2008年8月31日日曜日

自己変化の度合いに関する仮説

職業リハビリテーションに携わる者として、日々業務に携わり、考えていたことがある。
それは、対象となる人の目標到達(達成)は、何が支えるのだろうということ。
言い換えれば、目標達成は、何によって成立するのだろうか。

昨晩、寝る前に『部長 島耕作』のバイリンガル版を読んでいる時に、ふと頭に浮かんで書き留めたことは、こうだ。


 課題改善=モチベーション×行動の事実


この「課題改善」を「成長」とでも置き換えれば、万人に通用する公式になるような気もする。
意味するところは、何らかの行動改善や思考方法の改善を試みる時(そもそも「改善」とは何だ?という疑問はあるが、それは別の機会に考察する)、その「改善」が本人(自分を含む)の必要と思っていることと一致していることが必要である。
つまり「やらなきゃ」と思う気持ち(≒モチベーション)である。

極端に言えば、自分が必要だと思っていないことは、いくらやっても無駄である。

もう一つ。
「やらなきゃ」と思っているだけではだめで、改善に関して何らかの行動を伴う必要がある。
この「行動」というのは面白いもので、モチベーションがあれば、たとえ失敗と見える結果であっても、それは「経験」として読み替えられ積み重ねられる。
モチベーションがないと、この失敗が「失敗」として刻み込まれることとなり、学びがなく、課題改善の足しにならない。

「やらなきゃ」いかんことは、「やれ」ということだ。

そのまま、Iyokiyehaの生活にも当てはまるなと思う。
そして、Iyokiyehaの仕事にも、PSWとしての姿勢にも、全くこの通り当てはまってしまうように思う。

何であれ、「支援者」としての立場となったときには、対象となる方から「モチベーション」を引き出し、ターゲットとなる目標と行動を適切に設定することが求められる。
まさに、こういうこと(下図)だと思う。





石山勲『精神保健・医療・福祉の正しい理解のために ――統合失調症当事者からのメッセージ――』萌文社、2005年。

統合失調症当事者から見た、精神医療、保険、福祉制度について、率直な意見が論じられている。
Webで横行しているような、現行制度に対する批判ではなく、自らの経験をできるだけ客観的に記述しており、制度に関する指摘も自らの経験から、早急に検討すべき示唆が多数含まれているように読み取れる。
統合失調症が「思考方法・内容の障害」であるとされる理由を、自らの経験から見事に説明している(57~58ページ)箇所は、当事者でなければわかりにくい概念を、理解しやすい言語化しているといえる。

いつも通り、当事者によるものは、謙虚に学ぶ姿勢で読ませてもらっている。
制度に関する指摘も、それを活用したい当事者にとってはもっともな話で、早急に議論されることを願うとともに、制度の隙間をそれに携わる行政職・専門職がマンパワーで埋めていかなければならないことを示唆しているように読めた。
自らの業務は、常にこうした視点から見直さなければならないと思う。
ただ、一箇所だけ気になったのは(Iyokiyehaがそれに関する仕事をしているからであるが)、雇用率に基づく納付金制度を「罰金」と一言で書いてしまっている箇所である。
そんな細かいことはさておいても、非常に学び多い書籍であった。
統合失調症の説明に関しては、時に業務の中でも使わせてもらっている。


おすすめ度:★★★★☆

篠原佳年、松澤正博『モーツァルト療法』マガジンハウス、1998年。

胎教にいいとされる「モーツァルト」。
何でいいのか?ということについて、トマティスメソッドに基づく耳のしくみと、モーツァルトの音楽そのものに関する仮説と理論。
専門的な話題にも関わらず、一般向けの読み物として書かれており、その記述は一貫して人体の神秘について論じられている。
純粋に、人間の「耳」と「聴覚」のしくみを学ぶのにも、いい書籍であると思う。

音は「聴覚神経」だけでなく「骨伝道」でも、意外と多くの音を感じている。
そして、耳のしくみとして、中耳の骨のバランスにより、聞こえる(感じられる)音にフィルターをかけたり、かけなかったりするとのこと。
人の身体は、本当に微妙なバランスで成立しているのだなと思わせる、驚きの記述で一杯だった。
別に、これから生まれてくるIyokiyehaベイビーを天才にしようとは思わないけれども、聞いていて心地いい音楽は、胎内で聞こえているのなら聞かせてあげたい。
いい音楽は、確かに脳にいい刺激となるのだと思う。
勉強中に聞く音楽としても最適な「モーツァルト」。
その理由には、やっぱり科学的な根拠もあるようです。


おすすめ度:★★★★☆

2008年8月28日木曜日

松久淳、田中渉『あの夏を泳ぐ 天国の本屋』新潮社、2008年。

松久+田中コンビによる6年ぶりの小説とのこと。
彼らが描く世界は、とても静かで、穏やか。
でも、小説の中に「人が生きている」感じが読み取れる。
人の純粋さ、美しさ、葛藤、矛盾、若さ。
生きた描写の中に、様々な感情が読み取れる。

Iyokiyehaは、小説をあまり読まないのだけれども、このシリーズはずっと読んでいた。
「天国の本屋」を介して描かれる世界観が、おそらくIyokiyehaにはフィットしているのだろう。
「似合わない」と言われても、好きなものは好きなのだ。
こればっかりは、仕方がない。

ベストセラーにランクインしている小説のようにギスギスした人間関係ではなくて、もっと生々しい、それでいて純粋な、Iyokiyeha自身の人生とも一部触れているような描写(私はあくまで男性ですが、なんていうか、若い頃の初々しさとか切なさとかといった感覚)が、読んでいて非常に心地いい。
好きな小説シリーズなので、評価は甘めです。
私の好みってことで。


おすすめ度:★★★★★

2008年8月24日日曜日

読書状況080824

<今週の状況>
旅行や出張など、外出すると、読む本が増えるというのは、Iyokiyehaの良いことでもあり、悪い癖でもある。
読み物やら小説やら、たくさんあるが、ぼちぼち読んでいきます。
一般書中心で読んできたところですが、『エンデュアランス号』の影響もあり、小説などの読み物も積極的に読んでいこうと思う。
知識だけでなく、表現を学ぶことと、いろんな「生き方」の背景を学ぶ意味も込めて。


○既読
・『週刊ダイヤモンド 2008年8月9・16日号』ダイヤモンド社、2008年。
・森岡正博『草食系男子の恋愛学』メディアファクトリー、2008年。
・島田洋七『佐賀のがばいばあちゃん』徳間文庫、2004年。
・爆笑問題『爆笑問題の戦争論 爆笑問題の日本史言論』幻冬舎、2008年。

○一部
(精神保健福祉士通信講座テキスト複数)

○中断
・『Foresight』2008年8月号。

○現在進行中
・『Foresight』2008年9月号。
・『週刊ダイヤモンド 2008年8月30日号』ダイヤモンド社、2008年。
・米内山明宏『DVD付き はじめての手話入門』ナツメ社、2005年。
・茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル」製作班編『プロフェッショナル仕事の流儀 あえて、困難な道を行け』日本放送出版協会、2008年。
・松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、1969年。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版②』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・ドナルド・ショーン著、佐藤学、秋田喜代美訳『専門家の知恵 反省的実践家は行為しながら考える』ゆみる出版、2001年。
・太田光、田中裕二、山岸俊男『爆笑問題のニッポンの教養 人間は動物である。ただし…… 社会心理学』講談社新書、2007年。
・PHP研究所編『常に時流に先んずべし』PHP研究所、2007年。
・篠原佳年、松澤正博『モーツァルト療法』マガジンハウス、1998年。
・松久淳、田中渉『あの夏を泳ぐ 天国の本屋』新潮社、2008年。

爆笑問題『爆笑問題の戦争論 爆笑問題の日本史言論』幻冬舎文庫、2008年。

爆笑問題の二人が対話(漫才?)形式で、日本の歴史を解いていく、新しい形の歴史本。
シリーズ化しているのだろうか?
本書は、日清戦争から第二次世界大戦まで、コンパクトなデータを基に、日本が世界大戦へ踏み切った状況という大真面目な内容を、二人の軽快なやりとりによって気軽な読み物としている。

読み物としては、結構面白い。
京都大学の佐伯氏が「基礎知識が身に付く」と絶賛しているように、時の状況を概観するには適当な書籍といえる。
描かれている歴史観が、社会科教育の教科書に準ずる内容となっているのが、個人的には少々残念だったが、歴史の一面を切り取る限り、様々な立場があって然るべきだと思う。
立場の違いによって、読み物を排除するのは、私の性に合わないので、これはこれでいいと思う。
コンパクトだが論を補強するのに適当なデータが、随所に挿入されており、説得力のある読み物に仕上がっていると思われる。


おすすめ度:★★★☆☆

PSWを目指す理由

今年度の4月から、精神保健福祉士(PSW)の国家試験受験資格を取得するための通信講座に参加している。
受験してみたら受かってしまって、この一週間は仕事を休んで東京に滞在し、スクーリングを受けているわけだが、いろんな刺激を受けて、改めて「PSWを目指す理由」を考えてみた。

生々しいことも含めて整理すると、現時点で優先順位順に以下の通りになる。
1.今の仕事で「強み」を作る
 一年前には、特に何の障害にこだわっていたわけではないけれども、山梨に来てから精神障害を持つ人と多く接するようになって、この障害を持つ方の社会復帰の難しさと、可能性双方を意識するようになった。地域生活をしている精神障害者の方は、そのほとんどが「ニーズにマッチした支援」の下、周囲のちょっとした理解があれば、就労を経た自立生活を営むことができると思う。復職支援まで含めれば、障害者雇用の将来を考えた時に、精神障害に関しては私が生きている間はその支援がなくなる(=理想のノーマライゼーションが実現する)ことはないと仮定し、私の支援技法に一つ突き抜けたものを身につけたいと考えている。その基盤として、職業リハビリテーションの近接分野で、より広範囲なクライアントに対応できる知識と技術を身につけるためのPSWである。

2.再就職を意識
 こんな風に書くと勘違いする方もいるかもしれないが、すぐに再就職は考えていない(今のところ業務そのものに不満はないし、何より雇用条件がいい)。ただし、独立行政法人の性質上、いつ・何が起こるかわからない。同期のH氏が言うように、障害者雇用そのものがなくなる可能性は捨てきれないが、私の見立てではとりあえず現職は、今のしくみのまま15年はもつと思う。しかし、20年後は機構だけでなく、独立行政法人のしくみそのものがどうなるかわからない。雲行きが怪しくなって25年後に解散、ということにでもなった時のことも考えると(私が54歳)、他で通用する資格を取得することは、人生のリスクマネジメントにもなるだろう。
 また、子どもができて、のっぴきならない状況がもし起こりうるのであれば、転勤を伴う現職を続けることに限界がくる可能性も捨てきれない。そこまで考えた時に「より安全な」選択肢として、国家資格を取得することは決して損にはならない。

3.ソーシャル・アクションを意識
 前向きな理由としては、この点が強いかもしれない。隙あらば私は、機構の枠におさまらない活動にも参加したいと思っている。というのも、本来「ノーマライゼーション社会の実現」が機構の設立趣旨の一つでもあるにも関わらず、現場のしくみは必ずしもそうなっていないこともある。各ケースのマネジメントは当然優先されるべきだが、それだけで満足していたら、いつまでたっても社会のしくみは変わらない。このあたりが、NPOを経て行政機関に入った私が、今の職場を「物足りない」と感じる地点であるように思う。事業体としてだけでなく、事業運営の向こう側に「社会変革の芽」を見据えていなければ、いわゆる「国民の皆さん」に批判される行政機関であり続けなければならない。そんなのは、まっぴらごめんである。
幸いなことに、PSWの本来の専門性は、精神疾患を持つ方へのケアだけでなく、精神保健福祉全般に関する取り組みになるため、この点においても資格取得は私の活動範囲を広げるきっかけになる。

たとえ自分がどんな立場であったとしても、その専門性を極めることと、多分野への理解と連携によって、新しい価値を生み出し、社会の変革に寄与できると信じている。
私が精神保健福祉士の取得に踏み切った理由は、ざっとこんなところだろうと考えている。

