2009年3月26日木曜日

送別会×送別会

昨日25日は、勤務している会社で送別会をしていただく。
最近、所内で幹事さんがコソコソしてたのは知ってたけど、まさか欲しかったものがどんぴしゃでいただけるとは。。
ありがとうございました。通勤ラッシュに負けぬよう、都会に適応しますー。

写真は、開催自体がサプライズだった、お世話になった病院が主催の勉強会メンバーからいただいた花束。いやー、びっくりでした。ありがとうございます、うれしいです。

東京行っても、今まで以上にがんばります。東京へお越しの際は、連絡ください。

2009年3月24日火曜日

ネットワークを継続する知恵

ネットワークの重要性というものは、1970年代から各分野で論じられるようになっているとのこと。
確かに、古い文献を読んでも「ネットワーク」なる言葉は存在し、その素晴らしさや有用性について論じられているものが多い。

何らかの理由で自分にはできないことを、他の専門家と知り合うことによって成し遂げることができるなど、どんな分野の活動であっても、よりよい成果を求めていく上で「ネットワーク」は欠かせない。

山梨に勤務して2年。
ちょっと早い異動の対象となってしまい、自分にとって中途半端なケースが多く、その引継ぎに外部の機関を訪れると、言ってもらえる「残念です」。
うれしい反面、複雑な気分にもなる。
「人と人とでつながっていたので」なんて言われると、自分がやってきたことやその方向は、決して間違っていなかったのだという確認ができるとともに、Iyokiyehaとケースを通じた担当者間のつながりを「機関-機関」のつながりにまで昇華させることができなかったことを、嫌でも実感させられる。
理論的にも、実践的にも、個人から機関へとネットワークを発展させることによって、その効果を継続的なものに発展させることができる。

ただ、これは本当に難しい作業だと思う。
担当者間のつながりというのは、あるケースや事案を通じて形成されるものであり、そこにはある意味「看板」を排除したところでの個人的な接点が重要となることが多い。
山梨の勤務では、これまであまり接点のなかった機関との接点を作ることに注力してきた。
その成果は、Iyokiyehaには実感できないこともあり、やり残した感もあるわけだけれども、自分を含めた意思ある人たちが蒔いた種が、いつかきれいな花を咲かせることになることを願わずにいられない。

そして、個人から機関へとネットワークを昇華させていく手法の開発と実践と公開は、Iyokiyehaが今後仕事をしていく上で、一つのライフワークになると思う。

2009年3月21日土曜日

組織人として「自然」であること

「自然」という言葉をIyokiyehaは、養老孟司氏が使うように、人間の生活で言えば「子ども」であることとして使っている。

感覚優位で、自分の感じ方によって行動する存在、とでも言ったらいいだろうか。

先日、出張に出た際、ある方から言われたのは、「Iyokiyehaさんが、10年後も今のようなスタイルで仕事をしていたら、ある意味自然じゃないと思う」と。
深い指摘だなぁと、ただただ考えさせられる。
真意を聞き出す前に、帰庁してしまったので、憶測と謎とが深いままなのだが、いろいろと考えさせられる。
昨日の「アイデンティティ」とも関連する。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2009/03/blog-post_20.html
(2009年3月20日投稿分)

もちろん、10年後が今と同じだったら、いろんな意味でおかしい。
進歩がなかったり、それを含めた変化がないということは、10年間何もしないのと同じ。
そうではなく、おそらくIyokiyehaの仕事スタイルのいいところを切り取って、そう評してくれたと捉えるのが、真意には近いのだろう。
であれば、私はこの期待に沿いながら、この方の思いを「いい意味で裏切ろう」とも考える。

もちろん、今のIyokiyehaは、大学から大学院、NPO、機構と、種々の経験から今の仕事を相対的に捉える視点があってこそ成立しているのだと思う。
いいところも、おかしなところも見えて、今の立場がある。
この立場が、機構の中で生きていくことにより薄れていくことは、おそらく想像に難くない。
ただ、考えなければならないことは、そんなちっぽけなことではなく、「自分の仕事を、常に複数の視点から評価し、改善に向ける気持ちと行動」といえる。
誰のためにやっているのか、そして、どうすれば数々のニーズを充足できるのか。
論理的な思考はもちろん、そこには法律や制度に生きた知恵を吹き込む感情が不可欠のように思われる。

論理的思考を強調する人たちの中には、とかく感情的、感覚的なものを嫌う人がいることは知っている。
ただし、感覚的なものを否定する人の中には、クライアントの感情から現れる真の思いを汲み取れなくなってしまっている人がいるのも、確かなこと。

