2019年3月24日日曜日

稲田将人『経営参謀 ―戦略プロフェッショナルの教科書』ダイヤモンド社、2014年。

・平成31年2月に読んだ『戦略参謀』の続編。本書もビジネス小説の体裁をとった、事業運営、企業経営の仕組みと、改善・改革の手法とその実態を描いている。またも読み物として大変おもしろいものであると併せて、市場や事業の分析や解説について、親書なら数冊分くらいの内容が詰め込まれているように思う。
・コンサルタントの安部野が、経営企画を一から解説していった前著と比べ、市場分析や消費者心理、経営リーダーシップといった、より大局的な話題を丁寧に解説している印象を受けた。
・Iyokiyehaの今の職場や職位で考えた時には、率直に二つも三つも土俵が異なる内容で、業務とは直接関わらないようなものであるといえる。ただし、事業全体、組織全体を俯瞰し、さらに社会情勢を踏まえて思考するためには、こいった内容に触れ、普段の業務とは異なる視点を自分の中に作っておくことが必要だろう。

(以下、引用)
37ページ:巷で言われていることを鵜呑みにせず、市場の実態を捉える。
38ページ:(前略)気づいた側がそれぞれの異なる時間帯の客層をプロファイリングしたうえで能動的にアイデアをだし、それを試すというイニシアティブをとり、その結果の検証をするべきです。
51ページ:「購買」までのプロセスは、実は極めて情緒的なプロセスなのだ。
52~53ページ:RVAPSサイクル(66ページ解説)
(前略)これが小売業やファッションビジネスのBtoCビジネス繁栄のサイクルだ。(中略)RVAPSサイクルと読んでいる」
 R:Recognition 認知:PR、雑誌の広告など
 V:Visit 来店:数ある店の中から自店を選んでもらう明確な動機
 A:Approach 接近:「あれは何だろう」「良さそうだ、面白そうだ」
 P:Purchase 購買:納得して購買
 S:Satisfaction 満足:使ってみて満足
84ページ:新規事業の企画においては、言葉で論理的に説明する努力を徹底的に行うべきだが、それでも言葉だけで伝えることには常に限界がある価値もあるということだ。
262ページ:しかし、「人は、性善なれど、性怠惰」なものです。(中略)せっかくの万人の幸せにつながる施策であっても、己にとって不利益があると思うと、それを阻みに行く行為が画策されるのは、人類の歴史をさかのぼっても、そして現在においてもあとを絶つことはありません。
310ページ:物事は「なるようにはなる。しかし、なるようにしかならない」ものだ
311ページ:もうひとつ、「どうでもいいことは、どうでもいい」ってこともある

自分であること

 元々自分の身体感覚には興味のあるIyokiyehaです。学生時代に運動は苦手だったのですが、サッカー、軟式テニス、ハンドボールと部活に所属し、大学生の時にはワンダーフォーゲル部で山登り。この経歴に一貫性はないのですが、その根っこでは、身体の感覚とかしくみとか、そういったことへの興味がありました。
 甲野善紀氏の井桁理論に触れたことをきっかけに、木剣を振るようになり、縁あって合気道(昭道館)に接し、雇用支援の中で精神障害者のプログラムを運営することになったことで、精神保健福祉士の勉強をしました。精神衛生に関する勉強において、脳の働きや循環器・呼吸器などにも触れ、運動だけでなく、リラクゼーションや呼吸法なんかを学んで、実践してきました。メンタルヘルスの知見を下敷きに、筋弛緩法やシステマブリージング、アンガーマネジメントに触れ、近年たどり着いた一つの到達点がマインドフルネスと合気道(錬身会)です。
 瞑想や型稽古に取り組みつつ、ここ最近は坐禅もやってみて仏教思想への展開が予想されます。昨年末から生命学の森岡論を一からなぞっていることも影響しているでしょうし、20年間で仕事の内外でこれだけのことに浮気し続けている自分が、今後も何か一つのことに傾倒することはないんだろうなと思いつつ過ごしています。こういうことを振り返ったのは初めてです。

