2024年4月29日月曜日

中澤朋子『不倫女子のHappy Holidays!』Audiobook.jp。

  感想は、最後の段落部分のみ。それまでは、本書を読んで浮かんできたことをメモ

 「不倫」という言葉は、社会的な背景があって生まれた言葉といえる。自分にやましいことがないから言えることだけど、他人と他人が好き合っているという関係が起点となって、そのお互いの置かれた状況によって、それが不倫であるかどうかが決まる。よって、率直には自分には関係のないこと。もう一歩踏み込むならば、それは当事者同士の関係であって、それ以外の人には、原則関係のないことといえる。

 だから、それが(なぜか)自分の身に降りかかる時というのは、何かが私の境界を突き破って入り込んでくることに他ならない。このことですら「他人に迷惑をかけないようにしてからきてね」になってしまう。そんな状況に置かれた人が、休日をどう過ごすかということについても「そんなの、自分で考えなさいよ、大人なんだから」。一人になって何かを思い出して苦しんだり、いわゆるイベントに孤独を感じて苦しむ、なんてのは仕方のないことだけれども、それは当事者同士で作ってしまっている感情なのだから、そこまででしょう。

 じゃあ、こういうことが当事者間の人間関係と、社会的に作り上げられている常識みたいなもののギャップによって作られているから、「社会が変わるといいよね」という論調はやっぱりちょっと違和感があるわけで(本書はそこまで言っていない)。社会に求められているのは変化ではなく寛容。余計なことを言わない、感じさせない態度が、成熟した社会といえるのだと思う。人のあらさがしをして、ネットで曝して笑いものにする、というのは寛容さの微塵もない自分本位の、自分が一番大事な人達の行動だから、そういうものは、少なくとも自分の中から排除した方がいい。

 そもそも「不倫」なんて言葉を使うから、自分の本心と社会的な後ろめたさとの間で悩み苦しむ人々が絶えないわけで。冒頭にもドライに表現したけれども、本質は、人を好きになる気持ちであり、それ以上でも以下でもない。私の周りには、いわゆるこういう関係を経て幸せをつかんでいる(ように見える)人がいる。相談を受けた数人には「全力で奪い取るのがマナーなんじゃないの」と言った覚えはあるが、これも「奪う」なんて言葉を使うからとがって見えるのであって、要は「一番好き合ったところで覚悟をきめた方がいいんじゃね」って言っているだけで。当事者それぞれの感情を考えたら、どこかに被害者は出るけれども、この態度を決めきった人達が、人間関係を次のステージに進めることができるのだと思う。

 さらりと聴いた本だけど、いわゆる「不倫」(←この言葉は好きじゃない。人間関係の本質を突いていない)も、人間関係の一形態として考えると、いろいろ思うところはあるな。この本の記述から学んだ一番大きなことは、笑いのツボは千差万別ということ。重なることは滅多になく、場合によっては人を不快にさせることがある、というくだり。著者は多分その人との相性、みたいな文脈でこの表現をしているのだが、これは本質を突いている事実のように思える。