2008年6月30日月曜日

読書状況080630

<今週の状況>
読み応えのある本たちにあたってしまったようで、今週は「既読」になったものが少ない。
一応、進行はしている。
漫画の発売日とあたってしまったことも、多少は影響しているだろう。
既読となった、2つの漫画は結構な情報量である。
BPDに関するものについては、仕事で接する機会があったのと、「SETシステム」について説明する機会があったので、該当箇所のみ読んだ。
「SETシステム」については、後日アップします。

○既読
・精神保健福祉士養成セミナー編集委員会編『[改訂第3版]精神保健福祉士養成セミナー/第1巻 [増補]精神医学』へるす出版、2008年。
・弘兼憲史『専務 島耕作 5』講談社、2008年。
・田島隆、東風孝広『特上カバチ 13』講談社、2008年。

○一部
・ジェロルド・J・クライスマン他著、星野仁彦監『境界性人格障害(BPD)のすべて』ヴォイス、2004年。

○現在進行中
・『Foresight』2008年7月号。
・『Harvard Business Review』2008年7月号。
・吉野弘『二人が睦まじくいるためには』童話屋、2003年。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版①』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・アーネスト・シャクルトン『エンデュアランス号 奇跡の生還』ソニー・マガジンズ、2001年。
・トニー・ブザン、バリー・ブザン著、神田昌典訳『ザ・マインドマップ』ダイヤモンド社、2005年。
・服巻智子『自閉っ子、自立への道を探る』花風社、2006年。
・米内山明宏『DVD付き はじめての手話入門』ナツメ社、2005年。
・茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル」製作班編『プロフェッショナル仕事の流儀 あえて、困難な道を行け』日本放送出版協会、2008年。
・佐藤雅彦、竹中平蔵著『経済ってそういうことだったのか会議』日本経済新聞社、2000年。

2008年6月29日日曜日

ジョギング中のあいさつ

平日は、毎朝5時台に起きて勉強して、出勤前にジョギングする日課となっているわけですが、このジョギング中に、Iyokiyehaを含む大人たちに、丁寧に挨拶していく中学生がいる。

近所のおじさん、おばさんは何となく挨拶するのだが、学生は素通りしていくのがほとんど。
ジョギングに使っている荒川の土手は、犬の散歩をする人や、夫婦で散歩する人、ゴミ拾いしている人、通学中の学生、上半身裸でジョギングしているちょっと変態さんやら、様々な人がいる。
そんな中で、「おはようございま~す」と目を見てきちんと挨拶してくる中学生。
思わず「はい、おはよう」なんて言ってしまう。
・・・なんてオッサンなんだ、自分。

静岡に住んでいた時にも、小学生から元気よく「おはよーございます!」みたいな挨拶されたことがあるけれども、それと似た感覚かもしれない。
気分がいいものですね。

悪天候前の頭痛

昨日はひどかった。
Iyokiyeha夫婦は、偏頭痛があり、気圧の変化に弱い。
以前、富士吉田へ行くときの気圧のせいで休憩したことを書き込んだけれども、それとおそらく似たようなものだと思う。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/05/blog-post_14.html
(5月14日投稿分)

天候が崩れる前の、急な気圧変化に敏感で、頭重感が一日続く。
眠くないけれども、起きていてだるいので、横になるが、眠れない。

嫌な一日でした。
本日は、雨が降り始めているので、ナンボかマシ。
変な体質だなぁ。

2008年6月25日水曜日

間合いの感覚

師匠と乱取りの練習をする。

組み合ったときに、押し込んでくる相手に対する脇固めのタイミングは少しつかめたかなと。
もう少し敏感になれば、おそらく実践でも使える武器になるだろう。

「突き」の番になったときに、面白いこと。
突きが入る気が全くしない。
なぜかというと、Iyokiyehaの突きの間合いは、師匠が飛び込む間合いの内側にあるように思うからだ。
Iyokiyehaがじりじりと距離を縮めて「ここなら突ける」と思ったときには、師匠に飛び込まれているという状態。
この飛び込んでくるタイミングにあわせて、突きを入れなきゃいけないんだなと。
一瞬で正確に突いて、間合いを外す動きが必要なように思う。
でないと、昨日のように、下段の餌食になってしまう。

また、感覚を鍛えないとです。
だから面白いんですが。

2008年6月24日火曜日

県内小旅行

年休とって、富士吉田へ遊びに行ってきました。
名目は「リフレッシュ」ですが、あまり難しく考えず、嫁さんにホテルとかプラン立ててもらって、それにくっついていく感じで。
もちろん、運転は私です。
御坂超えは、やはり耳が痛くなるのですが、それを乗り切り富士吉田市へ。



食事については、徐々にアップしていきます。




宿泊した、ホテル「みづのさと」。
結構古いホテルのようにも見えるが、隅々まで掃除が行き届いていて、清潔。
従業員さんの対応も、気分がいい。
部屋は、嫁さんのこだわりで、風呂付のちょっと広めの部屋。

窓から河口湖が「バーン」と見える部屋のはずでしたが、あいにくのお天気で、どんよりした雰囲気。
「落ち着いた湖面」とでもすれば、風情もあるのでしょうが。







(快適なお部屋)

食後、ホテルのオリジナルワインなるもので、完全に酔う。
甘みのある、フルーティーなワインでした。



翌朝、近場の公園で開催されている「ハーブフェスティバル」なるものへ。
地元の農産品などが並べられたテントでのイベントと、湖畔に敷き詰められたラベンダーがメインのフェスタ。




(テントの中)





(ラベンダー。時期が少し早かった)

同時にガーデニングコンテストなんかもやっており、イベントとしては面白いのだけれども、ラベンダーが少し早かったのと、天気が悪く、肌寒かったので、一回りして撤退する。

その後、河口湖をドライブして、なんとなく時間をつぶし、ハーブ館で買い物。
ネコ避け用の「ルー」や、蚊避けの「ローズゼラニウム」、食用の「バジル」「レモングラス」などを購入。

ハーブ館裏手のレストラン「ロマラン」で昼食。
文句なしにおいしい料理。


食後、一路甲府へ。
せっかくなので、先日オープンした「LOC TOWN」へ。



(モールの中)

個人的には、戸田書店が入っているのがうれしかった。

運転やら何やらで、身体は少し疲れてしまったけれども、気分はリフレッシュできた休日でした。

レストラン ロマラン

河口湖大橋の南側、河口湖ハーブ館の裏手(南側)にあるレストラン。


(外観)

民家の中にひっそりとたたずむ、一見民家のようなレストラン。
文句なしにうまい。

ランチは4種類の料理からメインを選んで、スープ、サラダ、パンorライス、ドリンクで1,575円。
デザートは別料金(500円)くらい。

(コーンポタージュ)