 なんでこんな振り返りをしたかというと、マインドフルネスや禅の考え方・思想の中核に近い「ありのままでいること」「いま、ここ」「実物の自己」「自己ぎりの自己」といったモノ・コト(という表現しかできないな・・・)は、少なくともキリスト教にも通じるものなんじゃないかと、マザーテレサの言葉を読んで感じたからです。今後予想される仏教思想への展開は、そのまま歴史学習を通じたキリスト教やその後多分イスラム教、他の勉強につながっていくように思います。偶然にも高校倫理を学びなおしているところでもあるわけで。宗教が戦争の材料ではなく、本来人々にやすらぎや生活規範を与える基盤となるモノ・コトである、あるいはそうした側面があるならば、新興宗教等を含めたどのモノ・コトにも核に近いところにそうした考え方があるんじゃないか、と思い至っているわけです。
 人の能力解放みたいなことをライフワークに位置づけているIyokiyehaとしては、宗教的な考え方は避けて通れないと思っていますし、その中に何らかの共通点が見いだせるのではないかと考えてきたところの思いつきです。悩みがなくなるわけではなく、その苦しみから解放される、みたいな考え方って、多分に宗教的でありながら、それだけじゃないような気がするんですよね。それをプログラム化したものがマインドフルネスの瞑想だとすれば、これをつくる背景となるモノ・コトには、頭の休息以上の何かがあるはず。仏教では「悟り」という言葉があるけれども、そんな雲の上の存在みたいなものではなくて、もっと身近でありながら、もっと深いところで、それでいて現代社会を生き抜く知恵みたいなものを探っていきたいと思います。

 あれやこれやと浮気しているように見えて、実はすべてがつながっている、なんてよく言われるけれども、それって後で自分の都合のいい解釈をするだけだよね?と思うところだったりします。それでいいじゃないですか。

働くことコラム08:会社を選ぶ理由2 -夢を語るか、現実を語るか

 Q「志望動機がうまくかけないんです」

 就職活動をしている人と関わると、立場はどうあれこういった質問があります。履歴書や応募書類に記載する「志望動機」欄の内容ですね。

 Q「この会社に入って、どうしたいかわからないんです」

 先に「立場はどうあれ」と書きましたが、Iyokiyehaさんは支援者としてだけでなく、就職活動をする身であった時期があるので、当事者として同じ問いを発していました。○○という会社に入った自分はどうしたいのか?地方公務員になった自分は何をしたいのか?
 「企業分析が足りません」と言われてしまうかもしれませんが、実際に就職活動をする身になると、対象となる組織のことを調べれば調べるほど、自分の能力との乖離を感じ、何もできないような気になってくるし、まして地方公務員なんていう職は、配属課が違えばやる仕事なんか全く違うわけで、Iyokiyehaさんの場合は特に「自分の10数年の経験がそのまま活かせる部署はない」ため、どうしたものかと悩んだものです。
 もう少し突っ込むと、私の場合は相手が勘違いしてくれる経験でしたので、その勘違いを逆手にとりこちらの土俵に引き込んだ上で「経験に関わらず何でも挑戦したいです」みたいに広がりをつけて自分を見せていくという手法をとることが結果につながったわけですが、世の中そううまくいくことばかりではないわけで。

 とはいえ、上記を含めて、基本的な考え方は「労働市場や応募者属性の中で、自分はどう位置づけられるだろうか」ということを考えた上で、その「見え方」に沿った準備をする、ことは変わらないと思います。このことは先にコラムでとりあげた話題である「自分はどのようにみられているのか」ということと関係してきます。

 わかりやすい例をあげれば、新卒採用と中途採用とでは見られ方(≒採用基準)が異なるわけです。では、それぞれ何が求められているのか。
 一言でいえば、新卒採用者には「大きな可能性」が求められ、中途採用者には「経験に基づいた柔軟な発想を持ち込むこと」または「最先端の知識・技能を生かした、新しい事業の原動力」といったところでしょう。中途採用の場合は、どんな求人かということによってもその内容は大きく変わってきます。要は、どんな求人なのか、そこに応募してくる人はどんな人達なのか、その中で自分はどんな位置づけなのか・どうあるべきなのか、ということから、ある程度は答えが導かれると思います。

