2023年12月10日日曜日

サボっていました。最近思ったこと。(7月末~11月末)

 ■231130 Voicyフェスと激務

 あっという間に11月も末日になってしまった。これまでの職場のルールを飛び越えて降りかかってくる仕事の数々と、心ないご意見や主張に打たれながらも、なんとか二つのチームを率いて現状維持はできたのだと思う。その代わりとは言い切れないが、私の身体は黄信号で、ややガタがきてしまっているのだと思う。ちょっと疲れた。

 それでも、毎日のラジオ体操、木剣素振り、ちょっとウォーキングを続けられたことは、自分にとって一つ自信にもなる。一日寝込んだだけで何とか回復できたのは、そこそこの体力がついているからかな。やっぱり睡眠と運動は大事。頭を使うことも当然大事なんだけど、それよりも動くこと、休むことってやっぱり大事なのだと、振り返って思うに至る。

 で、頭よりも身体、という発想は、Voicyフェスの対談で聴いた何人かの人、それもエクセサイズ系の活動をされている方も語られていた。それも強い裏付けになる。多分エビデンスレベルでも運動の有用性は証明されているのだろうが、実感レベルでそれを感じ取っている身としては、誰がなんと言おうと、という気持ちもある。これに加えて、頭では寛容と覚悟。このあたりがVoicyフェスからの学びだろう。身体を鍛えるというと、少し大げさなんだけど、ルーチンになっている運動と頭を常に柔らかくしておくこと、柔軟に考えて、寛容の気持ちで人と接する。行動を起こす時、それが自分にとって大切なことであればあるほど、何かを手放す覚悟が必要となる。こういう一つ一つの「自分のやっているいいこと」の積み重ねが自信につながっていく。だから続けること、しつこさ、頑固さも必要だろう。

 残業が45時間を超えている、ろくでもない月だけれども、自分にとっての最低限、積み重ねを更に重ねる行動に、自分は救われたのだと思う。


■231031 首長選挙

 ご縁のある街で、行政の長が交代することになった。詳細は省くこととして、現時点での私の評価は「新市長が当選するべくして当選した『のではなく』、前市長が落選した『だけ』」の選挙であったということ。選挙戦の構図だけみたら、4年前のそれと全く変わらないものだったというだけだというのが、私見である。

 旋回の選挙は、維新よりの無所属候補が落下傘で出馬したようなもので、率直に「うーん、別に」というものだった。他にめぼしい候補者もおらず「なら、現状維持」という結果だったとするのが大方の評価だろう。今回は、新人候補が協力なブレーンを得て若年層の支持を得た、なんてあちこちで報道されているが、なんのことはない、YouTubeでの宣伝が効く層に「なんとなく新しいことを考えているような」宣伝をしかけて、それによって動いた層が新人候補に投票した、ということ。そして、前の市長は自分に寄せられた批判を実績に読み替えて宣伝し続けてとうとう呆れられた、というだけ。私は市民として両候補の公約を見比べていたけれども「どっちもどっち」という判断をした。4年前と同じである。

 案の定、なにやらいろいろ主張して、迅速な実績を宣言したいのだろうけど、行政のしくみを飛び越えてやろうとすることは、どこかにしわ寄せがくるんです。生活者の視点とは言うけれども、ルールは守らないといけませんね。結局、そういうことに落ち着きます。要は「変革」なんていっても、結局人の欲を増幅したものであるならば、看板をすげ替えただけの、本質的には何も変わらない変化に一喜一憂するだけなのだよ、ということ。さぁ、裸の王様は、だ~れだ?


