2023年12月31日日曜日

身体の栄養と頭の栄養 231225

  前回のアップで、身体にガタがきているという話を書いたが、休むことといいものを与えることって、一緒にしてしまいがちで実は異なることと実感する。

 Iyokiyehaの場合、仮に休日に身体を一日休めていたとしても、自宅ではいろいろ気になって(大体は何か言われる)、外出しても時間が気になったりして、どうにも気が休まらない。おまけにトレーニングのない一日は、何よりも身体がなまってしまい、そのこと自体に自分がストレスを感じてしまう。

 もちろん、いつも通りの生活に、ちょっと身体にいいものを食べたり飲んだりすることは、自分にとっては心地のいいものだけれども、どうにも私の家族の嗜好とは合わないことが多く、習慣化しにくい。

 何かいいやり方はないか、気軽にできるいい方法ってないかとずっと考えていて、今年はようやく何かしっくりした感じがした。春先にはマメに頻繁に短時間、夏場に数回やってみて、冬になってそれができないことに不満を感じてようやくまとまった。大切なのは、

・雑事に追われないこと

・とりあえず、やるべきことがないこと

・時間に追われないこと

・できればいい環境に身を置くこと(ちょっと観光なんかできたら、最高である)

こうしたことが充たされた時に、インプットの質が変わり、頭も身体もうんと軽くなる感じがある。これは「休む」というよりも、どちらかといえば「リフレッシュ」。能動的に頭の中を掃除しつつ、きれいな・いいものを取り入れている状態といえる。その意味では、休息というよりも栄養を与えることといえる。普段の雑事と時間に追われる消耗感がなく、歩き回れればそれなりに運動量も出てくるし、そこにおいしいご飯や飲み物、スイーツなんかあったら、人はそれだけで結構満足できるんだなと思えたのは、大変新鮮な気づきだったと思う。

 心に余裕が欲しい時、あるいは心に余裕ができたときには、ときどきこういうことをしてみたらいいと、自分に対してそんなことを思う。

合気道 自由技編 231225

  6月の審査で3級に昇級して、茶帯になった。とはいえ、道場の一般部で末席なのは変わらず、それはそれで毎回いい経験とお稽古をさせてもらっている。秋口頃から、休憩時間に受け身のお稽古をやってもらっていて、ようやく飛躍受け身もだいぶ怖くなくなってきた。まだまだ形を整える余地だらけだけど、痛くなくなってきたのでお稽古にチャレンジできる、というのは自分の中での一つの成長といえるだろう。

 以前習っていた昭道館の合気道では、乱取りが当たり前だったので、技のお稽古も割と実践的な動作・流れの中で行うものが多かったのに対し、今習っている錬身会では、型をひたすら重ねていくというお稽古。双方かじっている身としては、初めはどちらにも疑問があったのだけれども、最近になってそれが「ただ、入り口が違うだけ」と考えられるようになってきた。前述した受け身ドリルの中で、自由技をやり始めるようになったから、それが多分間違っていないんだろうなと感じるまでに至った。

 型稽古のよくある質問に「実践的じゃないのではないか?」というものがある。こどもたちがそう感じるのも無理はない。ただ、お稽古を重ねて、錬身会でいえば自由技をやるようになると、これがとても実践的な取り組みとその準備、さらにその研究、ということがわかってくる。そしてその練習を成立・充実させるための受け身の技術、とすれば、型稽古がどれだけ体系的に体術を学ぶことのできるプログラムであるか、ということがイメージできるようになる。連続技になると、技の型を一部崩して、流れを止めない、動きの中で対応し続けることが求められる。そうなると理想的に受けられたときに詰めて詰めて詰めて詰めて抑える、ということではなくて、投げて次、投げて次、大勢いても、投げてかわして投げてかわして、が繰り返される。ここにきて、大変実践的なものであることに気づく。このことに気づくと、連続技をやらなくても、いつもの技の稽古が連続技につながっていることを実感できるし、連続技は型稽古の基盤がないと全く技がかからないことだってありうる。

 錬身会でお稽古を初めて、薄々感じていたことではあるのだけれども、コロナ後、今年の初めに稽古を再会して、最近になって蓋が一気にはじけ飛んだ感じがしている。ますます面白くなってきた。

2023年12月10日日曜日

Blogを更新しました

 pomeraに書きためていたものを一気に公開しました。いろいろ理由はありますが、自宅でパソコンに向かって作業する時間が、ずーっととれなかった、というのが主な理由。ちょっと忙しすぎるんです。最近。慢性寝不足で、身体によくない生活になっています。

とはいえ、毎日のトレーニング、週末のトレーニング、合気道は継続できており、疲労感はあれど、充実しているところもあるかな、というのが最近の様子。仕事は、まぁ、今年度は何とか倒れないように駆け抜けようと思っています。低空飛行でいい。それが多分、今の組織への御礼になると思う。実績とか評価なんかもう興味なし。

生活における仕事の比率が調整されるようであれば、読書に充てたい。鈍な性格な中で判断をしていくには、直感で浮かび上がってきたことを鵜呑みにせずに、もう一回客観視をする必要がある。そのためには、やっぱり良質なインプットが欠かせない。TwitterがXになったり、フェイクニュースや画像や動画の調整が簡単に利くようになっている現在において、その中でも信頼できる情報というのは、ある程度人の目と手が加わったもの、編集やキュレートが加わったものを取り入れていくことが有益であるといえる。速報で動く必要があるならそれを追うのも考え方だけど、仕事も日常生活も、信頼がキーになるというならば、自分にインプットするものも、ある程度の信頼感があるものを、と思う。


Audiobookまとめ(2023年下期)

 ●矢内東紀『Chat GPTの衝撃 AIが教えるAIの使い方』実業之日本社、Audiobook版。

●瀧本哲史『戦略がすべて』新潮社、Audiobook版。

●養老孟司、山極寿一『虫とゴリラ』毎日新聞出版、Audiobook版。

●本郷和人、和田ラヂヲ、横山了一、滝乃みわこ『東大教授がおしえる やばい日本史』ダイヤモンド社、Audiobook版。

●小泉悠『ロシア点描 -まちかどからみるプーチン帝国の素顔』PHP研究所、Audiobook版(原本は2022年出版)。

●谷本真由美『世界のニュースを日本人は何も知らない4 -前代未聞の事態に揺らぐ価値観』ワニブックス、Audiobook版(原本は、2022年出版)。


立川談慶『ビジネスエリートがなぜか身につけている教養としての落語』サンマーク出版、Audiobook版。

  落語は、肩肘張らず楽しんでいい芸能ということが分かる、落語の超基礎文献。落語が聞きたくなるエピソード、基礎知識が詰め込まれた一冊でした。ビジネスエリートかどうかは別として、言葉遊びを楽しむ、教養として身につける、ということも悪くないのだけれども、それをおいておいて、芸能を極めようとしている人、名人・達人の言葉遊び、人情話、教訓話なんかを、おもしろおかしく楽しめる、そんな話が落語だというところを感じ取ることができました。もっと気楽に、もっと楽しく、それでいてためになる、そんな落語。もっと気軽に聞いてみようっと。

オードリー・タン、プレジデント書籍編集チーム『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』プレジデント社、Audiobook版。

  台湾のコロナ対策を、デジタルの観点から率いたオードリー・タンによる著書。インタビューがベースになっているのか、コロナ対策を中心に、台湾の政策やそれに取り組むタン氏の生い立ち、考えかた、ITの位置づけと活かし方を縦横無尽に語る一冊。未来予想の様相もあり、大変感銘を受けた。Kindle版へ移行。

鴻上尚史『青空に飛ぶ』講談社文庫、2019年。

  以前にAudiobook版を紹介した『不死身の特攻兵』のノベライズ版。太平洋戦争末期に、陸軍特別攻撃隊として九回出撃して生還した佐々木友次氏の生き様に触れた中学生荻原友人が、自分の生き方を見いだしていくもの。

 佐々木友次氏の経緯については、先に取り上げた『不死身の特攻兵』に詳しく、その概要版と言える。とはいえ、戦時中の日本軍の言動と、その命令に屈することなく「体当たりするくらいなら、爆弾を投下して帰還する方がいいに決まっている」と、自明の考えを曲げず、時にはしたたかに、とはいえ高いプライドを持ち続けて、9回生還した。この佐々木氏の人生については(仮に多少の誇張や誤解があったとしても)文句なしに面白い。思わず拝んでしまいたくなるほどの迫力と、感動があった。

 一方の荻原友人の物語は、いじめの描写が生々しく、実際に人を苦しませるいじめというのはこういう八方塞がりになっていくものなのだろうなと、気持ち悪くなるくらいであった。気づかない両親や教員、エスカレートするいじめ、クラスでは傍観者でもSNSでは気流に飲まれていじめてくるその他大勢のクラスメート、そして事実を告げられない閉塞感。他の読み物では、助けてくれる大人や友人がいて、救い出してくれたり、反撃をしたりしそうなものだが、(以下、一言ネタバレ)結果「逃避」というのが、また生々しい。実際には反撃なんかできないケースだってたくさんあるんだろうから、現実起点の物語として、この結びはちょうどいい感じだと思った。


■以下引用

96 身はたとへ南の海に散りぬとも とどめおかまし大和だましひ (中略)

  家をすて妻を忘れて国のため つくしたまへとただ祈るなり

238 いろいろ言われますが、船を沈めりゃ文句ないでしょう

250 日本人らしくないからだ。そうだ。そうなんだ。友次さんは、ぼくのイメージする日本人と違っていた。ぼくの知っている日本人は、大きなものに従って、じっと黙っている人達だ。

275 「強くはないさ。私は自分の寿命を生きただけさ」

 友次さんはきっぱりと言った。

 「寿命を決めるのは仏様。寿命がある間は逃げるわけにはいかないっしょ。自分で寿命を終わらせたらだめだべさ。寿命は自分できめるもんじゃないっしょ」

329 君が一人生き残ったのは、君が何かをしなければならんことがあるのです。フィリピンでがんばり抜いたように、これからも生き抜いてください。それが、君に死ぬなと言った、益臣(岩本大尉)の願いに沿うことじゃないですか

内藤誼人『世界最先端の研究が教える すごい心理学』総合法令出版、Audiobook版。

  心理学の教科書には載っていない、最新の心理学の知見を紹介する一冊。心理学って二人称の本当にちょっとした言動を切り取って調査することに驚かされる一方で、一見何の役に立つのかわからないようなことを一生懸命に調査研究をしているのだと思える。

 人と関わる時に、自分の思考が言動を通じて、相手に伝わっていく。自分としては、如何に「伝わるように伝えるか」を考え抜くのだけれども、受け止める相手としては、その内容よりも全体的なイメージと連動して受け止め方が変わってくる。男性は顔で判断されて、女性は全体的なイメージで判断されるらしい。もう少し進めると、論文の評価は著者の顔写真で変わってしまうこともあったようだ。

 こういう人の本質(?)に迫る言動を突き詰めていくと、人は「わかっていてもやめられない」とか「わかっているのに選ばない」など、非常に非合理的な行動をとる生き物だということを感じずにはいられない。

橋爪大三郎、大澤真幸『ふしぎなキリスト教』講談社、Audiobook版。

  日本を代表する二人の社会学者が徹底対論、というキャッチコピーで紹介されていたもの。購入当時、思想や宗教、歴史的な読み物を欲していたのだろうな。先に紹介した社会学史といい、聖書の小説版といい、そういったものが続いている。

 ただただ知識を身につけたい、というよりも、歴史的・社会的文脈で何かを把握しようとするときの姿勢を身につけておきたい、という必要から、こういった教養書を欲していた(いる)ように思えるこの頃である。法制度、イベントというのは、その歴史的・社会的文脈のある意味必然によって生成する、ということを考えるようになった。だからといって、何事かを予測したいというのではなく、Iyokiyehaとしては、物事の本質をつかみたい、というだけのこと。今回はキリスト教。

丸山正樹『デフ・ヴォイス -法廷の手話通訳士』文藝文庫、2015年(初出:文藝春秋、2011年)。

  CODA(Children of Deaf Adults)で元警察事務職員の尚人が、手話通訳士として殺人事件に巻き込まれていく小説。久々に小説を読んだことに加え、すっかり「この」世界に没頭した。小説の一気読みなんて、何年ぶりだろう。フィクションでありながらも、それほど明るい話題ではないのだが、落ち着いてじわじわとやってくる迫力と、随所にちりばめられたいわゆる「文化摩擦」とその架け橋となる手話という言語に、改めて意識を向けさせられました。ミステリの要素がいいスパイスになっており、一気に読ませる一冊でした。

■以下引用

97 幼いころから嫌というほど「家族と世間」との間の「通訳」をしてきたのだった。

123 彼ら(デフ・コミュニティを言語的少数者、文化的集団と捉える運動を起こしたアメリカのろう者たち)は、自分たちの集団を「耳が聴こえない」ことによってではなく、言語(手話)と文化を共有することによって成り立つ社会とした。その際、英語で耳の聴こえない人のことを表現するdeafという単語の頭文字を大文字にし、Deafという言葉を、新たに彼らのコミュニティのメンバーを指すものとした。

158 デフ・ヴォイス。生まれついてのろう者は、人前で滅多に「声」を出すことはしない。しかし、家庭内ではその限りではなかった。特に、「聴こえる」子どもを離れたところから呼んだりする場合などには。

川島隆太『子どもの脳によいこと大全』プレジデント社、2023年。

  脳トレ川島先生のコンビニムック。なぜかAmazonでは取り扱っていなかった。職場で専門職に勧められて一読。

 子どもの脳の発達について、何がいいとか悪いとかいろいろ言われているけれども、何がいい、何が悪いというよりも、「何が求められているのか」(目的)によって、少し変わってくるのかな、と思いました。スマホは集中力を乱すし、無目的にテレビを観るよりも、外に出ていろんな物に触れて聞いて感じることって脳の柔軟性を養うのに都合がいいのは分かるんだけど、でもそれって誰が誰に求めているのかな、という疑問が生じたわけです。

 人とコミュニケーションをとること、創造性の中でごっこ遊びをすること、スマホやテレビはけじめをもって、集中すべき時間帯には余計な刺激を入れないことなど、どこかで聞いたことのある説を、調査によって説明した上で、時間を決めること、バーチャルに浸かりきらないこと、五感を刺激することなどの有用性を説く一冊です。説得力はあるし、なるほど自分でも試してみようかなという内容ばかりで、一般向けに書かれているので、大変読みやすい本でした。多くの人に勧めたい本です。

 さきほどの疑問について。こういう内容の本だからこそ、「私にとって都合のいい」内容かもしれない、と思ったわけです。世の中はIT技術、Webを介した世の中の仕組みが目の前に広がっていて、トレンドは生成AIをどう使うか、なんてことが雑誌で特集されているわけです。このBlogなんか、立ち位置を変えたら時代錯誤もいいところで、こんな古くさい方法で、個人的な読書感想文なんて、誰の何の役にも立たないよ、とする見え方もあるでしょう。私は必ずしもそうは思っていないわけですが。

 とはいえ、このBlogの対極にいるような立場の人に、本書の内容ってどう響くのかな、と疑問に思ったことは書き留めておこうと思いました。

大崎梢『配達あかずきん -成風堂書店事件メモ』東京創元社。Audiobook版。

  ミステリに分類されるのかな。8月の聴き放題に入っていた1冊。成風堂書店に勤務する従業員と(主に)お客さんとのやりとりのなかに、ちょっとした謎解き要素がある。ミステリというカテゴリーの小説って敢えて選んで読むことはなかったのですが、ここのところAudiobookで興味深いものにいくつか当たっているので、改めて「楽しむ」読書ってしてみようかな、と思えるきっかけになりました。

ジョージ・ルーカス原案、槐多康彦著『赤い情熱 ヤング・インディ・ジョーンズ14』文藝春秋、1993年。

  20年以上ぶりに再読したシリーズ最終刊。ロシア革命に巻き込まれていくインディの活躍を描く。この話のモチーフになっているロシア革命って、教科書ではよくわからないし、専門書なんか読んだって言葉がそもそも分からない、そもそもといえば現在のウクライナ侵攻にも言えることだけどロシアの思考とか雰囲気って知っているようで知らないよね、ということに嫌でも直面させられる。そんな知識が前提だから、結局のところインディがどの立場でどう立ち回ったかということは、わかったようでよくわからない、というのが読了した印象だったりする。

