2022年12月4日日曜日

対談を浴びきった! Voicyフェス 2022

 Voicyフェス2022(10/27-29)に一部参加して、11月はアーカイブを聴きまくり。11月下旬の自宅待機の時にもちまちま聴いて、11月末になって、すべての対談を聞きおわりました。

 対談はすごいボリュームです、そしていろいろな刺激がありました。パーソナリティの一人一人が個性的であるのに加え、対談によって話が深まって展開して更に深まっていくという流れが、それぞれの対談から感じ取ることができます。この3日間+アーカイブ11月分で学んだことは以下の通り。

・自分の価値観だと信じられることは、いわゆる社会の価値観に流される必要はない。特に数的評価指標は、取り扱いに注意すること。数字ばかり見ていても先はない。

・Web3の時代は、個で生きていく時代。組織に所属する・しないではなく、個として生きていく覚悟とその手段に価値がある。

・ツールそのものではなく、その使い方を個の生き方に活用していく発想で経験を蓄積し、視野を広げることが求められる。

・物事の質を追求することと併せて、モノによってはその質をビジネスの視点で広げる発想が求められる。ビジネスが置き去りにされるものは、社会の共有材になり得ない。

・表現されるものの根底には、その人の生き方や、集団の意思が反映される。それらはいわゆる「バズる」とは重なりつつもずれが生じる。ただバズらせればいいというものばかりではない。

・短期間で集中して取り組んで成果を出すことも大切だが、何かを長く、継続することによって成し遂げられることもある。思考を行動に、行動を習慣にするのには、継続することが必要。

・気の持ちようって大事。前向きな気分をつくることで、ポジティブなものが見えるようになる。自分の中に軸を作ることで、他人の批判をうまく受け流せるようになる。

・個人の気分は、自分の思考だけでなく、身を置く場所にも影響を受ける。

・自分にとって、本当に必要なものって何か。それほど必要ないものは手放すことで自分の気落ちが楽になる。


思わずうなった対談のちょっと感想は以下。※あくまで個人的な感想です。●はオンエア中に聴いたもの、■はアーカイブで聴いたもの。★は個人的なおすすめ。一部省略しています。

10/27 StageA

●後藤達也×DJ Nobby 個人経済メディアがくる!

 多様化する時代に、発信側も多様性を意識する。来てもらった人に残ってもらうために求められるのは、人としての品格や信頼感。

●武田双雲×鴨頭嘉人 人を動かすコミュニケーション

 日本を元気にするには、自分が元気になることによってしかない。

●茂木健一郎×ジャルジャル後藤 笑い脳

 舞台に出てきたときに「この人は笑っていいんだ」という感じがあるとウケる。脳科学的には「安全基地があるから、チャレンジできる」いわゆる「安全基地」をどう仕掛けるか。

■茂木健一郎×後藤達也 専門性とネット社会

 世界経済は個人の行動まで影響がある。世の中が変われば、プラットフォームもめまぐるしく変化する。メタバース、音声メディアを含め多様化するツールをどんなターゲットにどう使うか、受け手のリテラシーも問われる。

■西野亮廣×PIVOT佐々木紀彦 時代の転換点の作り方・乗り方

 ブランディング、実績の作り方、見せ方。今後はNFTのウォレットをポートフォリオ化してアピールの材料にするなど。海外でも通用するものと日本でしか通用しないことがある。作品を作るチームの発想。

■渡部陽一×田中慶子 世界の聴き方★

 柔らかい選択肢を自分の中にたくさん持つこと。納得できる自分の環境を作ることになる。通訳は言葉の向こうにあるものを届ける仕事。たくさんの情報を受け取る立場として、「あらゆる情報を選択肢として受け止める」ことが、人生のあらゆる選択の役に立つ。

■渡辺将基×MB 個人の影響力をどう活かすか

 発想の転換も必要だが、とにかく視野を広く保つこと。ただ、拡大によってできることが増えるとは限らない。事業にも適正規模がある。何事にも適切な事業規模がある。基本は個人×個人を大切にすること。

■けんすう×COTEN深井龍之介 人と社会はどこにいく

 歴史は未来予測にはならないが、現代を読み解く膨大な事例集。未来を読み解いた人はいないのに、それでも参考になる、学び続ける人がいる。


10/27 Stage B

■ニシトアキコ×鴨頭嘉人 これからの幸せの必需品

 追うことも、手放すことも、幸せだと思えれば、自分がよければそれでいい。未来が「希望」ならば、今がマルになる。自分の力を超える何か、を知っていると、自分だけの力ではなく、「私たち」の感覚になる。自己否定に感謝はない。

■DJ Nobby×伊藤洋介 日本の政治と経済どうなる?

 若い人にとって政治家が魅力的でない。首長、市議会、県議会には若者が入る余地があるが、国会は今のところ無理。新風に期待を込めてネット民達が票を入れたが、結局なにもやっていない。次は投票そのものがなくなる危険。当選した人たちに使命感が全く見えない。

■ニシトアキコ×朝倉千恵子 自分の魅力の見つけ方

 「人を見て態度を変える」のが好きじゃない。オカマから「あんたみたいな中途半端な女が嫌い」と言われたことをきっかけに、「女性らしい」所作、身のこなしを教えてもらった。男の社会で張り合ってきたが、女性は愛嬌がなければ愛されない。本質は内面、魂の美しさが外面に出てくる。経験を積んで出てくるもの。

●のもきょう×田中慶子 世界を知ると見えること

 正解ありきで自分や社会を見てしまう窮屈さに気づく。語学を学ぶことによって、自分にも、他人にも肝要になれる。なんでもいいや、になれる。世界が広がる。常識が常識でなくなる、境目がぼやける。

●中島侑子×稲垣沙織 私らしく生きる

 理想の自分が「するだろう」判断を積み重ねていくと、理想の自分に近づく。判断基準を自分の中に持つと選択が楽になる。

■箕輪厚介×渡辺将基 猛獣の調理法

 仕事の目的に焦点を当てる。人に好かれる必要はない。迷ったら前に出る。

■佐々木紀彦×猪瀬直樹 社会を変える人を増やすには

 末端が権力を持つことになる。多様な価値が取り込まれないから価値が固まってしまう。

■西野亮廣×けんすう これだから人はおもしろい

 ゼロイチはまず当たらない。今あるコンテンツをうまく利用できる形が望ましい。ダメなものに見切りをつける知恵。

●MB×箕輪厚介 これから来る人おわる人

 数字でバズらせることも大事だが、良いコンテンツをつくりこむことはもっと大事。エンゲージの高い人に長くリピートされるのがストレスのないビジネス。


10/28 Stage A

●阪口ゆうこ×香村薫 私たちは何を目指すのか

 文字は、相手の捉え方・気分によって伝わり方が変わる。相手次第。声は感情が乗せられるからか、影響力は強い。

●香村薫×精神科医Tomy 心の片付け方

 辞める、捨てる、手放すと「楽になる」。生まれてから死ぬまでが「生きている」だけであって、ちょっと良くなればいい。どうでもいい=あるがまま、になると気が楽。

■石田勝紀×デジタルミニマリストあやじま 幸せに必要なこと

 幸せの秘訣。他の人や情報に一喜一憂しない。目に見える評価だけが評価ではない。

●かぜのたみ×まあち これからの暮らしってどうなる?

 がんばらない方が何事もうまくいく。モノを減らして不幸になっている人はいない。

■まあち×ワーママかお 夢の叶え方

 成果がでると、「向いている」とか「才能がある」とか思ってしまいがちだが、膨大な努力や継続して取り組んできた土台がある。とにかく何かを続けること。

■るろうに心理カウンセラー×オノチャンミニマリスト シンプルさって何?

 ミニマリストという生き方。大切なものを見極める。自分にとって、大切と言い切れないモノや習慣、行動を手放すと楽になる。

■朝倉祐介×宇野常寛 インターネット、これからどうなる?★

 Webの世界が、承認の交換増幅装置になってしまっている。自分とモノとの接点を強烈に作っていく、今まで注目されなかった価値観が大事。啓蒙によって価値観をつくる。

■パジ×白木夏子 次の時代の見つけ方

 技術を純粋に理解すると、利用の可能性は未来に広がっている。ブロックチェーンはデータ上に引き継がれるもの。大衆化するものと本質とはズレる。

■企業分析ハック×妄想する決算 忘れられない決算書

 決算書は過去のもの。その企業の安定性は分かる。「儲かる会社」は分からないが、投資で「やってはいけないこと」はわかるようになる。

■川原卓巳×木下斉 これからのブランディング

 日本の価値の適正価格を学ぶこと。世界で言うビジネス感覚と、日本のよさを知ってもらうことは、ズレがある。薄利にしてしまうことに品のなさを感じる。勝ちを褒める土壌は必要。


10/28 Stage B

■くわばたりえ×OURHOME/Emi 今だから言える、暮らしのしくじり

 いろいろやってあげることで、できない子に育ててしまう「しくじり」。自分と異なる価値観から「信じられない」と言われても、自分の中に軸があればショックにならない。

■くわばたりえ×白木夏子 大胆に生きるには

 小さな悩みを自分で大きくしているだけ。あまりにも緊張している人が目の前にいると、一緒に緊張できない。人が集まって、それが安心できる場だと大胆になれる。人に活かされている。チームでやっていく。

●精神科医Tomy×るろうに心理カウンセラー 「今」の受け容れ方

 物事が悪化するのは突然。どうにもできない先のことを考える必要がない。共感と傾聴はほとんど自分でできる。書き出してクリアにすることで整理できる。

●虹色の朝陽×石田勝紀 家族との向き合い方

 あせらない、諦めない。こうしなきゃ、ああしなきゃ、と思わないよう「言い続ける」。日常会話が大事。

■大学教員/スポーツ栄養士ながたか×かぜのたみ 落ち込んだとき、どうする?★

 みんなそれぞれ振れ幅が違う。他者との比較の中で優位性を探すのではなく、自分の状態に思いを巡らすのがいい。理想の自分との比較は奮起のきっかけ。比較「対象」が大事。自分で変えられること、自分ではどうしようもないことの両方があることに気づく。上を見たらきりがない。情報がいくらでも得られる環境で、落ち込むための環境がそろっている。反応するからしんどくなる。

■OURHOME/Emi×川原卓巳 ちょうどいい私らしさとは

 大きくし過ぎない「ちょうどいい」やり方。サイズ感は勝手に超えにくるけど、安易に拡大に走らない。依頼が入りまくる、いい仕事ばかりだと無理しがちだが、適正サイズを意識して捨てていくことが本質かも。

●木下斉×たいろー 社会人これからどう学ぶか

 どうありたいか、もあるが「どうありたくないか」を考える。嫌いなものはそんなに変わらない。やりたくないものをやらずに、軌道修正していく生き方。過剰ラーニングになりかねず、混乱のまま終わることもある。インプットは良質なモノを適量に。

●企業分析ハック×緒方憲太郎 これからVoicyが世界を変えるには

 誰でも発信できること(Web2.0)はいいことだけじゃない。本当にいいコンテンツはユーザーが決める、が成立するのは運営側の思想が浸透しているから。自由の中では、心の弱さがむき出しになる。構成員の質によって結論が変わる。一定の品質保証が保たれている安心感をVoicyでつくる。


10/29 Stage A

■バブリーたまみ×LILY せっかくなので、ぶっちゃけます

 注目を浴びることと、自分が自然でいることとは、一致するわけではない。人間はポジだけでなくネガも存在する。人から批判されること、受け止め方・かわし方はそれぞれ。

■エリサ/ミニマリスト×モンテッソーリ教師あきえ ワクワクの見つけ方

 ワクワクは自分に余白がないと見つけられない。物事を手放したり、整理することで見つかる、挑戦することによって、化学反応のように新しいものが生まれる。

■バブリーたまみ×星渉 シン・自分らしさ★

 「自分に許可を出す」ことが自分らしさ。幸福度は伝染する。自分の敵は大体自分。

■大手町のランダムウォーカー×oishi haru尾石晴 いつまでも学び続けるには

 学ぶには王道を押さえること。必要だから必要なことを学ぶ。自分のタイプを見極める。短期集中の方が効率はいいけれども、長期間継続することで身につくこともある。

■小川奈緒×芳麗 ご機嫌に生きるには

 何をもってご機嫌とするか?不機嫌じゃなきゃいい。ご機嫌の基準を上げすぎると、かえって下がりやすくなってしまう。「ちょうどいい」が大事。言語化できるようになると、俯瞰できるから、解釈を変えることができる。

■竹中平蔵×大河内薫@税理士 お金の教育で社会を変えるには★

 悪人は止められない、善人は味方してくれない。それを突破していく胆力が必要。いつやっても時期尚早。両方から反対されるときは間違っていない。立場によって見え方が違う、物事には両面がある。変えられないことはたくさんあるが、変えられそうなこともたくさんある。

■伊藤洋一×青木真也 死ぬまでにやりたいこと★

 生きていることは存在。存在をつぶしにきたら、徹底的に戦うだけ。相手の存在=大事にしていることは攻めない。尊重。お互いのプライドがルール。

●竹中平蔵×oishi haru尾石晴 次の世代に何を残すか

 開示する。やるべきことも、弱さも。反対勢力を恐れない。自由に生きることを支え続けること。

■大河内薫@税理士×伊藤洋一 私たちで世界を変える★

 社会を変えたい仲間。掟は、人の夢を笑わない。行動は、夢を語る。自治体ハックする。よってたかってトップに届ける。戦う相手は既得権益とそこにしがみついている人。


10/29 Stage B

■ひうらさとる×星渉 知る・届けるの極意

 きちんと届けるには、まっさらな目で見直すこと。脳は「頻繁に起こること=重要」、と認識する。脳は主語を理解しない。ネガティブ表現は自分に跳ね返ってくる。ポジティブ表現で溢れさせると、いいことが見えるようになる。

■LILY×エリサ/ミニマリスト いま私たちにできること★

 自分が管理できる量を超えてしまう苦しさ。苦しさに気づいたから、好き・嫌いで手放していく。強さとは頑固さではなく、透き通った強さ、しなやかさ。

●kagushun@精神科医×かねりん Web3時代をどう生きるか

 Web3は、可能性とともに、今まで以上に人間関係が問われることもある。生き方の選択肢としてのメタバース。新しいことに挑戦する人たちの中で、マウントの取り合いが起こってしまう。

■荒木博行×かほこママ 道に迷えば○○の方へ

 起業(課題解決・ソリューション)には、段階がある。顕在化した課題と、本質に迫る問いとが混在する。時流を読むことも、読まないことも大切。迷わないための、人生の定義。やるべきことを決める。迷う前に続けろ。

■ひうらさとる×荒木博行 今知りたいこと、知るべきこと★

 KPIをどう設定するか?続けることが大切。価値基準を外に求めないようにする。両輪。燃えている人にも左右されず、世の中の「べき」に消されないよう、種火を燃やし続けることが大事。

