2012年11月20日火曜日

堀込泰三『子育て主夫青春物語 「東大卒」より家族が大事』言視舎、2012年。


長男誕生時に2年の育児休業を取得し、その後「主夫」に転身し翻訳家として在宅勤務をしながら二児の子育て中の堀込氏によるここ数年の記録とエッセイ。
一見派手に見える堀込氏の生き方・考え方に、父親としてあるいは家族とともに生活する上で「大切なこと」がちりばめられているように感じた。

私も専業主婦家庭にあって第二子誕生時に育児休業をとった経験者です。私の場合は、頭のネジが多少緩んでいることもあり(笑)、それほど心ないことを言われた経験はないのですが(言われていたのかもしれないけど・・・)、「すごいですね」とか「いいことですよね」と言われる度に感じることは、いわゆる普通の家庭にあって普通の子育てをすることが、いかに大変なことであるか、そしていわゆる「モデル家庭(厚労省とかが制度設計の基本として考える)」にあって育児休業取得のハードルがいかに高いのかといったことでした。
このことは今でも考えていることですが、やはり賃金補償の面が一番のハードルだと思います。

イクメン的な書籍を幾つか読んでいて感じることは、誰も育児休業取得そのものを賞賛していないことだったりします。私も同感ですが、数値目標として男性の育児休業取得率なんて数字が独り歩きするととかく育児休業をとればいいといった発想になってしまいそうですが、休業は選択肢の一つであって、大切なことは仕事生活と家庭生活のバランスをどうとっていくかということ、真の意味でのワークライフバランスなのだと今ならはっきりと言えます。

そこへきて堀込氏の本著は、逆単身赴任や退職、そしてフリーランスへと、一見派手にも見える生活の激変ですが、その根底に流れていることは家庭賞賛でも職場批判でもなく、一人の父親が自らのキャリアと家庭に真っ向勝負し、その時々で最良の判断を繰り返したということに尽きるのだと思います。
様々なニーズをすべて叶えられることは、人生においてほとんどないわけで、何を捨てるのか、捨てられないと思っているものを縛っているものは何か、ということを痛烈に考えさせられる一冊でした。軽快な語り口で非常に読みやすいのも堀込氏の人柄がでているのではないかと。

2012年11月6日火曜日

生活に彩りを -カクテル熱再びー


所沢へ引っ越してから、子育てにバタバタしつつも自宅で過ごす時間が増え何かまた好きなことでもやってみようという気にはなっていたのだけれども、そんな折新所沢にいいバーを見つけたり、iPhoneのアプリでBar Oasisなるものを見つけたり、部屋を片付けていたらシェーカーが出てきたりと、何だか様々なきっかけが重なったこともあり、飲み物作りに少しハマっていたりします。とはいえ、材料をイチから全部取り揃えるだけのお小遣いもないので、まずはできるところから、簡単なカクテルを食事の時にサッと作るなんてことをやっています。
Wine coolerは手軽で晩酌向き、Gin Fizzは少し甘めが好み、Shirley Templeならカミさんでも飲める、など、相変わらず自分で作るのはスタンダードなものばかりですが、ちょっと工夫するとすごく自分好みの味になるので結構楽しい。少し混ぜ物するだけで飲み物は様々な表情を見せてくれます。

ほんのちょっとしたことですが、ちょっとした生活のアクセントになっています。

中王子みのり『Hi!みのり』これから出版、2012年。


私の古巣「浜松NPOネットワークセンター(N-Pocket)」との関わりの中で、お名前は伺っていたのですがまだお会いしたことのない中王子さん。夏休みにN-Pocketの事務所へ家族連れて行ったときに「みのりさんが本出したのよ~」と聞き、その場で購入。
全盲と下肢麻痺のハンデがある中王子さんが、2006年に参加したニューヨークシティマラソン前後の経緯であるとか、学生時代などを振り返って思うところ、普段の生活で素朴に感じていることを綴っているエッセイです。