(自家製パン)
おかわり自由。
ついてくるバターがまたうまい。
外はカリカリで、中はふっくらしたおいしいパンでした。
サラダは、確か有機野菜だとか。
「ヤサイ~」っていう味のする、食べていて「安心」な味です。

(チキンの黒胡椒ソテー・だったか?)
胡椒を効かせて、軽く揚げたような感じの鳥料理。
しっかり味なのに、なぜかくどくない。
油なのか調味料なのかわからないけれども、満足のいくおいしさ。

(ポークカツレツ・トマトソース)
嫁のチョイス。
嫁が4種類からこれを選んだときに、お腹の中の子どもが動いたのは、笑い話。
きっと、ウチの子どもはくいしん坊だろう。
トマトの酸味が効いたあっさりソースでいただく、ポークカツ。
しっかり、さっぱりで、こっちもおいしかった。

(くるみのタルトといちごのシャーベット)

(パウンドケーキといちごのシャーベット)
デザートもチョイスできた。
素材にこだわっているようで、どれもがとてもおいしい。
満足できるお店でした。
DATA
〒401-0301
山梨県南都留郡富士河口湖町船津6713-73
TEL/FAX: 0555-73-3717
定休日:水曜日
○ランチタイム(11:30~14:30)
 1,575円(4つの料理からメインを選ぶ。デザートは別料金)
○ティータイム(15:00~17:00)
 580円(お茶とお菓子のセット)
○ディナータイム(18:30~21:00) ※予約制
 3,675円~

お菓子屋 アーヴェント

旅行初日、土砂降りの中昼食をとり、ホテルのチェックインまでの時間をつぶしたお店。
富士吉田駅の北側すぐのところにある、喫茶店。
パンフレットには、「厳選された原料と富士の名水を使い、清潔な工房で一つ一つ手作りしております」とのこと。
ギャラリーが併設されており、喫茶店はそれほど広くないが、お菓子屋さんの一角でのんびりすることもできる。

Iyokiyehaはあんみつをチョイス。
歯ごたえのある白玉と、くどくないあんこ、果物と寒天の相性がよく、「安心する」味。
単品600円だが、あんみつ好きならそれだけ出しても後悔しません。


(あんみつ)

嫁さんはケーキセット。
好きなケーキにコーヒーor紅茶がついて750円。
こちらもお得。
イチゴショートは、おいしいイチゴがゴロゴロしていて、スポンジの間にもたっぷり詰まっていました。


(ケーキセット)


DATA
お菓子屋 アーヴェント
Haus Grun Mt.Fuji
〒403-0017
山梨県富士吉田市新西原1-8-1
TEL:0555-24-5888
FAX:0555-24-5823
http://www.fjmf.co.jp/abend/

2008年6月22日日曜日

読書状況080622

<今週の状況>
普段少しずつ読んでいる、月刊誌を読みきり、「プロフェッショナル」も一冊読みきる。
『大学生のための・・・』は、以前書店で衝動買いして、そのまま書棚で眠っていたもの。
表現活動による、内省と自己肯定感、身体への気づきなど、内容は多岐に渡っており面白かった。
『精神障害の・・・』は、ウチの研究部に在籍している(はず)の職員著のもの。
「就労」に特化した内容で、コンパクトにまとめられていたので、さっと目を通してみた。
先週から、小説(『エンデュアランス号』)を読んでいる。
以前、別の乗組員の手記は読んだことがあったが、シャクルトン著のものを読むのは初めて。
仕事に関する書籍で、BPDとか発達障害のものがあるが、BPDは担当になりそうなため、発達障害はこれまでちょっと勉強不足だったかなという反省から。
手話は、まず「見て」学ぼうということで、DVD付きのものを使ってみる。


○既読
・『Foresight』2008年6月号。
・『TOPPOINT』2008年6月号。
・茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル」製作班編『プロフェッショナル仕事の流儀 失敗の数だけ、人生は楽しい』日本放送出版協会、2008年。
・渡部淳『大学生のための 知のスキル 表現のスキル』東京図書、2007年。
・小池磨美『精神障害のある人たちへ 1 働きたいあなたへのQ&A』やどかり出版、2007年。

○一部
特になし。

○現在進行中
・『Foresight』2008年7月号。
・吉野弘『二人が睦まじくいるためには』童話屋、2003年。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版①』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・アーネスト・シャクルトン『エンデュアランス号 奇跡の生還』ソニー・マガジンズ、2001年。
・トニー・ブザン、バリー・ブザン著、神田昌典訳『ザ・マインドマップ』ダイヤモンド社、2005年。
・精神保健福祉士養成セミナー編集委員会編『[改訂第3版]精神保健福祉士養成セミナー/第1巻 [増補]精神医学』へるす出版、2008年。
・服巻智子『自閉っ子、自立への道を探る』花風社、2006年。
・ジェロルド・J・クライスマン他著、星野仁彦監『境界性人格障害(BPD)のすべて』ヴォイス、2004年。
・米内山明宏『DVD付き はじめての手話入門』ナツメ社、2005年。

2008年6月21日土曜日

カタチあるものは・・・

いつか壊れるものです。

N-Pocketを卒業する時に、当時の上司からいただいたものでした。
そんないきさつもあり、職場で自宅で愛用していたのですが、取っ手がとれてしまいました。
残念です。


(ほんわかな雰囲気のカップ)
今まで、ありがとうございました。

要約と表現

手話通訳者の養成講座も2ヶ月くらいになる。
Iyokiyehaの課題は、とにかく手話表現。
主に、単語の量かと。
これは、どうやって増やしたらいいのかな~と思いながら、とりあえず持っている『単語集』を机の上に置いてみた。
気になる単語がすぐに調べられるようにと。
言葉の勉強って、これで挫折するんだよね、私って。

先日の講座で、手話で講演されている人の映像を見て内容を掴むということをやった。
・・・ひどい劣等生でした。
何もわからん。
講師の「ここまでは、大丈夫ですね?」に「わからない」の手話で返す。
驚かれてしまいましたが、事実なので仕方がない。
で、他の受講生やら講師やらに、いろいろと教えてもらったわけですが・・・
久々の「わからない」体験です。
いいね、この「通じない」「わからない」の劣等生って。

でも、まぁおおよその内容がつかめた後の要約は得意なんです。
言われたことが把握できているわけですから。

講演の内容を要約して、(1)講師の肩書き、(2)東南アジアのろうあ者の課題、(3)(2)はなぜ?、(4)そのためにどうするか、をまとめて発表するグループワークになって思ったこと。