 「志望動機」を考えていく時に、この点を外してしまうと「御社の企業理念に共感しました」みたいな、ちょっとかっこいい言葉を並べて、自分のことを何も伝えられない内容になってしまいます。
 人によって、求人によっては、大きな夢を語ることが回答となるようなものがあるのかもしれません。自己啓発に関する読み物や、いわゆる成功者の手記やインタビューなどには、そうした「夢」を言葉にすることが語られていることがあります。ただ、私がこれまでに接してきた自他併せ数百件就職活動において、そうした大きな「夢」を語るよう求められたのは1件のみです。多くの場合は「現実を伝わる言葉にする」ことが求められるのでしょうし、たとえ「夢」を語ることが求められたとしても、その時は「自分の描く夢を、伝わる言葉にする」ことが求められるのだと思います。そう考えれば、これまでに重要としてきた「自己分析」を広く深く行い、自分の核と言えるものを伝わる言葉にする作業はどんな就職活動にも求められる基本動作だと考えることができます。この基本動作と、求人や採用の背景とが交差したところに、「求められる志望動機」があるわけです。

 よく言われる「自己分析」と、いつも足りないと言われる「企業分析」。「企業分析」は「求人分析」とも読めるでしょう。どんな会社が、どんな人を求めているのか、自己分析によってまとまる自分は、そのどこに当てはまるのか。その「接点」が、応募する理由でしょうし、いわゆる「志望動機」になるんじゃないでしょうか。

 ちなみに、Iyokiyehaの地方公務員への転職活動においては、転職動機の核は「子どもたちのふるさとにしたい」で、この街に住み続ける理由で理論武装しました。自分のキャリアに関しては、公務労働を「人権を守る仕事」「住民を(様々な角度から)守る仕事」とまとめ、この言葉に今までの仕事の意味とこれからの未知の仕事の意味とをこれらのキーワードに乗せて面接に臨みました。その問答がどう評価されたかはわかりませんが、少なくとも「まずい回答」にはならなかったと思います。

2019年3月17日日曜日

Groovy! グルーヴィ!

-groove 名
 1 溝、わだち、車の跡
 2 決まりきったやり方、慣例
 3 適所
 4(俗)楽しいこと〔経験〕、すてきな〔いかす〕もの、名演奏のジャズ

 Iyokiyehaは自室で何かやるときによく音楽をかけます。ラジオも多いですが、何か作業をやる時は音楽の方が多いです。「好きなジャンルは何ですか?」と聞かれますが、何でも聞きます。つまらない回答で申し訳ない。友人の軸によっては「あいつはジャズなんか聞いている」とか「クラシックのライブ行くんだよね」とか「IyokiyehaというとHOUNDDOGのイメージ」などなど、いろいろ言われますが、どれも事実でどれもすべてではない。よく言えば広い趣味になるし、悪く言えば雑食とか浅く広い、とか。
 個人的には結構どうでもよくて、一言でまとめたら「よいものは『良い』」と思っているだけです。そのくらいでいた方が気が楽だし、素直に音楽を感じられると思っているので「浅い」と言われても結構です。

 話は少し変わって。
 先日、PTA活動で学区にある中学校の卒業式に来賓として臨席させていただく機会がありました。自分が小さい頃「来賓席に座る人って、偉い人なんだろうな」「自分には縁のない人達なんだろうな」と思っていた来賓席に座る自分という新鮮さがあったという話題もあるのですが、今日は音楽の話。
 Iyokiyehaが住む所沢市の学校では「合唱」に力を入れているそうで、この学校では卒業式に「リフレイン(作詞:覚和歌子 作曲:信長貴富)」という歌を見事に合唱していました。これがまた聴かせる歌で、素直に感動してきました。