■Madoka Sawa×プチプラのあや 挫折をどう乗り越えたか★

 自分の挫折を自分で定義して落ち込むのは勝手にどうぞ。他人のことをあれこれ言うのは野暮。できることをやればいい。やれることしかできない。Web3は「個として立つ」世界。ふらふら生きる。どこにも拠っていない。

■たいろー×Madoka Sawa シン・キャリア

 点をつなぐのは意思、自分の意味づけ。挫折を負い目と定義するか、学びと定義するか、これらも自分の意思。「失敗したことがないんですよ。でも、思い通りの結果がでたことはない」という最強の思考。

■青木真也×kagushun@精神科医 戦う心の持ち方

 恐怖は肉体的な怖さではなく、自分の存在が消される怖さ。すべてを出すことが戦う心だと思う。着飾れるから、戦わなくてもいいのが今の世の中。


2022年11月6日日曜日

最近考えること 時代の最先端をいく対談を浴びながら

  先月末に開催されたVoicyFes2022に参加して、今(本日は11/5)でもアーカイブを聴きすすめている。メモをとりながら聴いている対談が多いので、膨大なメモに埋もれているところだ。昨年から何気なく参加しているこのVoicyFesだが、今年は仕事を早く切り上げるなどして参加している。音声配信サイトVoicyのパーソナリティ達が、3日間に渡り対談を繰り広げるというこのイベント。思うところがないわけではないが、基本的には大変刺激的で学び多い、価値観への影響も大きいと思えるイベントである。

 去年も、Webのトレンドや、ライフスタイルに関することに触れる対談はあったが、今年はより広がる深まる対談ばかりである。個別にあげていくとキリはないのだが、現時点で自分なりに集約してみると、

・数値化される価値観、例えばフォロワー数とか再生回数などは、ビジネス視点の立場からは指標として重要といえる。ただ、個人の生き方にとっては検討の余地が大きい。数的評価指標が承認欲求増幅装置となっている雰囲気も見え隠れしているのが現在といえる。

・Web(2.0)において、個人が世界中に向けて発信できる環境が整ったといえる。そこで人間が全体的に賢くなったかというと、そう言っている人はいない。些細なこと、ちょっとしたこと、どうでもいいことにコメントをつけることで、コメントをつけた人の自己満足を満たす(可能性がある)だけであって、対象事象・物とつながって深めていくような使い方ができている事例は「探していかないと見つからない」。

・ビジネス視点と物事の質の視点というのは、関連しながら異なるもの。車の両輪のような関係にある。数的評価指標として見える化される物事は、ビジネス視点の立場で世界を見るヒントにはなる。物事の質の視点というのは文化を作る原動力となるものであって、日本においては「本質を極める」という文脈で語られることがある視点である。現在の日本では、後者に重きを置く動きはあるが、前者(ビジネス)が置き去りにされている。

・Webツールは、人生にも影響を与えるものとして位置付く。ただ、本質を外した使い方ができるものでもあり、むしろ世の中の話題はそういったことに注目を集めていく。いわゆる話題性(バズる)という価値観が増大していく。

といったことを感じ取っている。

 おそらく、自分にとってはいい刺激を一杯受けているのだろう。もちろん、何十人も対談者がいるわけなので、私の価値観には合わない人もいないわけではない。どうにもかみ合わない、と感じる対談があったのも事実。ただ、そういった内容のものであっても、それを一旦自分の中に取り入れることで、価値観がより立体感をもって、世の中の視野が広がるような気がする。チケット代3,800円をどう考えるか、であって、これを高い、と断じるのは簡単だけれども、私にとっては「気に入った対談が3つもあれば元をとれる」と思える内容です。

 気になる方はチェックしてみてください。私は来年も参加予定です。今年の対談も11月中はアーカイブで聴けます。

2022年11月4日金曜日

中川なをみ作、白石ゆか絵『マグノリアの森』あかね書房、2022年。

 図書館シリーズ。小学生高学年~中学生向けの小説は、病院の待ち時間とかで読めてしまうので手軽でよい。『屋根に上る』ですっかり味をしめてしまった。
 幼い頃から気管支が弱く、ぜんそくっぽい症状のある卓(たく)。父親の転勤が中国に決まり、身体のことを考慮して海外へは行かず、田舎で暮らす祖父宅で暮らすことになる。都会から農村への生活の変化、人間関係の変化の中で、自分を見つめて開放していく物語。
 とはいえ、祖父宅で幼い頃からの知り合いアズサとの関わりと、祖父が大切にしている山の花畑に植えられたマグノリアの花々、生活環境の変化に伴う体調の変化から、それぞれが好きなこと、歌うこと、踊ること、踊ってみることを見つめ直し、生活を変えるきっかけにしていく様子を描いた一冊。大変手軽で、表現も平易、穏やかに物語が進行するので、安心感のある物語である。
 文学は、感情描写が背景描写に表れる、と高校の時に習い、そういうものだと思って読んでしまうが、児童文学の一部には、伏線だと思っていた表現がそのまま放置されてしまうかのように読めてしまうことがある。これは単純に背景を切り取って描写していると読めばいいのだろうと、最近になって思えるようになってきた。単純に物語を楽しむことを最近になって思い出している図書館シリーズでした。

かみやとしこ作、かわいちひろ絵『屋根に上る』学研プラス、2021年。

 図書館シリーズ。最近は、次女(小学校2年生)が読めるもの、だけでなく、自分がさらりと読めるもの、も選んでいる。本書は後者。題名もさることながら、表紙のイラストと内容をパラパラ見たところで借りてみた。

 中学生男子のちょっとした人間関係に、祖父と接点のあった高齢男性(田村さん)とその大工仕事が関わってくるお話。思春期手前のもやもや感をそのままに、大人が大人の理屈と子どもたちに寄り添う様子を描いている。ちょっと関わりがとがった感じのある友人一樹とのやりとりを中心に、主人公の思いや田村さんの気遣いが暖かい。

 心があたたまる読み物に触れるようになり、こういうティーンズ向けの小説って、若い時にもっと読んでおけばよかったなぁとも思うようになる。シンプルな言い回しの中に、ちょっとした心の動きが描かれていて、それでいて本当の意味での悪者がでない、どこにでもある日常にちょっとしたドラマがある。ほら、実際の生活は小説より奇なりとも言えるくらい、身近なところにいろんなことがあるだけでなく、いわゆる「普通の生活」にも人は迷うことがあり、合理的でない行動をとる。その背景には、それぞれに様々な思考があるわけで、こうした小説にはそうした「普通の生活の中にある心情」が描かれている。悪者が出てこないので、読んでいて心地いい。

新井紀子『AIvs.教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社、Audiobook版。

 以前、キャッチーな題名と、AIの認知度が高くなってきた背景から、ベストセラーになっていた本。聴取のタイミングと、『僕とアリスの夏物語』の読書時期とが重なったので、相乗効果も手伝っていくつかのことがわかった1冊。

 AIは人間の脳機能とは異なるしくみで機能している、ということを様々な角度から説明している。基本的には、人間の脳が物事の「意味」を理解して出力することができるのに大使、AIは基本的なしくみが数学にあるため、論理・確率・統計が現時点での限界となっている。もちろん、数学的な思考によって現在の枠を超える可能性はあるものの、数学によって記述できないことは、現時点でAIの機能として期待することはできない。特に「意味」の理解と出力については、AIの深層学習によって身につけることは現時点では不可能であると結論づけている。

谷口忠大『僕とアリスの夏物語』岩波書店、2022年。

 Amazonポイントアップセールの時に、後1冊購入したいタイミングでリストの上位にあった1冊。小説とAI解説、というキャッチコピーに「わかりやすいかも」という期待を込めて買った本。新井氏の『AIvs.教科書が読めない子どもたち』とも相まって、自分の中でのAIに関する理解は少し深められたのだと思う。

 物事を「認識する」ということに焦点を当ててみると、人間の脳がいかに多様なものをいかに質的に分類しているのだと気づかされる。質的な分類というのも、A=Bといった単純な結びつきではなくて、その要素を分解し、部分や全体を自在に他の事物と様々な形で意味を持たせて結びつけている。しかしながら、AIの理解というのは、(1)コンピューターの言語に置き換えられる事・モノであること、(2)テキストデータとの結びつけは可能だが背景となる言葉の意味までは把握・理解することはできない、という特徴がある。また、本書後半の物語で表現されるように(3)人間の生活には、論理では(今のところ)表現しきれない矛盾が無数に存在している、という限界がある。

 解説部分は、雑誌記事のような専門的な内容を含みつつも、一般向けに説明を試みている。今まで読んだAI解説の中では、大変わかりやすい内容であった。それを補ったり、発展させたりする意味で、本書の物語の果たす役割は大きい。

 AIに関する理解を深めることと合わせて、人間の認知(機能)の理解を深めるのにも訳に立つ1冊といえる。

瀧本哲史『ミライの授業』講談社、2016年。+Audiobook版

 著者の瀧本哲史(たきもと・てつふみ)氏は、2019年に若くして亡くなられましたが、『僕は君たちに武器を配りたい』がベストセラーになり、注目されるようになったエンジェル投資家、経営コンサルタントで、京都大学で教鞭をとっていたことでも知られています。

 「ミライの授業」といいながら、本論は古今東西有名無名(無名といっても知られていないだけ)の伝記。でもテーマは、今を生きる若者(14歳の中学生に行った講演録、とのこと)に未来を切り開くための知恵を語るもの。

 歴史をひもとくことが、未来を語ることになる。その歴史は、聴く人・読む人にとって人物像だけでなくエピソードが魅力的であることが大切です。古代から現代までの19人を描きつつ、未来を生きる中学生(14歳)に語った講義録です。伝記として取り上げられる人の生き様は、これからを生きる現代人であっても参考になることばかり。参考になるように瀧本氏が見事にデザインした講義を展開しています。

 今年(2022年)もっとも感銘を受けた本といわれたら、この本を挙げます。歴史上の著名人について、その功績の要点を説明しながら、これからの社会を生きる若者に向け、変化の時代を生き抜くためのヒントを示し、その伝記とヒントを結びつけて、自分を見つめ直すことと、一歩踏み出すことを説く講義です。これはライブで聞いた中学生には響く内容なのではないか、と感じるほど、活字で読むのであっても迫力のある内容でした。

2022年9月24日土曜日

思い出したことは美談になりがち

  このBlogは、ビューが5~10件なので何の発信力もないのだけれども。以前から個人的には思うところがあって、最近一言にまとまってきたこと。

「『人生の決断』とか言うけど、そのほとんどは結果であって、自分語りをする時に言葉になるだけのこと。」

「人生の交差点・分岐点は、その時にはわからないこと」

 似たようなことは、カウンセリングの時にいろんな人に言ってきたけど、結局「何かを選ぶ」悩みのほとんどは仮の話であって、同列の選択肢が自分の前に提示されることはほとんどなく、だいたいは「自分の意とは異なる具体的な選択肢と、自分の思い通りになった時の仮の話」を天秤に並べて迷うもの。実際は「具体的な選択肢にのるか/すてるか」ということだけである。

 もう一つ言えば、上のような判断って、日常の延長線上で行われるものであって、その時は意味をもって選択肢が迫ってくるわけではない。といことは、その時の気分や準備の中で何気なく選んだことが、後日・後年思い出した時に「意味づけられる」だけのことである。結局は自分の中のことであって、何度も言うけれども、選択肢が意味を持って迫ってくるということではない、といえる。

 先日、そういえば就職活動やっている時にこんなことがあったなぁ、と仲間と話していた時に「人生の決断ですね」と言われたことに対する違和感から、こんなことを考えました。だって、飲み屋で「ウチにこい、俺が面倒みてやる!」と名刺をくれたのだけど、翌日強烈な二日酔いとその人というよりは背景の不信感が拭い去れず、結局履歴書ださなかった、というだけのことだもん。履歴書出していたら、今所沢にはいないかもしれないのだけれども、どうなっていたか、なんてわかんないじゃん。

 そのエピソードだって、就職活動を思い出して、半ば美談にしていたからそう聞こえたのだろうし、その時だって自分の職歴を「環境活動か/教育活動か」だなんて将来を選んだつもりはない(その後、雇用支援から自治体職員になるなど、想像もしていなかった)わけで。

 だから、楽しいよね。っていうのと、世にはびこる「目標指向を人生に適用する」できるのは、ごくごく一部の人達の営みなのだろうと思うわけです。

林誠『どんな部署でも必ず役立つ 公務員の読み書きそろばん』学陽書房、2020年。

 コロナ陽性(2022年8月:オミクロン株の時期)の症状が軽快し始めた時に、少し頭に負荷をかけようとして選んだ一冊。

 こんな本を書ける人が職場の先輩にいるという心強さと、基礎基本を今一度確認をと思って手に取る。私が中途採用者であることと、前職から今までも含め、どちらかというと「事務職らしくない」仕事ばかりやってきているので、勝手知ったるところでも、窓口や現場に立つことに何の不安もないのだけれども、いわゆる中堅事務職員に求められる技能(の一部)はすっぽ抜けている自覚があるので、こういう基礎基本は本当に心強い読み物だった。

 現代的なスキルとして、統計の読み方や、ファシリテーションに触れているなど、「このままでいい」と思えるようなことも、予算科目のざっくりした読み方(「報酬」か「報償費」かとか「工事請負費」と「修繕費」の違いとか)、何度聞いてもよくわかっていなかった地方交付税の算定式とか(「基準財政需要額」-「基準財政収入額」で求められる。後者はある程度積算可能だが、前者は国の裁量で係数が毎年変わるなど)地方自治体の全体を見通すための言葉が、平易にまとめられており、そんな意味でも心強い一冊。

岡田憲治『政治学者、PTA会長になる』毎日新聞出版、2022、Kindle版。

 本書との出会いは、我が家で購読している『毎日小学生新聞』の広告欄。2020年度にPTA会長に就いていたIyokiyehaさんは、その職を退いた今でもPTA活動には興味がある。とはいえ、今は関わろうとはしない。ありがたいことに個人的には勧誘してもらえるけど。振り返れば、IyokiyehaにとってPTA活動は2勝5敗くらいの感覚で、そのうちの1敗分が「あー、めんどくせ」に変換されてしまったために、おなかいっぱい、になってしまったのが現実。とはいえ、当時からもやもやと頭や心に残っていたものが、すーっと言葉に整理された読後感のある一冊だった。

 考え方や思いは、おそらく私と近いところにあったように読み取れるのだが、その受け止め方や対峙の仕方、そして取り組みは数段階進んでいるようだ。会長の任期が異なる(私は副会長2年、会長1年。著者岡田氏は会長3年)ことも大きな違いだが、役員ポイント制や区市町村P連との関わりなど、似たような問題意識への取り組みと着地点のイメージ、実際の乗り切り方が全く異なっており大変興味深い。PTAは「やるべきもの」ではなく「やったほうがいい、あった方がいいもの」であることや、「多くの人が気軽に学校と関わるしかけ」を持つべきとする根本的なイメージは重なる部分が多い。ただ、それを「自治の課題」と位置づけて、原理原則を確認した上で必要なもの・こと、そうでないもの・ことを分類し、整理していったあたりの経緯は、(おそらくここに描ききれない出来事が細々あったのだろうが)読んでいて小気味良いものだった。参考になった。