2008年8月21日木曜日

精神保健福祉士スクーリング(6日目)精神医学

6日目。
現役医師による講義。
第一線の医師から、めちゃくちゃ内容の濃い話が聞けた。
昨日同様、やはり知識の整理と、今後の勉強のためのハシゴをかけてもらうような内容ではあったが、普段触れることのない医療の内容(人の身体のしくみと働きかけの内容)についての講義だった。

昨日と同じように、率直に「考える暇のない」講義だったので、現時点(内容のまとめはじめの今)思索が深まるものではなかったため、「考えたこと」は省略する。一つだけ強く感じたのは、医学情報は大袈裟ではなく「5年で新しくなる」ものであるため、常に情報を更新する必要があるということ。新薬の情報や、医学的な成果は、新聞にそれほど大きく掲載されないため、「無理のない範囲で」自分なりの情報源をもたなければならないと思う。


<講義内容概要>
1.精神医学基礎
(1)勉強する上での注意点
 ①「医学用語」の意味
「医学用語」は、「日常用語」、そして「心理学用語」と、それぞれに共通する言葉を使いながらも、その意味するところが違うことも多い。医学的に用いられる場合の「定義」をきちんと確認する。
 ②Web情報
 学会および公文書(厚生労働省など)といった内容と、それ以外のものとでは信憑性の部分で差があるため、注意する。
(2)入院の形式(レポート講評)
 精神保健福祉法において、入院形態が定められているが、それぞれについて精神科医がどんな判断をしているか理解することが重要。
 ①医療保護入院
  医師は、「本人の病識の有無」を判断する。
  -検討の三点セット(患者、保護者(法的)、指定医)
   病院勤務時、その時点で指定医が不在の場合は安易に救急患者を受けない
 ②措置入院
  医師は、「本人に自傷他害の恐れがあるかどうか」を判断する。
 ③応急入院
  医師は、「②に加え、保護者がいても同意できる状態にあるか」を判断する。
※ちなみに、Iyokiyehaが前回提出したレポートは、無事にパスしました。コメントをくれた皆様、ありがとうございました。
(3)精神疾患の分類
 ①内因性(身体因性)
  障害の原因を「身体」(脳の機能的障害)に求める
  -統合失調症
  -躁うつ病(気分障害)
 ②外因性
  障害の原因を「身体」(外的要因の脳への侵襲、脳以外の身体疾患が原因)に求める
  -器質性精神病(脳に「何か」がある)
   脳腫瘍、脳外傷、脳炎、神経梅毒、てんかん
  -症状精神病(別の身体疾患が原因)
   感染症、膠原病、内分泌代謝疾患
 ③心因性
  障害の原因を「精神的なもの」に求める
  -神経症(身体要因がないもの)
  -心身症(身体要因(原因疾患:胃潰瘍など)があるもの)
―――
 ④人格障害
  発達そのものの異常(①②③が、理由により正常発達が阻害されるのに対する分類)
  -境界性人格障害
  -自己愛性人格障害
(4)その他
 「不安」と「恐怖」の違い
 ①不安
  対象がはっきりしない、漠然としたおそれ
  アプローチ:情報を整理して、対象を明確にする
 ②恐怖
  対象のはっきりしたものに対するおそれ
  アプローチ:認知を切り替えて処理する。環境を調整する。

2.統合失調症
 統合失調症とは、思考内容・思考形式の障害
(1)疫学
 ①頻度:人口の1%程度
 ②年齢:15~35歳がほとんど
 ③病因:多因子遺伝、脆弱性-ストレスモデル、神経科学的研究、ドーパミン仮説
  (これらに限定されていない)
  -ドーパミン仮説(メモ参照)
   ドーパミンが過剰に放出され不必要な情報まで伝達してしまう
(2)分類(統合失調症・分裂病)
 ①破瓜型:10~20代、予後・不良
  陰性症状主体、慢性の経過(パーソナリティの障害)をたどる
 ②緊張型:若年、急性発症、ほぼ寛解だが周期性あり
  緊張病性興奮、緊張病性昏迷
 ③妄想型:30代、予後・ある程度は維持
  被害妄想(体系化される)
 ④単純型:緩徐進行、予後・軽度不良
  陰性症状中心、幻覚はない、パーソナリティの貧困化
(3)症状(略)
(4)診断
 ①病歴聴取
 ②面接・行動観察
  -プレコックス感(重いものを知っておくべき)
 ③精神症状
  -シュナイダーの一級症状(略)
(5)治療
 ①抗精神病薬
  -ドーパミンレセプタをブロックする
 ②生活療法
 ③作業療法
 ④電気ショック
 ⑤その他(アフターケア:デイケア、SSTなど)

(続く)

2008年8月20日水曜日

飲み屋にて

別に、こんな情報が出たから帰ってきたわけではないのだけれども、今日は早めに宿に帰る。

先日見つけた、串鐵さんで気持ちよく飲んでいたのに、酔っ払いのおっちゃんに絡まれます。

http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/08/blog-post_4646.html

不思議なことに、絡まれてもけなされないIyokiyehaです(何だか「オマエはいいヤツだ」とか「いい飲み方だ」「最高だ」など)。学生時代に、バス停でホームレスのおっちゃんと意気投合(?)し、30分くらい世間話したことも思い出しました。

飲み屋で文庫本読んでる30前のおっさんなんて、誰も相手にせんだろうに、こともあろうにIyokiyehaに握手を求めてくる酔っ払い。さすがに、無言で冷たい視線を送ってしまいました。

・・・黙るなよ。

あれだけ威勢よくガハガハやってたおっさんが、しゅんとしていじけたように飲み始めてしまいました。いかんねぇ、適当にあしらっておけばよかった。すっかり私が悪者みたいじゃないか。

お勘定のときに、店員さんから「すんません。最近なんか入り浸ってる人なんです」とこっそり言われる。「大丈夫ですよ、大変ですね」と返す。

そんなことよりも、注文した「大根サラダ」の大根が、この世のものとは思えないくらいの辛さだったことが思い出されます。飲み屋で大根サラダ食べて、まさか泣くとは思わなかった。

いろいろあって、おもしろいですね。世の中って。

精神保健福祉士スクーリング(5日目)法学・心理学

5日目。
共通科目の講義は、勉強していない(まだレポート課題になっていない)ので、ちんぷんかんぷんになるんじゃないかと思っていたのだが、講師のスキルも高く、どちらかと言うとあまり好きでない法学も、何度も断片的に勉強しつつも全体像がつかめない心理学も、どちらもいい意味で緊張感のある講義であった。
知識の整理で精一杯だったので、考えたことは少ないが、以下の通り。

■日常の業務に埋没していると、各種法律の改正は二の次三の次になってしまいがちだが、大局観を得るためにも、基本的なことを把握した上で改正の内容は把握しておいた方がいいと思った。精神保健福祉士取得目的の一つでもあったのだけれども、特に福祉関係の法律について、一通りのことは知っていないと、就職を通じたライフプランニングは難しいのだろうなとも感じた。
■前々から感じていたことだけれども、心理療法は形だけ真似してもその本質は掴めない。基礎理論の上に、パッケージ化されたプログラムが開発されているのであって、パッケージを形だけ真似しても、本来のプログラムがターゲットとしている「治療」や「教育」的効果は期待できない。


<講義内容概要>
○法学
1.日本国憲法
(1)憲法のしくみ
 ①基本的人権
  -個別的人権(後述)
  -包括的人権(11、12、13、97条)
 ②統治
  -国会
  -内閣
  -裁判所
  -予算
  -地方自治
     ・・・他
  に大別される

(2)個別的人権
 ①平等権(法の下の平等(14)、男女平等(24))
 ②自由権(「公共の福祉」に反しない限り、法の下に、国民は平等)
  -精神的自由(思想(19)、信教・政教分離(20)、集会・結社(21)、学問(23))
  (内に秘めている限りは、何を考えてもよい)
  -経済的自由(職業選択(23)、財産(29))
  (仕事は何をやってもいいし、私財は守られる)
  -人身の自由(苦役からの自由(19)、財政手続き(31)、刑事的(33-40)
  (拘束されたり、不当な扱いから守られる)
 ③社会権(後述)
 ④参政権
 ⑤受益権

(3)社会権(生存権)
 ①生存権(25)
  -(25-1)最低限度の生活を営む権利(国民の権利)
  -(25-2)(国の責務)
 (重要)朝日訴訟
  ポイント:行政不服審査法、行政事件訴訟法、最高裁判断
  -行政不服審査:行政機関に対する審査請求
  -行政事件訴訟:行政処分の取り消しなど、裁判所判断を求めるもの
  -朝日事件の最高裁判断
   結論:本人死亡により上告は認めず
      ただし、ⅰ:憲法25条は「プログラム規定」
          ⅱ:生活保護基準の設定は行政の裁量
          ⅲ:ⅱについて、本件では行政の逸脱・濫用はない
 ②教育権(26)
 ③労働権(27)

2.成年後見制度(民法)
(1)平成12年改正の経緯
 ①判断能力を否定するような制度だった
 ②戸籍に登記されてしまったことにより、家族が二次被害を受けるケースがあった
(2)改正内容
 ①戸籍登記の廃止(後見登記制度へ)
 ②名称変更(禁治産者から成年被後見人へ)
 ③配偶者後見人原則の廃止
 ④市町村長への申立て権付与
 ⑤複数後見・法人後見が可能となる
 ⑥任意後見>法定後見
         ・・・他
任意後見:自分に判断能力がある時に、公正証書によって信頼ある人に、将来後見人となってもらうことを依頼しておくもの。依頼されたものは、本人の判断能力が不十分になった際、家庭裁判所に申立てをし、家裁の判断により成年後見が開始となる(監督人を別に立てておく必要がある)。
※成年後見制度の効力は「財産取引行為」(「身分行為」は後見人の権限が制限される)


○心理学
1.心理学基礎
 学問的な心理学は、ブントWundt.W.がライプチヒに心理学実験室を創設(1879年)から始まる。
(1)構成心理学
 ブントが始めた、事象を構成要素に分析する
(2)ゲシュタルト心理学
 全体としてのまとまりを対象とする
ウェルトハイマー、ケーラー、コフカ:知覚・思考・記憶など
レヴィン:人格心理・社会心理
(3)行動主義心理学
 客観的で観察可能な行動を対象とする
  ワトソン:刺激(S)→反応(R)
  トールマン、スキナー、ハル:学習の心理
(4)精神分析学
 意識にのぼらない欲求・感情に注目
  フロイト:自由連想法・夢分析→人格理論、発達理論、治療理論
  アドラー:個人心理学
  ユング :分析心理学
 新フロイト派
  ホーナイ、フロム、サリヴァン:自我心理学、対象関係論など

2.動機づけ
(1)過程
 ①欲求need
 ②動因drive(生理的な現象)
 cf:誘因(外的要素)
 いずれも「○○したい」と行動しようとするもの
 「動機づけ」:行動を開始させ、方向づけ、継続させる過程
 ※マズローの「動機の階層説」
(2)内発的動機づけ
 環境に対して、自発的・積極的に働きかけ、効力感を得ようとする動機づけ(ホワイト)
 例:感性動機(感じてみたい)
好奇動機(やってみたい)
操作動機(使ってみたい)
 内発的動機づけの本質は、有能さと自己決定を追及する点にある(デシ)
 -達成動機:優れた基準や目標を立てて、それを達成しようとする動機。
原因帰属が動機づけに影響する(能力、努力、困難度、運)

3.学習
 ソーシャルワークには、対象者への学習を含めた動機づけが必要
 「どう引き出すか」
学習の心理
(1)古典的条件づけ(パブロフ)
  (=一番最初の、レスポンデント)
  無条件刺激に付随する条件刺激により、無条件反応が条件反応となる
  例:音がすると唾液を出す犬
(2)オペラント条件づけ(スキナー)
  (=道具的条件づけ)
  自発的行動によりごほうびを貰うと、自発的行動が「道具」となる
  -強化:行動頻度を増やす(報酬を与える)
   連続強化:毎回報酬を与える。新しいことを覚える時に有効
   部分強化:時々与える。学習を維持するのに有効
  -消去:行動頻度を減らす(無視するなど)
(3)観察学習
  モデルの行動を観察するだけで、実行や強化を行わずに成立する学習
  モデリング理論(バンデューラ)