 こんなIyokiyehaが感動したんです。学生の頃「合唱」は大嫌いでした、「男子ちゃんと歌って」と言われる側(ふざけている、ではなくて私は音程が合わせられないんです。真面目な子が言う「ちゃんと」にゃならないんだよ~)でした。卒業証書授与式なので、250人弱が壇上に上がる式でした、正直にちょっと疲れていました。それだけでなく、式典の関係は基本的に苦手です、来賓席も仕事ですから仕方がないと思って行ったのも事実です。こんなIyokiyehaです。しかし、感動しました。
 歌詞がいいというのもあるのでしょうが、それはさておいても、ただそこにいた自分を突き抜ける何かがあった、そんな素敵な時間でした。ツーン、と何かが頭を貫いて、一瞬の透明感と澄み切った気持ちが自分の中にやってくる、そんな歌でした。とても心地よかった。

 私が勝手に師匠と言っている(弟子ではない)あるジャズバーのマスターは、本投稿冒頭で紹介した「groove」のことを、

  それは どこからともなくやってきて
  いつの間にか去っていく
  たしかにあるものだけれども
  見えないし聞こえない
  ただ その場にいるひとはみんな感じている

 みたいに表現していた。こんな感じ、って渦巻きを書いてくれたのが懐かしいです。

 なんで卒業式からジャズになったかというと、来賓席に座っていた自分が、このグルーヴ感を勝手に感じていたっていうだけの話なんだけどね。
 いや、普通の感覚じゃ、卒業式とジャズバーは結びつかないと思うのだけれども、Iyokiyehaの自由な思考は、「リフレイン」を聞いて何かに貫かれちゃったんだな~

久賀谷亮『世界のエリートがやっている 最高の休息法 ー「脳科学×瞑想」で集中力が高まる』ダイヤモンド社、2016年。

・アメリカで活躍する日本人医師がマインドフルネスに関して、小説形式で描いた本。
・論文というよりは、実践本といえる。小説ではあるが、学術的成果を参考文献として押さえている。英語が読める人ならば、原著にあたってもっと深めることができる構成になっている。
・物語は大変シンプルなサクセス&ハッピーエンドである。ただ、マインドフルネスが視野に入れている社会貢献的な内容に触れられており、ビジネスマンとしての成功の定義にも疑問を投げかける。小説としても面白い。
・マインドフルネスのプログラム(取り組み方)がとてもシンプルなので、取り組みやすく、効果も実感しやすい。
・Iyokiyehaが山梨に住んでいた頃に、「精神(思考・考え方)は身体(内蔵機能や循環器機能を含めた)に影響する」ことを、認知行動療法(CBT)の学習で学んだ。その時に逆(つまり、身体が精神に影響すること)もあり得ると漠然と考えていたことがある。そのことが、マインドフルネスにおいて実証されつつあることを知った本である。
・個人の能力が開放されることにより、社会的意義が生まれることにも触れている。
・個人的には大変可能性のあるプログラムであると思っている。自分で身につけたいし、広めていくことも今後考えていきたい。
・課題としては、宗教っぽさ・うさんくささが付加されてしまいがちな点だろう。語る言葉/説明を持つ必要がある。
・「いま、ここ」という言葉は、理解の度合いや背景の学びによって意味が変化するものだと思うのだけれども、「自分に執着しない」「価値判断・評価を自分の外に出す」「今の自分で頭を満たす」といってキーワードで、実践を伴う理解が必要になるのだと思う。

