2008年6月12日木曜日

アキハバラの事件

連日、ニュースで報じている秋葉原の通り魔事件。
昨日も、朝ラジオで経過を聴き、帰宅後、テレビでも報道されていた。
何の罪もない方が、一人のあまりに身勝手な思考のもとで犠牲になる。
白昼堂々と、その悲劇は起こったらしい。

昨日になって、報道に何となく違和感を覚える。
それが何なのか考えてみると、一つはこの事件を通して「Webの在り方」が問われていること。
もう一つは、同じく「非正規雇用」が語られていること。
結論から言えば、どちらもこの事件には直接関係ないもののはずなのに、「何か」別の力がこれらを強調しているように思えてしまう。

事件を起こした若者が、その事件を予告し、犯行直前にもインターネットを介した掲示板に書き込みをしていたとのこと。
携帯電話端末専用のサイトだから発見できなかった、事故は未然に防ぐことができなかったのか、などという「問いかけ」が連日の放送に盛り込まれ、何となく「Webリテラシー」や「書き込み規制」の流れを作っているようにも見える。
そこに、子どもに携帯電話を持たせないなどのニュースも平行して流されると、どうも携帯電話端末もしくは、Webに何らかの規制をかけたい「誰か」の思惑が見え隠れしているように思えて仕方がない。

このBlogにも同じことが言えるけれども、Webにアップされる文章は基本的に「便所の落書き」くらいのものでしかないだろう。
ただ、若者の掲示板と、私のBlog、大人気Blogとを比べると、そこには「定期的にアクセスする人の数」に絶対的な違いがあるといえる。
言ってみれば、毎日使うトイレを、どの場所にするか決めている、もしくは、たまには使ってもいいか、と思っているかどうかである。
その程度のもので、事件を未然に防ぐことができたのかどうかということである。

非正規雇用についても取り上げられているが、これは事件とは全く関係がない。
精神障害者が「ライシャワー事件」などを契機に、取り締まりの対象になったが、非正規雇用者がそういった取締りの対象になるとは思えないし、だからといって、この事件を契機に雇用情勢が変わるかというと、決してそうは思わない。
ただただ、煽っているだけじゃないのか?


冒頭にも書いたが、犠牲になった方は、この若者の「身勝手な思考」の犠牲者でしかないように思う。
その「思考」について、調べを進めた経過をきちんと報道してほしいとは思っているが、関係ない議論については、安易に煽らないでほしいと思っている。
そして、情報に踊らされないようにする、情報を見抜く目を養っていたいものだと感じた。