この本を読んでいる時にたまたま全盲の方の介助をする機会があったのですが、頭では分かっていることもやってみると意外とできないものだなと実感させられた経験でした。振り返ってみれば珍道中なのですが、改札で「iyokiyehaさん、どこにいますか?」といわれてしまったり、そもそも私が初めての経路だったので、途中まで「iyokiyehaさん右です、右」と案内してもらったりと、何ともまぁ情けない限りで。
普段は気にならない電車での他の人の振舞いも、介助中となれば話は別。白杖持った人がいるのに優先席にどっかりと座っている若者に憤りを覚える場面もあり。
ただ、憤りと併せて「(目の不自由な人は白い杖を使うことを)知らない」ことが、差別的ともいえるような行動(あるいは気づかない)となってしまうのかもしれないと感じたのも事実です。
みのりさんのエピソードの多くも、1.「目が不自由な人である」ことがわからない、2.見えないことにより「困っていること」がわからない、3.頭でわかっていても「うまく手助けできない」といったことが様々な場面で起こっていることをそのまま記してくださっており、「あるある」とうなずくことも「なるほど~」と思わずうなってしまう箇所もありました。私のような仕事をしていてもまだまだ知らないことがあるわけですから、普段障害のある方と接する機会のない方にとっては目からウロコの内容かもしれません。

このような社会のバリアに関する鋭い視線もありながら、中王子みのりさんという積極的な人がニューヨークシティマラソンに参加するなど、前向きなエピソードも満載でした。元気になる一冊

2012年11月1日木曜日

理屈と現実 現場に流れるエネルギーみたいなもの

物事の要らないものを捨てていくと本質が見えてくる、なんてことが言われます。だけど、現場第一線で大切なものって意外とその周辺を流れているものだったりすることってありませんか?

先日のiPS細胞研究の山中教授が「基礎研究が重要」といったコメントをしていたことも記憶に新しいですが、世に出るものは確かに純化されてシンプルであることが求められます。だからこの件を否定するわけではない。

私が仕事としている職業相談なんてものも、限りなくシンプルにしていったらもっと効率よくできると思います。
「はい、応募しろ、いけー」
「辞める?わかった、言ってこーい」
「困った?何とかなるよ、がんばれ」
最近目の前で繰り広げられている対応の一部で、私は若干腹が立っていることもあるのですが、個別事情はさておき。
昨日、仕事を辞めようかどうしようかと迷っているクライアントさんと2時間近く話しをしました。

結論は、辞めるか短時間・短期間で続けるか、ということで、相談初めて5分くらいで聞き取っていた内容に落ち着いたのですが、その後はこの結論に至るこれまでの人生やその自分なりの評価、ここ1~2年の状況やお世話になった人のこと、あるいは未来志向の夢や希望など、言葉は様々ですが「いろいろと」「長々と」「延々と」「詳細に」話を聞いていました。
すると不思議なもので、「仕事をやめる」というクライアントさんの結論が膨大な感情に支えられて表出してきたものなのだな、ということがよくわかってきて、更に夢や希望から逆算していくとなるほど今の仕事を続けることのメリットって何になるのかな?と率直に考えさせられました。

調子を崩して職場に対していろんな要求がでてきた状態で、企業側はその要求を飲んで動こうとしている矢先の出来事ですから、本来は施設改善の対応を評価して継続勤務、なんていう大人な対応が一般的だと思うのですが、ここまで話を聞いた以上、私の元々のスタンスは大きく揺らいでしまいました。

流されているのかなぁ・・・と思いつつ、迷いながらもIyokiyehaなりのプライドでスタンスを定めたところです。
でも、クライアントさんの成育歴とその評価や夢や希望まで様々聞いて揺らぎない方針に整理できているので、企業との調整も(頭葉痛いけど)やりやすいと思うのは私だけでしょうか。

余計なこと=結論以外の2時間の相談、とすれば私がやっていることは「=無駄なこと」になるのでしょうが、なんとなく無駄になった気がしないんですよね。自己満足かもしれないけど。