2008年9月29日月曜日

キャッチコピー

自分の仕事を一言で表すとどうなるか。
まっすぐ対象となる相手に伝わる表現で、自分がやっている仕事を表現する。
山梨に赴任して、当事者を前に話す機会が増え、30回くらい業務説明をしただろうか。
そのたびにしっくりこない説明をしてきたが、とりあえずの到達点はここ。

「がんばるあなたの道標」
「がんばるあなたを応援します」

なんか、「支援」という言葉を使いたくなくて、それに障害うんぬんも言いたくないし。
要らない言葉を削ぎ落として削ぎ落として、本質と思うところを残したら、今のIyokiyehaに残ったのは、こんなキャッチ。
実際に使うときは、この頭に「働く」とか「仕事」といった前置きがあるわけだが。

就職を目指すのは、私ではなく「あなた」。
私にできるのは、それをうまく進めるための道案内。
そんな立場なんだろうね、きっと。

まだまだ磨いていきます。
どうぞ、コメントください。

2008年9月28日日曜日

一人暮らし再開

先週、嫁さんが出産のため里帰りをしたので、山梨に返ってきてから一人暮らしが始まった。
感想、「大変、面倒くさい」。

予想はしていたけれども、家のことをやると、こんなに自分の時間がなくなってしまうのかと実感。
一人暮らしをしていた岡山時代、よくもまぁリズムを作っていたなと思う。
今よりも、帰りは遅かったですし。
習い事は少なかったけど。

今まで、嫁さんがいたから早寝早起きが阻害されていたと思っていたけれども、そんなことはなく、一人になっても家のことをしなきゃいけない分寝る時間は遅くなるし、早起きするのはそもそもしんどいことだということが、身をもってわかってきた。
ただ、今の私には、それでも宿題はあるわけで・・・

一週間停滞したPSWのレポート。
今週から再開です。
一日1時間を目標に、たとえ30分でも時間を作って取り組むことにします。

茂木健一郎『脳を活かす仕事術 ――「わかる」を「できる」に変える――』PHP研究所、2008年。

気鋭の科学者による、よりよい仕事をするための意識の持ち方や具体的な行動について、脳のしくみを交えて説明する一冊。
前著『脳を活かす勉強法』の実践版のような位置づけだろうか。
脳のしくみが説明されているとはいえ、非常に平易な表現でまとめているからか、専門的な知識がなくても読み進めることができて面白い。
茂木氏の表現は、メディアへの露出が増えてから、よりわかりやすいものとなったように思う。
専門書ではなく、一般書だからかもしれないが。
あと、今回思ったのが、茂木氏は「脳科学」を超えたところで、枠にとらわれずに活躍する学者であるということ。

普段、自分でもあまり意識せずに「大切だ」と思っていることが随所に盛り込まれていた。
例えば、「感覚系と運動系のバランスをとり、入力・出力のサイクルを回す」とか、「スケジュール管理の方法と目的」「デブリーフィングによって整理する」など、私がIyokiyehaとしてこのブログを書き続けているのも、思ったことをメモしたり、考えたことの到達点を「とりあえず」出力するためである。
特に、身体を動かすことによって脳を働かせるという、本著を貫いている考え方については、これまで私も経験則のみでそう考えて意識的に取り組んできたことであるが、脳の働きとして説明されていたこともあり、自分の考えを確認するいい機会にもなった。
※本ブログ「身体」タグは、合気道のことばかり書いているが、身体機能をあえて文章で出力することによることの意味を探っている。

Iyokiyehaは、仕事においても、手書きでぐしゃぐしゃと考える癖がある。
他人から見たら、よくわからないことを図示するわけだが、この過程は私の脳をフル活用する上で、大切なことであることがわかったいい機会であった。
「手が教えてくれる」と言うと、皆ぽかんとしてしまうが、これは事実だと思う。


おすすめ度:★★★★★

2008年9月23日火曜日

ウチの畑とご近所

意外と広い実家の畑。
父親が言い出して、母親が手入れするという、予想通りの展開になってますが、二年目になって収穫物も増えてます。
人の手を加える必要について、以前学んだことがあったけど、身近にあるとやっぱり違うね。静岡勤務になったら少し手伝おうかな。
写真はとらなかったけど、振り向いた時に、実家隣の公園が目に入りました。
草ぼうぼうで、砂場はネコジャラシの王国でした。
子供が遊ばない公園って、こうなっちゃうんだなと、しみじみしてしまいました。

2008年9月22日月曜日

中西圭三『Moonlight Groove』パイオニアLDC、1999年。

もう、10年くらい前に発売されたアルバム。
もともとバラードを歌い上げることに定評のあった中西圭三が、一時ポップな曲に傾倒してから、再度バラードに戻ってきた頃のアルバム。
10年経っても、全く色褪せていないのに驚きました。