Iyokiyehaの「要約」スキルは結構高いかもしれない。

別にうぬぼれているわけでもなく、自慢しているわけでもないですが。
というのも、Iyokiyehaはこの日劣等生ですから、おとなしくしているわけですが、周囲のやりとりがどうもわからず。
「ここに『課題』って書いてあるから、これが課題ですよね?」
「いや、○○のところが課題じゃないですか?」
「△△や□□はどこに入るんですか?」
「あー、わからない!」
グループ内がだんだんいらいらしてくるのがわかります。
Iyokiyehaが「この講演って、こんな感じですよね?」とプリントの裏に、講演の構造を図示しながら説明すると、なぜかみんな黙ってしまう。
グループ内で一番手話のできる方が、何か釈然としない顔をしているのもわかる。
「じゃあ、どれがどこになるんですか?」
やや、語気は強い。
「こんな感じじゃないすか?」
図示した上から、課題の番号を振っていく。

YESともNOとも言われず、時間ばかり過ぎていく。
巡視していた講師が、私の図示したものを指差し「これでいい」と表現すると。
「じゃあ、これで行きましょう」
みたいなコンセンサス。

結局、時間がないところで発表用のプリントを作成したので、講師から「まとめすぎ」という評価を受けたのですが、まぁそれも御愛嬌でしょう。
それほど外した感はないし。

この経験から学んだことは、手話通訳って、手話の技術と文章を短時間で要約するスキルが必要なんだなと。
私の場合は、手話の技術なんでしょうが、文章要約ってどうやってトレーニングしてきたんだろうと、ふと思ったわけです。

2008年6月18日水曜日

ココロジカルな話題提供

先日、所内で県内で活躍するジョブコーチさんのミーティングでこんな話をしました。



(表題)

今の職場は、私が一番年次も低く、若手(!)なのにも関わらず、先輩やベテラン、所長まで同席の下で、人的支援に関する話題提供をするという、なんとも「つるし上げ」のような構図で、お話しました。
チープな「自分らしさ」ではなく、普段の業務の中で、Iyokiyeha自身が心がけていること、そして考えていることを「職業リハビリテーション」の枠だけにとらわれず、率直にまとめてみました。


(お話の流れ)
「ココロジカル」なんて、ちょっとふざけた造語を使ったわけですが(厳密には「ココロジカル」とはJPモルガン・アセット・マネジメントの投信商品の名前だったりする・・・)、精神障害の障害特性だけでなく、他の障害者、果ては日常生活における人とのやりとりにも通ずる、「相手の心的状況に、論理的に迫っていく」ことについて、「支援の原則」と絡めて構成してみました。




(職業評価に基づく、効果的な支援イメージ)

当日、話をしていて、結局まだうまくまとまっていない(=伝えきれない)ことは、この職業評価とその内容に基づく計画の立案・策定なんだろうなと思うに至りました。
職業生活に課題のある現状を、板に釘が刺さっている状態とし、その釘や板の状況をよく見ることを「評価」、でっぱった釘はその人の「課題」、釘を打ち付けるために叩き方を考えるのが「支援計画」だし、釘を叩いてみることが「支援」となるわけです。
このメタファーを思いついたとき、「これだ!」と思ったのですが、当日このスライドで実際にしゃべってみると、Iyokiyehaが考えていることをよりよく伝える方法はまだあるな、という課題を持つに至りました。
職業リハビリテーションの関係者にはわかる説明だったという実感を持つには至りましたが、そもそも「職業リハビリテーション」の概念のない人には伝わらないだろうなと。






(5W1Hを説明する)

これって、小学校1年生のときに「日記の書き方」みたいな単元でやることなんだよね。
みんなやっているはずなのに、なぜか忘れてしまう。
Iyokiyehaは学生の時に、先生にくっついていっていろんな現場を見て回り、その報告をしていたから、何となくできていたようにも思うけれども、改めてこういう形にしてみると、自分でも勉強になる。
でも、これって「話の聞き方」だけじゃなくて、日記じゃないけど「報告書」の書き方とか、様々な文書作成のときに、そのまま使えることだと思う。
公文書だって、難しい漢字使ってるけれども、書いてあることはこういった内容ですから。
でも、それに気づいたのは、自分で公文書を作るようになってからです。




(対象の中にあって、対象が直接表現できないことを「共に描く」)

以前紹介した「コーチング」の考え方で、「オートクライン」というものがあった。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/06/2002.html
要は、そこで本人の意識に浮かび上がってきた、「本人自身の大切なもの」を逃さずに描いていくということ。
昨年度の途中で、認知行動療法の勉強を始めた頃から、これと同じことにこだわってきたが、「コーチング」の考え方でそれがきれいにまとまっていたことを知り、ちょっとご満悦だったりする。
だって、言葉は消えるんです。
「オートクライン」を起こすことが目的で、それに基づいて本人がそこで生まれたことに気づいて自律していける人なら、物理的に描くことをする必要はないけれども、そういう視点が弱い人には、難しい作業になるから、それをサポートする。
「いい気づきしてるよ!」って気づかせてあげる。
「そうか!」と思えば、後は「水路付け」してやれば後押しなんかしなくても本人が勝手に変わる。
「なんとかしなきゃ」の恩着せがましい対応は、必要ないようにも思います。




(まとめという名の「迷い」)

今回作ったスライドで、話題提供の時にしゃべっていて一番しっくり「こなかった」のがこのスライド。
「イマイチ」。
大切なことなんですが。
5W1Hで把握して、「大切なもの」を共に描くことが、「自己決定を促す」こととの接点をロジカルに説明できなかったように思う。
ここのところ、いわゆる「支援者」と話をする機会が多く、その中で感じているのは、「なんとかしなきゃ」の主観をいかに排除するかということ。
もちろん、「ドライ」と言われてしまうこともあるのですが、本人が本当は「何を望んでいるのか」ということ次第なんだろうなと。
法律屋が「依頼で動く」ように、我々の障害者支援業務も、結局は本人の「依頼」に基づいて動くわけで。

極端な話。
本人の「真のニーズ」を把握すれば、本人が納得いく計画は立てられるし、同意を得られないわけがないし、効果が上がらないわけがない。
その時々の課題が、一体何なのか。
それは、どういう形で現れ、どういうアプローチが必要なのか。

そういう見方も必要なんじゃないの?と切に思うわけです。

居付き

武道全般で使われる言葉のようだが、次の動作ができない、または非常にしにくい体勢のことを指す。
例えば、身体が伸びてしまった時、次の一歩を踏み出すのが遅れてしまう。