 特筆すべきは、役員ポイントでもベルマークでも感じたことだが、集まって雑談することの「ガス抜き機能」を明確化し、自由な活動の中にきちんと位置づけていること。それを正当化するために「挙手制、提案制」のボランティア活動を推奨してたきつけ、本部役員はコンセプトキーパーに徹していること、など、おおよそ私がイメージですら到達しえなかった、ベクトルの先にあるものを具現化している。

 「PTAかくあるべき」ではなく「それぞれ原点に返って、見直したほうがいいんじゃない?」と訴えかけてくるような一連の取り組み記録である。政治学者ならではの分析も鋭いが、専門用語で切り分けていくのではなく、あくまで運動・活動の内面から立ち上がる「感情」を大切に、あくまで活動のためのガイドとなりうる内容にまとまっている。他の論考や記事には「PTAは不要」と断じてしまうようなものもある中にあって、本書の整理は「PTAの役割を再構築」しているものであり、これは、原点に返ることから現在と個別の学校の状況に即した活動があるはずだ、とする主張の書である。

 PTA関係者や子を持つ親に「考えること」を促す、大人の良書といえる。

森島いずみ『ずっと見つめていた』偕成社、2020年。

 図書館シリーズ。ティーンズ向け小説。新刊の棚に並んでいて、装丁が素敵で手に取った一冊。

 妹の化学物質過敏症候群を理由に、埼玉県浦和市から山梨県南アルプス市に転居した一家を描く作品。自然の恵みや人情ばかりでなく、地方のよそ者扱いや都会へのあこがれなども描かれている。小説ではあるが、派手ではなくむしろ普通のありふれた日常を描いており、淡々と心温まる内容になっている。

 浦和のマンションを売って、母親の夢だった地方で食堂を開店する。素晴らしい材料を母親が料理の腕をふるうのだが、地元の親玉のようなおじいさんが「よそ者め!」と言って回るので、近所の他の人もお店を使いづらくなっていく。近所づきあいも少しギクシャクするのだけれども、ある事件がきっかけで・・・という、よくあるお話なのだけれども、一家の人柄がよかったり、近所の人たちも根がいい人達だから、きっかけでカチリと歯車が合えば、コロコロと事態は展開していく。読んでいて、穏やかなのに何かこころが暖まる、そんな読後感のある小説でした。

 願わくは、続編を読んでみたい。

白石優生『タガヤセ!日本 「農水省の白石さん」が農業の魅力教えます(14歳の世渡り術シリーズ』河出書房新社、2022年。

 農林水産省の公式You Tubeチャンネル「BUZZ MAFF」で活躍されている、白石さんが中学生に農業の魅力を語る一冊。これは面白い。

 動画コンテンツは、ながら観ができないのと、コンテンツの質がどうしても玉石あることから、あまり利用しないのだけれども、そんなIyokiyehaにあって、時々再生しているYouTubeチャンネルの一つ「BUZZ MAFF」。農水省の取り組みを、動画コンテンツとして若手官僚が作成し発表する活動で、チームによって差はあれど、公的機関の広報を根本から考えさせられる取り組みといえる。公務員あるあるが絶妙な感じで織り込まれ、手作り感がたまらない。ただ、その内容は奇をてらってモノだけではなく、きちんと国の施策をとりあげており、ありとあらゆる方法を使って、広く伝えようとしている姿勢が見て取れる。Iyokiyehaイチオシのチャンネルである。

 その中心人物の白石氏。農業への興味から、身近な農業、進んだ農業、今の農業について、現状から課題、対策まで、身近でできることを語る。端々に、ちょっとした蘊蓄も盛り込まれ、冷蔵庫やスーパーから農業を考えられる一冊にまとまっている。大人が読んでも本格的な内容で、食料自給率など広い課題にも触れつつ、ただその語り口は14歳向けで大変わかりやすい。言葉選びのセンスはあるのだろうが、それ以上に九州勤務~現在を通じて、相当勉強されているのだろうと察せられる。

 まだ20代、若手官僚でありながら、広い見識とその伝え方は、たとえ農業に興味のない人であってもちょっと気になってしまうレベルで、それは日々のBUZZ MAFFや本書を通じて感じ取れる。とはいえ、彼にはまだまだ語ることがあるだろうし、今後の活躍にもついつい期待してしまう。

kagshun『精神科医kagshunが教えるつらさを手放す方法 幸せになる超ライフハック』KADOKAWA、2022年。

 Voicyで何気なく聴き始め、現在私のプレミアムリスナー枠に収まっている、元世界一周バックパッカーで精神科医による著書。「精神科医のココロに効くラジオ」で語る、人の性格に関する分類や、心の病気の概説を、ウェルビーイング(Well Being)と結びつけて、生活に役立ついろんな知識やアドバイスが書かれている一冊。

 元々私にとってラジオ番組がコツンと響いている人の著書なので、内容はすんなりと入ってくるし、自分が知っていることと、その周辺の+αの知識に加え、「それを生活に活かすための具体的な方法」を理論に基づき説明している。いわゆるよくある「ポジティブ思考」にも似ているのだけれども、ここで一つ視野が広がったことは、「健康を追い求める社会=幸せな社会とは限らない」という言葉。ちょっと振り返れば当たり前のことで、人間易きに流れやすく、私もその例外ではなく、目の前の快楽を優先してしまうことがあるわけです。ただ、それは全部が全部悪いわけではなくて、自分で納得していれば「それもアリ」と思える、「いい/わるい」じゃなくて「幸せ」というもっと先の生き方を意識すれば、目の前の明らかな健康に悪いことでも「その場で結構楽しいもの」は、それはそれで自分の生き方を豊かにする一つになり得る、ということ。「生き方の正解はひとりひとりが決めていい」ということです。当たり前のことだけど、改めて言葉にしてもらえると、きちんと意識できますね。万人におすすめの一冊です。

 音声番組の方では、精神疾患に関してかなり突っ込んだ話題や、逆にゆるゆる軽々な話題まで多彩な話題が満載です。精神科医が一般、それもどちらかというと若者や当事者向けに病気の解説や背景・歴史を説明することがあり、これが大変勉強になります。G氏を褒めちぎっていたり、私の志向とは合わないものを取り上げることもあるので、ズレを感じるところもありますが、それも視野を広げるきっかけになると思えばアリってことで。

鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』講談社、Audiobook版。

 戦争をモチーフにした作品は、自分なりに違和感をもって読み進めることにしている。なぜか?私が気になるのは、個人内の公と私のせめぎ合いだ。「戦争に参加している、そのときの体験、思考を描き切っているもの、逆に言えば公や世間体といったことに染まり切っていないものに、接することができたと思える機会は、それほど多くない。

 そんな背景の中で本書は、Audiobook.jp内で評判がよかったことと、率直に題名に惹かれた、ということがある。特攻、反抗、という言葉がキーワードになって、自分の目にとまったというのがきっかけだった。

 想像以上の生き様が描かれている、と思った。「特攻兵として9回(くらい)出撃して、生還した」というすさまじい実績を一旦おいておけば、一兵卒として何十機という航空機や船を沈めたわけではなく、小説『永遠のゼロ』で描かれた宮部久蔵ように類い希な操縦技術をもっていたわけでもない。そして、崇高な自己犠牲精神の表れた行動や、国を守るために身を犠牲にするという行動もここでは強調されない。ただ一点、「航空機乗りとしては、一機でも多く敵国船を沈め、失敗しても何度でも沈めに行く」というプライドと、そのプライドを支える「必ず生き残る」という気迫と行動は、この書籍を貫くテーマであり、ある人の「生き様」と言ったときに語られるべき歴史なのだと思った。

 戦争末期にかけて、日本の風潮が「お国のために死んで参ります」を褒め称えるようになってきており、軍隊を描いたものには十中八九「華々しく散ってこい」「お国のために死んでこい」と上官に命じられる様子が描かれる。一部では事実だったのだろうし、こうした側面があったことは否定しない。個人の中にそうした意思が全くないとも思わないし、きっと何かきっかけがなければ、自分を鼓舞することはできないこともあったかもしれない。こういう描写を多く見かける戦時中の読み物にあって、本著(の基となった人物、ササキトモジ氏)の記述内容は、読む(聴く)たびに驚くことの連続である。特攻の不合理さを暗に指摘し、特攻作戦でありながら、爆弾を投下する発想をもった上官、その説得を受けて飛行機を改造した整備士、生還するも他の上官から鋭く徹底的に罵られ、「死んでこい」と言われても言われても、それでも何度も生還する肝のすわり方。何度も続ける内に誰も口にしないが「こいつを死なせてはならない」と援護し続ける直掩機パイロット達、戦没者に名を連ねられ帰国の目処が立たない絶望の淵にあっても彼を励まし続ける仲間達・・・

 ササキ氏のプライドを気迫が周囲の認識と行動を変えていくあたりは、迫力だけでなく感動してしまうようなエピソードであった。個が公を超えて、人間としてあるべき在り方が広がっていったかのような感じがした。

 初めは聞き流すつもりで購入したAudiobookでしたが、その内容のすごさから思わず聴き入ってしまいました。戦争物に抵抗がない人ならば、おすすめの1冊です。

2022年9月20日火曜日

齊藤飛鳥『子ども食堂 かみふうせん』国土社、2018年。

 個人的に「子ども食堂」に対しては、なんとも言えない魅力を感じており、老後の視野の隅に入っていたりする。カミさんには反対されるだろうけど。あこがれから手を出した、というわけではないのだけれども、最近、いわゆる「児童文学」っぽい読み物も気楽に読むようになったので、あの「国土社」さんの出版物(以前、『月刊社会教育』を取り扱っていた出版社)ということや、Amazonセールであと1,000円くらい買いたかったことなど、いくつかの偶然が重なって手に取った一冊。

 八百屋のおかみさん「あーさん」が月2回ではじめてみた子ども食堂「かみふうせん」と、そこに集まる子ども達の物語。両親が突然出て行ってしまった女の子、芸能活動をする妹を持つ男の子、テーブルトークゲームが好きな家族の一人で自称「地味」な女の子、レストランを経営する一家の男の子。みんながちょっとした生きづらさを抱えていて、「かみふうせん」にくることで、生き方の選択肢が増えた、というシンプルな短編集。シンプルでわかりやすい。

 制度面の大人の理屈ではなく、子どもの課題解決事例とも言い難い物語。フィクションなのだろうけど、巻末に参考資料など掲載しているあたり、著者は丁寧に取材しているか、子ども食道の運営に関わっておられるのだろう。特別な物語のように見えて、おそらくこんな事例はあったのだと推察される。見方によっては重大な事件にも見えるし、本人にとっては生活そのもの。事実は小説よりも奇なり Truth is stranger than fiction.と言われますが、まさに、そういうことかもしれない。読み物と見せて、実は身近によくあることなのかもしれない、なんて思いながら読みました。

 とはいえ、こんな風にあーだこーだと考えるのも大人の発想かもしれません。読んでちょっとほっとする、派手なハッピーエンドじゃなくて、地味な一歩前進のお話なんだけれども、こころを暖めたい時にパラパラっと読みたい一冊です。

■引用

80 強いやつと戦う勇気がないのをごまかし、弱いやつをつぶして自分をなぐさめているだけの、絵に描いたような負け犬が、このおれだからだ。

定野司『マンガでわかる!自治体予算のリアル』学陽書房、2019年。

 少し前に紹介した『はじめての自治体会計0からBOOK』と併せて、今年度の異動に伴い読んでみた一冊です。マンガで事例が紹介され、それに解説が入るという構成。予算とか会計とか、数字や字面を追わなきゃいけないことですが、言葉になじみがない自分に合わせて入門書を選んでみました。

 率直に、読み物として面白いかと問われたら、派手さはないし、地味だし、ドラマのようなわかりやすい二項対立の表面化、みたいな話ではないので、面白いとはいいきれません。ただ、自治体の予算は、金額の多寡はさておき、本著にとりあげられているような、住民の生活と隣り合わせの、当たり前の、どこにでもある、地味なことの積み重ねでなりたっているわけで、本著の狙いは現場のど真ん中、とも言えるでしょう。こういう視点(つまり入庁して予算から身をひいていた、長年さぼっていた私の視点)で読めば、じわりじわりとしみこんでくる内容で、予算の原則(財政担当課の立場)と担当課の立ち位置などは大変よく表現されていると思います。

 私の仕事で言えば、ここ3ヶ月ほど歳出ばかり気にしていましたが、歳入あっての歳出であって、この視点をフォローできたのはこの読書のとりあえずの成果です。ただ、使い方の意味や補助金設計によって伝わる(伝わってしまう)メッセージといった、自治体財政の常識、的なことまで触れている内容なので、予算編成前にもう一度読んでおきたい本でした。

 ただ、時間を戻せるのであれば、入庁初年度くらいに一度読んでおきたい本だったな、と反省を込めて、でも良書に出会えたのは収穫です。

湯本香樹実文、はたこうしろう絵『あなたがおとなになったとき』講談社、2019年。

 図書館シリーズ。

 私は、もう大人になった(なってしまった)わけだけれども、子どもの頃に見た空や街並みは大人になって見え方が変わるのだろうか。答え 変わるものと変わらないものがある、というごくごく当たり前の答えに帰結します。

 実家に帰ると、40年前に見た景色が見えることもある。ただ、やっぱり変わっているものがほとんどです。人間関係はどうだろう?もともと私は、実家に帰ったからと連絡をとって会う人はそれほど多くない。とはいえ、学生時代からの付き合いの人と会うと、一気に20~30年くらいタイムスリップするような錯覚を覚えることがある。それほど不思議でもきれいなものではないけれど、それでも人の記憶は時間を超えて、記憶を今と結びつけることを軽々と、そして意図せずにやってのける。

 「大人になって、この空を一緒にみるのは誰なのだろう」とこの絵本は語りかける、過去が自然と思い出される、そんな絵本でした。

上間陽子『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』太田出版、Audiobook版。

 沖縄をフィールドにする研究者上間氏による、風俗業を生業とする女性たちの生活を描くもの。社会学的な学術分析が加えられたフィールドリサーチです。

 本著でとりあげられた女性たちが、「沖縄人ならではの行動」をとっているかというと、そうとは言い切れません。おそらく、日本のどの街にも似たようなことは無数にあり得るのだと思います。そうした厳しい状況におかれている女性たちへの膨大なインタビュー、調査によって執筆された一冊です。

 ただ、本著の特徴を私なりに表すなら、沖縄出身の著者が、沖縄で研究活動(社会活動にも近い動き方をしているが)を行ったことにより踏み込めたことがある内容と言えるように思います。沖縄ならではの家族関係と思われるような記述も随所に見られます。そして、そうした沖縄で生活する女性たちの行動を理解し描くにあたっては、著者の背景が少なからず影響していると思われました。