 革命前夜に、急進的な活動を進める若者達と交流ができる。諜報部隊として彼らと関わるインディは情報収集の目的で深入りしていくのだかれども、友情や愛情が芽生えるほど情が移っていく。そんな中でインテリジェンスとして得た情報とは反発する活動を煽動していく若者達との間で、一瞬の不和、そして起こる悲劇。そんなフィクションを時代を行き来しながら語るジョージ・ルーカスの手腕に、改めて脱帽する。時代背景がもう少しイメージできるともっと面白いのかもしれないが、そうでなくても小説として成り立っているのが、また興味深い。30年越しの楽しい読書でした。

 このシリーズ、歴史感覚に自信がついたら、もう一度読んでみようっと。

開米瑞浩『60分でわかる!暗号資産 超入門』技術評論社、2022年。

  分かったようでわからない「暗号資産」。これでよくわからないとなると、何を読めばいいのかな~。

ヨシタケシンスケ『しかもフタが無い』筑摩書房、2023年。

  この人は天才だと、以前にも他の本の紹介で書いたと思うのだけれども、やっぱり天才だ。なんというのか、「あるある」の次元が、普段表には出さないよね、というレベルで考えるようなことを、すこ~し突き破る感じ。思わずぷぷっというイラストが、これでもかこれでもかと続く。

大澤真幸『社会学史』講談社。Audiobook版。

  社会学の教科書的な通史。一つ一つのエピソードが本当に面白いんだけど、学んだことは以下の通り。

・社会学って、思想や哲学に出てくる人たちと共通の登場人物なんだな。

・対象となる、時・場所とそこに生きる人の意識を記述するのが社会学。行動や事象は具体例として論説の根拠となる。

・観察者の置かれた状況や物の見方という前提によって、記述される内容は変わってもおかしくない。

(再掲)加藤アカネ『ANAのVIP担当者に代々伝わる心を動かす魔法の話し方』サンマーク出版、2019年。

  Audiobookで聞いてみて、これはいい、と文庫版を購入。題名からクレーム対応の具体例をイメージするのだけれども、読んでみて(聴いてみて)感じたことは、思いのすれ違いの間に介入するときの技術、が詰まっている一冊であるということ。

 いわゆるクレームclaimって、苦情とか注文って訳されるけど、自分の意にそぐわないことに対してもの申す訳ですから、前提としてその人に何らかの思いがあって、それが充足しない状況がある、というのが前提ですよね。それを仲裁する、win-winにする、どちらの不満も増幅しない、円満解決のためには、その状況に飛び込んでいく必要がある。ただ、そういう状況下では、すでに張り詰めた糸を弾くような場面ですから、弾き方にはコツが要るわけです。そのコツとは、糸が切れないように相手や状況との接点を作って補強していくためのいわば技術(スキル)というわけです。

 誰にも責任を押しつけない言い方だけでなく、意味的にもお互いの間に入り込んで結びつきをつくる、あるいは入り込んだ上で穏便に離れていただくような、そんな言葉とその対応に潜む対人関係の極意で一杯な一冊です。

 IyokihehaはAudiobookで聴いた上で、書籍も読みたくなって文庫版を購入するにいたりました。どのエピソードも勉強になって、考えさせられます。要は、言葉選び+相手の立場に如何に寄り添えるか、ということかと思いました。

ジョージ・ルーカス原案、村上博基著『サバンナの探偵 ヤング・インディ・ジョーンズ13』文藝春秋、1993年。

  インディ・ジョーンズ若き日の大冒険シリーズ。率直に、このお話はテレビシリーズでも印象が薄いんだよな。多分、中学生の私にとって、アフリカという場所はあまりに魅力に乏しかったからだと思う。今回読んでみても、やっぱり他の話を比較してしまうと、史実その照らし合わせである人物の歴史が浮き彫りになったりする魅力みたいなものを捉えきれない。今回読んでみて感じたのは、共通の言葉を使っていなくても成立するコミュニケーションがあるらしいこと、住んでいる場所や人間関係、いわゆる文化、の違いによって行動は変わってくること、その違いを認めることはちょっとした工夫でありながら、他人にそれをやってもらうことは困難を極める、ということ。

金原ひとみ『蛇にピアス』集英社、Audiobook版。

  芥川賞受賞作。確か、同時に受賞した綿矢リサ『蹴りたい背中』と一緒に書店に平積みになっていたのが、もう20年くらい前になるか。学生の頃に読んだ覚えはある、が、残念ながら内容はうろ覚えだった。

成毛眞『39歳からのシン教養』PホP研究所、Audiobook版。

  確かに、今この歳になって何かを学ぼうとするときに、高校生・大学生の頃のように、基礎文献を頭から読み解いていくのは、体力的にも時間的にも精神的にもしんどい。経験や知識・経験を活かしつつ、Webとの付き合い方を工夫し、効率よく知識を習得することが、今後の自分の人生においても有益であると思えた内容だった。

柿内尚文『バナナの魅力を100文字で伝えてください ー誰でも身につく36の伝わる法則』かんき出版、Audiobook版。

  自分にとってのバナナとはなんなのか。

 外部力、フリとオチ、脳内チューニング、3つのグッド、セルフ問答

田丸雅智『10分間のおもちゃ箱』オトバンク(オリジナル)、Audiobook版。

  子ども向けの童話はこれでいい。不思議なことが起こるけどそれでいい。ちょっとくすりと笑えたらとてもいい。

 佐久間レイさんや小林よしひささんの朗読で、ちょっと不思議な童話が楽しめます。

末永幸歩『「自分だけの答え」が見つかる13歳からのアート思考』ダイヤモンド社、2020年。(Audiobook版2021年。)

  アートArtとは、世の中に対する問いにを自分なりに答えたもの、といった定義(考える素材。きちんと書き起こしていないが、そういったこと。写真のようにうまい絵=アート、ではない)づけをし、いわゆる名画を具体例に、アートの視点というものを鍛える一冊。このAudiobookを聴いて、ようやく芸術作品の楽しみ方を感じられるようになった気がする。私のように「美術って結局何よ?」とか思っている人にとっては、大人になってから学ぶ、芸術のパラダイム転換を感じられる一冊。これは、きちんと読んでおきたい本です。

サボっていました。最近思ったこと。(7月末~11月末)

 ■231130 Voicyフェスと激務

 あっという間に11月も末日になってしまった。これまでの職場のルールを飛び越えて降りかかってくる仕事の数々と、心ないご意見や主張に打たれながらも、なんとか二つのチームを率いて現状維持はできたのだと思う。その代わりとは言い切れないが、私の身体は黄信号で、ややガタがきてしまっているのだと思う。ちょっと疲れた。

 それでも、毎日のラジオ体操、木剣素振り、ちょっとウォーキングを続けられたことは、自分にとって一つ自信にもなる。一日寝込んだだけで何とか回復できたのは、そこそこの体力がついているからかな。やっぱり睡眠と運動は大事。頭を使うことも当然大事なんだけど、それよりも動くこと、休むことってやっぱり大事なのだと、振り返って思うに至る。

 で、頭よりも身体、という発想は、Voicyフェスの対談で聴いた何人かの人、それもエクセサイズ系の活動をされている方も語られていた。それも強い裏付けになる。多分エビデンスレベルでも運動の有用性は証明されているのだろうが、実感レベルでそれを感じ取っている身としては、誰がなんと言おうと、という気持ちもある。これに加えて、頭では寛容と覚悟。このあたりがVoicyフェスからの学びだろう。身体を鍛えるというと、少し大げさなんだけど、ルーチンになっている運動と頭を常に柔らかくしておくこと、柔軟に考えて、寛容の気持ちで人と接する。行動を起こす時、それが自分にとって大切なことであればあるほど、何かを手放す覚悟が必要となる。こういう一つ一つの「自分のやっているいいこと」の積み重ねが自信につながっていく。だから続けること、しつこさ、頑固さも必要だろう。

 残業が45時間を超えている、ろくでもない月だけれども、自分にとっての最低限、積み重ねを更に重ねる行動に、自分は救われたのだと思う。


■231031 首長選挙

 ご縁のある街で、行政の長が交代することになった。詳細は省くこととして、現時点での私の評価は「新市長が当選するべくして当選した『のではなく』、前市長が落選した『だけ』」の選挙であったということ。選挙戦の構図だけみたら、4年前のそれと全く変わらないものだったというだけだというのが、私見である。

 旋回の選挙は、維新よりの無所属候補が落下傘で出馬したようなもので、率直に「うーん、別に」というものだった。他にめぼしい候補者もおらず「なら、現状維持」という結果だったとするのが大方の評価だろう。今回は、新人候補が協力なブレーンを得て若年層の支持を得た、なんてあちこちで報道されているが、なんのことはない、YouTubeでの宣伝が効く層に「なんとなく新しいことを考えているような」宣伝をしかけて、それによって動いた層が新人候補に投票した、ということ。そして、前の市長は自分に寄せられた批判を実績に読み替えて宣伝し続けてとうとう呆れられた、というだけ。私は市民として両候補の公約を見比べていたけれども「どっちもどっち」という判断をした。4年前と同じである。

 案の定、なにやらいろいろ主張して、迅速な実績を宣言したいのだろうけど、行政のしくみを飛び越えてやろうとすることは、どこかにしわ寄せがくるんです。生活者の視点とは言うけれども、ルールは守らないといけませんね。結局、そういうことに落ち着きます。要は「変革」なんていっても、結局人の欲を増幅したものであるならば、看板をすげ替えただけの、本質的には何も変わらない変化に一喜一憂するだけなのだよ、ということ。さぁ、裸の王様は、だ~れだ?


■Voicyフェス'23 231025

 自分にとって、心地よい対話。リラックスして、楽しく。これこそがいい時間だ。

 人が何かを感じとって気づきを得た時の表情や声色、そういうものって他人にとって本当に栄養になりうることだと思う。自分の置き場、既知のことが何かと結びついて新しい気づきを得たとき、言葉としてはシンプルだけど、その人の中で何か化学反応が起きているかのような変化、ゆらぎ、躍動、動き、なんだろう、それこそ今日テーマになっていた「オーラ」とか波動、そういう言葉でかすっているかもしれないがすべてを表現できない総体。いろんな感動があって、ふるえるような感覚を覚えるのだけれども、それって結局生身の人間が関わり合って初めて成り立つ何かだと思う。


■たぶんコロナ、でも熱は出ない。 231023

 先週末から、喉の違和感はある。変な頭痛もある。でも発熱しない。悩ましいものである。多分、コロナか変な風邪にかかったか。ただ、微妙な症状なので、通常生活を継続する。人がいるところに行くときには必ずマスク、不必要な接触は避ける、という程度。やっぱり悩ましい。

 このクソ忙しい時に、である。白状すると、今週は勤務はほぼ半日にして、家のこと、とあるオンラインFESに時間を使おうとしている。来週から超繁忙に入るというのに、である。ただ、順番から言えばFESの方が早くから予定が入っていたので、仕方がない。仕事はあくまで兼務先のことだ。いやぁ、もうここまで来ると、こっから発熱したら、FESに時間を全部使えるというメリットもあるので、あとは成り行きに。身体がしんどいのは嫌なので、感染防止対策はきちんととるわけだけど。


■コロナ再来 231008

 困ったものである。カミさんが先日から咳をしていると思ったら、急に発熱して、あれよあれよと新型コロナウイルス感染症陽性、の診断を受けてきた。本人は「どこでもらったか、見当もつかない」と言っているが、私に言わせればそんなことはない。学校行事とはいえ、人混みで声を出すこともあっただろうに。

 世の中の感染対策が、結局触れたところの消毒、マスク着用、に留まってしまっているのがちょっと気になる。まずはワクチン接種、隔離、換気、結局以前やっていたことと核は変わらないのだけれども、安心感のためにちょっとだけ動いてみる、みたいな発想に落ち着いてしまっている。「しょうがないよね」といって、結果ウイルスを散らしてしまう行動になってしまうのは、うまく感染対策がとれないこどもたちにとっては本来脅威である。ただ、こどもはこどもで、どこの情報か知らないけど「コロナはもう弱まっているんだよね」と言ってくる。情報源って大事。

 制限が増えてくると、なんかイライラして人にあたってしまうことはあるのだけれども、それってなんの本質でもなく、結局は「余計なこと」。お互いを尊重する、という基本的なことはきちんと意識しておこう。


■次女の運動会 230930

 次女(小4)の運動会を観に行く。長女(中3)の頃とは異なり、午前中・弁当なしという形式がすっかり定着した小学校の運動会。ノスタルジックに「昔はよかった」というつもりはなく、寂しさというものとは少し違うが、時代の移り変わりを感じるものである。とはいえ、子どもの健康や、保護者の負担なんかを考慮すると、このくらいで実施することにはメリットも多いように思う。単に「合理化をはかった」というだけでは、この変化を読み解くことは難しいと思う。

 それにしても、場所取りの整理や保護者受付の廃止、運動会中のパトロールの廃止など、私が提案しても「これまで、そうでしたから!」と押し切られていたいくつかのことについて、ゼロベースの発想で改善(つまり、廃止されたってこと)されていることを、現PTA会長から伺う。自分は二代前の会長だったから、次の次になってようやく花開いた(廃止できた)と言えるだろう。みんなの負担が軽くなって、アウトプットが変わらないなら、Just Do it !でどんどん試してみたらいい。前例踏襲は、不可避のことにのみ適用されるべき、頭は使わないと考えなくなる。


■もうなんか、やれることをやるしかない 230927

 結局兼務体制は続いており、今年度の整理と元職復帰はほぼ難しい状況になった。私としても覚悟を決めて腹を括ったところもあるので、まぁ今年度は走りきろうと思う。次は決算、そして補正予算と来年度申請が一度にきて、もう一度議会、年末。年が明けたら来年度予算で、最後に入園結果が出て支払い地獄に突入、そのあたりで兼務は解けるけど、私のポジションも決まってくる、という不安定要素がずっと続くわけで。とにかく身を守る行動を第一にと考えている。この状況下で不意打ちを仕掛けてきた○○さんとは距離をとっているので基本的には関わらず。こんなくだらないことに付き合っているヒマはない。体調不良者がちょくちょく出てきていて(やむをえないケースとやむをえないケース。前者は精神的なものと連動しているのでしばらく続くかも、後者は若い子が身体的な不調をこじらせている)、なんとも「神は試練を与えたもう」みたいな状況。切り抜けるしかないよね。

 ある筋から「●●さんのことを、誰も話題にも気にもしないのが不自然」みたいなことも言われるのだけれども、私が係兼務するようになった原因を掘り返すのも、どんな形であれ故人を話題に出すことも、私には利があるとは思えないので、とにかく「前を向け」の雰囲気を作っている立場としてはいかんともしがたい。

 せめてもの救いは、兼務先の人間関係が一部不穏な中、一部前向きに動き出しているかのように見えること。こじれているところの改善はなくとも、維持や上書きできるなら、他の改善でもってフォローできると思う。とにかく「前を向け」だ。

 異動してきて、そのまま係長職っていうのは、オペレーションがわからないというビハインドがあるんだよね。頭のいい人なら、説明を聞いて流れが分かるって人もいるんだろうけど、私は鈍で勘も鈍いので、わからんわからんで聞きまくるしかない。それを頼りないと言われるならしょうがないけど、文句言うならお前がやれって感じで。幸い、チームの中には(注。先日の刺してくる人は「チーム外」カウントです)そういう文句はなく、役割分担の中でうまく使ってくれている。これはありがたい。

 今年度の今後を上述できて、「あぁやっぱり」と思えたので、改めて無理せずにやっていこうと思う。こんなことをメモできたのも、半年ぶりくらいに「半日サボり」ができたからであって、こういう時間は月に1回くらいはとらないといかんな、と思ったところでした。びっくりしたのが、今年年休の残りが「36日」とか表示されていたこと。もっと休まなきゃ・笑。元後輩から「アルコール入れましたか?」と質問があったけど、バレるからやらない。でも、いずれそれもいいかも、と思ったよ。


■はたらきアリの法則なのか・・・ 230909

 専門職にも●●がいる。

 海外の報告をキュレーション番組で聴いたのだけれども、研究の手法を使って「コロナ禍で、デマを流した医者情報」が報告されたようです。聞くところによると、コロナ禍の中で、いわゆるエビデンスに基づかない情報、例えば、薬品情報や陰謀論やワクチンに過度な批判を加えた情報などを発信した人の中から、医師免許を持つ人の情報が集計されたそうです。それによると、医師免許を取得した学校、所属学会、活動、発信ソースなど、様々なことが見えてきたとのことでした。デマ情報を発信した医師の内大半が何らかの活動に参加しているとか、発信ソースは旧Twitterが多いとか、そのフォロワー数は中央値で60,000人程度とか、そんなことが浮き彫りになったようです。