学生時代の、いろんな「つまづき」を思い出させる、個人的に思い入れのあるアルバムです。
この人の歌う「LOVE」は、男女の恋以上、世界平和未満の、普通の人が感じられる少し高尚な「愛のカタチ」のように思われます。
私が背伸びして、ちょっと手が届くような人の心情を歌い上げているから、今でもぐっとくるように感じる。
ファン以外の人は、あまり知らないアルバムだと思いますが、大らかなバラードを欲している人には、おすすめの一枚です。
個人的には、『Night Flight』『HIGHER SELF』『体温』が好きです。

おすすめ度:★★★★★

勝間和代『効率が10倍アップする新・知的生産術 ――自分をグーグル化する方法――』ダイヤモンド社、2007年。

現在は、経済評論家として活躍する勝間氏の著書。
次々と新刊を出版しているので、どれが最新かよくわからないが、目に入ったのでとりあえず取りかかりとして読んでみた。
やはり、これだけのアウトプットをしている人だけあって、参考になる部分が随所に盛り込まれている。
もっと良質な情報を、もっと効率的に、取り入れ、生み出すことを考えている人にとっては、非常に参考になるノウハウが詰まっていて、かつ自分を振り返るいい機会になる本だと思う。
特に、「耳から」の情報収集については、個人的にもiPodを買ってからいくつか試しているところであるが、もっと多彩なコンテンツが出ていることを知るいい機会になった。
出張時のお供に使おうと思う。

Iyokiyehaを知る人は、知っているかもしれませんが、私はいつも何かを読みたい人です。
今の仕事を始めてから、「出張の移動中に何とか勉強できないものか」と考えて、iPodを使うようになりました。これは、雑誌『Foresight』で誰かが紹介していた方法。
世の中にはいろんなコンテンツや便利なものがあると思っていたところに、この本です。
AudioBookは、さっそく試してみようと思っています。
私の専門分野の内容が電子化されることは、おそらくないと思いますが、その周辺領域をもっと良質な情報をもっと効率的にどんどん吸収したく思うところです。
他にも、自分に投資する発想や、情報処理について空・雨・傘の分類、ピラミッドストラクチャー+MECEによる情報の分類・階層化といったくだりは、Iyokiyeha自身の情報処理を見直し、さらに深めていくために有用な「軸」であると感じた。


おすすめ度:★★★★★

「No!」と言「わ」ない、日本人

先日、後輩に言われて思い出したこと。
果たしてIyokiyehaは、仕事のし過ぎなのだろうか?
結論から言えば、答えは「No」である。
まだまだ仕事したいし、まだまだ仕事ができる。

Iyokiyehaが「疲れている」と言うときは、大体以下の3つの状況である。
1.作業量だけの成果がでない、不毛な作業に取り組んでいるとき
2.突発的なことに追われて、作業が予定通りに進まないとき
3.がんばってもどうにもならない状況に置かれたとき
仕事もプライベートも、上の状況に置かれたとき、Iyokiyehaはどっと疲れが出るし、イライラしてくる。
超過勤務が続いて、肉体的に疲れていることはあるけれども、私の仕事は取りあえず頭が働いていれば何とかなる、そんな仕事です。
残業は、疲労常態化の直接の理由にはならないわけで。

個人的には、結構仕事を選んでますしね。
私が一生かけて追っていくテーマでもある、Social Actionに、少しでも触れていることであれば、どんなに忙しくても、どんなにくたくたに疲れていても、モチベーションで乗り切っているつもりです。
ただ、最近そういう「栄養」が少し足りないなと思いつつあるところです。
いや、時間割いてでも行きたいところには、仕事休んでだって行くし、逆にどうも緊急性も重要性も低いような仕事については、思いっきり手抜きするようになりました。
今後も、こんな傾向は強くなるだろうなと。

だから、ご心配にはおよびません。適当に、付き合ってやってください。

2008年9月21日日曜日

Iyokiyeha流グループワーク運営

学生時代から、グループワークを運営する機会には恵まれてきたIyokiyehaであるが、何となくやってきたことが、最近言語化できたので、現段階の到達点に錨を落としておく。

Iyokiyehaがグループの司会やファシリテーターをする際に、「一応」注意していることがある。
1.必要に応じ、役割を使い分ける(司会、FT、講師、オブザーバーなど)
2.落としどころは、あらかじめ準備するが、可変とする
3.グループのニーズによってテーマを微調整する
4.全員に「必ず」しゃべらせる
5.主役の有無はともかく、批判は基本的にしない
こんなところだろうか。
要するに、「全員参加」で「その場の雰囲気」を大切にしている。

