2023年5月13日土曜日

西野瑠美子『七三一部隊のはなし -十代のあなたへのメッセージ』明石書店、1994年。

  書籍が並んでいるところを眺めていると、ふと本に呼ばれたように手にとる(とってしまう)本がある。今回はそんな一冊。次女と隔週で図書館通いをしていて、昨年あたりからポツポツとそんな感覚が戻ってきたのか、新たに身についたのか。昨年何冊か紹介しているティーンズ小説はそんな感覚で「呼ばれた」本たちです。

 「なんで七三一?」と言われそうだけれども、Iyokiyehaも説明できない。別に興味があったわけではないし、以前から追っかけていた情報でもない。でも、先日「呼ばれて」しまった。謙虚に学ばせていただく。

 著者の西野氏はルポライターとなっています。戦争関係の話題、というか主に「従軍慰安婦」の分野では、複数の著書含め著名人のようです。今までも何か読んだことがあるかもしれない。本著は、中学生への講演活動を通じて、もっと広く多くの人に日本の歴史を知らせる必要を感じ、元日本人従軍者や被害者家族などへの聞き取り調査を含めて書籍化したもの。中学生向け、を意識してまとめられたのか、表現は平易で読み手に考えることを促す問いが随所に含まれている。

 随分前に「七三一部隊展」みたいなものが開催されていたんですよね。私はまだ中学生か高校生くらいの頃だったけど。当時は、戦争の悲惨な側面、日本の(今で言う)黒歴史、人体実験が行われていた、といったことが伝わってきて、なんとも言えない気持ちになったものです。それから30年くらい経った今でも、こういう歴史の受け止め方には迷いが生じ、戸惑うものだ。とはいえ、記録に残る日本の歴史であることには違いないわけで、まずはきちんと受け止める。しかしながら、戦争のため、実験のためとはいえ、生身の人間を実験の材料(=「マルタ(マテリアル:材料)」という呼び方に通ずる)にしてしまう主体としての感情とは一体どんなものなのだろうか、と思いを巡らせてしまう。このあたりは人への興味が尽きないIyokiyehaの思考の癖かもしれない。「戦争下で感覚が麻痺していた」「大義名分があれば感情からは切り離して扱うことができた」「人ではなくマルタ=材料と捉えていた」など、三人称では様々な理由が考えられるし、そのどれもが「外れてはいない」のだろう。ただ、「当たっている」とも思えないし、主体が生身の人間である以上、感情という言葉では捉えきれない何かがそこに横たわっており、長い時間を経て変質していることなのだろう。

 この一件をもって、Iyokiyehaは善悪のいずれの立場も支えることはできない。善悪って相対的なものだから。ただ、歴史として受け止めて、今後の自分の生活、自分の周りの生活に「何かいい影響」をもたらすことが、歴史を学ぶ意義だと改めて考えるところです。この部隊の存在や研究成果がどこへいってしまったのか、この部隊に関わった人たちの処遇なんかを考えて推測することももちろん大事なことだけれども、そこにはきっと自分の人生への「いい影響」はないような気がする読書でした。ちょっと不思議な読後感でした。