 いわゆる社会的地位の高い人が高貴な人かというと、そうでもない、ということは経験則でも分かっていることなんだけど、こんな話を聞きながら、「自分がどんな人を信用するのか」ということを考えてみた。

 やっぱり「自分で考えたことに基づいて、話ができる人、行動ができる人」なんだろうなと思い至る。社会的な役割に対するプライドの有無っていうのも当てはまるのだけれども、それだけじゃなくて、プライド云々以前の個人対個人であっても、その言動が浮いていないか、自分がどこまで分かっていてそのことについてどう考えているかっていうことが、自分の言葉として語れるかどうか、なんだろうなと思うところ。かくいう自分も実際にはどう思われているのかな、と少し気になるのだけれども、他人は他人、自分は自分。そうありたい自分でありたいと思うこの頃です。


■状況は身体を通じて発せられる 230830

 ここのところ、残業が続いている。何か特定の突発的業務というよりは、本来業務がずれこんで、日常やるべきことが時間外になってしまっている感じである。これはよくない。時間外の原因が分析できていないことになる。


■認められること 230827

 合気道で昇級して、帯の色が変わった(白→茶)。大人になると、免状をもらったり、対外的に自分の進み具合を認めてもらう機会なんかはほとんどなくなってしまうので、ちょっとうれしい。いや、大変うれしい。気分も変わるものだ。

隅落としからの受け身

両手持ち四方投げ(一)(二)


■仕事で改めて大切にしたい stand の感覚 230826

 ことごとく、自分の感覚がずれているような気がしている。今の職場では、施設への金銭面の給付・補助の担当と、施設利用の調整の担当をとりまとめる立場なのだけれども、このうち後者について、自分の感覚と業務の思想との間にずれを感じる。最近は少し困っているのと、判断がブレそうで踏み込みが甘くなっているように思う。改めて、後輩達の支えがあって仕事が(とりあえず)できているという感覚がある。

 困っている人がいたら、きちんと支えてあげるという、公務労働の現場で自分が大切にしてきたことが、公平性原則に基づくしくみを前に、ことごとく跳ね返されてしまう。「Iyokiyehaさんが言うことはわかるんだけど、ちょっと違うんだよね」ここんところ、立て続けに同質のコメントが続いており、少し凹んでいる。(そこへ、背中から刺してくる人が見つかったので、精神的にも凹んでいる)困ったものである。

 お金の取り扱いについても、1年以上かけて、ようやくチューニングができてきたように思うので、まぁこちらもそのうち慣れてくるのかもしれないんだけど、それでも1年経っても同じことで悩んでいたら、多分「向いていない」のだろう。この点、その片鱗が怖いと思うのが、通常業務の感覚がいつまでたってもズレズレ感があることだ。「こんな感じだよね」と思うことが、ことごとくはずれと言われると、さすがに不安になる。でも、ここは踏みとどまって謙虚に学ばないとな、と思う。standである。


■本に触れると本が読みたくなる 230822

 モチベーションが下がりつつあるので、休みをとってリセット。いまいちな課題が2つ3つあると、折に触れて思考に浮上してくるので、どうにも頭は休まらない。なるべく長い時間昼寝して、早寝をすることにする。

 妻と次女が、次女の友達と遊びに行くというので、塾に行った長女と部活が休みになってなんとなく家にいる長男とを放っておいて、自室の片付けをする。といっても本を整理して終わってしまう。読み終わった本を下取りに出すものと、スキャン依頼するものとに分けるのだけれども、どうにも下取りに出すのは気がひける。別に誰が損するとかいう話ではない。 でも整理にために本に触れていると、どうにも本が読みたくなる。理由は分からないけど、感覚的なものだろう。活字にまた触れていくとしよう。


■言い方 230822

 結局、言い方なんだよね。昨日の続き。

 ボスになりたい人は、勝手にやってくれればよろしい。構成員だけでなく、その場全体を鑑みた時に、全体の利になるようであれば、シンパを組織して既存勢力を引きずりおろしたらいい。ただ、ほとんどの場合はそうじゃないよね。自分の周辺、自分の守備範囲が、より楽になればいい、という部分最適を狙うために発言権を強めていくやり方が、お山の女将、大将なわけで。

 これもね、中身あってもなくても、全体的に支障がでない言い方っていうのがあるんだよね。要は、お山の女将・大将になりたくても、なりたくなくても、言い方一つでその場の気の流れはなめらかになる。たとえ、それが既存勢力を叩き潰したり追放するようなことであったとしても、言い方を気をつけたら、穏やかに退場願うこともできる。一番軋轢がない方法ではないか?


■お山の女将 230821

 多分に男性目線であることをお許しいただき、筆を進めたい。世の中の人間を二分すると、「ボスになりたがる人」と「ボス関係ない人」に大別されるのだと思う。自分はどちらかというと後者だと思う。ただ、思い切り自分の身の回りのことだけ考えると、ひょっとしたら前者が目立たないけどいるかもしれない。

 口では「このままでいい」と言いつつ、我をはる人もいれば、逆に「上昇志向」とかいいつつも、周りを立てて昼行灯を演じている人もいる。私の理想は昼行灯なんだけどね、実力が伴わないから仕方がない。

 で、前者の件である。前者でかつリーダーシップに長けている人というのは、いわゆる世に認められる人だから、あとは実力次第で周囲がついていくかどうか、ということになる。問題なのは、前者かつ(そこそこ)作業ができるかつリーダーシップがない、というパターン。独りよがりか、言いたいことしか言わない方が多い。より面倒なのが、そこそこ動けて、気の弱い人を巻き込んで、局地的に完全にボス化していて、言いたいことを適当に言っているだけの人。要求が強い人とか、提案が多い人とまとめられることが多いが、平たく言えば「口のきき方が分かっていない、偉そうな人」という(暗黙の)評価を受ける人のほうが多い印象がある。余計なこと言わなきゃいいのに。言葉の端々に「あなたには分からないでしょ?私はこの場所のことは一番よく知ってるんだから!」となぜかアピール(なのか?)してくる。反省なんか一片もなく、滑稽だったり、憐れんでみたり。ともかく関わりたくない。


■夏祭り 230820

 今日は、朝起きたときに「イヤだな」と感じて起きるのをためらってしまった。理由は明らかで、多分職場のストレスが大きくなっているのだろう。言われていることが、全くお門違いなことである、ということは理屈ではわかっているけれども、感情レベルでは気味の悪さと怒りの感情が収まらない。折に触れて意識に上がってくるのが、何とも都合が悪い。とはいえ、何かしらの落としどころが要るのだろう。

 町内会による夏祭りが開催された。4年ぶりか。所沢市に引っ越してきてから、ほぼ毎年顔を出していたが、コロナが明けて、次女のために引率。コロナ前の最後の開催時は、確か次女連れてクレープを買ったんだっけ。長女はお友達と、長男は勝手に買い食いしていたっけ。懐かしいな。

 とはいえ、この人混みはさすがに気疲れしてしまう。元々祭りを含んだ人混みって嫌いだから、正直なところ今日だって合気道のお稽古に行けばよかったんだけど、なんとなく会場へ足を運んでしまう。ウチの子を含め、こども達が楽しんでいるのを眺めているのは、なんとなくいい気分になる。そういうものなんだよな。


■ビールのうまさ 230819

 何年かぶりに、ビールをゴクゴク飲んでしまった。その勢いでpomeraに向かっている。朝から汗を何度もかいて、夕方に庭掃除をして一気に汗を出した後の、夕食とビール。たまらん。

 炭酸と苦味を冷たくした液体で体内に流し込む。のどごしとか言われるけど、普段はおいしいと思えない苦味とアルコール臭が、ここまで疲れてミネラルと水分が枯渇している身体に流し込まれる時に、喉から胃にかけて快刺激が通り過ぎていく。これだな、快刺激が体内を通り過ぎる、というのがビールのよさなのだろう。


■無風・凪 230818

 ということで、宿題を淡々とこなす。そうそう、返信にはお礼も忘れずに。余計なことは一切残さない。

 っていうか、そんなことをやっている暇は本当はない。本件、理想的なのは、感情を含めてすべてが自分のサブチャンネルに収まっていくこと。あわよくば、自分のパーキングエリアみたいなところに入ってしまうことなのだろう。物事の本質に「何も」当てはまっていないし、ムダなだけ。自分のリソースをほんの少しでも使うのがもったいない。


■宣戦布告 230816

 半日考えても、やっぱりおかしなこと、不可解なことなので、ここに記しておく。

 「大人ではない」が現時点の到達点である。質問攻めにされる、厳しい意見を伝えられる、怒られる。正直、意味と理由が理解できない。百歩譲って、私に何か気にくわないことがあるのなら、それをきちんと指摘するのが大人の態度だろう。「何のつもりですか?」「何をしたいんですか?」「何も話すことはありません」、1on1を打診して、自分で時間と場所を確保した上で、開口一番がこんなじゃ、びっくりするとかそういうレベルではなくて、開いた口が塞がらない「不可解」である。呆れてしまい、その場を取り繕う気にもならず、聴くべきことを聞かずに、少し確認をしてクローズ。勝ち負け云々ではなく、不可解、が正しい。久々に、チームに必要ない、と思える人と出会った感じだ。


■話し合い 230814

 組織としてはいろいろやり方があるのだろうけれども、局地戦、特に足下をよく見たときに「これしかないよな」と決まってくることがある。今年度の自分の身の置き方がそんな感じ。意外とこういう時の判断って、感情で決まってくるんだよね。「自分にとって」どうかというよりも、自分の基で仕事をしてくれる後輩達のためにどうか、チームのモメンタムが保たれるのはどんな方法か、みんなにとって「心地よい」環境ってどういうところなの?そんなことが、結局最後の一押しをするから、多分理屈には合わない判断をしてしまうのだろう。でも、決めたなら、進みながら必要な修正を加えていくしかないよね。


■合気道メモ 230813

 一ヵ条ドリル

・膝行から正面打ち、座り技一ヵ条抑え

 トレーニングを兼ねる。膝行法から正面打ちを合わせて、仕手が一ヵ条抑え。

・綾手持ちからの、片手持ち一ヵ条抑え(一)(二)

 (一)は肘を返すことができれば、極めやすい。力技になってしまうことも。

 (二)は相手が動かない時に、後ろの足を出しながら回転法で崩す。出した後ろ足に軸が移るので、姿勢を保つ。 

・掛かり稽古 綾手持ちから一ヵ条(一)(二)の選択。

・肘持ち・肘抑え

 一ヵ条が崩れた時、肘肩返しても相手が崩れない時に、受けの肘を狙いつつ肩を極める。


■筋を通すこと、我を通すこと 230801

 ここのところの職場への問い合わせの内容を聞いていると、「困ったから助けて」ではなく「思いとおりにならないから、なんとかしろよ」という主訴が多いように思う。どこまでも自分の責任ではなく、「ルールが自分に合わないからお前らが悪い」という屁理屈のようだ。論理的に、とか言いながらも、結局のところ屁理屈に屁理屈が重なっているだけで、結局自分本位の延長線上で空中戦をしているに過ぎない。それでいて、話が混み合ってくると考えるのが面倒なのか「訴える」だの「報道関係者に知り合いがいる」だの。勝手にせいと言いたくなるのをぐっとこらえる。大体「上を出せ」と言われても、結論が変わらないことは、上が出ても結論は変わらない、という基本的なことも分からない人たちに使う時間は無駄でしかない。

 物事の道理が分からない人に、筋を通すだのうんぬん言われる筋合いはないんだ。


■昇級審査2 230731

 審査の様子を、先生方がビデオに撮ってアップしてくれた。不思議なもので、自分のボディイメージよりも動けているように見える技の挙動と、逆に自分のボディイメージよりも崩れている自分の姿勢が目についた。面白い。

 構えや基本動作は、ある程度身についていると思っていたのけれども、審査の中程、ちょうど疲れてきた時に、構えがほぼ直立に近くなってしまう、姿勢を低くするところで低くなりきれていないことを客観的に理解できた。基本動作の他、構えなんかは全然気にしていないことだっただけに、この崩れ方は課題になる。


■昇級審査1 230730

 ここ1ヶ月ほど、頭の中を2割ほど占有していた合気道の昇級審査を受けてきました。今までの昇級審査は既定項目だけだったので、要はテストの内容が決まっていてそれをきちんと練習してこなしていけばいいものでした。今回も基本的には同じ形式なんですが、3級審査からは「指定技」なる総計30近い技の中から、その時に言われた技を表現するものが3本あって、それを覚えるのに必死な一ヶ月だったわけです。結局は以前に購入したDVDを観ながら、朝のルーチンの中に技の確認を入れ込んで、今日は四方投げ、明日は一ヵ条、みたいにできることを確認しつつ、わからないことを浮き彫りにして再度調べる、DVDで確認する、みたいなことをブツブツいいながら、ああでもない、こうでもないと身体を動かしてみることを続けて、ようやくできた感じはするのだけれども、三歩進んで二歩下がる、みたいな。


■帰省 230723-25

 今年の夏の浜松帰省は2泊3日。長女・長男が中学生になり、夏期講習やら部活やら。私の見え方としては、優先順位がわからないのでせっかく帰省するなら、もう少し長くてもいいと思うのだけれども、とはいえ短期間には短期間のメリットもある。

 私の実家は、父親が80歳を超えていて、とはいえ父親は元気なのだけれども母親の認知機能の低下が激しく、新しい記憶の書き込みが随分弱くなっている。私が帰省する直前にも食卓に並ばなかった煮物が朝食に出され、父親から「これは食べるなよ」と耳打ちされたり、記憶し損ねたことを父親が激しく指摘する場面にも出くわし、最終日には「みんなでご飯でも食べて」と母親からの小遣いが三回繰り返されるとか。一方、そういう母親はデイサービスを利用することになり、日中の家事・特に昼食を自炊するようになったオーバー80の父親は、随分愚痴っぽく、話が長くなっている。二世帯で同居する姉二人も、悪態つきながらもフォローしているような話もあり、突発的な変化だらけの生活なのだろうなと察する。余談だが、実家のエアコンが一新されていたところに、父親の財力の底力をみた。

 3時間ほど、一人の時間があったので、駅前に用事を済ませようと繰り出したものの、某金融機関のATMすらなくなってしまい、通帳記帳ができなくなってしまった。ついでに地元の神社にお参りし、ここのところの不運を一新しようとお札を購入した。ただ、友人にうなぎを送るような時間はなく、今回はおみやげなし、ということで。


■結局は自分次第 230720

 気にくわないことを、いちいち書き留めておくと、なんとなくそのデータが悪口増幅装置になってしまっているような気がしていた。が、自分のストレス発散、浄化だと思って時々そういうことをやっていたけれども、そういうことも「いい話」「改善話」に編集・変換して発信し続ける、といったことをやっている人のインタビューを聞いて、それでいいんだ、と思うことができた。すとんと腑に落ちた。

 最近、暗いニュース、なんとなく悪いように聞こえるニュース、ひどいニュースばかりで、情報源をどうしたものかと思ってきた。事実を表現すればそういう書き方になるけれども、事実を表現しようとすればするほど、「自分の見え方」から物事を表現してしまうことになる。人間には矛盾がたくさんあるけれども。

 いや、多分話はシンプルだ。自分にとって腑に落ちないことや、テンションが下がること、嫌な気持ちになるものも、つい悪口を言いたくなる経験とか、そういうことがあっても、それに自分がどう向き合ったか、どういう行動をとったらどうなったか、工夫したらマシになったのか、など、いい話や視点の変更が効かなかったとしても、自分の行動や感情に焦点をあてて「マシ」な方法を記録していくことには、とても意味があると思う。


■前向き仕事 230718

 先手をとって、新規事業を提案する。忙しくなるけど、テンションはあがる。


■詰問 230718

 何がきっかけなのか、延々と詰問される。「どう思ってるの?」は質問ではなく問い詰めるワードでしかない。反発せず、安易に同意せず。受けきらないといけない。多少感情は動くけれども、平常心の枠内に収めるしかない。


■三連休 230717

 買い物、トランポリン、買い物。土曜日は豚汁と切り干し大根、魚を焼く。日曜日は子どもらを連れてトランポリンへ行った。月曜日は買い物に行って、マカロニサラダを多めに作る。結局、3日間とも夜は飲酒をしたため、普段よりも眠くなるのが早い。録画したドラマvivantをカミさんと観て、床に就く。


2023年7月17日月曜日

最近思ったこと

 ■体術のイメージトレーニング 230717

 合気道のお稽古を再開して、大体半年。月末に昇級審査を受けることにして、お稽古を重ねてきたところだが、今週(昨日)は道場がお休み、来週は私が帰省するために欠席、で、月末が審査である。困ったことに本番まで合わせるタイミングがないため、次善の策、DVDを観てイメージトレーニングすることを繰り返している。多少は上達するのだろうか?疑問はあるけれども、前進し続けるしかない。今回の審査は、私のためではあるのだけれども、仕手・受けを組むパートナーさんの審査も兼ねているので、いい加減なことはできない。攻めて技の名前と動作は一致させておかないとな。


■休息 230715

 ここのところ、本当にめまぐるしくいろいろなことが並行して動いているため、週末になるとほっとする。とはいえ、朝からジョギングに出るので、心地よい疲れで脱力していくのだけれども。でも、この思考の空白が、なによりも休息になるようにも思う。いろんなことをオーバースペックで考え続け、動き続ける状態よりも、頭の回転が鈍って特に並行思考をする必要もなく、やることがはっきりしているスケジュールで動く、というのは、判断がない分頭が楽になる。頭が楽になると、身体も楽になる。おそらくそういう関係だ。

 積極的に何もやらない=休み、というわけではなく、予定通りに動く安心感というのも、頭にとってはいい休息になるのだと思った一日だった。昼間にカミさんと買い物に出て、夕食当番だったわけだけれども。


■前向き仕事 230713

 何というか、自分の意志ではない何らかの力で動き出すことがある。とはいえ、それらが「やらされ」感の有無というのは大きい。細かいことはさておいても、自分が後回しにしようと思っていたことが、管理職の一言で随分変わってくる。「これはやった方がいい」「やろう」というように決まったことは、疲れていても「いっちょやってやっか!」と思えるようになる。


■人間ドック-Complete physical 230712

 こんな忙しい時期とは予測もできず、人間ドックの日を迎える。昨晩はもっと早く帰る予定だったのに、食事制限ギリギリに帰宅することになる。今日は朝から猛暑日で、会場にたどり着くまでに汗びっしょりになる。これは運動カウントされてしまうのか?

