2019年6月29日土曜日

後閑愛美『1000人の看取りに接した看護師が教える 後悔しない死の迎え方』ダイヤモンド社、2018年。

・知識を得る読書になった。「様々な死の迎え方がありますよ」というケーススタディだけでなく、豊富な経験から「死の分類」「老衰」「延命治療」「看取りの作法」について論じている。
・死の分類
 人間の死には4つの分類がある(28ページ)
 1.肉体的な死
 2.精神的な死
 3.文化的な死
 4.社会的な死
 -身近な人との関わりが大切だと思う。家族・友人・最期まで自分に関わってくれるあらゆる人との関わり。
 -忘れられること、忘れられないこと、社会的な死は、肉体的な死よりも続くもの。  -意思表示は、肉体よりも続くもの(精神的)
・親の死に目に会えないの本意は、「親よりも先に死ぬこと」であり、立ち会ってほしいこととは少し違う。

(以下引用)
・老衰こそが理想的な死(38ページ)
 すべての臓器の力がバランスを保ちながらゆっくり命の続かなくなるレベルまで低下していく(こと)。一部が衰えて、他に元気な部分があると苦しい。
・口からご飯を食べられなくなったら、胃ろうで延命するか、手足から直接血管に針を入れる抹消点滴か、皮下点滴で老衰による死を待つか、もしくは何もしないか、この3つの選択肢から選ぶ。(159ページ)
・点滴だと体力が回復しない。急性期には胃ろうの選択肢も考える。
・看取りの作法(240ページ)

2019年6月2日日曜日

長尾彰『宇宙兄弟「完璧なリーダー」は、もういらない』学研プラス、2018年。

・ご縁ある方が上梓されたので、確認読書しました。
・グループファシリテーションとチームビルディングの現場からの豊富な事例と、漫画『宇宙兄弟』の引用とで、「リーダーシップ」像を浮き彫りにしており、内容がイメージしやすく、大変読みやすい本である。
・リーダーとは「生き方や働き方のハンドルを自分で握っている人のこと」と定義しており、「それは、あなたがすでにもっているもの」「『発揮するか、しないか』の違いでしかない」「他者だけでなく、自分に対しても発揮されるもの」とする。
・著者のファシリーテーターとしての経験と、そこで見聞きし、出会った人たちから「シェイク」されたことを、率直に素直に表現している定義であると思われる。
・相手に興味をもち、よく観察すること、コミュニケーション量を増やすこと。「タックマンモデル」を意識する、チームビルディングなど、具体的な行動レベルでの助言も多く表されている。チームで仕事をするすべての人に勧められる一冊。
・2019年のGW浜松市に帰省した時、地元の本屋さんで平積みになっていました。

森岡正博『電脳福祉論』学苑社、1994年。

・ヒトの生き方を考える上で、科学技術という背景は切り離して考えることはできないだろう。科学技術は、それが何であれ、我々の生活の中に入り込み、生き方に大きな影響を与えているモノ・コトである。
・それらが、別分野のものとして整理されてしまっているものも多く、私も今まであまり意識してこなかった。しかしながら、それらは日進月歩で進化・変化しているものである。
・森岡氏の提唱する「生命学」は、一貫してこの点を強調し、それらの結びつきの中で「よりよく生きる」ことを論じている。ただ、20年前の私はこの点について、興味はもちながらも「本論ではないもの」として隅にとどめる程度にしてしまっていたと思う。
・技術的な背景があり、社会的な未来予測をする間、今とこれからを生きる私が「どう生きるか」「よりよく生きる」とは何なのかを問う姿勢が、生命学の本質に近づくためのキーワードになるのだろう。
・本書は、25年ほど前の対談集であるが、当時各分野で最先端を走っていた研究者達に、上記のような関心をもった森岡氏が持論を展開し、論点が広がり、深まっていく軌跡が描かれている。
・一部、難しい部分や、ある論述が対談社に論駁されていく様子も記されている。ただ、基本的には無痛文明論が芽を出し、花開く手前のイメージが確かに現れていると思われた。
・学生の頃には流し読みにしたきりになっていた本著であるが、日々新たな技術が世に出される現在だからこそ響く内容であると感じた。