■Voicyフェス'23 231025

 自分にとって、心地よい対話。リラックスして、楽しく。これこそがいい時間だ。

 人が何かを感じとって気づきを得た時の表情や声色、そういうものって他人にとって本当に栄養になりうることだと思う。自分の置き場、既知のことが何かと結びついて新しい気づきを得たとき、言葉としてはシンプルだけど、その人の中で何か化学反応が起きているかのような変化、ゆらぎ、躍動、動き、なんだろう、それこそ今日テーマになっていた「オーラ」とか波動、そういう言葉でかすっているかもしれないがすべてを表現できない総体。いろんな感動があって、ふるえるような感覚を覚えるのだけれども、それって結局生身の人間が関わり合って初めて成り立つ何かだと思う。


■たぶんコロナ、でも熱は出ない。 231023

 先週末から、喉の違和感はある。変な頭痛もある。でも発熱しない。悩ましいものである。多分、コロナか変な風邪にかかったか。ただ、微妙な症状なので、通常生活を継続する。人がいるところに行くときには必ずマスク、不必要な接触は避ける、という程度。やっぱり悩ましい。

 このクソ忙しい時に、である。白状すると、今週は勤務はほぼ半日にして、家のこと、とあるオンラインFESに時間を使おうとしている。来週から超繁忙に入るというのに、である。ただ、順番から言えばFESの方が早くから予定が入っていたので、仕方がない。仕事はあくまで兼務先のことだ。いやぁ、もうここまで来ると、こっから発熱したら、FESに時間を全部使えるというメリットもあるので、あとは成り行きに。身体がしんどいのは嫌なので、感染防止対策はきちんととるわけだけど。


■コロナ再来 231008

 困ったものである。カミさんが先日から咳をしていると思ったら、急に発熱して、あれよあれよと新型コロナウイルス感染症陽性、の診断を受けてきた。本人は「どこでもらったか、見当もつかない」と言っているが、私に言わせればそんなことはない。学校行事とはいえ、人混みで声を出すこともあっただろうに。

 世の中の感染対策が、結局触れたところの消毒、マスク着用、に留まってしまっているのがちょっと気になる。まずはワクチン接種、隔離、換気、結局以前やっていたことと核は変わらないのだけれども、安心感のためにちょっとだけ動いてみる、みたいな発想に落ち着いてしまっている。「しょうがないよね」といって、結果ウイルスを散らしてしまう行動になってしまうのは、うまく感染対策がとれないこどもたちにとっては本来脅威である。ただ、こどもはこどもで、どこの情報か知らないけど「コロナはもう弱まっているんだよね」と言ってくる。情報源って大事。

 制限が増えてくると、なんかイライラして人にあたってしまうことはあるのだけれども、それってなんの本質でもなく、結局は「余計なこと」。お互いを尊重する、という基本的なことはきちんと意識しておこう。


■次女の運動会 230930

 次女(小4)の運動会を観に行く。長女(中3)の頃とは異なり、午前中・弁当なしという形式がすっかり定着した小学校の運動会。ノスタルジックに「昔はよかった」というつもりはなく、寂しさというものとは少し違うが、時代の移り変わりを感じるものである。とはいえ、子どもの健康や、保護者の負担なんかを考慮すると、このくらいで実施することにはメリットも多いように思う。単に「合理化をはかった」というだけでは、この変化を読み解くことは難しいと思う。

 それにしても、場所取りの整理や保護者受付の廃止、運動会中のパトロールの廃止など、私が提案しても「これまで、そうでしたから!」と押し切られていたいくつかのことについて、ゼロベースの発想で改善(つまり、廃止されたってこと)されていることを、現PTA会長から伺う。自分は二代前の会長だったから、次の次になってようやく花開いた(廃止できた)と言えるだろう。みんなの負担が軽くなって、アウトプットが変わらないなら、Just Do it !でどんどん試してみたらいい。前例踏襲は、不可避のことにのみ適用されるべき、頭は使わないと考えなくなる。