 体重が若干減少傾向、それに伴い腹囲も減少。39歳の時に発覚したポリープのあたりは結果待ち。視力は低下しているみたい。血圧は低め維持。どうやら、午前中最後の受付だったようで、スタッフさんがみんな優しかったというおまけ付き。バリウム検査は技師さんが気さくに指示を出す、心電図も「冷たいですよ~、もっと冷たいですよ~、ひやっとしますよ~、とびあがりますよ~」と場を和らげてくれる。技師さんがちょっときれいな感じでドキドキしてしまったエコー検査では、心地よい指示出しに思わず寝てしまう。

 いつも、なんとなく検便から採血など、嫌なイメージがつきまとう人間ドックだけど、まぁ非日常を楽しむと思えば、それもまた楽しみだと。これも経験、こころの持ちようか、と思った次第でした。


■人をけなすこと、煽ること、それが当たり前になること 230711

 何か楽しげに話をしている人たちの、話題が聞こえてきて急に冷めるということがある。ゲラゲラと笑っているけれども、話題は目の前にいる人を少しずつけなして笑っていたり、その場にいない人の言動をネタにバカ笑いをしたり、それを煽って大げさにしたり、同じ話を何度もしたりと、そういうことに気づいてしまうと、途端にさめてしまう。私の場合は、そっとその場から距離をとるようにしている。


2023年7月9日日曜日

最近思うこと 230709まで

 ■以前お世話になったのは、20年前! 230709

 先日、息子が中学校の自然体験活動に行った。宿泊訓練というやつですね。まぁ、反抗期真っ盛りの声変わりもはじまり、正直すでにあまりかわいくない息子ですが、年月は経って大きくなったものだとなんとなく感慨にふけっていた時の出来事。

 「どうだった?」みたいな話を聞いたときに、「しおり」を見せてもらい、1日目のプラグラムに「チームビルディング ホールアース」なんて書いてあって、ピンと。何をしたのか聞いたところ、いわゆるアイスブレイクとチーム活動で、あぁ、なるほどと。私が学生時代に取り組んで、まとめて、今でも折りに触れて意識している体験活動サイクルなんかにも通じる内容だったわけで。その実施が「ホールアース」で、場所が山梨県、なんていったら、私が以前大変お世話になったホールアース自然学校か、清里か大学校くらいなわけで。

 さっそく、今の代表(当時の代表の奥さん)に連絡をとってみたのだけれども、そのメールを作成していて「20年!」と思ったわけです。若い頃って、つい最近みたいな感覚だったのにね。大学へ行っても、将来何をやってみるのか踏み出せず、なんとなく大学院へ進んだものの、就職活動と継続していた課外活動とで、研究に舵を切るわけでもなく、要領の悪さも手伝って、なんかいろんなことが中途半端だった頃に、刺激と仲間と新鮮な体験を求めて通っていたのが、ホールアース自然学校でした。確か21歳~23歳くらいまで、バイクで通っていたのを思い出すと、なんだか20年という年月があっという間に感じる瞬間もあり、不思議な感覚です。当時は、将来地方公務員になっていて、子どもが3人もいる、なんてイメージもありませんでしたし、野外活動のトレーニングを受けていた頃は、障害者支援の専門職として腕を磨いている自分のイメージなんか、これっぽっちもなかったですからね。人生って不思議なものです。何がきっかけになるかなんて、過ぎ去ってから物語にしたときにようやく感じられることもある、くらいのことで、ほとんどの場合は「よくわからない」んだよね、まして「今が人生の転機だ!」なんて瞬間を感じられる人って、それこそコーリングとか啓示とか、神様とかそういう領域であって、そんなものがなくても人生は変わっていくし、進んでいくのだと、改めて感じた出来事でした。

 要は、何がきっかけになって、何が自分に影響するかなんて、後にならないとわからないものだということ。なら、何でもきっかけになりうるし、何でも自分に影響するって思っていた方が気が楽だよね。エネルギーが枯れない程度に、いろんなことを感じて、いろんな体験をしたいものだと、20年ぶりに意識して改めて感じた出来事でした。また、行けるといいな、柚野の里。


ホールアース自然学校 https://wens.gr.jp/


■切り抜けた感 230707

 金曜日は、終われば明日は休み、という緊張感の緩みが出る。


■頭が何も受け付けなくなる状態 230706

 十中八九寝不足なのだろう。昼食後は動けなくなる、やはり、眠い。早く寝よう。


■中学生男子のスマホ 230705

 長男(中学1年生)のテストの結果が悪く、カミさん曰く「約束通り、スマホはリビングで使うことにするから、今すぐ持ってきなさい」とのこと。持ってくるわけがない。数分して「あなたが言ってきて」。まぁ、それなりに注意をして「今すぐ出すか、10分以内に持ってくるか」選ばせたら後者。15分後、持ってこず。想定内。部屋に行くと、廊下にスマホをうち捨て寝ている。まぁ、二言言って退散。スマホを見たカミさんが「パスワードかけやがって」と行ってしまう。口論。あちゃ~。

 ナメた態度をとっているのも、陰でコソコソやっているのも知っているけど、逐一言わないのが親の務めくらいに思っている私の行動は、カミさんには気にくわないらしい。とはいえ「パスワード外しなさい」「わすれた」の問答に意味があるとも思えず。自分なら、目の前で工場出荷前初期化をかけるか、解約するかな、と思っているが、カミさんはそこまでにはしない模様。まぁ、母親のあり方と私の考え方は違ってもしょうがない。

 愚息の言動を見ていて思うのが、小学生からの友達とゲームのガチャのことで盛り上がること、クラスメイトの女の子にどーでもいいちょっかいを出すこと、下ネタで盛り上がること、エロ動画をみること、テレビを見ること、動画サイトを見ること、踊ること、騒ぐこと、くらいは、全部大体並列なんだな、ということ。カミさんはそこに優劣つけたがるけど、自分の経験を踏まえると、大体これくらいは同じなんだろうなと思う。いや、今の自分はあるていど線引きしているけどね。だから、多分何言っても空回りにはなるだろうし、こちらが伝えたいことも曲解するし、そもそも聞いていないし。それでも言い続けることは大事だけど、そこに過度な期待はしてはいけない、裏切り必至、なんだろうな、と思う。

 人によっては、こういう態度も「無関心過ぎる」とか言うのだろうけど、そんなのは関係ない。愛情の持ち方も人それぞれ。私は、どんなに愛想を尽かしても、多分見捨てることはないだろうな、と自信のない確信はある。


■7月4日 230704

 アメリカでは独立記念日らしい。クリスマスと並ぶイベントウィークとかラジオで言っていた。そういうものなのか。

 最近は天気が悪い日が続く。梅雨の時期特有の気圧・天気の変化に伴う頭痛もひどい。これってば、自分の身体のことだから、付き合っていくしかないんだけど、思考が止まるほどの頭痛は、どうにもならん。最近は頭痛薬が役に立つことがわかってきた。


■エアコンの効能 230703

 日曜日の晩は合気道の時間。所沢興武館は、一旦サークル活動になってから、だんだん復帰に向けた準備にはいっています。私は今年1月の一粒万倍日に復帰を宣言して、早半年。いよいよ3級審査に挑戦します。

 この週末は、市民武道館が借りられなかったことと、活動再開も視野に、元々活動場所として使わせてもらっていた幼稚園のホールでお稽古。市民武道館にはないエアコンがついている。少し窓を開けて、でもエアコンを入れてお稽古したのですが、身体がうんと楽になった。以前は、エアコンの効いた部屋に長時間いるとだるさを感じたものだが、今ではエアコン=悪と決めてしまうとも少しナンセンスだと思う。


■週末の出来事と思ったこと・考えたこと 230702

 週末の朝はジョギングかウォーキングに出る。外出時に、ラジオやAudiobookを利用することが多いですが、この時間は何も聴かず、ただただ身体を動かすことにしている。普段使わない道での発見や、季節の変化、神社の様子、鳥なんかを見たり、朝の静かな雰囲気をなんとなく感じ取る時間にもなっている。おかげで、体調維持のいい取り組みになっている。

 二羽の鳥がじゃれあうようにして(喧嘩しているのかもしれませんが)飛んでいるのを見ると、随分前にプレイステーションにあったAcecombatというゲームを思い出す。戦闘機シュミレーションなんだけど、この第3作だったかな「エレクトロスフィア」と副題がついているのに学生時代にどハマリしたのを思い出す。鳥の動きがドックファイトのそれに似ているように見えたからという連想ゲームでしかないのだけれども。このゲームの世界観がちょっと独特で、すごく引き込まれた。あるエースパイロットはヒトとしての実体のないプログラミングによって「造られた」ものであるとか、そういう振興勢力として政府と戦う立場に立つ他、正規軍として戦う選択肢があったり、そのカウンターパートとなりうる立場になったり、一緒に戦う仲間を選ぶことで物語が分岐していく様子が、シナリオを立体的に見せるような気がして、ついつい寝る間を惜しんでやっていたことを思い出す。なんで鳥が飛んでいるのを見てそういう記憶がたぐりよせられたかは疑問。

 合気道の審査稽古、突貫工事。

・既定技(座り技片手持ち二ヵ条抑え(一)、正面打ち四ヵ条抑え(二)、正面打ち小手返し(一))

・正面打ち四ヵ条抑え(一)

・横面打ち四ヵ条抑え(一)(二)

・片手持ち側面入身投げ(一)(二)

・横面打ち側面入身投げ(一)(二)

・正面打ち正面入り身投げ(一)(二)

・横面打ち正面入り身投げ(一)(二)

・正面打ち肘締め(一)(二)

 とりあえず覚えること。それからはお稽古で精度を高めていく。


2023年7月1日土曜日

近藤史恵『タルト・タタンの夢』東京創元社。Audiobook版

  フレンチレストランで繰り広げられるちょっとしたミステリー小説。人は死なないし、三船シェフの推理とその顛末が明るいので、聴いていてちょっといい気分になれる軽い読み物。レストランの4人が、それぞれに個性的で、やりとりの中にも明るい雰囲気があるのがいいです。

 日々、ストレスフルな環境に身を置いていると、帰宅時のこういうライトで明るい読み物は、すり減ったこころにすーっと入っていきます。

アイヌ民話撰集企画編集委員会監修『イソイタク1 アイヌの昔語 フキノトウになった女の子』アイヌ文化振興・研究推進機構、2014年。

  図書館シリーズ。アイヌの物語を読むのは初めてですが、伝承物っていうのはなかなか奥が深く難解。それでいて、日本語で表現しきれない言葉(おそらくアイヌの言葉)が含まれるので、読んでいて?と思うことはある。

 とはいえ、家族、一族を大切にするということや、ずるいことをすると自分の身に悪いことがふりかかる、なんていうことは、他の伝承と大差はないのだということにも気づかされる。文化とは、その土地の自然環境も大きく関わってくる。きっと今の北海道という、寒い土地で人々が助け合って暮らすための知恵やルールが物語となって伝わっているのだろう。


はせがわゆうじ『もうじきたべられるぼく』中央公論新社、2022年。

  図書館シリーズ。予約してから4ヶ月くらい待ちました。いろんな人が読んでいるものと思われます。

 あらすじは、もうじき肉牛として出荷される「ぼく」が、お母さんに育てられた牧場へ行って考えるお話。悲しませるためにきたんじゃない、と自分に言いきかせるところ。せめていのちを大切にしてほしい、といったメッセージ。世の中の事実を語りながらも、個と公が交錯してゆらぐ意志を表現しているとでも言うか、私にはなかなか読ませる絵本に思えました。

 いろんなご意見もあるようで、賛否両論?と言われているようですが、どうあれ、感じたままでいいんじゃないかな、と思いました。邪推は要らんだろう。こどもにも様々な感情が伝わるのではないかと思える名絵本だと思います。ただ、動物の死という現実をつきつける側面はあるので、人によってインパクトはあるかもしれません。


齋藤孝『1冊読み切る読書術』ダイヤモンド社、2019年。(Audiobook版2020年。)

  いろんな形の「読み切り」がある。割り切り、というといろんな意味が入り込んでしまうが、その本から自分の役に立つことを選びとる、という発想の転換が、読書の質を高めることに気づかせてくれる。こういう読書もありなのだな、と自分のデスクに積んである本を観て思うところである。図書館で借りてきた本とか、まずはこういうことでいいのだな、と思った。

 Iyokiyehaはいろんな情報源を取り入れつつ(Audiobook含め、特に音声コンテンツ)も、やはりアカデミズムなところがあるので、このご時世に読書の有用性を説き続ける齋藤氏の姿勢には共感する。

 毎日数冊に目を通しているらしい著者には到底追いつかないまでも、仕事に家事に追われる中で、少しずつでも読書の時間は確保したいと思っています。そんな人にはたくさんのヒントが詰まった1冊です。「全部読み切らなくてもいい」「要所をつかめば充分」「抜き書き」「アウトプットの効用」など、要は「本の内容を覚えておく」のではなく「本から学ぶ」ことの技術を様々な角度から紹介しています。一つでも取り入れられれば、読書ライフがより効果的なものになる知恵袋のような1冊でした。

加藤アカネ『ANAのVIP担当者に代々伝わる言いにくいことを言わずに相手を動かす魔法の伝え方』サンマーク出版、2016年。(Audiobook版2019年。)

  Kindle版・書籍の購入へ移行。

 話し方、伝え方の本として紹介されていたが、人と人との間を取り持つための考え方、心構え、そしてそのスキルの一旦が紹介されている。大変参考になった。

佐藤義典『実践マーケティング思考』日本能率協会マネジメントセンター、2009年。(Audiobook版2019年。)

  書籍版へ移行。

 これは、きちんと読まないと身につかないものだと思った。とはいえ、マーケティングにおける、ターゲットの絞り込みや、足し算の発想、引き算の発想など、おそらく今まであまり意識してこなかったことが、体系化されている。きちんと読んでみることにする。

外山滋比古『こうやって、考える。』PHP研究所。(Audiobook版2021年。)

