2023年12月31日日曜日

合気道 自由技編 231225

  6月の審査で3級に昇級して、茶帯になった。とはいえ、道場の一般部で末席なのは変わらず、それはそれで毎回いい経験とお稽古をさせてもらっている。秋口頃から、休憩時間に受け身のお稽古をやってもらっていて、ようやく飛躍受け身もだいぶ怖くなくなってきた。まだまだ形を整える余地だらけだけど、痛くなくなってきたのでお稽古にチャレンジできる、というのは自分の中での一つの成長といえるだろう。

 以前習っていた昭道館の合気道では、乱取りが当たり前だったので、技のお稽古も割と実践的な動作・流れの中で行うものが多かったのに対し、今習っている錬身会では、型をひたすら重ねていくというお稽古。双方かじっている身としては、初めはどちらにも疑問があったのだけれども、最近になってそれが「ただ、入り口が違うだけ」と考えられるようになってきた。前述した受け身ドリルの中で、自由技をやり始めるようになったから、それが多分間違っていないんだろうなと感じるまでに至った。

 型稽古のよくある質問に「実践的じゃないのではないか?」というものがある。こどもたちがそう感じるのも無理はない。ただ、お稽古を重ねて、錬身会でいえば自由技をやるようになると、これがとても実践的な取り組みとその準備、さらにその研究、ということがわかってくる。そしてその練習を成立・充実させるための受け身の技術、とすれば、型稽古がどれだけ体系的に体術を学ぶことのできるプログラムであるか、ということがイメージできるようになる。連続技になると、技の型を一部崩して、流れを止めない、動きの中で対応し続けることが求められる。そうなると理想的に受けられたときに詰めて詰めて詰めて詰めて抑える、ということではなくて、投げて次、投げて次、大勢いても、投げてかわして投げてかわして、が繰り返される。ここにきて、大変実践的なものであることに気づく。このことに気づくと、連続技をやらなくても、いつもの技の稽古が連続技につながっていることを実感できるし、連続技は型稽古の基盤がないと全く技がかからないことだってありうる。

 錬身会でお稽古を初めて、薄々感じていたことではあるのだけれども、コロナ後、今年の初めに稽古を再会して、最近になって蓋が一気にはじけ飛んだ感じがしている。ますます面白くなってきた。