2008年5月5日月曜日

「認められる」条件

最近また読んでいる『加治隆介の議』。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/01/200010.html
(2008年1月20日投稿)
その5巻で、外務省大臣官房国際報道課長に就任したての倉地潤が日本の外交について語ったくだりが非常に印象的だった。
1994年から95年にかけて連載された内容なので、当時(今も?)の国際情勢を反映しての記述と考えられるが、以下の通り説明している。

「一流国の条件は、軍事力、経済力の他に、信頼されること、尊敬されること、好かれること。この三つの要素が必要なんだが、日本は外国にそういう面の顔を見せていない」

当時、世界第2位の経済大国となり、ODAを中心とした経済援助は世界一といっても過言ではなかった日本だが、世界からは一流国として認識されていないことに対して、外務官僚が説明した内容となっている。


これを受けて、国際情勢ズブの私があれこれ言うことは恥ずかしいのでやめておく。
考えるところはあるけれども、それはそれ。
このくだりを改めて読んだ私が感じたことは、似たようなことは何も国際関係だけでなく、もっとミクロな人間関係でもいえるだろうなということ。
軍事力を「仕事ができる」などに読み替えて、国際関係では「アピール」しなければならない(そういう面の顔を見せる)ところを、他者からの評価とすれば、そのまま人間関係に当てはまることなのだろうなと。
他人から「認められる人」は、仕事ができてお金持ちなだけじゃなくて、信頼とか尊敬とか好かれるとか、そういったいわば「人として」の部分が大きく影響するように思う。
少なくとも、私がこれまでに「すごい!」と思った人には、共通するこういった要素はあると思う。

Iyokieya自身がどうかということは、私が決めることではなく、もちろん周囲の判断に任せることだけれども、たとえ意見の食い違いやズレ、信念の違いがあっても手を結んでいけるような「共感」を得られるよう、努力することはやめたくない。


・・・漫画読んで、こんなこと考えるから、疲れるんだな、きっと。