 この手の女性を描くルポルタージュによくある、配偶者やパートナーからの暴力、他人が見て良いとは言い難い家族関係、希薄なのか偏りなのか判断つきかねる友人関係、行政サービス・民間支援サービスとの未接続、こうした背景に本人の知的能力の低さがうかがえる言動が見え隠れすることなど、調査から感じたことをうまく描き出しています。よくよく読むと(聴くと)、言動の質は男女差があるとはいえ、社会的な背景まで読み解いていくと、性差による違いを超えた共通点が見え隠れします。「男女差」ではなく、「生活者」という視点から見える背景は、結局行政サービスの未整備だけでなく未接続、という事実が浮かび上がってきます。自治体職員の私としては素直に学ぶべきことだと思いました。ここまで深めてみてようやく、そこに性差をきちんと事実として把握しなければ、有効な支援、というのは設計できないでしょう。このことを強く感じた一冊でした。

 暴力的な言動があったとしても、それでも関わってしまうという「共依存」関係へのアプローチ、傍から差別的と見えても、それをもって関係が変わらない家族関係。その土台に「孕む」存在である女性という事実が関わってきます。沖縄という土地の特徴ともいえる低賃金、シングルマザーとして生きるための生活の糧の確保、支援者がこうした複合・複雑な「ヒト」と関わるために最低限必要なのは、何度「予想外」に直面しても「かかわりあい続ける」ことしかないでしょう。複合・複雑で先が見えない状況にあっても、まず目の前のことに取り組んで、まず一つ解きほぐしていく。次に出てきた課題にまた取り組む。時に二歩進めずに三歩下がることがあったとしても、「裏切られた」と思ったとしても、再び自分の前に表れたら、その時からまたやりなおす。そのやりなおしはゼロでないかもしれない、マイナススタートかもしれない。それでも何度でもどれだけでもかかわり合うことでのみ、その人にとって救いになり得るものだと思います。

 その人にとってたとえ筋にならない一点でも光に見えるのならば、それが希望になる。そう思って関わり続ける、立場を変えて支援を設計する、そういう気概がつながった時に、いわゆる「不幸」が一つずつ減っていく、そんなイメージが「かかわりあう」ことの本質だと思いました。

2022年9月6日火曜日

喜多川泰『運転者 未来を変える過去からの使者』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2019年。(書籍版)

 相変わらず喜多川氏の小説。『君と会えたから…』を買った書店を再び訪ねたところ、同じ場所にこの本が陳列されていた。私はAmazonさんで購入したけれども、ちょっとしたご縁を感じた出来事でした。あらすじは省略ですが、私くらいの年齢(現在43歳)、30代~40代後半くらいの方におすすめです。宗教色がないので読みやすい。

 上機嫌でいること、運は貯めてから使えるようになる、運の総量は現世で消費しきれるわけではなく、自分の運も現世のやりとりに留まらない。即効性はなくとも、自ら運気を転ずる(良くする)ために必要な習慣を、小説のモチーフとして語るもの。

 様々な伏線が張られていて、随所でそれを回収しつつ、一方で触れるにとどまり謎のまま通り過ぎていくものもあり、行間で読ませるしかけもあったりと、読み物としても単純に明快で面白い。それでいて、言葉の使い方が巧みであるのも著者の小説の特徴といえるだろう。謎のままもやもやしながらも、このすがすがしい読後感は何だろうと思える一冊でした。

■以下、引用

58 「いつでもどこでも、明るく楽しくいることだ。いつでも、どんなときでもな」

65 運は〈いい〉か〈悪い〉で表現するものじゃないんですよ。〈使う〉〈貯める〉で表現するものなんです。だから先に〈貯める〉があって、ある程度貯まったら〈使う〉ができる。少し貯めてはすぐ使う人もいれば、大きく貯めてから大きく使う人もいる。そのあたりは人によって違いますけどね。どちらにしても周囲から〈運がいい〉と思われている人は、貯まったから使っただけです。

106 「なるほど、上機嫌でいるというのは、楽しいことを期待するのではなく、起こることを楽しむと決めるということなのかもな」

168 実際に今の自分がやった努力の成果が自分に対して表れるのは、普通の人が考えているよりもずっとあとになってからです。それこそ十年とか、場合によっては百年とか・・・

蟹江憲史『SDGs入門 未来を変えるみんなのために』岩波書店、2021年。

 仕事で作文をする時に、「SDGsの項目を踏まえて」という条件が付されることが増え、真面目に勉強しておこうと思い、図書館で借りてきました。先に、斉藤幸平『人新世の「資本論」』のSDGs批判を読んでいたため、ちょっと批判的に考えていたのだけれども、きちんと読めば、やはり、持続可能な社会・世界を目指すための入り口だと分かり、ないがしろにするものではない、ということ。斉藤氏の批判についても、「単に『いいことをしていると思い込めるだけで、足りない取り組みを繰り返す』だけ」という地点ではないことも整理できた。

 要は、SDGsの目標というのは、何か業を起こしたり事業に取り組む時、開発を行う時に、それが何の目標に当てはまる取り組みで、取り組みの結果その目標となる分野がどのように「改善」されていくのか考えるフレームワークだということ。かつ、他のどの目標に影響を与えるのかを考えるフレームワークであるということ。これらを通して、持続可能な社会・世界にどのように寄与するのかを考えるためのフレームワークとなりうる、ということだと理解した。

 だから、SDGsの項目に当てはまることを「やればいい」のではなく、目標を通じて何を成し遂げたか「考えること」がその本質である。さらには、政治的合意で成立したものであり、各目標の整合性(こちらを達成すれば、他方も達成するなどの連動)は目標レベルでは未調整の段階であるため、他への影響を「考慮する」ための切り口となりうる。

 この背景には、答えのない問いに対して取り組むためには、不断の取り組みが必要であり、今のところ行動やその結果を相対的に評価するしかないわけだ。持続可能な社会や世界を目指すための現時点での到達点といえるだろう。

 本書は、様々な「前向きな」取り組みを目標に落とし込む理屈、そして他への影響への視野を、豊富な事例を基に丁寧に論じている。中学生向けと言ってあなどるなかれ、今まで読んだ本、論考の中でもトップクラスのわかりやすさだと思う。


中村朱美『売り上げを減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放』ライツ社、Audiobook版。

 これはいい意味で期待を裏切った一冊だった。題名のインパクトに惹きつけられて聴いてみた一冊だったのだけれども、「佰食屋」(ひゃくしょくしゃ)という名称(漢字)にも表れているように、売り上げを基に考える経営から、人を基に考える経営へのシフトチェンジを描く飲食店の奮闘劇といえる。

 ローストビーフ丼をキラーコンテンツとして扱う飲食店が、販売量を制限するという発想と取り組みによって、働きやすさと管理された利益を出し続けるというビジネスモデルを提示する。売れるものを「売り続ける」のではなく、無理ない目標数を「売り切る」ことを標準とすることによって、他の目標への取り組みを強調できる。知恵を絞ることができる。

 ちょうどバスケットボールのピボットみたいに、ある点を固定すると他の部分が動くようになるイメージが浮かんだ。固定することができないと思い込んでいる「売り上げ」を敢えて固定(一定数を「売り切る」ようにする)ことで、思いもよらなかった成果(昼営業だけで事業が成立する)が生まれる。「働き方改革」と手探りで各社が取り組んでいることを、一足飛びで超えていく感じがした。その発想として「売り上げを固定」しているわけだ。

 どの業種、どの仕事にも「売り上げ固定」を当てはまるということを学んだのではなく、「何かを固定することで、自由になる何かがある」ことと「操作できないと思い込んでいることがある」ことを学んだ一冊だった。

喜多川泰『君と会えたから…』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2006年。

 以前Audiobookで聴いていて、素敵な物語だと思っていたのだけれども、先日本屋でばったりと出会うことができ、衝動買いしてしまった。『手紙屋』シリーズにも通底するところがある。要は、自分の可能性を小さく固めてしまうな、ということ。

 病に冒されたある女の子とのやりとりで物語は進んでいく。生まれてまもなく亡くなってしまった父親が残した「生き方メモ」のようなノートを、まるで生きている父親からの教えであるかのように学び、それを伝えられる主人公。半信半疑が別れという出来事を通じて確信に変わる、とまぁよくある現代小説ではあるのだれども、それでも読ませるのは喜多川マジックなのだろう。

 大変読みやすく、全体を通して明るい雰囲気の中で語られる内容は、万人に通じる人生訓とも言うべきものばかり。とはいえ、なかなか一歩踏み出せないのが人間なのかもしれないけれども。

 「成功」と「幸せ」を自分なりに再定義する、ハルカの講義は以下の構成(引用)

1 自分の欲しいものを知る

2 夢を実現させる方法を知る

3 経済的成功の真実を知る

4 魅力溢れる人になる

5 手段を目的にするな

6 できないという先入観を捨てる


ジョージ・ルーカス原案、岡崎弘明著『脱走大作戦 -ヤング・インディ・ジョーンズ11』文藝春秋(文春文庫)、1993年。

  シリーズ11作目。前作『硝煙の詩』でドイツ軍の捕虜となったインディの脱走劇。相方が若き日のドゴールというのも面白い。

 第一次世界大戦を一兵卒から描いた前作とは打って変わって、今作はエンターテイメント性が強く、『モンテ・クリスト伯』のような脱走劇に、魔女狩りの歴史がスパイスとなって読み物として大変面白いものになっている。テレビシリーズ当時も屈指の好きなエピソードでした。

 脱走なんてのは、ドラマの話だと思っているけれども、実際には結構あった出来事なんだろうな。とはいえ、トンネルを掘って逃げる「ショーシャンクの空に」みたいなものもそんなに件数があったとは思えないけれども。今作もトンネルあり、孤島あり、棺桶ありと何でもありの物語になっている。一気に読ませる勢いがある。


ディヴィッド・S・キダー 『1日1ページ。読むだけで身につく世界の教養365』文響社、Audiobook版。

 歴史、文学、芸術、化学、音楽、哲学、宗教をテーマに、365本のトピックを列挙したもの。いくつか続き物はあるが、基本的にはどこから読んでも役に立つ内容となっている。歴史の教科書の太字になっているトピックを、その背景や関連する人物、出来事とともにコンパクトにまとめられている。確か書籍版も見開き4ページくらいで一つの話題がまとまっていた。文学で紹介されている小説などは、ちょっと読んでみようかな、という内容で紹介されているし、音楽や化学なんかは、普段あまり接することがないので大変面白い。専門的な内容であっても、徹底して一般向けに書かれているので、読みやすい。

村上和雄『生命(いのち)の暗号 -あなたの遺伝子が目覚める時』サンマーク出版、Audiobook版。

 以前、就職活動の時に知り合って、いろんな話をした方からいただいた本が確かこの村上氏の著書だったと記憶している。「Something Great」人智を超えた何か、というもの(こと?)の存在を仮定し、科学者でありながら理屈では考えられない何かの存在を意識している姿勢は、大変好感がもてるし、私は科学者ではないけれども共感する。


池谷裕二『記憶力を強くする -最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方』講談社、Audiobook版

・海馬の働きについて、最新の知見を一般向けに論じたもの。様々な「記憶」について、その分類や特徴について紹介している。

・鍛え方、といっても体調と連動することや、年齢を重ねたとしてもそれ即ち忘れっぽくなるわけではないことなども紹介されている。高齢になったとしても、脳は働き続けるということだ。

川又千秋著、ジョージ・ルーカス原案『硝煙の詩 ヤング・インディジョーンズ10』文藝春秋(文春文庫)、1993年。

 シリーズ10作目。若き日のインディの活躍・・・であるが、今回は第一次世界大戦に従軍したインディが直面した戦争の真実、を描く小説。

 舞台は1918年、フランスのソンムの史実。総力戦と言われる第一次世界大戦における塹壕戦の最前線。銃弾飛び交う最前線で、一兵士として、仲間が銃弾に倒れる中、生きることの意味や、戦争の無常をこれでもかと突きつけられるインディを描く。

 子どもの頃って、バカだから、私はこのシリーズの中でこのお話は上位ランクのエピソードだったんだよね。戦闘シーンなんて何回も観ていた記憶がある。敵陣トンネルを抜けたらマシンガンの銃座の後ろに出てきて、そこから手榴弾で銃座を吹っ飛ばして・・・という一連の活躍にドキドキ高揚したのを覚えている

2022年7月10日日曜日

最近気づいたこと つまらない情報、代理戦争

 広告に対する不満は何度か取り上げているが、まとめてみると、①短期的成果を求める風潮、②成果とは概ね金銭・容姿のこと、になってくるように思う。最近だと、選挙関係のものも表示されるけれども。

 いい広告ってないなぁ、と思うのは私だけかもしれないのだけれども、動画広告になったことをいいことに、なんだかかわいらしい女性をモチーフにしたものや、やたら「何もしないで儲かる」みたいなことを強調するなど、30秒の広告なんかほとんど見ないとはいえ、何となく目に入ってくる内容はそんなものが多い。不覚にも目を向けてしまうものもまれにある。とはいえ、不思議なもので「30秒の広告」よりも「5秒の広告」の方がうっかり見てしまうことが多い。5秒に内容を詰められれば、それくらいの時間は負担してくれる(してしまう)人はいるということだ。

 いちいちイライラさせられるのもアホらしいので、何か(家事とか)しながら流してしまう、そんな風に「捨てられていくコンテンツ」が少なくない中で、絶妙なのか、うっかり騙し撃ちなのかわからないけれども、超短時間でも中身のあるコンテンツならば「捨てられないコンテンツ」になりうる、ということは学んだこと。


 コンテンツつながりでもう一つ。あるゲームを2か月くらいやってみて、資本主義の現場の原則みたいなものを感じ取った。要は、

・お金の無限性(いくらでも稼げるし、いくらでも使える)。

・稼ぐためにやること(やったほうがいいこと)はいくらでもある。

・いくらでもあるから、なんだかいつも追いまくられる感じがある。

・何かに注力すると、ついつい時間を費やしてしまう。

といったことだ。まぁ、あくまでゲームだからそこまでだけれども、商売にはこういう側面があるということは感じ取り、学んだこと。あとは飽きたら削除するだな。スマホのゲームなんて、こんなもんだ。こんなことに課金したり、時間の浪費をするのはもったいない。