1~3は、Iyokiyehaのリーダーとしての力量と、構成するメンバーの力量やモチベーション、ニーズにもよるところなので、まだ完全に説明できないが、以下4,5の「枠組み」に関することを記録する。

4.は、大学院時代に参加した研究会の席上で、当時のボスが30人程度の勉強会を切り盛りしていたときに「必ず全員に発言させる」ことにこだわっていたところから学んだものである。
妥当な理屈をつけてみるならば、まず発言を通して「場に参加している」意識を持ってもらうことができる。
ただの自己紹介ではなく、+αをつけてもらうのがコツだと思う。
基調講演やテーマがあるのならば、それに関して「今思っていること」や「感想」など、人から評価されにくいことを発言してもらうことをよくやってもらう。
後述するが、「人に批判されない」場において、自分の考えを話すことは、ことのほか参加意識に結び付くものだと思っているし、運営側からすれば、人の数だけの考えが場に出ている状態というのは、他の情報と結び付けたり、積極的に発言しない人に話題を振る格好の材料となる。

そして5.である。
Iyokiyehaは、個人的に「意見交換」の時間に一人ひとりの発言に対して検討するスタイルを好まない。
参加している全員が「今日は○○を学んだ!」と思ってもらえるような、考え方の「型」や意見を集約できる「論」や「実績」を提示し、目標となる「理想の形」を全員で追求する場とするスタイルを好む。

グループワークが継続し、そのグループに「何でも言い合える雰囲気」ができあがったり、ちょっとしたきっかけによって、グループダイナミクスが働いている場合は、時間を決め、個別検討のやり方を使うこともあるが、基本的には仕掛けない。
なぜか?
理由は3つある。
一つは、場が暖まる前と後とで、やりとりの量や質に差が出てくる。
「何となく不公平感」が出てしまうことが往々にして起こりうる。
グループ運営が上手い人だと、そうならないのですが、あまりそういう人に会ったことがないのは、Iyokiyehaの経験則である。
二つには、発言機会の多い人の意見が優先されてしまうこと。
こういう形式が得意な人、苦手な人がいる中で(Iyokiyehaは、割と得意だが)、苦手な人の意見や考えというものが、軽視されやすい形式になってしまう。
更に言えば、よく発言してくれる人の暴走を止めにくいのも、この形式の短所である。
三つには、意見交換が批評の場になりかねないこと。
一人の発言や成果物を基に、それぞれの意見を交換するスタイルとなると、意外と「○○はもっと■■にした方がいい」といった発言になりがちである。
これが意外と曲者で、発言する方に何の他意がなくても、発言の対象となった側は意外と「言われた感」が残る。
受け止め方が違うので、例えばIyokiyehaみたいな人間にはスリリングな方法であるが、多くの人は発言しにくい上に、何か評価されてしまった感のある形式となってしまう。

Iyokiyeha流は、このあたりに対応する形式になっている。
まず、全員に発言してもらい、参加意識を持ってもらう。
同時に、グループを構成するメンバーの意見とニーズを大雑把に掴む。
次に、テーマとなる軸や考え方を提示する。
「よりよい」ものを追求するための意見交換を行う。
この際、意見の分類は運営側による。
ここで重要なのは、特定の人による「たたき台」ではなく、グループのたたき台が提示され、それに対して全員が検討するという形を作ることである。
なぜなら、個人攻撃になってはいけないからだ。
そして、全員の外側にあるたたき台を通して、メンバー間の発言頻度を調節することができる。
こうしてできあがった、時間内での理想像と、各人のたたき台を比較し、各人の学びを確認する。

全員参加、全員が前向きに、自分の意見が尊重されるグループワークが、Iyokiyehaの理想です。
とりあえず、ここまで言語化してみました。
先日、所内でちょっとした研修をやる機会があったので、そのふりかえりです。
お世話になった方々および、資料が送付された方等中心に、参考まで。

乱暴なケアマネジメント?

