2007年3月17日土曜日

人生の波

 昨日は、静岡に住んでいた時の行きつけのお店へ寄ってきた。JAZZマニアが集まる薄暗い店だが、開店(19:00~)間際は、人が少なくていい。私はJAZZ好きではあるし、近所でゴキゲンなライブがあれば行くくらいの人間だが、演奏をあれこれと評するほどのベテランではない。ゴキゲンな曲がかかって、楽しくお酒が飲めればそれでいいくらいの人だから、空いている時間に行く。久々の訪問だったが、マスターは私の好み(基本的にさっぱりしたカクテルが好き、最後はモスコミュール)を覚えていてくれて、スタンダードなカクテルを手早く作ってくれた。
 客商売をやっているだけあって、このマスターは話題が豊富である。「電気屋に行かないと、時代に取り残されるぞ。Iyokiyeha君は、もう取り残され気味だな」と、ホット・ポンピング・エアコンの話や、水で食べ物を焼くオーブンの話なんかもした。携帯電話にTVが付いたりして迷走しているなと、最終的には眼鏡に全ての機能が付くんじゃないか。ゲームもそのうちゴーグル型になるとか、ホントくだらないけど、ためになって面白い話も多い。
 一つだけ気になった話題は、「楽な生活=何もしない生活」ではないかというもの。何もしない=平坦な人生で楽なんじゃないかと。それが楽しいかどうかは別。「楽」と「楽しい」、同じ字を使うけど意味するところは少し違ってくるなと。マスター曰く、「生きていればいいこともあるだろうけど、大体はしんどいものなんだ」とのこと。まぁ、大枠では私も同感。何かやれば、何かとの関係の中で悩み、苦しむことが多い。それは、人との関わりが多いけど、場合によってはモノだったり時間だったりする。結局、現代社会では、バカンスが毎日続くような生活ができる余裕と財力がなければならないわけで、理論的には合っていても、実現はほぼ不可能だろう。万が一それが可能であっても、それを選択するかどうかは、また分かれるところか。私だったら選択しないが、その理由は森岡正博著『無痛文明論』を読んでしまったからだということにしておく。
 でも、不思議なことに、この話題が今の私の仕事とリンクした。要は、私の仕事は「他人の人生に波風を立てることを勧める」仕事なんだな、と。「人生の波=生きがい」ということにすれば、それを求めてやってくる人たちのニーズに応える仕事ではある。これは真だ。ただ、そうでもない人(厳密には、仕方なく働くことを余儀なくされている人)にもどこかで働くことを推奨している自分がいることに気づく。さっきの話なら、万が一一生バカンスできるときに、それを選択する人に対して「社会参加です」という印籠を持っている私がいた。
 多分、もう少し突き詰めて整理すれば、論理的にも私が間違っていないことを証明することはできるだろうが、敢えてそれをしないのも手かなと思う。各々のニーズに応じた支援をする仕事だから、「そういう」可能性も捨てきらずに、頭のほんの片隅にある金庫にでも入れておいたほうがいいかなと。また、何か刺激があったときにでも、ゆっくり考えるとしよう。

