2007年10月29日月曜日

淡々と過ぎる日常

山梨に来てすぐくらいから担当してきたケースが、先週無事に雇用となった。
先日まで、就職前の準備支援で担当してきたケースが、今日付けで雇用扱いとなった。

不思議なもので、こういう「いいこと」というのは、静かに、日常の流れにのってやってくる。
ひどく忙しかったり、あまりに理不尽な要求を突きつけられたり、ひどく感情を揺さぶられたりといったことは、いつまでもいつまでも、時には苦笑のネタになってまで覚えているものだ。
加えて言えば、あれこれと手をかけて、迷惑かけられて「ばかやろう」の一言くらい浴びせたくらいの人は、結構印象に残る。
不思議なもので、手がかかったとしても、すんなりと移行した人にはあまり感情を揺さぶられない。

何が違うのかというと、結局「想定範囲内」にあるかないかということだろう。
想定範囲の中で起こることであれば、人間、そうそう驚かない。
ただし、その外で起こることであれば、人間は感情を揺さぶられたり、予定を狂わされたりと、とにかく「しんどい」思いをする。

「しんどい」思いをすると、私の思考はどうなるかというと、その「しんどさ」を生む状況ばかりを覚えてしまい、そこから学べることから目を反らしてしまいがちになる。
「俺ってこんなしんどい思いしたんだぜ」と、ここまでひどくはないけれども、こんな風に自己主張したくなってしまうこともある。

情けない。

日々、学ぶことがある。
それは、よく見ないと日常に押し流されてしまうことだけども、その流れの中に本当に大切なことがある。
その大切なこと、を見失わないでいたいものだ。

2007年10月28日日曜日

嫁さんのいない週末 2

起床。
今日は天気がいいので、目覚めがいい。
朝のジョギングを済ませ、朝食をとる。
簡単に自炊して、嫁さん母上が作り置きしてくれた、ぶり大根で豪華な朝食をとる。

朝食後、洗濯。
一人暮らしから離れて半年も経つと、やはり手際が悪い。
手伝いと、自分でやるのとは随分違うのだな。

午前中、先週放送の「プロフェッショナル仕事の流儀」仕事術スペシャルの記録をとる。
デジカメで印象的な場面をぱしゃぱしゃ。
メモは番組見ながらとったので。
参考になりそうな発言とか、記録しておきたい部分については動画に収める。
この行動、嫁さんは呆れているけども、時々振り返りたい番組ってありますよね。
呆れながらも邪魔はしません。
今日は嫁さんいないので、「ほー」とか言いながらシャッター切りました。
記録をデジカメでとるようになって、要らない紙が減った。

外出。
本屋へ。
山梨に引っ越してから、本屋に行く頻度が減った。
2回/月くらいだろうか。
浜松にいたときは、仕事帰りに3回/週は行っていたし、岡山にいたときも、2回/週は行っていた。
それが半分以下になった。
理由は、近場にいい規模の書店がないことと、週末は嫁さんと一緒に行動することがほとんどなので、本屋というチョイスがなくなってしまったことだろう。
その結果、どうなったかというと、まず「本に呼ばれる感覚」が全くなくなった。
もう一つ「社会の話題にひどく疎くなった」ことがある。

「本に呼ばれる感覚」、幻聴が聞こえるというわけではない。
週に一回、適度な規模な書店に通っていると、新刊コーナーの変化がわかるようになる。
すると、時々、自分にとってその時必要な本が、自分を呼んでいるときがある。
浜松にいた頃(NPO勤務時代)に気づいたことだが、岡山に行っても同じ感覚があった。
心身共に健康な時に「呼ばれた」本は、その場で買って損したことがない。
私にとって、大切な感覚だったのだが、山梨に来てからは、それがなくなってしまった。

もう一つ「社会の話題にひどく疎くなった」こと。
平積みの本や、話題の作家コーナーなんかを眺めていると、なんとなく「流行り」がわかってくる。
もともと、ワイドショーを見ない私にとって、貴重な情報源だった書店にいかなくなったことによって、この「流行り」を仕入れる場所がなくなっていた。

こんなことに気づく。
本屋における、こうした「感覚」はAmazonさんでは決して味わえない。
やっぱり2回/週くらいで、本屋さんに行かなきゃいけないと思った。

午後は、近所のマクドナルドで『ワーキングライフ』を読む。
マックは、ヒューマンウォッチングもできて面白い。
やはり、家族団らんの時間に、携帯電話をいじるのは、会話がなくなる原因になっていると思う。
Web料金が安いからといって、家族がみんなして携帯電話を覗き込んでいる光景は、ちょっと異様である。
カップルが向かい合って、お互いに携帯をいじっている姿も、私には異様に映る。
人の振り見て、我が振りなおせ。
気をつけよう。

デボラ・R・ベッカー他著、堀宏隆、他訳、大島巌、他監訳『精神障害をもつ人たちの ワーキングライフ』金剛出版、2004年。(5)60ページまで。

第5章
「IPSの研究」

IPSに関する研究成果のレビュー。従来のプログラム(デイケア、職業リハビリテーションプログラム(トレイン-プレイス)などと比較しても、IPSアプローチによるサービスの方が高い就職率、定着率を示している。

○一般就労ストレス
 一般就労することによって生じるストレスについて、再発や臨床的に好ましくない状態になるという研究結果は「ない」。むしろ、「働いていないストレス」がある。働くことにより、長所strengthの強化にもなる。働くことにより、「患者」から「労働者」へと意識が変化する。

○従来サービスを廃止することに関する議論
1)従来型サービス廃止をするにあたり懸念されること
 ・日中活動の場がないと、退屈になったりトラブルになったりする
 ・就労によりストレスが高くなる
2)(反論)クライアントは「働く」ことを望む
 「働くこと」=「大人の役割」
       =プライドの維持、病状管理、交友関係の拡大、などを含む
      ⇒QOLにはプラス効果がある
3)IPSの証拠
 ・デイケア等から離脱しても、負の結果は増加しない
 ただし、ごく少数ながら「孤独感」を訴える者がいる。そうした人は、地域支援センターやソーシャルクラブなどの、地域資源を利用することによって、生活の満足度が向上する。

○研究結果の理解の仕方
1)一般雇用は現実的な目標である
2)迅速な求職活動が有効である
3)臨床サービス-職業サービスの統合により効果がある
4)職業選択について、クライアントの興味に注目する(満足感や職場定着に影響)
5)様々な仕事にチャレンジした中での継続的アセスメントにより、自分・能力を知り、ニーズを学ぶことになる
6)期間を限定しないこと