PSWの養成課程の中には、精神科のリハビリテーションに関する科目も置かれている。
現職の研修でも「ケアマネジメント」は学んできたところだが、現在精神科リハビリテーションで注目されているACT assertive community treatmentとの関連でケアマネジメントについても再度勉強しているところである。
普段、業務の中で自然と実施しているところの「ニーズ把握」と「社会資源への接続」であるが、この考え方は支援者の考え方や立場(?)によって、随分異なる実施となっているような気がしてならない。

個人的なところを言えば、Iyokiyehaはまだ手探りで業務をやっているところなので、機能を「見ていない」資源への接続については、訪問を原則として、少なくとも連絡により説明を受けてからクライアントを紹介するようにしている。
もちろん、ニーズに関する聴き取りは、できるだけ「自分で」した上でのことである。
おかげで、本来業務とは違う、周辺活動にかなり業務量を裂かれてしまっているわけだが、私の勤務地の現状を考えると、この部分を丁寧に実施しないことには発展が望めないと見立てた上で、所属施設の意向とは多少の食い違いを生みながらも、主旨には反しないことをしているつもりだ。

だから、というと「訴え」になってしまうが、クライアントをたらい回しにする対応には、疑問を持つし時には専門職の力量を疑ってしまうこともある。
最近思うことは、この言葉に集約できた。

「調整」の抜けた「情報提供」は、誰のためにもならない責任放棄である。


山梨に赴任してきてから、よく対応するケースに、クライアントが資料のコピーをたくさん持って「ここでは何をやってるんですか?」と質問してくるものがある。
もちろん、個人的な興味で自ら調べてきたとか、通りかかったとかそういうことなら、「飛び込みクライアント」としてきちんと対応するケースである。
しかし、実際そうなっていないところに、時に憤りを覚える。
「就職の相談なら」「訓練してくれる」「仕事の支援をしてくれる」こういったいわば「都合のいいように、どうとでも解釈できる」言葉を添えてパンフレットのコピーを持参させるケースが後を断たない。

本人はよくわからなくて混乱するし、対応する我々は「主訴不一致ケース」の対応に追われる。
紹介した側は「他機関紹介1件」で実績となる上、自施設で対応困難なケースを手放せるという、なんともWin-Loseな関係である。
中には、ウチに対するクレームになるケースもあり、非常にやっかいである。
そんな悲劇にならないまでも、ケアマネジメントの原則を忘れず、責任もって仕事をしたいものである。
さらには、こうした風潮を打破すべく手を打つ必要があると思うのだが、さて、どうしたものだろう。少なくとも「担当者が変わる」ことに起因させてはいけないような気がするのだが……

2008年9月15日月曜日

細谷功『地頭力を鍛える』東洋経済新報社、2007年。

雑誌『TOPPOINT』で、2008年の上半期でランキング上位に入っていた書籍。
現代を生き抜き、リードしていくための思考力を「地頭力」と名付け、「結論から」「全体から」「単純に」考えることを本質として説明している
さらに、この思考力は訓練によって鍛えることができるとし、そのための強力なツールとして「フェルミ推定」を取り上げる。
上記3つの思考力をそれぞれ「仮説思考力」「フレームワーク思考力」「抽象化思考力」とし、そのベースとなるものとして「論理的思考力」と「直観力」、そして全体の基盤となるものとしての「知的好奇心」を、本書で説明している。
課題へのアプローチに関して、その考え方の過程を通してそれぞれの力を説明しており、本書全体が「地頭力」に基づく論理構成(「結論から」「全体から」「単純に」)となっているのが、非常にわかりやすく、面白い。

個人的に、単純暗記物が苦手だったこともあり、従来の「知」のあり方とは違う方向へ自分の力を伸ばそうとしてきた経緯がある。
それがこの「地頭力」と完全に重なるわけではないこともわかったわけだけれども、地頭力のベースとなるもの(論理的思考、直観力、知的好奇心)は、少なくとも私が大切にしてきたものと大差ないことは確認できた。

さらに、論理的思考は、万人に理解されるためのものであり、「誰が見ても一貫してつながっている」ということがその特徴としてあげられる。
直観力が、自分の知識や経験を総動員して大胆な仮説を立てるための「攻め」のツールであるとするならば、論理的思考は万人に理解されるための「守り」のツールである。
どちらがいい、悪いではなく、両輪があって初めて地頭力を支えることができる。
もう一つ深めると、知的好奇心に関しても「問題解決に関する好奇心(Why型)」と「知識に対する好奇心(What型)」とに分類でき、前者は有益だが、後者は時に有害にもなりうるということが新鮮だった。

特に勉強になり、すぐにでも意識しなければならないこととして、「全体から」考える際の原則「もれなくダブりなく(MECE: Mutually Exclusive Collectively Exhaustive)」という点と、この分類をうまく実施するために利用される「狭義のフレームワークツール」である(p.143-144)。

インターネットの普及によって、従来の「知的作業」とは異なる、次代を生き抜くための知恵を使う能力「地頭力」について、概要をわかりやすく説明した一冊。
おすすめです。


