2011年4月1日金曜日

Professional detachment

相変わらず、原発を巡る様々な言論が飛び交っています。
天災ではなく人災だと、私の友人も意見を発しており私自身もそう考えています。

ここ数年の動向を、少しだけ俯瞰してみると(全体像はまだ私には見えていません)、CO2削減目標(25%削減というやつです)と密接に連動しているのだろうなと感じるところです。
原発って政府はずっとクリーンエネルギーだと言い続けてきたわけで、そこには「原子力発電ならCO2はほとんど発生しませんよ」という背景があったのでしょう。そして、原子力のリスクについては世界に事例があり、それを引きつつも「安全性には配慮している」と言い続けてきた、というのがこれまでの経緯でしょう。

ここにきて、政府の見解や、専門家の意見というものを数々見聞きするようになり、また、カウンターパートとしての市民の意見も情報として入ってくるのですが、果たしてどれが真実なのか。
データを読み解くだけの知識がなければ心理にたどりつけないのか、とも考えられるわけで、そこには「自分」の存在が少なからず浮かび上がってきます。

何をもって「安全」というのか。
私が職業生活の中で、特にこの半年くらい意識し続けている言葉の使い方と一部重なるのですが、この「安全」基準があまりに不明瞭で、統一感がないのが、最近の議論の「かみ合わなさ」になっているような気がしてなりません。
ここのところを、専門家が独立性をもって整理してくれるといいのですが。やはり、自分で調べていかなければいけないのかな。今のままだと、「余計な」情報が多すぎて、どの切り口から読み解いたらいいのかがわかりにくいですね。

父親としての判断ができずに、もどかしさを感じているこの頃です。