■もうなんか、やれることをやるしかない 230927

 結局兼務体制は続いており、今年度の整理と元職復帰はほぼ難しい状況になった。私としても覚悟を決めて腹を括ったところもあるので、まぁ今年度は走りきろうと思う。次は決算、そして補正予算と来年度申請が一度にきて、もう一度議会、年末。年が明けたら来年度予算で、最後に入園結果が出て支払い地獄に突入、そのあたりで兼務は解けるけど、私のポジションも決まってくる、という不安定要素がずっと続くわけで。とにかく身を守る行動を第一にと考えている。この状況下で不意打ちを仕掛けてきた○○さんとは距離をとっているので基本的には関わらず。こんなくだらないことに付き合っているヒマはない。体調不良者がちょくちょく出てきていて(やむをえないケースとやむをえないケース。前者は精神的なものと連動しているのでしばらく続くかも、後者は若い子が身体的な不調をこじらせている)、なんとも「神は試練を与えたもう」みたいな状況。切り抜けるしかないよね。

 ある筋から「●●さんのことを、誰も話題にも気にもしないのが不自然」みたいなことも言われるのだけれども、私が係兼務するようになった原因を掘り返すのも、どんな形であれ故人を話題に出すことも、私には利があるとは思えないので、とにかく「前を向け」の雰囲気を作っている立場としてはいかんともしがたい。

 せめてもの救いは、兼務先の人間関係が一部不穏な中、一部前向きに動き出しているかのように見えること。こじれているところの改善はなくとも、維持や上書きできるなら、他の改善でもってフォローできると思う。とにかく「前を向け」だ。

 異動してきて、そのまま係長職っていうのは、オペレーションがわからないというビハインドがあるんだよね。頭のいい人なら、説明を聞いて流れが分かるって人もいるんだろうけど、私は鈍で勘も鈍いので、わからんわからんで聞きまくるしかない。それを頼りないと言われるならしょうがないけど、文句言うならお前がやれって感じで。幸い、チームの中には(注。先日の刺してくる人は「チーム外」カウントです)そういう文句はなく、役割分担の中でうまく使ってくれている。これはありがたい。

 今年度の今後を上述できて、「あぁやっぱり」と思えたので、改めて無理せずにやっていこうと思う。こんなことをメモできたのも、半年ぶりくらいに「半日サボり」ができたからであって、こういう時間は月に1回くらいはとらないといかんな、と思ったところでした。びっくりしたのが、今年年休の残りが「36日」とか表示されていたこと。もっと休まなきゃ・笑。元後輩から「アルコール入れましたか?」と質問があったけど、バレるからやらない。でも、いずれそれもいいかも、と思ったよ。


■はたらきアリの法則なのか・・・ 230909

 専門職にも●●がいる。

 海外の報告をキュレーション番組で聴いたのだけれども、研究の手法を使って「コロナ禍で、デマを流した医者情報」が報告されたようです。聞くところによると、コロナ禍の中で、いわゆるエビデンスに基づかない情報、例えば、薬品情報や陰謀論やワクチンに過度な批判を加えた情報などを発信した人の中から、医師免許を持つ人の情報が集計されたそうです。それによると、医師免許を取得した学校、所属学会、活動、発信ソースなど、様々なことが見えてきたとのことでした。デマ情報を発信した医師の内大半が何らかの活動に参加しているとか、発信ソースは旧Twitterが多いとか、そのフォロワー数は中央値で60,000人程度とか、そんなことが浮き彫りになったようです。

 いわゆる社会的地位の高い人が高貴な人かというと、そうでもない、ということは経験則でも分かっていることなんだけど、こんな話を聞きながら、「自分がどんな人を信用するのか」ということを考えてみた。

 やっぱり「自分で考えたことに基づいて、話ができる人、行動ができる人」なんだろうなと思い至る。社会的な役割に対するプライドの有無っていうのも当てはまるのだけれども、それだけじゃなくて、プライド云々以前の個人対個人であっても、その言動が浮いていないか、自分がどこまで分かっていてそのことについてどう考えているかっていうことが、自分の言葉として語れるかどうか、なんだろうなと思うところ。かくいう自分も実際にはどう思われているのかな、と少し気になるのだけれども、他人は他人、自分は自分。そうありたい自分でありたいと思うこの頃です。