(以下引用)
ⅳ 議論の渦の中心にあるのは、先端テクノロジーと生命をどう考えるかという問い、言い換えれば、情報技術社会における人間の福祉の問題であった。
4 メディアは常に人間の身体を拡張するだけでなく、人間の心も拡張するし、魂も拡張する。
10 電脳社会の特徴として、シャーマニズムとテクノロジーとの奇妙な合体というのがあると思う。つまり、それは、人間の事故変容にかかわる。身体においても意識においても、いままでの情報の処理の仕方と全く異なったテクノロジーが、意識と身体の変容を生み出しているということです。
28 サイボーグ化は、そういう人間のこだわりや執着を克服し、かなえていく一つのプロセスかもしれない。そしてサイボーグ化がとことん進んで、極限の身体性というものがもたらされた場合、そこでは葛藤やコンプレックスはほとんど消滅し、後天的な「完全な意識」が生まれて来るかもしれない。
33 将来本当に意味のあるテクノロジーというのは、苦しみを回避するんじゃなくて、逆にそれらを引き受けるテクノロジーなんですよ。苦しみを引き受けることによって人は奈落の底に落ちるかもしれないけど、それによって人間は成長することができるわけです。こういう人間の逆説を支えるような、新たな文明の形が出てこないと、いまの社会はますます人間の生命を枯渇させてゆくでしょうね。
70 人工臓器化は、集中治療室のように身体を維持するための人工臓器群と、もう一つは閉じこめられてしまった精神活動を解き放つ人工臓器群の二種類に大きく分類することができる。心や精神を解放する人工臓器が、バーチャルリアリティとかマルチメディアとかパソコン通信じゃないかと。
104 進化していけるようなプログラムが自律的に発生して、それが増殖して多様性を増していった場合に、それは一つの自然の系だと言えるんじゃないでしょうか。(補足:自然の本質?)
131 人間が自由と自己決定を拡大させていくこと自体が、実は大きなシステムの効率的な流れの一部となって取り込まれてしまうんじゃないか。
132 そういうネットワーク型社会における人間の自由の保障は、巨大なシステムの微細な管理とコントロールに裏付けられることによって初めて可能になる。
134 将来は、機械にサポートされながら生きていく老人・障害者・病人がマジョリティを形成する社会が、いずれ到来することでしょう。
135 身体のどういう場所が欠損していて、どういういところを機械によって補っているかによって、価値観もむちゃくちゃ多様化してくる。
137 健常者がマジョリティの社会では、マジョリティの人々によるある一つの“標準型”というものが認定され、その標準型からはずれていく程度に応じて多様性が生まれてくるという世界感がある。
162 テクノロジーが人間の自由の範囲をどんどん拡張してゆく結果”不自由”の範囲が縮小しはじめていて、そのおかげでわれわれ先進国の人間は”自由”の価値を実感できなくなってるんじゃないでしょうか。言い換えれば、自由を味わうことから疎外されているんじゃないか。
164 人間の自由は何かと定義することは、自由に対して規定を加えることになる。
168 生命というものが、自由でない領域から操作可能な領域に変わりつつあります。(略)その延長線上で進むとすれば、今までの文化的伝統に類するものが次第次第に衰え、勢力を弱めていくであろうと、私は思う。どれだけ協力な伝統であろうと、かつての勢力はもはや持てなくなると思います。
172 データがあれば社会問題がひとりでに出てくるのではなく、そのデータは大変な問題をはらんでるんだと誰かが政治的に創作して、はじめて社会問題となる。
182 政策の根拠となる報告書をどんどん出すべきです。
185 脳死なんかもふくめて、生命倫理の問題とは、情報化社会のメカニズムによって「作り上がられる」ものなのですね。いままでの生命倫理研究では、この情報社会というファクターが全く無視されてきました。(略)情報社会というのは、科学知識を含めて情報が正確に流れる社会ではない。
200 私は、生命倫理も、電脳メディア論も、マジメにやっているのです。なぜかと言えば、この二つの問題は、ともに現代の先端科学技術が、人間社会と人間の生命に対して突きつけている、文明論的な根本問題だからである。二十一世紀においては、生命を問うことは電脳メディアを問うことになり、電脳メディアを問うことは生命を問うことになるのだ。