(以下引用)
1ページ:たいていの人は、「休息=身体を休めること」だと思い込んでいます。(中略)しかし、それだけでは回復しない疲労があります。それが脳の疲れです。
 そう、脳には脳の休め方があるのです。
2ページ:「科学的に脳を癒す方法」が模索されている
4ページ:脳は体重の2%ほどの大きさにもかかわらず、身体が消費する全エネルギーの20%を使う「大食漢」です。さらに、脳の消費エネルギーの大半は、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)という脳回路に使われています。
5ページ:このDMNは、脳の消費エネルギーのなんと60%?80%を占めていると言われています。
6ページ:DMNの活動を抑える脳構造をつくっていかないと、あなたに真の休息は訪れないというわけです。
同:マインドフルネスとは「瞑想などを通じた脳の休息法の総称」です。
9ページ:本書が目指す休息は、ただの「充電」ではありません。なぜなら、脳は変わるからです(これを脳の可塑性と言います)。(中略)あなた自身の脳を変えて、高度な集中力を手に入れることが、「最高の休息法」の真の目的です。
60ページ:マインドフルネスの起源は原始仏教にあると言われている。19世紀ビクトリア朝時代のイギリス人がスリランカを訪れた際、この概念に出会って西洋に持ち帰ったのだという。西洋人が東洋の思想や瞑想法を自分たち用にアレンジしたものだと言えばいいだろうか。そのため、もともとあった宗教性は排除されており、どちらかといえば実用面に比重が置かれている。
61ページ:「評価や判断を加えずに、いまここの経験に対して能動的に注意を向けること」
67ページ:DMNとは、内側前頭前野、後帯状皮質、楔前部(けつぜんぶ)、そして下頭頂小葉などから成る脳回路であり、意識的な活動をしていないときに働く脳のベースライン活動だ。いわば脳のアイドリング状態といったところだろうか。(中略)DMNは「心がさまよっているときに働く回路」として知られている。
71ページ:マインドフルネスは脳の一時的な働き具合だけでなく、脳の構造そのものを変えてしまう
72ページ:脳が絶えず自らを変化させるということ、いわゆる脳の可塑性については以前から明らかになっている。
84ページ:呼吸を意識するのは、いまに注意を向けるためなんじゃ。(中略)脳のすべての疲れやストレスは、過去や未来から生まれる。
87ページ:(前略)毎日続けること。このとき大事なのは同じ時間・同じ場所でやることじゃ。脳は習慣を好むからな。(中略)脳の変化には継続的な働きかけも欠かせんというわけじゃ。
126ページ:マインドフルネスにはだいたい3つの経験段階があると言われておる。初期はいまここに注意を向けることに躍起になる段階。中期は心がさまよったことに気づき、いまここへと注意を向け直せる段階。(中略)そして最終段階が、努力せずともつねに心がいまここにある状態じゃ
127ページ:前頭葉あ人間の理性なのだとすれば、扁桃体は自らの恐怖の対象から守るべく活動する感情ないし本能である。扁桃体は数臆年前の魚類にも存在していたという、脳の中でも最も原始的な部位だ。通常は扁桃体がストレスに過剰反応したときには、前頭葉がそれを抑えるつける格好で鎮静化を図ろうとする。
196ページ:マインドフルネスは身体にも効く。脳の状態を変化させることで、間接的に身体の問題を解決していくというわけじゃからな。
197ページ:脳の状態は、自律神経やホルモンを介して身体に反映される。心と身体はつながっている
229ページ:マインドフルネスは休息法じゃと言ったが、これが癒すのは個人だけではない。拡張していけば、組織や社会をも癒すことができるんじゃ。

2019年3月2日土曜日

タロット占い

 今年の初めに、ある兄妹と会った時に見せてもらったタロットカードが気になって、少しの勉強とカードのデッキを買って、毎朝ワン・オラクルで運勢を占うことが習慣になってきた。
 占いにはいろんなものかあるけれども、自分でやってみるとなかなか考えさせられる。
 「カード占いで選ぶカードは全て確率だ」「なんの根拠もないよね」という意見があることは想像に難くない。確かに確率の側面があることは理解できる。根拠については、まぁ、わかりませんね。個人的な意見は「別にいいじゃん」ですが。「占いなんか信じてるの~?」という問いは、疑問のすべてを含んでいるような気もします。
 私にとってタロット占いが面白いのは、カードのイメージを解釈して意味づけること、です。「当たるか当たらないか」ではなくて、「こんな感じだろう」というイメージですね。…言葉としてはわかりにくくなっちゃいましたが、タロットに触れたことがある人なら「そうかも!」って言ってくれそうかと。
 私の使い方は、毎朝1枚のカードをひいて、一日の運勢をイメージします。その日、判断に迷うことがあれば、カードによって解釈できる「気を付けるべきこと」を意識して、選択の指針にすることがあります。あとは、翌朝、前日のふりかえりをする時の視点します。この二つのことを意識して使うことにしているのですね。未来を占う、なんて使い方はまだまだできません。高度な解釈が可能になれば、そういう使い方もできるのだろうけど。
 昨年末から日記をつけるようになったのだけれども、このこととタロットとがうまくかみ合っているようで、毎朝の面白い習慣になりつつあります。
 別に人に勧めるわけではないのだけれども、先日タロットの話をしたら「意外だ…」と数人から立て続けに言われたので、自分なりの意味を整理してみました。