デボラ・R・ベッカー他著、堀宏隆、他訳、大島巌、他監訳『精神障害をもつ人たちの ワーキングライフ』金剛出版、2004年。(4)42ページまで。

第4章
「援助付き雇用へのIPSアプローチ序説」

IPSモデル概論

○IPSが依拠する8つの原則
1)リハビリテーションは、精神保健の治療・援助に「統合された構成要素」である
2)IPSの目標は「一般雇用」
3)重度の精神障害者であっても、職業準備なして一般雇用に至り、成功している
4)職業的アセスメントは、一般雇用の場で継続して行われる
5)継続・同行支援の期間は、個々人に応じて設定され、一定ではない
6)求職活動や、障害の開示、職場における支援は、クライアントの希望による
7)IPSサービスは、治療・リハ環境ではなく、地域の中で提供される
8)分離した期間・仕組みによる並行したサービスではなく、各職種のチームアプローチにより、職業サービスと、臨床サービスが統合されている

○IPSユニット
     ○          ←IPSコーディネーター(1)
   ○   ○ …     ←就労支援スペシャリスト(2)
 ○○○○○○○○○… ←クライアント(3)

(1)IPSコーディネーター
職業リハビリテーションスーパーバイザー。修士号を持ち、職業リハビリテーションの実務経験がある者。
(2)就労支援スペシャリスト
臨床サービスと職業サービスを調整する。双方への情報提供や会議の実施を通して、クライアントをチーム全体で支えるための支援者。経歴よりも人柄(楽観的、精力的であることが望ましい)が求められる。
(3)クライアント
「重度であること」や「職業準備性が身についていない」ことにより、サービスの対象から排除されない。

(1) : (2) : (3) = 1 : 2- : 20-25 の割合であるのが望ましい

○Place – Train モデル(前述)
 個人特性に応じた「職探し」→「支援」の順で実施される。

デボラ・R・ベッカー他著、堀宏隆、他訳、大島巌、他監訳『精神障害をもつ人たちの ワーキングライフ』金剛出版、2004年。(3)38ページまで。

第3章
「IPSの理論的基礎」

「(前略)重い精神障害をもつ人たちは、文化的に規定された成人としての役割を果たすことが困難な側面が指摘されているが、その状態が精神保健関係者によって二次的に作られたものである側面がある。(後略)」(P.35)

○精神障害者の職業リハビリテーションの基礎理論
 個人の機能的適応能力は
 (1)援助的な環境
 (2)個人の技能・能力改善
 により向上するとしている

○リカバリーの基礎理論
 個人が病気を乗り越え、仕事のような有意味な人生目標を追い求めることができる

○「障害」で社会化される
・支援者の自己意識にも影響を与え、ものの見方が「内面化」される
 隔離された職業プログラムに参加する人は、(負荷のかからない、援助的な、差別されないことが約束されたような)「そういった環境」でしか働けないと信じるようになってしまう
「障害」を維持する、内的・外的補強因子がある→「魂の破壊」へ

デボラ・R・ベッカー他著、堀宏隆、他訳、大島巌、他監訳『精神障害をもつ人たちの ワーキングライフ』金剛出版、2004年。(2)34ページまで。

第2章
「援助付き雇用の概念、歴史的・理念的基盤」
従来のリハビリテーション概念とは手法が異なるIPS(Individual Placement and Support)の理論的基盤を説明する。
「(前略)コンシューマー運動、家族の運動、地域での精神保健実現のための革新的アプローチ、精神障害リハビリテーション、意思決定への当事者参加、(中略)新しい薬物治療、援助付き雇用、協同的経験主義の動向から明らかにする」(P.21)

○リカバリー :IPSモデルの根本的な考え方
 1)自分の人生と病気の管理に責任を持つこと
 2)自分自身が満足する意義ある人生を追求し始めること

○「トレイン-プレイス(Train-Place)」モデルと、「プレイス-トレイン(Place-Train)」モデル
・Train-Place:従来から実施されている段階的就労移行。
「(作業所などでの)職業準備の訓練」→「思考的就労」→「就労:職場適応」
  職業準備の訓練が、一般雇用の現場と乖離していることで意欲が減退する可能性を指摘する研究あり
・Place-Train:クライアントの希望により就職活動を始め、就職後も継続して支援する。
  「就労」→「継続支援により職場適応を図る」(職業準備の訓練がない)
 ●意思決定への参加
  本人が正しい情報を得て自己決定することにより、満足度、治療の遵守といった効果だけでなく、生物医学的指標の数値も改善する。また、一般雇用に直接関与するしくみに参加できているクラインアントは、長期予後がいいという結果もある。

○PACT(Program for Assertive Community Model)
 クライアントに必要な支援を、「現場」で直接的なアプローチによって実施する
 「欠陥」ではなく「長所strength」に注目することが前提

○援助付き雇用 1986年、職業リハビリテーション法改正時に制度化(アメリカ)
 援助付き雇用の4要素
 1)重度精神障害者の雇用支援
 2)一般就労が目的(20時間/週、最低賃金以上)
 3)職場での作業が、他の従業員と統合されていること
 4)継続的(2回/月以上)な支援が実施されている

嫁さんのいない週末 1

地元の友人との用事があるとのことで、嫁さんだけ実家へ帰省する。決して喧嘩したわけではない(※重要)。
そういえば、山梨に引っ越してから、嫁さんがいない生活というのは初めてであった。
過ごしてみて感じるのは、家族ができてからの一人の生活は、いろんなことをもてあますということ。「嫁いない!万歳!」でもないし「寂しいよぉ」でもない、これはこれで新鮮な気分である反面、いろんなことが「わからず」無駄な時間が生まれたということだろうか。

土曜日はまだ、午前中は嫁さんと嫁さんの母上が家にいたので、ちょっといつもと違う雰囲気だった。
昼前に、浜松に向けて二人が出発するも、雨がひどいため外出する気にもなれず。
というか、一週間の疲れがどっと出た感じで、何もする気が起こらず。

会社から借りてきた「ヨガ」のDVDを試したのも、結果として行動力を落としてしまったのだろうと、振り返るとそう思う。
だって、副交感神経優位になるんだもんなぁ。
これから何かしようと思っているときにリラックスするというのは、いかがなものだろう。
そんな風に考えると、仕事で担当している支援プログラムも、雨の日の朝一番でリラックスしてしまうのはいかがなものかと考えてしまう。

ぐだぐだした気分を払拭するのに、「ビリー」を実施(現在2回/週程度)。
「応用プログラム」にもだいぶ慣れてきた。
心なしか、肩回りは多少引き締まったか。
お腹の要らない肉も、多少減ったのだろう、スーツのズボンがどれもこれも「緩く」なってしまった。
寝巻きに至っては、岡山にいた頃は腰骨で止まっていたのに、今は半ケツになってしまう。
ぶしょったいものの、「ビリー」の効果は出ているのだろう。
気になるのは、体重、体脂肪があまり減っていないというあたりか。