大人としての論理的な考え方に、より自然な子どもの感覚的なもの。
車の両輪のように、互いが互いを補ってこそ、目的地への距離が縮まっていくものと考える。
どこまでもクールに、そして、どこまでも熱くありたい。

2009年3月20日金曜日

組織人としてのアイデンティティ

個人的な「私とはどんな人か」ということではなく、今、Iyokiyehaが所属している組織の一員として、組織人として「私の仕事はどんな仕事か」ということを考えるに至る。

きっかけは、追い出しと称して飲んだ、あるワーカーさんとのやりとり。

障がいを持つ方の就労支援機関の中でも、One of themで満足してしまえば、それはそれでいいのかもしれないし、「日本で唯一の雇用支援機関です」なんて言ったって、そもそもこの仕事はニッチな仕事ですから、「はい、そうですか」で済んでしまう。
労働行政の中で優先順位をつけたら、決して優先順位は高くないし、自立支援法になってようやく注目されるようになった仕事です。
そんな状況のなかで、「ようやく私達の時代が・・・」なんて、胡坐かいて座っていたら、どんなに独法の外部評価がよくたって、最前線で主戦場となる地域のネットワークには組み込まれず浮いていくことは必至。

以前、Iyokiyehaが一目おく同期が、酔っ払った席で「Iyokiyehaさん、ウチの仕事は困難事例やってナンボだよ」と言っていたことを思い出す。
当時は、目の前のことに必死に取り組んでいた時期だったので、そんなことは考えられなかったのだけれども、今になったら少しはわかるような気がする。
その土地に合ったやり方ってどんなやりかたなのか?
媚を売るのではなく、真に頼られる仕事ってどんな仕事なのか?

岡山でも山梨でも、自分なりに考えて、よくも悪くもどこにも偏らずにやってきたつもりである。
もちろん、ふりかえりながらやっていくことを心がけてやってきたつもりだが、その評価は周囲に任せるとして、何かの折にその評価が自分の耳に入ったらいいと思う。

2008年度は「安易に『できない』と言わない」ことでやってきた。
2009年度は、新天地において同じ取組みができるのかどうかはわからないが、PSWの実習先でも、冒頭のワーカーさんにも言われた「誰のためにやっているのか?」ということは、肝に銘じて臨みたい。

2009年3月19日木曜日

組織の力=構成員の変化できる総量

、というように思う。
どんな仕事でも、どんな活動でも、「それでいい」と満足したらそこまでで、次なる発展も進化も遂げられなくなってしまう。

PSWの養成講座を進めていて思い至った副産物なのだが、「環境」が常に変化する特性を持っているのであれば、その環境に存在するクライアントを相手にする限り、その変化を取り入れ、把握した上でその環境に最適なものを目指していく必要がある。

組織としても同様である。
ただし、組織という集団は、ある一定の秩序がなければ、その存在を維持することができないという特性を併せ持つ概念であるため、常に「固めよう」とする力と、「変わろう」とする力とが対立する構造をその内側に秘めている。
リーダー型上司が評価される昨今ではあるが、それはマネージャーと必ず対立するわけではなく、それは組織を成立させるための両輪として機能する必要がある。

とはいえ、決まりを作ろう、遵守しよう、守れない者を排除しようというマネジメントの発展のしかたは、世の中に合わせて変わるという自然な力を阻害するものに他ならない。

Iyokiyehaはもちろん、アウトローになるつもりもないし、家庭を持った以上、安易に独立するつもりもなく、しばらくは組織人として生きていくことを決めている。
その組織に埋もれていくか、それとも内側から変化しようとする原動力または変わる力の一端を担うかということは、周囲が判断することである。
ただ、私が考えるのは、その組織が社会に貢献できるだけの力を持つための一端を担いたいということだけである。

2009年3月5日木曜日

異動になります

3月4日付け内示で、4月1日付けで異動することになりました。
次の勤務地は東京。

山梨には、もう1年いる予定(勝手な)だったので、やり残した感が結構あるのですが、辞令一本で飛ばされる身分ですから、ぐだぐだ言いません。
「残念です」と言ってもらえることに、一抹の寂しさだけでなく、私がやってきたことは全くの間違いでなかったと思えるものが含まれていると(これも勝手に)思っています。
残りの山梨ライフを次につながるように充実させて、東京ライフの準備をしようと思います。

まだ、お別れは早いので、まずはお知らせまで。