■状況は身体を通じて発せられる 230830

 ここのところ、残業が続いている。何か特定の突発的業務というよりは、本来業務がずれこんで、日常やるべきことが時間外になってしまっている感じである。これはよくない。時間外の原因が分析できていないことになる。


■認められること 230827

 合気道で昇級して、帯の色が変わった(白→茶)。大人になると、免状をもらったり、対外的に自分の進み具合を認めてもらう機会なんかはほとんどなくなってしまうので、ちょっとうれしい。いや、大変うれしい。気分も変わるものだ。

隅落としからの受け身

両手持ち四方投げ(一)(二)


■仕事で改めて大切にしたい stand の感覚 230826

 ことごとく、自分の感覚がずれているような気がしている。今の職場では、施設への金銭面の給付・補助の担当と、施設利用の調整の担当をとりまとめる立場なのだけれども、このうち後者について、自分の感覚と業務の思想との間にずれを感じる。最近は少し困っているのと、判断がブレそうで踏み込みが甘くなっているように思う。改めて、後輩達の支えがあって仕事が(とりあえず)できているという感覚がある。

 困っている人がいたら、きちんと支えてあげるという、公務労働の現場で自分が大切にしてきたことが、公平性原則に基づくしくみを前に、ことごとく跳ね返されてしまう。「Iyokiyehaさんが言うことはわかるんだけど、ちょっと違うんだよね」ここんところ、立て続けに同質のコメントが続いており、少し凹んでいる。(そこへ、背中から刺してくる人が見つかったので、精神的にも凹んでいる)困ったものである。

 お金の取り扱いについても、1年以上かけて、ようやくチューニングができてきたように思うので、まぁこちらもそのうち慣れてくるのかもしれないんだけど、それでも1年経っても同じことで悩んでいたら、多分「向いていない」のだろう。この点、その片鱗が怖いと思うのが、通常業務の感覚がいつまでたってもズレズレ感があることだ。「こんな感じだよね」と思うことが、ことごとくはずれと言われると、さすがに不安になる。でも、ここは踏みとどまって謙虚に学ばないとな、と思う。standである。


■本に触れると本が読みたくなる 230822

 モチベーションが下がりつつあるので、休みをとってリセット。いまいちな課題が2つ3つあると、折に触れて思考に浮上してくるので、どうにも頭は休まらない。なるべく長い時間昼寝して、早寝をすることにする。

 妻と次女が、次女の友達と遊びに行くというので、塾に行った長女と部活が休みになってなんとなく家にいる長男とを放っておいて、自室の片付けをする。といっても本を整理して終わってしまう。読み終わった本を下取りに出すものと、スキャン依頼するものとに分けるのだけれども、どうにも下取りに出すのは気がひける。別に誰が損するとかいう話ではない。 でも整理にために本に触れていると、どうにも本が読みたくなる。理由は分からないけど、感覚的なものだろう。活字にまた触れていくとしよう。


■言い方 230822

 結局、言い方なんだよね。昨日の続き。

 ボスになりたい人は、勝手にやってくれればよろしい。構成員だけでなく、その場全体を鑑みた時に、全体の利になるようであれば、シンパを組織して既存勢力を引きずりおろしたらいい。ただ、ほとんどの場合はそうじゃないよね。自分の周辺、自分の守備範囲が、より楽になればいい、という部分最適を狙うために発言権を強めていくやり方が、お山の女将、大将なわけで。

 これもね、中身あってもなくても、全体的に支障がでない言い方っていうのがあるんだよね。要は、お山の女将・大将になりたくても、なりたくなくても、言い方一つでその場の気の流れはなめらかになる。たとえ、それが既存勢力を叩き潰したり追放するようなことであったとしても、言い方を気をつけたら、穏やかに退場願うこともできる。一番軋轢がない方法ではないか?