夕食。
一人なので、街の方で飲み屋でも開拓しようと思っていたのだが、土砂降りになってきたので断念。
家で軽く飲んで寝ようと、つまみを買出しに行く。
嫁さんがいつも使っている某スーパーへ。
お惣菜コーナーへ行く。
目を疑う。


「ごぼうサラダ」

高い、高いよ。
岡山にいたとき、お惣菜工場へケースが就職するまでは、お惣菜ってよく買っていたけども、100円くらいで買えたものが、こんな値段するなんて。
私の好きな「白和え」も倍くらい。
断念し、「半額」シールのついたものをチョイス。
なんだか寂しい。

テンションは上がらないが、楽しく晩酌しようと思い、「清泉寮ワイン」をあける。

「SEISENRYO WINE」

なかなか、飲み応えのある赤。
ハーフボトルは、一人で空けられてしまうから好き。
ちょうど、このワイングラス2杯分くらいなので、2杯目は先日「プロフェッショナル」で紹介していた方法を試す。
抜栓して、ワインを振る。
……不思議なもので、本当に香りも味も変わる。
一度お試しあれ。

2007年10月21日日曜日

ペルーの日

久々の勉強に終われない休日。
嫁さんの体調が万全ではないが、外出はできるというので、遊びに行くことにする。

休日の出発は、やはり昼過ぎ。
昼食には「タコス居酒屋マパ」をチョイス(別途)。
赤いトウガラシに、火をふきそうな辛さに見舞われるも、おいしい料理。満足。

昼食後、先週あたりから「前売り券があるから行こう」と言っていた、「ナスカ展」へ。
笛吹ラインを南下し、山梨県立考古博物館へ。

http://www.pref.yamanashi.jp/barrier/html/kouko-hak/index.html
山梨県立考古博物館




休日ということもあり、非常に混みあう。
入場制限も多少かけているらしく、入館から展示場の入り口まで15分ほど待つ。
展示物は、意外と面白い。
土器とか、博物館とか行ってもあまりじっくり見ることはないのだけども、表面がツルツルしていてきれいなのと、描かれた図柄が、現在で言えばかなりデフォルメされたものが多く、見ていて面白い。最近のイラストレーターにも、こんな絵を描く人がいそうだなとも思う。
子どものミイラ。考古学の分析方法もすごいと思わせるが、遥かな時を超えて、インカに生きた人間の「形」が、目の前にあることに、不思議な気持ちにさせられる。

展示のもう一つの目玉、ナスカの地上絵。
CGを駆使した映像によって、地上絵を空から眺めるプログラムに驚く。
そして、地上絵が「地表にある色のついた石を取り除くことによって、描かれる」ものであることに驚く。そして、よく言われる「何のために、どうやって正確なものを?」という疑問を改めて抱く。諸説あり、面白い。
まだ、議論の分かれるところで、今後の調査に期待、である。

道の駅「とよとみ」へ。
古巣N-Pocketで久々に開催される「サロン」の差し入れワインを購入&発送する。
せっかくなので、ソフトクリームを食べる。
ここのソフト、私は「もろこしソフト」が好きなのだが、期間限定で「かぼちゃソフト」が始まっており、そちらに浮気。ちなみに、もろこしソフトは今日で終了とのこと。

帰宅前に、TUTAYAで「有頂天ホテル」と、アンジェラ・アキ「TODAY」を借りてくる。「有頂天ホテル」はご覧の方が多いとは思うが、まず「面白い」。そして、「完成度の高さ」に感心する。誰が主人公というわけではなく、たくさんの登場人物全てに「見せ場」があって、最期にそれらが集約されてまとまる。「なるほど」と思わせる作品。

タコス居酒屋 マパ

嫁さんがポルトガル語講座に行き始めて、そこで知り合った方に聞いてきたとか。
南米の食べ物は、ことあるごとに縁があるので、とりあえず試しに行く。

嫁さんが「居酒屋…って書いてあるけど」と心配そうにするも、「『ランチ』やってるでしょ?だいじょぶ」と根拠のない返答。
店内はそれほど広くなくこじんまりしていて、居心地がいい。音楽もラテン系の音楽がかかっていて、陽気。
エコロジー的な取り組みにも関心が高いようで、店内入って右側の書棚には、そういった書籍が並ぶ。

肝心の料理は「辛いけど、満足」。
私はペルーランチ(1200円・写真)を注文する。ペルーライスに、ビーンズとフライドポテト、豚肉と野菜の炒め物、トルティーヤせんべい(?)が、プレートに乗ってどっさりでてくる。サルサは別の小鉢に。
全体的にピリ辛。サルサは「お好みで」とのことで、赤いソース状になった「サルサソース」と、野菜の漬物みたいのがある。
後者は、玉葱、人参、唐辛子(緑と赤)などが、辛く酸っぱく漬かっている。赤い唐辛子を食べたら、口を閉じていられないほどの辛さ(痛さ)に見舞われる。
それを除けば「一線をこえない、ほどよい辛さ」で満足の料理。量も結構なもので、充分満足。
焼酎の品揃えがよかったので、夜の居酒屋も楽しいと思う。


ペルーランチ

〒406-0034
山梨県笛吹市石和町唐柏136-2
TEL/FAX: 055-261-3080
http://www4.ocn.ne.jp/~mapa/


2007年10月20日土曜日

夏目漱石『坊っちゃん』新潮社、2003年(改版:1950年初版)。

夏目漱石の代表作の一つ。面白い。
同じ教師ものでも「金八先生」とは全く違う。

おかしなものはおかしいとはっきり言いたい「おれ」と、山嵐。赤シャツの陰謀や、生徒の悪戯と真っ向勝負していく様は、読んで滑稽であり、「人として」の信念のようなものが垣間見える。
漱石の自伝という側面もあるようで、その面では「若さ」ゆえの、社会に対する反発も読み取れ、非常に読み応えのある作品。広く長く読み継がれる名作。

息抜き

今週は、予想通りに忙しかった。予定が少なくて、忙しくなさそうなのに忙しいということはよくあるのだけども、予定が詰まっていてやっぱり忙しい一週間だった。

相談に継ぐ相談に継ぐ相談。まぁ、カウンセラーを名乗っているわけだから、相談してなんぼのところはある。私としても、相談した人が就職を通じて社会復帰していくのを手伝うのは、この仕事をする身としては喜ばしいところである。が、その業務を「報告」するのが面倒くさい。ただ、これも全国に設置されている公的機関だから仕方がない。
結局、仕事は仕方がないので、効率をよくして乗り切るしかない。集中して一気に片付ける。相談というのは、意外と疲れる。頭が疲れる。その後の事務処理も頭が疲れる。