 「代理戦争」というと歴史の話のように聞こえるけれども、そうではなくここでは人間関係の話。ある人Aさんが、他のある人B君のことを気に食わないのでこらしめてやりたい。でも、B君の言うことは正論だったり、間違ったことを言わないので、なかなか陥落できない。Aさんにとっては、そんなB君もまた面白くない。そこでAさんは、B君と共通の友人であるCさんを利用することを思いつく。CさんはB君にもはっきりものを言うことができる。そうなると、AさんはCさんに「B君に対する気にくわないこと」を吹き込んでいく。Aさん、B君は仲が良かったのに最近ぎくしゃくしていることに気づいているCさんは、何か関わることで状況が好転するならばと、Aさんの申し出を受けてB君の行動に指摘を入れるようになる。B君はCさんに反論したいのだけれども、Cさんに言い返したとしても、自分がCさんとの関係を壊したくないし、CさんとAさんとがよく関わっていることから、言い返したことがAさんに伝わることも考慮して、歯切れの悪い回答を繰り返す。Cさんにとっては、その不完全燃焼感がBさんの課題だと指摘をするが、B君にとっては背景があるので、それについても明言できない。その様子を見てAさんはちょっと気持ちよくなってしまう。だって、自分が言えないことをCさんが言ってくれて、結果としてB君がへこんでいるわけだから。

 最近感じている三者間の人間関係について、自分なりの分析です。また後日取り上げるかも。

2022年7月9日土曜日

こういう時はぁ〜

 何か世の中が、不穏な雰囲気ですね。

事件が洒落にならんので、しょうもないですが。こういう時には、変な映像・変な記事を見ない方がいいですね。
ということで、ちょっと情報遮断します。
このBlogをのぞいているような、奇特な方のことはあまり心配していませんが、みなさんにもおすすめですよ、デジタル制限。情報制限。気になっている自分を気にして、追跡しないのがコツです。追跡しちゃったことに気づいたら、追跡をやめて、情報から離れて、価値判断しないようにしましょう。

2022年6月26日日曜日

ポイ活に伴う、動画広告

  刹那的というか、直球というか、品がないというか。少なくとも好意的には見ることができない。

 「歩数でポイントがたまる」といったアプリを複数使用している。なんというか、徒歩通勤なので、その運動量がポイントになって、ちょっとお得なことがある、というアプリが複数紹介されており、いくつか使っている。結果、アマゾンギフトは数千円分になっており、ちょっとしたお小遣いの上乗せになる。ありがたいことだ。

 ただ、よくあるのが「広告を見て」ポイントが付与されるというしくみ。この動画広告というのが曲者で、15秒なら15秒、30秒なら30秒端末の使用を制限されてしまう。自分に関係のある広告は30に1つもないので、洗濯物を干しながら、インターバルでスマホをタップしているのだが、タイミングが合わないこともあり、見えてしまう広告も少なくない。

 大別すると、商品がお得、お金が儲かる(≒ポイントがたまる)系、痩せたい系、出会い系、まんが系、ゲーム系、系系とうるさいかもしれないが、こんなあたりが目につく。以前はそれでも「動いていると見てしまう」ことがあったのだが、最近に至っては「見えると気分を害する」ものも含まれており、なんというか、広告業の倫理観みたいなものを疑ってしまうところがある。

 「時代に合った」と言われたら、そういうことなのかもしれない。ウチではカミさんも子ども達も動画でコミュニケーションが成立している。私は取り入れることを拒否しているため、その辺の面白さが全くわからないが、少なくとも広告は費用なのか人材なのかモラルなのかわからないけれども「お行儀が悪い」コンテンツが多いように思う。登録してアンケートに答えるだけで○万円、とか、仮想通貨がもらえる、など、ゲームに至っては「はぁ…」とあきれてしまうようなものも少なくない。

 自分の周りに、当たり前のように(私が思うに)そういう質の低いコンテンツがあふれている世の中って、大変だよなぁ。


2022年6月19日日曜日

やっていいこと、誰のためにもならないこと。

  インターネットのせいとか、テレビ番組のせいとかいうつもりはない。ただただ、以前からいたような人達が世の中の表舞台に出てくるようになって、それに賛同するコバンザメのような人達が集まって徒党を組むようになった、といったところだろうか。私の仲間にはそれを端的に「輩(やから)」と呼ぶ人もいる。

 これまでに、子どもの関係で幼稚園にも顔を出していたし、小学校に至ってはPTAまでやっていたので、いわゆる親の愚痴、みたいなものを耳にする機会はたくさんあった。面白いもので、悪口というのは増幅機能が働いて、いつの間にか悪口自慢、大変自慢になっていく。その足元で、本当に悩んでいる人を巻き込んだり置き去りにしたりして。怖いのは置き去りになっていても、話の焦点がそこに当たらず、増幅装置の中にあって話題にならない、いわば「見えていても見えないもの」として扱われてしまう。

 おっと、今日の話はそこじゃない。

 いろんな機会を通じて「生活者の声が政治に届く」場面を目の当たりにしている。最新ではないが、大きく取り上げられたのは「日本死ね」でしたね。うまい表現だなぁと思いつつ、国会で前面に取り上げられた様子を見て「なに便乗してんだよ」と腹がたったのも事実。発言者をどうこう言うつもりはないけれども、個人的には、それが全てであるかのように国政の場で演説する方にはイエローカード、それをあたかも子育て世帯の総意であるかのように知らせたメディアはレッドカードでした。プライドも何もないんだな、この人たちは、と思うところもあり。

 それで、自分の周囲を見回してみると、ここのところひどいものが目につく。便所の落書きのような「ご意見」が(なぜか)正式なルートを通って、正式な場で、正式なやりとりの材料になってしまう。ろくに調べもせず、情報収集もなく、主張もないまま、「ご意見」がまかり通っていく。声をあげるのは構わない。デモ更新に象徴されるように、本当に小さな声が大勢の力を借りて世の中にあふれだしていく、という手法はある。ただ、最近周囲で起こっていることは、それとは全く異なるもので、正式なルートにいる(べき)人たちの一人でも自分のすべき社会的役割を全うすれば、もっと異なる形で、もっと大勢の人達の賛同を得て、実態と説得力を帯びて、正式な場に出てくるものである。物事の筋を外した主張は、間違った人に間違ったことを植え付け、世の中が(多分)間違った方向に向かっていく助けにしかならないような気がする。

 「○○言ってやった」「△△さんと知り合いだから」「今度(偉い人)に言ってくれるってよ」などなど、てんで勝手なことを言っているのを耳にしたことがありますが、学校に文句があるなら学校にきちんと言えばいいじゃん、あなたの主張を届けるところはどこですか?言いたいことをいわゆる「地元の有力者」に言って「ご意見」になることが、あなたの望むことですか?こういうことはみんなで考えて行動するべきだと思う。学校関係だと、PTAとか部活とか、いろいろ話題になっているけれども、まともな意見はほんのごくごく一部しかないように見えます。特にPTAに至っては、見るも無残、聞くも恥ずかしい「ご意見」が多すぎて、品位を疑うものが少なくありません(この点のみ補足。本来の役割を見失った集団は不要だと思いますが、学校毎背景が異なるわけですから、何もかもすべてを不要とする意見には全く賛同できません)。

 飲みの席の愚痴も結構、井戸端会議も結構、便所の落書きはやむを得ない、として、公私の別ってことはもっと意識しないと恥ずかしいぜって思うこの頃でした。

オスカー・ブルニフィエ文、クレマン・ドゥヴォー絵、西宮かおり訳、重松清監修『こども哲学 よいこととわるいことって、なに?」朝日出版社、2006年初版、2020年第2版。

  恒例の図書館で、子ども向けの絵本をあれこれと見ていた時に見つけた一冊。平易な表現で手にとる。ただ、問いの質は決して平易なものではない。

 哲学の問いを、こどもの問いとして6問。大人なら「何らかの回答」は示すことができるだろうが、それは「正しい」のか?それとも「よいこと」なのか?あるいは「やってもいいこと」なのか?これらは似ているようで異なる。

 ゆさぶる内容だ。答えや著者の立場は伏せて、様々な立場の様々な意見を列挙して、それを語るのみ。ウチの次女(現在7歳)に見せたところ「書いてあることはわかるんだけど、難しい」と言いつつ、なんだかんだで毎日読んでいるらしい。おそらく、噛み応えのある内容なのだろう。

 こどものように毎日読む内容としては、大人には諦めが入ってしまうほどの内容だろう。「そういうものだから」とつい言ってしまいがちに。とはいえ、少し時間をおいてまた読んでみたいな。多分自分の状態と置かれた状況によって、感じ方が違う本だろうから。

重松清『きみの友だち』新潮社(新潮文庫)、2008年。

  純粋に現代小説を読んでみたいと思った時に、Amazonで調べて買ってみた一冊。独特な語り口と、自分のまわりを含め「どこにでもあること」を淡々と浮き彫りにする小説。短編小説が重なって、一冊を通して一つの物語として結ばれる、簡潔明快でありながら自分の思い出にコツンと触れる、それでいてきれいなイメージのある言葉が綴られている。私はとても好きな小説だった。

 自分にとってはどうでもいいと思ってしまう周囲の人たちのやりとり。そこにいる私は、私であって私でないような感覚がある。そして、私以外の「みんな」には興味がなくなっていく。うっとおしくなって離れようとした時、その視線の先にいた一人の子、友だちでもなんでもないと思っていた子が、自分にとっては友だちになっていく過程と、その子が目の前にいなくても友だちでいるという感覚。「みんな」が「友だちだ」と言い合っていることへの違和感と自分にとっての友だちの意味。

 一人称と二人称とが織りなす日常の描写が、自分の思い出をなぜか想起させる小説でした。こういう静かな、それでいて自分の内側にコツンと触れてくる文章って、不思議だ。そして、素敵だ。

ジョージ・ルーカス原案、横田順彌著『東洋の秘術 ヤング・インディジョーンズ9』文藝春秋(文春文庫)、1993年。

  シリーズ9作目。若き日のインディの活躍・・・と書きたいが、本編は中国の農村で、毒蜘蛛にかまれて寝込んでしまうお話。その治療に東洋医術が施される、というのがあらすじ。

 背景は1900年代初めの中国。万里の長城で出会った三船敏郎が、インディの落とし物を届けようと農村に向かう途中で出会う毛沢東など、若き日の歴史上の人物もとりあげて、読み物として面白くしているのが、わくわくさせる。表題の「東洋の・・・」は話の筋から言えば東洋医術のことなのだろうけども、インディを休ませてくれた農家の借金取りを撃退した三船の柔道や、農家のあたりまえの等身大のもてなしが言葉の通じない人々を結びつけていく様なども含めているのだろう。

 以前、読書感想文でとりあげたくらいに読んだ小説なのだけれども、大人になってから読んでも面白さはそのまま、歴史的な背景などが読めるようになると、面白さも深みを増すことを感じた一冊でした。

宮澤正泰『はじめての自治体会計0からBOOK』学陽書房、2020年。

  4月に異動となり、関わる仕事の分野が変わっただけでなく、仕事の質も全く違うものになりました。公金を扱う立場になったのにも関わらず、前職含め、Iyokiyehaは予算、会計など公金に関わることをほとんどやってこなかったので、まずは基礎知識、ということで手に取った一冊。

 会計にまつわる言葉、自分を通って動いていく決裁文書の行方と手続きの意味、など、本来は事務処理をしながら学ぶようなことについて、まずは知識として網羅している(と思われる)内容でした。多分、会計に関わる1,2年生が読むような本ですね。でも、会計シロウトの私としてはこれくらいでいい。

 イラストで流れがわかりやすい、というその記述内容もさることながら、お金の動きというのが社会を動かす基礎になる、ということも感じ取れるような内容でした。要するに、Iyokiyehaが関わる、施設や利用者に支払う給付や補助金というのは、そうした施設やその施設利用を円滑にするものであって「お金の流れが滞れば、施設の維持や利用者の確保が滞る」のである。円滑、というより必要不可欠な循環である。ヒトを含む動物でいえば血流にあたるものが公金の流れ、会計処理が動かすもの、である。

 自治体職員っぽい仕事への異動だったわけですが、これまで見えなかった(実は、見ようとしていなかった)事業の裏方さんの役割がよく見えるようになってきたように思います。それは公金を適切に使うこと、使えるように手続きをすることが会計の役割であって、それは一部の事業を通じて社会のしくみを維持するために不可欠な役割である。ここしばらく数年は、こういったことにプライドをもって仕事をしていくことになりそうです。

佐藤義典『実践マーケティング戦略』日本能率協会マネジメントセンター、Audiobook。

  マーケティングというと、つい頭のいい人が高度な分析をして未来予測する、ということをイメージしてしまっていたのだけれども、ごく普通に、何か物事を仕掛ける時に、相手のことを考えて、予想する、という、自分も身近なところでやっている珍しくないことだということに気づく。自分や自分の目の前にあるコトやモノの分析から、世の中を読み解くフレームワークについて解説している。書籍でもう一度確認するつもり。

喜多川泰『運転者 -未来を変える過去からの使者』ディスカヴァー・トゥエンティワン。Audiobook。

  この著者の小説は、とにかく外れがない。Iyokiyehaにはぴったり、しっくりくる物語ばかりなんだよね。『「手紙屋」 -僕の就職活動を変えた十通の手紙』(2019年1月12日投稿)もよかったのだけれども、中年男性Iyokiyehaとしては、主人公と同年齢ということもあり『運転者』の方が聴いている時のインパクトが強かった。帰宅途中に思わずコンビニでコーヒーを買って、聴き入ってしまう内容でした。今度活字でも読もうと思う。

 運の善し悪し、という考え方ではなく、運とはご先祖様や自分が他人のためになることをしてためられる物であって、「運がいい」という時はそれまでにためた運を使うことができた時なのだ、という考え方や、運をためるコツとして「上機嫌」でいること、他人に対して(自分を)開いていること、というのは、自分の生活に取り入れられる具体的な方法だと思う。このことと、もう一つ感じたことは「他人のことはわからない」ということ。実は身近なところに著名人やその分野での有名人がいるかもしれない、道行く人は実はすごい実績のある人かもしれない。とはいえ、そういう人と知り合って一緒に何かをしたり、いい情報を得られるなんていうことは、その人に営業をかけることによって成立するのではなく、機会がそこにあって自分が行動できた時、に人がつながっていく、というもの。要は、機会が訪れるように、自分を開いて準備をしておくことと、いい機会を感じ取れるか否かはおいておいて、他人のためになることを自ら行動できることの二つしかないということだ。

斉藤幸平『人新世の「資本論」』集英社、2020年。Audiobook→書籍(集英社新書、2020年)。

  書店でも平積みになっていて、私の勤務先の管理職向けの研修講師に招かれていた接点で、Audiobookを試してみたもの。哲学的なところをもう少し丁寧に読みたいので、書籍に挑戦した。やっぱり斉藤氏は「エコバックと環境配慮を結びつける」ことは気になっているのだろう。身近なことから壮大な思索を展開している。

