記に終始していたのだけれども、大人になって「国ではなく家で読み解く」ことを意識するようになったら、少しずつ近代史のダイナミズムみたいなものが読めるようになってきました。

 十年単位で以前読んだ本を読み返すことの面白さに気づかされているシリーズです。ロシア革命なんかも、きっと面白く読めるのだろうな。


瀬戸内寂聴『いのち』講談社。Audiobook

  著者の半生を振り返る小説。氏を取り巻く人間関係が個性的で個別的であり、そんな人間関係の中で様々なことを感じ、考え、行動してきたことを淡々と描いている。


赤羽雄二『ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング』ダイヤモンド社。Audiobook

  思考は言語によって理解され、展開する。思考が展開すると、言葉が磨かれる。逆も然りで、思考は言語化されて初めて客観視できるようになり、思考のサイクル(展開)に組み込むことができる。こうした思考を繰り返し、その精度が高い人を本当の意味で「頭のいい人」であるとする。こうした深い思考ができるようになるためのトレーニング方法として、「書き出す」ことを提案している。


スペンサージョンソン著、門田美鈴訳『チーズはどこへ消えた?』扶桑社。Audiobook

  知恵を使う、周囲に流されない、現状を一つでも多くの情報から把握する(しようとする)ことが、人生を舵取りしていくことにおいて重要であることを解くベストセラー。よくある寓話といってしまえばそれまでだけれども、この物語を聞いた4人の大人がディスカッションして様々な視点から教訓を引き出していることが、物語の解釈に厚みを与えている。

 今の私は、現状に甘んじるな、背景は刻一刻と変化する、ということを学び取った。

張真晟(チャン・ジンソン)『わたしの娘を100ウォンで売ります』晩聲社。Audiobook

  餓死者が身近にある世界の、とにかく「悲惨」というしかない短編集。何のオチがあるわけではない。検証されうるデータがない、人々が語り、日記にしたためるようなことが次々と紹介される。すべてが事実とは限らないが、しかしながら某国ではここに描かれるような人々の生活があるのだろう。なんとも言えない気持ち悪さが残る内容であった。


知念実希人『崩れる脳を抱きしめて』実業之日本社。Audiobook

  主人公の研修医が、なんとも脆く、未熟な若者として描かれているのが、若干ひっかかるのだが、物語自体は展開に展開が重なる、面白さがあった。展開に無理はなく、終盤にかけてエピソードが次々と回収されていくスピード感と、結局ど真っ直ぐな登場人物たちの感情のぶつかり合いが、人間の感情をうまく描写していてなかなか聞かせる物語でした。


アリ・ウィンター文、ミカエル・エル・ファティ絵、中井はるの訳『PEACE AND ME ノーベル平和賞12人の生きかた』かもがわ出版、2019年。

  1901年~2014年の間に、ノーベル平和賞を受賞した中から12人について、その生い立ちや背景と受賞に至る経過が簡潔にまとめられた絵本。小学生からわかる表現でまとめられており、大変読みやすい。一人一人の実績については他の書籍が詳しいと思いますが、こうして一覧で目を通すことで、「平和 peaceって何だろう」と考えさせられます。

平和とは、

困っている人を助けること -ジャン・アンリ・デュナン 1901

だれもに住む家があること -フリチョフ・ナンセン 1922

人に生きるための技術をあたえること -ジェーン・アダムズ 1931

だれひとり、おなかをすかせることがないようにすること ージョン・ボイド・オア 1949

すべての人びとが平等であること ーマーティン・ルーサー・キング・ジュニア 1964

苦しい立場にいる人たちを思いやること ーマザー・テレサ 1979

人をゆるす方法をみつけること ーデズモンド・ムピロ・ツツ 1984

すべての民族をみとめること ーリゴベルタ・メンチュウ・トゥム 1992

だれもがもつ権利をたいせつにすること ーネルソン・マンデラ 1993

声なき人の声をきくこと ーシーリーン・エバーディ 2003

環境をまもること ーワンガリ・マータイ 2004

どの子も学校に行けるようになること ーマララ・ユスフザイ 2014

ホーマー・ヒッカム・ジュニア著、武者圭子訳『ロケット・ボーイズ上下』草思社、2000年。

  NASAの元エンジニアによる自叙伝。アメリカ、ウエストヴァージニア州の炭鉱の街コールウッド。日本の地図帳には載っていない小さな街で高校に通うホーマー少年。後にNASAのエンジニアになる、サニーと呼ばれた青年がロケットの打ち上げに没頭した3年間を描く小説。巻末に、日本人宇宙飛行士土井隆雄氏が「本書に寄せて」で「夢を持つことはむずかしい。そしてその夢を持ち続けることはもっとむずかしい。だが、この本を読んで、夢を追い求めることのすばらしさにより多くの子供たちが気づいてくれることを願う。そしてより多くの子供たちが、すばらしい夢を見つけることを願っている」と語るように、サニーの情熱とその行動・実行力が主題となっている。

 それはそれで、大変面白いのだけれども、私が面白いと思ったのは、ロケットボーイの仲間たちや、とにかく優しいライリー先生、厳しい物言いと自立心の中にも息子への愛情にあふれている母親エルシーに支えられながら、ロケットを打ち上げ続けるサニーの姿に、徐々に心を開いていく炭鉱の労働者、学校の教員、教会の神父、そしてコールウッドの荒っぽくも暖かく見守ってくれる住民たちの描写であった。炭鉱の縮小・閉鎖といった街の変化を背景に、ロケットの打ち上げというイベントに、人が街が変わっていく様子が、これまた活き活きと描かれている小説だと思った。


■以下引用

上123 どこからでも、とにかくはじめてみなければわからないということだ。

下92 ドアが閉じられてしまったらね、サニ-、窓を見つけてよじのぼるのよ

下132 悲しみや怒りはわきに置いて、やるべきことをやりつづけるのよ

下252 自分で手をくださなくても、辛抱強く待ってさえいれば、いずれは町が物事を正しい方向におさめてくれる、そんな感じだった。