4.発達の心理
 発達:成熟による変化(学習:経験による変化)
  成熟優位説(ゲゼル)
  環境優位説(ワトソン)
 発達段階
(1)フロイト:性的
  -リビドー
(2)エリクソン:社会的
 ①ライフサイクル(老年まで)
 ②社会の中における発達
 ③対比概念と「社会的危機」
 ④徳(獲得される性質)
(3)ピアジェ:認知
  -能動的発達感

5.臨床心理
(1)対象者理解
 ①観察
 ②面接
 ③検査(観察が内包されている)
(2)援助
 ①精神分析
 -無意識の心の動きを対象とする
 -幼年期の体験に原因を求める
 ②行動療法
 -学習のしくみを利用し、セラピーに役立てる
 -適切でない行動が学習されているから、消去する(例:不安の軽減)
 例:SST
 ③人間性心理学
 -ロジャース:来談者中心療法(クライアントの意思を重要視)
        後年、エンカウンターグループへ発展

2008年8月19日火曜日

あたりめ840円

宿泊しているホテルのエレベーターにて。
「あたりめ」って、干したイカだよね?840円って、どんな高級なのがでてくるんだろう?コロッケ380円の倍以上。結構突っ込みどころのある値段表なわけですが、そもそもコロッケも「日替わり」なんですね。「本日のコロッケは『野菜』でございます」「『かぼちゃ』コロッケはないんですか?」等というやりとりがされるのだろうか。
そもそも小綺麗なレストランだから「あたりめちょうだい」と赤提灯風に言うのも変。

謎だ。
でも、一人で確かめるのも、ねぇ。

ホテルは、設備よく、従業員さんも感じがいいので、安心して滞在できるのですが、それゆえ、この値段表だけ気になってしまいました。

精神保健福祉士スクーリング(4日目)精神科リハビリテーション学

4日目。
スクーリング折り返し地点である。
率直なところ、思っていたよりも熱のこもった講義が立て続けに並んでいるので、心地いい疲れに襲われている。
これまでのところ、講師は皆PSWとして現場を作ってきた人たちで、理論を具現化し、現在は教育に携わっているということで、内に秘めた「熱」(スピリッツとか、パッションとかとほぼ同義)が抱えきれずにほどばしっているようにも感じられる。

講義を受けて考えたことは、以下の通り。
■「常識を疑う」ことについて、私はそれほど抵抗がない種類の人間である。しかし、私が持っている情報そのものが、常に更新されていなければ、比較判断する材料それ自体が信用できないものになってしまう。抗精神病薬がドーパミン受容体を増やしているという情報を知っているのと、知らないのとでは、私が取り得る支援方針の幅も大きく変わってくることになる。継続して、勉強が必要である。
■「クライアントの真のニーズに合った支援を組むことができれば、失敗しない」という持論が、それほど間違っているとは思わないし、「『できない』と言わない」という私の目標設定も、実現不可能とは思わない。ただ、これまで「病気を治したい」というクライアントに対しては「それは無理」と言ってきた。職制としては、間違った答えではないのだけれども、今回勉強して少し見えてきたのは、本人の「治った像」と、「それに近づくための戦略」、「医者との付き合い方」といったところで、ニーズを整理することができるのではないかということ。現段階ではまだメモ程度です。
■PSWは「クライアントの力を引き出す」ことが役割であるとのこと。この定義は、Iyokiyehaにとって「ぴったり」くるものである。エンパワメントしていくという姿勢は、現職でも忘れないようにしたい。
■「絆」というキーワードがあった。Iyokiyehaは現職の中でも、本人の「真のニーズ」を引き出すための「絆」は大切にしているつもりである。ただ、周囲の評価として「踏み込みすぎ」や「本人より」とされることもある。もちろん、組織の論理をいつも破るわけではないし、これまで批判されながらもやってきたことは、「人」としては決して間違っていないとは思っている(とでも思わないと、やっていられないということも正直なところだが・・・)。しかし、この点についても、常に自己確認しなければ危険域に思わず踏み込んでしまうかもしれない。メタIyokiyehaを鍛えることも大切だと思っているが、身近にモニタリングをしてくれる人の存在も大きいように思う。
■ちょっとした言葉の使い方。真意をよく知った上で使わないと、思わぬところで誰かを傷つけてしまうことになりかねない。


<講義内容概要>
1.精神疾患とは何ぞや?
 答え:未だにはっきりしないもの。
 専門家でも、「未だによくわかっていない」のが現状。19世紀終わりから20世紀にかけ、クレペリンという人が、精神疾患の分類を試みた。きっかけは「うつ病の診断の一致率が低かった」ことによる。その成果が「操作的診断基準」と呼ばれるもので、現在ではDSM-Ⅳ-TR、ICD-10が用いられる。
 原因が近いものを取りまとめ、病名を分類しているが、臨床的には「境界例」が数え切れないほど報告されており、実際には分類しきれないのが現状。
 また、薬物療法に関しても、抗精神病薬の服用により、ドーパミン受容体を増やしているといった論も提出されており、薬物療法に意味がないとは言わないが、医療だけでは精神疾患からの回復に限界があるかもしれないという状況もある。そこで、専門家の仕事としての医療ケアだけでない「非医療的サポート」という概念が打ち出される。

2.非医療的サポート
 「専門家」だけでない人も、本人のサポートには必要
 「治療しないサポート」とも言われる
 「患者さんが、何をニーズとして求めているのか、側にいて向き合い、声を聞く」ことを通じて、提供されるサポート
 それは、専門家(PSWを含む)が、頭で考えたニーズではなく、自分と本人との「関係の中で聞いた(患者さんの)声」である。本人が、何を訴えようとしているのか、人と人との関係の中で聞こえる「声」を大切にしなければ、非医療的サポートにはなりえない。

3.言葉
(1)障害者 Disabled Person
 日本語では「障害者」と訳される。この場合「人の中に障害がある(障害=人)」という意味になってしまう。
 (例えば、Black Cat(黒い猫)と同様、猫と黒いことは切り離せない)
 以前(日本では、行政用語としては現在も使われている)は、障害を持った人を指して使う言葉であったが、アメリカでは差別用語として扱われる(州公文書でも下記のwithが用いられる)。
(2)障害を持った人 Person with Disabilities
 「障害を持った人」と訳される。まず「人 person」であり、人とは切り離された「障害」を何らかの理由で持ってしまった、というニュアンスが含まれる。当事者による運動(Person First Movement)の結果、アメリカでは州公文書でもこちらの語が用いられる。
(3)リハビリテーション Rehabilitation
 個人は「違う」ことを前提に、尊重する Everyone is Equal.の考え方を内包している。EqualではなくSameになると「全て同質」という意味が強くなり、個性を含む「違い」は認められなくなる。
 リハビリテーションは、「個別支援」で提供される
(「違い」を認めるため)
リハビリテーションの目標は、「リカバリー」
 (一度は失ってしまった、機能、生活、自尊心、人生、を回復すること)
 機能障害の回復には限界があるが、他のものについては「新たな人生の発見」により「回復」することができるとする。

4.障害分類
 要点は、「能力障害」をどう捉えるか
(1)医療モデル
 原因となる疾病により、機能障害が発生し、機能障害が「能力障害」(○○ができない)を生み出すとし、「能力障害」は個人内に存在するものと考え、社会的不利(ハンディキャップ)を克服するために、個人の能力を向上することのみ考える。
 例)乙武氏は、両上下肢の機能に制限があるため、予備校入学を断られた
(2)社会政治モデル(≒エンパワメントモデル)
 「能力障害」は、個人と環境との相互作用の中であらわれるものと考える。つまり、能力障害は、個人内にあるのではなく、個人が環境と接する時に個人の外であらわれるものとして捉えるため、社会的不利の克服には環境調整が大きな役割を果たす。
 例)乙武氏は、両上下肢の機能に制限があるが、K大学は氏の入学にあたり校舎をバリアフリーとしたため、授業を受けることができた。
(3)ICF
 ①従来のICIDH
  疾病または変調 → 機能障害 → 能力障害 → 社会的不利
 ・「障害」に着目し、障害者と健常者を二分した
 (例:足の一部に障害がある人を「足の不自由な人」とした。階段が上れないことを「階段が上れない人」とし、能力障害がその人の中にあると捉えた)
 ②ICF International Classification of Functioning

       健康状態
  ______↑____
  ↓       ↓     ↓
心身機能 ⇔ 活動 ⇔ 参加
身体構造
  ↑____↑____↑
     ↓    ↓
   環境因子  個人因子

ICIDH:機能障害・能力障害・社会的不利
        ∥    ∥    ∥
  ICF:心身機能・ 活動 ・ 参加
      (身体    人   社会:を表す)
 ICFには「障害」など、マイナスイメージの言葉がない。「21世紀型」の分類とされ、個人の病気や機能上の低下があっても、その人と環境が変わることによって、特に双方の接触面(インターフェイス:生活)が改善されることで、活動や社会参加は促進する。
 ・「人はいつか障害を超えるもの」という前提で、健康なところに着目して「人」を見ている
○心身機能・身体構造
 機能障害があるのは、身体の一部であって「人」全てに障害があるわけではない
○活動
 身体の一部に心身機能の低下があっても、その人には活動できる「生活」がある
○参加
 参加があって、社会は生まれる

5.リハビリテーション再考(相互依存)
(1)従来のリハビリテーション
 ①医学リハビリテーション
 ②心理リハビリテーション
 ③社会リハビリテーション
 ④職業リハビリテーション
 これらはいずれも「専門家主導」のサービスであったといえる
(2)これからのリハビリテーション
 専門家に求められるのは「エンパワメント」
 「教育」は本来の意味(本人の潜在能力を引き出す)で実施されるべき
 目指すのは、「エンパワメント」を通じた「トータルリハビリテーション」(全人的復権)
 ・「自立」とは?「孤立」させることではない。
 ・「依存」を含めた(相互依存、相互協力)、本人の「復権」(地域に根付く)を目指す
(3)「超職種」
 治すこと以外を考えた支援
 ≒心理社会的サポート
 服薬や生活支援は必要だが、「復権」を考えるためには、専門家としてではなく「人」としての関わりが不可欠 = 「絆」
 (心・気持ちの通い合う「絆」作り)
 例えば、服薬をとっても以下の段階がある。
 ①コンプライアンス(遵守)
 ②アドヒアランス(本人の意思により服薬しようとする姿勢)
 ③コラボレーション(ともに歩む)
 コラボレーションを目指す。

6.ACT Assertive Community Treatment
 (包括型地域生活支援プログラム・日)
(1)内容
 ①多職種、訪問を主とするチームアプローチ
 ②重い障害を持つ人が対象(従来、退院の対象とならなかった患者)
 ③スタッフ:本人=10:1程度
 ④24時間、365日のケア体制
 ⑤期限なし、On Goingで支援する
(2)歴史
 1950年代 抗精神病薬が開発される
 1960年代 アメリカで脱病院化が進められる
      「ケネディ教書」
     結果:退院者にホームレスが増加
 1972年  ウィスコンシン州で始まる
(3)要点
 「待ち」から「出前」へ
 (Waiting modeからSeeking modeへの切り替え)

2008年8月18日月曜日

串鐵 -くしてつ-

「くしてつ」と読むらしい。

JR高田馬場駅早稲田口正面、名店ビル(だったか?)のB1Fにあるこじんまりとした居酒屋。赤提灯こそないものの、Iyokiyeha好みの店。

タイル張りの厨房と、テーブル数席とカウンター。なんてことはない串焼きの店だけれども、雰囲気がヨイ。酒飲みのためのお店。予算は3,000円もあれば、満足できる。

JR高田馬場でお気に入りができてしまった。

Webページ

http://gourmet.suntory.co.jp/shop/0332004763/index.html

PSW国家試験用 年表

私の国試対策の一環として、ちまちま年表を作ることにしました。
「使いたい!」という奇特な方は、どうぞご利用ください。
転載・配布は自由ですが、間違っているなど、何か問題があったとしても責任は取りませんので、あしからず。

<精神保健福祉関係年表>
(●:法律 ○:重要事項)