■お山の女将 230821

 多分に男性目線であることをお許しいただき、筆を進めたい。世の中の人間を二分すると、「ボスになりたがる人」と「ボス関係ない人」に大別されるのだと思う。自分はどちらかというと後者だと思う。ただ、思い切り自分の身の回りのことだけ考えると、ひょっとしたら前者が目立たないけどいるかもしれない。

 口では「このままでいい」と言いつつ、我をはる人もいれば、逆に「上昇志向」とかいいつつも、周りを立てて昼行灯を演じている人もいる。私の理想は昼行灯なんだけどね、実力が伴わないから仕方がない。

 で、前者の件である。前者でかつリーダーシップに長けている人というのは、いわゆる世に認められる人だから、あとは実力次第で周囲がついていくかどうか、ということになる。問題なのは、前者かつ(そこそこ)作業ができるかつリーダーシップがない、というパターン。独りよがりか、言いたいことしか言わない方が多い。より面倒なのが、そこそこ動けて、気の弱い人を巻き込んで、局地的に完全にボス化していて、言いたいことを適当に言っているだけの人。要求が強い人とか、提案が多い人とまとめられることが多いが、平たく言えば「口のきき方が分かっていない、偉そうな人」という(暗黙の)評価を受ける人のほうが多い印象がある。余計なこと言わなきゃいいのに。言葉の端々に「あなたには分からないでしょ?私はこの場所のことは一番よく知ってるんだから!」となぜかアピール(なのか?)してくる。反省なんか一片もなく、滑稽だったり、憐れんでみたり。ともかく関わりたくない。


■夏祭り 230820

 今日は、朝起きたときに「イヤだな」と感じて起きるのをためらってしまった。理由は明らかで、多分職場のストレスが大きくなっているのだろう。言われていることが、全くお門違いなことである、ということは理屈ではわかっているけれども、感情レベルでは気味の悪さと怒りの感情が収まらない。折に触れて意識に上がってくるのが、何とも都合が悪い。とはいえ、何かしらの落としどころが要るのだろう。

 町内会による夏祭りが開催された。4年ぶりか。所沢市に引っ越してきてから、ほぼ毎年顔を出していたが、コロナが明けて、次女のために引率。コロナ前の最後の開催時は、確か次女連れてクレープを買ったんだっけ。長女はお友達と、長男は勝手に買い食いしていたっけ。懐かしいな。

 とはいえ、この人混みはさすがに気疲れしてしまう。元々祭りを含んだ人混みって嫌いだから、正直なところ今日だって合気道のお稽古に行けばよかったんだけど、なんとなく会場へ足を運んでしまう。ウチの子を含め、こども達が楽しんでいるのを眺めているのは、なんとなくいい気分になる。そういうものなんだよな。


■ビールのうまさ 230819

 何年かぶりに、ビールをゴクゴク飲んでしまった。その勢いでpomeraに向かっている。朝から汗を何度もかいて、夕方に庭掃除をして一気に汗を出した後の、夕食とビール。たまらん。

 炭酸と苦味を冷たくした液体で体内に流し込む。のどごしとか言われるけど、普段はおいしいと思えない苦味とアルコール臭が、ここまで疲れてミネラルと水分が枯渇している身体に流し込まれる時に、喉から胃にかけて快刺激が通り過ぎていく。これだな、快刺激が体内を通り過ぎる、というのがビールのよさなのだろう。


■無風・凪 230818

 ということで、宿題を淡々とこなす。そうそう、返信にはお礼も忘れずに。余計なことは一切残さない。

 っていうか、そんなことをやっている暇は本当はない。本件、理想的なのは、感情を含めてすべてが自分のサブチャンネルに収まっていくこと。あわよくば、自分のパーキングエリアみたいなところに入ってしまうことなのだろう。物事の本質に「何も」当てはまっていないし、ムダなだけ。自分のリソースをほんの少しでも使うのがもったいない。