 世界的に広まったSDGsの取り組みをきっかけとして評価しながらも、その問題点を鋭く指摘し、SDGsを超えた取り組みの必要を説く。

 論考のモチーフとして斉藤氏が立脚するのが、マルクスの思想である。歴史の教科書にも『資本論』は取り上げられて、社会主義の基礎を築いたと教わった(ことしか筆者は覚えていない)のだが、マルクスの思想は資本主義から社会主義への転換を論じただけでなく、特に晩年は「よりよい社会」とか「世界の平和」という安っぽい言葉に象徴されるような、人と社会のあり方について、もっと鋭い思考に至っていたことを数々の資料から取り上げる。この地点までマルクス論を展開した上で、資本論でも登場する「コモン」の内容を詳述し、現代社会に活かす知恵として「脱成長」を掲げている。しかも、その「脱成長」は清貧や懐古主義的、「昔に戻ろう」「不便を受け入れよう」といったものではなく、資本主義のパラダイムとは異なるところに価値を見いだす地点での「脱成長」を論じている。

 「脱成長」「自由」といった、聞き慣れた言葉が、実は資本主義の範疇での思考に留まっていることを思い知らされる論考であり、マルクス理解が(最大で)高校世界史レベルだった私にとっては目からウロコの一冊であった。著名人が高評価している理由もなんとなく感じられただけでなく、哲学者としての一面をもつ斉藤氏が、ここまで平易な表現でこれらの論述を展開していることにも素直に驚いた。

 すべてを数値化してサービスにしない、資本主義の論理にすべてのことを当てはめない、コモンズを意識して資本主義の外にある価値を大切にする。当たり前といえば当たり前なのだが、社会的共通資本、という価値については、再考しつつ深めていきたい。

2022年6月12日日曜日

学校という場所、友達という人

 娘(長女13歳)が、学校へ登校するのに遅刻したり、時に休んだりするようになった。

ほとんど口をきいてくれなくなって1年以上経つので、今さらやいのやいの言うつもりはないし、そもそも学校行かないくらいで大騒ぎするつもりもない。ただ、心配ではある。

新しい環境に少数集団として入ることになり(学区の関係で、同じ学校の卒業生は学年で数人しかいない)、表面上はうまくやっていてもストレスためていたりするのかもしれないし、学年が変わって悪くはないと言いつつ一年生の時のクラスが良すぎたのでそのギャップが気に入らないのかもしれないし、毎年この時期(梅雨)は気圧が不安定になるので偏頭痛や天気痛みたいなものがひどくなっているのかもしれないし、SNSを中心にWeb上で何か嫌な気分になっているのかもしれないし、シンプルに友達と何かあったのかもしれないし。

同じように心配するカミさんが話を聞いても、ハッキリしたことは言わないわけで、上記のようにいろんな理由が考えられるし、そもそもこの外側に何かあるのかもしれないし、何かあってもうまく表現できないのか、そもそも何もないかもしれない。

自分の子どもとはいえ、やっぱり一人の人間なのだなと思う。わかっていると思うのは親の思い上がりで、接している時間が長いから分かりそうなことは確かにあるんだけれども、とはいえ相手は一人の人間だからやっぱり完全に理解するのは無理、と結論づけざるをえないんだよね。

まがりなりにも43年生きてきて、その中の数週間って、全体からみたらそんなに長くないんだよね。ある意味あっという間なわけで。そんな時期に、安全な場所で迷うことができるようにしてあげることくらいしかできることがない、ということに気づく出来事で、Iyokiyehaも自分なりにはいろいろ考えています。

娘が外的要因で学校に行きたいのに行けない状態なら、積極的に守ってあげなきゃいけないんだけど、内的要因で学校に行きたいのに行けないなら(周囲の支えはあったとしても)自分で何とかするしかない。そもそも学校に行きたくないなら理由は知りたいけど無理させる必要はないわけで、他人が「学校に行かせなきゃいけない(義務)」だからひっぱってでも連れていく、と言うのは違うアプローチなのかな、と思う。もし学校が要らんことするならそれは指摘しなきゃいけない(とはいえ、そんなことしないと思うけど)。

ダイバシティが「多様性(を認める)」という言葉で紹介されるようになってきたわけど、人の多様性だけでなく、場の多様性も大事。まずはとにかく動くエネルギーを蓄えてほしいものです。

2022年5月8日日曜日

ゴールデンウィークに思う

 4月に異動して、保育園・幼稚園の分野に関わるようになりました。言葉がわからない、制度がわからない、予算を読まなきゃいけない、伝票の決裁チェックをしないといけない、報告を受ける立場になってしまった、オペレートは全くわからない、新人がいる、などなど。持ち場と立場が変わるっていうことは、こういうことなんだなと思いつつ、感じつつ、業務がわからないことを逆手に「チームマネジメント」を考える毎日です。どうやら、出納閉鎖の関係で3月~5月連休明けまでが繁忙期のようで、超過勤務時間も半端ない。しかしながら、手を出しきれず、悶々としてきました。

 雇用支援に長年携わってきたこともあり、働き方には信条もあります。「Decent Work」へのこだわりとでも言うのがいいでしょうか。要は「超過勤務時間や、年次有給休暇の取得日数といった計測可能な変化だけでは『仕事のやりがい』は測れない」ということです。前職や前職場を含め「やらなきゃいけない時期や仕事」というのはあるわけで、やらなきゃならないことをやるための超過勤務(や休日出勤)それ自体が即ち悪いこと、とは思わないわけです。ただ、やるからには自分なりに理由やモチベーションが必要であって、それらがないものは要らない、ということです。例えば「上から言われたからやらざるを得ないが、やる意味がわからない」とか「誰でもできる膨大な仕事で、自分のためになっているかどうかわからない」といったものは、継続の有無を含めた検討が必要だ、ということです。

 このことと関連して、もう一つの視点は、いわゆる「ワークライフバランス」です。なんとなく「仕事を減らす=WLB」みたいな風潮が感じられるものですが、それだけではなくて「ライフを充実する」ことが必須だと思っています。万が一にも「仕事が楽しくてしょうがない」という人がいるなら、それはそれできちんと理由を組ませた上で、気持ちは尊重するくらいの度量がないといけないのでしょう。「用事がなくても年休をとろう」キャンペーンは継続して伝えたいと思っています。

 そんな1か月を経て、飛び石連休のゴールデンウィークでした。「つま恋」旅行、「Sayamaスキー場」へのお出かけなど、家族とのイベントっぽい時間の過ごし方をしつつ、庭掃除や子どもと公園へ行くなど、のんびり過ごす時間もとり、ジョギングなど身体を鍛える時間もとることができました。書籍の読書が習慣化しつつあるのもいい傾向かな。いろいろと考えることはあるのだけれども、先日Audiobook『運転手』(喜多川泰氏)で聴いた「いつも上機嫌でいる人のところに運を使う機会がやってくる」ということを意識しつつ、考えながらも力を抜いて、人智の及ばない大きな力みたいなものも感じられるくらいの余裕をもちたいものです。

 連休中に動かしたこと。Voicyのフォロー整理とプレミアム登録、PODCASTの整理と番組登録(政府広報関係、保育関係)、トレーニングに懸垂だけじゃない「ぶら下がり」導入、どこでも読書・小説を読もうの取り組み。

ポール・ギャリコ著、矢川澄子訳『雪のひとひら』新潮文庫、2008年。

  ちょっと遠い友人が、Facebookで紹介していたので手に取った一冊。「SNOWFLAKE」を「(雪の)ひとひら」と訳すあたり、本当に言葉の美しさを感じるお話でした。

 解説っぽい文書を読むと、「女性の一生を描いた物語」といった内容が目立ちます。たしかに「雪のひとひら」は女性人格を伴ったキャラクターなので、できごとを社会的な背景とすればそのようにも読めます。しかしながら、本書は小説なので分析的ではなく、単純に楽しむ読書にしました。

 おそらく元々の英語表現が秀でているのでしょうが、矢川氏の日本語(訳)が素晴らしい、と思える表現が満載です。訳書ながら文学作品のような日本語の美しさに手軽に触れられる一冊です。繰り返し読みたい本ですね。

ロブ・イースタウェイ著、水谷淳訳『世界の猫はざっくり何匹?ー頭がいい計算力が身につく「フェルミ推定」超入門』ダイヤモンド社、2021年。

  ネットで調べると「6.3億匹」だそうですが、これも概算でしょう。筆者はこう考えます。「イギリスでは大体5軒に1軒くらいで猫が飼われている。2匹以上飼っている人はあまりいない。よって、10人に1匹くらいの猫がいることになる。イギリスの人口は7,000万人くらいだから、イギリスには700万匹くらいの猫がいる。ところで、他の国ではそれほど猫は飼われていない(ような気がする)ので、20人に1人くらいの割合で猫が飼われていると仮定して、(世界の人口大体)80億人÷20=4億匹」。

 そもそも6億匹が概算なんだから、4億匹って答えが間違っているとは言い切れないよね。桁数が合っているし、大体正解でいいんじゃない?と考えます。最近よく聞かれる「フェルミ推定」ってこういうものと捉えています(定義はありますが・省略)。大事なのは答えが合っているかどうかというよりも、(とりあえずの)答えを出すのに、どのようなプロセスを経たか、ということに注目する、というわけです。「じゃあ、なんでも適当でいいじゃん」というとそうでもなくて、少なくとも出題者や説明を受ける人が「なるほど」と納得感が得られることと、実際の統計があるならば、どのくらい近似値が算出できるか、ということが大切になります。

 本書では冒頭の「猫」だけでなく、様々な「概算」が紹介されています。そのどれもが「なるほど」と感じさせる部分と、筆者なりのユーモアが見られるのですが、それ以上に本書から学んだことは以下2点。

 一つは、「精度」と「正確さ」の違い。数学では「正確さ=正解にどのくらい近いか」「精度=どの程度の細かさのレベルまで自信があるか」と示される。筆者は「数値を使って世の中の出来事を解釈するときには、精度よりも正確さのほうが重要だ」と言い切っている。精度が高くなくても、正確であれば推定値は役に立つ、というわけだ。

 もう一つは、「ジコール(Zequal=zero+equal造語)」という概算の考え方。この発想は「計算に取りかかる前に、すべての数を有効数字1桁まで丸めて単純化する」というもの。有効数字2桁目を四捨五入するので、例えば6.3は6、35は40とする。「精度」よりも「正確さ」を重要とする場合には、ジコールで十分役に立つ、というわけだ。35×65=2275をジコールを使うことで、40×70=2800で、2800は3000と考える。これだと1.5倍くらいになってしまうが、これが問題かどうかで有用性を考える、という考え方だ。

 社会人としての経験を重ねれば重ねるほど、物事をイメージだけでなく数的に把握することの重要性は高まっていると感じる。付け焼き刃で数的根拠を積み上げるのはなかなか難しいのだけれども、それが得意な人がつくったデータを読み解くには十分参考になる一冊でした。

小熊英二『日本社会のしくみ -雇用・教育・福祉の歴史社会学』講談社、Audiobook。

  主に高等教育とその後の雇用の分野における慣行の分析。日本の雇用現場の慣行だけでなく、世界の国々の事例を交えて比較するなど、豊富なデータとインタビューや各話題に関する過去の記事などから、日本における年功序列制を分析し、解説している。

 様々な論点とその分析の鋭さに思わずうなってしまう内容が多い論文だが、印象的だったのは、日本では「仕事は人についている」ということ。当たり前と思われるのかもしれないが、「仕事ありき」で人を採用するのではなく、欠けたポストに人をあてがい、ポストが属する部署の仕事をする、というイメージのことである。微妙な表現であるが、採用活動には大きな影響を与える認識といえる。採用活動に影響があれば、雇用における人の流動性にも影響が出て、社会全体の人の流動性にも影響がでる。

 欧米のいくつかの国において、職場内で転職(ポストの変更)をする、という慣行があった。エグゼクティブだけでなく、一般社員においても人事異動によって昇進するのではなく、昇進のための就職活動に参加するというもの。こうなってくると、軽く使っている「労働市場」のイメージも、それを構成する人を見たときに、全く異なる市場の姿が見えてくる。人の流動性が高まる、ということも日本においては新たなモデルを創出する、くらいの意識で考えていかないと、日本の良き雇用慣行がズタズタに壊されてしまう危険をも感じた。

 本著は全体を通して、基礎文献に位置付く内容といえる。著者が政治的な主張をしているわけではなく、日本の現状を淡々とデータを積み上げて理解する内容といえる。「平易な表現」と言いつつ、結構難しい部分もあったが、タイトルにあるように「雇用、教育、福祉」の分野から社会のしくみを理解する基礎文献として、非常に有用な一冊といえる。

吉野俊幸『あなたの知らない あなたの強み ー宇宙兄弟とFFS理論が教えてくれる』日系BPマーケティング、2020年。

  何かの媒体で紹介されていたのを目にして、本屋さんに行ったら平積みになっていたので、思わず手にとった一冊。正直、FFS理論が何なのかよく知らずに手にとった書籍でした。

 広告だったか立ち読みだったか記憶は曖昧ですが、「自己分析と人間関係を円滑にする」といったようなことを学べそうだったことに、私の好きな「宇宙兄弟」がモチーフになっていたのが購入の引き金になった、というのが一番事実に近いと思う。世には性格分析やリーダー論が多数紹介されており、どれを読んでも「なるほど」と思うところはあるものの、どこか自分の人間関係に当てはめる(行動に反映させる)ことに抵抗があるものも少なくない。それは「自分が心地よくなるための環境作り」に終始していると感じてしまいがちなことと、なんとなく「上から目線」感(○○すればいい、してみればいい、みたいな感覚。著者が実際そう思っているかどうかは不明)を受け取ってしまっていたからだと思う。もう少し違った角度から人間関係を考える視点を期待して手に取った、ということがあった。

 こうした背景の下で期待した内容の一冊でした。人間関係において、目の前の事象を自分が「どう捉えるか」ということは結構大事で、自分の気分を調整するために必要な視点ですが、本書はそれは踏まえつつも「相手を理解する」ためのヒントや、具体的な行動が満載の内容でした。相手のタイプを大まかに捉えて、行動を評価するための視点と、自己理解を深めて得られた特性とを掛け合わせて、人間関係とチームビルディング双方に役立つ知見が満載の一冊です。おそらく学術的な知見が基になっているのでしょうが、『宇宙兄弟』のキャラクターを通じて、大変とっつきやすい内容でまとめられています。

 ちなみにIyokiyehaは「シャロン型」で受容性が高いとの結果でした。「いい人病」にならないよう相手が反応することを信じる姿勢を磨き上げていくことが、自分の個性を活かすことになるとのこと。なるほどねぇ、と思うところと、あぁそうなのか、と思うところと、深さと広さが見える説明でした。

佐々木圭一『伝え方が9割』ダイヤモンド社。Audiobook

  以前読んだことがある本。相談業務をやっていると、「相手(お客さん)に伝える」ことを考えない日はないわけで、その立場から改めて「伝え方」を学ぼうと思ったのと、Audiobookが割引価格で販売されていたので、購入。

 改めて、人に何かを伝える時には「言葉」を介して行うのだと実感した。もちろん、雰囲気や伝え方、身振り手振り、表情なんてことも大切なのだけれども、それを仕掛けるのはやはり「言葉」であり、この道具としての「言葉」は磨くことで伝わり方が良くも悪くもなることを確認した。平易な言葉、逆の言葉、注意喚起など。手法としては、①サプライズ法、②ギャップ法、③赤裸々法、④リピート法、⑤クライマックス法が紹介されている。