やるかやらないか

 ニューヨークヤンキースの松井秀喜選手の著作『不動心』を読んでいる。浜松で買って、帰りの電車の中で読んでいるところなので、まだ半分くらいしか読んでいないのだが、名古屋で乗り換えたので、ちょっと気づいたことをメモ。 左手首の怪我を乗り越える時の気の持ちようについて書かれているくだりを読んで、以前「ほっ海」の料理長と酔っ払って話をしたことを思い出しました。
 松井選手曰く、いつか怪我をしてよかったと思えるようになりたい、とのこと。手首の怪我をしたことによって、これまでと同じ松井秀喜に戻ることは不可能であるという前提のもと、それならば打撃フォームを改善して戻ってこようと、トレーニングをしてきたそうです。左打ちバッターが左方向に打球を飛ばすこともできるようなフォームへと、より進化して怪我から復帰してきたと、著書の中で本人は語っています。過去は変わらないけども、未来は努力でコントロールできることもある。そして、どうしようもないかもしれないけども、そうした努力をできることが大切であると、そんなくだりまで読みました。やらずに後悔しても何も変わらないけれども、前向きに何か行動を起こすことで何か変わることがあるかもしれない。よく語られることではあるけれども、実際にアクシデントを乗り越えてきた人の言葉は、社会人となった私には響くものです。
 昨年秋に仕事でどうしようもないケースに取り組んで、もがいて、怒って、なだめて、私にできることは全てやったけども、結局ポシャったケースがありました。そのときに、確か飲み屋でぐでんぐでんになりながら派手に愚痴ったときに、料理長が確かこんなことを言ったんです。「ほら、結局はIyokiyeha君がやりたいことをやったかどうかなんだよ。自分で納得するかどうかでしょ。その子がどうなるかは、最終的には『その子』が決めるんだから」言い回しは、もっとくどかったと思いますが(二人とも酔ってましたから)、まぁこんなところです。人の気持ちや行動なんて、他人が決められるわけがない。先日の精神障害の話じゃないけど、人生という車の運転手はあくまでその人なわけです。支援者面した人はあくまで助手席にいるべきなんですね。
 アクシデントを前向きに乗り越える、という点においては、いろんな人がいろんなことを言っていますが、乗り越える際、後で振り返って「あんなことがあって、『よかったなぁ』」と思えるような乗り越え方ができるようになりたい。言い換えれば、苦しくて必死でもがいていても、そういう可能性があるかもしれない。全てではなくとも。だから、がんばっちゃうんだな、きっと。
 最後は一箇所、引用で。(103ページ)
 心が変われば行動が変わる
 行動が変われば習慣が変わる
 習慣が変われば人格が変わる
 人格が変われば運命が変わる

2007年3月16日金曜日

山梨情報求む

 身延線で、この文章を書いている。今日は山梨出張。業務打ち合わせではあるのだが、何かを説明する必要がない出張は結構気楽。そういえば、昨日所長が「勝沼のワインはおいしい、モノによっては世界レベル」ということを聞いた。勝沼には、おいしいローストビーフを食べさせてくれるお店もあるらしい。 そんな不確かな情報から、新しい山梨生活を楽しむのも面白いかもしれない。電車から見える富士川は結構迫力がある。特急ふじかわは側道を走るトラックと同じくらいのスピードで山間を抜けていく。こののんびりは、岡山にはなかったなと、今は思う。
 Blogを読んでくださっているみなさまへ。山梨情報あればどんなにちいさなことでもいいので、連絡ください。メールがいいかな、やなごんごんごん@やふーでよろしく。

送別会

 昨晩は今の会社での送別会。2週間前まで送別会の幹事やってたのに、まさか主役になるとは思わなかった。最後だからかどうかはわからないけども、上司や先輩、同僚から全ての人に激励の言葉をもらって、お世辞じゃないとは思うけど、たとえお世辞だったとしても、ちょっとうれしい。
 酔っ払って「お言葉」をやったものですから、どれだけの人に伝わったかはわかりません。ただ、この二年間を振り返って一つだけいえることは、やはり職場に恵まれた、ということ。入社当初は、言葉通り「とんでもないところへ来てしまった」と思ったものですが、地域研修にでて、お客さんと直に接して、わからないなりに、なんとかもがいて、考えて、怒られて、感謝されて、泣いて、笑って、様々な感情が渦巻く「スリリング」な職場なんだなと思う。私がN-Pocketで感じていた刺激とは全く異質ではあるけれども、これはこれで面白い、やりがいのある仕事だと思う。勉強すればするほど、私の仕事の質は高まるし、勉強不足ならそれが自分の業務に直接跳ね返ってくる。そういうことを全てひっくるめて「スリリング」という言葉を使ったのだけども、多分ここまでは伝わりきってはいないだろう。
 主任からは「小さく固まるな」と言われ、所長からは「仕事はできるから、事務処理もきちんとね」と、先輩から「Iyokiyehaさんは、どこへ行っても大丈夫ですよ。大事なところは押さえてるから」と、それぞれ言ってもらえた。もう一年、とみんなに言ってもらえたのが、やはり何よりもうれしい。
 さよなら岡山、いい送別会でした。

2007年3月11日日曜日

就労移行支援事業(3/11)