この「頭が疲れる」というのは、どうやったら解消されるのか。
最近勉強したメンタルヘルスマネジメントでは、イライラや焦燥感に対して「リラクゼーション」、身体症状に対して「軽い運動など」が効果的というのが基本である。これはこれで概ね合致していると思うのだが、職業ストレスって意外とこの「頭が疲れる」ことが多いと思う。これは一体脳の機能がどういう反応を起こしていて、どんな解消法があるのか。

私はとりあえず、眠る、身体を動かす、というあたりで解消をしているのだが、他に何かいい方法があれば是非コメントお願いします。

カラオケと歌

時々、嫁さんと週末にカラオケに行く。
大声を出してストレス解消。私は歌が上手くない。というか、どちらかという下手な部類に入る。喉で声を出すので、声をつぶしてしまう。
気の知れた人と飲んだ後に行くカラオケというのは、実はあまり好きではない。気の知れた人となら、酒場で飲んでいた方がいい。上司にスナックとかに連れて行かれたら、まぁストレス解消と割り切って歌う。
そのあたり、嫁さんとだと抵抗がない。いつもしゃべっているし、嫁さんがカラオケ好きだから、お互いのストレス解消になったりするので、時々行ってみる。

私は、新しい歌を練習して歌うようなことをしないため、レパートリーが少ない。昔聞いていて「いいなぁ」と思っていた歌が意外としょぼかったりしてがっかりすることも。
嫁さんは、TUTAYAさんなんかでアルバムを借りてきて、車で聞いたりして新しい歌に挑戦する。最近はスキマスイッチがお気に入りだそうで、よく歌っている。最近の歌で「マリンスノウ」というのがある。曲調なんかは、スキマスイッチっぽいスローテンポで、なかなか聞かせる。これまでは車で聞いていたので、サビの「かーらーだがぁ~あぁ~」というところくらいしか知らなかったのだが、嫁さんが歌っている字幕を見て思わず「重い」と思ってしまった。

http://www.youtube.com/watch?v=E_82K9hoA6Q
「マリンスノウ」

多少茶化して聞いたり歌ったりできる、私ら夫婦ってのはかなり脳天気なんだろうと思う。

2007年10月17日水曜日

意外な接点

昨日の合気道に関する記述が、なぜか仕事中に思い出され、こんなことを考えた。

ジョブコーチ支援は、対象者の「ブレーキ」を外す役割をする。

昨日の私は、今までにも何度か書いてきた身体のバランスをとるための「ブレーキ」を過剰にかけていたわけで、それが師匠との移動力の差(速さ)として表れていた。
それが、理由はわからないけれども、何らかのきっかけで過剰にかけていた「ブレーキ」が外れたことにより、動作が変化し、一度目の体さばきと二度目の体さばきとで移動力に差がでることになった。
この二度目の移動力は、今までにない動作だったのだが、それは私の能力を超えるものではない。まだ、能力の全てを使っているとは思わないが、これまでに発揮できていた身体能力よりも少しだけ余計に力を発揮できた。

この能力の発揮、というところで、合気道の考え方がジョブコーチの役割と交差する。
つまり、ジョブコーチの仕事というのは、事業所に対して環境調整を実施すると同時に、対象となる人に対しては、その能力を「引き出し、成長を促す」ことと言える。
もう少し詳しく説明すると、ジョブコーチが支援することによって、対象者の能力が付け足されるわけではなく、もともと対象者が持っているけども何らかの原因(主に障害)によりその発揮が阻害されている人に対して、支援することによりその「阻害要因」を取り除き、能力を発揮させる専門職であるといえる。(ちなみに、ここでいうジョブコーチとは、JC-NETで「広義の」とか「スーパー」とか言われるものとする)

合気道ならば、膝の関節の使い方と足の動かし方、姿勢の保ち方によって、それらが一致した動作となることで、身体の「ブレーキ」がゆるくなる。さて、就労支援の場ではどんな「ブレーキ」を外せば、WIN-WINの関係を作ることができるのか。

2007年10月16日火曜日

Break Through

合気道にて。

「動きの質」の変化を体感する機会に恵まれた。
動作が、なめらかに、不必要なブレーキがかからず。
師匠のスススー、という動きに、少しだけ近づいた気もする。

動くのが楽しい、という感覚。
短刀体さばき(だったか?)、相手が短刀(を模したもの)で突きを打ってくるのを、間合いを取りながらかわす練習。
一度目はメタメタに突かれ、突かれるとエビのように背中が丸まって固くなってしまう。
相手の思うツボ、のような感覚で、焦りもあったのだろうと推察する。
ダメダメで、師匠の動作を見て、二回目。
特に何があったわけではないのだが、なぜか身体の動きが軽い。

傍で見ていた師匠にも、突きを打ってくるマヤ氏にも言われたことだが「さっきと全然違う」、とのこと。
私も、何がなんだかわからないのだけど、身体が軽く、動作がスムーズだったように思う。

師匠が言うには、筋肉の動きと神経の反応が速く、かつ身体はリラックスしている時に、調子のいい動きがでるような気がする、とのこと。なるほど、「心・技・体」のバランスが高次でとれているときのような感じなのかもしれない。
漫画「はじめの一歩」で板垣が目覚める瞬間に、「相対速度」が違う、みたいなことを誰かが言うシーンがあったが、それをもっともっと低いレベルで体感したような気分にもなった。

以前、正面当ての練習をしていて、相手の抵抗を全く感じずに「スルッ」と相手を突き倒した時に、師匠から「それが合気道の感覚です」と言われたことがあった。そのときにも、今日みたいに満足した気分になったのだが、新しい感覚や動作を体感できたときに、人間はすごく満足するのだと思う。
もう一度再現したいとも思うし、確かに自分がやったことだと思い出すだけで、ちょっと興奮してしまう。

これだから、合気道が面白い。身体の使い方がまた一つ、うまくなったように思います。

2007年10月14日日曜日

今日の出来事 東京日記 10/14

今日はメンタルヘルス・マネジメント検定。

http://www.mental-health.ne.jp/

今年度、精神障害者の担当になって必死こいて勉強したことを、何か形にしておけないかと思っていた時、たまたまNHKのおはよう日本で特集していたので知ってから勉強していたもの。
この検定を取ったから何、という性質のものではないのだけども、せっかくだからと力試し。
これまでの勉強を活かせるのは事実だけども、普段の業務「職業リハビリテーション」と、職場の「メンタルヘルス」は、重なり合っていてちょっと違うこともあり、新しく勉強したこともあった(特に、長時間労働者に対する面接指導に関する、指針や総合対策など)。
岡山勤務時代に、確か公文書で回覧として回ってきた文章なのだが、そのときには全くピンとこなかった。
よくよく勉強してみると、昨年度の4月~5月あたりは、報告していない超勤時間が100時間超えていたから、私も面接指導の対象だったんだなぁと思いつつ、そんな勤務を切り抜けた自分にも拍手。メンタルヘルス不全のリスクはめちゃくちゃ高かったんだ。

