2024年4月29日月曜日

コンテンツの寿命1 質的 240303

  バズる、という言葉すらもはや「遅れている」のかもしれない。いろんなものが流行っては次のものへと移り変わっていくのを、半ば敢えて距離をとるように眺めている。

 個人が発するもの・ことが世界へと発信されていく。Webの世界ではそうしたことが起こり、それは肯定・賞賛されているかのように見える。その価値を認めること、それ自体についてどうこう言うつもりはない。ただ、そこに既存の価値を貶めるような、見下すような雰囲気はないか?と問い続けている。ない、とは言い切れない。正確には、その個人がそうした雰囲気をまとって発信をしている例ばかりではない、というべきか。中にはひいき目に見たとしても粗悪な侮蔑感情を感じるものがある、がそういうものはちょっと特殊カテゴリーにいれておこう。最近気になっているのは以下の2点である。

 一つは、新しい価値観を取り上げて肯定・賞賛することによって、自動的にそれまでの価値観の見え方が「自動的・相対的に下がってしまう」ということ。

 もう一つは、本人にその気が0であったとしても、例外、一つ目を含め、周囲がそういう雰囲気を作り始めたり、あるいは受け止める側がそう受け取ってしまう、という可能性である。

 少なくとも自分にはこうした点が気になるような事例ばかりである。そう感じてしまう自分の立場から見回すと、いわゆる受動的メディアに対しては、細心の注意を払っていないと、そういう雑な感情がすっと自分の中に入り込もうとしているのを感じる。意図して排除しないと、容易に入り込んでしまう。最近の流行り物に気をつけるべき、という態度には、こんな背景がある。