 これまで、仕事の上では正直ほとんど気にしていなかったが、自立支援法の施行により福祉施設が大きな変化の時期を迎えている。本日午後のシンポジウムのテーマはまさにこの点。勉強不足だったので、議論についていけていなかった部分もあったが、充実した情報収集ができた。
 余談だが、JC-NET代表小川氏のシンポジウムのファシリテートは抜群にうまいと思う。シンポジストとあらかじめ、綿密な議論が交わされた上で、議論の落としどころを明確にしておき、それらにまつわる話題をふっていく。我々はどうすればいいか?ということだけではなく、現状の理解(好事例としてどんなものがあるか、そうではないところではどうか、行政の立場としてはどうか、等)を徹底的に深めていく。この緊張感のあるやりとりは、そこらへんではなかなかお目にかかれない技術だと思う。
 本題。自立支援法の施行により、福祉施設も就労支援をやっていくことになる。その時、福祉施設としては「就労移行支援事業」として事業申請し、自立支援法の内容で就労支援を進めていくことになる。話題は多岐に渡ったが、主なところは以下の3つ。1)就労移行支援事業の利用者をいかに確保していくか、2)フォローアップについて、3)ネットワークの構築について。
 1)は現状に正直驚いた。就労移行支援事業の利用者を確保するのが大変であるとのこと。全体的な数の論理はよくわからなかったが、20人定員の就労移行支援事業の場合、損益分岐点は17人とのこと。常時17人、同支援の利用申請をあげることができなければ、損失となっていくらしい。一方で、法律によって提案されている、養護学校卒業→福祉施設→一般就労、というルートに対して、同施設の状況では、今年度養護学校卒業生の内、福祉施設に入る予定者は5人とのこと。定員30人の施設では、35人契約者がいれば受け入れるつもりだが、そんなことはありえない、とのこと。2年を限度に一般就労を目指すという「縛り」や、費用負担が原因の一つとなっているようだ。費用も、労働行政のもつ制度では無料もしくは訓練手当てという形で支給されるものと、施設における就労移行のための訓練に支払うものとがあり、利用者にしてみれば「なぜ就職するために、お金を払って訓練を受けなければならないのか」ということにもなる。このあたり、労働行政としては福祉の現状を踏まえた上で事業に取り組む必要を感じた。
 2)については、就職後のフォローアップを、どこの施設が担当するかという話から。この結論としては、ケースバイケースというところ。所属している施設であるとか、就業・生活支援センターであるとか、様々な選択肢はある。一つ押さえておくことは、就業・生活支援センターが全てのフォローをできるわけではないということ。今後、就職数が増えてくると、必ず支援センターが足りなくなる。
 こうした柔軟な支援体制を構築するために、関係機関同士の連絡体制(ヨコの関係)を平素から持っておくことが必要といえる。3)についてはそうした流れで話題が盛り上がった。加古川の事例では、就業・生活支援センターが雇用支援連絡会議を1回/月で開催しており、養護学校、福祉施設、職業センター、安定所など、様々な関係機関との連携を保っている。労働行政の立場としては、連携の通達が着てから姿勢が変わったとは言われたが、それ以上に来年度から始まる就労移行会議に就労移行支援事業を持つ施設がどれだけ参入していくのかということが重要視された。この機会を逃すと、乗り遅れてしまうとの助言がある。一方で、裏情報ではあるが、安定所も担当官次第のところがあり、一つ事実として上がっているのが、窓口の相談員の減員となること。それにより、担当官の動き方がどうなるかということをある人が心配していた。
 また、企業のネットワークも一部で構築されつつあり、特例子会社を切り盛りしてきた事業所関係者が定期的に会議を開催しているとのこと。そして、好事例や応用可能な事例いついて、地方への情報提供も始まるとの情報があった。 障害者就業・生活支援センターと就労移行支援事業の双方を持っている施設が、他の施設による就労移行支援事業を経て就職を目指す就業・生活支援センター利用希望者を支援できるか、というところから始まる。当然「支援する」わけだが、多少のジレンマはあるとのこと。ただし、確かな施設は生き残るため、今後そうした状況がでてくるのは必至だろうとのこと。ただし、そうした状況も、必要に応じては利用者確保(本当に働ける人が、必要な施設に紹介されるという意味で)にもつながるようになるといいという希望もあった。