そんなことも勉強しました。
ちなみに、私が受験したのは、セルフケアコース(Ⅲ種)と、ラインケアコース(Ⅱ種)。
私の手元には、テキストも、今回の試験問題もあるので、興味のある方がいたら連絡いただければ協力できます。


そんな受験を受けに東京へ。
7:08甲府発の特急「かいじ」に乗るため、6:15に自宅を出る。嫁さんの運転で駅へ。
甲府駅前の吉野家で「特朝定食」の朝食。
朝はご飯がいいので、外に出るとよく吉野家を利用するのだが、この特朝はいい定食だと思う。鮭がもう少しピンクピンクしてないといいのだが、まぁ仕方がない。

みどりの窓口で切符を買う。
中央線の「かいじ」はお得な切符があり、詳細はよくわからないが、首都圏に「かいじ」を使って往復するときに割引切符がある。
今日使ったのは「かいじ東京フリーきっぷ」というもの。甲府-山手線圏内で、通常片道4,020円のところを、往復で5,500円で買える。新宿までの特急列車は「かいじ」に限られる(「あずさ」はダメ)が、指定席つきでこの値段はお得だと思う。
ただ、窓口のお姉さんが、ぱっと見はかわいい顔してるのに、態度が非常に悪く朝から気分が悪くなる。

電車の中は爆睡。
昨晩寝つきが悪かったので、取り返す。
復習はほとんど手づかず。

新宿着。総武線千葉行きとのことだが、駅で迷う。
新宿はいつも迷う。よって嫌いである。
結果、予定の電車に乗ることができず、5分ほど待つ。

水道橋着。方角が分からず混乱するも、通りに名前がついているので、目的地へすぐに向かう。
試験会場は日本大学。
都内の大学は、普通のビルみたいなものがあり違和感を覚える。私の母校静岡大学は「大学の敷地」というものがあって、大学の中、外、みたいな感じがあったけども、日本大学みたいに通りをはさんで建物が分かれているのは、ちょっと新鮮。


日本大学

午前中は、ラインケアコースの試験。
受験生が数千人いたことにびっくりする。
そんなにメジャーな検定だったのか・・・

受験時間は2時間となっていたが、試験前の説明とか入るので開始が20分ほど遅れる。
試験は充分な時間があるが、見直しをしても30分ほど余る。
隣のおばさんが問題集をペラペラと指ではじく癖があり、うるさいので途中退場する。

昼食。
せっかく東京にきたのだから、どこか散策しようかとも思ったが・・・


岡山が生んだ傑作。

一度岡山に住んだ私にとって、サンマルクはチェーンのカフェでもちょっと特別。
岡山に住んでいたとき、毎朝のジョギングコースにサンマルク本社前がありました。
なんてことない田舎に、こじんまりしたオフィスを構えているサンマルク。
岡山市内には、系列の店舗が多いのです。
サンマルクカフェ、バケット(パン食べ放題のレストラン)、函館市場(回転寿司)、珈琲蔵(高級カフェ)、鎌倉パスタ(創作パスタ)などなど。私ら夫婦は、鎌倉パスタがお気に入りです。見かけたら試す価値ありのパスタが食べられます。

都内でひさびさにこの看板を見たので、つい入ってしまいました。懐かしい。
ランチセット500円は、ピザ系のパン、チョコクロワッサン、Sドリンク。軽いランチならおすすめです。

午後は、セルフケアコース。
午前中の試験よりも骨のある問題で、頭フル回転でした。疲れた。
それでも見直しして時間があったので、途中退室。

新宿で時間があったので、いつも通り「コージーコーナー」でお土産を買おうとするが、やはり迷う。
歩き回るのだが、どうしても上のフロアへ行けない。
地図を見て、ようやく。
いつもはロールケーキですが、今日は奮発してチーズケーキを買ってみる。
そして、電車の乗り場へ。
・・・やはり、よくわからない。この駅は田舎者をバカにしているようで嫌い。


人が多い新宿駅。


検定が終わったので、帰りの電車では久々に読み応えのある論文を読む。
内容はまた、後日紹介しますが、これがまた面白い。
えぇ、私の好きな哲学です。一人称研究の哲学です。
でも、読んでいてすっかり電車酔いしてしまう。

甲府駅まで、嫁さんに迎えにきてもらう。
夕食は、国母の大戸屋ですませる。
にがり豆腐と鶏肉のトロトロ煮定食、だったか。お腹にやさしい夕食。

TUTAYAでDVD「猟奇的な彼女」を借りてくる。
何も考えずに見れるコメディで面白かった。女優さんがキレイでしたね。

2007年10月12日金曜日

重心の位置と移動

合気道をやりながら、気づいたこと。

素早い動作を可能にするためには、重心を両足の間に置いておく必要がある。
先日のBlogにも書いたが、私の歩行動作、走行動作は「後ろ足で地面を蹴って推進力を作り、前に振り上げた足でブレーキをかける」ことでバランスをとっている。
これがなぜ起こるのかというと、後ろ足で蹴って生まれた推進力によって、前足のすぐ後ろに重心が移ることになり、前足の着地時には重心が前足に乗っている状態となるからだと仮定した。

私が合気道を教わっているときの動作も、普段とは多少の違いがあると思われるものの、基本的には身体のバランスをとるためにブレーキをかけながら移動しているため、短い時間の「居付き」が生じている。
師匠の動作が、スススーっと流れるように静かに動くように見えるのは、重心の動きを身体全体でコントロールし、足だけで身体のバランスをとる必要がないような足の運び方、姿勢をしているからだと思う。重心の移動距離と、身体の移動距離が大体同じで、バランスがとれているため初速が速くても転ばないし、腕に移動力を伝えることができている。

理屈は何となくわかっていても、実際に動作してみるとやはりブレーキがかかっている感じがする。少しずつ、「いい動作」が自動化できるよう反復練習をしていこう。

甲府市街にて

私は、滅多に腹を立てない人間だと思っていたのですが、明らかに「訳のわからないこと」で迷惑をかけられるとカチンとくるのだなと思った。

今日は一日図書館で勉強をして、嫁さんを迎えに街中を愛車の赤パッソで走っていたところ、事件は起こりました。
信号が青になり、左折しようと前に出ると、中学生くらいの男の子が「世の中を小ばかにしたような顔をして」フラフラと愛車の前に。
「車が進む、でいいんだよな」と信号を見る。やはり青信号。歩行者信号は?赤信号。道路交通法上は私が進むで正しい。ただし、歩行者がいるときには停車して待つ。うん、ここまで考えられたら冷静だと、なぜか頭は非常にクリアに働き、冷静さも保っていたのですが、目の前の男の子の態度がどうも気に食わなかったんです。

