2011年5月3日火曜日

線引きと言葉にこだわること

ふと学生時代のことを思い出す。
卒業論文の口頭試問を前に、ある先生からの一言。
「あなたの言う『環境』って何を指すの?」

当時は、適当なことを言ってその場を切り抜けた記憶がおぼろげにあるのだけれども、ものを書く、それも何かを論じるというのは、こういうことなんだろうなと、ある本を読んでいて感じました(書籍の紹介は後日。もう少しで読み終わります)。

確かに「環境」と一言で言ったときに、広義には「自分自身とそれ以外のもの」という定義の仕方もあるし、狭義には「人以外」と見るところもあれば、「自然物」を指して使うこともあります。自分とそれ以外のものとの間に境界線を引くか、人間だけで括ってその外に境界線を引くか、人工物と自然物の間に線を引くか。最後の場合「人」を自然物の中に入れるか独立させるかで、二本目の線を引くとか、様々な意味が考えられます。

ある先生が言っていたのは、この「線引き」がどこにされているのかということの確認だったのだろうけれども、そもそも自分の文書を読んでくれた方がそういう質問を発すること自体、定義が明確でなかったのだろうと察します(でなければ、ただのお試し質問だ)。

当たり前のことで、何をいまさらと思われてしまいそうですが、あらためて大切なことが言語化できたように思います。
どこに線を引くかということは、言葉にどういった意味を持たせるか明確に示すこと。
このことが「言葉にこだわる」ことの真意なのでしょう。