精神障害(3/11)

 JC-NET会議二日目。今年度は、自分が担当したケースが訓練を始めて、次々と体調を崩してしまったことがきっかけで、実践報告だけでもと思いワークショップに参加。まだまだ勉強不足、というか、基礎文献を丁寧に読んで、まずは基礎が身につかないと、評価業務をするのが怖くなってきたような気もします。
 精神障害者リハビリテーションの基本的な考え方ということで、「回復」とはどういうことかという問いに対して、これまでの私はそれに応えられなかったと思う。一つには、大山氏の報告にもあった「精神疾患や障害が軽減するにとどまらず、社会・職業生活を通じて、自尊心や自己効力感が高まるなどを含むもの」とのこと。この整理は、本当に当たり前ではあるのだけども、本質を突いていると思う。支援者としての私は、結局本人のためではなく、こちらの要望を半ば押し付けようとしていたような気がした。Villageの実践でいうところの、施設は前菜、地域に出てからが主菜Main Dishとのこと。そして、支援の立場はあくまでもMenber Driven。人生を車と例えるならば、その運転手は本人であって支援者ではないということです。
 このあたり、当たり前の考え方ですが、とても大切なことのように思います。そして、私に欠けていたもののように思います。病気の理解も甘ければ、相手に気を遣うふりをして私の仕事の都合だったのかなと反省。次はこんなことにならないように、見立てを慎重に正確にするために、まだまだ精進しなければ、と思わされた事例報告でした。

靖国神社(3/11)

 今朝、朝起きて「脱皮」を書いた後、ホテル周辺の地図を見ていたら「靖国神社」の文字が見えたので、ちょっと遠いし、午前中のプログラムにかかってしまうと思ったけど、ちょっと足を伸ばしてみました。参拝の是非はともかく、まずはその場所を知らない私がうんぬん言うのも変な話です。そもそも、どこにあるんだ?というくらいの人間ですから、いい機会と思い足をのばしてみました。
 鳥居が大きい。圧倒されるような堂々とした佇まいでした。脇の看板には、ある戦士の遺書が書かれており、思わず読み入ってしまいました。死を覚悟した人が、残していく妻に対して、どうしてこんなことが書けるのだろうと、厳かな気分になりました。
 聞けば、資料館みたいなものもあるとのこと。今度この近くにくることがあれば、きちんと歩いてみようと思います。

脱皮(3/10)