●1900年 精神病者監護法
・私宅監置(座敷牢)
・親族の監護義務(現在の「保護者」)
(この頃、呉秀三らの調査がある)
●1919年 精神病院法
・道府県に公立精神科病院の設置を命ずる
(しかし、国の予算は軍備に回される時代で、設置は進まなかった)
●1950年(昭和25年) 精神衛生法
・措置入院制度の整備
・同意入院制度(現在の「医療保護入院」)
・精神衛生鑑定医を設ける
・私宅監置の廃止
(私宅監置を公的監置に置き換え、長期間の隔離が目的)
○1964年 ライシャワー事件
精神障害をもつ19歳の少年が駐日アメリカ大使を刺したことにより、「野放し」となっている精神障害者を「治安的取締りの対象」とする警察庁長官答弁
●1965年(昭和40年) 精神衛生法改正
・保健所を精神保健行政の第一線機関として位置づけ、精神衛生相談員を配置
 ・精神衛生センターを設置
 ・通院医療費の公費負担(2分の1)
 ・措置入院者が離院した時の届出義務
  (治安的要素の濃いものとなり、在宅精神障害者の把握が強調される)
○1969年 Y問題
 精神的に不安定だったY少年を、家族の依頼により公的機関のソーシャルワーカーが警官二人とともに訪問し、入院させた
 ・PSWの倫理だけでなく、精神医療の必要性まで議論される
  (精神科病院があるから、精神病が存在する:不要論)
 ・PSW協会で議論(結果として協会解体、再建)
○1970年 『ルポ精神病棟』
○1984年 宇都宮事件
 入院患者2名が看護職員の暴行により死亡する
●1987年(昭和62年) 精神保健法
 ・任意入院制度が設けられた
 ・国民の精神的健康の保持増進を図ることを目的とする
 ・人権擁護と社会復帰促進が明記された
  (退院・処遇改善請求、精神医療審査会設置の新設)
 ・社会復帰施設(生活訓練施設、授産施設:2類型)
●1993年(平成5年) 精神保健法一部改正、障害者基本法
 (精神保健法改正)
 ・大都市特例(政令指定都市は平成8年から)
 ・保護義務者を「保護者」に変更
 ・グループホームの法定化
 ・社会復帰促進センターの新設
 (障害者基本法)
 ・精神障害者が障害者施策の対象として位置づく
●1995年(平成7年) 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)成立
 ・精神障害者の自立と社会経済活動への参加の促進のための援助が加わる
 ・精神障害者保険福祉手帳の創設
 ・通院医療費公費負担制度を保険優先とした
 ・市町村の役割の明確化
 ・精神科病院への「指定医」の必置
 ・社会復帰施設追加(福祉工場、福祉ホーム:4類型)
 ・通院患者リハビリテーション事業の法定化
●1999年(平成11年) 精神保健福祉法改正
 ・地域生活支援センターの法定化
 ・移送制度(法34条)の新設
 ・保護義務の緩和(自傷他害行為防止監督義務が削除)
 ・市町村精神保健福祉業務の実施(居宅支援事業等・平成14年から)
●2002年(平成14年) 精神保健福祉方改正
 ・市町村精神保健福祉業務開始(居宅支援事業等)
 ・政令指定都市に精神保健福祉センター設置義務化
 ・精神保健福祉センターへ「通院医療費公費負担制度」「精神保健福祉手帳制度」審査事務移管(精神保健福祉センターが権限を伴う行政機関となる)
●2005年(平成17年) 精神保健福祉法改正、障害者自立支援法成立
 ・精神分裂病から「統合失調症」に診断名変更
 ・手帳制度の改正(写真添付)
 ・通院医療費公費負担制度、社会復帰施設関連事項の「障害者自立支援法」への統合
  (自立支援医療、地域生活支援事業)
 ・任意入院患者の適性処遇(定期病状報告書の提出を求めることができる(条例が前提))
 ・地方精神保健福祉審議会の必置性の緩和
  (条例を定め、他の医療保健審議会と合流させる、名称設定の柔軟化)

精神保健福祉士スクーリング(3日目)精神保健福祉論(Ⅲ)

3日目。
少し疲れも出てきた。
この高校生みたいな生活は、心身ともに疲れることに気づく。
勉強って体力が必要だなぁ。
高校生って、すごいね。

講義を受けて考えたことは、以下の通り。
■以前から「ストレングスstrength」は、静的なものではなく可能性を含む動的なもの(本人を行動に駆り立てる「意欲」など)を含む概念ではないかと思っていたが、「潜在能力」を含むICFに基づく概念であることが確認できた。Iyokiyehaの仮説は当たらずとも遠からじといったところだろう。
■職場の支援の中では、時々使っている考え方だが、「知覚-認識-行動」のそれぞれの間には、それぞれを連動させるものがある。「能力」なのか、「神経」なのかわからないが、「知覚」「認識」「行動」の関係を厳密に示すと「(環境―◎―)知覚―○―認識―●―行動」となる。Iyokiyehaは仕事柄、「行動で評価」しているが、行動に至る流れを前述のように示すのであれば、○でつまずいているのか、●でつまずいているのかによって、同じ「行動」が表れても意味が変わってくる(◎は、聴覚障害者や視覚障害者、発達障害者など、感覚機能の障害により、情報そのものを感じる段階)。今日の講師が「精神障害者は嘘つかないよ、うまく言えないだけだ」と言ったことが、すごく響いた。確かに、私が今まで「虚言癖」と評価していた人の中には、それが「上手く言えなかった」だけの人もいるかもしれない。というか、ひょっとしたら人格域と診断される人の多くが、●の流れが「非常に」うまくいっていないのかもしれない。これはIyokiyeha仮説です。
仮説だけれども、例えばこの図で、身体障害者の一部は◎、知的障害者は○、発達障害者は◎と●、精神障害者は●(認知機能であれば○が追加)が課題となるのかもしれない。乱暴な整理だけれども、意外とわかりやすいかも。
■職業リハビリテーションにおいても、「ストレングス」は強調されるが、実際の業務の中では、それが活かしきれていないようにも思う。もちろん、ワーカーとIyokiyehaの仕事は、厳密には立ち位置が違うし、業務評価やら制度やら財源やらで、がんじがらめにされていることが原因であるように言われることもあるけれど、しかし、それが全てか?というと、個人的にはマンパワーにも課題はあると思う。もちろん、Iyokiyeha自身を含めてではあるけれども、職業リハビリテーションを構成する一人一人が、意識して視野を広げて、知恵を使うことを意識しなければ、考え方は硬直化してしまうように感じる。制度上の縛りを積極的に破ることをよしとするわけではないが、確かな実績を作って然るべきところに提案するだけの力は、つけておきたいものである
■ソーシャルワーカーの立場も、職業リハビリテーションの立場も、クライアントに対する態度に大差はないと思う。本人ニーズに基づく支援を実施する点では同じといえる。ただし、就労支援を考える時に大切なのは、ニーズが本人だけでなく、事業所からも同様に示されることだ。
■職業リハビリテーションを含む就労支援を考える時に、よく「本人側に立つか、事業所側に立つか」という選択肢が提示されるが、これについても今後考えなければならない。本人―――事業所と、よく単一軸で示され、そのどこに支援者が立つかという議論がされるのだが、本人と事業所の間にあるのは「事業所の作り出した環境」であり、就労支援とはこの意味の「環境」に本人が適応できるか否かというところが核となる。この「環境」はもちろん、事業所の「ニーズ」によって形成されるものであり、本人の配慮「ニーズ」は、「環境」の変化可能域内でのみ意味を成す(範囲外であれば「環境」に入ることが許されない=雇用されない)。


1.ストレングスモデル
(1)従来のソーシャルワーク
 精神障害者を世間から排除しようとする背景があった。パレンス・パトリエ(国親)の考え方(みんながやろうとしないから、国が法に基づいて支援する)に基づき、ソーシャルワークの概念が生まれる。
 伝統的医学モデルによる、パタナリズム(父権的温情主義 例:退院してもロクなことがないからずっと病院にいなさい)が問題視される。クライアントを「能力なし、無力」と捉えがちな考え方。

(2)ストレングスモデルの概要と要点
 伝統的医学モデルの対立概念として提出される。原則は6点、ケアマネジメントから生まれたもの(注:ケアマネジメント(英)「支援(ケア)」を何とかする。ケースマネジメント(米)「個人(ケース)」を何とかする。視点・立場に違いがある)。
・ストレングスモデルによるケースマネジメントの原則
 ①精神障害者は回復し、彼等の生活を改善し質を高めることができる
※②焦点は病理でなく個人の強さである
※③地域は資源のオアシスとしてとらえる
 ④クライアントは支援プロセスの監督者である
 ⑤ケースマネージャーとクライアントの関係が根本であり本質である
 ⑥我々の仕事の場所は地域である
(※印の二つが核となる)
重要なのは、考え方や資源をRe-framing(リフレイミング:再構成)すること。

(3)ストレングスの要素(空間、個人、環境)
 ①生活空間(Niche:生存適所)
  個人の勝手ができる空間を作り出す
 (空間の質が生活の質を決定する)
 ②人々の側の条件-個人の強さstrength
  -願望(目標と夢がある)
  -能力(願望を達成するために、彼らの強さを用いている)
  -自信(目標に向かって次の段階に移る自信を持っている)
  -潜在能力
  -希望
     など
 ③環境の側の条件-環境の強さ
  -資源(目標達成に必要な社会資源への接近方法を持っている)
  -社会関係(少なくとも一人の人との意味ある関係を持っている)
  -機会(目標に関連した機会への接近方法を持っている)
 ④その他
  -エコロジカル視点(人と状況の全体性に着目)
  -ノーマライゼーションの実現
  -回復(リカバリー)
 これら①②③④を通して、クライアントを権利主体者とし、エンパワメントenpowermentしていくのが、「ストレングスモデル」に基づくソーシャルワークであるとする

2.コミュニティ・ソーシャル・ワーク(Community social work)
 「コミュニティワーク」は、「地域援助技術」と訳される。大橋謙策氏が提唱する「コミュニティ・ソーシャル・ワーク」とは、大橋氏が理想とする「ジュネリック・ソーシャルワーク(一人でいろいろな支援(ケース、グループ、コミュニティ)を実施するソーシャルワーク)を基盤に、本人の主体性を尊重し、「生活者」支援を実施するソーシャルワーク。
 アメリカの徹底した分業主義による「ケースワーク」の対立概念として提唱される。

自動販売機

普段、自動販売機をあまり使わないIyokiyehaです。買っても水ばっかりなので、気にならなかったんですが、缶が持てないほど冷たい。
冷やしすぎじゃないすか?頭がキーんとなります。

2008年8月17日日曜日

イングリッシュパブ HUB

JR高田馬場駅早稲田口から徒歩3分くらい。ホテルサンルートの二件隣。
パブなので、バーカウンターはないが、一人でも違和感なく飲める。少し暗いので、雑誌を読むにはイマイチだけど、大きなディスプレイがあるので、退屈しない。
フードはピクルスとかチーズ、FISH&CHIPSなど、パブメニュー。ドリンクはスコッチ、ビール、カクテルなど様々。特別おいしいわけではないけれど、お値段はまあまあ良心的。


英国風パブ HUB
http://www.pub-hub.com/
高田馬場店
http://www.pub-hub.com/shop/baba/index.html

精神保健福祉士スクーリング(2日目)精神保健福祉論(Ⅰ)(Ⅱ)

2日目。
精神保健福祉士養成カリキュラムの中核科目。
スクーリングの時間数も、レポート提出回数も多い。
専門科目の中の、いわゆる「基礎科目」ということにでもなるのだろう。
講義を受け、考えたことは以下の通り。

■歴史は、覚えるしかないのだけれども、排除・隔離から、治療・病院収容、保安処分との絡みもありながらも、地域生活・支援・社会復帰・参加といった方向へ、法的に目指していくものが変化していることはわかる。制度が充実しているかどうかについては評価しかねるが、精神障害を持った人であっても「参加の機会」はあることがわかる。同時に、「参加しない自由」も保障されていることは忘れてはならないと思う。
■インフォームド・コンセントについて。Iyokiyeha自身が果たして、「適切な説明」をしているのかどうか見直すきっかけになった。同意能力のアセスメントも必要ではあるが、クライアントが適切な説明の下で、正確な理解をして、それに基づく選択ができているか、今後各クライアントに対しても確認する必要がある。


