2021年8月8日日曜日

石坂典子『絶体絶命でも世界一愛される会社に変える! -2代目女性社長の号泣戦記』ダイヤモンド社、2014年。

  地元にこんな企業があったのか、と素直に驚かされました。休日の遊び場として、石坂産業さんの「三富今昔村」に遊びに行ったことはあったのですが、社長さんの紹介なんかを読んで、興味が出てきて読んでみた一冊。

 いろんな切り口があるのだけれども、一つ取り上げるのであれば、先代から受け継いだ経営理念「謙虚な心、前向きな姿勢。そして努力と奉仕」に全てが集約されていると思う。公害(ダイオキシン)問題の影響を受けて、これまでの実績がゼロどころか、マイナスもどん底まで地に落ちた石坂産業が、先代の英断や典子社長のアイデアとで盛り返していく様子が記録されている。その様々な取り組みを支える細かな方法は、全てこの経営理念に支えられていると思えるものだった。

 取引企業のトラックから液体が漏れだしているのを見て、プラントを止めて全社員で掃除にあたる、環境基準(ISOなど)を短期間で取得する、社員の大半が辞めても「正しい」と考える社員教育を続ける、地域への奉仕の視点を忘れず広大な里山管理を継続している。語られる事例はどれも派手に見えるところがあり、アイデアパーソンとしての典子社長の手腕として語られそうだけれども、その側面は残しつつ取り組みを支えたのは、上記経営理念を体現できる先代の存在と、その遺伝子(生物学的、社会的含む)を引き継いだ典子社長の意思、そしてそれを感じ取って「自ら考える」人に成長した社員さんが、同じ方向を向いて取り組むようになっているから成し遂げられていると思える。人材育成の更なる目標として「社員には、ものを大切にするレベルへ達してほしい。」(125ページ)と言い、シンプルな言葉の中に、価値観の変化や物への愛着など、社会に生きる人として大切なことを詰め込んでいるように感じました。

 もちろん、全ての取り組みには、本著に描き切れない背景があってこその結果があるわけなので、石坂産業の真似をすればうまくいく、というものではないのだけれども、他者(地域)との共存を本気で考え、できることを愚直にまっすぐに取り組むことと、そのための仕掛けが必要、という点については、謙虚に学ぶべきことだと思いました。


石坂産業株式会社(企業Web)

https://ishizaka-group.co.jp/

三富今昔村(当該企業が運営する里山を活かした施設)

https://santome-community.com/

2021年8月1日日曜日

「笑いをとる」とは、「おもしろい」とは

ウチの子どもらと、テレビのバラエティの話。

最近、我が家の子ども達も、芸人さんのネタを引き合いに出しながら会話するようになってきた。「おもしろいこと言って」とか「それは面白くない」など、傍で聞いていたら何が面白いのかよくわからないことを、何やらこねくり回している様子を時々見かける。子どもたちは、そんな父親の様子をおそらく感じ取っており、私にはその手の話をしてこないのだけれども。

長女、長男、次女、三人が三人とも、本気で何かに取り組んでいる時には、その事の大小はともかく感心させられるし、本気でやった時の失敗やへまは、非難すべきことではなく、助言のきっかけだったり、思わず笑ってしまう出来事であったりするわけです。私にとっては、本当の意味で「面白い」ことであるわけですが、どうもこの「面白い」と子ども達が会話の中で使う「おもしろい」との間には、大きな隔たりがあるような気がする。

元々Iyokiyehaはテレビをあまり見ないのですが、子どもが観ている番組が見えると、何が面白いのかわからないような、人をコケにした話題で子どもたちにも爆笑が起こるのを観ると、なんだか複雑な気持ちにさせられる。何だか、最近の「おもしろい」や「笑いをとる」というのは主語が「自分」に留まっているように感じられる。だから、そこに大きな笑いがあっても、それは「自分の集合」でしかなく、本気の芸人さんが狙うような「笑いの場」とはやっぱりちょっと違うような気がするんだよね。そういう中で形作られた「おもしろい」って、他人がどうあれ自分がおもしろければ(それで)いい、といった雰囲気が感じられるので、私はひいてしまいます。むしろ不快感となってしまのだな。

この辺は複雑です。子どもが観たいテレビ番組くらいは気持ちよく観てもらいたいけれども、私が(多分)嫌いなものを楽しんでいる姿が見えてしまうのは、複雑です。でも、こんなことを考えているのは、敏感な子どもたちにはバレているのだろうな。だから、私はそーっと自分の場所で本読んで過ごすとします。うーん、悩ましい。

八尾慶次『やとのいえ』偕成会、2020年。

  多摩丘陵(今の「多摩センター」あたりがモデルか?)の150年間を、その土地に設置された「十六らかん」さんの目を通して描いた絵本。古くからある農家さんが、駅前開発の波にもまれ、一度は家が取り壊されて家族も出ていったのだけれども、また戻ってきて今の家が建つ様子。それを人々の営みとともに描いている。長い期間(150年!)の定点観測と捉えた時には、多摩丘陵の歴史が分かる絵本ともいえる。

 手に取ったのは偶然です。ここ1年くらい、次女と隔週で図書館に行くのだけれども、最近は娘が自分で借りたい本を探せるようになったので、自分も数冊借りて読んでみることにしたところ、素晴らしい絵本に出会えるようになった、というところです。

 「やと(谷戸)」とは、「そこの平らな浅い谷のこと」で、丘陵地の奥深くまで入り込んでいる地形のことです(33ページ)。地域によって「谷津」「谷地」「谷那」などとも呼ばれます。小高い丘や低い山々の低いところの平らな土地で、関東で言えば東京都の西部にその土地が多く見られます。昭和40年代(1960年代後半から1970年代にかけて)これらの丘を切り開き、谷を埋めて、現在の多摩地区(住宅地中心の街並み)となっています。本書では、その移り変わりを「らかん」さん(お地蔵さん)がずっと見ている、という設定で街の移り変わりを描いています。著者にはひょっとしたら、現代へのアンチテーゼみたいな考えがあるのかもしれないのだけれども、読む立場としては、非常に淡々と、時代の移り変わりだけが読み取れます。その土地に暮らす人の生活、嫁いできたことで変化が生まれ、なくなることでまた変化する。人の生活を通じて、家庭の変化をも描いています。

 Iyokiyehaは1979年生まれ。ちょうどこの土地の開発が始まった頃に重なります。農家を営んできた「あるじ」さんが在宅で介護を受けて生活しているのですよね。後年亡くなって、この家は取り壊され、家族も転居するきっかけになるわけです。当時は、一変化、だったのだろうけれども、振り返ってみたら、割と大きな変化にあたるのかもしれません。街並みが変わり、生活が変わり、家庭のありかたも変わる、その時代の転換点だったのかもしれませんね。こればっかりは、歴史を振り返り、ある立場から物事を眺めた時に整理できることであって、その時々は生活の連続でしかないわけですが。

 きれいな絵を眺めているだけでも面白いのだけれども、こうしていろいろなことを考え、変化を感じ、解説によって深められる良い一冊だと思います。