働くことコラム07:会社を選ぶ理由1 -まずは自分の理由

 就職活動の相談において、これまたよくあるやりとりでした。

 Q(提出された求人票を見て)  「どうして、この会社を選んだの?」
 A1「仕事内容が希望している『事務』だからです。」
 A2「ホームページを見たら、経営理念がよかったからです。」
 A3「希望条件と合うからです。」

 まぁ、様々だったわけですが、Iyokiyehaさんは「もっと個人的な理由はないの?」と追い打ちをかけていました。大抵、黙ってしまうか「・・・通いやすいから」といった回答だったでしょうか。
 面接対策にも通じる「志望動機」ですが、労働市場にいる多くの人が「『近いから』じゃだめと言われた。会社を調べてみて経営理念がいいと思ったから、書いてみた」と持ってきます。支援者が「これじゃあだめだ」と言ってしまうと、就職者はなにを書いたらいいかわからなくなってしまいます。しかし「これでよし!」と言えるものが出てこない。就職活動を支える現場において、お互いの言葉がすれ違いやすいところだと思います。
 一支援者だったIyokiyehaとしては、「近いから」でもいいと思っています。ただしこれには条件があります。それは「自分の就職(転職)における企業選定の理由と合致していること」です。例えば、足に障害があるので長距離通勤が困難であるから、自宅に「近い」企業を選んだ、という理由ならば納得感を得られやすいでしょう。あるいは、震災の時に帰宅難民になったことがあって、家族を守る必要があるから、最悪の事態でも3時間歩けば帰れる場所で選んだ、というのも理由にはなりそうです。「電車の振動で酔いやすく、電車通勤が自分にとっては苦痛でしかないので、徒歩か自転車で通える場所にした」でもいいでしょう。この「近いから」が唯一無二の理由でなければ、上記はいずれも就職活動の場面でも通用するある程度の理由になりえます。
 「近いから」で盛り上がってしまいましたが、ここでの要点は、「自分にとっての就職(転職)理由は、個人的なことでもいい」ということです。理想的には「キャリアにとってどういう位置付けか」を加えて両輪となるのがよい、とされています。志望動機対策全般にも通じてきますが、上記を企業の選定理由にも反映させて「見せる」ことが重要です。ちょっとまとめてみると、
 1 自分にとっての就職(転職)理由を明確にする。
 2 会社の選定理由を1と連動させる。
 ということです。ここはバラバラに考えがちだけれども、連動させることが、相手の納得感につながりますし、何よりここを考え抜くことによって、面接対策になってきます。自分の核が定まって、それが一つか二つの文章に集約できれば、それが決めセリフにもなるし、どんな質問がきてもその核を外さなければ一貫性のある回答が可能となります。
 ちなみに、上記のまとめだと1→2の順で考えがちですが、2→1の順に考えが深まっていく、ということもあります。その意味ではこれらはサイクルとなって、就職活動が終わるまでいつまでもいつまでも考え、意識することになってきます。
 ということで、会社の選び方は「自分の就職(転職)理由と連動した理由で選ぶ」か「適当に選んで、自分の就職(転職)理由と連動させてみる」と、大きく2つあることになります。選んで、考えて、書いてみる。考えて、書いて、選んでみる。あるいは、書いてみたら、深まって、選べるようになる」など、様々なパターンがあると思います。求人は生物(なまもの)ですので、自分にとって「最も良い」ものを選びたいところですが、実際には、「その時々で、自分にとっての最善を選ぶ」ことになると思います。