2022年1月30日日曜日

衆愚に見える目

 衆愚政治 ochlocracy 民衆を利用した扇動政治家によっておこなわれる、民主制の堕落形態とされる政治。(山川出版社『世界史用語集』より)

ギリシアの政治形態の変遷を読んでいくと必ず登場する用語。「政治」のことを言っているのだけれども、現代にも通じるよなぁ、と感じるところがあり。

息子が「子どもはオミクロンにかかるよりも、ワクチンの副反応の方が怖いんだって」と言ってくる。なるほど、テレビからの情報をとるとこういう理解になるのだな、と感じたところであった。たまたまFacebookを見ていたら「読んでください」みたいな記事があって(私にとってはお行儀の悪い内容で)同様に「子どもにワクチンを接種させないでください」といった懇願の投稿を目にしてしまいました。

確かに、政権や国の機関に信用がなく、「実はね…」という話の方が信ぴょう性がある、ということもある。大勢の人が集まれば、理由がないことであっても「こうなんじゃないか?」という問いの提出が、ある立場を形成して、あたかもそれが真であるかのような理由になることもある。たとえ、全く根拠がないことでも、です。

世の中、立場や背景が違えば、同じ問いに対する回答が異なる、なんてことは珍しくない。「真実は一つ」であっても、その解釈はその当事者、関係者、傍観者で異なり、さらに個人ごと他の誰とも同じではない背景があるので、「真実の解釈」は人の数だけ存在する、といっても過言ではない。ですから、自分の考えを主張して伝える時には、それなりの作法が求められるわけで、それが学術論文の作法であったり、これまでに培われた情報源としての信頼だったりするわけです。

WebやSNSという空間は、そうした作法や信頼をすっ飛ばして、広く多くの人に自分の主張を届けることのできる場なんです。根拠も示さず(あるいは間違ったデータを使って)持論をあたかも真実であるかのように主張するのは控えていただきたい。本当は助けられる生活が根底から崩されてしまう危険を引き受ける覚悟がない人は、きちんと学術論文の作法で主張をしてください。情報選びの邪魔になるだけです。それにしても、そんなデマをまき散らす人たちは一体何を目指しているのだろうか?

と、この投稿もある意味主張ですが、私が言いたいのは「公共の空間(Web)で邪魔しないでください」ということでした。