 この週末はJC-NET会議への参加のため、上智大学まで行ってきました。去年は妙な縁もあり、会社の本部の上司と一緒に行動できて、いろんな人と知り合えたのですが、今年は単身の予定だったので、さてどうしたものかと思っていました。同期2人、後輩、岡山での知り合いや、静岡の知り合いなど、結構知っている人が多くて楽しんでいます。これから二日目の内容。その前に昨日のメモを。
 1年目は、とかく勢いのみを感じた集まりでした。当時の私は、まだN-Pocket所属で、今の会社に就職が決まったところ。「Iyokiyeha君、これに行ってきなさい」とN-Pocketで言われて、何となく行ったものでした。翌年は、一人で行こうと思っていて、上記状況に。内容は、やや勢いが削がれたようにも思ったので、3年目の今年がどうなるか、ちょっと楽しみ、不安が入り混じっていたのですが、テーマの通り「脱皮」したように思います。
 今後の障害者雇用を支える上で、1)行政の方針、2)障害者の数(供給)、3)企業の受け入れ体制、4)支援機関(者)の力量、がバランスよく増える、力が向上する必要があるという切り出し。現状(H18年度6・1調査)としては、雇用率は1.52%(全体)、100~299人の中小企業では1.27%と低い水準にとどまるが、1000人~の大企業では1.69%と高い水準となっている。大企業先行で雇用率は引き上げられているが、大企業の雇用率達成率は36.9%ということで、少ない大企業が牽引している形となっています。1)行政の方針については、福祉の側で自立支援法の施行とともに、就職数を5年間で4倍にする目標が打ち出され、労働行政の側も安定所の雇用率指導の内容強化という形で、障害者の雇用ということについて行政からは「追い風」となっています。一方、それを受ける企業は「プレッシャー」を感じているとのことで、各企業の障害者雇用への関心の高まりが見られます。知的障害者=金の卵、などという表現もみられます。どうやら首都圏では、障害者の供給不足に陥っているとのこと。2)について、施設に所属している人をどれだけ一般就労の舞台にあげていくのか、ということがポイントになってきます。そうなってきた時に、4)支援機関がどれだけがんばれるか、どれだけ専門性を向上させられるか、ということがこの会議の一つのテーマにもなっていました。
 雇用率を0.1ポイント上昇させるには、頭数3283人(内重度1017人)の雇用が必要となり、それはJC657人分の仕事(JC1人あたり5人の就労)となるとのこと。 支援機関に望まれることとして、1)大企業に対しては、一度に2ケタ、3ケタの障害者雇用を希望されたときに、サポートしきれるのか、という課題があります。大企業への支援は、仕事の支援だけすればいいというものではなく、指導は企業中心で、その上の支援が必要となります。本人アセスメントから職場アセスメントが的確で、その上で提案できる力が求められる、「スーパージョブコーチ」などという造語も飛び出しました。一方居で、中小企業へのアプローチは、まだまだ個人の力量が問われることもあり、JCと企業とが協力して、マッチングを図っていくということが必要であるということです。
 これまで障害者の雇用を何十年とやってきた、企業側の話。仕事の単純化と「間違えにくいシステム構築」から入り、訓練においては、スキルや作業量ではなく「職場に適応できること」が最優先されるという話。企業に負担感・不安感があってはならない、それを取り除くのが就労支援の目的、とのこと。また、障害者本人にも「仕事ができる」→「もっと仕事がしたい」→「いろんなことができる」→「自信になる」→「もっと仕事ができる」→……といういいスパイラルを作るための支援が必要とのこと。最後に、「企業は多種多様(作業の内容だけでなく、社風、地域なども含め)」であるから、ニーズに応じることが最優先であるということや、本人にしてみれば、「やりたい仕事がどこにあるのか」を知る機会がほしい、その上で支援機関としては本人・企業のアセスメントを的確に、橋渡し役となる必要があるわけです。企業が障害者に求めることとして、1)障害を理由に逃げない、2)自立への自覚、3)気力・体力、4)身の回りのことは自分でできる習慣、5)ビジネスマナーは誰にも期待される、といったお話を聞きました。 最後のワークショップでは「風をつくる」をテーマに、就労支援の変遷を確認した上で、1)今やっていること、2)これからやろうとしている・やらなければならないこと、をロールプレイを交えての説明でした。結論、私がやっていることは東京では10年前のことをやっているのだなということ。知的障害者の特性は、判断が苦手、臨機応変が苦手、小学生レベル、覚えるまでが難しい、などなど、実際に第三者として話を聞いていると、よくわからない。それを私は、今専門職としてやってしまっているのだなと、実感したところです。「いつも、なんどでもが得意」をキーワードに、適している仕事や、「いつも」の内容、方法、場所、時間、「何度」の回数が多い、工程が少ないといったわかりやすい言葉で説明できるスキルがまず、今すぐに必要となるなと思いました。それに加えて、所属施設の「簡潔」な説明、自分(JC)は何者か、求職者のアセスメント結果であるとか、企業の情報収集により職務の切り出しを行っている、など、今すぐに業務内容を向上させるヒントがたくさん詰まっていました。その上で、提案(どんな仕事を、何時間×何人分用意できるか)する力が何より求められることとなり、首都圏の専門家はその域にまで達しているのだなということを確認できただけでも、大きな収穫でした。
 この会議で言うところのJCは「広義」ですから、職業センターマインドは一旦捨て去ってあげないといけません。カウンセラーである私にも、今すぐ役に立つ情報満載の集会です。これから二日目に行ってきます。

Anytime Anywhere Living Me (3/10)