■宣戦布告 230816

 半日考えても、やっぱりおかしなこと、不可解なことなので、ここに記しておく。

 「大人ではない」が現時点の到達点である。質問攻めにされる、厳しい意見を伝えられる、怒られる。正直、意味と理由が理解できない。百歩譲って、私に何か気にくわないことがあるのなら、それをきちんと指摘するのが大人の態度だろう。「何のつもりですか?」「何をしたいんですか?」「何も話すことはありません」、1on1を打診して、自分で時間と場所を確保した上で、開口一番がこんなじゃ、びっくりするとかそういうレベルではなくて、開いた口が塞がらない「不可解」である。呆れてしまい、その場を取り繕う気にもならず、聴くべきことを聞かずに、少し確認をしてクローズ。勝ち負け云々ではなく、不可解、が正しい。久々に、チームに必要ない、と思える人と出会った感じだ。


■話し合い 230814

 組織としてはいろいろやり方があるのだろうけれども、局地戦、特に足下をよく見たときに「これしかないよな」と決まってくることがある。今年度の自分の身の置き方がそんな感じ。意外とこういう時の判断って、感情で決まってくるんだよね。「自分にとって」どうかというよりも、自分の基で仕事をしてくれる後輩達のためにどうか、チームのモメンタムが保たれるのはどんな方法か、みんなにとって「心地よい」環境ってどういうところなの?そんなことが、結局最後の一押しをするから、多分理屈には合わない判断をしてしまうのだろう。でも、決めたなら、進みながら必要な修正を加えていくしかないよね。


■合気道メモ 230813

 一ヵ条ドリル

・膝行から正面打ち、座り技一ヵ条抑え

 トレーニングを兼ねる。膝行法から正面打ちを合わせて、仕手が一ヵ条抑え。

・綾手持ちからの、片手持ち一ヵ条抑え(一)(二)

 (一)は肘を返すことができれば、極めやすい。力技になってしまうことも。

 (二)は相手が動かない時に、後ろの足を出しながら回転法で崩す。出した後ろ足に軸が移るので、姿勢を保つ。 

・掛かり稽古 綾手持ちから一ヵ条(一)(二)の選択。

・肘持ち・肘抑え

 一ヵ条が崩れた時、肘肩返しても相手が崩れない時に、受けの肘を狙いつつ肩を極める。


■筋を通すこと、我を通すこと 230801

 ここのところの職場への問い合わせの内容を聞いていると、「困ったから助けて」ではなく「思いとおりにならないから、なんとかしろよ」という主訴が多いように思う。どこまでも自分の責任ではなく、「ルールが自分に合わないからお前らが悪い」という屁理屈のようだ。論理的に、とか言いながらも、結局のところ屁理屈に屁理屈が重なっているだけで、結局自分本位の延長線上で空中戦をしているに過ぎない。それでいて、話が混み合ってくると考えるのが面倒なのか「訴える」だの「報道関係者に知り合いがいる」だの。勝手にせいと言いたくなるのをぐっとこらえる。大体「上を出せ」と言われても、結論が変わらないことは、上が出ても結論は変わらない、という基本的なことも分からない人たちに使う時間は無駄でしかない。

 物事の道理が分からない人に、筋を通すだのうんぬん言われる筋合いはないんだ。


■昇級審査2 230731

 審査の様子を、先生方がビデオに撮ってアップしてくれた。不思議なもので、自分のボディイメージよりも動けているように見える技の挙動と、逆に自分のボディイメージよりも崩れている自分の姿勢が目についた。面白い。

 構えや基本動作は、ある程度身についていると思っていたのけれども、審査の中程、ちょうど疲れてきた時に、構えがほぼ直立に近くなってしまう、姿勢を低くするところで低くなりきれていないことを客観的に理解できた。基本動作の他、構えなんかは全然気にしていないことだっただけに、この崩れ方は課題になる。


■昇級審査1 230730

 ここ1ヶ月ほど、頭の中を2割ほど占有していた合気道の昇級審査を受けてきました。今までの昇級審査は既定項目だけだったので、要はテストの内容が決まっていてそれをきちんと練習してこなしていけばいいものでした。今回も基本的には同じ形式なんですが、3級審査からは「指定技」なる総計30近い技の中から、その時に言われた技を表現するものが3本あって、それを覚えるのに必死な一ヶ月だったわけです。結局は以前に購入したDVDを観ながら、朝のルーチンの中に技の確認を入れ込んで、今日は四方投げ、明日は一ヵ条、みたいにできることを確認しつつ、わからないことを浮き彫りにして再度調べる、DVDで確認する、みたいなことをブツブツいいながら、ああでもない、こうでもないと身体を動かしてみることを続けて、ようやくできた感じはするのだけれども、三歩進んで二歩下がる、みたいな。


