2021年12月26日日曜日

前川喜平『権力は腐敗する』毎日新聞出版、2021年。

 元文部科学省事務次官。現在は夜間学校のスタッフなどの活動をしているようだ。以前ここでも紹介した『面従腹背』の流れを受けるような内容の著書です。

『面従腹背』 http://iyokiyeha.blogspot.com/2020/03/2018.html


「何が事実なのかわからなくなる」というのが率直な感想。

 私は近年、「出来事は背景があって理解される」という、立場や相対性ということを意識して物事に向かうようにしているので、余計にわからなくなっているのかもしれない。抽象度が高くなればなるほど、それを観察する人の立場や置かれた背景が影響し、同じ場にいた人であったとしても見え方が変わってくる。どのくらい変わるかというと「はい」が「いいえ」になる、180°方向が変わってしまう、ことも珍しくない。公務労働であれば、地方と国とで抽象度が変わってくるし、政治の世界では更にそれを上回る抽象世界なのだろう。それを読み解ける人の読み解き方(深度)によって、解釈は千差万別になる、こういうことを考えさせられた。

 全編を通じて、前川氏が文部科学省幹部で仕事をしていた時から2019年のコロナ禍に至るまでに、政権と中央省庁周辺で起こったことを、前川氏の視点で描かれている。その立場は反政権で貫かれていると言えるが、それを差し引いて読んだとしても、前政権まで(現岸田政権はまだ読み解けない)に起こったことは、超法規対応が重なり、俗人的な政治が行われてきたように思われる。法制度を起点に見れば、そこに弁解の余地はないだろう。

 これは歴史的に見ても危険な兆候といえるのではないか。そんな感覚の中で、賢明な主権者という文脈の中で放った前川氏の一言が刺さる。「学ぶことによって国民は賢明な主権者になれる。賢明な主権者は賢明な政府を持つことができる。賢明な政府は国民のために仕事をする。学ばない国民は政府によって騙される。愚かな国民は愚かな政府しか持つことができない。愚かな政府は腐敗し、暴走する」(242ページ)

 地道に学ぶしかない。私は現在地方公務員として勤務しているから、その歯車の一つとしての顔を持っているが、とはいえ、地道に学び、おかしなことはおかしいと言い続けなければならないのだとも思い至った。

(以下引用)

47 退職してから発言している私などより、現職にいながら内部情報を国民に知らせた彼らの方が、百万倍勇気があると思う。

237 自由であるということは、人が自らの意思で生きるに値する人生を生きるということだ。

同 自ら考え、判断し、行動する「自己決定」「自律」がなければ、人間は本当に自由とは言えない。(中略:Eフロム引用)人間の心には自由を捨てて権威主義に逃げたくなる弱さがある。それは自ら精神的な奴隷になるということだ。「自発的隷従」という言葉もそういう事態を表している。自由から逃走し自発的隷従に陥った人間には、自由の価値が見えなくなる。人がなぜ自由のために戦うのかが理解できなくなる。