  考え方に関する発想を豊かにする一冊。『思考の整理学』が有名な著者ですが、自由に、発想豊かに、思考を広げたり深めたりするコツを、外山氏の著書から引用して一冊にしたもの。この手の名言集みたいなものって、文脈が分からないと、意味が読み切れないものも多い中で、外山節は単体でもわかりやすいものが多いように思えた。日本語で思考して表現したものを、更に凝縮して発表する、純な学者ならではの仕事って、こういうものなのかもしれない。

最近考えたこと 230701まで

 ■いろいろあった二週間 230701

 結局、この4月に異動してきた先輩(にあたる人)が、職場復帰できなくなってしまった。ただこのことはこれで幕切れなんじゃなくて、所属が空席1で今年度の事業を継続しないといけないという現実を、みんな意識しながら考えないようにしているのが現状です。公言し始めていますが「努めて明るく」は、今の自分を鼓舞しつつ、自分の管下の士気の維持・向上を図るスローガンです。今は雰囲気だけでも明るくしておかないと、細部のほころび、被弾、問題の先送りなんかはある程度包含しておかないとやってられない状態だと思う。テンションを緩めたいけど、それがかなわない以上、張り詰めた糸を切れないようにするのが、今年度のミッションだと思う。自分のポジションは、来年度以降のことも多少考えながら運営に手を出し、口を出すわけだけど、今年はその比重を少し落として、来年度上期を見据えるくらいになってしまうかな、と思う。

 昨晩は、部内の懇親会なるものに参加する。こういう集まり、儀式的なものは長年敬遠していたのだけれども、年単位のバイオリズム的な流れがゴーサインを出し始め、多分人的環境の良さが自分の中にもいい影響を与えているのだろう。でなければこの状況で「努めて明るく」なんて言い出せない。やるとなったら面倒だけど、やらされ感じゃなくて突き抜けていいならこういう儀式も悪いもんじゃないな、と思える。大変楽しい集まりだと感じました。 長女は相変わらず。要らん行動は減ってきたけど、余計なことに自分のリソースを使っていることに素直に気づかない・気づけない・気づいていてもやめられない、のが彼女の弱点だな。多分、そこに観念して降りる生き方ができれば、成績はぱーんと上がると思うけど、それに気づくかな。

 長男は、仲間との打ち上げを「焼き肉きんぐ」で行うという身の程知らずをやってのける。席にたどりつけるのか?そもそも小遣いが枯渇しているのに「3,000円ください」と言ってくる神経が分からん。甘やかしてきたツケだな。先日の出来事だけど、マクドナルドに飯食いに行くから1,500円くれ、と言われて「それは高い」と1,000円渡してしまう親の行動は、私にはさっぱり理解できない。「500円でいいんじゃない?」とは言ってみたが、それ以上はカミさんがキレる原因になるだけなので、おいおい言っていくことにする。思うに、他の家庭でも3,000円渡しているのかと思うと、みんな甘やかしすぎだと思う。金がないなら行けないという選択肢を与えるのも親の役目だと思う。毎月利子つけて、金融の怖さを教えてあげようとも思ったけど、手伝いをする条件をつけて「みんなのためになることをする」ことを学ばせてあげようとする。まぁ、これも甘いけど、条件の内「本来やるべきことをやらなかったときに返済額が10円増える」があるので、私の読みでは多分元本が増えていくんだろうなと思います。返済計画ないし、しばらく取り立てはしない方針なので。

 次女は、一丁前に料理をしたがっている。休日にカレーとか煮てくれるのは助かる。まぁ、なんだかんだで確認とか増えるから、結局付きっきりなんだけどね。自発的な取り組みはうれしいよね。


■めまぐるしい二週間 230618

 随分と時間が経つのが早い。仕事の量が多すぎて、考える暇がないというのがすべての元凶かと思ってしまう。

 歓送迎会は、大変有意義な時間になったと思えた。チームの若者は若者らしく楽しんでいて、ベテラン層は落ち着いて楽しんで、いい雰囲気のまま盛り上がった時間だったと感じました。私がもう疲れ果てていて半分寝ていたのですが、それでも心地よいと思えたのは、その雰囲気の良さに起因したのだろう。

 翌二週間はどうしようもない。仕事は多すぎて、考えることも多すぎて、考えることはやることよりも優先されてしまうから、考えるところに時間を割かれると、やらないといけないことが時間外にずれ込む。時間外に作業をすれば効率が悪いから更に疲れる悪循環。いや、困ったものだ。

 先週末は娘たちのチャレンジライブ。長女は5年間くらいの卒業ライブ、次女は2年間の成果発表。長女は更に部活も卒業だったので、大きく解放されたようにも見えるし、そもそも自分ができないことを、子どもたちが膨大な努力の成果で。さらりとやってのけるエレキギターに感動もあり。

 仕事は先週も相変わらず。なんとなく、合気道3級挑戦に火が付いたので、そちらに軸足をずらしつつ仕事に押しつぶされそうになる。他に何かを持っていないと、思考が仕事にひっぱられそうなので、注意しながら、身体を動かすことも意識して。

 昨日17日は、次女と映画『リトルマーメイド』を観に行く。間違いなく寝る、と思っていたのだけれども、あれよあれよと物語に引き込まれてしまった。Facebookにも書いたけど、メッセージを強く感じて、なんというかunityとかintegrateとかなのかなぁ、共生、統合、分裂を融合するといったようなメッセージを強烈にのせて、キャスティングにも反映させたのだろう、と察せられた。いろいろ言われているようだけど、個人的には「面白い」を感じとったらいい、と思う。好みとか「自分にとってのアリエル」とか、思うのは勝手だけど、公共空間に私的思考をさも公共意見のように発するのはいかがなものかと思う。差別関係は、被差別に分けられてしまう人たちの声は丁寧に聴かなきゃいけないけれども、したり顔、専門家面して自分と関係ない主張を繰り返す人たちの品位に疑問はあります。根深い差別構造まで掘り下げられるなら、それは判断保留して冷静に学びたい、と思う。私にとっては、CG含め、違和感なく、シンプルなストーリーに楽しい歌が重なって、子どもと観にいっても大変楽しい時間となりました。


■めまぐるしい一週間 230611

 仕事が忙しくて、日記メモのことも忘れていた。よくないな。

 6/10はそれでも、長女と次女のエレキギターのライブを観に行くことができた。すこし穏やかな気持ちになれる、気分のいい演奏でした。がんばったな、二人とも。

 今日は、合気道突貫工事。3級の技を上から順繰りにやっています。頭も身体も酷使していますが、楽しい。


■歓送迎会 230602

 こういう時間も必要だ。兼務元の人たちと焼き肉を食べに行ってきた。


■年休 230531

 先週末に、ちょっとだけファインプレイができたので、今週やらなきゃいけなかったことが緩んだおかげで、今日はお休みをもらいました。月末なので、残してきたチームのみなさんにはちょっとだけ心配かけるようだけど、ここのところ体調も本調子じゃなかったので、メンテナンスを兼ねて。

 昼食は、ちょっと前から気になっていた「老坊担々麺」へ。コロナ禍の中で開拓した「まさ吉」と姉妹店のような関係らしく、担々麺を中心としたちょっとアレンジ四川料理のお店というコンセプトは共通しているのだけれども、味噌を使ったメニューの多い「まさ吉」と比べると、ラー油を全面に出したメニューが多かったように思います。「大人の担々麺」というちょっとドキドキするおすすめ麺は、辛いだけでなくうまみがしっかりあって、丁寧なおいしさでした。パクチーとの相性は「まさ吉」さんの担々麺よりもなじんでいるように思いました。とはいえ、どちらも好みなんだけど。

 帰りに、ごみ集積所のネットを買って、帰宅して設置。夕食を作ってから、眼科検診で指摘を受けた次女を眼科へ連れて行く。待ち時間で寝る。検査結果も大事には至らず経過観察でよし。ドンキで整髪料を買って、と、いろいろ動けた休日でした。仕事のことはほとんど忘れていたので、頭はずいぶん整理できた一日でした。合気道のことも考えられなかったけど、まぁおいおい。

 休日って、今の私にとっては、身体を休めるというよりも、如何に頭を休めるか、が大事なように思う。その意味では、とってもいい休日でした。そういえば、姉の50歳大台の誕生日でした。連絡済。


■NHK高校講座「日本史」 230530

 「世界史」に続いて、日本史の視聴へ。コンセプトが違うのか、番組の作りが違っているように観えるのは面白い。「世界史」が研究第一線の学者さんが語るのに対し、「日本史」は歴Cafeに高校生二人がやってくるのを、歴ジョ小日向えり氏がもてなす、といった構成で、歴史資料や取材の様子を交えながら歴史を学ぶというもの。監修が入って20分の尺にまとまっているので、内容も充実している。


■合気道メモ 230528

既定技

・座り技片手持ち二ヶ条抑え(一)

・正面打ち四ヵ条抑え(二)

・正面打ち小手返し(一)

指定技

・両手持ち四方投げ(一)(二)

・横面打ち四方投げ(一)

・正面打ち肘締め(一)座

・肩持ち肘締め(二)座


■NHK高校講座「世界史」 230528

 ラジオ番組が好きなので、政治経済とか倫理とか聴いていたのですが、世界史もきちんと通史をやっておきたいと思い、NHK教育のアーカイブ放送を一から全部みてみました。結論、大変面白いし、教科書には「すべては書いてあるけど、行間にも情報がある」ことを改めて実感させられた。それに加え、歴史を学ぶ時には、必ず時代背景をイメージすることが学びを深めること、更に、歴史的事実には、それを行う側と受ける側の見え方が全く異なることに意識的になることが言える。


2023年5月28日日曜日

最近考えたこと 230528まで

寝る前に軽く体操(みんなの体操)をする習慣がついたので、もう一つ「書く」習慣に挑戦。POMERAがあるから、できそうなこと。粗削りで、雑な日記です。


■カウンセリングは世界を救う! 230528

 カウンセリングのスキルって、いろんなところで役に立つ。個別面談でクライアントをエンパワメントするだけじゃなくて、エンパワメントされた人が醸し出す前向きエネルギーは、仕事のパフォーマンスだけじゃなくて、周囲にもいい影響を与える。いい影響を受け取った人たちは、やっぱりいい雰囲気を醸し出せるようになって、また周りにいい影響を与えていく。こうやって広がっていった「いいエネルギー」が作る気流みたいなものは、ちょっとした悪いことも前向きに乗り越えていくだけの勢いがついてくる。何か「やばっ」ってことが出てきても、犯人捜しじゃなくて「どうする?」に注力できるようになる。

 この1ヶ月で私がちょっと使ったのは、以前身につけたカウンセリングの技法の基本的なこと「聴いて、伝える」だけだったんだよね。愚直なことしかできないから、愚直にやってみただけなんだけどね、できることしかできないから。


■自分のこと、を聞きたいのになぁ 230527

 時に周囲の雰囲気とは全く「合わない」自分を感じることがある。その場のエネルギーの流れに乗れず、前からそこにあった岩が川の水を分かつような感覚。「何が面白いんだ?」と思っていろいろ考えてしまう。結果、面白い理由なんか全く理解できず、面白くないから笑うこともできず、時にその会話の内容を聞いていて不愉快になることもある。つくづく不器用だと思う。無反応は周囲にも伝播しやすく、その場の人間関係によっては完全に水を差してしまうわけで。最近は、こういうことを感じた時には、作り笑いまでいかない穏やかな顔を作ってから、席を立つことにしている。タバコが吸えない私は席を立った後徘徊してしまうことになるのだが・・・

 何か、いろんなところで思うのだけど、「その場にいない人の行動」を「指摘・評価して」「良くも悪くも笑いものにする」というのはいかがなものかと。それが、その場(2人なら2人の間、3人以上でも)の共通言語になるならば負の感情を伴う話題であっても、それはその場のエネルギーにのることができるのだけれども、その話題が「自分にとってそう思わない」ことであれば、そのエネルギーには合わせることができず、川中の岩になってしまう。その場に居続けるのは、岩に当たる水勢が強く感じるのと同様に、結構しんどい思いをすることになる。

 内容はどうあれ、私がどんな話題ににも合わせられるという条件はただ一つで、それが「私にとってどうか」ということが含まれること。他人のことを指摘したって、それを「自分とは合わないんだよね」と結んでくれたら、多分「なるほどね」と前のめりになれるのだろうな。逆に言えば、私が基本的にどんな内容であっても興味が持てる話題は、目の前にいいる「あなた」自身のことを、自分なりに表現しているものなんだよね。


■サービスの停止 230526

 地味だけど素敵なサービスが終了することになったとのお知らせがあった。残念である。私にとっては良質なテキストを安価で定期的に配信してくれるものだったので、最近では珍しい取り組みだなぁと思って利用していた。ちょっとした時間に内容を確認して、勉強になるというものでした。

 どうやら、支払いの都合によるもの、とのことでしたが、私目線では納得はいかない、でもきっと配信者さんにとっては大事なことだったり、あるいは、元々何かマイナスバイアスがかかっていたところに、今回の件があってこれを機会にと中止した、とも推測できます。いずれにせよ、しばらくは楽しく使わせていただいていたので、残念ではあるので、この方の次の取り組みに注目しつつ、サブスク費用は他に振り分けようと思います。


■動画広告 230523

 以前から、動画広告の品のなさには辟易させられているが、相変わらずである。「儲かる」とか「得する」みたいなものばかりで、とにかく集客すればいい、みたいな雑な内容を垂れ流されると、時間の無駄だし、利用するわけでもないのにこんな風に不愉快になったりしている自分にも嫌気が指す。ついに、節税をうながすような内容のものまで出てくるようになったが、「納税=損」みたいな前提で、投資を促すような内容で、これまた品のなさを感じてしまう。自分で商売やるのは勝手だけれども、高額な金券がもらえることをエサに、投資サービスに誘導しようとすることには、やっぱり組せない。

 やっぱり、人間の法則「本当に儲かる話は、独り占めする」わけで、相談してウン万円、広告打って何百万って積んでいくと、このサービスはどこかにしわ寄せがくるのだろう。だいたい、本当に儲かる不動産なら、人に売らないで自分で買うよね。


■個別面談 230522

 係長級兼務となって、とりまとめをすることになったチームそれぞれの係員と個別面談を実施している。作業が遅れているのはご愛敬。個別に話をすると、普段の行動ふるまいからは読み取れないような感情を見つけられることもある。大変面白い。「はじめまして」の人でこれである。二度目、三度目になる人は、その人の成長なんかも見えて、大変面白い。


■審査稽古 230521

 合気道の審査が7月に予定されている。3級に挑戦するつもりでいる。これまでいろんな技をやってきたが、その忘れっぷりたるや、あきれてしまうほどである。ただ、体術である以上、なんとなく覚えているものや、動き始めたら「なんとなく」動ける(ようにみえる)ものもある。とはいえ、合気道ってのは体系だったものだし、一つ一つの動作に意味があって、理想的に攻めて受けた時の一連の流れが技であるから、「なんとなく」ではまずい。大人になってから、頭と身体を同時に使って、同時に「わからない」が生じて、頭から煙が出てくるようなチリチリとした感覚を味わう機会というのは、本当に少ないので、焦りながら楽しんでいます。さて、どう覚えたもんかな。

2023年5月21日日曜日

ここ2か月くらいの出来事と都度考えていたこと

よし、がんばろうって気になってきました。ここ2か月くらいのことについて。

 ■キックオフ 230521

 ようやく、ようやく動き出した感がある。課題山積の兼務先で、ようやくキックオフミーティングにたどり着けた。モチベーションがちぐはぐで、前向きに動き続けられる人がいる反面、犯人捜しに躍起になってしまっている人もいる。まずは受け止めて、その上でベクトルを示すしかないが、どこまで力が及ぶか、という不安が常につきまとう。その不安も、やはり業務がわからないところに、とりまとめ役として人をひっぱっていかなければならないという役回りによるところだと思う。昨年度のこれを、少し楽しみながらもう一度気流を作っていくしかないのだろうな、と思う。

 思えば、とりまとめ役(リーダー≒今の職場なら係長級)というのは、上からは現場と観られ、下からは仲間と見られがちな位置なのだろう。いろんなスタイルがあるし、現場から持ち上がりでとりまとめ役になる人も少なくない。現場のことを知り尽くしている人と、まったくそうでなくて異動したらとりまとめ役だった、という私みたいな人もいる。そういうストレスがある、っていうことを、この1年で充分味わっているので、よく言えば慣れもある、悪く言えばまた負担になる、というところなのだろう。