おすすめ度:★★★★★

中西圭三『I’m home』バップ、2008年。

日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」エンディングテーマ4曲と、新曲「光のかけら」を収録したコンセプチュアル・ミニアルバム。
番組を観ていないので、確認はできないのだが、春夏秋冬を季節毎に歌っていたらしい。
中西圭三は、バラードやミドルテンポを歌わせたら、本当に見事だと思う。
番組のテーマっぽい「旅」や、「街」を散りばめた詞が、中西サウンドにのって流れてくる。

久々に音楽のレビューをしてみた。
中西圭三は、中学生の頃から聞いているので、いろんな活動に注目はしているのだが、オリジナルアルバムを出したのは、久しぶりだと記憶している。
岡山時代、休日に『遺伝子』を聞きながら本を読んでいたのが、ちょっと懐かしい。
近年は、自分で作詞・作曲するようになって、ますます中西サウンドに磨きがかかったように思う。

「ぶらり途中下車の旅」はあまり観たことがないので、本当に番組に合っているかどうかについては、確認しようがないのだけれども、ちょっとローカル線の各駅停車に乗っているかのような雰囲気をかもし出しているのは、この人の「うまさ」だと思う。
新曲「光のかけら」は、「ぶらり~」の主題歌ではないと思うが、今を生きることを綴った歌を歌わせると本当に「うまい」と思う。
しっかりと地面に足をつけて生きていこう、日常をいかに楽しいと感じられるかが本当に大切なんだということを、改めて感じさせるいい歌です。

もちろん、おすすめ度は「ファン評価」です(笑)。


おすすめ度:★★★★★

時系列と同時性:神懸っていた事

何かが同時に起こる。
それを俯瞰してつなげるのは、人間の仕業。
「布置」というらしい。

時に、「神懸っている」と思わせることがある。
ここぞというタイミングで、これしかないってくらいのことが起こる。
例えば、卒論提出日の提出後に祖母の訃報が届いたり、就職に失敗してどん底で実家に引き上げてきて実家に単車を止めたら古巣となる組織の方から電話がかかってきたり(Iyokiyehaの実話です)、人生には様々な「偶然という必然」と言えるようなことが起こる。

ただ、まぁ、よくよく考えてみれば、各々が好き勝手なことをやった「結果」が、たまたまいいタイミングだっただけで、それ以上でもそれ以下でもないような気もする。
だって、その渦中にある時は必死で、それを俯瞰する余裕なんてないことがほとんどですし。

Iyokiyehaの立場は、「神様はいてもいなくてもいい」。
仮に神様がいたとして、気が向いたときに、気が向いた人の人生にちょっと手を出して、楽しんでいるのかもしれないし、それはそれでいい。
逆に、神様なんかいなくて、ドライにそれぞれのことが偶然重なった結果かもしれない、それはそれでいい。
運のよさ、みたいな数値化できない尺度はあるような気もするけれど、生まれたときから運命が決まっていると言われても仕方がないと思う。
いろんなことが、自分の人生の周辺に漂っていて、それが自分に近づいてきた時に、それに触れられるかどうかというのが、「偶然という必然」が起こるか起こらないかの境界のようにも思う。

うーん、書きながら、全くわからなくなってきたぞ。

先日、師匠と話をしたことは、こんなことだったような、こんなことではなかったような、そんなことすら混沌にたたきこんでしまった気分です。
次にIyokiyehaの意識に立ち上がってきたときが楽しみです。
個人メモで失礼しました。

2008年9月11日木曜日

GIFT おくりもの

-gift(名)1:贈り物、寄贈品、みやげもの。2:天賦の才能。3:与えること、贈与。4:簡単にできる事(もの)。(動)<人>に<物>を贈る。<才能などに>恵まれている。

まっとうな仕事についてから、見えない価値というものをよく考えるようになった。
たとえ、そこに「物」が介在していても、いなくても、目に見えない「価値」が必ず存在することは想像に難くない。
カタチのない、いわばpricelessなものが、カタチのある値打ち物よりも「価値ある」とは言えないし、そもそも「どちらが?」などという問い自体が愚問だと思う。

例えば、雑談の中でたまたまIyokiyehaがあることをひらめいて、その御礼をしたくなるのは当然のことだと思ってしまうし、そこにはオモテもウラもない純粋な「御礼」が存在する。
相手に伝わるかどうかは、全く別として。

先日、合気道の練習中に師匠と話をしていて、「Iyokiyehaは、聞き上手だなぁ」との感想をもらう。曰く「一時間5,000円くらい払ってもいい」なんて冗談まで飛び出す。
悪い気はしないが、私としても師匠と話をすることで得るもの、気付くことがたくさんある。例えば、今年に入って、また一皮むけた感じがする、など。
(この件は、また後日整理してアップします)
もちろん、御代はもらいません。
Give and Takeですから。仕事じゃないし。
こんなGIFT(いろんな意味を込めて)もあるんだなと思う。