師匠と乱取りをしていて、自分の突きの間合いに入ろうとすると、それよりも早く師匠に前に出られてしまう。
一度、お互いの間合いの外から正面当ての形で、真正面から突っ込んでこられたときに、おそらく居付いたのだろう。
「おっ」と思ったときには、自分の間合いに入り込まれていたので、あわてて下がるが、師匠の前進とIyokiyehaの後退とではスピードの差は明らか。
結局止まることも、切り返すこともできず、後退しながらバランスを崩したところに正面当てが軽く入り、その勢いも手伝ってズダーンと。勢いが良すぎて、一回転してしまった。

振り返ってみると、間合いの外から突っ込まれているわけだから、距離を合わせて突きを入れるか、体捌きで相手の側面に入っていくか、ということが考えられるわけだけれども、その一瞬というのは心身ともに「居付き」が生じているかのような状態となっている。
身体は伸びて動けなくなり、思考は「やばい」で埋め尽くされて、次の一手を考える隙間もない。

この一瞬の「迷い」が、実践では勝敗を分かつのだろう。
そして、打つ手を具体的に身体が知っているかどうかで「迷い」の量は減少するのだろう。
黒帯と白帯の決定的な差は、技を知っているだけでなく、それに伴う心の居付きが少ないことによる「迷い」の少なさ(なさ)なのかもしれない。

ラジオの恋愛相談

精神障がいを持つ人との接し方、みたいなテーマで話をすることになってから、身体がそういうモードになっているようだ。
いろんな身近なことから、Iyokiyeha自身をふりかえる機会が多くなった。

例えば、ラジオの恋愛相談。
FM-FUJI21時台の番組で、よく高校生の恋愛相談をやっている。
個人的には、ばかばかしすぎて、苦笑いの連続だけれども、Iyokiyehaが上記のようなことを考えているので、こんなことを考えてしまう。

「このDJのコメントは、絶対やっちゃいかん」

車の中で、一人でうなずいて納得していたりする。

結局、「自分ならこうする」というアドバイス(?)って、相手が納得しない限りは「押し付け」に聞こえてしまいがち。
「俺は、告白するのも手だと思う。でも、失敗したらおちゃらけたらいいよ」
こう、背筋がぞっとする感じで、空笑いをしてしまう。

「ニーズは必ず本人の中にある。それを見える形に引き出してあげるのが相談業務」
今日、しゃべることに一本軸ができた感じです。

2008年6月16日月曜日

恥と参加

手話の講座にて。

「恥ずかしい」という理由で、個別作業の成果物を人に見せない方がいた。
音声でニュースを模した文章を聞いて、その内容を自分なりにメモをとるというもの。
誰がいい、悪いではなく、配布された紙にメモをして、それを交換する際、「こんなの、見せられない」と一言。

その一言が、どれだけ場の雰囲気を悪くしてるのかってことを、全く考えていないようにも見える。

課題の趣旨を掴んでいないだけでなく、活動に参加していないってことは他の人の学習を手伝っていないと考えられる。
欧米諸国の考え方ですかね?
発言しないと、授業に参加していないって捉えられるとか聞いたり、調べたりしたことがあるけれど。

この原則から行くと、活動に参加していないなら、あっち行ってなさいって感じである。
手話の講座なんて、恥かいてナンボだと思っているのだけれども、どうやらそういう意識は薄いらしい。
まぁ、それならそれでいいのですが、それなら少なくとも私の勉強の邪魔はしないでほしいものである。

2008年6月15日日曜日

読書状況080615

○既読
・伊藤守『コーチング・マネジメント』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2002年。
・PHP総合研究所 経営理念研究本部編著、松下幸之助話『松下幸之助が直接語りかける 仕事で大切なこと(CD付)』PHP研究所、2008年。
・李登輝、小林よしのり編『李登輝学校の教え』小学館、2003年。

○中断
・精神保健福祉士養成セミナー編集委員会編『[改訂第3版]精神保健福祉士養成セミナー/第6巻 [増補]精神保健福祉援助技術各論』へるす出版、2008年。

○現在進行中
・『Forsight』2008年6月号。
・『TOPPOINT』2008年6月号。
・茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル」製作班編『プロフェッショナル仕事の流儀 失敗の数だけ、人生は楽しい』日本放送出版協会、2008年。
・吉野弘『二人が睦まじくいるためには』童話屋、2003年。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版①』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・渡部淳『大学生のための 知のスキル 表現のスキル』東京図書、2007年。
・アーネスト・シャクルトン『エンデュアランス号 奇跡の生還』ソニー・マガジンズ、2001年。
・トニー・ブザン、バリー・ブザン著、神田昌典訳『ザ・マインドマップ』ダイヤモンド社、2005年。

WA.O.N(わおん。)

組合の帰り、同期Kと一杯やろうということになって立ち寄る。
田舎者のIyokiyehaは、新宿駅が苦手で彼に任せる。
西口(たぶん)だったと思うが、地下街にあったお店がちょっと気になり、入ってみる。

(「わおん。」入り口)
立ち飲み屋でした。
居酒屋ではなく。
椅子はなく、立ち食い蕎麦みたいなつくりで、レジに行って飲み物とつまみを買って一杯やるお店。
我々は、電車の時間を気にしながら1時間ちょっと居座ったのだが、お客さんの回転は早く、それこそ仕事帰りのサラリーマンが、ビールを一杯飲んで帰って行くようなお店だった。
いろんなお店があるなぁ。
決して、おいしいお酒があるわけではなく、おいしいおつまみがあるわけではないですが、これはこれで面白い。
つまみの値段は300円均一。
悪くないです。
WA.O.N わおん。
どんぶり/たちのみ
TEL: 03-3342-6864

Natural Beat

一昨日、組合で東京浜松町へ行ってきました。
PSWの勉強が遅れていたこともあり、電車の中でもガリガリと専門書を読み、寝て、昼食ものんびりととっていこうと思っていました。
浜松町へ行くと、いつも使っていたお店が「Natural Beat」というのですが、なんと浜松町店はなくなっていました。
建物が残っていただけに、なぜか寂しい気分です。


(スタンプカード、使えなくなってしまった)

ここのサンドイッチはおいしいです。
他にも店舗があるみたいですから、機会があればどうぞ。
http://www.naturalbeat.com/

ストライキの権利と実施

一昨日6/13は、組合の会議で東京まで行ってきました。
昨年までは、いつか脱退しようとばかり思っていた組合ですが、昨年度の定期大会に出席して、一時金交渉にも根拠があった(「6.26議事録」というやつです)ことや、昨年あたりからの労使交渉がどうもひどい結果に終わっている(そもそも、労使交渉の形にもなっておらず、当局が無茶やってくれてきた経緯)ことを知るにつけ、本来の意味での組合の存在意義みたいなものを知ることができ、とりあえず脱退は考えないことにしているところです。

