2008年11月3日月曜日

レセプターの質と網の目 -気づけること、気づけないこと

後悔もしていないし、必要以上に美化しているつもりも、美化するつもりもない。
ただ、自分にとって結構なインパクトだったので、記録しておきます。

部屋を片付けていたら、学生時代の私用の手紙がごっそり出てきました。
自分でも忘れていた封筒が発掘されて(笑)。
実家の自分の部屋を、何年かぶりに大掃除したので、そういうものまで出てきたんですね。
いろんな人と、いろんな手紙のやりとりしてたんだなぁと、懐かしんで目を通す。
そして、その大部分を処分しました。
過去との決別なんてものじゃないけれども、数年寝かせたものから大切な「気づき」を得たので。

当時は、プライベートな手紙がアパートのポストに入っているだけで舞い上がっていた頃。
今のIyokiyehaの経験と知識と照らしてみたら、その兆候が随所に散見されるわけです。
いろんな人からの、いろんな感情が乗せられた書簡。
とんだ思い違いをしていたことに気づかされるものもあり、恥ずかしいやら、苦笑いやら、そして「はっ」とする内容まで。

強烈な「気づき」でした。
自分が思い違いをすることによって、相手を不快にさせることもあり、得られる機会のあったものが得られなくなったり、そればかりか手の届かないところへ行ってしまったり。
「私」が直接の原因となって、とりかえしのつかないことになったわけでないことがわかるがゆえに、後悔はしないけれども、こう、胸にもやもやとしたものが残ったり。
同じ刺激を受けていても、レセプターとなる私がそれを受けられる準備ができているか否かによって、その刺激から受け取ることができる情報には違いがあるということ。
そんな、あたりまえといえばあたりまえのことに、否応なく気づかされました。

・・・という、強烈な感情の揺さぶりがあり、大切なことに気づけたことを心に刻み込んで、そしてここに書き留めて、全てを処分しました。
私も、次のステップに一歩踏み出そうと思います。