 とはいえ、できることしかできないし、そんなに器用じゃない自覚はあるので、いつも通りにやるしかない、と思うこの頃です。体重は半年で4kgくらい減っています。身体は壊さないようにしよう。


■環境の変化再び 230514

 先月末にメモを書き留めた直後、隣の係長職が復職して復帰、そして先週末再度休職へ。チームのメンバーの混乱はもちろんのこと、管理職も動揺してしまっていたので、調整?というか、自分自身のバランスをとることに注力してきました。なんとなくキャスティングボードを握る形になってしまい、性には合わないのだけれども、とはいえ求められることはある程度やりながら、見える範囲をできるだけ広くして、できるだけ「全体」を意識した波乗りをしないと、他人の感情の渦に巻き込まれてしまう。幸い、兼務元の安定感があるのと、業務が少し落ち着いてきた(先が見えてきた)ので、協力が得られるため、こちらも交渉カードを切ることができて、今のところ感情面の被害は最小限に抑えられているのだと思う。

 席上でも言ったのだけれども、犯人捜しを敢えてするならば、復職者を係長職で戻せといった管理職よりももっと上の人たち、としておくこととして、それ以外の犯人捜しは生産的でないので、パーキングエリアに出すとしても表面化させないようにして、立て直しに動くこととする。幸いなことに兼務先にも、動揺しつつも、馬力を出そうとしている数名がいるのが心強い。立て直し、といっても、現状把握→計画→実行→ふりかえり→…は変わらない。短期間で騒げる実績と、些細なことを無視できる前向きな雰囲気の醸成、内外から援助が得られる雰囲気作り、とやるべきことはなかなか多いので、できることを最大限にして取り組んでいこうと思う。今年度は「生き残る」ことと「一つでも進める」ことが目標になりそうだ。


■環境の変化 230423

 4月に入り、昨年度と同じ職場で勤務しているのだが、環境の変化が甚だしい。

 まずもう何がって、隣の係の係長職が年度変わってすぐに退職してしまうというハプニングが起こりました。これが国の検査の数日前だから、もう混乱の極みである。提示された管理職案が個人的にも元の係にも到底了解できる内容ではないので、それを蹴って、最終的にはIyokiyehaが係長級を兼務する体制になってしまいました。個人的にはやり方工夫して乗り切ろうと思っているのだけれども、意外にもいろんなことに気を遣ってしまう自分がいるんだよね。1ヶ月で3kgくらい減量しているが、割とストレスになっているのだろう。

 便宜上、昨年度の持ち場を「兼務元」、今の体制で追加になった持ち場を「兼務先」と呼ぶことにして、これが集約じゃないのが、ちょっと悩ましい。要は、人を持っていかれるように見える「兼務元」と、助けに来てくれる期待を持っている「兼務先」とのニーズのベクトルが全く異なることに起因するやりにくさ、のことです。「兼務先」をどうにかしなきゃいけないから、そちらに注力すればするほど「兼務元」は面白くないわけで。逆に、戻れるか分からない(この辺は管理職と現場・私の意向が異なる)「兼務元」に立脚した言動は、助けて欲しい「兼務先」にはやっぱり面白くない、ということは容易に想像がつく。これがまた、職員の人間関係がいいので成り立っている、という微妙なバランスの上に成り立っていることを知れば知るほど、気を遣う。まぁ、それくらい気を遣わなきゃいかんのだろう。

 並列の課題として、他にもたくさんあるのだけれども、大きなところは新規採用者への関わりだろう。昨年度に新規採用者を受け容れ、更に今年度も受け容れている。係が一気に若返っているのはいいこともあるのだけれども、業務スキルとしては若干低下していると読むのが妥当だろうし、それを適切に引き上げていくところには、多少なりともケアが必要と考えるが、その馬力が確保しにくい。

 こういうことを背景に抱えながら、更に言えば、Iyokiyeha自身の課題なのだけれども、新しい仕事を人から習うところに時間がかかるということ。「兼務元」は係長業務を中心に、年度末にかけて全体で不足している業務をサポートさせてもらえる環境だったので、自然に教えてもらって円滑に作業に入ることができたのだけれど、「兼務先」は元々基幹業務に係長が食い込んでいるので、ダブルチェックに疑問のある作業が舞い込んでくることになる。これをどのように習熟して捌くか、という私にとっては若干苦手な作業が課せられることに対する不安がつきまとう。

 とはいえ、これは不運な末に対応を迫られている、というよりは「いつ、どこであっても、起こりうる」事象なのだろうと、考えられるくらいの視野は広がってきた。要は、係に女性がいるならば、出産・育児のためにいつ戦線離脱するかもわからないわけだし、このご時世、介護で休職なんてのは珍しいことではない。そもそも家族・少子化対策の一翼を担っている私の持ち場が、急に人が欠けることによって機能不全になるなら、それはそれでリスクヘッジに課題がある、といわざるを得ない。そもそも、同じ係員が事故で戦線離脱することもあるわけだし。

 ちょっと愚痴っぽく書き留めていたら、前向きな気分も生まれてきました。結局、現状把握→適応→行動→ふりかえり→現状把握→・・・というサイクルは変わらないのだなと思いました。そして、結局今回も我を通してしまっているのだな、と改めて自覚するに至りました。さぁ、がんばろうっと。

2023年5月13日土曜日

香取照幸『教養としての社会保障』東洋経済新報社、2017年。(以前Audiobook版聴取歴あり)

  医療、介護、年金、子育て支援、地域福祉、雇用保障など、「社会保障」とは様々な分野で人が生活する上で最低限必要なことを、公的制度として保障するものとして位置づけられています。「国民の『安心』や生活の『安定』を支えるセーフティネットである」と定義づけられるとしています(44頁)。その上で、「現行の社会保障制度の基本的な哲学は、『自助』を基本に『共助』で補完する」(47頁)とする、昭和25年の社会保障制度審議会勧告を引用して、原理原則を説明しています。この文脈に立つと、自助、共助、公助のうち、公助とは生活保護制度のことを指し、冒頭のように、いわゆる「社会保障」と言われた時にイメージできるような諸制度のほとんどは「共助」に該当する、と整理できます。そして、その原則は、国民が経済的・社会的に自立し、自分の生活を支え、自分の健康維持をはかる「自助」が基本にある、ということになります。「自立した人同士がリスクを分散するための制度が共助であり、自助があるから共助があるのであって、自助のない共助はない」(48頁)という一文に、社会保障制度のすべてが集約されているといっても過言ではないように思います。

 本書では、戦後の医療保険の発展から紐解き、年金に関する解説に続き、人口減少社会に関する現状と見通しに触れ、雇用、福祉、介護など各論を展開していきます。いずれも、歴史をきっかけに、現状、そして見通しの解説の上で、「提言」として著者の「こうなるといいな」が論じられています。特徴としては、どの部分を切り取っても、地域生活、社会のデザイン、そして上記で引用した社会保障制度の根幹を考慮して、著者(≠政府)が論じているという点といえます。多分、解説だけなら、中央省庁や学者さんの解説を読んだ方が詳しいのだろうし、提言なら(信頼できる)雑誌・新聞の記事なんかを読んだ方がいいのだろうけど、香取氏が官僚として社会保障にどっぷり浸かった経験が整理され、一般向けに(といっても、少し難しめだけど)まとめられている点が、大きな特徴といえるでしょう。

 制度とは「共助」であるわけですが、だからといって言われたことを何でもやればいいというものではないはず。かといって「自助」が基本とはいえ、その「基本」は社会規範にあったとしても個別事情まで考慮すれば、できる・できないの境界は明確に線引きできるものではない、といえるでしょう。だから社会保障制度は難しくて、だから人の手が必要だ、ということを、改めて確認する機会になりました。行政、社会保障に関わる人にはおすすめの一冊です。

藤井一郎『プロフェッショナル・ネゴシエーターの頭の中』東洋経済新報社、2011年。Audiobook版、2012年。

  企業M&Aの交渉現場のノウハウを起点に、心理学や行動経済学の知見を踏まえて説明する一冊。「相手に選択させる」ためのノウハウが詰まっている。

 専門的な知識や手法についても、様々に説明されているが、基本的にすべての物事について、交渉現場の知見から帰納法で説明されているため、経験はなくとも現場のやりとりの場面が想像できて、行動レベルのノウハウは理解しやすい。その上で、理由や根拠を専門的な知見から説明しているため、もう一段、応用が効く形で理解できる良著。

相沢沙呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠』講談社、2019年。Audiobook版、2020年。/相沢沙呼『invert 城塚翡翠倒叙集』講談社、2021年。Audiobook版、2022年。

  奇術士城塚翡翠シリーズ。推理小説なので、内容は詳述しないが、大変面白い。主人公城塚翡翠のキャラクターが立っているので、それだけでも読んで(聴いて)いて面白いのだけれども、推理部分が完全に事実に基づく論理によって暴かれるため、内容が小気味いい。奇術師としての側面が活かされる場面も観られるが、基本的には証拠と推理によって犯人を追い詰めていく。その語り口は、読み物として大変面白い。

吉武輝子、貴島操子、樋口恵子『こうすれば女子社員を戦力化できる』実務教育出版、1970年。

  図書館リサイクルシリーズ(初!)。このタイトルに打ち抜かれた。すでに絶版だろうし、半世紀前の書籍です。当時の常識と、それを当時の感覚で突き抜ける様々な事例や取り組みが語られていた。著者の3人はおそらくこの時代を生き抜いてきた女性たちなのだろうと察する。

 職場の花、男子よりも学がない、良家の子女かつコネがなければ入社できない、女性社員が配属されると男子がやる気になる、男性と同じ仕事はさせられない、男性と比して仕事の質が低い、などなど、現在(2023年)ではとても考えられないような「常識」の数々に驚かされる。図書館の職員さんも、なぜこの書籍をリサイクルに出したのだろうか、と疑ってしまいそうになる一冊。産業界の歴史の勉強だと思って、パラパラと流し読みをしてみました。この部分は、なんというか、ちょっと、面白さすら感じました。

 という書籍の中でも、純粋に学び取れたことは、モチベーション管理や、信頼感、行動で語ることができる姿勢、といったことは、半世紀も前から語られているということ、それも「当たり前」のこととして、今では仕事の効率化、職場定着の文脈で、50年前は女性社員が仕事に前向きに取り組めるようにするための方法として語られているということは、素直に学び取りました。今ではツールも方法も異なるけれども、きっと仕事(とかあらゆる活動)の根底に流れる意思とか向き合い方、人を人として認めることといった、普遍的とも言える人間関係って、きっと今までもそしてこれからも大切なことなのだろうと思いました。

ピーター・シス作、福本友美子訳『ニッキーとヴィエラ ホロコーストの静かな英雄と救われた少女』BL出版、2022年。

  ナチスドイツによるチェコ侵攻に伴い、イギリスに逃れた少女ヴィエルシカ・ディアマントヴァー(ヴィエラ)と、チェコスロヴァキアのこども達をイギリスに避難させることを、民間人として取り組んだイギリス人ニコラス・ウィントン(ニコラス)のそれぞれの物語です。大判絵本で、私の図書館シリーズです。

 イギリス人バンカーだったニッキーは、仕事というよりもプライベートで訪れていたチェコにて戦禍と関わることになり、その中でこども達の疎開をイギリスで受け容れることに取り組むことになります。その取り組みによって戦禍を免れた少女ヴィエラ。チェコで生まれ育ち、家族と暮らしていた平和な日常がナチスドイツの侵攻によって破られます。ヴィエラの両親はヴィエラをイギリスに逃がすことにしましたが、その後ヴィエラと再会することはできませんでした。

 この取り組みについて、ニッキーはその後50年ほど沈黙を守っていたのですが、家族がその資料を見つけて事実を知ります。テレビ出演したその席で、ニッキーの取り組みによって命を救われた人たちが名乗り出る、というエピソードによって、この取り組みが再び世に語られることになった、というお話です。

 どんな世の中にも、人としての信念を貫くことで、歴史の表舞台では語られずとも、人の命を救い、生活を支えている人がいるのだと、改めて感じ取れた一冊でした。戦争を知らない私のような世代の人間が、戦争を語ることには躊躇してしまいがちなのですが、子どもには、素晴らしい人の素晴らしい取り組みをプロが切り取ったものを、きちんと伝えていきたいと思うに至った一冊でした。

ウォルター・ワンゲリン著、仲村明子訳『小説「聖書」:旧約編(上)(下)』徳間書店、Audiobook版。

  「聖書」の内容を、現代語というか読み物として描いたもの。本書はそれを日本語に訳した物といえるだろうか。

 おそらく、「聖書」の内容を通読(聴)したのは初めてだった。通して聴いてみると、なんとなくだけど、古事記との共通点みたいなもの・ことが描かれている。神様は神格化されていることがある反面、大変俗人的で憎めないところがある。でも、やっていることは同じようなことで、きれいな女性と結ばれたり、わがままに離縁したり、感情的に国同士の争いに突き進んでいったり・・・世界各地に神話って語り継がれているわけだけど、意外な共通点みたいなこともたくさんあるのだろうな、と感じるに至る。

 結局、「聖書」となると、神様(God)との契約、が随所で語られます。神の意志に沿った生き方をすれば報われる。私利を優先させれば罰せられる。ただ、この神の意志というのも一貫している(のを読み解けていないだけかもしれませんが)とは言い難く、意外と属人的な意志なんだな、と感じる場面もしばしば。それで国が滅んだりするわけだから、実際にそこで生活していたらたまったもんじゃない、と思う場面も少なからずありました。

 とはいえ、世界中で読み継がれているものであり、毎週教会では聖句を取り上げてありがたいお言葉が語られているわけであり、本当に多くの人の拠り所になっているということについては疑う余地はない。何かの折に触れ、聖書で語られる言葉の背景や意味についても踏み込んで考える機会はありそうです。

西野瑠美子『七三一部隊のはなし -十代のあなたへのメッセージ』明石書店、1994年。

  書籍が並んでいるところを眺めていると、ふと本に呼ばれたように手にとる(とってしまう)本がある。今回はそんな一冊。次女と隔週で図書館通いをしていて、昨年あたりからポツポツとそんな感覚が戻ってきたのか、新たに身についたのか。昨年何冊か紹介しているティーンズ小説はそんな感覚で「呼ばれた」本たちです。

 「なんで七三一?」と言われそうだけれども、Iyokiyehaも説明できない。別に興味があったわけではないし、以前から追っかけていた情報でもない。でも、先日「呼ばれて」しまった。謙虚に学ばせていただく。

 著者の西野氏はルポライターとなっています。戦争関係の話題、というか主に「従軍慰安婦」の分野では、複数の著書含め著名人のようです。今までも何か読んだことがあるかもしれない。本著は、中学生への講演活動を通じて、もっと広く多くの人に日本の歴史を知らせる必要を感じ、元日本人従軍者や被害者家族などへの聞き取り調査を含めて書籍化したもの。中学生向け、を意識してまとめられたのか、表現は平易で読み手に考えることを促す問いが随所に含まれている。

 随分前に「七三一部隊展」みたいなものが開催されていたんですよね。私はまだ中学生か高校生くらいの頃だったけど。当時は、戦争の悲惨な側面、日本の(今で言う)黒歴史、人体実験が行われていた、といったことが伝わってきて、なんとも言えない気持ちになったものです。それから30年くらい経った今でも、こういう歴史の受け止め方には迷いが生じ、戸惑うものだ。とはいえ、記録に残る日本の歴史であることには違いないわけで、まずはきちんと受け止める。しかしながら、戦争のため、実験のためとはいえ、生身の人間を実験の材料(=「マルタ(マテリアル:材料)」という呼び方に通ずる)にしてしまう主体としての感情とは一体どんなものなのだろうか、と思いを巡らせてしまう。このあたりは人への興味が尽きないIyokiyehaの思考の癖かもしれない。「戦争下で感覚が麻痺していた」「大義名分があれば感情からは切り離して扱うことができた」「人ではなくマルタ=材料と捉えていた」など、三人称では様々な理由が考えられるし、そのどれもが「外れてはいない」のだろう。ただ、「当たっている」とも思えないし、主体が生身の人間である以上、感情という言葉では捉えきれない何かがそこに横たわっており、長い時間を経て変質していることなのだろう。