とはいえ、Iyokiyehaが勤務している「独立行政法人」というしくみは、国というバックグラウンドがあるとはいえ、それがもとで労働条件の改善がされないという実態があり、かつ公的機関であっても身分保障がされていない(緑資源機構の「廃止」が昨年度話題になりましたが)わけです。
このあたりは、「お前ら何を言うか」とお叱りを受けそうなところではありますが、誤解を恐れずに書いておくと、「業績」如何に関わらず、「要らない」という判断により「廃止」されるという状況があるわけです。
この、業績如何というのが曲者で、民間企業とはやや違う角度で評価されるわけで、「国民の理解」や「国民のニーズ」と呼ばれる漠然としたものによって、我々の生活はかかっているわけです。

そんな折、当機構の当局では、賃金(一時金含む)の一律切り下げや、職員に対するクレーム対応の折、本部から施設に対し「指導」が入るとか、職員を補充するために他施設に欠員を出すとか、なかなか素敵なことをやってくれています。
こういった経緯から「ストライキ」に関する議論も起こっているわけですが、この意見集約を聞いていると、どうも論点がわからなくなります。

スト権を持つことの是非について、議論が進められているようですが、昨日も「何の要求に対し」「どんな方法で」というところで問いかけられました。
幸い、話題は振られなかったので発言はしなかったのですが、どうも賃金(一時金)に関する意見に終始してしまい、深まらない意見交換に終わりました。

「賃上げ交渉に関して、ストも辞さない姿勢で臨む」とするならば、Iyokiyehaは賛同しません。
賃金が「多い・少ない」というのは、個々の感じ方によるところが大きく、その感じ方は個人の置かれた状況によってことなります。
基盤が違うところで、一つの「価値観」を巡って交渉に臨むというのは、戦術としてもイマイチなように思います。
そしてこれは、やはり価値観と現実との戦いになるので、どうしても現実に押し切られてしまうことになりかねません。
Iyokiyehaがもし組合の立場であれば、「ルールを公然と破る上層部に対し、『ルールを破ろうとする時に』ストを辞さない姿勢で臨む」という地点で共闘をしかけると思います。
具体的な方法がないので、まだ個人内でも検討中ですが。

このあたり、ウチの組合もしっかり活動されているので、おそらく視野に入っているとは思うし、ロジックも伝わると思うのですが、なぜ会議の場で発言として出てこないのかは不思議です。

Iyokiyehaは、言いたいことだけ言って、様子見するとします。

2008年6月14日土曜日

精神保健福祉援助技術各論(草稿)

家族への個別援助についてまとめ、考察する。


1.はじめに
 精神保健分野の援助活動は、特に「援助を必要とする人(以下「本人」とする)」と本人が関わる「環境」への援助を意識する必要がある。
援助計画は、本人の「こうなりたい」という「本人ニーズ」を基に作成されるが、もう一つ重要なのは、本人を取り巻く環境に対する援助である。本人支援は、専門家による支援の後、社会生活の中で日常関わる人の適切な配慮が継続されるのが望ましい。援助計画を作成する際、こうした援助体制を築くことも、念頭に置く必要がある。本人を取り巻く環境の代表的なものとして家族がある。
 本稿では、家族への個別支援に焦点を当てる。テキスト『[増補]精神保健福祉援助技術各論』(へるす出版)を中心に、個別援助の過程をまとめ、その上で家族への個別援助の必要性をおさえ、家族への個別支援の在り方について考察する。

2.個別援助のプロセス
 援助の手法としての個別援助は、以下の段階をたどる。
 (1)インテーク
 (2)情報収集
 (3)アセスメント
 (4)援助計画(の策定)
 (5)援助介入
 (6)モニタリング
 (7)終結
 もちろん、全ての段階で考慮すべきことがあり、どの段階も重要だが、本章では家族への個別援助を考察するため、特に(1)~(4)について取り上げる。
 援助は策定された計画に沿って実施される。よって、この段階では、援助対象者の求めを的確に把握し、実施可能な援助メニューの中から最も効果的なものを提案し、援助対象者から了解を得なければ援助は開始されない。
 では、援助対象者のニーズ把握時、支援者が特に意識すべきことは何だろうか。
 テキスト10ページには人間理解のために必要とされるフロイトとランクの説が、13ページにはソーシャルワーカーの基本とすべき姿勢が7項目あげられており、いずれも対象者ニーズを把握するために意識すべきことと考えられる。
 ここで示唆されていることは、対象者ニーズの把握は、質問項目だけではなく、言動や仕草、本人の変化や支援者との関係など、様々な要因によって多角的に把握されるものと解釈する。つまり、言葉にならないニーズも存在し、そこに援助対象者の真のニーズが隠れていることもある。援助計画は、この真のニーズが把握できて初めて、効果的なものとなる。

3.家族への個別支援の必要
 精神障害者の社会生活を援助する時、家族の協力の有無は大きい。しかし、本人ニーズ実現のためだけに家族に大きな負担を強いるわけにはいかない。本人ニーズを満たすために、本人を取り巻く環境(としての家族)が疲弊すれば、結果として本人の再発リスクも大きくなる。
 よって、援助活動は、本人もその家族も幸せになることが、その終結といえる。この実現には、本人援助にあたり、家族が抱く不安を取り除くことが求められる。本人援助同様、家族ニーズの的確な把握と、それに基づく社会資源や制度等の情報提供等が必要となる。
家族へ個別援助を実施すると、家族が精神的な余裕を持つきっかけになる。家族が、本人の生活を支えるために過度な責任を負うことなく、本人とともに幸せを求めることができる。

4.おわりに
 さて、精神保健分野の援助活動について二つのことを述べた。一つは、援助対象は本人と環境(≒家族等)であること。もう一つは、援助計画は対象者の真のニーズが把握されて初めて効果的になるということだ。
 精神保健福祉士の役割は、生活全般に関わる。そのため、本人ニーズだけでなく、家族ニーズも正確に把握して初めて援助計画を立てられる。私には、2.で取り上げた個別援助プロセスの(2)(3)が、本人のそれと家族のそれとが平行して実施されるイメージとして整理できた。
正確なニーズ把握に基づく的確な援助ができるよう、本人だけでなく家族からも信頼を得られるような精神保健福祉士になりたい。
(勉強メモ)

2008年6月13日金曜日

伊藤守『コーチング・マネジメント』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2002年。

以前読んだ、『図解コーチング・マネジメント』の親本。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/05/2005.html
(2008年5月25日投稿)
会話を広げ、会話を促進するコーチングの仕事・技法について、具体例を交えて当時の「コーチング」理論について充実した内容にまとまっている。
「現状の明確化」と「理想の明確化」、そして「ギャップへの気づき」から「目標設定」「行動計画」の作成という、一連の「コーチング・フロー」を生み出していく。
この手法は、おそらく今の私の仕事にも活かせるだろうし、日常の会話にも節々で活かせるものだと思う。