<講義内容概要>
○精神保健福祉論(Ⅰ)(Ⅱ)
1.精神障害者処遇の歴史「排除からノーマライゼーションへ」
(1)排除の歴史
①養育院(東京)
 ロシア皇太子が来日予定時、地域生活をしていた精神病者を収容した。
②癲狂院
 養育院に収容された者が、後に収容された場所。養育院に収容されていた者が、より重度の者の世話をするなどの状況があった。
 ③村山全生園(@多摩)
 ハンセン病者を隔離するために作られた施設とされている。
 上記施設はごく一部とされていたが、この頃は社会復帰といった発想はなく、収容され治療されていた。元々、宿屋であったものが、寺や神社・仏閣といったものを併設し、治療に当たっていたとされる。治療には、灌漑療法など「水」を使ったもの(打たれたり、浸かったり)が目立つ。

(2)法整備とそれに関する出来事の推移
 ①1900年 精神病者監護法
  ・私宅監置(座敷牢)
  ・親族の監護義務(現在の「保護者」)
 (この頃、呉秀三らの調査がある)
 ②1919年 精神病院法
  ・道府県に公立精神科病院の設置を命ずる
 (しかし、国の予算は軍備に回される時代で、設置は進まなかった)
 ③1950年 精神衛生法
  ・措置入院制度の整備
  ・同意入院制度(現在の「医療保護入院」)
  ・精神衛生鑑定医を設ける
  ・私宅監置の廃止
 (私宅監置を公的監置に置き換え、長期間の隔離が目的)
 ④1964年 ライシャワー事件
  ・精神障害をもつ19歳の少年が駐日アメリカ大使を刺したことにより、「野放し」となっている精神障害者を「治安的取締りの対象」とする警察庁長官答弁
 ⑤1965年 精神衛生法改正
  ・保健所を精神保健行政の第一線機関として位置づけ、精神衛生相談員を配置
  ・通院医療費の公費負担(2分の1)
  ・措置入院者が離院した時の届出義務
 (治安的要素の濃いものとなり、在宅精神障害者の把握が強調される)
 ⑥1969年 Y問題
  精神的に不安定だったY少年を、家族の依頼により公的機関のソーシャルワーカーが警官二人とともに訪問し、入院させた
  ・PSWの倫理だけでなく、精神医療の必要性まで議論される
  (精神科病院があるから、精神病が存在する:不要論)
  ・PSW協会で議論(結果として協会解体、再建)
 ⑦1970年 『ルポ精神病棟』
 ⑧1984年 宇都宮事件
  入院患者2名が看護職員の暴行により死亡する
 ⑨1987年 精神保健法
  ・国民の精神的健康の保持増進を図ることを目的とする
  ・人権擁護と社会復帰促進が明記された
  ・任意入院制度が設けられた
  ・社会復帰施設(生活訓練施設、授産施設:2類型)
 ⑩1993年 精神保健法一部改正
 ⑪同年   障害者基本法
  ・精神障害者が障害者施策の対象として位置づく
 ⑫1995年 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)成立
  ・精神障害者の自立と社会経済活動への参加の促進のための援助が加わる
  ・精神障害者保険福祉手帳の創設
  ・社会復帰施設追加(福祉工場、福祉ホーム:4類型)
  ・通院患者リハビリテーション事業の法定化
 ⑬1999年 精神保健福祉法改正
 ⑭2005年 障害者自立支援法成立
 ⑮同年   精神保健福祉法改正

2.人権と人権を支える思想(ノーマライゼーション)
(1)インフォームド・コンセントの歴史
 1947年 ニュルンベルク綱領(患者の同意について)
 1964年 ヘルシンキ宣言(患者の利益・福祉を優先する)
 1983年 インフォームド・コンセント(アメリカ)
(2)インフォームド・コンセントの要素
 ①クライアントの同意能力の有無
 ②主治医が適切な説明をしているか
 ③クライアントが理解しているか
 ④クライアントの任意の意識的な意思決定がなされているか
 つまり、厳密には、説明するだけでも、同意を得るだけでも、インフォームド・コンセントは成立しない。クライアントにわかる、適切な説明をした上で、クライアントがそれを理解し、他の選択肢も含め検討した上での同意でなければならない。
(3)具体的な質問項目(スカッリーの質問16項目)
 クライアント(患者)やその家族が知りたいことはどんなことか。(スカッリーらの質問項目 T.scully & C.scully)
 ①私に起こっているのはどんな病気ですか? 病名は?
 ②この病気はどの程度重いのですか?
 ③どんな検査を考えているのですか?
 ④なぜその検査を進めるのですか?
 ⑤その検査の危険性は? その検査の結果は治療法の決定に必要なのですか?
 ⑥どのような治療法を勧めるのですか?
 ⑦その治療の目的はなんですか? それで治るのですか? 痛みを和らげられるのですか? 社会復帰できるのですか?
 ⑧その治療法の危険性はどのくらいですか?
 ⑨その治療法が私の場合に成功する確率はどのくらいですか?
 ⑩それは一時的な効果ですか? 持続的な効果ですか?
 ⑪その治療を断ったら私に何が起こりますか?
 ⑫別な治療法はないのですか?
 ⑬どれの治療法を効果と危険性とから比較するとどうなりますか?
 ⑭どれがベストだと思いますか?
 ⑮あなたが私と同じ状況にあったとして、あなたやあなたの家族にどの治療を選択しますか? それはなぜですか?
 ⑯参考になる読み物はありませんか? 情報センターはありませんか?
(2)ノーマライゼーション Normalization
 ①バンクー・ミッケルセン(1950年代)
  「ノーマライゼーション」
  知的障害者の生活を可能な限り通常の生活状態に近づけるようにする
  (知的障害者をノーマルな人にするのではない)
 ②ニィリエ B.Nirje(1967年)
  「暮らしの条件」
  ⅰ 一日のリズム
  ⅱ 一週間のリズム
  ⅲ 一年のリズム
  ⅳ ライフサイクルに沿う
  ⅴ 自己決定
  ⅵ 好きな人と一緒にいること
  ⅶ 適切な住環境
 ③ヴォルフェンスベルガー(1972年、1984年)
  1972年 可能な限り、文化的に通常となっている手段の利用
  1984年 社会的役割の実現に転換する
       ソーシャル・ロール・バロリゼーション Social role valorization
 ④谷中輝夫
  「当たり前」
 ノーマライゼーションを支える考え方として、エンパワメントempowerment、ストレングスstrengthなども注目

2008年8月16日土曜日

島田洋七『佐賀のがばいばあちゃん』徳間文庫、2004年。

スクーリング中で、読み物はたくさんあるのだけれども、息抜きに数冊持ってきた。
完全に勉強モードのこういうときは、軽い読み物がいい。

数年前にベストセラーとなり、シリーズで500万部突破したロングセラー。
嘘のようなノンフィクション。
当時では、それほど珍しいことではなかったのだろうか?
島田氏の自伝。
元気になる一冊だった。

戦後間もない広島で、貧しさから佐賀の祖母と暮らすことになった昭広。
「明るい貧乏」と称し、描かれる生活は、常に明るい。
貧しさから落ち込むのではなく、世の中をうらむではなく、近所の人たちに支えられてなんとか、それでも楽しく生活するばあちゃんと昭広の物語。

個人的には、「本当の優しさとは、人に気づかれずにやること」のくだりが響いた。
運動会に決まって腹痛をおこす、昭広の担任。
そして、友人の修学旅行の積み立てをカンパしたときのくだりに思い出すことなど、「人として」深く、しかしあたりまえなことを、あたりまえに説いている。
つい忘れてしまいがちな、「人」としての他人。
目の前にいる人を、もっともっと大切にしたいものである。
そして、屁理屈を言ってでも弱音を吐かない、生活者としての姿勢。
見習いたい。

講義を受けながら、自らを振り返る

世の中には、話の上手い人と、下手な人がいる。
上手い人の中には、構造化されていて理解しやすい人と、そこまで整理されていなくても事例が豊富でパッションやスピリットが乗った話し方をする人がいるように思う。
今日の講師は、後者がベースで、全体としてはある程度整理されていたのだと思う。
こういう講義は、語録が飛び出し、それが自分のことを振り返るきっかけになる。

例えば、「恋人との関係は、自分が変わってでも維持しようとするのに、結婚して安心すると、今度は相手を自分に合わせようとする」というもの。
Iyokiyehaが嫁さんを自分に合わせようとしているかどうかは、嫁さんが決めることだけれども、人に言わせればIyokiyehaは学生時代からは変わっているらしい。
結婚生活は、お互いのある程度の譲歩があって成立するわけだから、多少の変化はしょうがないわけだが、それにしても変化のベクトルが変わってくるという指摘は、どきっとさせられた。

他にも、ストレングスを強調することについては、「前向き」でいたいIyokiyeha自身の考え方が、そのまま跳ね返ってきているようで、やはり考えさせられた。
だって、未来は変わるじゃないですか。
そもそも、現在の私には見えないものだから、それを「面白い」と思ってしまう。
過去は変わらないことだから、振り返ることに意味はあっても、それを評価されることに特に意味は感じない。
むしろ、Iyokiyehaは過去についてあれこれ言われることについては、耐性が低いと思います。
だって、どうしようもないし。

他にもいろいろあるけれど、熟成されたらそのうち「ふっ」と浮かんでくると思うので、今回はこの辺で。

余談ですが、精神保健福祉援助実習の受け入れ先、困った。
実家で受けることになりそうだけれども(山梨県は1ヶ所で、かつよい返事ではない)、時期が・・・
この通信教育、ちょっと甘く見ていたかも。
まぁ、今後の調整です。

精神保健福祉士スクーリング(1日目)精神保健福祉援助各論

ケアマネジメントの手法を概観しながら、PSWとしてクライアントに対する姿勢について、以下の内容を、豊富な事例で説明する講義だった。

講義を受けて考えたことは以下の通り。
■「ストレングス strength」について。「強さ」と訳させることが多く、クライアントの「できること」を指して使うことが多いようだが、テキストを読み、本日の講義を受けながら考えたところ、「興味あることについて、自らを変化させることのできる力」のようなイメージが浮かんだ。もちろん、その人の「長所」とする見方もできるだろうが、もう少し範囲が広いのかと思う。
■視点を変えるためには、支援者自らが様々な経験を積み、多彩な発想で物事を考えプランニングする必要がある。たとえ、それが選択されないプランであったとしても、考え、説明するのが望ましい。
■「真のニーズ把握」にこだわるべきとのこと。このことはPSWに限らず、カウンセラーの仕事にも直結する。フォローアップ研修の時から考えているように、Iyokiyehaの仕事にひきつけて考えると、ニーズは常に2つ以上の方向(多くは、本人と事業所)から発せられているのであり、そのいずれもないがしろにはできず、どちらかに偏った場合にはもう一方の側の信頼を損ねる。
■「伝える」ことにこだわる姿勢も、Iyokiyehaが普段こだわっていることと、共通していた。ただし、伝える「内容」だけでなく、伝える「時」がとても大切ということを知った。「伝えようとしているかどうか」を自己確認するとともに、「伝わっているか」を常に確認しながら相談や計画策定を進めるべき。
■ソーシャルワーカーは、いわば「夢を与える」存在。自らが夢を持ち、かつクライアントの夢を描き、クライアントが大きな夢に向かうことのできるよう、小さな「見える」夢をたくさん見せることが、クライアントのストレングスを活かすことになる。
■「治るんでしょうか?」と不安気に聞いてくる患者や家族に対し、「治ると信じています」と言い切る前向きさも必要か。


<講義内容概要>
1.ケアマネジメントの前提となる考え方
 ①世の中、全てのもの(本人を含む)は「社会資源」である
 ②「上手に生きる」とは、「資源の使い方が上手い」こと
 ③ケアマネジメントは、人と社会資源をつなぐ活動
 ④全ての人は、自分なりにケアマネジメントしている
-精神保健福祉士(以下、PSW)は、たとえクライアントの代弁者となっても、言いなりになってはいけない。
-相手を見ながら、対応を変えていく
-(講師私見)生理学、社会学、医学、心理学的なアプローチを学ぶことは、PSWにとって意味がない。(補足:もっと基本的な「人と人とのやりとり」がある)だから、99%の無駄をやった方がいい