 この一件をもって、Iyokiyehaは善悪のいずれの立場も支えることはできない。善悪って相対的なものだから。ただ、歴史として受け止めて、今後の自分の生活、自分の周りの生活に「何かいい影響」をもたらすことが、歴史を学ぶ意義だと改めて考えるところです。この部隊の存在や研究成果がどこへいってしまったのか、この部隊に関わった人たちの処遇なんかを考えて推測することももちろん大事なことだけれども、そこにはきっと自分の人生への「いい影響」はないような気がする読書でした。ちょっと不思議な読後感でした。

2023年3月5日日曜日

映画「ドラえもん のび太と空の理想郷」

 ここ数年、毎年恒例になったドラえもん映画。今年はついに次女と二人になってしまった。まだ一緒に行ってくれるだけありがたいものです。

今年の物語は、新ドラえもん以降の書きおろしっぽいもので、トマス=モアの『ユートピア』(読んでないけど)がモチーフなのか、完全平等、争いのない世界を舞台としたもの。映画のドラえもんは、以前から型があって、登場人物と舞台のイメージがつくとオチまでだいたいわかってしまうのですが、その例に漏れず、出会いあり、スリリングあり、別れありの王道映画でした。娘(少2)も、そろそろ物語の筋が理解できるようになってきたので、観終わって飯を食いながら、「どこがおもしろかった?」みたいな話で盛り上がりました。

で、以下娘には一切言わずに考えたこと。

理想郷を描くことで、現代社会を批判する、というのは何かで時々見聞きするのですが、「理想の世界」って思い描くのは勝手だけど、万が一達成してしまったら、やっぱり人間は堕落するというか、考えない人間になっていくのだろうなと、よいこになったジャイアンを見て思いました。なんとなくイメージだけなら、修士論文で取り上げた無痛文明論とか、21世紀少年とか、ガンジーの思想とか、そういう世界観に通じるものを感じてしまいました。映画はドラえもんだから、友情で乗り越えるんだけど、そうじゃなくて、周囲の「当たり前」に飲み込まれないように立ち続けるのは、現実世界では大きな困難を伴うわけですね。そんな刺激はあったけど、映画は映画として楽しんだってことで、そこまでにしておこうっと。

2023年1月29日日曜日

身体技法再び

個人的なコロナ禍の影響で、結構大きなものが、合気道のお休み、でした。茶帯を視野にお稽古し始めたところでの休館ということで、いつ復帰できるかな~と待っていたのですが、ようやく復帰にこぎつけました。

未だに休館は続いています。ただ、昨年くらいから有志で場所を変えてサークル活動をしており、そこに誘われてはいたのですが、異動のゴタゴタと、時間帯に気持ちがのってこないことが重なってくすぶっていたのですが、昨年末からいくつかのきっかけが重なり、勢い任せで先週から活動に復帰させてもらいました。

日曜日夕方のお稽古に参加した結果、火曜日の夕方くらいまで身体のあちこちが痛かったのですが、まぁ、そのうち慣れるでしょう。ということで、ぶったるんだ身体と頭に喝入れて、お稽古に励みたいと思います。あっ、今度の相棒は長男ではなく(コロナ禍直前に辞めてしまった)、次女です。いつまで一緒にできるかな。

2023年1月9日月曜日

昨年の残り物

 書籍やその他諸々の感想文をまとめてアップしました。もっとマメにアップした方がいいんだろうけど、POMERAを買って、マメにメモをとれるようになったことと、PCを立ち上げる機会がぐっと減ってしまったので、しょうがないですね。

今日アップした分は2022年に書いたものだから、2022年の実績に組み込まれています。2023年にはカウントしないように(備忘録)。

松田宏也『ミニヤコンカ奇跡の生還』山と谿谷社、2010年。(文庫版。底本は同名書1983年)

 土曜日の朝にラジオNHK第一で放送している、「石丸謙二郎の山カフェ」のゲストに、本著者松田氏が出演しているのを聴いて読んだ一冊。図書館で底本を借りて、その迫力に触れ、書籍版を購入した。

 学生時代にワンダーフォーゲル部に所属していたIyokiyehaにとって、山岳読み物は身近なものではあるのだが、同じように遭難や事故の知らせを聴くことも、少しはイメージがつく故、ある程度のリアリティをもって感じとれるものがある。とはいえ、当時から思うことだが、山岳部の山に対する知識・技能はワンダーフォーゲル部のそれとは比較にならないものがある。本著の写真一つをとっても「なんでこんなところで寝られるのか?」というアタックキャンプが写っている。

 日本の山岳史上においても、遭難は珍しいことではない。ただ、ここまで悲惨な遭難から生還した経験と、そのリアルな記述において、本著は他の書籍とは少し雰囲気が異なる。松田氏は「命を賭けた冒険の裏に起こった数々のミステイクをあえて公表しなければならない」(288ページ、あとがきより)と、ミニヤコンカでの遭難に「数々のミステイク」を認め、ごまかしなく書き切っているのだろうと察する。アタック前からの隊の不協和や、ピーク直下の邁進、菅原氏を置いて歩を進めたことの後悔など、生還したことを美談にすればごまかせるようなことも、本著では淡々と記述されている。とりたてて目立つ記述ではなく、あくまで起こったことを淡々と、その時の自分の身体の様子や、幻聴といえる身体の内側から起こっている感覚異常も、日本語として記述している。現実感のない記述と思わせる箇所がないわけではない。ただ、そんなことは置いておいて、本著を通じて一貫して描かれ、すべての文章から感じられる意思としては「松田宏也は一度たりとも死を受け入れず、生きることに執着している」(300ページ、阿部幹雄氏の解説)ことであろう。後悔や一時の諦めがあったり、仲間に悪態をつくことがあったとしても「これでいい、ここでいい」と自ら死へ向かうことなく、生きて帰る、の一心で歩き続けたことは一貫している。一気に読ませる迫力がある。

 見れば、著者の続刊があるようだ。帰国後、今に至るところで、松田氏が何を考え、どう生きているのか。生き様から謙虚に学びたいと思う一冊だった。

山崎史郎『人口戦略法案 -人口減少を止める方策はあるのか』日経BP、2021年。

 職場で共有されていた、何かのセミナーの動画を視聴したときに、その講師だった山崎氏の近著。2022年夏の時点では、内閣官房参与(社会保障、人口問題)及び全世代型社会保障構築本部総括事務局長となっている。元々厚生労働省(旧厚生省)に籍があった方。そのセミナーは、人口減少問題を取り上げたもので、残念ながら視聴期間が超過してしまったのだが、その内容が本著を基にしたものだと言われていたので、手に取った一冊。その分量に驚くものの、内容はまるで実際の資料を基にした講義を受けているかのような錯覚に陥るような書きぶりで、重厚な内容でありながら、小説仕立ての大変読みやすいもの。

 現在の私の立場、守備範囲を拡張して視野を広げて読んだときには、労働政策と子育て政策とは(厳密には)別物で、これまで労働政策として取り上げてきた育児休業(と給付)制度とは別の「普遍的な子育て制度」の創設あるいは再検討が望まれている、ことが推測される。働いている「から」使える育児休業制度だけでなく、「子育てをするための」育児制度が必要といえる。子ども・子育てを考える上で、労働政策はその対象の一部しか補足できない、というパラダイム転換が必要だとする論点が、大変印象的だった。

 社会保障の観点から、出産支援制度の充実、保育を含めた子育て支援制度の充実に留まらず、日本の世帯特性を踏まえた結婚(出会い)支援への広がり、ライフプランの見直し、人口問題として一段視野を広げたときに三本柱として取り上げられる地方創生と移民政策。前半の出産・子育ては今の私の立場ど真ん中の内容だが、地方創生(乱暴に言えば、「東京からの転出を増やす、東京への流入を減らす一連の取り組み)の意味や取り組みの本質に触れられていたり、議論百出の移民政策が関わってくる。こうしたことを踏まえた「一億社会」であって、決して出生数を増やすことだけが人口政策ではないことがよくわかる内容である。中央省庁の仕事とその背景、地方公共団体との関わり、国会対策と、小説としての内容も負けておらず、静かな感動がある。

 これだけ広範な内容を、データに裏付けて説明する技法は、公務員の大先輩として学ぶことばかりであるが、それを小説として、勉強会等での報告、という形で話し言葉で描く手法は、これからの書籍のあり方にも一石を投じる内容とも思われる。論文調ではなく、面白おかしい物語ではなく、その間を高次元で表現する技法にも素直に感心させられた一冊といえる。行政(自治体)には、くだらない人間関係はあるが、静かな大きい感動もある、ということが伝わってくる良著といえる。

DJ Nobby『実は大人も知らないことだらけ 経済がわかれば最強!』KADOKAWA、2022年。

 以前からラジオ番組や、昨年のVoicyFES、それ以降はVoicyの番組などで名前は聞いていて、いい声の人、わかりやすい解説ができる人、と評価していたDJ Nobbyの著書です。題名そのまま、宣伝そのままの経済ニュースの初心者向け解説本です。

 分かっているようで分かっていない経済用語やトピックス、歴史的事実。なんとなくイメージがあっても、それをうまく説明できない=理解していない。子どもに問われても、調べないと答えられない、あるいは答えていてもしっくりこない=理解していない、こういうことが増えてきたように思うこの頃です。特に経済の事象は、新聞を追っていれば言葉は頭に残っているのですが、その構造や前後関係が読み解けていないと、やはり単語レベルの記憶にしかなっていないのですね。

 本著は、多分この立ち位置から一歩踏み出すための一冊になると思いました。いわば「政治・経済」の教科書を読み解くための参考書、辞書的な使い方ができる内容です。索引からキーワードを引き出すこともできるし、キーワードやトピックから歴史的な前後の流れをまとめて読み解くこともできる。経済中心ですが、近現代の世界史・日本史を理解する一助になる本のように感じました。

古賀史健『20歳の自分に受けさせたい文章講座』星海社、2012年。

 現役ライターの古賀氏が「文章を書くこと」を語った1冊。どうしたら伝わる文章になるのか、ということにこだわった内容となっている。「気持ち(ぐるぐる)を翻訳する」「リズムにこだわる」「見た目は大事」「立場を変える」「ハサミを入れる」という5つのテーマから、どうすれば人に伝わるか、どうすればもっと伝わるか、ということを具体例を盛り込んで説明している。

 伝わりやすさは100点の出ない相対的な概念で、文法的に正しいことや話す内容、とは異なる。もちろん、係り受けは大切で、正しい順序で文章ができていることは最低限のことであるが、それを文章として読者に読ませるとなると、これは伝える側の熱量だけでは説明できず、書き手のスキルが問われる。

 Iyokiyehaは行政職員なので、もちろん行政文書として誤読させない技術は必要なのだが、それとは重なりつつ少し立ち位置をずらし、読む人に「伝わる」書き方を入れ込む必要がある。理想的、究極的には相手その人(の理解力)によって書き方は変わる。しかし、そこまは現実的でなくとも、想定する対象にきちんと伝わる書き方ができることは、上記技術と共に必要といえる。本書は後者に関して、豊富な示唆を与えてくれる。


(以下引用と感想)

30 書くのではなく、頭の中の「ぐるぐる」を、伝わる言葉に「翻訳」したものが「文章」。 ぐるぐる=頭の中を駆け巡る、言葉と言葉以外のぼんやりした「感じ」や「思い」のこと

42 聞いた話を誰かに話す。これは「翻訳」の第一歩だ。

 話すことによって得られる①再構築、②再発見、③再認識

135 文章を書くことは、他者を動かさんとする「力の行使」なのである。

 自分の文章の中に「主張」「理由」「事実」の3つがあるか。そしてこの3つはしっかりと連動しているか。これらによって「論理的な文章」になる。

143 面倒くさい細部を描いてこそ、リアリティを獲得する。

 読者の理解を促し、文章の説得力を強化する。

168 たったひとりの「あの人」を思い浮かべて書く

 みんな、万人を動かす、喜ばすことはできない。

197 文章の「起『転』承結」を成立させるためには、冒頭に「自らの主張と真逆の一般論」を持ってくる必要がある。

 仮説と検証で、読者を巻き込む=読者を当事者にする。

 そのためには「一般論→仮説(関係は『一般論⇔仮説)』を早く提示すること。

 起:一般論

 転:仮説の提示

 承:根拠・事実

 結:締め

 ①主張、②反論、③再反論、④結論

212 文章とは「答え」を示すものではなく、その「解き方(ゴールまでの道のり)」を示すもの

 =論理

 「自分の頭でわかったこと」以外、書いてはいけない。

239(編集について)「ぐるぐる」を紙に書き出す=可視化

 ①キーワード、連想→②それ以外 で2回はブレストする

 自分を疑う、疑いを晴らしていく=説得力になる。

264 言葉で反論しなければならないということは、それだけ言葉が足りていないのだ

250(推敲について)推敲とは、ある意味サンクコスト(もったいない、と思う自分)との戦いだ。

251 少しでも長い文章を見つけたら、さっさとハサミを入れて短い文章に切り分けたほうがいい。

 ①冗長さを避けてリズムをよくする

 ②意味を通りやすくする

 ③読者の不安をやわらげる

 +図示できるか? 主張や論理展開を図で表すことができる=明確な文章

268 「いい文章」とは「読者の心をうごかし、その行動までも動かすような文章」のこと


スティーブン・R・コヴィー著、フランクリン・コヴィー・ジャパン訳『完訳 第8の習慣「効果性」から「偉大さ」へ』キングベアー出版、Audiobook版。/スティーブン・R・コヴィー著『完訳 7つの習慣 30周年記念版』キングベアー出版、Audiobook版。

 価値の置き場を、outside inから、inside outへと転換する。「刺激と反応の間には『選択』がある」というシンプルな法則。目の前にある当たり前のことに、自分にとっての価値を見いだす。問題だと思っていることは「周囲を変えようとしていること」である。自分には変えられない。自分で変えることができるのは、自分のみ。習慣の力。

原田ひ香『三千円の使い方』中公文庫、2021年。(初版は2018年版)

 今年(2022年)の初め頃、書店で平積みになっていた文庫小説。4人の女性にまつわるお金の話、短編小説の形式だがそれぞれの話が最後にまとまっていく。読み物としては、シンプルに面白い。

 身内の4人が、それぞれのライフステージでお金について考える。終活?夫の定年後?子育て中?結婚相手?。どの話も、いわゆる「普通の」家庭でどこにでもありうる内容である。だからといって地味な話なのか?というと、地味ではあるが、ぐいぐいと読ませる内容である。自分の生活に重ねるところがあるからなのか、イメージがしやすいからなのか。そういうことを考えていると「日常を描くことの難しさ」みたいなことが意識の中に立ち上がってきて、著者の表現力の豊かさに気づかされる。著者の世界観に引き込まれている、という感覚ではなくて、自分の生活にいつの間にか「いる」ような感覚である。ファンタジーを読んでいる時には絶対に感じられない感覚なのだろうが、とはいえ、自分の中に確かに入ってくる感覚が大変新鮮である。

 「お金」≒生活費という共通点はありながら、背景も悩みも異なる4人が、それぞれの立場で悩んで、悩んで、それなりの着地点を見いだしていく。決して正答とは言い切れないが、とりあえず納得して過ごしていく。言ってみたら、人の生活なんてのは、そういうことの繰り返しなのかもしれない。そう思わせる生活像を描ききる著者の力量に、素直に脱帽です。

■以下引用

337 お金や節約は、人が幸せになるためのもの。それが目的になったらいけない。

347 (略)「他人は他人、自分は自分」なんてことは誰にだって耳にタコなのです。それでも心の粟立ちを抑え込めないのが人間なのです。


濱野京子『空と大地に出会う夏』くもん出版、2022年。

 図書館シリーズ。いわゆるティーンズ小説。最近は、こういう軽い読み物をぱぁーっと読むのが楽しい。

 言葉でうまく説明できないことが苦手な小学校6年生の理一郎。「~かも」とか「多分~」とか、そういうことが苦手で、周りからも合理的と言われる。そんな(ちょっととっつきにくい)子が、何を考えているかわからない(ように見える)大智と、無駄が多い海空良と出会い、一緒に過ごすうちに、「言葉でうまく説明できないこと」が自分を変えていることに気づいていくお話。

 「楽しそう」にピアノを弾くとか、「気が向いたら」教えてもらうとか、これまで受け入れがたい、苦手な「言葉でうまく説明できないこと」が、自分の周りに、身近な人にもたくさんあって、他ならぬ自分も「うまく説明できないこと」のために母親と喧嘩してしまう。

 こうやって人は成長するのだな、ということを「うまく説明できないこと」を通じて描く小説。ティーンズ向けだろうけど、読ませる箇所がいくつもあって、ついつい没頭してしまった。小説っていいですね。