特に学びのあった箇所3点について。

1)acknowledgment
これについては、前述した通り。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/04/acknowledgment.html
(2008年4月20日投稿:acknowledgement(認めること))

2)オートクラインとパラクライン(97ページ~)
振り返れば当たり前なのだが、「すべては人の内側にある」ということ。
AがBに話しかけることによって、Aの持つ情報がBに伝達される。
これが「パラクライン」。
一方で、AはBに話しかけながら、A自身は自分のアイディアを聞いているということもある。
これが「オートクライン」。
このことは、誰にでも起こりうることで、偶然ではなく誰もが「意図的に」実施しているという。
話していて、始めて自分の考えが理解できたり、整理できたりする。
Iyokiyehaは、しょっちゅうオートクラインが起こっているのだろう。
だから、しゃべりすぎてしまう。
だって、楽しいから。
以下、経験則だが、この「オートクライン」が起こりやすい人とそうでない人はいると思う。
私にも、話していて「あぁそうか」と勝手に気づいてしまう人がいる。
こういう人は貴重です。
私も、仕事モードでクライアントと相談するときには、クライアントの「オートクライン」を引き出す存在でありたい。

3)コーチングの機能する領域(272ページ~)
コーチングの理論は、これが万能だとうたっていない。
重要度(importance)と、緊急度(emergency)の関係により「重要だが、緊急ではない」場合に、コーチングの手法はもっとも機能するということを、はっきりと示している。
いくら、仕事に役に立つだろうと思っていても、重要かつ緊急の際に、じっくりとコーチング・フローを生み出す会話をするわけにはいかない。
TPOに応じた使い分けをすべきことを、この本では示唆していた。

「コーチング」を基礎から学びたい人には、おすすめの一冊。
「コーチング」は、いい意味で特別な技能ではないことが、よくわかります。


おすすめ度:★★★★★

2008年6月12日木曜日

アキハバラの事件

連日、ニュースで報じている秋葉原の通り魔事件。
昨日も、朝ラジオで経過を聴き、帰宅後、テレビでも報道されていた。
何の罪もない方が、一人のあまりに身勝手な思考のもとで犠牲になる。
白昼堂々と、その悲劇は起こったらしい。

昨日になって、報道に何となく違和感を覚える。
それが何なのか考えてみると、一つはこの事件を通して「Webの在り方」が問われていること。
もう一つは、同じく「非正規雇用」が語られていること。
結論から言えば、どちらもこの事件には直接関係ないもののはずなのに、「何か」別の力がこれらを強調しているように思えてしまう。

事件を起こした若者が、その事件を予告し、犯行直前にもインターネットを介した掲示板に書き込みをしていたとのこと。
携帯電話端末専用のサイトだから発見できなかった、事故は未然に防ぐことができなかったのか、などという「問いかけ」が連日の放送に盛り込まれ、何となく「Webリテラシー」や「書き込み規制」の流れを作っているようにも見える。
そこに、子どもに携帯電話を持たせないなどのニュースも平行して流されると、どうも携帯電話端末もしくは、Webに何らかの規制をかけたい「誰か」の思惑が見え隠れしているように思えて仕方がない。

このBlogにも同じことが言えるけれども、Webにアップされる文章は基本的に「便所の落書き」くらいのものでしかないだろう。
ただ、若者の掲示板と、私のBlog、大人気Blogとを比べると、そこには「定期的にアクセスする人の数」に絶対的な違いがあるといえる。
言ってみれば、毎日使うトイレを、どの場所にするか決めている、もしくは、たまには使ってもいいか、と思っているかどうかである。
その程度のもので、事件を未然に防ぐことができたのかどうかということである。

非正規雇用についても取り上げられているが、これは事件とは全く関係がない。
精神障害者が「ライシャワー事件」などを契機に、取り締まりの対象になったが、非正規雇用者がそういった取締りの対象になるとは思えないし、だからといって、この事件を契機に雇用情勢が変わるかというと、決してそうは思わない。
ただただ、煽っているだけじゃないのか?


冒頭にも書いたが、犠牲になった方は、この若者の「身勝手な思考」の犠牲者でしかないように思う。
その「思考」について、調べを進めた経過をきちんと報道してほしいとは思っているが、関係ない議論については、安易に煽らないでほしいと思っている。
そして、情報に踊らされないようにする、情報を見抜く目を養っていたいものだと感じた。

2008年6月11日水曜日

体内に溜まったエネルギーを「活かす」

先日、「腰の内側の動き」を前進エネルギーに換える、などというイメージを投稿した。

http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/06/blog-post.html
(6月4日投稿:緊張状態と間合いの感覚)

昨日は、その実践編。
おそらく、理屈自体は間違っていないし、相手の突きを左側にかわした時に、左足で軸をずらし、それについてくる右足の軌跡を、膝で調整し、腰の内側を意識しながら右斜め前にスムーズに移動する感覚はわかったような気がする。

体内にあるエネルギーを、消してしまわないように、常に「アクティブ」のような状態にしつつ、その方向を制御する感覚。
「アクティブ」にしておくためには、「ストップ&ゴー」ではなく、腰の内側で常にそれが「動いている」状態を作っておくことが必要となる。
動作だけ見れば、「左後方→右前方」と移動しているわけだけれども、腰の動きを切り出せば、「半右回転→半円運動→平行移動」とでもなるか。
微妙な動きによって、常に「動き続けている」ことになる。
その出所を膝で調整することで、思う方向へ移動する力が生まれる。

自己満足の世界ですが、面白すぎる。
身体への気づきと、それができるようになった(わかった)ときに「ピン」とくる感じがたまりません。

李登輝、小林よしのり『李登輝学校の教え』小学館、2003年。

台湾前総統の李登輝氏と、日本を代表する漫画家の小林が2000年に対談した内容。
時は、総統を退いた李登輝氏が、日本入国を巡って話題になった直後。
小林よしのり『台湾論』も非常に充実した内容であったが、こちらはその内容を李登輝氏の見解を交えて、より深めていくような内容。
深く、そして幅広い。
豊かな発想と、行動力。
まさに、国民と「信頼」で結ばれて民主主義政治を台湾に根付かせた李登輝氏の信念のようなものが、対談の節々に垣間見ることができた。
その信念と信頼は、台湾という国に留まらず、今では世界へとその視線は向けられている。

日本人が、日本に対して自信をなくしているのではないかという鋭い指摘。
高度な物質社会、経済社会において、理性や合理性では説明のつかない非合理的な大切なもの(人を好きになる、恋愛する、拠り所が欲しい、など)を忘れかけている。
しかし、社会を構成する上で、より多様性のある社会(=プルーラル・ソサエティsocial pluralism)を目指すためには、もっと高次の部分で共通する価値を見出さなければならないとしている。