井上大輔『マーケターのように生きろ ー「あなたが必要だ」と言われ続ける人の思考と行動』東洋経済新報社。Audiobook

  相手の立場に立ってものを考えること。評価されることには、自分が理解できない背景があるかもしれないこと。誰に何をどのように届けるのか、考えて行動することが、結果として有用なものを生み出す。

2022年4月3日日曜日

異動になりました

令和4年度の人事異動の対象になりました。入庁してからずっと障害福祉に取り組んできましたが、今回の移動で保育園・幼稚園の業務に就くことになりました。

今まで、キャリアでは一貫して障害のある人に対する支援があったのですが、今回業務の対象としては初めて障害のある人が主な対象でないことをやります。保育園は今まで関わったことがないし、幼稚園はユーザーとしてしか関わったことがないため、今後何が起こるのか、そしてどんな仕事をするのか、不安半分、楽しみ半分です。

さらに、名簿順で職員としての役割も少し変わるので、そちらは不安だけ。地方公務員としてのスキルを見直して磨き直さないといけないところにきてしまいました。お金が扱えるようになるか、ダメダメで干されるか、ってところです。

とはいえ、相変わらず「できることしかできない」「見えないものは見えない」人間ですのでいろんな人に助けてもらいながら、のんびり取り組もうと思います。とりあえずの報告だけ。今後ともよろしくお願いします。

トーベン・クールマン著、金原瑞人訳『アームストロング -宙飛ぶネズミの大冒険』ブロンズ新社、2017年。

  先日紹介した『アインシュタイン』と同シリーズ。絵本なのに、情報量はすっかり大人レベル。きれいな絵とゆかいな物語が、実在した人物の生き様と交わるお話。

ロルフ・ドベリ著、安原実津訳『Think Smart ー間違った思い込みを避けて、賢く生き抜くための思考法』サンマーク出版。Audiobook/ロルフ・ドベリ著、中村智子訳『Think right ー謝った先入観を捨て、よりよい選択をするための思考法』サンマーク出版。Audiobook

  『Think Clearly』の続編になるのかな?「right」は復刊、と言われていましたが。

 思い込みの罠に陥らないようにするための思考法を紹介している。どのテーマもなるほどな、と思うところがあり、聞いたことがある話もあるわけだけれども、それであっても私は思い込みや先入観のフィルターがたくさんあるのだなと思う。いわゆる「きちんと」対応しようとすると、一つ一つ確認しながらになるから、時間がかかりすぎる。そんなに時間をかけられないから、「直感的に」「(自分なりに)合理的に」考えようとするのだけれども、それはあくまで主観に基づくもの。「本当は○○だぜ」っていう話がこれでもか、これでもかと紹介されている。それも根拠を添えて。非常に説得力のある内容である。

 オーディオブックで聴いてみて、まず勉強になったのだけれども、これは書面で読んでみたいと思うシリーズでした。一つ一つのテーマが、短くまとまっているのも特徴。ドイツの新聞コラムが元になっているみたいです。

トーベン・クールマン著、金原瑞人訳『アインシュタイン -時をかけるネズミの大冒険』ブロンズ新社、2021年。

  図書館で手を取ったシリーズ。装丁が素敵な大判絵本です。絵本なのに「アインシュタイン」というわくわく感で手に取った一冊。これは読んでよかった。シリーズ読んでみたくなった一冊。

 「Back to the Future」という映画があります。本著はそれにも似たネズミ版。チーズフェアに参加し損ねたネズミが、時を戻したい一心で「時間」について考えに考え、相対性理論に出会いタイムマシンを作ってしまう、という物語。

 時を遡るために思索を巡らせている過程で「相対性理論」に触れ、かの有名な「時間の流れる速さは、だれがどこで観測するかによってちがうらしい」という一節にまとめています。かわいらしいネズミが、難解な理論を平易な言葉とイラストで説明してくる、なんという衝撃。期待を大きく超えてやってきた感動と感心とで、休日の昼下がりが超満足な「時間」となりました。私にとってはものすご~く充実した時間でしたが、みなさまにとっての今日の昼下がりはいかがだったでしょうか??これも、相対性、ですね。

ロルフ・ドベリ著、安原実津訳『Think clearly -最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法』サンマーク出版。Audiobook

  表題の通り「よりよい人生」を目指した時に役に立つ52の思考法をまとめたもの。ベストセラーになっていたことがあり、audiobook.jpでも高評価で紹介されていたので、セールの時に購入しておいたもの。事前にはあまり意識していなかった。

 内容の一つ一つは、いつかどこかで聞いたことがあるような、いわゆる自分の気持ちが楽になる思考法。ただ、古典や有名著書からの引用を丁寧に紹介しており、単に著者の考え方というものでないところが非常に好感がもてる。「幸せは自分の中にしかない」といった、全体を貫く論調から、自分なりに「相対的優位が自分を幸せにするわけではない」という考えに思い至ったのは、本著から学んだことだろう。

 いわゆる成功者の言動から、学ぶことはありつつ違和感も同時に受け取ってしまうという、よくあるモヤモヤも、この一点で乗り越えられるように思う「~わけではない」が重要で、やはり学びはあるが、役に立つ=幸せではないということだ。

2022年3月6日日曜日

本当のことがわかりにくい世の中

なんか、嫌な雰囲気なんだよね。身近な人の発言や、出回っている情報や、なんというか社会の空気というかなんというか…

Iyokiyehaの立場は、間違いなく「反戦」です。いかなる理由があっても、一般市民を巻き込むような、人の命が失われるような戦闘は、断固反対です。ただ、職業軍人以外の人に全く被害のない戦闘が可能ならば、国際問題を解決する手段としての「戦争」は方法としてやむを得ないものだと思います。理想的なイメージだけれども。繰り返しになりますが、一般市民に一切の被害が出ない、という条件つきの話です。現代ではありえない。よって、ロシアの行動は理解できません。が、かろうじて価値判断(良し悪しの判断)は保留しています。

ところで、最近のニュース全般に言えるのだけど、この「理解できない」が曲者です。何事にも、それが起こる背景があって、その出来事を見る立場によって、意味が変わってくる。もちろん、事実は一つなのだろうけれども、それを何らかの形で表現した瞬間に、誰かのフィルターがかかったものになる。文脈を踏まえると、完全に客観的な事実というのは記述できないことになってしまう。これが表現の限界といえる。

そこにきて、最近は動画配信などというものが一般的になってきました。報道の世界による特殊な技術ではなく、誰もがスマートフォン一台で動画を作成し閲覧できる時代です。しかしながら、その情報の真偽の確認は人間に委ねられているのが実際のところでもあります。

この「動画」というものも曲者です。テキストによって物事が表現されると、書き手の見え方が反映されてしまうのだけど、では「動画」なら?「誰が撮っても同じだよ、事実だよ」という雰囲気が、かなり広がっているように感じるのだけれども、どうなんだろう。これは、テレビが動画配信サイトにとって変わったにも関わらず、今度はテレビという大物が動画配信サイトという新興勢力を取り込みにかかった一つの事例と見えてしまう。要は、映像の効果は素晴らしい!という雰囲気が蔓延している昨今の世の中の、いわば意思のようなものとも感じられます。

これに加え、フェイクニュースというもの。特殊な技術でなくても、ちょっとした加工を施すだけで、人の目には別の情報がそこに加えられてしまう動画があります。それも、事実とは異なることを伝えてくる内容になってしまっているのに、それをクイズ番組にしても正解できないような精巧な作りのものが横行していることも、びしばしと感じます。

ここに怖さを感じるのが、今回のウクライナを巡る一連の報道です。一つには「ロシア悪者、ロシア討つべし」の論調が報道の大半を占めており、戦闘の主体とされているロシア側の文脈というのが、一般市民である私には見えてきません。かろうじて、Web雑誌「Forsight」だけが、ロシアの文脈をとりあげた記事を一部掲載していますが、世の中の圧倒的な雰囲気は「勝手に軍事侵攻してきたロシア」が大勢のように感じます。大手新聞もしかり。これはアンフェアじゃないのかな。もう一つには、報道では映像がとりあげられており、原発に発砲している様子もニュースとして何度も目にしたのですが、さて「キエフの原子力発電所」と言われている映像が本当にそれなのか、日本に住む私たちが判断できるのか、ということもあります。ドラマ「MIU」(だったっけ?)でテロのフェイクニュースがキーになった回がありました。先にあげたようにクイズ番組の問題になっていても正解できないような映像がある中で、何が事実なのか、ということは実はよくわからないんじゃないか?と思ってしまっている自分がいます。

とはいえ、報道されることが全くの事実無根かというと、それもまた疑わなければならないのか。なんかもう、ほとほと疲れてくるし、そこまで口にしたらさすがにただの面倒なおっさんになってしまう。そんなことを思ってしまった自分がどうするか、というと、やっぱり情報だけには目を通して、判断を保留するという態度を貫くしかないのかなと思う。それも、この「流れ」のある社会の中では難しいのだけれども。情報との付き合い方、見直す時なのかもしれませんね。

2022年2月12日土曜日

斉藤洋『ペンギンたんけんたい』講談社、1991年。

隔週で次女と図書館へ行くのが習慣になってきたのですが、行くと自分が読みたい本の他に、娘がそろそろ読めそうな本も探してみることにしている。そこで見つけた本。

以前ここでもとりあげた『ルドルフとイッパイアッテナ』の著者による童話。童話の類は、内容も気になるのだけれども、言葉の調子というかリズムというか、言葉遊びみたいなものが自分に合うと一気に読んでしまう。本著も5分くらいの読書でしたが「エーンヤ、コラ、ドッ、コイ!」とか、隊長の「ぼくたちは…」の後に「ペンギンたんけんたいだ!」と続く、副隊長と副々隊長のかけあいなんかは、「なんとなく」頭に残る。そして、理屈にはあわない登場人(動)物たちの行動が、やはり理屈では動かない大人のそれに重なって、これまた面白い。

「娘のために」と言いつつ、結局自分が読んで楽しんでしまう。いい習慣とは言いきれないけれども、これもアリってことで。

http://iyokiyeha.blogspot.com/2020/08/19872016.html

『ルドルフとイッパイアッテナ』他

2022年2月6日日曜日

山本弘『アイの物語』KADOKAWA、2015年。Kindle版

  本ブログでは、以前にとりあげた『サーラの冒険』シリーズの著者。SF小説の世界では著名な方らしい。Iyokiyehaは(旧)ソードワールドの世界でお世話になった方。著者検索して何となくkindle版を手にしてみた。いい意味で、期待を大きく裏切られました。

 ヒトと人工知能との関係を、SFではあるのだけれども、ここまで壮大に描いたものを今まで読んだことがなかった。いや、近未来を描いた作品にはいろいろ接しているはずだし、身近なところではドラえもんなんかも、未来世界を描いているという意味では同じ線上にあるのかもしれないのだけれども、ヒトの能力の限界と人工知能の限界と可能性、それらを少し超えたところで通じ合える地点があることを、7つの物語を通じて描いている。表題作「アイの物語 ーA Tale of i」に集約され、伏線がすべて回収されるので、その引用は避けて一カ所とりあげるとすればここかな。

 介護ロボット詩音(しおん)が発した「ヒトを理解するための基本的なモデル」を説明した一節「すべてのヒトは認知症なのです」(中略)「論理的帰結です。ヒトは正しく思考することができません。自分が何をしているのか、何をすべきなのかを、すぐに見失います。事実に反することを事実と思い込みます。他人から間違いを指摘されると攻撃的になります。しばしば被害妄想に陥ります。これらはすべて認知症の症状です」(kindle版No.4139 第6話 詩音が来た日-The Day Shion Came Hereより)

 人間とは、論理的矛盾を常に抱えた生き物である。ただし、それら論理的矛盾がヒトを人間たらしめている、といっても過言ではない。人間の営みは、ゆらぐ思考や行動とともにある、という大きな学びのあった小説でした。


就活生を応援する人事担当者の会編『就活生なら誰もが知りたい、だけど聞けない疑問に現職人事担当者が本音で回答する本』洋泉社、2012年。(図書館)

  就職活動に取り組む大学生向けに編集された本。表題の通り、就職活動の実際のところを、企業の人事担当者が答える内容。座談会形式なので、話し言葉で大変読みやすい。

 大学生向けではあるけれども、その内容は就職活動をするすべての人に当てはまるもの。というか、就職活動の本質が結局のところ自己分析と、自分のことを「自分の物語」として語ることができること、の二つに集約されるのだということを再確認できた。

 人間不安になると、とにかくその場の「正解」を探しがちです。就職活動というリスク(不確定要素)だらけの不安に満ちた状況に身を置くと「志望動機の正解は?」「服装の正解は?」「第一志望でないときは何て答えたらいいの?」と考えがち。そんな不安の中だと、ちょっとした噂や根拠のない雑談の中から「○○って言われた」と事実確認もせず鵜呑みにしてしまう。私にもそういう時期がありましたし、前職でそんな人たちを何十人、何百人と見てきました。そういう思いに囚われていると、ナンボか客観的な助言ができる私の話なんか何も聞いていないんですよね。「知り合いが言っていた!」と印籠を掲げる人も数知れず。

 本著の内容が面白いのは、「人事担当者の本音」として、学生の質問に回答することを通じて「就職するってどういうこと?」「就職活動の心構え」「社会に出る、社会人になることってどういうこと?」ということを、人生の(ちょっと)先輩たちが本音で語っているというところだと思います。就職するというのは、社会の歯車、会社の歯車になるということ。そこでは「自分の思い」のすべてが認められるわけではない。お互いそんな環境の中で「仲間」になるために、そんなマナーが求められるのか、どんな発言が求められるのか、どんな態度、人当たりが必要か、そして「相手を慮ることができる」かどうかが問われます。企業としては「仲間が欲しい」わけで、その「仲間になる」ために何をするのか?と問えば、前述した2つのことが求められるのは必然でしょう。

 「そんなことは私に必要ない!」「会社の歯車なんてまっぴらごめんだ!」という人がいるのも結構。ただ、そういう方は「自分の思いで起業」していただきたい。本気で就職を目指す就活生にとってはノイズにしかなりません。

 転職してから、この手の本を読むのは久々でしたが、編者の思いの伝わるいい内容でした。就職活動って社会のことを深く知るきっかけになるし、人を成長させる機会になると思います。

今村泰丈『腰は反らずにしならせる! 正しい「後屈」入門』日貿出版社、2021年。

  身体の動かし方については、毎日のラジオ体操や運動、(最近お休みしているけれども)合気道なんかを通じて学んでいるのだけれども、意外と気にしていないのが背骨。自分の身体を支える、見方によっては最も大きい骨であるにも関わらず、普段気にしていなくて、進退動作時にもその動きを意識しないのが背骨。背骨を悪くしてしまうと障害になってしまうこともあるのに、これまで自分の背骨はあまり意識していませんでした。