■帰省 230723-25

 今年の夏の浜松帰省は2泊3日。長女・長男が中学生になり、夏期講習やら部活やら。私の見え方としては、優先順位がわからないのでせっかく帰省するなら、もう少し長くてもいいと思うのだけれども、とはいえ短期間には短期間のメリットもある。

 私の実家は、父親が80歳を超えていて、とはいえ父親は元気なのだけれども母親の認知機能の低下が激しく、新しい記憶の書き込みが随分弱くなっている。私が帰省する直前にも食卓に並ばなかった煮物が朝食に出され、父親から「これは食べるなよ」と耳打ちされたり、記憶し損ねたことを父親が激しく指摘する場面にも出くわし、最終日には「みんなでご飯でも食べて」と母親からの小遣いが三回繰り返されるとか。一方、そういう母親はデイサービスを利用することになり、日中の家事・特に昼食を自炊するようになったオーバー80の父親は、随分愚痴っぽく、話が長くなっている。二世帯で同居する姉二人も、悪態つきながらもフォローしているような話もあり、突発的な変化だらけの生活なのだろうなと察する。余談だが、実家のエアコンが一新されていたところに、父親の財力の底力をみた。

 3時間ほど、一人の時間があったので、駅前に用事を済ませようと繰り出したものの、某金融機関のATMすらなくなってしまい、通帳記帳ができなくなってしまった。ついでに地元の神社にお参りし、ここのところの不運を一新しようとお札を購入した。ただ、友人にうなぎを送るような時間はなく、今回はおみやげなし、ということで。


■結局は自分次第 230720

 気にくわないことを、いちいち書き留めておくと、なんとなくそのデータが悪口増幅装置になってしまっているような気がしていた。が、自分のストレス発散、浄化だと思って時々そういうことをやっていたけれども、そういうことも「いい話」「改善話」に編集・変換して発信し続ける、といったことをやっている人のインタビューを聞いて、それでいいんだ、と思うことができた。すとんと腑に落ちた。

 最近、暗いニュース、なんとなく悪いように聞こえるニュース、ひどいニュースばかりで、情報源をどうしたものかと思ってきた。事実を表現すればそういう書き方になるけれども、事実を表現しようとすればするほど、「自分の見え方」から物事を表現してしまうことになる。人間には矛盾がたくさんあるけれども。

 いや、多分話はシンプルだ。自分にとって腑に落ちないことや、テンションが下がること、嫌な気持ちになるものも、つい悪口を言いたくなる経験とか、そういうことがあっても、それに自分がどう向き合ったか、どういう行動をとったらどうなったか、工夫したらマシになったのか、など、いい話や視点の変更が効かなかったとしても、自分の行動や感情に焦点をあてて「マシ」な方法を記録していくことには、とても意味があると思う。


■前向き仕事 230718

 先手をとって、新規事業を提案する。忙しくなるけど、テンションはあがる。


■詰問 230718

 何がきっかけなのか、延々と詰問される。「どう思ってるの?」は質問ではなく問い詰めるワードでしかない。反発せず、安易に同意せず。受けきらないといけない。多少感情は動くけれども、平常心の枠内に収めるしかない。


■三連休 230717

 買い物、トランポリン、買い物。土曜日は豚汁と切り干し大根、魚を焼く。日曜日は子どもらを連れてトランポリンへ行った。月曜日は買い物に行って、マカロニサラダを多めに作る。結局、3日間とも夜は飲酒をしたため、普段よりも眠くなるのが早い。録画したドラマvivantをカミさんと観て、床に就く。