2008年10月15日水曜日

大きな水瓶のような・・・

師匠と合気道の稽古をする最中、崩しの練習をしているときに「極めかた」みたいな内容となる。
言葉でまとめるのは難しいのだけれども、例えば手の甲。
左手の甲を右手の親指で押さえていくと、他の部分とは違う痛みを伴う箇所がある。
そこは、おそらく「ツボ」みたいなところだと思うのだけれども、その場所を押さえる右手の使い方で、ただの圧迫か、突き抜けるような圧迫になるかの違いがある。

同じことは、足の甲にも起こりうる。
相手の足の「ツボ」みたいなところを、自分の足の親指で押さえていくと、やはり痛みが違う箇所があり、押さえ方によって突き抜ける痛みを発することがある。

「ツボ」みたいなところを「身体の継ぎ目」とでも、とりあえず呼んでおくことにする。
そして、押さえ方は、「体内の力の流れの出し方」とでも捉えておく。
この後者の表現は難しいところだけれども、圧迫する力に「気」を乗せるとでも言うのだろうか。
同じ押さえ方でも、それが手首を起点とした親指によって作り出される圧力なのか、それとも、目に見える動作を伴わなくとも、体内の骨格および筋肉、果ては血流みたいなものの動きが一体となって生みだされる圧力なのか、という点で、力の出方が全く違ってくるといえるのではないだろうか。
それは、水を多めに入れた水瓶を担ぐと、水瓶の中の水が動くことによって、重心が変化する様子に似た感覚のようにも思われる(完全に密閉した容器に水を入れた時に、内部で水が動くかというと、私は知らないところだが)。

太極拳の動作にも似たところがあるように思われる。
「身体の継ぎ目」に、「体内の力を集中して出す」ことによって、身体の内部にダメージを与えるらしいですから。
合気道は、「身体の継ぎ目」を利用して、「体内の力と移動力」によって相手の身体を制御するとでも言うか。
共通点はありそうですね。