 異動の内示を受けて、初めて「ほっ海」へ。先月、ふぐ鍋の報告をしたお店です。
 料理長、支配人ほかの従業員のみなさんに、異動となりそうな旨告げる。営業トークかもしれないけれども、「寂しくなるなぁ」「異動しないことをおすすめします」なんて言われるのは、ちょっとうれしい。私も負けじと、「この一月で、岡山を食わせてください」と言う。毎回食べているハマチのカマ塩焼きをやめて、アジのたたきを食べさせてもらう。「胡麻と大葉をおまけしといたよ」こんなちょっとしたやりとりが本当にうれしい。骨もから揚げにしてくれて、満足。
 ここの料理長とは、よくお話をさせてもらう。仕事の愚痴、職場の愚痴、嫁とののろけ話、漫画の話とか、本当にその日の「ノリ」で、たくさん話を聞いてもらうし、聞かせてもらう。料理長はバックパッカーで、アジア各国を歩いた人。旅して考えて、とっても人間くさい話をしてくれるので、私はとても楽しい。 
 3/10の話題は(移動中につき、日付で書いています)、そういえばよく料理長が言ってくれていたこと。「俺にはできん仕事をしてるから、Iyokiyeha君にお任せします」ということ。私が障害者の就労支援をやっている国の機関の人間だということを知っていて、そういうことを言ってくれていた。何でこの仕事をやっているのかという問いに対して、料理長の言葉が残った。「組織の存在意義があるから、それで一生懸命仕事してるでしょ」。言葉だけで書くと説明が要りそうですが、給料のため、自己実現のため、成長のため、いろいろ言われる「仕事をする理由」。人間ですから、きっとそれらも否定はできません。でも、それらを全部ひっくるめた上で、さらに高次へ、組織の存在「意義」に賛同して、そこに「いる」から、一生懸命になれる。
 あぁ、そうかもしれない。よく、人から「すごい仕事してるね」と言われる。おどけて「給料もらってるからねぇ」とは言うが、ここまで考えたことはなかった。でも、こんなことを、何となくでも考えているから、何とかしてやろうという気になる。親身になって、頼ってくれる人がいて、その人に何とか人生の道筋を「見せて」あげたい、私の深いところで、何と言ったらいいか、、それができる立場にいて、私がちょっとがんばれば接した人がちょっと幸せになるのであれば、やろうじゃないか。それで給料ももらえる、何て幸せなんだと。おそらく、普段はあまり自覚していないけども、そんなことを考えているのだと思う。
 大学でやってた議論の真似事くらいスリルがあって、わくわくするような談義でした。そんなことができた料理長とも、今月一杯でしばらくお別れです。山梨転勤だと、赴任中に岡山に来ることはないだろうな、と現実を考える。「岡山によることがあったら、この店には来ます」おそらく事実だろうが、その機会はいつになるか全くわからない。そんな一抹の寂しさもあり。
 料理長が、一つ言葉を教えてくれた。海外(英語圏)でよく使う言葉らしい。Anytime, anywhere, living me.「わたしはここにいるよ」ということですが、その意味するところは「会う必要があるときには、また会える」といったことだそうです。おそらく、この店の人、特に料理長とは、どこかでまた会うのだと思う。それは、岡山かもしれないし、山梨かもしれない、静岡、浜松かもしれないし、そのどこでもないところかもしれないけれども、きっとまた会うのだと思う。私は、安易な「つながり」論は嫌いですが、人生ってそういう縁みたいなものがきっとあるのだと思う。

異動します(3/10)