すごく迫力のある読み物で、一気に読まされてしまった。
面白い。
李登輝氏の主張は、鋭く、そして明快だった。

おすすめ度:★★★★★

2008年6月8日日曜日

読書状況080608

先日、友人から「最近、どんな本を読んだ?」と問われたことをきっかけに、読書の進捗状況をメモしておこうと思い立ちました。
このブログ「書籍」タグで、Iyokiyehaが読み終わった本のいくつかは紹介しているのですが、紹介していない本も多数あるので、メモ程度に記録していこうと思います。
こちらは「読書状況」タグで管理します。
あくまで、私のメモということで、列挙だけしますが、どうぞご了承ください。
また、既読または中断となった書籍は連絡いただければ貸し出しにも応じますので、ご利用ください。

○既読
池上彰『ニュースの読み方使い方』新潮社、2007年。
坂野憲司・堀田和一編『臨床に必要な精神保健福祉 -精神保健福祉論』弘文堂、2007年。

○現在進行中
・『Forsight』6月号。
・精神保健福祉士養成セミナー編集委員会編『[改訂第3版]精神保健福祉士養成セミナー/第6巻 [増補]精神保健福祉援助技術各論』へるす出版、2008年。
・伊藤守『コーチング・マネジメント』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2002年。
・PHP総合研究所 経営理念研究本部編著、松下幸之助話『松下幸之助が直接語りかける 仕事で大切なこと(CD付)』PHP研究所、2008年。
・李登輝、小林よしのり編『李登輝学校の教え』小学館、2003年。
・茂木健一郎・NHK「プロフェッショナル」製作班編『プロフェッショナル仕事の流儀 失敗の数だけ、人生は楽しい』日本放送出版協会、2008年。
・吉野弘『二人が睦まじくいるためには』童話屋、2003年。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版①』講談社インターナショナル株式会社、2007年。

メリハリのある生活

先日、嫁さんが帰省したときに始めた早起き。
平日は5:30頃起きている。
一週間、何とか続いた。

早起きして、何をしているかというと、勉強かそれに類する読書。
自宅でぐだぐだするのが以前から嫌いだった自分。
でも、ガリガリ勉強しすぎると、嫁さんの視線も鋭いし(笑)、何より私の体力がしんどい。

本日は日曜日だが、7:30に起きて、お茶を沸かして読書を始めたところである。
PSWのもがんばらないといけないし、普段読みたくても読めない本を、朝イチの冴えた時間にガリガリ読む楽しみができました。
朝勉強しておくと、夜も適当なことやって、すぐに寝れるし、そもそも朝の勉強は効率がいい。

ということで、メリハリある生活のために、早起きを続けようと思います。
なお、出勤時間は変わりませんので、あしからず。
相変わらず「ギリギリ」です(笑)。

2008年6月7日土曜日

池上彰『ニュースの読み方使い方』新潮社、2007年。

平成16年にダイヤモンド社から刊行された『池上彰の情報力』を改題し、加筆・改稿したもの。

「『問題意識』を持っていると、情報は飛び込んでくる」というくだりは、私が以前行きつけの書店に行くと、まれにあった感覚と同じようなもののように感じた。
漠然とでも「読みたいな」「知りたいな」と思っていることがあると、いつものルートで書店を歩いているだけで、なぜか「ピン」とくる。
不思議なものだ。

池上氏は、新聞スクラップや読書メモなどを作成することによって、情報整理している。
方法そのものは、いくつか活かしながらも、不精な私にとってはなかなか真似できないものも多い。
ただ、原点に返って「なぜ情報収集するのか」ということに関して、池上氏の主張は「仕事の上でもプライベートでも、的確な情報をもとに、正しい判断ができるようにするため」(223ページ)である。
このことは、池上氏が特に主張している内容ではなく、各分野で「一流」と呼ばれている人が情報収集について語るときに、必ずといっていいほど言われる内容である。
この原点に立つと、自分に「必要」かどうかは、整理してからわかることだということもわかる。

ニュースの読み方に留まらない、情報収集に関する池上論。
文庫版は手軽に楽しめる分量です。


おすすめ度:★★★★★

押尾コータロー『Nature Spirit』

超絶技巧ギタリスト、押尾コータローのアルバム。
収録曲は全て、ギターメインの楽曲。

Web評価は、賛否分かれるようだが、とても真似できないような音を出す押尾コータローのアルバムは、どれを聞いてもさわやかな気分になる。
印象としては、ギターの音を前面にシンプルに聞かせる楽曲が多いというところだろうか。
家で読書をするときにも、書き物をするときにも、ドライブにも使える、便利な一枚。


おすすめ度:★★★★☆

御礼の受け取りと、金品授受

仕事の上で、時々申し訳ないと思うことがある。
就職前の支援が終わった方や、就職が決まった方、その家族が「お世話になりました」と菓子折りを持ってこられる。
「申し訳ありません、受け取れないことになっていますので……」
そうは言うものの、持ってきた方はその手前引っ込めることもできず、
「いえいえ、大したものではありませんので、どうぞみなさんで」
など。
「本当に、申し訳ありません。受け取ると上司に怒られてしまうので……」
とか言って、お引取り願うのだが、中には事務所の玄関において行く方もいるわけで。
以前それをわざわざ郵送で送り返すことまでした所内の対応を見て、嫌気がさしたのを思い出しました。

以前から、よくあることですが、Iyokiyehaの所属も公的機関ですから、こういったやりとりがあります。
先日も、Iyokiyehaが仕事で知り合った方が、キャンペーンとかでクーポン券を持ってきてくれました。
「お世話になっている人への御礼です」なんて。
うれしいですね。
人と関わる仕事をしていると、こういう人との接点ができるから楽しいです。
でも、そのクーポン券を受け取れるかと言うと……

そんな折、こんなことがありました。
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080606AT3S0601006062008.html
(日経ネット:タクシー問題、金品受け取り502人、累計1万2400回:6月5日)

このことと一緒くたにされるのは、本当に心外です。
これは許せない。
でも、Iyokiyehaが「心外だ」と思うこと、すなわち、自分が仕事の中でクーポン券を受け取ることと、タクシーの中で金品受け取りがあったことを分かつことは何だろうと考えてみる。
これが、人の間を動く物品だけを見ていたら全く変わらないわけです。
理屈としては「Iyokiyehaは自分を正当化したいだけ」です。

事実、そうかもしれません。
実際に、倫理規定なんてのは、これと同じ理屈で成立しています。
でも、敢えてここに切り込むとすれば「モノを渡したい『動機』が何か?」ということしかないわけで。