2.PSWとは
(1)PSWの機能(4+1)
 ①援助と支援
 ②連絡・調整
 ③企画・調整
 ④予防活動
 ⑤教育・育成
現場では、とかく①に偏りがち。②~④にもっと取り組むべき
また、スーパーバイズの体制を整えるなどして、⑤はもっと強調されるべき。
(2)ソーシャルワーカーの役割(16項目)
 ①調査者
 ②診断者(ニーズ診断)
 ③望みをかなえる人
 ④ケア提供者
 ⑤社会治療者(社会を治す)
 ⑥支援を動員する人(一人で全てはできない)
 ⑦助言者
 ⑧カウンセラー
 ⑨仲介者
 ⑩インストラクター
 ⑪代弁者(アドボカシー)
 ⑫運営管理者
 ⑬弁護者
 ⑭情報提供者
 ⑮オルガナイザー(主催者)
 ⑯リーダー
どれも当てはまるが、少なくとも「カンファレンスで発言できない人は、ソーシャルワーカーの資格なし」
-退院に長年の調整を有したケース。ようやく実現した退院後、順調に地域生活に移行したかと思っていたが、「何も起こらないこと」に家族が抱いた「不安」を本人が敏感に感じ取ってしまい、自ら命を絶ったケース。

3.クライアントの視点
(1)クライアントに教えられる
 ①ちょっとしたことで安心感を得る(足を回すなど)
 ②ドイツ人の「プライベートスペース」と、説明・許可の必要
 ③ケーキ屋で実習し不採用という結果に対し、「精神障害者って怖くないって言われた」ことを素直に喜べる
 ④食事を取らないクライアントにレクリエーションを提案し「腹減った」
(2)自らの思い込みを捉える
 ①第一印象は数年続くこともある(ルビンの壷と娘と老婆)
 ②人の性格は変わらないが、見方を変えることによってストレスは減る
 ③情報混雑時に、ちょっとしたヒントがあると整理される(James:ダルメシアン)

4.「伝える」こと
(1)丁寧になると言葉が増える
 ①まず大切なのは、「伝達したい情報」が正確に発せられること
 ②結論-理由の順番
 ③さらに、「対象の焦点化」が必要
 ④伝えるべき「時」を逃すと、伝わるものも伝わらない
(2)二重の「感情」
コミュニケーションとは「ずれ」が生じるもの。
AがBにXという情報を伝える時、AはXを「記号」として発するが、そこには必ずAの感情Yが加わる。Aから発せられたXYは、Bに聞こえたときにはZという感情が加わって認識される。もちろん、XYはいずれも完全にBに伝わるわけではないので、変数cが差し引かれる。
よって、Aが伝えようと思っていた「X」をBが認識する場合、Bには(X+Y)-c+Zとなり、伝わらないものも少なくない。
コミュニケーションは知識だけでなく、感性も大切。
冷静に広い視野を保つことと同時に、相手に自分の感情をわかりやすく届けることも、コミュニケーションを充実させる大切なことといえる。

5.まとめ
前提として、人は思い通りにならない。恋人や夫婦であっても、それは同様である。支援を考えるときも同様に、クライアントが支援者の思い通りになると考えない方がいいし、またクライアント自身のニーズに合わず、納得の得られないプランでは、意図した効果はあがらない。
ストレスは、先の結果がわからないことによって「ストレス」になる。将来を見えるようにするのが、ストレスの軽減には有効。
よりよいプランニングのために、必要なことは以下の4点。
(1)視点を変える
(2)伝わっているか、伝えようとしているか
(3)「人」としてクライアントに接するのが基盤となる
(4)「真のニーズ」は何か、常に把握しようとする

2008年8月15日金曜日

高田馬場に潜伏中・・・

明日から、PSWのスクーリングです。
これから一週間は、肩書き外して専門学校生になります。
といっても、私のことですから、講義を聞きながら、具体的なケース検討をしてしまうのでしょうが・・・

でも、せっかくの機会なので、カウンセラーモードではなく、PSWモードで勉強しようと思います。
バイスティック、バイスティック~

職場の先輩方から「復命せい」と言われてしまったので、またブログを使って記録をとっていこうかと思います。
速報でお知らせできればいいと思いますが、身体が持つかな~。


余談ですが、東京ってやっぱり「街」ですね。
何で街行く人が渋滞を起こすのだろう・・・
自分のペースで歩けない街は嫌いだ。
電車の中で爪を切っている女性に腹を立ててしまう私は、まだまだ凡人ですね(笑)。

携帯からテスト

Bloggerは携帯電話から投稿できるらしいので、試してみました。
写真はアップされたら、南甲府駅です。

「ムスメ」だそうです

写真は一月前くらいのものですが、先日28週目にして、ようやく性別が判明しました。
16~7週で分かる子もいるのに。
何て、ガンコなんだ。
誰に似たのか・・・


(娘の写真)

生まれたら、間違いなく親バカになりそうな予感がしています。

2008年8月13日水曜日

UNICLOのCOOL BIZ

今年のCOOL BIZも折り返し地点をすぎました。

http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/06/cool-biz.html
(2008年6月3日投稿分)

毎年、IyokiyehaはCOOL BIZに関して、進化していると自負(?)しているのですが、今年はUNICLOに挑戦です。
スーツ生地は、薄手で涼しいのですが、繊維は化繊と綿の混縫のため、汗かくと地肌に生地が貼り付いて不快だったんです。
先日、UNICLOを歩いていたらCOOL DRYなる生地のCOOL BIZコーナーが。
以前、UNICLOというと、安かろう悪かろうのイメージがあったので、仕事着には不適と思っていたのですが、意外といけるんじゃないかと思ったわけです。

上下50,000円くらいのスーツから、上下5,000円のカジュアルに。
桁が違います。
でも、快適度も桁違いです。
会社に出張するときは、スーツ着て行きますが、事務所着はこれでいいかなと。

2008年8月12日火曜日

対気圧戦

Iyokiyehaが気圧の変化に弱いことは、何度か紹介してきたところである。

http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/05/blog-post_14.html
(2008年5月14日)
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/06/blog-post_29.html
(2008年6月29日)
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/08/blog-post_06.html
(2008年8月6日)

先日、全国ニュースで県下全域の停電が報道されていたが、山梨県のこのところの夕立は「ひどい」の一言に尽きる。
毎日、15時頃になると、大粒の雨がばしゃばしゃと「落ちてくる」。
このせいか、Iyokiyehaは午後になるといつもこめかみが痛い。
どんな天気予報よりも、私のこめかみが正確だ。

しっかし、こればっかりは、すっきりしないなぁ。
一度病院に行ったら、よくなるのかし?

森岡正博『草食系男子の恋愛学』メディアファクトリー、2008年。

近年、「哲学者」を名乗るようになったが、私が修士論文で取り上げた「生命学」の提唱者による、恋愛ノウハウ(?)本。
ああせい、こうせい、といったうわべだけのノウハウではなく、おそらく森岡氏が基盤としている生命学、倫理学、男性学、女性学の知見を結集した、本気の「ノウハウ」紹介になっているように感じた。
森岡氏の思索の広がりが見えて、非常に面白い。

恋愛を、深い信頼によって結ばれた、お互いにとって幸せな関係とし、「密着から自由」へと変化するかけがえのない経験とする。
盲目ではなく、肉体関係だけでもない、人と人との関係における成長と深い信頼を基盤とした、唯一無二の関係であるとする。
セックスうんぬんではなく、その先も含めた全体を、個別経験を基に書ききっているのが、森岡氏らしい展開で、面白かった。
私は、何となく「草食系男子」のような自覚があるが、それは嫁さん他、周囲の人が評価することであって、言及するつもりはない。

読みきって感じるのは、おそらく男性向けに書かれている本のように思われるが(森岡氏もあとがきで「彼らの恋愛を応援したいと思った」と書いている)、実は女性が読んでも男性理解のためになる本じゃないかと感じた。


おすすめ度:★★★★☆

2008年8月10日日曜日

名刺入れのこだわり

いい値段でしたが、買ってしまいました。


(甲州印伝の名刺入れ)
先日会った会社の社長さんが、何気なく取り出した名刺入れが「印伝」でした。
地元の物を使っていることと、年季が入っていて、何だか二重に「格好いい!」と思ってしまうあたり、結構ミーハー(死語)なのかもしれない。
今までは、大学を卒業したときに学部でもらったものを使っており、それも決して変なものではないのですが、せっかく転勤族なんですから、こういうところで「地元」に近づいてもいいのかなと。
(印傳屋Web)
渋いですが、おしゃれですよ。

読書状況080810

<今週の状況>
数冊が読み終わった期間だった。
雑誌は、以前予告していた通り『Newsweek』の購読を止める。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/04/blog-post_2375.html
(2008年4月6日:雑誌の定期購読)
代わりに、『週刊 ダイヤモンド』の購読を始めた。
http://dw.diamond.ne.jp/index.shtml
(Web:週刊ダイヤモンド)
読み応えのある雑誌なことには変わりないが、何が違うのか、結構読みやすい。
1冊の単価を安くしたいがために、しょっぱなから3年間の購読としたため、出費は大きかったが、自己投資と考えて割り切ってみた。
『経済って…』は、読後感もよく、著名人がおすすめするだけのことがあることを実感した。
『性犯罪…』は、感想文もアップしたが、いろんなことを考えさせられる一冊だった。
人間の尊厳という逃げ場のない生身の人間としての私を見つめなおす機会になったことと、社会のしくみについてノンフォーマルな雰囲気みたいなものと、サポートシステムともいうべきフォーマルなしくみについても知らないことだらけであった。
新しい書籍『専門家の…』は、私が修士論文の結論で引用した論文だが、先日、ひょんなことで専門職の専門性という話題があったので、私なりに現時点での専門家像を少し形にしておこうと思って、数年ぶりに書棚から出してみた。当時と読感が変わっていたら、私にも成長が見られたということかもしれない。

○既読
・『週刊ダイヤモンド 2008年8月2日号』ダイヤモンド社、2008年。
・精神保健福祉士養成セミナー編集委員会編『[増補]精神科リハビリテーション学』へるす出版、2008年(増補版・初出1998年)。
・佐藤雅彦、竹中平蔵著『経済ってそういうことだったのか会議』日本経済新聞社、2000年。
・小林美佳『性犯罪被害にあうということ』朝日新聞出版、2008年。

○一部
なし

○中断
なし

○現在進行中
・『Foresight』2008年8月号。
・『週刊ダイヤモンド 2008年8月9・16日号』ダイヤモンド社、2008年。
・米内山明宏『DVD付き はじめての手話入門』ナツメ社、2005年。
・茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル」製作班編『プロフェッショナル仕事の流儀 あえて、困難な道を行け』日本放送出版協会、2008年。
・松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、1969年。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版②』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・森岡正博『草食系男子の恋愛学』メディアファクトリー、2008年。
・ドナルド・ショーン著、佐藤学、秋田喜代美訳『専門家の知恵 反省的実践家は行為しながら考える』ゆみる出版、2001年。

小林美佳『性犯罪被害にあうということ』朝日新聞出版、2008年。

性犯罪の被害にあった女性によるノンフィクション。
被害にあってから、現在に至る心身の揺らぎを、自身の言葉で書ききっている。
迫力ある文章で、読み手の私には何とも言いがたい感情を植え付けた一冊だった。

男性性である私としては、性犯罪という最も忌むべき犯罪が、ゲーム感覚で行われていることに怖さと憤りを覚えた。
「何を考えているかわからない人」の「わけのわからない行為」により、男性性が一括りにされてしまうことには、怒りすら感じる、私の住む日本でも同様の犯罪が今でも起こっていることに恐ろしさを覚える。

性別が異なることにより、容易に理解し共感することはできないが、女性性を意識して想像すると、行為そのものに対する恐怖と、人間の尊厳を踏みにじられる恐怖、そしてその経験を持ちながら社会で生きることを半ば強要されてしまう恐怖など、得体の知れない「怖さ」が同時多発的に襲われながら生活しなければならないのではないかと察する。
犯罪に手を染める者は、自らの一時の快楽のために、その対象者を社会的な瀕死状態とも言うべき状態に追い込んでいるように思う。
人を物理的側面と精神的側面と分けて考えることができるのであれば、殺人がその両方の機能を停止させてしまうのに対し、性犯罪は物理的な部分的破壊を通じて、精神的側面の「同意を得ない変化」を強要することと言える。
そして、この犯罪に対する「偏見」というものも、おそらく私自身がまだ掴みきれていないほどの誤解がまかり通っているようにも思う。