彼は、やっぱり人を小ばかにしたような顔で私の顔を見て、含み笑い。

ほう。
そうきますか。

私も、おそらく含み笑いになってしまったのでしょうが、彼を一瞥し、微笑む。
彼の眼を見て「ばかだねぇ」と小さな声でつぶやく。
「小さな声」、重要。私、冷静だとびびりですから。中学生でも、「わけがわからないことをする人」は怖い。
こちらの口が読めたのかどうかはわからないけども、彼は車に当たりそうなくらいまで近づき、方向を変えて、私に背を向ける。赤パッソが左のウインカーを出しているのを知ってか知らずか、私の進行方向へと振り返り、やはり前進を阻む。

邪魔。

大人を小ばかにしても、いいことないよ。
というわけで、クラクションを鳴らす。ビってくらいの、ちょっと長めに。
さすがに周囲の目にも気づいたか、ふらふらと歩道へ戻る男の子。
よかったねぇ、穏便な大人で。ヤのつくやばい人とかだったら、こんなじゃすまないだろうに。

訳のわからない行動で、人に迷惑をかけて悪びれない人は、あんまり好きじゃないなぁ。

川島隆太『頭をよくする本 ――川島隆太先生と100人の子どもたちが脳について考えてみた!――』KKベストセラーズ、2004年。

「脳トレ」で有名な川島教授による、脳についてのやさしい著書。子どもの質問に答える形で、脳の様々なしくみについて説明している。
テーマの「頭をよくする」ことには、あまり言及していない(というか、「頭がいい」という概念についても疑問を投げかけている)が、中学・高校理科で学ぶ以上のことを、平易な表現で、誰にでもわかるように説明している。
記憶の再生について、誰にでも当てはまる脳の機能として「一度見たり聞いたりしたことを、脳は全て覚えている」のだそうだ。思い出せるかどうか(記憶力がいいかどうか)は、脳が覚えていることを「引き出せるかどうか」ということらしい。
他にも、脳は何歳になっても成長するとか、眠っている時の脳の働きなど、一般常識としての読み物としても面白い。

2007年10月9日火曜日

独立行政法人の廃止法案

今日の新聞に、「3年後にすべて廃止」と見出しが出ていた。読めば、民主党が独立行政法人を全て廃止し、民間に委託できるものは民間化し、そうでないものは国の業務とするという法案の骨格を明らかにしたとのこと。
独立行政法人の廃止によって使われなくなった予算を、民主党が打ち出す子ども手当てや農業支援のための財源に回す計画らしい。

新聞の記事だけなので、どこまで具体的な計画かわからないのが率直なところだが、ハナから「全て廃止→他の財源へ」と考えているように読めてしまうのが、なんともお粗末で笑うに笑えない。
外部評価も高いとされている独立行政法人に勤務している一個人からすれば、いわゆる「国民ウケ」のために、支援を必要とする人にその必要な支援が実施できなくなる可能性も捨てきれないといえるわけで。
現状を踏まえたら、国の事業として公務員を増やすことはありえないだろう。となると、民営化の方向を探ることになりそうだが、就職困難者の雇用を支援する仕事が完全に民営化できるとは思えず(社会福祉法人の現状を考えたら)、「さて、どうなるか」といったところ。
併せて、ウチの機構の組合でも賃上げ交渉をやっていたりして、それを理事が「とにかくラスパイレス指数を下げる方向で」とかみ合わない議論を続けているのも、いかんともしがたい。微々たる賃上げよりも、事業だけ増やすのではなく職員を増やしてください。
この先、この法案がどんな方向へ進んでいくのかわからないけれども、まぁ、私はとりあえず目の前のことに専念しようと思う。私に見えるのは、「国民」なんていう漠然とした単位ではなく、目の前のクライアント、そしてここ山梨で一緒に仕事している関係者、そしてその人たちのクライアントくらいが限度ですから。

2007年10月8日月曜日

ダージリン

静岡市の総合庁舎裏手にある喫茶店。
学生の頃、静岡市中心街でアルバイトしていた頃、よくお昼ご飯を食べに行ったり、夜飲みに行くまでの時間をつぶしたりしていたっけ。
学生の頃は、おばちゃんが一人で切り盛りしていました。私の就職が決まらない愚痴を聞いてくれたり、NPOの活動に理解を示してくれたり、絵の見方を教えてくれたりと、結構な思い出があったお店でした。私が大学院を修了するときに、コーヒーをサービスしてくれたり、記念品(宇宙ボールペン)をくれたり、翌年、就職が決まったらやっぱりコーヒーをサービスしてくれたりしました。
今年、甲府に引っ越してきてから、そのおばちゃんからハガキが届き「店を閉めます」とのことだったので、挨拶くらい行きたかったなと思っていたところで、残念に思ってました。
それで、今回、久々に静岡に行ったので、店の前を通ったら・・・店開いてるじゃないですか!

うれしくなって、思わず入店。
お店の方も新しくなってました。
でも、絵が壁にかかっていて、カウンターとかテーブルの配置は同じ。
懐かしくなっちゃいました。

「アジアのおいしいお茶とドリップ珈琲のお店」
と宣伝するだけあって、お茶の種類は豊富。
私はコーヒー好きなので、どうしてもコーヒーを飲んでしまうのですが、ほっとするお店です。
食べ物のメニューも代わっていますが、通常の喫茶店メニューよりもちょっとオシャレかと。

フードメニュー、ドリンクの値段とか、忘れてしまいましたが、。
雰囲気がよく、カレーはおいしくいただきました。



ダージリン
〒420-0031
静岡市葵区呉服町2-5-23 BOX5ビル 1F
TEL: 054-252-7502
URL: http://darjirin.eshizuoka.jp/




スペイン料理 サングリア Sangria

気合の入ったスペイン料理店。
店の前の駐車場で、ニンニクの香りがする本格的なスペイン料理店。
前菜から、サラダ、魚介料理、肉料理、どれを食べてもおいしい。

学生の頃、ゼミで行ったのを思い出して、静岡観光の代わりに嫁さんと行ってみる。
以前はあまり気にしていなかったが、パエリアが本当においしい。
・魚貝のミックスパエリア 2,500円(2人前)
魚介のダシとニンニク、オリーブ他、本当にコクのあるおいしいご飯が味わえる。
思わずうなってしまいました。

静岡へ車で行くことがあれば、おすすめです。



〒422-8011
静岡県静岡市駿河区根古屋162-1
TEL: 054-237-5903
http://www.sangria.co.jp/

静岡にて (10/6-7)