出口汪『頭がよくなる!大人の論理力ドリル』フォレスト出版、2016年。

・「論理」とは「規則にしたがって、言葉を速く正確に使」うこと。(P4)
・私たちは、物事を「言葉」を使って考える。その言葉遣い(違い)が速く・正確ならば、「論理力がある(高い)」と評価され、一方で、その言葉使いが巧みであれば「感性がある」と評価される。
・論理が明確な文章であれば、多くの人に伝わる、わかりやすいものになる。一方で、感性豊かな文章は、それが分かる人にとってはより正確により情報量のある理解を得ることができる。
・論理と感性、いずれも言葉を用いるもの。相反するものではなく「ともに、言語処理能力を高めることで、鍛え、磨きあげることができる」もの(P204)。
・地味なドリル形式の本。文学作品に込められた論理を取り出して、論理力を意識した読み方ができるような問題で構成されている。おそらく、ターゲットは私のような一般人向けなのだろう。現代文(小説)程度の内容であると思う。
・文学作品を論理的に、言葉をおいながら丁寧に読むことをこれまでやってこなかったので、本著の内容は大変新鮮だった。

(以下、引用)
4 規則にしたがって、言葉を速く正確に使えれば、「論理力」となります。言葉の微妙な使い方が巧みになれば、豊かな「感受性」となります。
6 論理力が身につくと、次のような能力がどんどん開花していきます。 ①文章を論理的に読み、理解、整理することが楽になり、速読にも威力を発揮。 ②人の話のすじみちを、瞬時に理解できるようになり、のみこみが速くなる。 ③読み取ったことを論理的に考えることによって、思考能力が身につく。 ④自分の考えをすじみち立てて話したり、論理的な文章を書けるようになる。
10 文学作品とは、実に感覚的なものだと、思い込んではいませんか?もちろん、筆者の独自の世界観や鋭い感性がそこにはあるのですが、それを不特定多数の読者に伝えようとするとき、いきおい文章は論理的にならざるを得ないのです。
22 述語から、主語をつかまえることがコツです。
23 文章を論理的に読む基本は、「主語?述語」をおさえることだと考えてください。 同 言葉は必ず他の言葉とつながります。(中略)感動詞以外は必ず他の言葉とつながっているのです。
25 接続語に着目して読むのが、論理的な読解の第一歩なのです。
28 すじみちの立て方=論理は、大きく分けて三つあります。その一つが、「イコールの関係」です。(具体例、引用)
29 あるいは、反対意見Bを持ち出して、それをひっくり返します。そのようにして、自分の意見Aの正しさを説明できるのです。こういったものを、対立関係といいます。
31 論理的な文章では、筆者の主張Aと、その次の主張Bとの間には、「因果関係」が見られます。(中略)「だから」で結ばれた関係が、「因果関係」なのです。(「だから」の前に理由がくる 122)
64 小説の風景描写は視点となる人物の目を通して描かれるもの(略)風景描写には、その視点人物の心情が投影されているのです。
79 小説を読むときは、自分の生活感覚で読まないことが鉄則。
118 主語が省略されるのは、基本的に前の文と主語が変わらないときです。

○現代文読解法(出口汪『NEW 出口現代文講義の実況中継①』語学春秋社、2007年、62,63ページより。)
1.文章を「論理的につかむ」
(1)人間は皆先入観を持っているから、客観的に文章を読むということは不可能である。
(2)だから、自分の頭を信用してはいけない。
(3)入試問題の文章は、論理的である限り一つの結論・主張(A)の形を変えて何度も繰り返す構造になっている。同じ主張を反復しているのだから、それらの主張を重ねて解釈しなさい。
(4)この作業によって、先入観がおおい隠していた影の部分が光の部分と重ね合わされ、そこではじめて筆者の主張が正しく把握できることになる。
2.言葉を「文脈で固定する」
(1)言葉というものは所詮、個人言語であって、一人ひとりの感覚や知識の度合いによって様々な使われ方をするし、また状況や場合によっても揺れ動くものである。
(2)だから、筆者の個人言語を読者の個人言語で理解しようとしてはいけない。筆者の言語は筆者の言語の中でつかむということ。
(3)それは、とりもなおさず、文章の前後関係、つまり文脈から言葉の意味をつかむということである。