2018年1月28日日曜日

今後の抱負を示す一文字

ほう-ふ【抱負】
 心中に抱き持っている計画や決意。
(広辞苑より)

 昨年度、職場でこんな課題が出されて、私は「根」という字を発表しました。意味するところは、(1)前職の雇用条件から岡山-山梨-埼玉(富士見-所沢)と拠点を変えてきて、所沢で3人目の子どもが生まれたことをきっかけに、仕事の都合で家族の生活拠点を変えてしまうことに違和感を持ってしまったために転職する決心をしたこと。(2)生活拠点が定まったため、土地に「根」ざした仕事に取り組みたいこと。(3)民間企業とはちょっとことなる公的機関出身者であるため、職場での「根」の張り方を考えていきたい。といった説明をしたのだろうと思われます。
 よしよし、切り抜けたと思ってから10か月。再度、同じ課題を出されて「さて、どうしたものか」と考えているところです。経験者枠で地方公務員になった私としては、人事に対して自分の希望を強く主張する必要もなく、「や~めた」と言わない限りは身分が保障されていることから、これまで以上に「ヘラヘラといい仕事をする」ことに磨きをかけていこうと思っているわけですが、専門性を伸ばして尖った存在になったところで、異動一発で役に立たなくなる可能性があり、自分のキャリア形成を考えた時に一言にまとまらないもどかしさを感じているとことです。
 ベタなところでは「伸」とでもしておいて、(1)立場を変えてもやることに大差なし。自分が伸びれば、情報の質が変わる。成長の可能性が広がる。(2)「根」を張ったから「伸」びるだけ。「伸」び方考え中。(3)自分が「伸」びないと、後ろが「伸」びない、みたいな感じでまとめていくのだろうけれども。さて、もうひとひねりないものか。

2018年1月27日土曜日

ジブンゴト

自分のことを振り返って最近実感していること。
何事も「自分の事」として関わるか否かにより、そのことから学ぶことの大きさが変わるということ。
「何を今さら」と言われるのだろうけれども、40歳を前にして意識に顕在化したとても大きな気づきです。
何が大きいのかというと、このことが自分(iyokiyeha)だけのことではなくて、世の中全ての人に当てはまっているのだろうという感覚を得たことです。
最近、AudioBookのレパートリーが少し自己啓発的なものが重なったことによって、自分の経験を対象に向き合ってみる時間があったからだと思うのだけれども、この「ジブンゴト」に気づいた意味は大きい。
わかりやすい例だと、「○○合格率97%!」みたいな広告があったときに、そこから読みとれる意味に広がりがでる。この広告から「じゃあ自分も合格できそうだ」と飛躍した理解一つで終わってしまうのか、それとも「結構な実績だ、テキストがいいという根拠だな」と広げてから、実績を裏付けるしかけに注目していくのかというように行動が変わってくることになる。
今までどんなに教材に触れていても上達しなかった英語学習も、あるドラマをしっかり観たい!と思って英語に触れるのとで、全く成果が変わってくる、みたいなことです。
他人をうらやむばかりでなく、周囲を眺めながら自分のスタイルをよく検討して、「これだ」と思うものにはこだわっていく。そんな姿勢を確立していくための根っこになりうる「ジブンゴト」。この立場でいろいろ見直してみたいと思う。

2018年1月6日土曜日

老いと向き合う 2018年抱負を兼ねて

あけましておめでとうございます。
細々と続けているBlogですが、iyokiyehaの思考の足跡にもなっているので、このページを閲覧してくださっている皆様につきましては、どうぞ今後ともよろしくお願いします。

さて、今年は新年明けて1日に浜松へ帰省し、昨日5日の夕方に所沢市へ帰ってきました。
ここのところの私の関心は、仕事どうこうは置いておいて、実家の、特に母親の老いに関することになってきました。
身体的にはあちらこちらの痛みを訴えるものの、特に大きな問題はなく、むしろ健康体。
であるにも関わらず、物事の忘れの度合いが大きく、日常生活にも若干の支障をきたしつつあるというところです。
私は離れて暮らしているので、帰省の度に「話が重なるなぁ」とか「さっき言ったのに」と思う程度でしたが、半同居している父親や姉にとっては、なかなかストレスになってしまう症状のようです。
昨年5月に地域包括支援センターへの相談へ言ったことを皮切りに、夏には姉同伴で再度相談、その後秋口にかけて、認知症の検査を受けたのですが、診断としては「加齢に伴うもの」とされてしまったようで、特に積極的治療はなくここまできているという経過です。

iyokiyeha本人としては、「認知症の診断が出ていない以上、加齢に伴う認知機能の低下」であるとして、母親が何かを忘れてしまうことを前提に関わり方を変えていく、ということが知識としてはあるわけですが、同居していない以上、それをそのまま同居している父親や姉たちに求めてしまうのは、どこか他人目線になってしまいそうで。
さて、いかがなものか。私はどのように母親と向き合うのか、家族と関わるのか、というのが目下一番の課題であり、考えどころであると思っているところです。

率直なところ、転職して仕事に燃えるかというと、そうではなく、プライドは保ちつつも人生の休養期間をもらったと思い、ヘラヘラ過ごしていたら、やはりこういう課題に直面するのだなと感じています。決して怠惰に過ごしていたわけではないのですが、仕事「だけ」に邁進しなかったから見えてきた視野のように思っています。

こうした背景もあって、帰省後に整理した今年の抱負は、
1.加齢に伴う身体機能の変化および認知症に関することを、きちんと学ぶこと。
2.障害福祉関連法規および制度を概括できるように学ぶこと。
3.上期に世界史、下期に日本史を通読すること。
としました。

いずれも、効果測定しにくい目標ですが、今は手あたり次第のところがあるので、きっかけを作ってどんどん文献に当たっていきます。それぞれ、自分の言葉で語れるようになることが当面の目標かな。
1.は背景となる実家の事情への対応を含めています。一人称、二人称として我が家の課題に向き合うことを切り口に、必要な情報は集められるだけの学びと人脈を作っていこうと思います。
2.は仕事との接点です。障害福祉の専門家として立っていくかどうかは今後の課題や周囲の評価で決めていくとして、自分が今所属している部署、関わっている仕事をそろそろ概括できないといけないかと思っていることからの目標です。関連法規は都度都度目を通していますが、それらを横断的につなぐことができていない現状から、一歩踏み出して俯瞰していくための学習を深めていくことで、ケースワークに留まらないこの分野での取り組み可能性を作っていきたいと思います。
3.は、1.2.をさらに広げていくための教養として、まずは通史に取り組み、世の中の動きを自分なりに読み解く視点を作っていきたいと思います。とりあえず歴史ですが、このことに関連して読書量を増やしていこうと思っています。

とはいえ、ここ数年は実家のこと中心に考えていくことになるんだろうなと思います。離れて暮らすことを選択した時点から、こうなることは予想していたので、どっしり構えて考えていこうと思っています。