自分なりに、一人の人間としていろいろ考えさせられる一冊であった。


おすすめ度:★★★★☆

精神科リハビリテーション学(草稿)

WHOの障害構造モデルと国際生活機能分類(ICF)の生活機能構造モデルの違いを述べ、その違いが実際の支援にどのような違いとなって表れるか述べなさい。

1.はじめに
 精神障害者が社会復帰を目指す時には、社会生活技能の向上や、治療履歴に対する偏見からの復権等、個々の課題に応じた取り組みが必要となる。その人の希望や、自己実現に向かうための専門的支援として、精神科リハビリテーションは位置づく。我が国では、社会参加や活動に制限があったり、症状の変化が続くなど、長期に渡り生活の困難がある人達が、その対象となる。
 本稿では、精神科リハビリテーションを実施する上で不可欠となる、「対象者理解」に焦点を当て、精神障害を持つ人の「状態」を把握するための二つのモデルを紹介し、その違いを説明する。また、その違いが具体的な支援に与える影響を説明する。

2.障害構造モデルと生活機能構造モデルの観点
 世界保健機関は、国際疾病分類(ICD)の補助として、1980年に国際疾病分類(以下「ICIDH」)を発表する。ICIDHでは、個人レベルの障害を、「疾病または変調」、「機能障害」、「能力障害」、「社会的不利」に分類する。障害によってもたらされる「社会的不利」の原因を、その人の「疾病・変調」だけに求めず、その人の機能や能力に応じた代替手段や訓練を検討することを示唆するモデルとして捉えることのできる一方で、その人の生活全体における障害を理解するには不十分であると指摘された。
 数度に渡る検討を経て、2001年5月には国際生活機能分類(以下「ICF」)が採択された。人間の生活機能と障害との関係を「心身機能・身体構造」、「活動」、「参加」の側面から考える。その人の抱える困難は、個人の能力改善や機能障害を補完する技術により改善されるだけでなく、その人を取り巻く環境の調整により困難が改善されていくという、個人と環境との相互作用が強調されるモデルとして捉えられる。
 ICFは、個人の「できること」に焦点を当て、活動や参加を可能とする方法を環境調整にも求め、結果として社会参加の実現を目指す。ICFは、ICIDHよりもノーマライゼーション理念が反映され、目指すべき社会の姿を示唆している。

3.具体的な支援
 具体的な支援場面では、ICIDHとICFの考え方がそれぞれどんな違いとなって表れるか、私の経験を振り返り、精神障害者の就労支援場面を考える。ここでは、「人間関係の不調」を理由に離転職歴が多い精神障害者の支援を取り上げる。
 気分障害のAさんは、面接を突破し就職はできるが、慣れた頃に「他の従業員からどう思われているのか」が気になり、不安が高まる傾向がある。その結果、1~2ヶ月で離転職を繰り返してきた。
 ICIDHの枠組みで支援計画を立てるならば、継続就労が難しい(社会的不利)理由を以下のように分類して考える。障害により気分の落ち込みが大きく(疾病または変調)、また気分が落ち込みやすい(機能障害)ことと、周囲の状況をやや被害的に受け止めてしまいがちな考え方の癖(能力障害)が気分の落ち込みを生んでいると考えられる。よって、薬物療法により気分の落ち込みの程度や頻度を抑えつつ、認知療法等により気分の落ち込みを生む原因となっている考え方の癖について修正を図っていく計画が立てられる。
 一方、ICFはどうか。上記支援と平行し、職場に対する働きかけを計画する。就労(参加)を妨げているのは、状況を被害的に捉えがちな認知の癖(個人因子)の他に、Aさんが誤認識する原因が職場(環境因子)にもあると考える。個人因子の改善と共に、例えばAさんの上司にAさんの特性(やや被害的な捉え方をすることと、相談により気分の落ち込みは軽減できること、等)を伝えることにより、日常声をかけてもらう、相談に乗ってもらえる体制を整え、Aさんは自分が気になることを確認できる(活動)ようになる。その結果、気分の落ち込みの頻度も少なくなる(心身機能・身体構造)。また、Aさんの気分の波による欠勤時も、不必要な不信感を他の従業員に与えずに勤務できるかもしれない。

4.まとめ
 ICIDHとICFの違いは、支援により本人の変化を促進するだけでなく、それと平行して環境調整を実施することで本人の困難を改善し、その向かう先にはノーマライゼーションが強調されている点であるといえる。
 精神障害者の就労を例にとれば、その人の就労を促進するために、個人の能力や障害の向上や改善だけでなく、職場環境を改善し変化させることも平行して実施することにより、精神障害者の就労継続が可能となる。
 このことは、精神保健福祉士の本来の役割にも合致している。こうした支援を実施するためには、本人のアセスメントだけでなく、本人を取り巻く環境についても正確な把握が必要となる。幅広い観点から、本人のニーズにより近づいた支援計画を立てられるようになりたい。




(勉強メモ)


なお、公開されている文章をコピーして提出課題とするのはやめてください。

2008年8月7日木曜日

佐藤雅彦、竹中平蔵著『経済ってそういうことだったのか会議』日本経済新聞社、2000年。

クリエーター(でいいのか?)の佐藤雅彦と、経済学者の竹中平蔵とが、「経済」の様々なトピックについて、徹底的に語り合う対談録。
2000年刊行と、やや古い書籍だが、複数の著名人が絶賛しているのをたまたま複数見聞きして読んでみた。
時事情報が古いのは仕方がないとして、経済のことについて、非常に平易な表現でわかりやすく、新聞の経済欄もまた少しだけ読めるようになるかも、と思わせる内容。
「経済」(=エコノミクスeconomics)の語源は、ギリシャ語のオイコノミクスoikonomikos
で、その意味するところは「共同体のあり方」という一説が、経済学の本来解明すべきものを一言で表しているようで、感動すら覚えた。

宣伝効果によって、消費者からは資本規模の差に錯覚が生まれるとか、仕事の価値を判断するのは他ならぬ「マーケット」であるなど、自分の生活にも幅広く関わる「経済」に関する話題を、シロウトにもわかるように説明できる、竹中氏の「深さ」と経済学に対する「信念」が読み取れる。
イノベーションと関連して、コンぺティティブcompetitiveとコンピタントcompetentの言葉の使い分けについて、最後に触れている。
前者は「競争的な」などと訳されるが、競争でほんの一歩くらい抜け出しているという語意が含まれる。
一方で後者は、「有能な」などと訳され、このことばによって表される変化は「何が起こってもやっていけるような力」であるとする。
他の価値との関連の中で、今までにないものがブレイクスルーの結果として生み出されることを示している。

一般常識としても、非常に面白い読み物といえる。


おすすめ度:★★★★★

2008年8月6日水曜日

夏の疲れ

先日、山梨県の広範囲で停電が起きるなど、ここのところ夕方の積乱雲の発達がすごく、毎日のように夕立が降る。
この天気の変化(気圧の変化)がどうも苦手で、ここのところ毎日午後になるとこめかみが痛い。
「なんとなく」疲れているので、早く寝るのだが、朝すっきり目覚めない。
何だか嫌な体調だなぁ。


すっきりと目覚めて、ハイ・パフォーマンスで仕事したいものである。

2008年8月3日日曜日

場の力

グループワークを継続していると、「誰」が主導するわけではなく、そこに参加している人に何らかの役割が見えて、グループ全体として「よりよい方向」に向かっていく瞬間がある。
「グループダイナミクス」とか「力動」などと呼ばれるらしいが(定義は不明)、学生時代に課外活動の中でグループ活動に身を投じていた時に、実感として経験のある感覚とよく似ているように思う。

不思議な力が、場に満ちているかのような状態。

最近、仕事における面接場面で、時折こんな「場の力」を感じることがある。
嫁さんには「本気な相談」とか説明しているが、このビリビリくるような相談の場に直面すると、その相談場面から開放されたときに、頭がいつも以上に疲労していることを感じる。

例えば、目の前にいる人の内面に踏み込まざるを得ない時。
こちらが本気でかからなければ、おそらく自分を閉ざしてしまうだろうし、だからといって頭に浮かんだ言葉によって、私の本意が伝わるとも限らず、安易な言葉を使ってしまえば相手を傷つけてしまうかもしれない。
こんな場面では、自分の本意を自ら整理しながらも、その本意を相手に伝えるための言葉を構成し、さらに厳密に使うことばを選んでいく。
この作業だけでも疲れてしまうのに、言葉を発しながら相手の反応の微妙な変化を注視しながら、その場その場で対応を微妙に調整していく。

もちろん、必要でなければこんなに「本気」な相談をすることはないけれども、カウンセリングの技術を超えた、こんな地点でのやりとりが必要な場面は少なくない。
精神疾患に悩む人が相手であれば、なおさらである。

こんな「場の力」。
嫌いではないけれども、確実に見た目以上の疲労感が残る。
先週は、出張疲れと、この疲れでくたくたでした。
もっと、うまく力の配分ができるようになりたいものです。

横面打ち

毎日同じことをやっていても、考えながらやっていると、「ふっ」と気づくことがある。
今日は、木刀を振っていて気づいた「横面打ち」。

今まで、重い木刀(Iyokiyehaは2本の木刀を所持)で横面打ちをすると、手首が痛くなったのだが、軌跡を意識して正しい軌跡と足の動きを調整して振ってみると、これまでにない音で振り切れた。

横面打ちは、中段の構えから、上段に大きく振りかぶり、振りかぶった際、肘を微妙に前後にずらすことによって、軸を捻らずに刀がねじられ、肩から振り下ろす際に肘の軌跡を調整することによって、相手の頭の高さを側面から打つ振り方。
合気道の手刀動作で、片手で相手のこめかみを打つ動作を、木刀を持ったまま合成した時に生まれる振り方である。
振り方だけに注意すれば、手首は痛くないのだが、そうなると木刀を振る速度が落ちることには気づいていた。
今日はそこに、足の運び方を加えてみた。

すると・・・

「ぶぉっ」という鈍い音とともに、これまでにない軽さと速さで振りぬくことができた。
びっくりした。
移動力を手刀を通して相手に伝える合気道の応用によって、木刀の振り方も多少変化しているように思う。

この振り方、向かってくる相手には、移動力は小さくコンパクトに振りぬくことで、軸を外して相手の攻撃を避けるのと同時に相手を打つ方法として使えそうです。
移動力をフルに使う方法では、相手が何らかの形で後方に崩れたり、間合いを取ろうと下がったときに踏み込んで振りぬくことにより、一番効果的に使えそうな技になりそうです。

・・・とはいえ、剣道にはこの打ち方がないし、そもそも木刀をもって人とやり合うことはないので、あくまで想定の中での話ですが。
合気道の乱取りへの応用は、今後検討します。
自分の身体が変化していくのに気づくのが、面白い今日このごろです。

すんごい社長さん

山梨に赴任して2年目。
久々に「すごい人だなぁ」という方に出会った。

こういう人は、不思議なオーラをまとっているように感じる。

リサイクル業者にして、環境哲学を実践している社長さん。
確かに、事務所に初めて顔を出したときの事務員さん、従業員さんの対応は素晴らしいものがあった。

「人間リサイクル」や「精神のペレストロイカ(改革)」という言葉をたくみに用いながら、人として生きること、職業を通じて一人前になることを説く。
人間、「本能」を忘れたらダメになる。
今の世の中は、「成熟すること=本能を封じ込めること」として捉えられていることを仮説として提示し、その状況を危惧している。

聞けばこの社長さん、既に60カ国ほど旅行しているとのこと。
最近では、メジャーな国では飽き足らず、やや危険な国も含めて旅して廻っているらしい。
その経験が、人間を見極める目を研ぎ澄ましているようにも感じる。
「環境」をテーマに調査活動にも参加しているかと思えば、地元でも有名人で、表裏両面の事情に詳しい。
「明るいところからは闇の中は見えない、闇の中からは明るいところがよく見える」など、きれいごとばかりでは社会は成立しないことを、肌で感じている人のように思う。
必要悪や、社会のバランスということを実感していながら、しかし「人として」まげてはいけないことについて、真っ向から立ち向かう。