学生時代に、非常にお世話になった先輩と、大学院生の同級生の結婚式に出席するため、静岡へ。
静岡へ行くのは、昨年のこの時期に結婚が決まったことを行きつけの飲み屋と友人達に報告するために行って以来。

嫁さんの美容院の時間があったので、甲府を早い時間に出る。
それでもぎりぎりだったのだが、昼過ぎに静岡着。

嫁さんが美容院に行っている間に、私は静岡の街中へ昼食をとりに出る。
学生時代、街中で仕事をしていた時に、毎週のように通った喫茶店。
今年度の初めに、店のおばちゃんからハガキが届き「店を閉めた」とのことだった。
気になっていたので、今はどうなっているのか見に行く。

店は開いていた。

ちょっと驚いたが、せっかくなので店に入る。
雰囲気は随分変わっているが、確かに同じ喫茶店だ。
油絵が壁一面に飾ってある。
カウンターの中は人が変わっていて、前のおばちゃんよりも若い(だろう)女性になっていた。
メニューも変わっており、ピラフがなくなっていた。
まぁ、以前も冷凍ピラフをきちんと作ってくれるメニューだったから、残す必要はなかったのだろうが、当時よく食べたメニューがなくなっているのは少し寂しい。
でも、ドリンクを中心に新しいメニューも増えており、店としては「進んだ」のだろう。
お店の情報は、別の投稿で。

夕方から、I先輩とSさんの結婚式に出席。
静岡大学の裏手、バレンタインファームという結婚式場での式。
私の在学中に着工され、こんな山奥に何ができるのだろうと、期待していた結果、結婚式場ができてがっかりした覚えのあるところだが、まさかその4年後にこんな機会に恵まれるとは・・・
結婚する二人の間の「愛」も感じましたが、それを支えるI先輩の近しい友人達の「愛」、そして出席者に対する二人の「愛」も随所に感じられる、手作り感たっぷりの結婚式でした。
一出席者として、楽しかったです。
大いに笑い、喜び、祝うことのできた結婚式でした。

そして二次会。
私の合気道の師匠がプロデュース兼MC兼ギター演奏と、大活躍したライブ形式の二次会。
出席者積極的参加型という、非常に盛り上がった二次会でした。
ラップからはじまり、「世界に一つだけの花」「永遠にともに」の演奏、
最後は参加者全員で歌うBank Band with Salyuの「to U」で締めくくる。

http://www.youtube.com/watch?v=C9R1HK2KtVA

あんな二次会は初めてでした。
私の二次会も、手作り感ではひけをとらないものだったと思ってますが、あんな一体感のある結婚式はそうそうないのではないかと思いました。
Iさん、Sさん。二人のしあわせをつかみとってください。
私も負けずにつかみとりますから。
おめでとうございます!


二次会の後、これまた学生時代の行きつけのバーへ。
入店してすぐにマスターから渡される。



指定されたウイスキーを期間内に一杯ずつ飲むと、「山崎樽材」で作られた自分の名前のシャチハタがもらえるというもの。





指定のウイスキーは、
・山崎12年
・山崎18年
・白州12年
・白州18年
・マッカラン12年
・グレンフィディック12年
・ボウモア12年
・ラフロイグ10年

18年もののウイスキーは、ショットで1600~1800円するもの。
おそらく集められないとは思うが、せっかくなので「白州18年」をいただく。
やはり、香りがいい。
口の中に広がる香りと味。大人の味です。
嫁さんは「一口ちょうだい」と言い、口をつけた途端、渋い顔をして「唇が焼ける」といってぬぐってしまいました。



ハンコのサンプルを見せてもらう。
・・・ちょっとだけ、欲しいかも。


10/7。
10時チェックアウトだが、8時過ぎに起きる。
やはり、昨日の盛り上がりとアルコールとで、相当疲れていたらしい。
10時ぎりぎりにチェックアウト。
新静岡駅のドトールで朝食。ミラノサンドはおいしい。今日はC。嫁さんはA(お気に入りらしい)。

甲府へ帰る前に、静岡観光をしようと思い、日本平へ向かうがものすごい渋滞(動物園渋滞か?)のため断念。
代わりに、150号線、通称「いちごロード」を東へ。
なぜか波が高く、潮風を受けながら走る。景色はいいが、天気はいまいち。
スペイン料理サングリアへ。詳細は別途。
パエリアに感動し、甲府へ帰る。

LOLO Cafe (9/30)

浜松駅北側、「東街区」と呼ばれる(そう呼ぶことを知らなかった)一角にあるカフェ。
明るい店内と、気合の入ったオリジナルな食事、ドリンクメニューが揃っている。

以前から、嫁さんと行っていたが、今回は後輩のBとその彼女Mと行く。


パスタもおいしいが、ランチメニューでちょっと変わったものが食べられるのがいい。
今回は、カツオのたたきをオリジナルのドレッシングで野菜と一緒に食べられるランチプレートを試す。
ガーリックが効いており、ちょっとだけ予想外でしたが、おいしくいただきました。



食後のカプチーノ


デザインもかわいいが、味もいい。満足でした。


〒430-0929
静岡県浜松市中区中央1-4-10
パークアベニュービル1F
TEL/FAX: 053-455-6639
http://www.upon.jp/hamanavi/higasi.html
水曜定休

9月末の帰省

9/29に会社同期の結婚式へ招待されたので、出席ついでに帰省。

9/28、浜松までは車で帰る。
国道52号線で帰省したが、帰る度に見える看板の撮影についに成功。


写真が小さくて読みにくいかもしれないが、
「君は太平洋を見たか 僕は日本海を見たい」
と書いてある。
中部横断道路の早期完成を願う看板のようですが、なんだろうこのセンスは・・・
浜松に帰ると、実家のテレビが買い換えられていた。
どうやら、父親が「地上デジタル波」に対応して買い換えたとのことだが、居間だけでなく寝室も買い換えられていた。話を聞くと、姉達の家もそれぞれ買い換えたらしい。
父上、狂い咲き再び。
電気屋へ行き「大2個、小4個」などと注文したらしい。
相変わらずな人である。
9/29。
朝、遅く起きて、軽くジョギング。
昼過ぎに名古屋へ向け、出発。
昼食は、浜松駅新幹線乗り場待合のスターバックスで済ませる。
ここのスタバは非常に便利。
14時前に名古屋着。
徳島勤務の同期と15時前から飲む。
結婚式二次会が始まるまで飲む。楽しいひととき。
同期の結婚式二次会。
二次会前に、しこたま飲んでしまったので、食事には手がつけられず。
それにしても、40Fからの名古屋の夜景はワンダフルでした。
旦那も嫁さんも同期。
同じ仕事ゆえの大変さもあるでしょうが、二人で幸せを掴んでください。
私も負けませんから。
K君、Yさん、おめでとう!
9/30、甲府へ帰る。
急に寒くなってきた気がする。