 その背骨と、関連する腰や頸椎(首)を「後屈」によってストレッチしましょう、というのが本書の主な内容。それも「正しく、負担のない後屈」のためのコツが細かに記載されています。

 「後屈」と一言にしてしまえば、疲れた時に「あーっ」と反らせる伸びや、ラジオ体操にも入っているのだけれども、本書の内容と照らしてみると、今までやっていた後屈は、腰にも首にも負担がある動作だったことに気づきました。ただ、ちょっと残念なのは、本当に正しい動作としての「後屈」の感覚がまだ身についていないので、あれこれと試行錯誤しながら「正しさ」を自分の身体との対話の中で見つけていかないといけないところだろうか。

 それも含めて、自分の身体と向き合いたい人にとっては、シンプルな「後屈」を通じて取り組めるので、おすすめの一冊です。

野口哲典『マンガでわかる 神経伝達物質の働き ーヒトの行動、感情、記憶、病気など、そのカギは脳内の物質にあった!』SBクリエイティブ、2011年。

  知識本。この手の「マンガでわかる」はだいたいマンガだけではわからないのですが、本書はイラストが充実した新書と思えばいい内容だと思います。ありすちゃんはかわいい。

 私はPSWの勉強をしたときに、神経伝達物質の働きについて、医学面から学んできましたが、復習になるのと併せて当時(2011年)の最新情報を得ることができる内容でした。感情も脳内の神経伝達によって説明される、という身体の不思議。病気や障害だけでなく、健康ってどういう状態なのか、ということも分かる内容になっています。


小野芙佐著、ジョージ・ルーカス原案『皇帝の密使 ヤング・インディジョーンズ8』文藝春秋、1993年。

  たびたびレビューしている「ヤング・インディ」シリーズ。本著は第一次世界大戦を終息させようとするインディの活躍を描く小説。モチーフは「シクスタス親書」。ドラマを見て、小説を読んだのが中学生の時で、この話は当時ちんぷんかんぷんで、シリーズ内でも自分の中では「下位」のお話だったのだけれども、今になって読んでみると当時の国際情勢が反映されている深く、面白い小説になっていることに気づかされる。

 中世から近世の欧州史って、受験の頃から苦手で、どうにも暗記に終始していたのだけれども、大人になって「国ではなく家で読み解く」ことを意識するようになったら、少しずつ近代史のダイナミズムみたいなものが読めるようになってきました。

 十年単位で以前読んだ本を読み返すことの面白さに気づかされているシリーズです。ロシア革命なんかも、きっと面白く読めるのだろうな。


瀬戸内寂聴『いのち』講談社。Audiobook

  著者の半生を振り返る小説。氏を取り巻く人間関係が個性的で個別的であり、そんな人間関係の中で様々なことを感じ、考え、行動してきたことを淡々と描いている。


赤羽雄二『ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング』ダイヤモンド社。Audiobook

  思考は言語によって理解され、展開する。思考が展開すると、言葉が磨かれる。逆も然りで、思考は言語化されて初めて客観視できるようになり、思考のサイクル(展開)に組み込むことができる。こうした思考を繰り返し、その精度が高い人を本当の意味で「頭のいい人」であるとする。こうした深い思考ができるようになるためのトレーニング方法として、「書き出す」ことを提案している。


スペンサージョンソン著、門田美鈴訳『チーズはどこへ消えた?』扶桑社。Audiobook

  知恵を使う、周囲に流されない、現状を一つでも多くの情報から把握する(しようとする)ことが、人生を舵取りしていくことにおいて重要であることを解くベストセラー。よくある寓話といってしまえばそれまでだけれども、この物語を聞いた4人の大人がディスカッションして様々な視点から教訓を引き出していることが、物語の解釈に厚みを与えている。

 今の私は、現状に甘んじるな、背景は刻一刻と変化する、ということを学び取った。

張真晟(チャン・ジンソン)『わたしの娘を100ウォンで売ります』晩聲社。Audiobook

  餓死者が身近にある世界の、とにかく「悲惨」というしかない短編集。何のオチがあるわけではない。検証されうるデータがない、人々が語り、日記にしたためるようなことが次々と紹介される。すべてが事実とは限らないが、しかしながら某国ではここに描かれるような人々の生活があるのだろう。なんとも言えない気持ち悪さが残る内容であった。


知念実希人『崩れる脳を抱きしめて』実業之日本社。Audiobook

  主人公の研修医が、なんとも脆く、未熟な若者として描かれているのが、若干ひっかかるのだが、物語自体は展開に展開が重なる、面白さがあった。展開に無理はなく、終盤にかけてエピソードが次々と回収されていくスピード感と、結局ど真っ直ぐな登場人物たちの感情のぶつかり合いが、人間の感情をうまく描写していてなかなか聞かせる物語でした。


アリ・ウィンター文、ミカエル・エル・ファティ絵、中井はるの訳『PEACE AND ME ノーベル平和賞12人の生きかた』かもがわ出版、2019年。

  1901年~2014年の間に、ノーベル平和賞を受賞した中から12人について、その生い立ちや背景と受賞に至る経過が簡潔にまとめられた絵本。小学生からわかる表現でまとめられており、大変読みやすい。一人一人の実績については他の書籍が詳しいと思いますが、こうして一覧で目を通すことで、「平和 peaceって何だろう」と考えさせられます。

平和とは、

困っている人を助けること -ジャン・アンリ・デュナン 1901

だれもに住む家があること -フリチョフ・ナンセン 1922

人に生きるための技術をあたえること -ジェーン・アダムズ 1931

だれひとり、おなかをすかせることがないようにすること ージョン・ボイド・オア 1949

すべての人びとが平等であること ーマーティン・ルーサー・キング・ジュニア 1964

苦しい立場にいる人たちを思いやること ーマザー・テレサ 1979

人をゆるす方法をみつけること ーデズモンド・ムピロ・ツツ 1984

すべての民族をみとめること ーリゴベルタ・メンチュウ・トゥム 1992

だれもがもつ権利をたいせつにすること ーネルソン・マンデラ 1993

声なき人の声をきくこと ーシーリーン・エバーディ 2003

環境をまもること ーワンガリ・マータイ 2004

どの子も学校に行けるようになること ーマララ・ユスフザイ 2014

ホーマー・ヒッカム・ジュニア著、武者圭子訳『ロケット・ボーイズ上下』草思社、2000年。

  NASAの元エンジニアによる自叙伝。アメリカ、ウエストヴァージニア州の炭鉱の街コールウッド。日本の地図帳には載っていない小さな街で高校に通うホーマー少年。後にNASAのエンジニアになる、サニーと呼ばれた青年がロケットの打ち上げに没頭した3年間を描く小説。巻末に、日本人宇宙飛行士土井隆雄氏が「本書に寄せて」で「夢を持つことはむずかしい。そしてその夢を持ち続けることはもっとむずかしい。だが、この本を読んで、夢を追い求めることのすばらしさにより多くの子供たちが気づいてくれることを願う。そしてより多くの子供たちが、すばらしい夢を見つけることを願っている」と語るように、サニーの情熱とその行動・実行力が主題となっている。

 それはそれで、大変面白いのだけれども、私が面白いと思ったのは、ロケットボーイの仲間たちや、とにかく優しいライリー先生、厳しい物言いと自立心の中にも息子への愛情にあふれている母親エルシーに支えられながら、ロケットを打ち上げ続けるサニーの姿に、徐々に心を開いていく炭鉱の労働者、学校の教員、教会の神父、そしてコールウッドの荒っぽくも暖かく見守ってくれる住民たちの描写であった。炭鉱の縮小・閉鎖といった街の変化を背景に、ロケットの打ち上げというイベントに、人が街が変わっていく様子が、これまた活き活きと描かれている小説だと思った。


■以下引用

上123 どこからでも、とにかくはじめてみなければわからないということだ。

下92 ドアが閉じられてしまったらね、サニ-、窓を見つけてよじのぼるのよ

下132 悲しみや怒りはわきに置いて、やるべきことをやりつづけるのよ

下252 自分で手をくださなくても、辛抱強く待ってさえいれば、いずれは町が物事を正しい方向におさめてくれる、そんな感じだった。

2022年1月30日日曜日

衆愚に見える目

 衆愚政治 ochlocracy 民衆を利用した扇動政治家によっておこなわれる、民主制の堕落形態とされる政治。(山川出版社『世界史用語集』より)

ギリシアの政治形態の変遷を読んでいくと必ず登場する用語。「政治」のことを言っているのだけれども、現代にも通じるよなぁ、と感じるところがあり。

息子が「子どもはオミクロンにかかるよりも、ワクチンの副反応の方が怖いんだって」と言ってくる。なるほど、テレビからの情報をとるとこういう理解になるのだな、と感じたところであった。たまたまFacebookを見ていたら「読んでください」みたいな記事があって(私にとってはお行儀の悪い内容で)同様に「子どもにワクチンを接種させないでください」といった懇願の投稿を目にしてしまいました。

確かに、政権や国の機関に信用がなく、「実はね…」という話の方が信ぴょう性がある、ということもある。大勢の人が集まれば、理由がないことであっても「こうなんじゃないか?」という問いの提出が、ある立場を形成して、あたかもそれが真であるかのような理由になることもある。たとえ、全く根拠がないことでも、です。

世の中、立場や背景が違えば、同じ問いに対する回答が異なる、なんてことは珍しくない。「真実は一つ」であっても、その解釈はその当事者、関係者、傍観者で異なり、さらに個人ごと他の誰とも同じではない背景があるので、「真実の解釈」は人の数だけ存在する、といっても過言ではない。ですから、自分の考えを主張して伝える時には、それなりの作法が求められるわけで、それが学術論文の作法であったり、これまでに培われた情報源としての信頼だったりするわけです。

WebやSNSという空間は、そうした作法や信頼をすっ飛ばして、広く多くの人に自分の主張を届けることのできる場なんです。根拠も示さず(あるいは間違ったデータを使って)持論をあたかも真実であるかのように主張するのは控えていただきたい。本当は助けられる生活が根底から崩されてしまう危険を引き受ける覚悟がない人は、きちんと学術論文の作法で主張をしてください。情報選びの邪魔になるだけです。それにしても、そんなデマをまき散らす人たちは一体何を目指しているのだろうか?

と、この投稿もある意味主張ですが、私が言いたいのは「公共の空間(Web)で邪魔しないでください」ということでした。

2021年総括、2022年の抱負

今年もよろしくおねがいします。

昨年は喪中につき、新年の挨拶は控えさせていただきました。

コロナ禍でも元気にやっています。


年末年始はあっという間に過ぎ去って、その後自宅待機などあって落ち着かなかったのですが、例年に倣い昨年の総括と今年の抱負とします。


まずは昨年の抱負のふりかえりから。

1 読書の継続 40冊+Audiobook50冊分

2 10分体操+素振り20,000本

3 機会をつくって帰省する

4 新しい仕事・勉強に前向きに関わり、柔軟に適応する。


毎年反省ばかりなのですが、数値目標には届かないのが常になってしまっています。これは数値にせず淡々と記録するのがいいのかな、とも思います。読書量はもう少し増やしたいけれども、かといって足りていないかというと、不足はしていない。ただ、もっと読みたいという気持ちはある、そんな感じです。

1の結果は、記録できたものを基に数えると、書籍14冊、Audiobook14冊分でした。月2冊分ちょっと、これに雑誌類。ちょっと視点を変えて、情報収集という目的から考えると、ラジオや音声コンテンツの利用時間は確実に増加しています。おそらく倍以上。ラジオの他、Voicyを使うようになったのが大きいか。「藤沢久美の社長Talk」や「話し方のハナシ」など、聴取が習慣化しているものもあったり、気軽に情報収集できるようになっています。こういったことを考慮すると、目標としては未達成とは言い切りにくい。ただ、もう少し本読む時間は作りたいんだよなぁと思うところです。

2の身体づくりは、10分体操はほぼ毎日、木剣等の素振りは15,510本くらいでした。このくらいになるのかな、とも思います。ほぼ毎日ラジオ体操と朝40~50本の素振りは欠かせず、開脚ストレッチやプランクをやっていた時期もありました。土曜朝イチのジョギングを再開させたので、体重を含め身体状況は概ね良好で維持といえるでしょう。

3帰省はできませんでした。2022年初めに3泊4日で帰省できたのは、今オミクロンが猛威を振るっていることを考えたら僥倖だったのだろうと思います。感染症がもう少し安心できる状況(感染そのものが落ち着いてくるor手軽な治療薬ができる、あたりか)になったら、連休を使って帰省しようと思います。母親をはじめ、家族のことが少し心配になってきました。

4は結局異動がなく、主査昇格のみで仕事は整理されずに増えたので、今までよりもしんどい思いをしていますが、それなりに楽しんでいる自分もいるので、前向きといえば前向きに取り組めているのかなと思います。

全体的には、前向きに守りに入っていたといえるでしょう。デルタ株が猛威を振るった後、ワクチン接種に社会が様々に同様し、ある程度落ち着いたら年があけてオミクロン株が猛威をふるっているというところです。いつ終息するのか、まだまだ見通しはつきませんが、変化の波にはきちんと乗りつつ、それでも地に足つけた行動をしたいものです。


ということを受けて、2022年の抱負です。

1 読書の継続 20冊+Audiobook20冊分+α

2 10分体操+素振り15,000本維持

3 30分程度を目安にした勉強習慣をつくる

4 新しい仕事・勉強に前向きに関わる。心穏やかに過ごす。


書籍だけではなく、AudioBookや雑誌、各種資料など、ありとあらゆることを学びの機会としてとらえ、情報や知恵を貪欲に取り入れていきたいと思います。このBlogの更新も発信の機会として、もう少しマメに更新したいものです。ここには数値目標を付けず、ただ、きちんとふりかえられるようにしたいと思います。3との関連で、資格試験を再度挑戦します。

身体づくりは現状維持で。2021年がなかなかいい習慣になってきたので、ジョギングとかウォーキングを取り入れて、平日は体操と素振りで体型も維持を目指します。アプリを使ったウォーキングを楽しみつつ、すべては体調維持・体力づくりに結び付けたいと思います。アプリの動画視聴の罠にははまらないよう。

そして、今年こそ異動かと思いますが、万が一の残留も含め、懐深く、ゆったりと、焦らず、深呼吸しながら、おみやげを残して、新しいところへ飛び込んでいきたいと思います。3月~5月はバタバタしそうだぞ。

もう一つ、身近な人たちとの関わり方で、現在進行形の課題があります。怒らないようにはなれたけれども、自分の心の状態を乱す出来事にいちいち反応してしまい、落ち着かない毎日です。心穏やかに過ごす、というbe課題を意識しつつ、余計な働きかけにも前向きスルーができるようになりたいものです。

ということで。遅くなりましたが、2022年の抱負ということで。今年もどうぞよろしくお願いします。