このことは、おそらく今の職場にいる限り、ずーっと考えることだろうな。
Iyokiyehaが、会社の倫理規定をクリアできる論やそれに基づく方法が立てられた時に、堂々と受け取りたいと思います。

精神保健福祉学(草稿)

ライシャワー事件を取り上げ、精神保健法改正の要点をまとめ、精神保健福祉法との比較をしなさい。


1.はじめに
 日本における精神障害者の処遇は、その当時の世相を反映した法律によって定められてきた。成立順に、1900年の「精神病者監護法」、1919年の「精神病院法」が、1950年の「精神衛生法」へと集約され、国内外の様々な動向を受け、1995年に「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(以下「精神保健福祉法」とする)が成立し今に至る。この約100年の動向をまとめると、「精神障害者を危険な者と捉え、公的な管理と隔離を実施する」ことから、「精神障害者を社会参加が困難な者と捉え、本人の意思と地域生活を支えていく」ことへと、大きく変化してきたといえる。
 この変化は、順次段階的に変更されてきたわけではなく、法改正により精神障害者の管理・隔離が強化されたこともある。
 本稿では、この代表的な例としての「ライシャワー事件」が1965年の精神衛生法改正に与えた影響を整理した上で、その内容と精神保健福祉法の内容とを比較し、現行法がどのような考え方のもとで施行されているかをまとめる。

2.ライシャワー事件による法改正への影響
1950年に成立した精神衛生法は、精神障害者を「社会に害をもたらす危険性があり、監護・治療すべき」存在とし、本人の同意によらない入院手続き等「社会から隔離」するための内容を含んでいた。
 1960年代には、「脱施設化運動」等を受け、精神疾患の予防から治療、社会復帰を視野に入れた法律改正の検討が始まった。その矢先1964年に、駐日アメリカ大使が少年に刺されるライシャワー事件が起こった。
 この事件により、上記検討は従来法をより強化する方向へと向かう。このことは、1965年の法律改正時に追加された以下の内容によって裏付けられる。
 (1)保健所職員による、精神障害者の訪問指導や相談業務を強化
 (2)通院医療費公費負担の導入
 (3)警察官と精神病院管理者に精神障害者に対する通報・届出制度を強化
 これらは、在宅精神障害者の把握と、その指導体制を強調した。(2)の対象者は(1)の対象である。ライシャワー事件の影響は、医療体制の充実ではなく、精神障害者の管理・隔離を強調する内容に反映された。

3.現行精神保健福祉法との比較
 1964年の改正により入院患者は増加した。しかし、一方で保健所等に人員が配置され、通院医療費公費負担が整備されたこと等により、精神障害者が入院だけでなく地域生活の中でケアされる体制も整ってきた。
 1970年代から1980年代には、入院治療中の精神障害者に対する暴行事件や不正行為が複数発生し、再度法改正が検討された。1987年には任意入院制度等を定めた「精神保健法」が、1993年には「障害者基本法」、1994年には「地域保健法」が相次いで成立し、1995年には精神保健福祉法が制定される。この法律は、数回にわたる改正を経て現在に至る。現行精神保健法の要点は以下の通り。
 (1)法律の目的に「精神障害者の社会復帰と自立、社会経済活動への参加の促進」が明記。
 (2)社会復帰施設の充実(精神障害者地域生活支援センター等の追加)。
 (3)在宅福祉事業の充実(ホームヘルプサービスやショートステイ等の追加)。
 内容はこの他多岐に渡るが、精神保健福祉法の内容は基本的に「本人意思尊重と地域生活を支える」考え方に基づいている。

4.おわりに
 現在、社会に少なからず存在する、精神障害者に対する差別や偏見は、過去の法整備が、精神障害者の「管理と隔離」を合法化してきたことによる影響が大きいと言える。しかし、紆余曲折を経て成立した精神保健福祉法の理念は、精神障害者の社会復帰を通した自立と社会参加を支えていくためのものといえる。
 精神保健福祉士として、精神障害者本人の支えとなるのと同時に、様々な機会を通じ、社会への働きかけを積極的に行う存在となりたい。


(以下、レポートメモ)





2008年6月4日水曜日

緊張状態と間合いの感覚

不思議なもので、乱取りをするとものすごく緊張する。
普段、あれだけ「脱力」を意識しているのに、相手と対峙するとぐいぐいと力が入ってしまう。
もっとフワリと動きたいのに。

乱取りでは、いかに「自分の間合いを保つか」がポイントになる。
相手の突きが入らない距離か、逆に突けない距離に入り込む。
そのためには、突きをかわした後、相手との距離を一気に縮めていく動きが必要である。
私は、どうも突きを避けるのに、大きく避けすぎているようだ。

動きを分解して考えると、体捌きで、相手の外側に行こうとするのだが、左足で軸をずらして右足をひいた、その後の左足の運び方だと思う。
この左足で、相手との距離を詰めることができれば、一気に「突かれない」距離に入り込める。

しかしこの動作、一旦外側に移動エネルギーがたまっている状態から一気に前進エネルギーに切り替える必要がある。
ストップ&ゴーの筋肉の使い方をすると、どうしても「ゼロ」部分がでてしまう。
感覚としては、外側にたまっている移動エネルギーを、「腰の内側の動作で円を描くように」前進エネルギーに転換するようなイメージである。

難しいですけど、だから人間の身体は面白いです。
合気道も面白いです。
しかし、今日は筋肉痛です。。

2008年6月3日火曜日

COOL BIZ + (クールビズ・プラス)

今年も、この季節がやってきました。
COOL BIZ。

http://www.team-6.jp/cool2008/index.html
(チームマイナス6% Web)

「ノーネクタイ、ノー上着」だけでなく、地球環境を身近なところから考えようというこのキャンペーン。
政府が動いたら、爆発的に広がったように思う。

Iyokiyehaは、もともとネクタイが好きでないし、学生の頃から環境への関心もあったため、この活動は万々歳だったのだけれども、こんな気楽に、しかも環境活動とは全く別の立場からこうしたことを考え、実行できるこの取り組みは、本当におもしろい。




(ポスター)





サミット日本開催も控えた今、「ノーネクタイ」だけでは取り組みとしては足りないと思う。
でも、0より1は必ず大きいように、何事もやらないよりはマシだろう。
大切なのは、何かのきっかけを通じて、知恵を働かせて「やってみること」ではないか。
COOL BIZは、そんな「きっかけ」を作るキャンペーンだと思う。
環境活動の第一線から引いてしまったわけだけれども、もっと、お祭りのように楽しんで、ちょっぴりおしゃれして、遠くにある「環境」のことを意識したい。