 正式には、3/12公開(内示)とのことだが、今年度末で岡山での生活は終わりとなる見込みが高い。新天地は山梨。3/6に内々示を受け、2日ほど落ち着かない日を過ごしたが、昨日ようやく職場の人にもこのことを話すことができて、多少すっきりしたところ。先週でも、おそらく今月中には会わないと思われる関係機関の人には「内緒で」との前置きで話をしているが、それでも「わかっているのに、伝えられない」ことのストレスは大きい。昨年は、研修終了日が内示日だったので、研修終了の報告と一緒に、先輩方の異動を聞かされた。その方がどんな風に一週間を過ごしたのかはわからない。だから余計に「言わなきゃいけない」のに「決まりで言えない」状況がしんどかった。
 仕事関係の人たちにはそんな感じだったのだけども、プライベートはいたって適当。たまたま連絡があった人には「異動です。今度は山梨です」みたいなことを連絡していた。別にいいでしょう、仕事とは何の関係もないわけだし、知れたところで特に困らない。大どんでん返しがあって「やっぱり岡山」ということになったとしても、「あぁ、やっぱり」みたいなネタにしかならないでしょうから。
 まぁ、そんなこんなで、来年度は山梨ということになります。二年目で異動はちょっと早め。初めの赴任地であったことと、異動希望を出していないこと(「異動を希望しない」に○しました)、異動の際の希望地を「東海道・山陽新幹線沿線」と書いて出したことを総合して考えると、ちょっと異例かもしれませんね。サラリーマンだから、これくらいは覚悟していたけど、来年度の組合の意見集約では、文句を言うことにしよう。

2007年3月9日金曜日

能動的認識能力

 2002年ノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊さんが「能動的認識能力」という言葉を使って、今の私たちが身に付けるべき能力を説明していました(『Forsight3月号』)。私が読み取った内容としては、1)自ら「学ぼう」という意思をもって学び取ること、2)漫然と学習活動に参加するのではなく主体性をもって学習活動に参加すること、といったところでしょうか。簡単にしすぎて、本質を捉え切れていないかもしれませんが。
 事実、私も自腹を切って講座に参加する、身銭を切って本を読むのが好きな人間です。職場でも「研修体制を充実してほしい」などの意見が寄せられているようですが、「ねばならない」研修は、意外と残らないなぁというのがこれまでの実感としてあります。必要があれば「ねばならない」研修も、能動的認識能力をフル活用した学習活動になるのでしょうが、今の自分に直結しない「ねばならない」研修は、受動的認識能力を使ったものになり、その成果も低くなってしまうように思われます。
 モチベーションを高めることと、自ら好奇心をもつこと。今の職場に移って、そして結婚して、これまでの自由奔放な好奇心はちょっと影を潜めているような気もしますが、内に秘めた好奇心をいつまでも忘れないようにしたいものです。

2007年3月7日水曜日

串刺しにされた気分

 私がやっている仕事は、確かに「あらさがし」なのかもしれない。昨日はそうだと決めつけられて、クレームに近い指摘をされた。曰く「行政の仕事は、その人のことを全く考えずに、その人の悪いところばかりを探して指摘してくる。今日は(息子が働けないという)引導を渡された気分です。」と言われ、正直、凹んだ。
 確かに書類の作り方が、課題ばかりを書き連ねたものとなっていて、身内の悪口に聞こえたのかもしれない。そこは自分の力量が足りなかったことで素直に反省している。やっぱり、本人の「いいところ」を持ち上げて、課題を「ここを直せば、もっとよくなる」といった感じで持ち上げる、そして「こんなことができますよ」と支援メニューを提示する。言葉にしてみれば簡単なこと。でも、その簡単なことをするのには、対象者をきちんと見て、見極めることができた上で、その人の課題を1)的確に、2)望みがある、3)わかりやすく、説明しなければならない。今日の場合は、相手がやや批判的な方であったことも手伝ったのだが、2)の望みに関して、配慮が欠けていたのだと思う。

2007年3月6日火曜日

On and Off

 昨日が手話入門講座のテストの日だったので、週末に勉強した。歴史ってあまり好きではないのですが、歴史には現在に至る必然があるわけで、やはり学ぶ理由はあるのだと思う。耳の仕組みは、何度も勉強したことだけど、結局こういうときに詰め込むと定着するんだなと思う。仕事にも役立つ知識はいいなぁ。

 併せて、統合失調症の勉強もした。何を今更という気もするが、現場で学んだことを、きちんと言語化することによって、実際の面談時には「余裕」になるかなと思った。余裕があれば、+αの聞き取りができる、観察ができる。オリジナリティの前には、やはり定型的なところを押さえる必要がある。OJTがとかくちやほやされる世の中、確かにOJTがないと話にならないことは多いのだけども、だからといってOFF-JTがないがしろにされるのはいかんともしがたい。座学→現場→座学→・・・の繰り返しが大事なんだな。