講演会 (9/26)

甲府市内にある病院で、講演会をする機会に恵まれた。
題目は「就職するためにやるべきこと」。
精神疾患を持ちながら、就職を目指す人たちのための研修会として講演をしてきた。

大学、大学院と就職活動に失敗し、最終的に就職活動を2年間もやった私が、「就職するために」みたいな内容で講演をするというのだから、事情を知っている友人達には笑い話にしかならないのかもしれない。
嫁さんなんかは、「苦労してるから、できる話もあるのよ」などと言ってくれるが、なかなかそういうことを受け入れる気にならないのも事実。
先日、会社の後輩も悩んでいたことだが「就職できる条件って何だろう」というのが、私の率直な気持ちである。

今年度に入って、講演は二度目。
講演で話す内容を考える度に、「就職できる条件」を考えるわけだが、今回の講演を考える中で一つ、シンプルなことが整理できた。
それは、「自分を知る→力をつける→仕事を探す」という一連の流れである。「力をつける」と「仕事を探す」は前後することもあるが、結局、自分は何がどれくらいできて、就きたい仕事のために必要な力をつけていくことが必須であるということだ。
そのために、私の職場では職業準備支援という就職前の訓練があったり、専門的な技能を身につけるための職業訓練校が設置されていたり、各種専門学校が様々な資格取得のための講座を開いている。
ただ、このことに気づいたときに思ったのは、「就職に向けた準備」ということをシンプルに考えたときに、その一連の流れは障害があろうとなかろうと同じであるということだ。各々の段階にかかる時間と、その労力は比較にならないだろうが、就職を目指す個人がやらなければいけないことの段階は、それほど違いはないように思う。

講演を終え、研修会を主催した施設と同じ法人の病院院長と話をする機会があり、IPSの考え方やその成果について知ることができた。
IPSという言葉だけは、新人研修か何かで聞いたことがあり、「これだけは読んでおけ」と言われた書籍はずっと職場の机に並んでいたが、これまで中身を読むことがなかった。
いい機会に恵まれたので、他の勉強と平行して、少しずつ読んでいくことにした。



講演会について、その院長先生がブログで紹介してくれました。
http://blog.cabrain.net/CN010030/?d=2007-9-27
ありがとうございました。

2007年10月5日金曜日

デボラ・R・ベッカー、ロバート・E・ドレイク著、堀宏隆、他訳、大島巌、他監訳『精神障害をもつ人たちの ワーキングライフ ――IPS:チームアプローチに基づく援助付き雇用ガイド』金剛出版、2004年。(1)21ページまで。

従来の精神保健福祉((職業)リハビリテーションも含む、と思われる)は、精神障害を持つ人たちの目標を、暗黙のうちに「ふつうの市民」から「良い患者」になるよう手助けすることと考え、社会から隔離している。関係施設の活動が、精神障害者を能力障害の状態に「社会化」しているのかもしれない。

就労に関しても、精神障害を持つ人たちの学習速度が遅く、雇用前に広範な訓練が必要となり、長期にわたる段階的にアプローチが適当であることとする。よって、欠陥の詳細を特定し、雇用前に身につけておくべき態度や知識、行動の変化を規定してきた。
しかし、著者はこのアプローチを「まったく無意味なもの」とする。その理由として「官僚主義的な評価手続きが、精神障害をもつ人たちを就職準備が整っていないと決めつけることにより、職業サービスから排除するように機能したから」とする。


ジュディス・S・ベック著、伊藤絵美、他訳『認知療法実践ガイド・基礎から応用まで』星和書店、2004年。(6)99ページまで。

セッション進行の上で、課題となりうること。
(以下、手書きメモ)










2007年10月4日木曜日

「しあわせ」の定義

ここのところ、人を「祝う」ことが多くなり、こんなことを考えた。
ただ、この記事を書くきっかけになったのは、某友人の結婚式に参加した時、酔っ払った友人が発した一言、「しあわせってなんだろうね?」(おそらく、この言葉を発した本人は気づいてない)。その一言で私はこれから書くようなことを考えた。おそらく一生かけて考えて、死ぬ直前に気づくことなのだろう。でも敢えて今の私が考える「しあわせ」イメージをメモしておこうと思う。

結論としては、「後ろめたくなく、笑えること」だと考える。

後ろの「笑えること」は、しあわせを考える時に大切な条件のように思う。ただ、それだけでは足りない。他の人は知らないけれども、少なくとも私は、場面ごとに立場を変えて生きている。その時に、やはりどうしても「後ろめたい」ことはある。
例えば、やらなければいけないことをやらずに、遊び呆けているとき。こんなときに、好きなことをしていても、その時は「しあわせ」と思わないだろう。
何らかの形で「後ろめたいもの」が排除され、のびのびと「笑え」たら、それでしあわせのように思う。その内容は、人それぞれ違うし、私なんかはのんびり一人でお酒を飲んでいるときや、読み応えのある本を読みきった時に、ちょっとしたしあわせを感じるわけだが、同じことをしてもなんとも思わない人がいるのはあたりまえのこと。

この「後ろめたいもの」が、外的要因を含む変数となるから、「しあわせ」が難しくなる。
例えば、一人でプールで泳ぐことが一つの「しあわせ」だったとして、それを二人でやったらどうだろう。人によっては全然気にせず「しあわせ」を感じるかもしれないが、人によってはそれを感じなくなるかもしれない。
身近な私の例で言えば、1月に結婚して家族ができた。これによって、これまで私自身は「しあわせ」と思ってやっていたことが、嫁さんという変数が入ることによって変化する。嫁さんが家事やっている傍で読書していたらやはり嫁さんが気になるし、金曜の晩に飲みにいけばやはり嫁さんが気になるし、休日に一人で本屋に行くときもやはり嫁さんが気になる。
でも一方で、本を読む場所と思っていた喫茶店が嫁さんと行くことで楽しい場所になったり、家でなかなか上達しないギターを弾いていると嫁さんが歌ってくれるようになったり、休日の昼食のためのおいしいお店を開拓するのが楽しくなったりしている。
いいこと、悪いことという単純な比較ではなく、「後ろめたさ」が変化することによって「しあわせ」を感じる場面も変化しているように思う。

どうも、「結婚=しあわせ」の図式を半ば強制的に貼り付けて、結婚式で「しあわせそう」なんて言うわけですが、結局、結婚するカップルは結婚式の最中「後ろめたさがない笑顔」をしているのではないだろうか。人それぞれ、カップル毎それぞれ、仲間毎それぞれのしあわせはあるように思う。