一方で、「物」を介在したGIFTもある。
以前、友人から突然贈り物をされたことがあったことを思い出す。「贈り物」なんて書いてしまうとちょっと大袈裟かもしれないけれども。
「何で、こんなもん?」という問いに対し、「なんとなく」。
当時は、全く理解できずに感謝していたものですが、それでいいんだなと最近は思えるようになってきた。

裏心あれば、絶対何かで見破られます。
それが全くないGIFT、意図するものもしないものも含めて、その人が内側から変わる力を刺激するような「贈り物」を、常に発していたいと思う、今日この頃です。

2008年9月10日水曜日

足で崩す

合気道で乱取りをやっていると、覚えた(型通りの)技は単発ではかからないことがよくわかる。
「くるな」と思えば、相手の技が発動してからそれがかからないように動くことで、相手の技をさばくこともできる。
バランスを崩していると、話は別だが。

この「バランスを崩す」がポイントで、師匠の動きを見ると、相手の肘を持って押し込んだり、引いたりと、いくつかの動きを組み合わせて、自分が技を出しやすい体勢に相手をコントロールする。
この「崩し」も難しいところで、上半身(腕や手)を使って押したり引いたりすればいいかというと、そうでもない。

師匠曰く「相手の肘とかに、自分の手を『ひっかけて』、足を動かすことによって力を伝えていく」とのこと。
なるほど「移動力を伝える」というのは、こういう小さな動作にも通ずるものかと。
やってみると、なるほどと思う。まだまだ無駄が多い動作だけれども、感覚は味わえた気がする。

2008年9月9日火曜日

森博嗣『スカイ・クロラ ――The Sky Crawlers――』中央公論新社、2004年。

映画化された小説。
裏表紙には「戦争を仕事に永遠を生きる子どもたちの寓話」とある。
小説ゆえに、変に評価するのはおこがましいが、小説全体を貫く「淡々とした描写」と「一人称視点により表現される心理描写」が、何ともいえない雰囲気を作り出しており、なぜか、この世界にぐいぐいと引き込まれそうになる。

率直な感想を言えば、「面白いけど、何か物足りない。そして謎が解けないもやもやは残る」とでも言えるだろうか。
映画のCMでも引用されるあたり、ボーリングをしている主人公カンナミが思うこと。

ボールの穴から離れた僕の指は、
 今日の午後、
 二人の人間の命を消したのと同じ指なのだ。
 僕はその指で、
 ハンバーガーも食べるし、
 コーラの紙コップも掴む。
 こういう偶然が許せない人間もきっといるだろう。
 でも、
 僕には逆に、その理屈は理解できない。
(245~246ページ)

こういう描写が随所に散りばめられており、ちょっと変わったカンナミの思考は、そのまま否定することが何だか後ろめたいようにも思える。
いろんな意味で、別世界へ連れて行ってくれるような小説だと思う。
「キルドレ」とは何なのか、他の登場人物は何を考えているのかといったことについて、充分な描写がなく、それがまた「スカイ・クロラ」ワールドを独特なものにしているようにも感じられる。

個人的には、謎がすっきりする小説が好きだけども、森氏の他の著書も読んでみようと思わせる小説だった。


おすすめ度:★★★★☆

2008年9月7日日曜日

腰が動く力

8月下旬から、合気道を再開しているのだが、少しずつ身体を慣らしていく過程で感じた身体感覚がある。
それは、人間の「移動エネルギー」は、「腰」が最も効率がよいということになるのだろうか。
言語化がなかなか難しいのだが、師匠と手刀合わせをしていて感じたことである。

お互いに手刀を合わせて、相手を押し込んでいく稽古がある。
その時、手刀の形を維持することであるとか、正中線を保つとか、いくつか気をつけることはあるのだけども、それらを一致させていって、最も効率よく相手を押し込めた時の感覚を言葉にすると、「全身で腰の動きを支える」ということ。

具体的には、全身するときに、足を蹴った力で全身するのではなく、重心が前に移動していくのに合わせて膝をコントロールし、腰の全身を妨げないようにする。
同時に、上半身は正中線と手刀の形を維持し、「膝のコントロールによって開放された腰の移動力を、手刀を通して相手に伝えていく」とでもなるか。

これまでに自分がしてきた動作とは、少し身体感覚が違うので、ちょっと違和感があるのだけども、この身体の使い方を、自らの意志でコントロールできるようになったら、きっともっと強くなれると思う。