一つ、Iyokiyeha他、公的機関に対して向けられた矛は、「倫理規定」。
あんなもんバカじゃねぇかと。
実は同じことを考えていたIyokiyeha。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/06/blog-post_1327.html
(2008年6月7日投稿分)
しかし、無策にこれに同調できる立場でもなく・・・
確かに、この「倫理規定」みたいなものは、ハナクソみたいな一部の人が、ハナクソみたいにバカらしいことをやったことにより、その再発防止のためにハナクソを抱え、ハナクソの行動を管理できなかった組織が作ったものだという一面も否定できません。
Iyokiyehaが属する組織が、ハナクソかどうかはわかりません。
なぜなら、ウチは本省(公務員)に準じた規則でその存在が保障されているわけですから。

確かに、「お世話になりました」と親切で差し出された、下心全くない「御礼」であれば、それを受け取るのも「礼儀」です。
その「御礼」の質に対して、後の関係が変わることはまずくても、関係のあったところと後に連携を深めることは「御礼」の質と量には関わらないわけです。
人としての礼儀を「規則」というマニュアルにより否定される。
この構造をどう考えていくか、おそらく、私がこの組織に属する間、ずっと付きまとうテーマでしょう。

この社長さん、実際の活動を、まだよく知らないので、具体的な活躍はよく知らないのですが、今後山梨にいる間には名前が聞けそうな方かなと思った方でした。
こういう人と出会えることも、私の仕事の楽しみかもしれません。

教員採用試験について一考

大分県で教員採用試験の不正が明らかになってからしばらくたつ。
http://news.google.co.jp/news?hl=ja&q=%E6%95%99%E5%93%A1%E6%8E%A1%E7%94%A8%E8%A9%A6%E9%A8%93&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=X&oi=news_group&resnum=1&ct=title
(Googleで「教員採用試験」の検索結果)

今年度、試験を受ける人はさぞ大変だろうなと思う。
今回、一部の当事者が、誰の目から見ても明らかな「不正」に手を染め、それがたまたま明るみに出てしまったから、こんなことになっているわけで。
Iyokiyehaは、教育学部卒ですから、この試験に真面目に取り組んだ人間を何人も知っていますし、大学院を修了する年と就職浪人していた年には、この試験を受けています。
だから、「たまたま明るみに出た」という表現ができるわけで・・・

以前から、不正かどうかはわからないけれども、本人の能力や教員としての資質以外の力が、この試験結果に影響していることは、見聞きします。
ある友人は、顔も知らない、親戚の知り合いの議員さんに推薦状を書いてもらっていたらしいし、教員の世界で有力な人を知っている人は、その人からの推薦書を願書に同封するなんてことも聞いたことがあります。
確かに、試験だけでなく、面接が3回と実技(マット運動やら、ラジオ体操・縄跳びなど)の総合点で結果が出るらしいですから、採点者のさじ加減一つでどうにでもなるしくみのようには感じられます。
某県で受験したときの「集団面接」なる面接試験は、「宿題を出すことの是非」を問われ、論点の収拾がつかないまま、一人ひとりが好き勝手なことを言って30分が過ぎていったことを覚えています。

その中にあって、採点基準を作り、それに基づいて採点できている人がいるのでしょうから、きっと真面目に先生やっている方が大半だと思いたいです。

それでも、私が受験したときの、Iyokiyehaの前の番号だった方は、スーツからシャツがびろーんとはみ出ていて、ベルトもボロボロ、集団面接ではしゃべらず、体育実技ではマットの前転でびろーんと伸びてしまっていました。
それでも、「合格」だもんなぁ。。。
どういう採点してるんだろうと思ってしまったものです。

まぁ、好きな人だけ、自分に利がある人だけ選びたいなら、こんな採用試験やめてしまえばいいのに、と素で思ってしまいます。
試験とシンプルな面接だけで決めるとしてしまえば、教員なら教員にふさわしい勉強が学生時代にできるのになぁと考えます。

全ては、不採用者のひがみですが、いろんな意味で「あたりまえ」なことがニュースに取り上げられ、一部のスケープゴートが生み出され、真相が闇に葬られるのではないかと思い、それも仕方ないと思ってしまう自分がいることに、ちょっと嫌気がさしています。

IPS勉強会報告

住吉病院で、月1回のペースで開催されている「IPS勉強会」。http://blog.cabrain.net/CN010030/article/id/25662.html



第3回が先日開催され、私Iyokiyehaが発表してきました。
以下、使用した資料を掲載しておきます。
このブログの2007年11月4日投稿分を編集して作成したものとなっています。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2007/11/200469.html



なお、個人情報に触れる部分については割愛させていただきますので、ご了承ください。


初めに、勉強会の意見交換で気づいた点、学んだ点、実感した点というのは、以下の通りです。


■日本で現在展開されている、公的サービスとしての職業リハビリテーションは、財源の関係もあるためか、「事業所が障害者(手帳保持者)を常用雇用するため」のものとして位置づいている。一方で、IPSは、「当事者のリカバリーを推進する」「就労支援は、医療の一貫として実施される」プログラムとして位置づいており、両分野が連携を図るためには、この立ち位置の違いに気づくことが前提となる。
■本人のアセスメントに関して。現在、障害者職業センターなどで実施されている職業評価に意味がないとは思わない。しかし、精神障害者の多くが持つ特性として「応用が利きにくい」ところがある以上、保護的な環境下で身につけたスキルが、実際の就労現場で活かしきれるとは限らない。その点、IPSプログラムにおける「現場でのアセスメント」は、まず「できる・できない」が明確となることで、非常にシンプルなアセスメントであるといえる。
■一般就労の捉え方。IPSでいうところの「一般就労」は、「competitive(競争的)」就労の訳である。つまり、資料の通り「同じ職場・部署内に健常者がいること」と「最低賃金以上の賃金が確保されること」が、その条件とされている。一方で、日本における「一般就労」は、「福祉的就労」と対比する概念としての言葉として捉えられている。厳密な定義は定かでないが、敢えて条件をつけるのであれば「雇用契約を結ぶこと」「週20時間以上の労働」「常用雇用(期間の定めがない、またはそれに準ずる雇用契約)」である。この用語についても、医療機関、精神保健福祉機関、職業リハビリテーション機関とが連携する場合に、誤解を招きやすい。
■図に示したように、IPSの守備範囲(就労支援可能な範囲)は、職業リハビリテーションのそれを含みつつ、もっと裾野が広く、これまで就労支援プログラムには参加できないと判断されていたようなクライアントに対しても、その人に「合った」、ニーズに基づく就労を検討することができる点において、精神障害当事者の視点に立てば、職業リハビリテーションよりも利用しやすいプログラムであるといえる。
■事業所の視点に立ったときには、そのクライアントを「雇い入れるメリットがある」働き方を模索する必要がある(「お願い」視点だけでは、限界があり、事業主にも負担がかかる)。日本におけるIPSが批判される点として、「アメリカにおけるキャリアの考え方と日本におけるキャリアの考え方に違いがあるため、広まらないだろう」という論調があるが、その点についても再考が必要であるといえる。
■上記について、具体的には地域のイベントに当事者が積極的に参加していくことにより、地域住民や地元の事業所に理解を広めていくという手が考えられる。地縁の残る山梨県という地域であるがゆえに検討できる方法だろう。イベントにおいて雇用関係が結ばれなくとも、まずはその存在を認識してもらい、その活動成果により正のイメージを広めていく、そしてIPSにおける「一般就労」に照準を絞り込み、一定期間であっても収入を得ることができるのであれば、当事者のリカバリーは促進されるように考えられる。結果として、段階的に常用雇用を目指す当事者が、適切な力をつけて職業リハビリテーションサービスを利用することになるという、青写真を描くことができる。

この地点において、具体的に精神医療保健福祉分野と、職業リハビリテーションとが連携する可能性について、考察することができました。
ご意見・ご感想あれば、コメントお願いします。


以下、当日の資料を掲載します。


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○IPS勉強会(第3回) 2008/07/30

第6章「IPSの概要」
1.IPSの基本的な考え方
(1)IPSでは、
 就労=治療的なもの
   =ノーマライゼーションをもたらすこと
   =治療・援助プロセスの不可欠な一部
(2)IPSは、
 一般の地域社会で、精神障害のない人と一緒の職場で共に働くことが、
 ①クライアントの生活の質を高め、
 ②健康を増進させ
 ③スティグマ(烙印・汚名・不名誉…、?)を軽減する
 という考え方を基にしている。
(3)IPSにおけるアセスメンとは、
 「伝統的な評価・査定方法」(標準化されたテスト、ワークサンプル、準備訓練)を含まない
 その代わり、
 ①本人との会話の機会
 ②(本人の許可を得て)家族や前の事業主から情報収集する機会
 ③IPSチームの他のメンバーと相談する機会
等、様々な情報源から、情報を得て、クライアントが仕事に就くのを助けるために、最善と思われるプランを作る。
 ※仕事を得るための最適なアセスメントと訓練は、「ともかく仕事に就くこと」
  =地域社会で通常の仕事の経験を積むことに基づいて行われる
(4)IPSプログラムにおける「離職」は、
 失敗ではなく「すべての就労経験が肯定的に捉えられる」

2.IPSにおける「支援」の概要
支援は、クライアントが「働き続けるため」に提供される、例えば・・・
-医師は、クライアントが職場で働いている状況を基準に薬剤調整をする
-ケースマネージャーと心理臨床家は、職場での対人関係の難しさに対応するためにクライアントと話し合う
-就労支援スペシャリストは、事業主と連絡をとり、
  ①通勤の手助け
  ②仕事の進み具合を見直すために、仕事の後クライアントと会う
-就労支援スペシャリストと他のメンバーは、情報を頻繁に交換更新する




(別表:IPSと職業リハビリテーションとの違い)


(図:クライアントの安定度と、職業リハビリテーション、IPSの守備範囲)

○まとめ
(キーワード:IPS=医療の一部、アセスメント、一般就労)
IPSプログラムをもっとも特徴付けているのは、それが「医療の一環」として実施されることと言える。本人主体で、かつ本人ニーズに寄り添った就労を実現することにより、本人がエンパワメントされ、病状も改善し、結果として「リカバリー」に近づくことができるという。本書5章の記述により、科学的根拠も示されている。
 この点が、「経済社会で能力を発揮する権利を保障」する従来の職業リハビリテーションの考え方と大きく異なる点であるといえる。職業リハビリテーションの現場において、「(一般就労はまだ早いので)福祉的就労や施設利用」を進める場合があるのは、この経済活動に適応できるか否かという点を職業評価により判断した結果に基づいている。
 また、IPSプログラムにおけるアセスメントは、伝統的な検査を実施しないことによって特徴づけられる。しかし、アセスメントを実施しないわけではない。「職業能力」を把握するための方法が異なるだけであるといえる。むしろ就労前におけるIPSのアセスメントは、ありとあらゆる情報源からの「聞き取り」によって実施されるため、どのように情報を獲得し、面接時などにどのように先方に本人の能力を説明するか、という点が興味深い。
 さらに、「一般就労」の内容を厳密に見ていくと、職業リハビリテーションが準拠する行政用語としての「一般就労」の意味と、IPSプログラムにおける「一般就労」の意味は多少異なっていることがわかる。より条件が厳しいのは前者であるが、このことは現在日本で実施されている職業リハビリテーションの財源が、主に事業所が納める雇用保険と納付金であることに由来していると考えられる。

 働くことによって、生活の秩序を取り戻すなど、リハ効果が高まるという点は、職業リハビリテーションに携わる立場としても、同様の実感を持っている。よって、職業リハビリテーションとIPSとは対立する概念ではなく、またそれぞれの対象者像がはっきりと区別できるわけではないといえる。本人のニーズにより、どちらのプログラムを利用したいかということについて、選択肢を提示することができる環境を作ることが、社会復帰を検討する上で理想的な環境であるといえる。
そのためには、精神保健福祉に携わる方の支援メニューとして「就労支援」を組み込む発想と、職業リハビリテーションに携わる者の発想として「就労が医療の一環としても有効である」という考え方を持つことが重要であると考えられる。その上で、本人が正しい情報を得て考えた「真のニーズ」をいかに引き出し把握するか。このことがプログラムを問わず本人の就労を支える上で重要となる。

(ここまで)---