2007年10月28日日曜日

嫁さんのいない週末 2

起床。
今日は天気がいいので、目覚めがいい。
朝のジョギングを済ませ、朝食をとる。
簡単に自炊して、嫁さん母上が作り置きしてくれた、ぶり大根で豪華な朝食をとる。

朝食後、洗濯。
一人暮らしから離れて半年も経つと、やはり手際が悪い。
手伝いと、自分でやるのとは随分違うのだな。

午前中、先週放送の「プロフェッショナル仕事の流儀」仕事術スペシャルの記録をとる。
デジカメで印象的な場面をぱしゃぱしゃ。
メモは番組見ながらとったので。
参考になりそうな発言とか、記録しておきたい部分については動画に収める。
この行動、嫁さんは呆れているけども、時々振り返りたい番組ってありますよね。
呆れながらも邪魔はしません。
今日は嫁さんいないので、「ほー」とか言いながらシャッター切りました。
記録をデジカメでとるようになって、要らない紙が減った。

外出。
本屋へ。
山梨に引っ越してから、本屋に行く頻度が減った。
2回/月くらいだろうか。
浜松にいたときは、仕事帰りに3回/週は行っていたし、岡山にいたときも、2回/週は行っていた。
それが半分以下になった。
理由は、近場にいい規模の書店がないことと、週末は嫁さんと一緒に行動することがほとんどなので、本屋というチョイスがなくなってしまったことだろう。
その結果、どうなったかというと、まず「本に呼ばれる感覚」が全くなくなった。
もう一つ「社会の話題にひどく疎くなった」ことがある。

「本に呼ばれる感覚」、幻聴が聞こえるというわけではない。
週に一回、適度な規模な書店に通っていると、新刊コーナーの変化がわかるようになる。
すると、時々、自分にとってその時必要な本が、自分を呼んでいるときがある。
浜松にいた頃(NPO勤務時代)に気づいたことだが、岡山に行っても同じ感覚があった。
心身共に健康な時に「呼ばれた」本は、その場で買って損したことがない。
私にとって、大切な感覚だったのだが、山梨に来てからは、それがなくなってしまった。

もう一つ「社会の話題にひどく疎くなった」こと。
平積みの本や、話題の作家コーナーなんかを眺めていると、なんとなく「流行り」がわかってくる。
もともと、ワイドショーを見ない私にとって、貴重な情報源だった書店にいかなくなったことによって、この「流行り」を仕入れる場所がなくなっていた。

こんなことに気づく。
本屋における、こうした「感覚」はAmazonさんでは決して味わえない。
やっぱり2回/週くらいで、本屋さんに行かなきゃいけないと思った。

午後は、近所のマクドナルドで『ワーキングライフ』を読む。
マックは、ヒューマンウォッチングもできて面白い。
やはり、家族団らんの時間に、携帯電話をいじるのは、会話がなくなる原因になっていると思う。
Web料金が安いからといって、家族がみんなして携帯電話を覗き込んでいる光景は、ちょっと異様である。
カップルが向かい合って、お互いに携帯をいじっている姿も、私には異様に映る。
人の振り見て、我が振りなおせ。
気をつけよう。