「貪欲」という評価

少し前のことになるが、Iyokiyehaのことを「貪欲」と評した人がいる。
自分自身を振り返った時に、私が大切にしていることと、それを一般的な言葉にできなかったことについて、一見聞こえの悪い「貪欲」という言葉を当てはめてくれたこの方には、この場を借りて御礼を言っておきます。

さて、個人的な連絡はさておき(このBlogの目的ではないので)、この「貪欲」について考えてみる。
辞書的な意味では、「どん-よく【貪欲】自己の欲するものに執着して飽くことを知らないこと。非常に欲のふかいこと。仏教では三毒・十悪の一」とある。
仏教的な意味での「欲」が深いかどうかはわからないが、一つ目の意味を思い切り中立的に受け止めれば、大体Iyokiyehaの性格を言い当てているように思う。

意外とこだわり、頑固。
やりたいと思ったことは大体やってみることにしているし、できないことはやらない。
ただ、好奇心は大切にしているので、「とりあえずやってみる」ことの幅は広い。
おそらく、同世代の多くの人よりも知識欲は強いだろうし、こんなBlogを使いながら、仕事に関わらず、いろんなことを考えるのが好き。
考えたことを、わかりやすく表現してみるなかで、新しい世界が広がってくる感覚が、Iyokiyehaにとっては何よりも栄養になっていると自覚している。

これまでやってきたことや、今やっていることを、きれいな言葉でまとめていくことは多分できるだろうけれども、その本質はというと、シンプルに「自分の貪欲さが作ったもの」です。
きっと、これからも「貪欲」に、いろんなことを取り入れていくのでしょう。
だって、自分が変わっていくことや、考えていることを伝えられることが、何よりも楽しいと感じるから。

読書状況080907

<今週の状況>
この間は、結構フィーバーしていたようだ。
雑誌を立て続けに読み切ると、なんだか「活字欲」みたいのが刺激される。
「読み応えのある軽い新書」(爆笑問題など)は、すらすらと2~3日で読みきれてしまうので、読み物としては非常に有益といえる。
自分でも意外なのは『スカイ・クロラ』。まさか、こういう小説をまた読むことになるとは思わなかったのだけれども、映画化されるとか。CMで観て「結構深いかも」と思い、そのままAmazon.comで注文。学生時代の、本の買い方が復活したようでした。
『地頭力…』は、Iyokiyehaが自分自身の成長のために大切にしてきた「好奇心」や、「結果を出すプロセスに焦点を当てる」ことについて、論理的にわかりやすく、かつ「フェルミ推定」という「聞いたことがなかった、とても面白い」考え方をとりあげているのが、非常にわかりやすい。
早いところ、PSWのレポート課題を終わらせて、思い切り読書に耽りたいものです。

○既読
・『Foresight』2008年8月号。
・『Foresight』2008年9月号。
・『TOPPOINT』2008年8月号。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版②』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・太田光、田中裕二、山岸俊男『爆笑問題のニッポンの教養 人間は動物である。ただし…… 社会心理学』講談社新書、2007年。
・篠原佳年、松澤正博『モーツァルト療法』マガジンハウス、1998年。
・松久淳、田中渉『あの夏を泳ぐ 天国の本屋』新潮社、2008年。

○一部
・『週刊ダイヤモンド 2008年8月30日号』ダイヤモンド社、2008年。
(精神保健福祉士通信講座テキスト複数)

○中断

○現在進行中
・『TOPPOINT』2008年9月号。
・『週刊ダイヤモンド 2008年9月6日号』ダイヤモンド社、2008年。
・米内山明宏『DVD付き はじめての手話入門』ナツメ社、2005年。
・茂木健一郎、NHK「プロフェッショナル」製作班編『プロフェッショナル仕事の流儀 あえて、困難な道を行け』日本放送出版協会、2008年。
・松下幸之助『道をひらく』PHP研究所、1969年。
・弘兼憲史著、ラルフ・マッカーシー訳『バイリンガル版 部長 島耕作 新装版③』講談社インターナショナル株式会社、2007年。
・ドナルド・ショーン著、佐藤学、秋田喜代美訳『専門家の知恵 反省的実践家は行為しながら考える』ゆみる出版、2001年。
・PHP研究所編『常に時流に先んずべし』PHP研究所、2007年。
・森博嗣『スカイ・クロラ ――The Sky Crawlers』中央公論新社、2004年。
・細谷功『地頭力を鍛える』東洋経済新報社、2007年。

2008年9月6日土曜日

精神保健福祉論(草稿)

1.はじめに
 精神科病院では、患者の持つ疾患の特性上、必要に応じて患者本人の意思や希望に反する強制的な医療行為や行動制限が実施される場合がある。
 本稿では、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下、「精神保健福祉法」)に規定されている、本人の同意なしに実施される可能性のある医療行為と行動制限を確認し、それぞれについて用意されている法制度上の配慮をまとめる。なお、本稿において法律を特定しない場合の条項番号は、精神保健福祉法を表すこととする。