■以下、引用

7 ふわっとなんていわれても、理解できるわけがない。ぼくは言葉できちんと説明できないことがきらいなのだ。

115 言葉でうまく説明できないことに出会ってしまった。(大智と海空良とともに、鳥を見にいくと決めた直後。その自分の判断をふりかえって。)

124 おどろくことと、なにかいうことはべつ。(髪を短く刈り込んだ姉の姿を見た母の反応)

166 わからないのも、悪くない、と思った。わかる楽しみがふえるからだ。

能勢博『ウォーキングの化学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』講談社、Audiobook版。

 audiobook.jpの10月聴き放題でとりあげられていた一冊。最近は通勤時間を効果的な運動に使いたいと考えているので、試しに聴いてみた。

 期待以上でした。ただ歩くだけでは、10,000歩/日継続して歩いても(きっと長い目で見たらいい効果はあるのだろうけど)生活習慣病や疾患リスクは低くならない。だけど、その歩き方を「インターバル速歩」に切り替えるだけで、驚くべき健康効果がある、という内容。

 早歩き、息を整える歩き、の繰り返しで、早歩きが週で1時間くらいになると、健康維持・向上になることがわかった。また、朝イチの頭と身体の同期のための5分間ウォークは、早速取り入れることにした。社会的調査だけでなく、医学・生理学観点からの解説が、ヒトの身体を理解するのに、とても参考になった。

三島有紀子『しあわせのパン』ポプラ文庫、2011年。

 同名の映画を基にした小説。Iyokiyehaはこの映画大好きで、もう何回観たかわかりません、ってくらい。DVDを買って、PrimeVideoでも購入してしまった。テンションがあがるわけでもなく、身体が疲れている時に観るとほぼ間違いなく寝てしまうのだけれども、何度観ても心が安らぐ作品。

 主人公の水縞くん(大泉洋)とりえさん(原田知世)の、表情と会話の行間に描かれる心情、料理のシーンとできあがった料理とそれを食べる人たちの笑顔が静かに静かに、そして内側から暖かく表現されている。多分、作品を通じて描かれているテーマは、人の幸せとか、生きることとか、仲間とか、そういう生きる上での本質的なことなのだろうけど、それを日常+アルファくらいの身近な営みを通して描く作品。言葉は少なめ、笑顔がちょっと多くて、表情で人の営みを描いている作品なのだろう。

 何度観ても、理屈じゃないものが身体を通り抜けていく感じがする。Iyokiyehaの中では、暫定1位の作品です。もう、大好き。

ジョージ・ルーカス原案、梶尾真治訳『笑うバルセロナ ヤング・インディ・ジョーンズ12』文藝春秋(文春文庫)1993年。

 インディジョーンズ若き日の大冒険12作目。時系列的にウィーンの後だと記憶していますが、フランス情報局の諜報員としてバルセロナで活躍する様子を描く。

 第一次世界大戦のこのあたりの背景って、(私が勉強していないだけかもしれませんが)よくわからないんだよね。そういえば、スペインって中立国だったっけ?って感じで。こういういわゆる緩衝地域というのは、世界を二分する戦争中にあって、お互いが乗り入れる自由と緊張感のある雰囲気だったのかもしれない。もう一度歴史を勉強しようという気になる。

 確かにテレビシリーズで観たときのこの回は、舞台の本番中に宦官役のインディが腰を振ってモールス信号を送りつけるシーンが面白かったということしか覚えていないんですよね。世界大戦が終結に向かっていくところの情報戦を面白おかしく描いている本作は、激動の時代をスパイの活動を通して描いていると読めば、この作品の本質が見えてくるか。

堀内夏子『イカロスの山』講談社、Kindle版。(マンガ)

 我々世代だと、マガジンで連載していた『Jドリーム』の作者堀内夏子氏の山岳ドラマ。数年前にセールで一括して購入していたのを先日見つけて(Amazon Kindleあるある?)連休を使って一気に読んでみた。

 メインテーマとサブテーマに分けて、以下私はメインの山岳ドラマのみに触れます。サガルマータ(エベレスト、チョモランマ)付近に、世界第二位と推定されるピークが確認され、各国から山岳チームが組まれ、その登攀を競う背景の中で、日本人チームに加わった2人を描く物語。

 いわゆる山岳モノって、リアリティを追求すれば、それが分からない人にとってはただただキツい地味な(だいだい)汚い怖いエピソードが並べられがちなのだけれども、本作は堀内氏の画力も手伝って、大変バランスのいい描き方になっていると思った。一気に読ませる迫力があり、山岳あるあるを適度に織り込んで、それでいて登攀の過酷さを伝えながら、多分本当にキツいところは丸く表現している、というか・・・とにかく読んでいて小気味よさやテンポの良さを感じる内容でした。

 サブテーマの方は人それぞれだってことと、連載雑誌の雰囲気みたいなものもあるから、読む人それぞれの解釈ってことで。私にはハマらなかったなぁ。

永松茂久『人は話し方が9割』すばる舎、Audiobook版。

 話し方について、様々なノウハウを紹介するもの。話し方によって、人間関係が良好になり、苦手な人ともうまく関わることができるようになるので、自分の周りから「嫌な人」がいなくなる、という常識を覆す考え方にも触れることができる一冊だった。

 「この人ともっと話をしたい」と思われるためには、論理の構成だけでなく、それを表出する技術もやはり大切である。自分軸(オレ、オレ)ではなく、相手軸に(あなたは)で考えること。褒め言葉を謙遜するなら、きちんと受け止めてから。相手に「しあわせでありますように」と思って接すること。否定しない。うなずき。プラストーク。いいことリストの作成。自己紹介は、経歴から自分の思いや人への感謝を伝えられるようになるとよい。しくじりリストで笑いのネタにする。人をいじるのは芸人さんの高等技術であるのと合わせて、環境ができているからできること、シロウトがマネをすると不快感すら生まれる。など、本当に様々な「話し方のコツ」を理由とともに説明している。

 確か、一時期この本がベストセラーになっていたように記憶しているが、気軽さと内容とが同居している良著といえる。

樺沢紫苑『ブレインメンタル強化大全』サンクチュアリ・パブリッシング、Audiobook版。

 人の脳機能を活性化する行動案を紹介するもの。日中の脳機能を充分に発揮するためにできること、やった方がいいことについて、生活上の様々な行動を提案するもの。

 参考になることは多かったが、特に印象に残ったのは、きちんと寝ること、脳と身体を同期させること、である。

 前者は、月並みであるが、睡眠の質と量を両方とも充実するためのノウハウがたくさん紹介されていた。すでにやっていることはもちろん、やはり「量」が重要だということを改めて理解した。私は睡眠負債が貯まっている状態であるという見方もできた。

 後者は、これまでの習慣に加えるもの。朝起きて一時間以内に朝散歩することによって、脳機能と身体機能の時間を合わせることになる、というもの。本著で著者は、睡眠、運動と併せて、この「朝散歩」を強く推奨している。運動とは異なるものとして、リズム運動を朝取り入れるもの。朝の活動だが、日中のパフォーマンスだけでなく、睡眠の質も良くなる。すでに私はラジオ体操の習慣があるので、ゴミ捨てついでにほんの5分ほど、町内を散歩してみようと思う。

久保田弘信『世界のいまを伝えたい』汐文社、2019年。

 図書館シリーズ。最近はティーン向けの読み物に手を出している。理由は、読みやすく、2時間かからずに読めて、内容が凝縮されているから。

 久保田氏は9・11前後のアフガニスタン、イラク北部でのIS掃討作戦など、戦闘地域を現地側から取材していた、フォトジャーナリスト(戦場カメラマン)。ひょっとしたら、何かの折にメディアで見たことがある人かもしれない。本当にすごいことをやっている人だと思う。とはいえ、時々聞かれる「危険を顧みない人」「好んで危険を選んでいる」といった印象は受けない。題名にあるように、純粋に「世界のいま」を伝えることにこだわりこだわりこだわり抜いて行動している人のように思う。

 難民の暮らしや、難民キャンプの様子、国外避難している人の現状や戦争下で生活を余儀なくされる人たちの姿を、カメラにおさめる。久保田氏の仕事を言葉にすると、こういうことだが、その写真が語る世界は、私にはどうやっても見えない世界の姿が写っている。その写真がすべてではないが、少なくとも私の世界の範囲の外にある世界を切り取って教えてくれる。フォトジャーナリストの仕事ってそういうものだと思う。もちろん、いろんな人がいるわけだから、何らかの意図をもって被写体にカメラを向ける。その意図が、私のイメージと全く違う人がいるかもしれない。ひょっとしたら、久保田氏もそういう人かもしれない。世の中には往々にして、そういうことがある。とはいえ、私にとって言葉にできない「何か」があった一冊であることは、自分の感覚に照らして事実である。だから、それでいいと思う。私の世界を広げようとしてくれた一冊に感謝である。

 難民にも、戦争に参加する兵士にも笑顔がある。悲しい姿だけではない。そういう「人」を撮り続けるのだろう。ジャーナリストのプライドをもった人のように思った。

■引用

103 ジャーナリストの使命は、光が当たっていないところへ光を当てることだと思う。

140 撮影の技術があり、根性もあって、現地へ行くことができても、それだけではジャーナリストになれない。ジャーナリストとしてのいちばんの資質は、「この人に話を聞いてもらいたい」、「この人になら写真を撮らせてもいい」、「この人に託したい」と、相手に思ってもらえることだ


映画「すずめの戸締り」

  長女が友達と観に行ったのを聞き、次女が「観に行きたい」というので、休日朝から映画を観に行く。新開誠氏監督の「すずめの戸締り」。前々作「君の名は」を地上波で何年か前に観ていた程度の予備情報で、本作に関する情報はほぼなしの状態で観に行く。

 なかなか見応えのある映画だった。評論するものではないが、戸締まりを災いを封じることと、鈴芽(すずめ)の成長と重ねるファンタジー。展開が速くテンポがいいことと、とこよ(常世・黄泉の国)、うつしよ(現世)を分かつ「扉」を巡り、様々な人間模様と出会いが描かれる。一つ一つのエピソードが、深入りすれば人生や成長のメタファーになっているのだろうが、そういうこと抜きにしても見せ場が多く、世界に引き込まれる内容だった。

2023年1月3日火曜日

2022年総括、2023年の抱負

  あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 病気としては終わる気配のないコロナ禍ですが、世の中は緩和ムードです。4月に異動があって、前職と関連のあった障害者支援の現場から、就学前の子どものインフラ(保育園とか幼稚園)に関わる、ザ・公務員みたいな事務職(給付とか補助金の担当)に転向しました。この異動に伴って、馬車馬のような働き方から、後輩を率いてチームの仕事をする立場(いわゆる係長級というやつです)となりました。職場の変化が生活にも多少なりとも影響した一年と言えるかな、と振り返ると思うところがあります。先日、日記帳を新調した(Iyokiyehaは1月始まりを使っています)ところですが、パラパラと振り返っても、環境の変化に、思考と行動をなんとか適応させてきた一年だったことと、そのおかげで視野がずいぶん広がったことを実感することができました。

 毎年恒例の一年の総括をしておきます。2022年はこんな感じでした。

1 読書の継続 20冊+Audiobook20冊分+α

2 10分体操+素振り15,000本

3 30分程度を目安にした勉強習慣をつくる

4 新しい仕事・勉強に前向きに関わる。心穏やかに過ごす。

 1の読書は、今年は感想をアップできた読書が49冊分(未公開を含む)、Audiobookが27冊分(未公開、感想文なしを含む)、その他にマンガは多数、映画は「ドラえもん」「すずめの戸締まり」、オンデマンドで「しあわせのパン」くらいか。あと、今年の収穫はやっぱりVoicyかと。「高山ゆかりの話し方のハナシ」(高山ゆかりさん)、「精神科医のココロに効くラジオ」(kagushunさん)はプレミアムで、他多数のパーソナリティの放送をラジオ感覚でマメに聴くようになりました。PODCASTや、ラジオ放送を含めると、耳からの情報収集についてはかなり確立してきた感じがします。書籍と向き合う時間はずいぶん増えてきました。いい傾向。2022年は、時間捻出のためにティーンズを含む小説にずいぶん手を出したので、これは継続しつつ少しずつ文学や専門的なものにも挑戦していきたいと思っています。ベクトルがずいぶん前向きになってきたので、読書筋力も意識して推進していきたいですね。

 2は、朝のラジオ体操第一+5分ウォーク+素振り50本、通勤+1,000歩ウォーク、ぶらさがりorスクワット、週末ジョグor5,000歩ウォーク、で大体習慣化しました。週末の懸垂をぶらさがりにして、休日ジョグ・ワークアウトを平日ウォーク+αに切り替え、瞬間負荷を軽くすることで、体重維持・ゆっくり筋力アップにつながっています。この歳だから、見せる筋力は要らんけど、木剣素振りの音がずいぶん変わってきている気づきがあるので、使える関節・筋肉は維持できているかと思います。体重はゆっくりと2kg減くらいです。一つ懸念は、8月に新型コロナ陽性となった後、午後の倦怠感がひどく、軽い易疲労が続いていることがあります。文献やケース報告なんかを調べると、易疲労や倦怠感の症状はもっとひどそうなので、そんなに関係ないのかもしれませんが、平日15時前後は文書が頭に入ってこない、会議でも人の話を理解するスピードが明らかに遅い、などの感覚があります。まぁ、元々緊張感がなくて集中力の維持が難しい傾向はあるので、作業順を切り替えて対応していますが、どうなることやら。うまく付き合うしかないね。

 3は、仕事とは異なる時間帯に読書や音声教材を使う、という試みをやってみています。しかしながら、喫茶店の値上げや営業時間短縮、慣れない仕事でスケジュールが組みにくく超過勤務が増える、などの状況があるので調整が必要です。週末は家庭で過ごすことと割り切って、平日に時間給とって勉強したり、イベントやセミナーにWebで参加する、といったことはできそうな気がしています。うまいこと時間を有意義なものにしていきたいと思います。

 4の前段は、ここまででも触れましたが、新しい仕事にも「そこそこ楽しく、前向きに、慣れなくても勉強して決めていく」ことを大切にやっています。チームには大変恵まれ、上司にも恵まれた環境なので、今の職場にはなんの不満もありません。いらん心配なしに、経験積んだり、知識蓄えたりできるのは幸せなことです。後段は、いろいろ試行錯誤していて、身になることと、調整中のことといろいろあるけれども、着実に前進している感じはあります。まだ、前向きスルーや不惑の境地には至れないのだけれども、自分に正直に、反応せずにいれることもしばしば、どちらかというと受け流す行動をいくつか身につけた、というところです。深呼吸、手遊び、回避などの行動と組み合わせて、自分の感情と向き合うことを意識できてきています。「刺激と反応の間には『選択』がある」という言葉が身にしみるこの頃、「選択」の余地を少しでも広げることと、反応の前の選択を意識することが自然にできるようになるといいなぁと思います。精進あるのみ。


 と・い・う・こ・と・で。

 2023年は、今のベクトルを維持しつつ、思考の土台を強靱にするべく、こんなことを意識していきたいと思います。

1 読書の継続 30冊+Audiobook30冊分+音声コンテンツ+α

2 10分体操+素振り15,000本(維持)

3 30分程度を目安にした勉強習慣をつくる(習慣化)

4 仕事のスキルを向上する

5 心穏やかに過ごす

 1は、これくらいいける。むしろこのくらいの分量を維持して、3,4につなげていく土台として知識面の数値目標とする。

 2は維持。今の習慣で継続してみる。アレンジはいいが無理はしない。欲張らないことを意識する。見せる筋肉は不要。

 3、これをどう捻出するかが、今年のカギかな。生活とは両立させる折り合いの地点はどこか。できるだけ効率よく情報インプット・アウトプットの習慣をつけたい。

 4は、今の持ち場が腰掛けではなく、今後数年は腰を据えて考えて自分の意見を持てるようになるために、きちんと勉強をしたいということ。それに加えて「チームを率いる」ことについても、いろんな知見を取り入れて、自分の力だけではなく「チームによる相乗効果」を生み出せるような、そんなリーダーになるための力を蓄えていきたい。

 5は継続。きちんと「選択」できるような物事の受け止め方ができるようになること。そして不快な感情を表情に出さない術を身につけること。


 こんなことを考え、意識して今年一年、自分を磨いていきたいと思います。今年もよろしくお願いします。