2.精神科病院における強制および行動制限
 精神保健福祉法には、場合により本人の同意なしに行われる医療行為として「強制入院」と「行動制限」が規定されている。
(1)強制入院
①退院制限(第22条の4第3項、4項)
任意入院した精神障害者の退院申請に対し、指定医が入院を継続する必要があると診察する場合、72時間に限り退院を制限できる。なお、「特定医師」の場合は、12時間とする。
②措置入院と緊急措置入院(第29条、同条の2)
指定医2人以上の診察の結果、その者が精神障害者で、かつ、入院させなければ自傷他害のおそれがある場合に、都道府県知事はその者を精神病院に入院させることができる(措置入院)。また、上記手続きを採れない場合、指定医の診断により72時間に限り入院させることができる(緊急措置入院)。
③医療保護入院(第33条)
指定医による診察の結果、入院の必要がある者の内、病識の欠如や判断能力の低下等の理由で、任意入院の手続きがとれない場合、保護者の同意によりその者を入院させることができる。また、特定医師の診察による場合は、12時間に限られる。
④応急入院(第33条の4)
 指定医による診察の結果、緊急に入院が必要な場合で、任意入院の手続きが採れず、かつ、保護者の同意も得られない場合、72時間に限りその者を入院させることができる。特定医師の診察による場合は12時間に限られる。
⑤医療保護入院のための移送(第34条)
 指定医による診察の結果、入院の必要があるとされ、任意入院の手続きが採れない場合に、保護者の同意により医療保護入院させるために、本人を精神病院へ移送することができる。
(2)行動制限(第36条)
 精神病院の管理者は、入院中の者に対し「その医療又は保護に欠くことのできない限度」で、必要な制限を行うことができる。

3.強制及び行動制限に対する配慮
 強制や行動制限は、本人の同意なしに実施される。よって、本人の症状が軽減することや、判断能力が回復する等の状況により、医療の原則である本人の意思に基づく医療行為を受けられるよう、制度上の配慮が用意されている。以下、精神保健福祉法で規定されている配慮事項を説明する。
(1)退院等の請求(第38条の4)
精神病院に入院している者、あるいはその保護者は以下を求めることができる。
①都道府県知事に対し、当該入院者を退院させること
②精神病院管理者に対し、当該入院者の退院を命じること
③精神病院管理者に対し、当該入院者の処遇改善を命じること
 ①の求めを受けた都道府県知事は、都道府県に設置される精神医療審査会に請求内容を通知し、その者の入院措置や処遇について審査を求めなければならない。第三者機関が独立的、客観的判断できるしくみである。
(2)行動制限の制限(第36条2項、3項)
 精神病院では、入院患者の行動制限を認めているが、厚生省告示(昭和63年第128号)に基づき、以下の制限は禁止されている。
①信書の発受
②都道府県及び地方法務局その他の人権擁護に関する行政機関の職員並びに患者の代理人である弁護士との電話
③上記②の者及び、患者又は保護者の依頼により患者の代理人になろうとする弁護士との面会
 また、以下の行動制限については、厚生省告示(昭和63年第129号)に基づき、指定医が認めなければ実施できない。
④患者の隔離(12時間を超えるもの)
⑤身体的拘束
(3)入院時の通知
 精神障害者が入院する場合、精神病院の管理者は当該精神障害者に対し、精神保健福祉法施行規則に基づき、以下のことを告知するよう定められている。
①患者の入院形態に関する説明
②第36条に規定する行動の制限及び処遇に関する事項
③第38条の4に規定する退院等の請求(任意入院の場合は、第22条の4第4項)

4.まとめ
 以上、精神科病院における強制及び行動制限と、それらに関する法制度上の配慮をまとめた。治療に関して不満があれば、その改善を求めることができ、本人が退院を希望すれば請求が可能となっている。また、精神科病院の監視体制も、厚生労働大臣および都道府県によって整えられ、必要な基準も定められている。制度上は、本人の意志と人権を尊重したものとなっている。
 しかし、病識が欠如する、判断能力が低下する等の障害の特性により、治療方針を本人の意志に委ねることが、医療及び保護に有効か、さらには自傷他害のおそれはないか等、現場で判断に迷うことが予想される。
制度的には様々な配慮がされているとはいえ、それを生かすのは当事者と医療従事者一人一人といえる。精神保健福祉士も、支援者の一人として、人権確保のチェック機能を果たせるよう意識したい。



(勉強メモ)
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